2023年7月11日火曜日

失敗は繰り返される

目が覚めても胃が痛まない。やはり質の良い食物は体に良いのだ。そして昨日は肉を食べたのに胃もたれもない。それどころか恐ろしいことに食欲が目覚めてしまった感があって、お肉の次はお魚よと私にささやく声がする。お魚?それならお寿司よね。隣町のショッピングビルに世田谷で有名な寿司屋の出店の回転寿司がある。美味しいお肉の次はしょぼいものは食べられないから、回転寿司といえどもこの辺で一番美味しいところにしよう。出かけるのは面倒だけれど運動もしないとね。

歩いて約20分、腹ごなしにはちょうどよい。目的の店はいつも混んでいて私は敬遠しているけれど暇だから行列覚悟ででかけた。すると午後4時という時間のせいか、この店が始まって以来初めてすんなりと入れた。客席も一人客が多く座れるように用意されていた。左隣はカップル、右には一人客の男性が静かにお酒を飲んでいた。

私の生活水準では銀座の有名寿司店でカウンターに座り注文することなどめったにチャンスはないから回転寿司は勝手知ったるもの。粉茶を湯呑に入れてお湯を注ぐ。一口味わってからタブレットで注文を始めた。これも手なれたもので、いちいち面倒だから一気にまとめて注文してしまい次々とお寿司が届いたのでやおら食べ始めようとお醤油の小皿を探すと、無い!

以前はこういうところでは湯呑や小皿はその辺にたくさん置いてあったけれど、迷惑動画が公開されて以来様子が変わった。私は他の客の様子を窺った。最初はお寿司の皿に直接お醤油をかけるのかと思ったけれど、そんなことはない。ちゃんとお醤油の皿があるようだ。それなら小皿もタブレットで注文するのかしら?店員さんを呼んで持ってきてもらうのかな?

しばらく考えたけれど周りの人に訊いてみよう。左側はカップルで仲良しの会話の邪魔をしては悪いから右隣の男性に声をかけた。「お醤油のお皿はどこにあるんですか?」すると彼は黙って指をさす。さされた方向を見るとお茶の缶を指している。「え、これ?」すると「お茶の下」お茶の缶の下には確かに小皿が敷いてある。だって缶の下なんて汚いじゃないの。「どうしてこんなところに置くのかしら、汚いじゃない」すると彼は吹き出しそうな半笑いの声で「自分でそこに置いたと思うけど」

うっそー、私が?やったの?見ていたら教えてくれればいいのに。せっかく教えていただいたのに悪いけれど、私はぶすっとしてそれから猛烈にお寿司を平らげて帰ってきた。歳を重ねて普通なら品よく若者の手本となる食べ方をするはずが、教えてくれた親切な男性には礼も言わずに店を出た。氏より育ちというけれど、ここでお里が知れてしまった。なにも笑いながら言うことないじゃない。それより黙って見られていたのが腹が立つ。その後おかしくなって一人笑い。プンプンあはは!

帝国ホテルへ間違えて前日に行ってしまったとき、ロビーで出会った男性もすごく嬉しそうに笑っていた。私もおかしかったけれど、その人はもっと笑っていた。回転寿司のお客さんもなにがそんなに嬉しいのかわからないけれどお酒を吹き出しそうな感じで笑っていた。

他人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだわ。笑わば笑え!たかがお醤油の皿にお茶の缶を載せたくらいでこんなに笑われるとは。きっとその後私がどうするか見ていたのでしょうね。店員さんに文句を言わなくて良かった。





2023年7月10日月曜日

七夕メモリアルコンサート

胃腸の調子が良くないので出席をためらっていたけれど、七回忌の大切な節目の集まりなので今日もまた昨日と同じ帝国ホテルへでかけた。どなたの七回忌かというと主人公は軽井沢のY子さんのお父様。元弁護士で穏やかでユーモアがあって素敵な銀髪の紳士だった。

Y子さんと知り合ってから彼に初めてお目にかかったと思っていたけれど、実は私が所属していた頃の東京交響楽団に定期会員として来てくださっていたらしい。ということは新人だった私が顔を赤くしたり青くしたりして奮闘していた姿をご覧になっていたということで、それもつい最近わかったことで、なにか深いご縁を感じた。

会場に入ると入り口付近にY子さんのご両親の写真とともにチワワのすみれこちゃんの写真も飾ってあった。すみれこちゃんは賢く感情豊かなそれはそれは可愛いワンちゃんだった。軽井沢で散歩していたとき、私の姉の足が遅く少しでも皆から離れてしまうとすみれこちゃんが気遣って姉をじっと待っている。今でも姉はその可愛らしい姿を「あの子は優しい子だった」と思い出しているのだ。残念なことに大変病弱で数年前に虹の彼方に行ってしまったすみれこちゃん。

会場の受付で席を自分で選択してくださいというから裏返しの番号札を引いたら、ちょうど会場の真ん中のテーブルが当たった。今日の演奏のステージの真ん前、元日航のパイロットだった人と今日の演奏者の谷康一さんたちと相席だった。今日私は演奏はしなくて良いはずだったのに、谷さんと共演するヴァイオリンの美智子さんの一言でご一緒に弾くことになった。ヴァイオリンを持ってきてくださいねとY子さんに言われて逆らえず、楽器だけ持っていった。弾くかどうかは会場の雰囲気で決めようと。ヴァイオリンの美智子さんはなぜか髪の毛が緑色、「おや、梅雨時で髪の毛もカビた?」と最初のパンチを繰り出すと「そちらこそ、その髪の色はどうしたの」と反撃を受ける。私もひと様があまり染めないような金髪。どっこいどっこいですな。

胃腸が不具合なので少しだけにしておこうと思っても料理の美味しさはさすがで、しかもいつもより多めに食べても胸焼けもしない。日常的にどれほど質の悪い食生活をしているかわかるというもの。毎日ここに来て食べれば胸焼けはしない。そんな生活をしてみたい。テノール歌手の藤原義江さんはこの帝国ホテルに住んでいたというから、毎日こんな上等なものをたべていたのだろう。

Y子さんのお父様は常に楽しく華やかなことがお好きだったので、今日の演奏はうってつけの楽しいものだった。皆さんノリノリで手拍子。ルート66、聖者がまちにやってきた、虹の彼方になどおなじみの曲が矢継ぎ早に演奏されて会場は手拍子と歓声で沸き返った。私は2曲初見で参加させてもらった。やはりこういう曲を弾くのはすごく楽しい。こちらのジャンルに転向しようかしら。他のお客様たちは世間の常識圏内にいるからそれぞれ年齢にふさわしい落ち着きがあるけれど、バンドの男性たちのなんて若々しいこと、ダンディでいたずらっ子のよう。

谷さんと元日航のパイロットさんたちは幼馴染で同じ中学だったそうで、それがお互いしばらく別の道を過ごしてから再びY子さんの元で再会したという。これもご縁の深さを感じる話だった。人はみなどこかで繋がっていることを実感させられた。私はあまり食べられないといった手前食べ過ぎは禁物、でも結局デザート3つとコーヒー3杯まで平らげてしまった。今夜眠れるか、はたまた胃痛でウンウン泣くか、怖い!










2023年7月8日土曜日

まっしぐら2

 やっちまった!!

今日は手帳を見たら日曜日。帝国ホテルでバイキングをごちそうになる日。えっと、なにか着るものあったかしら。ずっと以前から着ている一張羅しかないけれど、ま、いいか。バブルの頃に買ったライオンのイヤリング。あれをつけよう。などと準備万端、雲の様子が怪しいから車で出かけよう。アルコールは飲めないけれど、最近はノンアルコールのシャンパンまであるからお酒でなくても楽しめる。

時間の読みが的中してホテルには開宴の15分前に到着。日曜日だから駐車場が混んでいるかと思ったけれど、すんなりと停められた。宴会場の建物に入ると人気があまりなく、随分静かで、でも宴会の時間が迫っているからみなさんもう会場に入っているのかな?

帝国ホテルはかつて私の仕事場だった。結婚式の音楽を担当、大抵は弦楽四重奏での注文が多かった。こういう老舗のホテルだから品の良い方たちが結婚するとなると、弦楽四重奏の調べに合わせて新郎新婦登場、最後の参加者が会場からいなくなるまで演奏する。ときには乾杯の音頭をとる主賓の話が長すぎて披露宴が延びに延びるということもあった。一番ひどかったのは4時間過ぎてまだ終わらない。チェロが次の仕事に間に合わないので途中から他の人に来てもらうなどということもあった。

その頃はいつも宴会場は次々に披露宴に訪れる人達で沸き返るようだった。花嫁がロビーで何人も見かけられた。それが今日は日曜日だと言うのに静かすぎる。しかも会場の前まで行っても扉も開いていない。時間間違えたかしら?ドアのそばにいた男性に尋ねたら今日はこの部屋ではイべントの予定はないというではないか。

はい?だって今日は軽井沢在住のY子さんのお父様の思い出の会が開かれる日。私の手帳にはちゃんと書き込みがあるのよ。ごちそうが食べられるからお昼も抜いてちょうどお腹が空いてきているのよ。オロオロして先程の男性にもう一度尋ねる。「今日は9日ですよね?」返ってきたのは「いいえ、8日です」「8日?土曜日ですか?」連絡されていたのは9日の日曜日。どうしてこんなことになったのか、ツラツラ考えるにすぐに原因はわかった。

私の手帳は週の頭が月曜日から始まるようになっていて日曜日が尻尾。レッスン室においてあるカレンダーは日曜日が週の頭で土曜日が尻尾。一瞥したときに確認しないと時々間違えることがある。やっちまった!!

言っておきますが仕事で日付や時間を間違えることはなかった。もとより遅刻も絶対にしなかった。季節の変わり目にステージ衣装の色が変わったりするときも間違えなかった。それなのに今こうして間違えるようになったのは緊張感がないから。やはり仕事は死ぬまでやらないといけないらしい。

がっかりしたかというとそうでもなかった。帰る前に帝国ホテルの食品売り場に行って買い物をしようと思って廊下を歩き始めたら、今日新しくおろした靴がわずかに指の曲がったところに当たって痛い。我慢できるかな?ところが昔の記憶でホテル内の売り場「ガルガンチュア」に向かうと移転していて距離がわからないから諦めた。行ったはいいけれど、帰りに指の皮がむけたりしたら歩けなくなる。

それにせっかく明日は本当にごちそうが食べられるから、今日は食べなくてもいいじゃない。それで車を走らせていると、なんだかドライブが楽しい。コロナ感染で仕事もなくなって都心へ車で行くことも減った。車は主に北軽井沢に行くときに高速道路で使うだけ。

都心のドライブは仕事で出かけるときには渋滞されるとイライラするけれど、こうしてなんの縛りもなく走るのはすごく楽しい。都心の道は長年仕事で走り回っていたから事情はよく知っている。時間が来ると、突然中央ラインが変わったり右折車が多いと信号のいくつも前から左によっていないといけないとか。それに合わせて車線変更の予測をしたりする。時々予想が外れることもあるけれど、あたると、してやったりと思う。ゲーム感覚で走っている。

ふと去年から今年はじめのうつ状態がなくなっているのに気がついた。昨年一年間すごく不快な年だった。人間不信になった。膝が酷く痛み始めたのもその頃から。胃腸の具合が悪く、絶えず胸焼けがするのにドカ食いが止まらず肥満になった。肥満するとますます足が痛い。肌の色が時々嫌な灰色になった。それを見てまた落ち込んだ。

まだ問題解決はしていないけれど、何かが変わってきた。風向きか自分の意識かわからないけれど。随分長い間笑顔が消えていたような気がする。田舎ののんびりした生活もいいけれど、都心のこの気忙しさも捨てたもんじゃない。蘇ってきた楽しさは大事にしよう。元々私は楽天的で陽気。それが眉を顰め周りの人に敬遠されて、それでますます落ち込んでいやなやつになっていた。一昨日、昨日と古い仲間とアンサンブルをやったのも気分転換になったらしい。まだ脆弱だけれど、蘇ったぞ、私を不死猫と呼んでください。











2023年7月7日金曜日

痴呆街道まっしぐら

ぼんやりとテレビのチャンネルを回していたら・・・今どき回すとは言わないか。いや古い古い、昭和の生まれよ。 知ってる?昔はテレビのチャンネルは回して合わせていたのよ。

クイズ番組をやっていた。若者世代とシニア世代を対抗させて当てさせる。昭和、平成、令和の時代の人や歌などから出題するのだが、私はそれが当たらない。若い頃、私は非常に物知りで生意気だった。活字中毒。一日中と言ってもよいほど本を読んでいたので大学時代は当時の友人から「せっかく音大に入ったのになんで本ばっかり読んでるの」とバカにされていたくらいで、一日でも読まないと夢の中で、新聞読んだりするくらいの活字中毒だった。

それで何でもよく知っていたし、できない大人を鼻で笑っていたくらいだから嫌なやつだった。ところが今日は全く答えがわからない。確かに今まで生きてきた時代の話だから映像に覚えがあるけれど、それが誰なのか、名前が出ない。例えば松田聖子とか美空ひばりすら名前が出ない。

ついに来たか!いよいよお仲間に入れてもらえますかね。でもこれでは困るのだ。まだ運転免許は必要だし2匹の野良猫と1匹の化け猫に近い老猫を養わなければならないからぼんやりしてはいられない。なんでこんなになってしまったのかと考えたら、このところ久しぶりに新しい曲に取り組んでいたせいかもしれない。

オーケストラ時代に音楽的な相棒としてHさんという人がいた。相性が良いというか私がぼんやりで彼女がバリバリやる気の人で、コンビを組むとちょうどよい。10年ほどオーケストラのファーストヴァイオリンを弾いていた私にとって、セカンドヴァイオリンは憧れの的だった。私から見るとセカンドパートはいつも陰で面白そうなことをしている。滅多に表に出ないのに「第九」で急に飛び出してきてえも言われぬ美しい旋律を奏でる。それが弾きたくて、そこはファーストが休みだからこっそりと一緒に弾いていた。もちろん本番ではそんなことができないので練習のときだけ。

10年もいるとレパートリーはかなり増えて、同じ曲を何回も弾くことになる。それでマンネリになってきたところで意を決してインスぺクターに直訴した。「セカンドヴァイオリンを弾かせてほしい」するとコンサートマスターの許可がでないと一蹴されて約一年ほど待たされた。それならやめると脅してやっと変わることができて、その時のセカンドヴァイオリンのトップがHさんだった。二人そろうとなんでも面白すぎて毎日冗談みたいな日が続いた。

ふたりとも他の話をしながらちゃんと指揮者の言葉を聞いている。だから喋っていても言われたことはできる。特に故朝比奈隆先生には大変失礼なことをしていたらしい。朝比奈先生は目の前でおしゃべりをして自分の言葉を全く聞いていないらしい二人が、注意されたことをすぐに楽譜に書き込んだり言われたとおりに弾くのに驚かれたらしい。練習後「あの二人が怖くて怖くて」とおっしゃたそうだ。いつも先生はセカンドの二人をチラチラと見ても注意をなさることはなかった。ご遠慮なく怒っていただけば良かったのに。今思えばなんて失礼なことだったかと冷や汗が出る。先生ごめんなさい。

やめるはずの私が面白くてやめられなくなってその後しばらくいたけれど、またファーストヴァイオリンに引き戻されてしまい私はその後オーケストラをやめた。ファーストヴァイオリンはいわばオーケストラの花形だけれど、アンサンブルの好きな私にとってはセカンドやヴィオラのほうがずっと魅力があった。内側から音楽を作る面白さはたまらない魅力だった。Hさんとはやたら馬があったし。

その生意気な二人が何十年ぶりでデュオをしたのは5年ほど前だったか。Hさんのヴィオラと私のヴァイオリンでヘンデルの「パッサカリア」本番ではなく楽しみだけの合わせ。それで次回は1年後などと言っていたのにあっという間に月日が経って、今回は・・・あら、作曲家の名前が出ない。数日後に合わせることになっているのに。

そうそう(この間10分ほど)やっと思い出した。シュポアのデュオ、これはヴァイオリン2本の短い曲だけれど、今の私にはちと荷が重い。それでも新しい曲を初めて弾くのは面白い。ところが今回は他のグループの演奏会の練習と重なって2日続きの新曲弾きとなってしまった。それで頭がクラクラしてクイズがさっぱり分からなかったと、ここに持っていきたかったのはほんの言い訳。若い日々にはこんなことはなかった。結構難しい曲の初見が続いてもなんなく乗り越えられた。今は脳が疲れているらしい。それとも・・・いよいよ

私の7歳上の姉が初めてスマホを持ったので色々やってくれる。他の人に電話したはずがどうしても私にかかってしまうというから点検したら電話帳に他の人と並べて二重に登録されていた。器械音痴の私が他人の面倒見るなんて!

明日は我が身。二人で嘆きあった。ちゃんと生きていなければ長寿はめでたくないわよね。

点滴の管や機械で生かされているならそれは生きていると言えない。それでも生きていてほしいというのは周りの人のエゴだと。私は無駄な延命は望まないからちゃんと保険証の裏に意思表示してある。それでも、もしそんな状態でも自分の意識があって口がきけないから表明できないときはどうするのかと考えると恐ろしい。痴呆はそういうときのために神様がくれたプレゼントかもしれない。






2023年7月3日月曜日

悪いことばかりでもないけれど

 最近私の姪が暇になったらしく声をかけてきた。コンサートの予定はないの?それで今年の春の古典音楽協会の定期演奏会に誘った。

彼女は聾学校の教師。まだ小学生だった彼女が「私は将来福祉の仕事をする」と言ったのにびっくりした。彼女の気持ちをそうさせたのは何だったのか。私の姪にしては出来すぎの子だった。芯が強く穏やかで無口。私にないものばかり。初志を貫いて大学で福祉を専攻してその後イギリスに留学。もったいないことにダイアナ妃の結婚式の数日前に帰国。ずっと仕事をしていたのが最近定年になったらしい。

らしいというのは私の家族はお互いに相手が何をしているのか深く詮索しない。姪は私の一番上の姉の子で、姉と私は13歳違いだから私と姪はさほど歳は離れていない。家中が彼女の誕生に沸き立った。私は一番下だったからなおさらのこと、それまで可愛がれるものは猫や犬ばかり、人の赤ん坊みたいには面白くはない。彼女は特に聡明でおむつが取れたのはなんと生後半年ほどだったし、幼児期の語彙の数も半端なく多かった。からかうと本気で反応するのが面白い。私達は学校が夏休みになると姪を彼女の両親の元から拉致してきて、姉妹で面倒を見た。

時々パパが情けなさそうに「うちの子返して」と来るのを追い払って、姪も皆からチヤホヤされるので帰りたがらない。人格形成の大事な幼児期を変わり者揃いのおじ、おばを相手に過ごしたから、長じてどんな変人が来ようが動じない性格になれたのではないかと密かに自負するところではある。

その姪の子供・・・何という関係になるのかしら、やはり孫とでも?が母親とともに古典音楽協会のコンサートを聴きに来て、その後弟子入りしてきた。大学で食に関わる勉強をしていたらしい。これもらしいと言うばかりで説明聞いてもわからないけれど。最初に「傍目ではわからないかもしれないけどすごく忍耐のいる楽器だけど我慢できる?」と訊いたら即座に「はい」と力強い返事があって、彼女の自信のほどが伺えた。

始めてみると実に忍耐強い。同じことの繰り返し、何度も何度も同じことを言われても嫌そうではないから、見どころがあるかも。会社では大学で専攻した食とは関係ない半導体を使う機械?の仕事をしているとか。何をしているのか訊こうと思ったけれど、聞いてもどうせわからないからやめた。機械の方がヴァイオリンより難しそう、でも楽器の多様性、音楽の底なしの難しさは限りない。だから終わりのない泥沼。子供の頃声をかけたけれど、誰もが私の下手なヴァイオリンを聴いてあんな音出してと眉をひそめていたのかもしれない、誰一人誘いに乗ってこなかった。

それが今頃になって、年齢的にプロになるのは手遅れだけどというと惜しかったなどとぬかしおる。子供の頃からやっていればなんて言う、今頃になって。まあ、でも大人の手ほどきには慣れているから今後の楽しみが増えた。

教えてみると最初から音がいい。指導者のおかげと言いたいところだけど、素直に真剣に取り組む姿を見ているとやはり本人次第。今どきの若者が超アナログな300年以上も前の楽器を習ってどこが面白いのかと思う。たった一つの音を出すだけでこれほど手間がかかる楽器も珍しいでしょうに。そのうちにわかるけれど、自分の出した音の中に、ある時急にキラリと光る音を聞いたときは何事にも代えがたい喜びとなる。その瞬間が聞きたくて毎日汗水垂らしているようなもので。

毎回同じボウイングの練習ばかりだから気晴らしに「カエルの歌」を教えて輪唱してやったらえらく喜んで・・・こんなことで喜んで行く手にどんな試練が待ち受けてるとも知らずに。最初に念をおしたときには、コレコレこのように難しいけど我慢できるかと訊いたら落ち着いて、大丈夫ですと答えたのを今頃後悔していないかな。今やっている仕事は面白いの?と訊いてみた。即座に「はい、すごく面白いです」と答えが返ってきてある意味期待が外れた。ヴァイオリンを始めようなんて言うから、仕事が面白くなくて自分磨きに走っているのかと思ったら、どうやら私同様好奇心の塊らしい。

仕事が面白いということは幸運なことだと思う。毎日会社に行くのが苦痛でという人が多い中、目をキラキラさせて仕事の話をする。その上、今チアリーディングをしているとも。びっくりした。我が家は私以外は実に地味なバリバリ理系、そういう体育会系の者はいなかった。その中でも私は異端児で訳の分からない音楽の道に進んで母を悩ませた。

しかし兄は音楽好き、その上どうも父も密かにヴァイオリンを弾いていたらしいというから、血の中に面白がりやの要素が多分に混じっているらしい。どうやらこの子も同類のようだ。レッスンが終わってから二人でビールを飲んで様々なことを話し合った。

なんでもやりたいことはやってみるがいい。人生がひときわ輝くから。面白いことになってきた。













2023年6月23日金曜日

潜水艇タイタン

潜水艇タイタンは酸素保有の期限が切れておそらく内部では生存者は絶望のうちになくなったと思うと、その恐怖や後悔など計り知れない。私は狭いところは苦手だし、海はもっと苦手。なぜかというと底しれない深さがこわい。それがある時期にスキューバダイビングを やっていたのだから「好奇心が猫を殺す」の諺通り。

私は好奇心は旺盛でも臆病者だから決して安全が約束されていないものには関わらない。普通の人はたいていそうだと思うけれど、世の中に冒険家という人は数しれず、体力気力ともに恵まれていれば私でもそうなったかもしれない。まして大富豪にもなったというような人は並外れた気力の持ち主で経済力があってなんでも欲望が叶うなら、世の中に自分の勇気を知らしめたいと思うに違いない。

あいにく私は体力も気力も、まして経済力もないし、世間に認められたいというような野心もないから君子危うきに近寄らず。君子?でもないし。臆病であることはある意味生き残りの勝者かも。かつてアラスカからの帰路の途中、飛行機上から真っ白な大地を眺めていた。そこはマッキンリー(最近は名前がかわったようだけど)に挑んで雪の大地で消息を断った日本人の冒険家植村直己さんが消息を断ったところだった。こんなところでただ一人ブリザードに行く手を遮られながら進んだ彼の気持ちはなんだったのかと感慨にふけった。

しばらくして私はスキューバダイビングをやめた。あの重たいボンベを背負いながら足びれを履いたりするのもできないし、私のようになにかに気を取られると他のことに注意がいかなくなることなど、決定的にこのスポーツは自分に向いていないと思ったからで。でもほんの数年でも海の中の美しい景色をこの目で見られたということが素晴らしい思い出になっている。

そして今報道番組で知ったのは、米海軍の報道によれば、タイタンは出航して数時間で爆発してしまったらしいということ。それを聞いて正直な思いは「乗船者の苦しみの時間が少なくてよかった」ということ。刻々と酸素が切れる時間が迫っていたらパニックどころの気持ちではない。私なら気が狂う。戦体は硬いチタンという金属でできているらしい。硬い分、金属疲労があれば粉々になりやすい。内部からの圧力によって爆発、圧力室の壊滅的な喪失が原因だそうでおそらく粉々になったから生存者は絶望的だという。

船体のガラス窓は1300メートルまでしかテストがされていない。ここ3年間なんのメンテナンスもされていないというから、よくそんなものに乗っていくものだと思う。勇気があるというより蛮勇というほうが当てはまる。その辺を確認しなかったのだろうか。乗船者の中に宇宙に行った人がいれば、この次は深海へというのが当然の欲望かとも。しかし学術的な目的ならばまだ許されても、自分がそういうことをして勇敢さや好奇心を世の中に示したいという気持ちであればはた迷惑なこと。

自分の人生自分で決めるさと言われれば、まあ、どうぞと言うけれど、安全に安全を重ねての冒険でなければ無鉄砲ではた迷惑と言わざるを得ない。

スキューバダイビングによる事故は大変多いらしい。あまり報道されないので知らないけれど、日本でもトップクラスのあるセーバーから聞いた情報なので間違いはないと思う。その彼は、スポーツクラブの指導者たちの安全意識の少なさに呆れると言っていた。どうしたらいいでしょうと泣きながら電話してくる指導者がいるとか。「とにかく助けろ」と言うのは当然のことだけれど。おお、こわ!

私は海が怖い。青くどこまでも広がる海は素敵だが、もう中に入る気はない。でも時々あの美しい海中の景色を夢に見る。









2023年6月18日日曜日

悪いことは無視したいけど

 このところ投稿が滞っているのは書くと不愉快になることばかり。なに、私は逆境に強いからめげているわけではないけれど、やはりめげているのかな。大谷翔平くんのコメントはいつも「・・・かなと思います」と締めくくるのが面白い。彼の性格は一見明るそうだけれど、あれだけの技術持ち主でも裏に隠れた気弱さみたいなものが感じられると書いたら世界中から袋叩きになりそう。暗殺されるかも。

高みに上った者は孤独の罰を受けると言うけれど、彼の場合は周りからのサポートがすごいから耐えていけるのかもしれない。けれど笑った顔を見ると少年のよう。どちらにしても野球に興味はないので世界中から注目される大谷くんに頑張ってと密かにエールを送るとしても、東洋の片隅に住む魔女の私としてはあんなに騒ぐものではないとマスコミに多少苦い思いを感じる。ダルビッシュだって高校時代、隠れてタバコを吸っていて「悪ビッシュ」なんて言われていた。最近すっかりおとなになった彼を見て「苦労多かったんじゃない?」と声をかけたくなった。

「かな」という言い方は「?」でしょう。少し逃げているというか・・技術も人格も正しさを求められているのは可哀想。技術さえ凄ければ人格なんて多少破綻していても許されるのではと思うのは、人格の正しさまで求められては人間破綻するのでは?という危惧を感じるからで、一度でも彼に問題が生じたら寄ってたかってたたきのめすのがマスコミはじめ世間の怖さ。あそこまで偉大な記録を残せばもういいのでは?と思うけれど、これからも記録を伸ばして世界中の称賛を集めて素晴らしい人生を送ってほしい。

かくいう私はこのところ不調続き。もう私の年でこれだけ健康ならば良しとしなければと思うものの、そこは大谷くんと同じ完璧を目指したいので頑張っている。膝の痛みは消滅した。階段もやっと縦に降りられるようになった。ただし条件付きで手すりがないと怖い。逆流性胃炎も少食に徹していたらようやく収まってきた。けれど今までのように好きなものを食べたいだけ食べるという獣のような食生活は許されそうもない。たらふく食べていた頃が懐かしい。今は冷蔵庫を覗くと豆腐やこんにゃく、海藻類ばかり。ときにはビーフステーキなんかもバリバリと食べたいのに。

歯と胃と目は完璧に丈夫だったのがそれも怪しくなってきた。しかし人間ドックで出た骨密度の値が基準となる30代女性の平均値の120%というから驚き。私はこれが自慢したくて書き始めたのかも。しかも最近足の筋トレが効いてきてかなりつまずいても転ばなくなった。5年前やたらにつまずく時期があって何回もころんだ。ころんだけれど怪我は全くなし。それが骨密度の高さに支えられていたのだとおもう。歯は虫歯なし、目はハリー・ポッターの読書が終わったら元の視力が戻ってきた。食事制限しても痩せないのは胃が丈夫なせい?

北軽井沢に以前より頻繁に行くようになったのは体にとても良いからで、ここでは朝、目が覚めるとやたら気分が良い。さっさと起きると手に箒を持ってベランダの落ち葉掃き、庭に出て花の手入れと働き者になる。自宅にいるときには横のものをタテに・・・いや、縦のものを横にでした?まあ、どちらでもいいけれど、昼食時までテレビを見てあははと笑っているのがテレビがないおかげで午前中働いたり散歩したり、動き回っている。これが健康にすごくいいのは数日もすれば体が軽くなるのでよく分かる。

一から庭造りは大変だからそれぞれの時期に咲いている花を買ってきて庭に植える。その後根付いてずっと咲いてくれるものもあれば北軽井沢の厳しい寒さに負けて冬が越せないで枯れてしまうものもある。それでも段々殺風景な森の景色が華やかになってきた矢先いやな出来事が・・・

名前がわからないけれど高山植物の木に真っ赤な花が咲いた。丈夫で私がいい加減に掘った穴にしっかりと根づいてくれて、それが嬉しくて次々とダリアなども植えて次に北軽井沢に行くのが楽しみだった。けれど、つい数日前に行ったら何故か庭が寂しい。ダリアは3本植えたものが一本しか残っていない。ひまわりはご丁寧に根っこから引き抜かれ横に並べてあった。真っ赤な花は建物の影で表からは見えにくいのに、根っこごとすっぽりと持っていかれた。特に目立つものばかり、それこそ根こそぎやられてしまった。

造園などやる人にとってはデタラメに植えられている花に腹立ちを感じるかもしれないけれど、なるべく日当たりが良いところにと木の陰ができないところを選んで植えるので一見無秩序に見えるのかもしれない。それでもこの引き抜き方は異常で悪意を感じる。地味な森の風景が好きな人もいるかも知れないけれど、多少でも彩りがある方が私は好き。

しかも持っていかれた花は特に中でもいいものばかり。自宅に持ち帰って植えて楽しもうという魂胆か、あるいはいい気になるなよという、とかく言動に問題がある私に対する警告かもしれない。管理事務所に行って愚痴ったら美しく穏やかな事務員さんが珍しく怒った。「なんて嫌なことをする人がいるのかしら」ご自身も花が好きらしく年齢も私に近く、時々愚痴をこぼしに事務所に行く。よほど不愉快だったと見えて管理人さんの鼻息があらい。私の花の選び方が華やかすぎて住民が不愉快に思ったかもしれないけれど、それを言うと「そんな人は今までいませんでした」ときっぱり。よそから入ってくる人もいるし、本当は禁止でも誰が散歩してもわからない開かれた別荘地だから何があってもおかしくはない。

大好きだった北軽井沢に一瞬影の部分を見てしまった。自宅に戻って占いをする人に「あなたに運勢見てもらおうかしら」というと「悪い時期に入ったかもね」と言われた。気落ちしたけれど、それなら戦ってやると一瞬強気が頭をもちあげてきた。けれど、この好戦的なのが私の人生を難しくしているのだと反省。悪い時期なら大人しくしていよう。いまだ悟りの開けない自分に呆れながらの独り言。