お通夜で出会った人が「昨日お宅でお花見だったんでしょう」と言う。
彼女は某オーケストラの大黒柱となって活躍しているヴァイオリニスト。
え!なんで知ってるの?
「さっきまで**さんと一緒だったの。」
お花見に参加した「古典」のメンバーの名前が挙がった。
あなおそろしや、情報網。
こうやって、あっという間に情報が拡散するのが音楽界。
網の目のように人脈がつながって居る。
私の元生徒からメールがきた。
その人のご主人と私は同じ誕生日。
合同誕生会をしませんか?と。
そのご夫婦の子供さんが今年小学校に上がるので、ヴァイオリンを習わせたいという。
家が少し離れているのと交通の便が良くないので、先生は近所の方がいいのでは?と言ったら、近所の音楽教室を探してきた。
そこの先生が某オーケストラのKさん夫妻で、私とKさんの奥さんとは弦楽アンサンブルでよくご一緒した。
腕が良いだけではなく、凄い美人、おまけにハイソなお育ちの素敵な人。
ご主人の方も何回かお目にかかっている。
その頃私をとても可愛がって下さったチェリストのTさんの知り合いで、その関係で私と彼女のご縁が出来た。
その後Tさんはお歳を召して籠もってしまわれたので、Kさんとも疎遠になっていたのに、こんなところで自分の生徒がお世話になるとは。
こんな風に音楽の世界は、広いようで狭い。
なんでも筒抜けになっていく。
先日オーケストラを退団して悠々自適になったヴィオラのKさん、ヒマでヒマで退屈だから遊んでと言う。
夏の軽井沢のバーベキュー大会には、彼女の別荘も近いのでホテルに泊まらないでうちに来て、とのありがたいお誘い。
今年も八ヶ岳音楽祭に参加するが、その時にも泊まりに来てと言ってくれた。
ところが、その時は清里のHさんの山荘と北軽井沢のノンちゃんのうちに泊めてもらっていたので、日程を延ばさないと全部のうちに泊ることが出来ない。
本当に贅沢なはなし。
あちこち渡り歩いているうちに、又人脈が次々に生まれる。
それにつれて私の行動は、このブログからも皆に筒抜けになっていく。
最近は仕事が少なくなった分、遊びの計画がどんどん増えていくのが、恐ろしい位の勢いなのだ。
その上、7月は志賀高原に蛍を見に行こうと「雪雀連」の女子会が陰謀を企てている。
こりゃ、疲れるわけだわ。
そのうち、花見の時に食べたアイスバイン(Eisbein)の残りの骨で私が美味しいスープをこしらえたなんていう情報も、嗅ぎつかれるのでしょうね。
あ、自分で吹聴しているのか。
殆どの場合、そうなんですけど。
2015年3月30日月曜日
願わくば花のもとにて
かつての同僚が亡くなって、今日はお通夜。
窓から見える桜は昨日にもまして咲き誇っている。
木によって咲く早さが違うので、我が家の目の前の桜は8分咲き。
明日、明後日には満開となりそう。
他の木はすでに満開のものもある。
亡くなった方の奥さんと私は、とても仲が良かった。
私は早々にオーケストラをやめてしまったけれど、彼女は頑張って勤めていた。
私たちはよくデュエットをしたり、カルテットのコンサートをしたり、ずっと一緒に弾いていた。
私がオーケストラをやめてもしばらくは、時々共演していたけれど、お互い違う道を進んでいったから段々疎遠になってしまった。
それでも何年か前、彼女がオーケストラを退職した直後に、一緒に食事とお喋りを楽しんだ。
彼女のお祝い事にも呼んでもらった。
彼とはあまり話しをした記憶もないけれど、新婚時代のお宅にお邪魔した記憶がある。
ご馳走になったのは牡蠣ごはん。
つまらない事はちゃんと覚えている。
亡くなったご主人は寡黙で、日本の城を愛するような人だったから、若くてもク*ジジイ(これは奥さんもそう言っていたのですよ)などと、あだ名で呼ばれていた。
祭壇の写真はビールのジョッキを片手に、クソ真面目で、それでも楽しげなお顔。
どこか外国で撮ったものらしい。
まさかこんなに早く逝ってしまうなんて・・・
心の底に花冷えの様な澱がよどんでいて、桜の色も心なしか薄くなったような気がする。
たまさぶろうも逝ってしまった。
すごく寂しい。
愛猫の 手向けとなりて 桜咲く ねこたま
窓から見える桜は昨日にもまして咲き誇っている。
木によって咲く早さが違うので、我が家の目の前の桜は8分咲き。
明日、明後日には満開となりそう。
他の木はすでに満開のものもある。
亡くなった方の奥さんと私は、とても仲が良かった。
私は早々にオーケストラをやめてしまったけれど、彼女は頑張って勤めていた。
私たちはよくデュエットをしたり、カルテットのコンサートをしたり、ずっと一緒に弾いていた。
私がオーケストラをやめてもしばらくは、時々共演していたけれど、お互い違う道を進んでいったから段々疎遠になってしまった。
それでも何年か前、彼女がオーケストラを退職した直後に、一緒に食事とお喋りを楽しんだ。
彼女のお祝い事にも呼んでもらった。
彼とはあまり話しをした記憶もないけれど、新婚時代のお宅にお邪魔した記憶がある。
ご馳走になったのは牡蠣ごはん。
つまらない事はちゃんと覚えている。
亡くなったご主人は寡黙で、日本の城を愛するような人だったから、若くてもク*ジジイ(これは奥さんもそう言っていたのですよ)などと、あだ名で呼ばれていた。
祭壇の写真はビールのジョッキを片手に、クソ真面目で、それでも楽しげなお顔。
どこか外国で撮ったものらしい。
まさかこんなに早く逝ってしまうなんて・・・
心の底に花冷えの様な澱がよどんでいて、桜の色も心なしか薄くなったような気がする。
たまさぶろうも逝ってしまった。
すごく寂しい。
愛猫の 手向けとなりて 桜咲く ねこたま
2015年3月29日日曜日
お花見
毎年3月最後の日曜日か4月最初の日曜日に、我が家の花見大会が催される。
花は二の次で、勿論目当ては酒盛り。
酒の匂いに釣られ鼻の利く連中が、三々五々訪れる。
昼過ぎから深夜までの大宴会となる。
お酒が目当てと言っても、やはり今年のようにドンピシャリと開花時期に当たるとラッキー!と思う。
我が家はお花見には絶好のロケーション。
桜並木のある川沿いにあるので、2階に上がると眼下は花の川。
花が終って新緑になる頃も美しい。
メンバーはいつもの「雪雀連」
練馬や西東京などの遠方からも、浮かれながらやってくる。
全く能天気な連中ながら、本業では世間様から尊敬されているような。
多士済々、それぞれ一家をなしているから恐ろしい。
どう見たって皆、落語家の万年二つ目みたいな巫山戯た輩なのに。
それが本業は真打ちってところが、なんだかなあ。
なんでもかんでも冗談にしてしまうので、真面目な時はあるのかしらと訝っている。
会長の山田氏などは、ニッセイ劇場のありがたい賞を受賞した時にも、挨拶は冗談ばっかりだったから、ダメだこりゃ、一生治らないと思った。
行い澄ましてじっとしていれば仏像と間違えられて、お布施の一つや二つ、もらえるかもしれないのに。
雑魚である私たちもわんさか参加して、授賞式は笑いに包まれ、厳粛であるべき授賞式をひっかきまわしてしまった。
今日は15人ほど「古典」のメンバーも2人合流した。
途中少し雨が降ったけれど穏やかな曇り空の下、桜を楽しんだ。
次々にお腹のよじれる話しや日本歌曲の「早春賦」なども出て、マンネリながら恒例のお花見は終った。
終ってだんだん人が帰ってしまうのが寂しい。
だからいつも、いっぺんに帰らないでねとお願いしている。
急にガランとしてしまうと気が抜けてしまうので、毎度最後まで付き合ってくれるのが、一番遠くから来る人達3人。
今日も最後まで付き合ってくれて、楽しそうに帰って行った。
追記ですが、昨日の文化会館小ホールの音響の感想。
改装工事は耐震性についての工事だったらしい。
音響に関する工事はしていないから、私が喜んで良くなったと浮かれたのは気のせいだったらしい。
でも確かに、いつもより音が良く響いたという感想が、沢山寄せられている。
こちらの気合いが入っていたからなのか、客席が満員だったからなのか、とにかくいつもよりもずっと弾きやすかったのは確か。
気のせいがずっと続いていてくれると、良いのですが。
次回も良い音がでますように。
花は二の次で、勿論目当ては酒盛り。
酒の匂いに釣られ鼻の利く連中が、三々五々訪れる。
昼過ぎから深夜までの大宴会となる。
お酒が目当てと言っても、やはり今年のようにドンピシャリと開花時期に当たるとラッキー!と思う。
我が家はお花見には絶好のロケーション。
桜並木のある川沿いにあるので、2階に上がると眼下は花の川。
花が終って新緑になる頃も美しい。
メンバーはいつもの「雪雀連」
練馬や西東京などの遠方からも、浮かれながらやってくる。
全く能天気な連中ながら、本業では世間様から尊敬されているような。
多士済々、それぞれ一家をなしているから恐ろしい。
どう見たって皆、落語家の万年二つ目みたいな巫山戯た輩なのに。
それが本業は真打ちってところが、なんだかなあ。
なんでもかんでも冗談にしてしまうので、真面目な時はあるのかしらと訝っている。
会長の山田氏などは、ニッセイ劇場のありがたい賞を受賞した時にも、挨拶は冗談ばっかりだったから、ダメだこりゃ、一生治らないと思った。
行い澄ましてじっとしていれば仏像と間違えられて、お布施の一つや二つ、もらえるかもしれないのに。
雑魚である私たちもわんさか参加して、授賞式は笑いに包まれ、厳粛であるべき授賞式をひっかきまわしてしまった。
今日は15人ほど「古典」のメンバーも2人合流した。
途中少し雨が降ったけれど穏やかな曇り空の下、桜を楽しんだ。
次々にお腹のよじれる話しや日本歌曲の「早春賦」なども出て、マンネリながら恒例のお花見は終った。
終ってだんだん人が帰ってしまうのが寂しい。
だからいつも、いっぺんに帰らないでねとお願いしている。
急にガランとしてしまうと気が抜けてしまうので、毎度最後まで付き合ってくれるのが、一番遠くから来る人達3人。
今日も最後まで付き合ってくれて、楽しそうに帰って行った。
追記ですが、昨日の文化会館小ホールの音響の感想。
改装工事は耐震性についての工事だったらしい。
音響に関する工事はしていないから、私が喜んで良くなったと浮かれたのは気のせいだったらしい。
でも確かに、いつもより音が良く響いたという感想が、沢山寄せられている。
こちらの気合いが入っていたからなのか、客席が満員だったからなのか、とにかくいつもよりもずっと弾きやすかったのは確か。
気のせいがずっと続いていてくれると、良いのですが。
次回も良い音がでますように。
2015年3月28日土曜日
文化会館小ホールはご機嫌
古典音楽協会第150回定期演奏会。
テレマン「ドンキホーテ」
バストン「リコーダー協奏曲」
ヴィヴァルデイ「2つのヴァイオリンの協奏曲」
ジェミニアー二「ラ・フォリア」
バッハ「ブランデンブルグ協奏曲5番」
東京文化会館小ホールは満席で、立ち見が出ようかというほどの盛況だった。
聴いて下さった方々、ありがとうございました。
年々、お客様が増えていくのは本当に嬉しい。
今回もこれほどの入場者数になるとは思わなかったけれど、文化会館の改装のために会場が使えず、定期演奏会を1年休んだことが影響しているらしい。
毎回来て下さる方が殆どだから、休みが入るとなにか物足りなくなるようだ。
やっとコンサートが聴けるというので、どっと来て下さったのかもしれない。
私たちも改装なった小ホールの舞台に立つのは楽しみでもあった。
どこを改装したのか詳しくはわからないけれど、ステージ床の素材が変わったかな?
音が前より鮮明に纏まって聞こえる。
弾いていてとても気持ちが良い。
客席で聴いていた人からも、随分音が良くなったとの指摘があった。
世界中の演奏家がこのステージに立つのだから、日本の代表的なコンサートホールとしては、改良に改良を加えていかざるを得ない。
最近のこのステージは本当に良くなった。
どこの会場も、リハーサルの時に良く響いてもお客さんが入ると途端にデッドになるのが普通なのだが、今回はそうしたことを感じなかった。
こちらの気持ちの問題なのか、それとも計算されたことなのか、
どのように改装したのか、詳しく聞いてみたい。
すごく興味がある。
文化会館が出来たばかりの頃は、小ホールのステージと言えば音が悪いので弾きにくいとの評判だった。
途中でステージの高さを調節して少しマシになった。
その後も何回か改装され、今では飛躍的に音響効果も良くなり、このホールを使用出来るのは幸運なことだと思う。
厳しい審査があって、このホールの予約をとるのは中々厳しいから、毎回使えるのは有りがたいことだと思っている。
今日はコンサートマスターの角道さんとチェンバロの佐藤さん、2人の喜寿を祝うコンサートでもあった。
2人ともウッソーと言いたくなるほど元気で、音も豊かで指もよく回る。
プログラム前半の中藤・中嶋組のコレッリ「ラ・フォリア」新谷・石橋組のヴィヴァルデイ「2つのヴァイオリンの協奏曲」もそれぞれ素晴らしいソロを聴かせてもらえた。
年齢を超えた若々しい人達と共演できて、幸せだった。
こんなに年を取らない人達は、中世だったら魔女の疑いをかけられたかも。
君たち、あんまり上手く弾くと黒猫の仲間だと思われるぞ!
テレマン「ドンキホーテ」
バストン「リコーダー協奏曲」
ヴィヴァルデイ「2つのヴァイオリンの協奏曲」
ジェミニアー二「ラ・フォリア」
バッハ「ブランデンブルグ協奏曲5番」
東京文化会館小ホールは満席で、立ち見が出ようかというほどの盛況だった。
聴いて下さった方々、ありがとうございました。
年々、お客様が増えていくのは本当に嬉しい。
今回もこれほどの入場者数になるとは思わなかったけれど、文化会館の改装のために会場が使えず、定期演奏会を1年休んだことが影響しているらしい。
毎回来て下さる方が殆どだから、休みが入るとなにか物足りなくなるようだ。
やっとコンサートが聴けるというので、どっと来て下さったのかもしれない。
私たちも改装なった小ホールの舞台に立つのは楽しみでもあった。
どこを改装したのか詳しくはわからないけれど、ステージ床の素材が変わったかな?
音が前より鮮明に纏まって聞こえる。
弾いていてとても気持ちが良い。
客席で聴いていた人からも、随分音が良くなったとの指摘があった。
世界中の演奏家がこのステージに立つのだから、日本の代表的なコンサートホールとしては、改良に改良を加えていかざるを得ない。
最近のこのステージは本当に良くなった。
どこの会場も、リハーサルの時に良く響いてもお客さんが入ると途端にデッドになるのが普通なのだが、今回はそうしたことを感じなかった。
こちらの気持ちの問題なのか、それとも計算されたことなのか、
どのように改装したのか、詳しく聞いてみたい。
すごく興味がある。
文化会館が出来たばかりの頃は、小ホールのステージと言えば音が悪いので弾きにくいとの評判だった。
途中でステージの高さを調節して少しマシになった。
その後も何回か改装され、今では飛躍的に音響効果も良くなり、このホールを使用出来るのは幸運なことだと思う。
厳しい審査があって、このホールの予約をとるのは中々厳しいから、毎回使えるのは有りがたいことだと思っている。
今日はコンサートマスターの角道さんとチェンバロの佐藤さん、2人の喜寿を祝うコンサートでもあった。
2人ともウッソーと言いたくなるほど元気で、音も豊かで指もよく回る。
プログラム前半の中藤・中嶋組のコレッリ「ラ・フォリア」新谷・石橋組のヴィヴァルデイ「2つのヴァイオリンの協奏曲」もそれぞれ素晴らしいソロを聴かせてもらえた。
年齢を超えた若々しい人達と共演できて、幸せだった。
こんなに年を取らない人達は、中世だったら魔女の疑いをかけられたかも。
君たち、あんまり上手く弾くと黒猫の仲間だと思われるぞ!
2015年3月27日金曜日
出来そこない
昨夜から拡大眼鏡を探していた。
いつもパソコンの画面を見るときに使用している。
だからパソコン周辺にゴロゴロ置いてあるのが、見当たらない。
パソコンのモニターは大画面。
玄関を入ってきた人がギョッとするくらい大きい。
文字も当然大きいけれど、なぜかパソコンを見る時だけ拡大鏡を使う。
ちょうど焦点が合うのだ。
その拡大鏡を探し回っていたけれど、どこにもない。
まさかちゃんとケースにしまうなどということはあり得ないと思っていたけれど、念のためケースを開けてみた。
あった!
なーんだ、私って実は整頓好き?
いや、そんなことはない。
なんでも思いつきで行動するから、ケースにしまったのは偶々。
これは元々の性格らしく、決して年をとったからこうなったわけではない。
思いがけない所から、思いがけない物が現れる。
ハンカチが溜ってしまって小抽出がぎゅうぎゅうになっていたので、全部取り出して整理したら、前から探していた下着が出てきた。
なんでこんなところに?
時々鍵が冷蔵庫で寝て居たり。
イチゴのヘタを取っていると、いつの間にか本体を捨ててヘタをお皿に載せている。
子供の時からボンヤリした性格で、空っぽのランドセルで小学校に行く、宿題は家に帰れば出たことを忘れる。
だから学校の私の忘れ物グラフは、ダントツ棒が長かった。
夏休みの宿題すらやらない。
1ヶ月に1週間は必ず休む。
親はどうしていたかというと、殆どそう言う事に興味を示さないから、私は野放図に伸び伸び怠け放題。
優秀な兄達への教育は熱心だったけれど、出来損ないの末っ子が何をしているかなど、とんと知らないから、私は一日中縁側に寝転がって雲を見てぼんやりしていた。
それで今でもボンヤリしていると、言い訳。
世の中の人がしっかりしているのは驚くほどで、旅行に行くと、きちんと整頓されたスーツケースから衣類などを取り出す。
私は人に見られないように、こそこそ隅っこでグチャグチャの荷物を広げると、あらまあ、ホテルはすぐに自宅のように散らかって、あっという間に住み心地良くなる。
先日、生徒さんの室内楽の合わせに付いて来た先生が、私のレッスン室を眺め回して「ここも随分居心地良くなってきたわね」と宣う。
音楽以外の私物が浸食し始めていて、アイロンが置いてあったり、ソックスが転がっていたり。
「少し散らかっていた方が、気持ちが安まるのよね」とありがたいお言葉。
そういえば昔、自宅にオーケストラの若い者がしょっちゅう出入りしていた。
そのなかの1人が部屋を見回して「このうちって居心地良いなあ」としみじみ言ったことがある。
今どころではない、すさまじい散らかりようだったのに。
レッスン室は人が来る時はなんとか整頓。
ある有名な先生は、レッスン室の中があまりにも酷く、譜面台に行くのにどうやって行こうかと苦労するそうだ・・・ほれ、そういう人もいるのよと言い訳。
他人のことはいいの、自分さえちゃんとすれば。
他の先生は泥棒が入った時、警察が「こりゃー酷い」と言ったけれど、普段のままだったと言うはなし。
いいの、他人のことは。
ある先生は階段にキャベツが・・・
いつもパソコンの画面を見るときに使用している。
だからパソコン周辺にゴロゴロ置いてあるのが、見当たらない。
パソコンのモニターは大画面。
玄関を入ってきた人がギョッとするくらい大きい。
文字も当然大きいけれど、なぜかパソコンを見る時だけ拡大鏡を使う。
ちょうど焦点が合うのだ。
その拡大鏡を探し回っていたけれど、どこにもない。
まさかちゃんとケースにしまうなどということはあり得ないと思っていたけれど、念のためケースを開けてみた。
あった!
なーんだ、私って実は整頓好き?
いや、そんなことはない。
なんでも思いつきで行動するから、ケースにしまったのは偶々。
これは元々の性格らしく、決して年をとったからこうなったわけではない。
思いがけない所から、思いがけない物が現れる。
ハンカチが溜ってしまって小抽出がぎゅうぎゅうになっていたので、全部取り出して整理したら、前から探していた下着が出てきた。
なんでこんなところに?
時々鍵が冷蔵庫で寝て居たり。
イチゴのヘタを取っていると、いつの間にか本体を捨ててヘタをお皿に載せている。
子供の時からボンヤリした性格で、空っぽのランドセルで小学校に行く、宿題は家に帰れば出たことを忘れる。
だから学校の私の忘れ物グラフは、ダントツ棒が長かった。
夏休みの宿題すらやらない。
1ヶ月に1週間は必ず休む。
親はどうしていたかというと、殆どそう言う事に興味を示さないから、私は野放図に伸び伸び怠け放題。
優秀な兄達への教育は熱心だったけれど、出来損ないの末っ子が何をしているかなど、とんと知らないから、私は一日中縁側に寝転がって雲を見てぼんやりしていた。
それで今でもボンヤリしていると、言い訳。
世の中の人がしっかりしているのは驚くほどで、旅行に行くと、きちんと整頓されたスーツケースから衣類などを取り出す。
私は人に見られないように、こそこそ隅っこでグチャグチャの荷物を広げると、あらまあ、ホテルはすぐに自宅のように散らかって、あっという間に住み心地良くなる。
先日、生徒さんの室内楽の合わせに付いて来た先生が、私のレッスン室を眺め回して「ここも随分居心地良くなってきたわね」と宣う。
音楽以外の私物が浸食し始めていて、アイロンが置いてあったり、ソックスが転がっていたり。
「少し散らかっていた方が、気持ちが安まるのよね」とありがたいお言葉。
そういえば昔、自宅にオーケストラの若い者がしょっちゅう出入りしていた。
そのなかの1人が部屋を見回して「このうちって居心地良いなあ」としみじみ言ったことがある。
今どころではない、すさまじい散らかりようだったのに。
レッスン室は人が来る時はなんとか整頓。
ある有名な先生は、レッスン室の中があまりにも酷く、譜面台に行くのにどうやって行こうかと苦労するそうだ・・・ほれ、そういう人もいるのよと言い訳。
他人のことはいいの、自分さえちゃんとすれば。
他の先生は泥棒が入った時、警察が「こりゃー酷い」と言ったけれど、普段のままだったと言うはなし。
いいの、他人のことは。
ある先生は階段にキャベツが・・・
2015年3月26日木曜日
山を越える
以前作った眼鏡が合わなくなってきたので、作り直すことにした。
お店の人は大袈裟なと思ったかも知れないけれど、譜面台と楽譜を持参して距離を決める。
いくら説明しても実際できあがると、大抵読書用の距離になっている。
譜面台を置いてその前に座って距離を測ってもらおうとすると、どんどん譜面台を寄せてくる。
何回も説明しているのにどうして分からないのか、今まで行った眼鏡やさんでは大抵そうするので、腹が立つ。
いっそのこと店でヴァイオリンを弾いてしまおうかと思ったくらいで、それはまあ、恥ずかしいからやめて、何とか納得してもらうまでが大変。
なんで分からないのだろうか。
今回も口を酸っぱくして、80㎝と距離を決めて帰ってきたのに、見事に50㎝の焦点になっていた。
これでは譜面を見るには、近すぎる。
作り直してもらったが、なんだか信用出来ない。
しばらく様子見ということになった。
眼鏡は楽譜用を2つ持っている。
万一ひとつが壊れた時、スペアがなければ仕事にならない。
楽譜用は仕事を沢山していたときには、すごく良いレンズを使っていた。
一枚5万円なり!
薄いガラスで、視界が明るくなってくっきりと見える。
ところがフレーム無しのガラスだから、ちょっとした衝撃、例えば譜面台の縁にちょっと当たった時などに、パリンと割れてしまう。
あ~あ、5万円!
仕方がないのですぐに次を作ってもらって、待っている間はプラスチックの安物で我慢。
できあがると、世界が輝いて見えるほどの明るさ。
そして、パリン。
あ~あ、5万円!
何回壊したことか。
今はその眼鏡はケースに入れっぱなし。使うことはない。
片方のレンズが割れたまま。
使っていたらその分働かなくてはいけなくなる。
この次実現出来るかどうか分からないけれど、自分自身でプロデュースしたコンサートをもう一度やってみたいと思っている。
その時には新しい明るいレンズを入れてもらおう。
曲目はもちろんモーツァルト「ディヴェルティメント17番」
早く実現しないと、弾けなくなっちまう。
眼鏡のことを書くつもりではなかった。
ちょうど去年から今年にかけて、体の変わり目というような様々なことが起きてきた。
関節が硬くなる、関節炎になる、目が急激に悪くなる、手の平の水分がなくなって、色々差し障りが出る。
今までも何年か毎に、体の変わり目を体験してきた。
その都度、ああ、年取ったなあと思うけれど、演奏することに差し障るような重大なことはあまり起きなかった。
周りの人を見ても、「古典」のコンマス角道さん。
数年前に「僕はもうソロはやめますから、今度は皆さんでやってください」と言ってしばらくソロを弾かない時期があった。
たぶんその時期は体や心の変わり目だったのでは、と推察する。
その後、ここ2年位前から又お元気になって、今度の定期演奏会では「ブランデンブルグ協奏曲5番」のソロを弾く。
彼は喜寿だから、これは凄い!
一山越えたことで、復活した。
私は今、心も体も疲労感が強い。
それでも、弾くのをやめたらそこでお終いになってしまうので力を振り絞っているけれど、本当のところ、世間ではもう悠々自適の年齢で楽しく世界一周旅行などしているはずなのにと、時々さぼり心が顔を出す。
ちょっとした小品を弾くのも、以前よりも沢山練習をしないといけなくなった。
この山を越えれば、大草原が広がっているのかしら。
速く乗り越えたい。
大草原なんて書いたら、モンゴルの草原で馬に乗りたくなってしまった。
お店の人は大袈裟なと思ったかも知れないけれど、譜面台と楽譜を持参して距離を決める。
いくら説明しても実際できあがると、大抵読書用の距離になっている。
譜面台を置いてその前に座って距離を測ってもらおうとすると、どんどん譜面台を寄せてくる。
何回も説明しているのにどうして分からないのか、今まで行った眼鏡やさんでは大抵そうするので、腹が立つ。
いっそのこと店でヴァイオリンを弾いてしまおうかと思ったくらいで、それはまあ、恥ずかしいからやめて、何とか納得してもらうまでが大変。
なんで分からないのだろうか。
今回も口を酸っぱくして、80㎝と距離を決めて帰ってきたのに、見事に50㎝の焦点になっていた。
これでは譜面を見るには、近すぎる。
作り直してもらったが、なんだか信用出来ない。
しばらく様子見ということになった。
眼鏡は楽譜用を2つ持っている。
万一ひとつが壊れた時、スペアがなければ仕事にならない。
楽譜用は仕事を沢山していたときには、すごく良いレンズを使っていた。
一枚5万円なり!
薄いガラスで、視界が明るくなってくっきりと見える。
ところがフレーム無しのガラスだから、ちょっとした衝撃、例えば譜面台の縁にちょっと当たった時などに、パリンと割れてしまう。
あ~あ、5万円!
仕方がないのですぐに次を作ってもらって、待っている間はプラスチックの安物で我慢。
できあがると、世界が輝いて見えるほどの明るさ。
そして、パリン。
あ~あ、5万円!
何回壊したことか。
今はその眼鏡はケースに入れっぱなし。使うことはない。
片方のレンズが割れたまま。
使っていたらその分働かなくてはいけなくなる。
この次実現出来るかどうか分からないけれど、自分自身でプロデュースしたコンサートをもう一度やってみたいと思っている。
その時には新しい明るいレンズを入れてもらおう。
曲目はもちろんモーツァルト「ディヴェルティメント17番」
早く実現しないと、弾けなくなっちまう。
眼鏡のことを書くつもりではなかった。
ちょうど去年から今年にかけて、体の変わり目というような様々なことが起きてきた。
関節が硬くなる、関節炎になる、目が急激に悪くなる、手の平の水分がなくなって、色々差し障りが出る。
今までも何年か毎に、体の変わり目を体験してきた。
その都度、ああ、年取ったなあと思うけれど、演奏することに差し障るような重大なことはあまり起きなかった。
周りの人を見ても、「古典」のコンマス角道さん。
数年前に「僕はもうソロはやめますから、今度は皆さんでやってください」と言ってしばらくソロを弾かない時期があった。
たぶんその時期は体や心の変わり目だったのでは、と推察する。
その後、ここ2年位前から又お元気になって、今度の定期演奏会では「ブランデンブルグ協奏曲5番」のソロを弾く。
彼は喜寿だから、これは凄い!
一山越えたことで、復活した。
私は今、心も体も疲労感が強い。
それでも、弾くのをやめたらそこでお終いになってしまうので力を振り絞っているけれど、本当のところ、世間ではもう悠々自適の年齢で楽しく世界一周旅行などしているはずなのにと、時々さぼり心が顔を出す。
ちょっとした小品を弾くのも、以前よりも沢山練習をしないといけなくなった。
この山を越えれば、大草原が広がっているのかしら。
速く乗り越えたい。
大草原なんて書いたら、モンゴルの草原で馬に乗りたくなってしまった。
2015年3月24日火曜日
小田原行は断念
前回の東響同窓会も欠席したので今回こそと張り切っていたものの、やはり体がまだ本調子でない。
27日の古典音楽協会の定期演奏会を控えているので、ここで体調崩したら皆に迷惑がかかるから、やっとの思いで小田原行は諦めた。
東響時代、苦しい経済状態だったオーケストラの再建に、家族同様に力を合わせてきた人達。
本当に仲が良かった。
演奏旅行もボロ車に人と楽器を満載して、高速も無い時代、安ホテルを渡り歩き、どさ回りと称しての旅。
時には野宿。
これは東響の暗黒時代。
やっと経営が安定したとき、私は戦列を離れた。
今どきの若い人だったら、こんなバカな仕事はしない。
私たちは貧しいのが当たり前の時代だったから、そんなことは平気だった。
今の時代にこんなことをやれと言ったら、皆そっぽを向く。
3Kというけれど、まさしくそれ。
それでも、当時の苦労は未だに私のキャリアに役に立っている。
どんな曲が来ようとも、一応弾いた事はある。
たいての事は知っている。
どんな下手くそなソリストにも合わせられる。
変な指揮者が来ても驚かない。
あははは・・お腹がよじれるほど酷いキャリアだなあ。
思えば本当に悲惨な経験が多すぎたけれど、お陰でフリーになってから存分に良い目を見せてもらった。
どさくさまぎれにやっつけ仕事はお手の物。
初見はえらく利く。
だから出来るひとだと思われて、わんさか仕事が来た。
本当は七転八倒、神経すり減らしていたけれど。
今ゆったりと生活が送れるようになって何が一番嬉しいかというと、ゆっくり譜読みをしてじっくり曲に向き合えるようになったこと。
今まで弾いた曲も見直して見ると、日々新しい発見がある。
作曲者の顔が見えてくる。
曲の形が鮮明に浮かんで来る。
幸せな豊かな時間が過ごせる。
昔の仲間と思い出話をすると、全部お笑いぐさになって、今まで苦労なんかしたことはないように思えてくる。
それに、当時は本当に苦労だなんてこれっぽっちも思わなかった。
毎日笑っていた。
今思い出すと、あんなこと良くやってきたと思うけれど、当時はそれが楽しくてしかたがなかった。
天性の陽性なのだ。
この仲間達があってこそ、あんなに笑っていられたのだから、人生、人との出会いがいかに大事かが良くわかる。
こんな年齢になっても(30才は越えたと言うことです)まだバカが言える仲間は大事にしないと。
バカが言えなくなると私は、無口になってしまう。
いつもは六口なんですが。
それで今日は残念ながら、おうちで寝ております。
27日の古典音楽協会の定期演奏会を控えているので、ここで体調崩したら皆に迷惑がかかるから、やっとの思いで小田原行は諦めた。
東響時代、苦しい経済状態だったオーケストラの再建に、家族同様に力を合わせてきた人達。
本当に仲が良かった。
演奏旅行もボロ車に人と楽器を満載して、高速も無い時代、安ホテルを渡り歩き、どさ回りと称しての旅。
時には野宿。
これは東響の暗黒時代。
やっと経営が安定したとき、私は戦列を離れた。
今どきの若い人だったら、こんなバカな仕事はしない。
私たちは貧しいのが当たり前の時代だったから、そんなことは平気だった。
今の時代にこんなことをやれと言ったら、皆そっぽを向く。
3Kというけれど、まさしくそれ。
それでも、当時の苦労は未だに私のキャリアに役に立っている。
どんな曲が来ようとも、一応弾いた事はある。
たいての事は知っている。
どんな下手くそなソリストにも合わせられる。
変な指揮者が来ても驚かない。
あははは・・お腹がよじれるほど酷いキャリアだなあ。
思えば本当に悲惨な経験が多すぎたけれど、お陰でフリーになってから存分に良い目を見せてもらった。
どさくさまぎれにやっつけ仕事はお手の物。
初見はえらく利く。
だから出来るひとだと思われて、わんさか仕事が来た。
本当は七転八倒、神経すり減らしていたけれど。
今ゆったりと生活が送れるようになって何が一番嬉しいかというと、ゆっくり譜読みをしてじっくり曲に向き合えるようになったこと。
今まで弾いた曲も見直して見ると、日々新しい発見がある。
作曲者の顔が見えてくる。
曲の形が鮮明に浮かんで来る。
幸せな豊かな時間が過ごせる。
昔の仲間と思い出話をすると、全部お笑いぐさになって、今まで苦労なんかしたことはないように思えてくる。
それに、当時は本当に苦労だなんてこれっぽっちも思わなかった。
毎日笑っていた。
今思い出すと、あんなこと良くやってきたと思うけれど、当時はそれが楽しくてしかたがなかった。
天性の陽性なのだ。
この仲間達があってこそ、あんなに笑っていられたのだから、人生、人との出会いがいかに大事かが良くわかる。
こんな年齢になっても(30才は越えたと言うことです)まだバカが言える仲間は大事にしないと。
バカが言えなくなると私は、無口になってしまう。
いつもは六口なんですが。
それで今日は残念ながら、おうちで寝ております。
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