2020年9月30日水曜日

今日は「古典」の定期演奏会だったのに。

今日は本当は文化会館の小ホールのステージで演奏しているはずだった。

古典音楽協会の定期演奏会。スマホのカレンダーで今日の予定が表示される。古典の定期の予定を削除するのを忘れていたら、画面に現れて胸がズキンとした。やはり自分が思っていたよりもずっとショックが大きい。長年大事にしてきたワークだから、いつもあるのが当たり前だった。それがコロナで中止になっていつ再開できるかわからないのは、再開どころかこのまま立ち消えになってしまうこともありうると考えると虚しい。もう二度とステージに立てないのかとも思う。自分に自信がない。

しばらくのブランクの後、若い頃だったら勘を取り戻すのは短い時間でできそうだけれど、今ではそれができるかどうかは断言できない。大勢のお客様の前で演奏するのは、本当に緊張する。緊張しても余裕を持って弾けるのはなかなか難しい。けれど、練習を重ねればある程度の緊張はむしろ良い刺激になる。緊張感のない演奏は面白くはない。

どんな名人でも、あるいは、名人であればあるほど、プレッシャーは強いらしい。あのハイフェッツは、常に前回の演奏よりも上手く弾けないといけないという自分に対するプレッシャーで演奏をやためたと聞いている。

ハイフェッツと私ではレベルは月とスッポンだけれど、それでも同じように緊張はする。その緊張が演奏を育てるのであって、本番は演奏家にとっては最大の練習になる。誤解を招くといけないので言うけれど、練習と同じように弾くという意味ではない。本番で得るものは、練習の何倍でもあるのという意味なのです。耳を研ぎ澄ませて会場の響きを捉えると、客席の後ろの方から自分の音が戻ってくる。その音を聞きながらお客様の呼吸を感じ取ることができる。客席ろステージが一体になったときの素晴らしさは本当に不思議な世界となる。

波動のように呼応するものが会場を包む。緊張の中に幸福な一瞬でもある。だから私達は聴いてもらえないと還ってくるものがない。自分の中で終わってしまう。いつも思うのは、聴いている人たちに自分たちは育ててもらえるということなのだ。

この年令でのブランクはとてもつらい。2度と戻れるだろうかという不安でいっぱいになる。ヴァイオリンに限らず楽器の演奏は見た目以上におお仕事。体力、気力がないとできないけれど、実際は長年の訓練で無駄な力を使わなければ、それほど腕力はいらない。けれど、緊張や練習不足で筋肉が固くなったらアウト。手足が震え、無駄に力が入れば早いパッセージが弾けない、弓を弦に押さえつければ音は響かず楽器が鳴らなくなる。

だから日々努力をしてきたものが、コンサートがなくても練習をいつものように持続でするのは大変な努力を要する。私のように志が低いと、すぐに怠けてしまう。今はなにもなくてノンビリしていられるけれど、再開するとなると果たして再起できるのだろうかと、取り越し苦労をしている。

とにかくこのままでは古典としての締めくくりができないから、最後の演奏会はしなくてはならないけれど、今日が最後のステージという日が来たら、悲しみで演奏ができるのだろうか?まだ先のある若者なら新たな出発点となるけれど、私はもう締めくくらなければいけないのだ。

本当に多くの方々に会場に来て聴いて頂いた。それによって私達も成長させて頂いた。思えば古典ほど暖かい声援を受けた団体はめずらしいのではないかと思う。長年、ともに歩んでともに年を重ねて、ステージに出ていくのはまるで家族に会うような気がした。こちらを見て微笑んでいる人たち皆が味方してくれていると思えるほどだった。

コロナがどうなるか今後の感染は拡大するのかどうかもよくわからない。だれにとってもつらい日々だったけれど、このまま終わってしまったとしても心に暖かい火が灯っているのはそんな経験を重ねたからで、客席とステージは一体で演奏とはその両者が混じり合って成り立つもの、たとえしばらく、あるいはもはや会えないとしてもこの火が消えることはないと信じている。


2020年9月28日月曜日

雨が上がって

北軽井沢に来ています。

今年の夏があまりにも暑かったので 、エアコンをつけることにした。まさかこの北軽井沢でエアコンが必要になるとはおもってもいなかった。夏のほんの数日、北軽井沢でも今年の暑さは異常だった。私は熱中症になりやすい体質らしく、毎年数回はかかってしまう。体温の調節がうまくいかないらしい。自宅ではつい最近までずっとエアコンつけっぱなし、一瞬たりとも切ることはなかった。

軽井沢の電気屋さんに相談すると、今年は軽井沢でもエアコン設置が多く、ずっと工事の予約で埋まっているという。昔は軽井沢にエアコンがないのにびっくりしたけれど、その頃は軽井沢や北海道などではエアコンはないのが当たり前だった。地球温暖化が加速度的に進んでいるようだ。北軽井沢に来るようになってから、まさか自分がここでエアコンを付けることになるとは思いもよらなかった。10年前はとにかく涼しいという印象だったので。

打ち合わせするために今回はほんの4日ほど滞在することになった。昨日自宅を8時30分ころ出て3時間弱で到着。だんだんなれてきて早くこられるようになった。コロナのおかげで途中停まらないで走ってきてしまうということもある。暖房や冷房やら温度対策がだんだん整ってきて、冬の寒いときにも来られるようになった。あとは運転のことが問題で、雪道を今まで運転したことがなかったので果たして大丈夫かどうか。

昨日一日のんびりして、今日は軽井沢のY子さんと浅間牧場でお弁当ランチ。抜けるような青空と暖かい日差しが眩しい浅間牧場の広い原っぱでY子さんの2段重ねのお重に詰められたたくさんのお惣菜と焼きおにぎりを頂いた。エビフライやナスの煮物、はんぺんとチーズの揚げ物、こんにゃく、ゴーヤなどなど。寒くもなく暑くもなくちょうどいい気候にこんな広々とした場所でご飯をいただく、この幸せさ。コロナで何もかも中止になった痛手が本当に癒やされる。

こういう日常の幸せさが一番いいのかもしれない。海外旅行の好きな私達は、それができないことを嘆いていたけれど、本当はこれで良かったのだと肯定できた。風や雲の流れ日の光、自然は美しい。

帰り道に浅間牧場付近のプリン専門店に立ち寄った。毎回この道を走っているのに今まで気が付かなかった。あまり派手に看板が出ていなかったし、私は自宅からここまで走ってくるとまもなく森の中の一軒家に到着するという安心感で脇目も振らず走ってしまう。Y子さんが寄ってみましょうと言うので、初めて入ることになった。店員さんの話によれば、このお店は10年ほど前にできたという。私がノンちゃんの家に来るようになったのもその頃。少しも気が付かなかったのは、道から少し引っこんだところにお店があるから。早く知っていればよかった。次回からは毎回ここによりそうな予感がする。

ガラスケースには様々なプリン。他にロールケーキなども。それぞれ気に入ったものを選んで家でコーヒーを飲むことにした。とまあ、ここまでは良かった。

プリンは本当に美味しかった。味の余韻を楽しんでいるとY子さんが、突然暖炉の周りに積んである薪が多すぎると言い出す。でもノンちゃんがいる頃からこうだったし私は少しも考えたことがなかった。これがもう少し片付けば部屋が広くなるとY子さんは宣う。いや、でも、だって・・・といっているうちにY子さんは整理整頓の鬼となり、物置のぐちゃぐちゃやら暖炉の前にだらしなく置かれていたマッチや炭などをさっさと片付け始め、その結果7個くらいの大きなゴミ袋がいっぱいになって、あーら不思議、部屋も物置もスッキリと整頓されてしまった。

思いついたらすぐにやる彼女と、今日やらなくても済むものは延ばすという私の姿勢の違いがわかる。追分のKさんと軽井沢のY子さんのおかげで我が家は徐々に片付き始めている。私はなんにもしないのに。

エアコンが入ったら電子ピアノを手に入れる。ヤフオクで見ていたら中古でも良いのが安く手に入りそうなのだ。他にも電子ピアノの修理工場のバーゲンセールとか只今検討中。ノンちゃんがこの家で開きたいと言っていたコンサートもまもなく実現するかも。でもそれは私次第、こうのらりくらりとしていてはね。
























2020年9月25日金曜日

当たらない人生

 宝くじを買って、その後どうしたかと言うと、くじをしまい込んだ場所がわからない。時々出てくるから家にあることは確か。見つけたときはこんなところにあったのね、明日くじ売り場に行って当たっているかどうか確かめようと思うのに、毎日忘れて今日まで。今どこにくじはいるのだろうか。今日こそはと思うので、家探ししてみます。どうせ当たってなんかないさ、これがいけない。それならバッグに入れておけばいいじゃない、と思うでしょう?それは私のことがまだわかっていない。バッグにいれたら必ずなくす。

今までくじとか福引とか、最高でも3等賞。いつもはほぼ外れだから、今回もそんなものだと思っている。けれど、調べなければわからない。もしかしたらストラディヴァリが買えるかも。もし1億円当たっていたら、動物と私の保護施設を作ろう。

今まで一番のあたりは郵便局で、年賀状についていたはがきを出したら、忘れた頃に毛ガニが届いた。郵便屋さんが毛ガニを持ってきたのでびっくり。新年から縁起がいいわいと思ったら、その年のあとの当たりはスキー場で当たられたのと、駐車場で車をぶつけたのとこの2つ。やはりなにも当たらないほうがしあわせなのだ。

もう一つは白金高輪の駅近く、商店街の福引で巨大な洗剤が当たってしまった。重くて持てないからいらないと言うと、そんな事言わないで、もったいないじゃないですか。それならあなたに差し上げます。私はいただくわけにはいきません。押し問答の末持って帰ることになって、難儀しました。せっかく美容院にいって髪がきれいになったのに、髪振り乱してウンウン言って帰ってきた。洗濯が趣味じゃないのに。

当たらないことはいいことだ。でも当たれば嬉しいでしょう。だから今回買った宝くじも当たっていれば感涙にむせぶ。1,000円でいいから当たらないかな。それには早くくじ券を見つけなければ。必死の捜査の結果、見つけた。昨日バッグに入れて今日駅近くのくじ売り場に行ってみる。結果がわかってしまえば夢はここでおしまいになる。もう少し夢を見ていたほうがいいかなとも思うし、又券をなくす恐れがあることを天秤にかけると、今日はとにかく売り場で見てもらうことにした・・・売り場によることを忘れなければの話。

行きは友人と一緒だから帰り道に密かに一人で寄ることにした。友人と一緒のときに1億円当たっていたら、その人に奢らないといけない。一人だったらこっそりと独り占め、ウヒヒとなる。でも1億円当たっていたら、その場で気絶するかも。そのときに友人がいてくれたほうが・・・妄想は次々と浮かぶ。

今日もモーツァルトをあわせる日、こんな浮かれたことでモーツァルトの音楽を曇らせてはならぬ。今朝も考えていた。モーツァルトは幼い頃からヨーロッパ中を馬車に乗せられ、その天才ぶりを王様や貴族たちに披露して歩かされて、大好きな母親と姉から引き離され本当に寂しい幼少時代だったと思う。ガタゴトと馬車に揺られ、寒い日やひどい天候の中でも旅をさせられたと思う。時々モーツァルトを彈いていると、絶望的なまでの悲しみに行き当たることがある。そういうとき私は涙が出る。

決して大声で叫ぶような曲ではない。それでも転調の瞬間、いいようのない悲しみが伝わってくる。かれは多動児だったと言われる。心が少しも休まらない、そのことが彼をそうさせていたのだと思う。天真爛漫?決してそうではなかったか、そうであってもそれだけではなかった。簡潔で必要な音以外の音は使わない。それなのにどんな複雑な曲よりも人々の胸を打つ。

Oさんと合わせてから又イタリアンでランチ。これで最近ちまちまとしていたダイエットが水の泡になる。











2020年9月24日木曜日

休んでいると

 投稿をサボっていると、世の中から忘れ去られそうで、毎日どうでもいいことをうだうだ書いています。

このところ急激に足の調子が良くなってきた。2年ほど前から徐々に足の痺れと足首の痛み、夜中の足攣り、趾の曲がりなどが連発して、これも歳のせいと諦めていた。階段を上がるのはいいけれど、下るのが大変で、手すりにつかまってドシドシと降りる。無様なものだった。それが少しずつ改善。O脚が治ってきて今はほぼ以前のように隙間が少なくなってきた。筋トレやストレッチもそれほど熱心にやったわけではないのに、多少食べる量を減らしたら体が軽くなっての結果。あな、おそろしや。原因は食べ過ぎだったのか。

片足立ちもやや改善。2ヶ月ほど前までは右足はほとんど片足で立つことが出来なかった。ほんの2秒ほどでひっくり返りそうになる。左足はそれでも7秒くらいはいけた。今は右足も5・6秒いける(ときもある)

ここ数日足の調子が良くて朝晩の散歩も楽しかった。それで今日は隣町で買い物をしてひと駅だから電車に乗らず歩くことにした。両手に買い物袋を下げていたら、以前のように足が痛くなってしまった。考えたのは、やはり足の筋力に見合った体重でないといけないということ。コロナ太りで家から出ないで運動不足、それに加えて他にすることがなくて食べ過ぎる。ほんの1口も回数が多ければ10口にもなる。

大きな災害があったら最低1週間くらいは持ちこたえられる食料が必要と思うから、冷蔵庫には常に食べ物がある。これがいけない。目に付けば食べたくなる。食べれば美味しい。災害が来るといけないからすぐに補填する。又食べる。

次のスキーシーズンまでに足が良くなることを期待している。スキーのブーツを履いてしまえば足首の痛みは感じないから滑れるけれど、ブーツの着脱が大変なのだ。猛烈に痛い。次のシーズンもこんなことなら考えてしまう。しかも滑ったあとでひどくしびれるので、眠れない。足の大切さを痛感している。

このところモーツァルトを彈きたいという人が複数いて、連続して合わせてもらっている。今日はその第一弾、ピアノはいつものSさんとソナタの11番、K.379を彈いた。私は今までこの曲を彈いたことがなかったので良く知らなかったけれど、これがどの曲にも負けず劣らずの名曲。モーツァルトの凄さを感じる素晴らしい曲だった。簡潔なのに骨組みがしっかりしている名曲で、本当にやってよかった。気分は上々、練習が終わって近所のイタリアンレストランでランチを食べる。このレストランは繊細な味が特徴で、その分ご主人はいかにも気むずかしそう。

次の日もまた合わせる約束がひとつあったけれど、台風接近につき中止。その次の日も又々・・・モーツァルトの大盤振る舞い。それほど皆さんモーツァルトがお好き。私は無人島に一つだけ持っていくとしたら?と訊かれたら、K.334のCDと答える。私はCDは持っていったものの、プレーヤーは忘れるという大失態をするにきまっているけど。

徐々に日常が戻ってきている。いつ終わるともしれないコロナ禍もそろそろ終焉かと思ったら、ヨーロッパでは又拡大しているという。聞くと泣きたくなってくる。

日本人はお役所からなにか言われると喜々として従う。自粛してと言われるとじっとしている。さ、遊びなさいと言われるとはっちゃけて、我も我もと遊ぶ。これが変。遊べと言われても芋の子を洗うようなプールとか、見たらさっさと帰ってきてください。2時間も並んで温泉につかるとか・・・もう、あきれている。いままでの努力を水の泡にしないでください。自分の身を守り他に人に感染させないように、もう少し我慢できないものかしらね。

遊びの質を替えたらいい。渋滞の高速道路、混み合った観光地、だいたいそういう場所は見当がつく。そんなところに行かなくても楽しめることはごまんとある。人が少ないと面白くないものなのか、不思議でならない。

明け方に急に咳き込んで目が覚めた。うはっ!大変、ついに私もコロナ?と思ったけれど、冷静になって水を飲み、漢方薬を飲み、咳喘息の吸入をしたらすぐにおさまった。こうしてこの半年以上怯えて暮らしているのだ。その後ぐっすり眠ったら朝食もりもり食べられて、胸をなでおろした。






2020年9月23日水曜日

The lion sleeps tonight - George David Weiss

http://nekotama-abc.blogspot.com/

このコーラスがあんまり素敵なのでちょっとご紹介します。
いいハーモニーですね。

2020年9月18日金曜日

今日出会った3つのしあわせ

 夕方近所の公園まで散歩にでかけた。夕日が茜色に雲を染めて、ああ、もう秋なのだ。

数日前から気になっていたのは、あるお宅の門扉の前に咲き始めた花。両手で包み込めるほどの大きさの白とピンクの花。あまりきれいなのでそっと手で触って通り過ぎようとしたら後ろから声をかけられた。中年の男性がニコニコと「きれいでしょう?」と言う。この花は私が育てたんですよ。種が出来たら持っていって育ててください、と言う。まだ種は青いから乾いてきたらいただきますと約束してきた。その人は自分が育てた花が人の目に止まったのがよほど嬉しかったらしく、満面の笑顔が弾けていた。

花の名前は後で調べてみよう。(投稿した日にここに書き込んだ名前で検索したら、とんでもなく卑猥なサイトに誘導されました。どうぞ忘れてください)

もう薄暗くなってきた公園に入ると、見覚えのある人と女性が話をしている。「おとうさん元気?」と女性。おとうさんとはこの人のこと。「元気だよ」と言う人を見ると、いつもこの公園のベンチに長い時間座っているホームレスさんだった。ベンチのそばに空き缶やダンボールの獲物をビニール袋に入れて頭をたれてじっとしている。ああ、この人にもこうやって話ができる人がいるんだと思ったらしみじみと嬉しくなった。

そして今日一番うれしかったのは、大阪に転勤した生徒が来たこと。コロナ感染の緊急事態宣言が解除された直後、彼女とレッスンの約束をしていた。けれど、彼女が実家に戻った日、会社の同じフロアで働いている社員の感染が発覚、自宅にも入らず、急遽大阪に帰ってしまった。レッスンも延期となった。今日は無事に久しぶりの再会となった。

大阪は面白いでしょう?と訊くと、いいえ、誰にも会わないし、どこへも行けないからつまらないです。カラオケでヴァイオリン彈いてますと。転勤以前より音が良くなったと思ったら、そういうことなのか。何もすることがなくて練習が出来て、私よりうまくなったら私はでかい面ができなくなってしまうなあ。電話のオペレーターでマスクとアクリル板の仕切りに囲まれて、他の人とは話をしないらしい。せっかく大阪にいるのにたこ焼きばかり食べていたという。大阪ならお好み焼きが美味しいのにねえ。いつかコロナが終わったら一緒に飲みに行こうね。

帰ってきたら、昨日フェイスブックでスッタモンダしたM子さんから知らせが届いていた。今年のイグ・ノーベル賞は京都大学の霊長類研究所の西村剛准教授が音響学賞を受賞したという。ワニにヘリウムガスを吸わせて声の変化を調べるという研究。なんじゃそれ!動物虐待ではないの。日本人はイグ・ノーベル賞を毎年受賞している。クソ真面目が売り物の日本人は案外ユーモアがある。落語なんて世界に類を見ない演芸ではないかな?

M子さんも私もこういうふざけたことが大好きなのだ。2年ほど前、イグノーベル賞の展示会に二人で行ったことがあった。会場に月面歩行の体験ができるコーナーがあったので体験を申し込んだ。特別なハーネスのような器具をつけて空中を散歩するような形になるらしい。ところが彼女は身長は十分なのに体重が軽すぎる、私は体重は十分なのに身長が足りない、ヒョロガリとチビデブのコンビなので。結局ふたりとも残念ながら体験できず、涙を飲んだ。

ワニの記事はこちら。

https://science.srad.jp/story/20/09/18/0222255/

https://www.asahi.com/articles/ASN9K4JTHN9GPLBJ003.html

花の名前はクレオメでした。何度きいても忘れてしまう。貝の幼虫クリオネと混同する。クリオネは天使のように可愛い姿に似合わず獰猛だそうで、この花はどうかな?






2020年9月17日木曜日

いかがお過ごしでしょうか?

 私は生ける屍と化していますよ。屍にしてはよく食べていますが。

コロナの影響はいつまで続くのか、もううんざりしている。どこへ行くにもマスク、誰に会うのもビクビクもの、なにをやっても面白くない。こんなにつまらんことは今までになかった。でも何を食べても美味い!これが摩訶不思議。

少しずつこの状況になれては来たものの、体がだるい。やる気が無いので心も重い。ついでに財布は軽い。なんてこった。いままであんなに面白かったものにすっかり興味を失ってしまった。今までの行動の原動力はなんだったのだろうか。人に会うことで会話ができる。いろいろ刺激を受ける、あの人あんなことを始めたんだって、それなら私も、よっしゃ!そうして社会が回っていたようで。

私の場合はヴァイオリンを弾くと会話ができる状態だった。でも人と会えないとなると、ヴァイオリンは見るものになってしまった。そういえば今の楽器の2台前に私が持っていた物は「ミルモン」というフランス製の楽器だった。出しやすく優しい音がした。健康で見た目も良かった。チェリストのナバラが同じ作者の楽器を持っていたようで、私は彼になんとなく親近感を抱いていた。あちらは東洋の小さな島国に住む小さな魔女が、まさか自分に心を寄せているとは思いも寄らない。ミルモンは今の楽器を購入するときに下取りとして出してしまった。今頃どこでどうしていることやら。高校2年のときから使っていたので、ひとしお思い入れがあるけれど。

ミルモンは私が当時師事していた先生の紹介で、ある弦楽器工房で購入した。初めてその工房を訪れたときには自分ひとりだけ。5つくらい楽器を出された。弾き比べてみると一番氣に入ったのがミルモンだった。ヴァイオリンはイタリアと相場が決まっているけれど、私がフレンチを選んだので、工房の主は大喜び。かれはフランスで楽器制作の修行をしたので、フレンチには思い入れが強かったようだ。本当にしっかりした良い楽器だったから、私は長年愛用した。

貸し出してくれて、私は家に2丁の楽器を抱えて帰った。数日後にミルモンに決めて購入、見るもんは弾くもんになった。

その時思ったのは、よくもその工房主が見ず知らずの高校生に楽器を2つも持たせたものだということ。今の価値に換算すると高級車が買える値段。それが2つだから。私だったら絶対に貸さないかなにか人質をおいていかせる。けれどなんのためらいもなく高価な楽器をぽんと貸してくれたのだった。彼の体型と同じ太っ腹、先生から連絡が入っているとはいえ、私の身なりはみすぼらしく見た目はとてもリッチとは言えない。

そこの工房には長くお世話になったけれど、ある時楽器の状態が急激に悪くなった。メンテナンスに出すと工房主は「楽器はわるいとこない、腕が落ちたんやろ(大阪弁)」

頭から湯気が出てそれっきり、そことは緣を切った。その後他の工房で見てもらったら、内部が腐食していた。時々コンサート会場で彼に出会うと気まずそうに大きな体を縮こまらせて、壁に向かって隠れているつもりでいる。見え透いているその肩をポンと叩いて「お久しぶりね、元気?」と言うと、飛び上がらんばかりに気がついたふりをする。それがなんとも可笑しかった。

その後「ガブリエリ」という楽器に出会った。「イ・ムジチ」のメンバーのコンサートでトゥッティーを弾かせてもらったときに彼から譲り受けた。彼が明日成田からイタリアに帰るという前日、彼が前に彈いていた楽器が日本で売れなくて持って帰るという。そのために最初の値段から半額になっていた。なんでも家が火事になってどうしてもお金がほしいという。最初の値段で売ろうとしても見た目が汚いので売れない。半額でどうかと。それでは明日成田に車で送るから一晩貸してと言って、夜中に彈いてみたら手応えが感じられた。見た目汚い、顎当てにカビまで生えている。でもコンディションが悪いにしては、芯に力強いものがある。半額なら買えない値段ではない。買っておいてもいいかも。そしてガブリエリは私のものになった。この楽器も、もう手元にはない。

最近こんな思い出話ばっかり!早くなにか面白い出来事が報告できるといいけれど、まだまだ当分過去の遺産で生きていくしかない。話はどうしてもヴァイオリンのことに戻ってしまう。本当にヴァイオリン彈きになるつもりがなかったのにヴァイオリン弾きになってしまった、やはり好きなんですね。早く楽器で会話がしたい。楽器を弾くにはエネルギーがいる。サボっていると太る。

生ける屍は屍なのに体重が増える、これが謎。