2011年11月30日水曜日

病院へ

子供の頃から虚弱だったから、病院に行くのは少しも苦にならないけれど、今日はまいった。日本は高齢化社会だから年をとって部品がさび付いてきた人たちがわんさかいる。それで、整形外科はおおはやり。仕事ももうとっくにリタイアして、さして用事があるとは思えない人たちが、診察時間が遅れているといって、大騒ぎをしている。どっちみち家に帰って嫁さんから邪険にあつかわれるより、優しい看護婦さんのいるこの病院にいた方がいいんじゃないの?次から次に呼び止められ、自分の番が来ないと文句を言う人がいるので看護婦さんは大忙し。それでも一人ひとり丁寧に受け答えをしている。えらいなあ。私が看護婦だったらとっくに切れて「うるさいっ」って怒鳴っているところだが。それでも4時間もかかって薬と湿布薬をもらい、コルセット制作の予約をして薬局に向かう頃に疲れ果てた。田辺聖子の「ああ、カモカのおっちゃん」が書庫にあったから借りて読んだので、たいそう愉快に待っていられたけれど、何にもしないでボーっとしていたらたまったもんじゃない。さて診察の結果は以前と同じすべり症。レントゲンの結果を見ると大したことはないので薬とコルセットで様子を見ることになった。薬はたぶん痛み止めと胃薬。それでも足のだるさは耐えがたく、ほんの数分立っているのもつらい。それでお店の中で下の棚を見るふりや、エレヴェーターの中で自分の買い物袋を点検するふりをしてしゃがみ込んで一時しのぎにしていた。カートにもたれかかって足の負担を軽くする。昨日立ってヴァイオリンを弾いたら9分くらいの曲でも大変つらくて、気持ちが足に行くため上半身の力が抜けて、いつもより弾きやすかったのが儲けものだった。良い時にも悪い時にもいつでも、取り柄はあるものだなあ。

2011年11月29日火曜日

腰が・・・

先日から怪しかった腰がどうも言うことをきかなくなった。痛みはなくなったのに立ち上がってしばらくすると足がしびれてくる。あまりのだるさに立っていられなくなる。それでも一昨日までは少し動くと症状が軽くなって動けたのに、昨日から今日はほとんど立てない。それでどうしたらいいかと思ったけれど、良い知恵も浮かばないから、とりあえず寝ることにした。約一昼夜寝て、これでどうだと思ったけれど、立つと足が異常にだるい。5分と立っていられない。たしか以前腰痛の時に作ったコルセットがあったっけ、探すと無い。いつもそこらへんにゴロゴロあったはずが・・・思い出した・・・ゴムが劣化して使い物にならないから捨てたのを。いつも肝心な時に肝心な物が無いのが私の生活。ごみはいくらでもあるのに。立つとしびれるから四つん這いで家の中を移動していたら、今まで見たこともないところに埃がいっぱいある。四つん這いは楽だから雑巾を持って床掃除。腰痛も捨てたもんじゃない。珍しくお掃除なんかしちゃった。一か所きれいになるとほかも気になってくる。特にレッスン室は今度の週末ロンドンから有名なヴァイオリニストがやってくるから、お掃除にも熱がはいる。久しぶりに小ざっぱりした部屋はなんだか冷たい感じになって、いつものひっちらかった部屋の温かみが消えてしまった・・・ように思える。一般の人はこれが普通で気持ちいいと思うのかしら。私は少し散らかっている方が居心地がいい。いつまでも四つん這いで歩いてはいられないから、明日は病院に行ってみようとおもっている。行かれたらだけど。本当は私は猫だからこのままが自然なのかもしれない。それでも最近の動画では喧嘩をして仁王立ちになる猫なんかもいるらしい。せっかく四足で歩くなら可愛い尻尾がほしいな。

2011年11月27日日曜日

お見事

関東学院大学オーケストラの定期演奏会が7回目を迎えた。初めは人数も少なくシンフォニーなど夢だったこのオーケストラがいまや立派にベートーヴェンのシンフォニー7番・・・・おや、奇しくもラッキーセブンがならんでのコンサート。数年前からのお付き合いだが、目を見張るような上達ぶりに舌を巻く。新入生のうちでもここで初めてヴァイオリンを手にしたような学生も、立派に演奏に参加している。指導者がいいのとみんなの努力と指揮者の安東先生のお言葉。それは言える。トレーナーは私たちの古典音楽協会のメンバーのうちの2人。私はエキストラで参加。特に感心したのはシューマンのピアノコンチェルトで、先日の練習に参加した時に全体としてはいいけれど、細かい部分でどうかなと思うことがあって、それをトレーナーのN先生につたえておいたら、今日のステージリハーサルではきっちりなおっていた。なによりもこの学校の校風でしょうか、生徒がとても明るく素直なのがいい。一緒に今回エキストラで参加したヴィオラのFUMIKOさんもビックリ。あまりの礼儀正しさに仰天して、彼女の親友の大学の先生が見学にきたほどだった。来年はブラームスの1番のシンフォニーだそうで、いよいよ大曲に挑み始めている。今日感心したのは管楽器の思い切りの良さ。ベルリオーズのラコッツィーの出だしは秀逸だった。ブラームスのトロンボーンのコラールが今から楽しみ。それとヴァイオリンのソロも大いに期待している。

2011年11月26日土曜日

太りすぎ

先日受けた人間ドックの検査結果が送られてきた。てっきり胃癌が見つかるとおもっていたし、脳は梗塞と縮小が激しいと思っていたのに、なーんにも悪くない。強いていえばコレステロールと血圧がほんのわずか基準値を上回っているだけ。乳がんの検査も白。手術から7年経過。まあまあセーフかも。血圧は白衣性高血圧だと思うし、コレステロールはもう数年はずっと同じ数値。240という値は基準値(220)より高くても、この値の人が一番長生きするそうで、それならいいんじゃない?と思いませんか?善玉が多いから問題なし。ところが心臓の不整脈と腎臓に空洞?があるそうで、心臓は少し気をつけなければいけないけれど、腎臓の空洞は問題ないそうで、それはどんなことなのか。医師の説明はさっぱり要領を得ない。あってもなんら差支えないそうで、でもなぜそんなものがあるのか、はたして臓器への影響はあるのかないのか、その説明もない。あたまから素人に言ってもわからないだろうという態度見え見えでしゃくにさわる。ようするに体の中にむだな空間があるのだから、水や空気が溜まったりして圧迫することはないのだろうか。そのせいで私は太っているかもしれないのに。いつも検査の後で体重と身長のバランスが悪い、一言で言えば太っていると言われる。それなのに中性脂肪は正常。血糖値も正常。それなら別に問題なさそうな気がする。私としては少し体が重いけれど、今の体重が一番スタミナがある。もう3キロもやせると、とたんに体力がなくなる。1キロくらい痩せればベスト。それは腰、ひざへの負担が少なくなるからで、腰痛ひざ痛がなければ今のままで十分。ただすてきな洋服が似合わないのが悩みの種だけど。良いなと思って試着すると、お腹ポッコリであきらめることが多い。ヴァイオリンが弾けなくなったら猛然とダイエットして、スリムな服を着よう。服を着るためにダイエットするより、いい音を出したいから、もうしばらくは無理だなあ。

2011年11月24日木曜日

だんしがしんだ

立川談志の死去を今朝の新聞で知った。思いがけないほど悲しかった。2010年4月にこのブログで談志の悪口を書いている。当時テレビで見た彼のあまりのだらしない様子に憤慨して投稿、次の日に彼の病気が重いと知って同情していることを書いたもの。
談志を寄席に見に行ったのは学生時代。おそらく大学4年生の頃だったと思う。演しものは忘れたが、今の彼ほどは毒舌ではないが切れ味のある颯爽とした風貌が目に焼き付いている。黒い着物の多いなか、鶯色の着物が色白の顔に良く似合っていた。そして、その手の美しさが忘れられない。晩年汚いひげなんか生やしてだらしなく座っていても、手は相変わらずきれいだった。きょうテレビでお子さんたちが会見をしていたけれど、御嬢さんが手を首元にやってちょっと掻くようなしぐさをした時に、あ、お父さんに似ていると思った。うちに談志の落語全集のCDがある。去年仕事も少なくなってヒマになったので、うちでゆっくり聞こうと思って買ったのに、その後また忙しくなってきて聞かずにいたもの。志ん生、志ん朝、小さん、に続いて全集は4人目。志ん生、小さんは時々聞いているが談志はまだ1枚も聞いていない。まだ生きているから寄席で聴くこともあるかと思って、CDはもう少しヒマになってからの楽しみにと思っていたのに。かつて日比谷に飛行館というビルがあって、そこに音楽スタジオがあった。そこで仕事を終えてエレベーターに乗ったら、談志と鉢合わせしたことがあった。憮然とした表情でもう一人の男の人と黙って乗っていた。こちらも「ああ、談志だ」と思っただけだったけれど、今思えばちょっと話しかけてみればよかったと思う。たぶん、無愛想な答えが返ってきただけか、無視されるかどちらかだったと思うけれど。「落語は人間の業の肯定」本質を言い得て妙。惜しい人でも人の命のはかなさには勝てなかった。

2011年11月23日水曜日

腰痛

何年も出なかった腰痛がここ一ヶ月ほど前から起こるようになった。中国整体に行くと「あんまり体動かさないね。体硬いよ」と言われた。そういえば一昨年までは全国を飛び回っていたから、毎日今とは比較にならないほど動いていた。家を出て羽田空港へ行くまでにどのくらい歩くか。目的地に着いてバスに乗りホテルへ。ホテルから食事のために町に出てレストランを探す。面白いところがあればちょっと寄ってみる。次の日の仕事は一日中会場内だけど、控室からステージへ、休憩で控室に戻ってまたステージへを何回も繰り返す。仕事が終われば夜の街にフラフラと出てみんなでお酒を飲んで、次の朝また空港へ、羽田に着けばそこから家まで結構乗り継ぎで動く。よくもこの年であんなに動けたものだと感心する。で、なにを急に考えたかと言うと、今日は新宿御苑駅すぐの小さなスタジオで、先日亡くなった友人のご主人をしのぶ小音楽会で弾くために家を出た。初めはいつものように車で行くことを考えたけれど、音楽会のあとのフランス料理のためにやはり歩いて行くことにした。ボジョレーヌーボーを呑むことになるから、車で行って一口も飲めないのは癪に障る。お料理は絶対ワインに合うから、水やウーロン茶では悲しい。そこで気持ち良く晴れた秋空を楽しみながら、30分くらい先の湘南新宿ラインに乗れる駅まで歩くことにした。途中でそうだ、腰痛だったと思い出しながらトボトボ歩いたが腰はなんでもない。靴はスニーカーでないから少し歩きにくい。荷物も楽器もあるからしんどい。それで以前の旅行のことなども思い出して、そういえばこんな感じでよく歩いたなあなどと、懐旧の念にふけった。コンサートは友人がピアノを弾いて、ご主人のお友達が思い出話をしたり、家族の合奏があったり、終始和やかに進んだ。私はあまりお目にかからなかったけれど、こんなにいいお友達がたくさんいるのは、本人の人柄の賜物に違いない。しめっぽくならず、笑い声がしばしばあがって、まるで当人がそこにいるような雰囲気だった。きっと、一緒にいたのでしょう。帰り道、又往きと同じ道を歩いて帰った。バスも止まっていたけれど、なにか歩きたい気がして歩いてしまった。ヘトヘトになって帰りつき、そういえば今日は腰が痛くないことに気が付いた。そうだ、今日は朝から猫のトイレの掃除のためにずいぶん動いた。猫トイレの周りが汚いので、その辺の掃除もした。私にしては珍しいほど、朝から動き回った。それがよかったのかも。体は動かすためにあるのか。怠け癖のついてしまった体は中々動いてくれないが、これからはこころして動かすようにしようと、絶対に守れない決心をした。明日はどうかな?

2011年11月22日火曜日

練習順位

仕事が錯綜してくると、練習の順序をまちがえるとえらいことになる。今日はこの曲を重点的に練習、そしてカレンダーを見ると、あっ、しまった。明日はこの曲の本番だと飛び上がりそうになる。とくに今回ヴィオラとヴァイオリンが重なって、上手く組み合わせないと、明日はヴァイオリンで本番、次の本番もヴァイオリン、そして次からはヴィオラでリハーサルにはいり、その途中でヴァイオリンの本番があって、またヴィオラに戻り・・・ふうー、練習順を間違えるとすっかりヴィオラの手になったところでヴァイオリンの本番が来たりすると悲惨。やはり弓の圧力や重さ、ヴィブラートの速さ、左手指の間隔など、同じようにみえてもかなりの違いがあるから、そのつもりで練習を上手く組み合わせるようにしなければならない。若いころは無謀にもヴァイオリンとヴィオラを同じコンサートで弾いたりもした。古典音楽協会のプログラムにブランデンブルグ協奏曲5番があると、ヴァイオリンが一人あまり、ヴィオラが一人たりないので、その曲だけ私がヴィオラにまわったりするけれど、普段は私のヴィオラは殆ど眠っている。今回のようにヴィオラの仕事がくるとさあ大変。寝た子を起こさないといけない。寝た子を起こすとうるさいから起こさないようにという意味かもしれないが、ヴィオラの場合は起きて大騒ぎしてくれないと困る。弾き始めは音が出ない。弦を取り替えたり弓をいろいろ試したりしているうちにようやくしぶしぶ鳴ってくる。鳴ってしまえば、ほとんど力を抜いて弾ける。それまではゴリゴリむりやりこすったり、解放絃をむやみに鳴らしたりしてご機嫌をとる。かなり体力を消耗するけれど、楽器が目を醒ますと、急に楽になる。そうなればこっちのもの。適度にさぼっても楽器が勝手に歌ってくれる。弦楽器に限らず管楽器もそうだと思うけれど、楽器対自分がシンクロしてきたときには本当にうれしいもの。いわば人馬一体といったところ。
そう言えば、ずいぶん長いこと馬に乗っていないなあ。バランスが悪くなってきたらしく馬が中々走ってくれなくなってしまった。もう一度モンゴルの大草原を馬で疾走したい。煮詰まってくるとこんな風に逃げ道に行きたくなる。

2011年11月21日月曜日

達成感って?

仕事に対する未達成が連続すると不快だと言う人がいる。仕事が達成するとはいったいなんだろう。たとえば私たちの仕事は常に未達成の連続。毎日これで良いなんてことはありえない。でも毎日のめり込んでいる幸福な人種だとおもっている。というのは演奏することそのものが面白い。パガニーニのように弾けるわけではないし、世間からもたいしたことのないヴァイオリン弾きと思われているのは重々承知。お金が稼げるといってもソリストたちのようにギャラがいいわけではないし、最近はほとんどボランティアでも頼まれれば喜んで弾かせてもらう。だれかが自分を必要としてくれているのがうれしいというより、自分が弾くのが楽しいから。達成感というものが自分が自分に対する評価だとしたら、いつも自分を甘やかして「よしよし、これでいいのだ」と言ってやるのが一番。他人の評価は気にしないでいい。徳川家康(な、なんだ、急に)が人の一生は重い荷物を持って歩いて行くようなものと言ったけれど、目標が高ければ高いほど荷物は重くなる。私は目標はたてない。昨日弾けたところが今日はまた弾けなくなっていたとしても、よしよしお疲れねえと自分を甘やかす。決して自分には意地悪しない。未達成感とは、自分に厳しく高い目標を高く持っている優れた人たちのみが持てる、要するに能力がある人ほど強く感じるものなのだから、そのように感じる人は自分が選ばれた人だと思っていいのでは?高い山があるからそこに登る人がいる。高い山を苦労して上った人は、他人の何倍もの達成感を感じるに違いない。でも、登頂に失敗したら深い挫折を感じると思う。挫折しても又登る。いつかはこの山を征服しようとして。登頂してもすぐ次の山が待っている。また挑戦、挫折の繰り返し。人が達成感をあじわうことなんてできるのかしら。たぶん、生きているうちに達成感を持てる人なんていないのではないかと思いませんか?だから未達成の連続はちっとも不快なことではないと思うけれど。達成、未達成は譬えれば右足と左足のようなもの。右が出て左が出て初めて歩くことができる。達成を右足とすれば、右足だけで歩こうとすれば失敗する。未達成の左足も可愛がってやらないと、ケンケンしているのに気が付かない人になってしまう。達成、未達成は表裏一体。両方必要。疲れたら頑張らないで休めばいい。疲れがとれたら全力疾走。いいじゃないですか、人生面白いのはこれだから。

2011年11月20日日曜日

関東学院大学オーケストラ

関東学院のオーケストラとは数年のお付き合い。今月27日、新逗子の渚ホールで定期演奏会があって、今年も演奏のお手伝いをすることになった。昨日、今日とリハーサルに参加した。昨日は車を運転していても恐ろしいほどの悪天候。雨がフロントガラスに激しく叩きつける。高速道路上も水が溜まって、排水が間に合わないほど。そのおかげで休日の渋滞がなかったのが唯一の救いだった。キャンパスに入ればいつものように、明るく可愛い生徒たち。おそらく大学の中でも屈指の礼儀正しさではないかと思われる。いつでも誰かが役に立とうとして声をかけてくれる。今どきの若者はと言って嘆く言葉はここでは通用しない。授業が終わって暗い廊下を、迎えにきてくれた学生と歩いてリハーサルの部屋へ行くと、次々に挨拶が飛んでくる。しかも、ここの学生たちは目をまっすぐに向けてくる。それが心地よい。プログラムの最難曲はシューマンの「ピアノ協奏曲」 この3楽章は特に合わせるのが難しく、プロのオーケストラでもしばしば破たんが起きる。これがはたして大丈夫だろうかと懸念していたが、思った以上に上手く合わせていたのにホッとした。合宿や日頃の長時間の練習の成果らしい。
今朝は昨日の悪天候が嘘のように晴れ渡り、台風一過を思わせる暖かい一日となった。こんな日は金沢八景にあるこのキャンパスは特に気持ちがいい。プログラムのメインであるベートーヴェンの交響曲第7番。「のだめカンタービレ」で一躍有名になったので、最近の学生、アマチュアオーケストラでは人気が高い。秦野の西湘フィルも次のコンサートはこの曲に決まった。それはさておき、関東学院のオーケストラの歴史はまだ7,8年。それでここまでこぎつけたのは指導の先生たちの実力と学生たちの努力の結果。時には10時間もすると言う驚異的な自主練習時間の量にはビックリする。それで留年なんかしている親泣かせも中にはいるのでは?早稲田や慶応の伝統あるオーケストラにはまだかなわなくても、いつか歴史を重ね肩を並べてくれることを期待している。

2011年11月19日土曜日

ヴィオラを鳴らすその2

降参!強い絃は鳴らない。もう少し・・・たった一日弾いただけなので・・・我慢して弾き込もうかと思ったけれど、ためしにナイロン弦に戻してみた。音が出る。我慢して弾き込めばちゃんと音が出てきてくれるなら一生懸命やってみるけど、最低限ナイロン弦でも良く音が出るならなにも苦労することはないさ。私の人生観が如実に出るのがこんな時。もしかしたら楽器が絃の強さに負けているのかもしれない。そうそう力のある楽器ではないから。もう少し大きな体を持っていたら、大きな楽器にしたいけれど、今の楽器の大きさはもう私にとって限界なのだ。とても柔らかく気品のある音が出る(まるでわたしそのもの、オホン)楽器ではあるが、小ぶりだから音量はいまいち。それでもいつも音は褒められる。ほかに褒めるところがないかもしれない。ヴィオラを練習しているとヴァイオリンが楽になる。これは儲けもの。芯から鳴らすためには相当な力がいるとおもうけれど、筋肉がついてくるのだろうか。毎日両方弾けばいいかもしれないが、そこまで勤勉じゃないので、このコンサートが終わったとたん、ヴィオラは押し入れで眠ることになる。この次日の目を見るのはいつのことかしら。時々ヴィオラの生徒さんがやってくるので引っ張り出してほんのちょっと弾くだけ。ヴィオラの音は本当に良い。穏やかで深みがあって優しい。こんな人に私はなりたい。何回も言っていると思うけれど、私の性格とは正反対。正反対のものにあこがれるのかもしれない。

2011年11月18日金曜日

ヴィオラを鳴らす

早いものでもう霜月半ば過ぎ。12月のロンドンアンサンブルのためにヴィオラを弾き込んでいくことにする。日頃弾いていない楽器だから、音が鳴りだすまでにかなり時間がかかる。今回いつもより強めの絃をはってみた。かなり強いガット弦をさらに張りを出すために、ワザありの張り方にしてみた。弾いてみると・・・スカーッ・・・あらま、音出ない。安物の弓が完全に負けている。腕も安物だからどうしようもない。だからと言ってヴィオラのために新しい弓を買う気もない。調整をしてくれた楽器屋さんに訊くと、チェロの弓で弾いてみたらどうですか、と言う。今、音大などでも流行っているそうで、なるほど、チェロの弓なら音はたくさん出そうだから、早速試してみた。うん、出る出る。しかし、いかにも無骨な音になる。チェロの弓は超安物だから、もう少し良い弓ならいいかもしれない。楽器が鳴ってくるまで、使ってみようか。それで色々試してみたけど、たとえヴァイオリンの弓でも値段の高い弓はちゃんとした音が出る。ふしぎだなあ。たった一本の棒に馬の毛張って、それで音がこうも違うのはどうして?ほんの少しの微妙な違いだけで、お値段倍増、音楽家は貧乏になる。しかし、ヴィオラをチェロの弓で弾くのが流行っているとはちっとも知らなかった。それはそう、なんで弾いたってその楽器に合っていていい音が出て、操作が上手くいくなら、どんなジャンルの弓だっていいわけだけど、長い間かけて完成されてきたものだから、バランスとしてはその楽器専用のを使うのがいい。でも、今日は目からうろこだった。

2011年11月17日木曜日

ノラはどこで寝ているの?

暖かいうちは毎日我が家の駐車場で過ごしていたノラがこのごろあまり姿を見せなくなった。朝早く駐車場に行ってもいない。日が高くなって気温が上がってきたころ、やっとご出勤となる。どこかで餌をもらっているらしく、最近はよほ好物でないといやいや食べる様になってきた。今日は奮発して鶏肉をあげたら、それは久しぶりに興奮状態で食べていた。寒くなったら入れるようにと、段ボールにフカフカのベッドを入れたものを物置に入れて置いたのに、そこでは暮らしていないようだ。うちに居付き始めたころ、余計なことをする人がいて、餌をやりに入ったりしたものだから、やっと警戒心を解き始めたところだったのに、驚かせてしまったようだ。一度餌をやって逃げて行くおじさんを見つけて、やめてくださいと注意してからなくなったけれど、本当に余計なことをしてくれたお蔭で、私にまで警戒するようになってしまった。もう少しで家までついてくるところだったのに。それでも、ついてこられたらそれも色々大変だと思うけれど、この寒空に震えているかと思うと、先住猫との争いもほんのひと月もすれば収まるから、我慢しようと思っていた。色々苦労したらしく、人間に対する警戒は相変わらず。でも、金網越しなどで安全だとわかっていると、じっと優しい視線を向けてくる。こんなに毎日餌をやっているのに、少し悲しくなる。もう少しこの地域の人たちが優しくて、ネコのいる生活をおおらかに受け止めてくれたら、こんなに苦労はしないだろう。トルコでは猫が可愛がられていて、道のそこここに猫が寝ていた。大きなトルコの男たちが、髭面で無骨な連中が、ネコの頭を優しくなでて通りすぎる。見ているとたくさんの人がそうしていく。イスタンブールの猫は幸せなのに、こちらのノラはかわいそう。

2011年11月16日水曜日

フランツ リスト室内管弦楽団

オペラシティーコンサートホールにて。昼間自転車に乗ってルンルンだったと思ったら、夕方になって微熱が出てきた。風邪のひき始めらしい。行くかどうか迷ったけれど、魅力的なプログラムにひかれて行ってきた。ハンガリー狂詩曲6番、ソプラノ独唱が入って、リストの歌曲、モーツァルトのディベルティメントK.136 、ソプラノ独唱ラフマニノフ、リストの歌曲で前半終了。
後半は日本人ヴァイオリニストの佐藤俊介のソロで、パガニーニのヴァイオリンコンチェルト2番、3楽章がカンパネラの名前で知られる。そしてブラームスのハンガリー舞曲を3曲、最後はリストのハンガリー狂詩曲2番。
この弦楽合奏団は(管弦楽団ではなく、今回は(?)弦楽器だけ)リストの名を冠するだけあって、さぞや腕に覚えのある人たちだろうと思ったら、まさしくその通りだった。テクニックもさることながら、音質がまるでベルベットのような響き。独特の厚みのある豊かな音色に感激する。日本人の佐藤俊介が楽器を引っ提げて(文字通り楽器をぶらぶらさせながら)出てきたときに、徳永二男を彷彿とさせた。背格好、髪型、態度がよく似ている。もしかしたらお弟子さん?空恐ろしいほどのテクニック、もう日本人のレヴェルもここまで来たかと感慨深い。もっとも今世界のコンクールの上位入賞者は日本人だらけ。みなこのくらいうまいに違いない。今日はさすがに眠くならない。最後までしっかりと聴かせていただきました。

小春日和

今日みたいな日をそう呼んでいいのかな?陰暦10月って陽暦の11月ですよね。川崎まで自転車でお出かけ。同じようなことを去年も書いたかもしれない。川崎ミューザまでは約7キロ程だと思うけれど、少し薄着だったせいか汗もかかない。このところ少し食べる量を減らし、運動を毎日少しずつやってきたので、体調は上向いてきた。この調子なら人間ドックに入らなくてもすんだのに、と思う。あの調子の悪さはやはり精神的なものだったのか。まだ結果が送られてきていないのでなんとも言えないけれど、一つ気になるのは不整脈。胃の内視鏡検査をしている時に鼓動らしい音が機械音で耳元で鳴っていた。なんとなく聞いていると、時々脈が飛ぶ。口がふさがれていたから「この音はなに?」とか聞けなくて、あとで訊いたらやはり鼓動だと言う。診察室でもダルな医師から「別にどうってことはないけど、不整脈があるってことを忘れないで」と言われた。どうってことないって・・・なぜ飛んでしまうのかの説明はなく、あとでちゃんと調べようと思ったから、それ以上追及はしなかった。たぶん睡眠時無呼吸症候群ではないかと疑っている。一度水中で呼吸ができなくて死にそうになって、ハッと目が醒めたことがあった。夢だった。でも完璧に呼吸は止めていたみたいで、しばらく息を整えるのが大変だった。不整脈と無呼吸で最近は目が醒めた時に、しっかりと疲れていることが多い。今日は珍しく睡眠が足りているようで、思わず口笛が出るほど気持ちの良い自転車小旅行だった。

2011年11月15日火曜日

ウイークりーマンション

昨日ロンドンから電話があって、12月のロンドンアンサンブルのコンサートの出演者の泊まる場所の確保についての相談だった。練習場が私のうちに決まったので、ここに近い場所としていくつか候補を見てほしいという依頼を受けた。このエリアに「ウイークリーマンションがあるのを見つけたけれど、部屋の広さが心配なので見てきてもらえないかしら。済みません、一回しか出ないのにこんなことまでお願いして」と電話の向こうで恐縮している。まあいいでしょう。乗りかかった舟ですから。ちょうど運動に良い距離。自転車で15分くらいのところにそのマンションはあった。もっとも場所がわからなくて右往左往したから、直接行けばもっと近い。駅から近い。清潔だし管理も行き届いている。コインランドリーがあって、部屋には小さな台所、バス、トイレが完備されている。一人なら十分の広さ。でも、今回はヴァイオリニストとヴィオリストが恋人同士なのでツインを頼みたい。うーん、二人だと少し狭いかな。しかもベッドは一つは普通のベッドだけれど、もう一つはソファーベッド。寝心地は当然よくないでしょう。そこにどちらが寝るかが元で喧嘩になると困る・・・なんて余計な心配。ウイークリーマンションは便利なシステム。一日でも長期間でも借りられる。長期になると少し割安になる。去年の冬、横須賀での仕事が二日間続きだったので、家に帰らず近くのウイークリーマンションに仲良し3人で泊まったことがあった。いつものように大いに飲んで食べておしゃべりをして、次の日の仕事も元気に弾くことができた。ホテルよりもアットホームで今後の旅行などにも活用できるかもしれない。

2011年11月14日月曜日

以心伝心

先月までバリバリ仕事をしていた男性が、「このところ調子が悪かったんです」と言う。生き生きと楽しそうに仕事をしていて、それでも仕事の内容はあまり教えてくれない・・・というより、聞いてもわからないから訊かないし、あちらからも言わないけれど、何があって調子が悪くなってしまったのだろうか。私も実は先月からたて続けに身近な人との悲しい別れがあって、久しぶりに個人的なことで悲哀を感じていたところで、彼の気持ちは何が原因か知らないけれど、共鳴するものがあった。気分がシンクロしていると勝手な想像をする。一人で落ち込むより、誰か落ち込んでいる人が同じ時期にいたということが心強い(というのも変だけど)。べつに連絡を取り合って一緒に落ち込んだわけではないから、お互い勝手に落ち込んでいただけの話なのに、妙に以心伝心という言葉が浮かぶ。テレパシーが飛んだかな?アハハ、まさかね。考えてみると、世界中で洪水や突然の寒さ、季節外れの雪などがたて続けに起こった時期ではなかったか。気象が体や精神に与える影響は計り知れないものがある。大津波のように直接体を襲うものはおいて、気圧や気温などにも、ひどく精神状態を左右される。特に人の生死は月の運行に左右されるのではないか。それで私の友人や親族が亡くなり、仕事を楽しんでいた人がやる気をなくし、私は悲しみ、といった連鎖があるのでは?そう説明してしまうと、これはつまらない。少しは前世からの因縁でなんていう説明ができると面白い。これは相手が私の好きなタイプだからで、もし嫌いなタイプの人が「やあ、同じ時期に一緒に落ち込むなんて、以心伝心ですなあ」なんて言ったらムッとしただろう。人間本当に勝手なものです。

2011年11月13日日曜日

集約すると

今日は弦楽アンサンブルの指導が6時に終わり、2駅先のレストランに「雪雀連」が集まっているというので合流することにした。年に1,2回、スキー用具をコーチの小川源次郎先生に選んでもらうために、この時期に集まっている。選考会が終わると先生を囲んで食事をしながら、スキーの話題で盛り上がる。今年は会長の山田さんが前立腺の手術をしてみんな心配したが、80歳の高齢にも関わらず艶々と元気そうな顔をしている。今年も夏はまたニュージーランドに行くそうな。小川先生は稀代の変人で、初めてお目にかかった時はスキーの話題以外、何一つ通じないくらい凝り固まっていた。今でもそうだけど、「雪雀連」のコーチとして毎年指導をしているうちにすっかり懐柔されて、人間的にも普通人に近ずいてきた。雪雀連の皆は、自分達が彼を世間並みに育て上げたと思っている。小川氏も自分が雪雀連を上手くしたと自負している。お互い様。ところでスキーの技術論を聞いていると、なんとヴァイオリンの演奏に通じることかと思う。なんでもそうだけれど、余分な力を入れずに自分の体重や腕の重みや、要するにその技術にとって必要なことに対してのみ、力をそこに集中すればいいのだから、当然ほかの部分の力はすっかり抜けていなければならない。ほかに力が入ると力は分散されて、肝心な部分に重みが加わらなくなる。それをするためにどれ程みんなが苦労することか。力が抜けた時、初めて必要なパワーが得られる。そこに到達するまでの道のりは遠い。スキーもヴァイオリンも、もちろんほかのなんでも、脱力が最も大切な課題として集約されている。

2011年11月12日土曜日

奏鳴曲

藤沢 俊樹 チェロ           
高橋 恭子 ピアノ

マチネーは休日の大きな楽しみ。
ロカテッリ、シューベルト、フランクの「ソナタ」 それとカサドの「親愛の言葉」という小品。
杉並公会堂小ホールにて。

藤沢さんは合奏団や仕事でながーいお付き合い。今日のロカテッリは初めの音からハイテクニックを見せつけられた。軽やかなワンボウスタッカートで始まり、アップボウのスタッカート、もっと難しいダウンボウのスタッカートがこれでもかと出てくる。いかにも易々と弾いているように見える。そう見えると言うことはとても優れたテクニックの持ち主である証拠なのだ。初めの曲は誰しも硬くなる。しかし、今日の彼の音は初めから伸び伸びと響いた。シューベルトはごめんなさい・・・・私はシューベルトを聞くと反射的に寝てしまうのです。またとない入眠剤。心地よく休ませていただきました。ステージでは緊張してずいぶん練習も重ねて演奏するのに、客席でのんきに寝るなんて。でも、良い演奏でなければ眠くならない。それは言える。休憩の後はフランクの名曲、元は名ヴァイオリニスト、イザイのために創られたヴァイオリンソナタなのに、なぜかヴィオラもチェロも弾きたがる「ソナタ」 これは本日の圧巻。ピアノもチェロも名演だった。最後のカサドの曲は初めて聴いたけれど、ここまで来るとホールがチェロに共鳴して、響きはじめる。音の美しさと曲の面白さで客席からも大きな拍手が巻き起こった。客席の奥様に「素敵だったわ」と言ったら「年の功よ」と言う。本当に年を重ねて(でも彼はまだ私より若い)毎回よくなっていく。チェロは音が良い。昨日の健診で聴力が高いほうがほんの少し聞こえにくくなっていると言われた。これからはどんどん低音嗜好になって行くと思うので、ヴィオラ、チェロのコンサートを聞くことが多くなるかもしれない。

2011年11月11日金曜日

人間ドック

今日は待ちに待った楽しい検査の日。今日の胃カメラは何味かしら。バナナ味?チョコレート味?鼻歌交じりで雨の中お出かけ・・・とはいきません。第一朝ごはん抜きというところが気に入らない。朝はわたしの一番好きな食事タイム。なにを食べてもおいしい。それを抜くなんて。病院に着いた頃には空腹で倒れそうだった。初めに受付で看護師から書類のチェックともろもろの注意事項を聞いて、医師の問診を受ける。もう一人同年代の女性が一緒に受けるようだ。私たちの世話をしてくれる看護師はいかにも真面目そうで、少しとろい。見ていると手際が悪く、それだけで血圧が上がりそう。「年齢は**才で構いませんか?」と聞かれたから「構うけど事実だから」と突っ込むと困ったように笑っている。ああ、あんまりおちょくってはいけない相手だと気が付く。もう一人の人が血圧を測ろうとしたら血圧計が作動しない。すぐに別の器械にすればいいのに、何回も同じ器械で試している。違うのがそばにあるのに。結局違う器械を使うことになった。診察室に入ると、よれっとした風貌のドクターが「お腹が太ってるね」と言う。ムッとして言い返す。「失礼ね」思わぬ反撃にドクターは少したじろいでやや丁寧な口調になる。初めはお決まりの採血、採尿、お腹のエコー検査やマンモグラフィーなど・・・そして待ってました!胃の内視鏡検査。以前受けた時にはあまりにド下手な操作にのたうちまわった。今回は鼻から通すことにしてもらって、でも鼻からも辛ければ、喉にすぐ切り替えてもらいたいとわがままを申し入れておいた。来る看護師が皆、鼻がだめならすぐにのどにしますからね、と優しく言う。この病院は全国の入りたい病院の上位にランクされる。スタッフ全員が優しい。以前の内視鏡の操作をした人を除いてだけれど。私のすごいところは喉に麻酔されてもなお、空腹感は消えないというところ。(なんの自慢?)お腹すいたなあ。きっと胃カメラもおいしいに違いない。始まってみれば前回とは雲泥の差。スルスルとカメラは胃の奥深くに潜入。しかし、内部に怪しい個所あり。組織検査を受けることになった。「限りなく100パーセントに近く大丈夫だと思う」と言われたけれど。乳がんの時もそうだったから、あまり信用はしていない。大騒ぎしたおかげで担当医は慎重に操作してくれて無事終了。あとは脳のMRIと胸のCTスキャンで終了。さっきまでと鈍くさいと思っていた担当の看護師もよく見れば中々きびきびしているし、初め好印象ではなかった同行の患者さんもきれいな人に見えてきた。そして、再び診察室に戻る。この先生だけはどう見てもやっぱりさえないなあ。白衣の前が薬品かコーヒーか知らないがしみだらけ。だらしなく椅子に腰かけ野太い声で偉そうに喋る。最近足がつったことを話すと誰かに助けてもらえというから、ネコでは何の助けにもならないと言ったら面白そうに笑った。あら、笑うとちょっといい感じじゃないの。わかってるのよ太り過ぎって。でもいきなり言われたから猫パンチを繰り出したってわけ。
最後に遅い昼食を摂る。この病院は食事もおいしい。食べ終わったら疲れたけれど、すっかりご機嫌で雨の中を帰ってきた。

2011年11月9日水曜日

ノラのガールフレンド

ノラが優しい声で鳴いている。私を呼んだのかと思って慌ててウインナーソーセージを細かく切って「はいはい」と返事をしながら餌場の駐車場にとんでいく。ところが初めのうちこそ感激に打ち震えながら食べたウインナーの臭いをちょっと嗅いで口をつけない。あら、お腹がいっぱい?部屋へ戻ると又優しい声が聞こえる。「にゃんにゃん」なにかご用ですか?急いで階段を駆け下りて見に行くと、さっきあげたソーセージを可愛い三毛猫に食べさせているではないか。赤い首輪をつけた小柄な三毛。まだ今年の春に生まれて、やっと18歳になったばかり・・・の年齢と見た。まったく男ってやつは。いつだって若くてきれいな女の子に弱いんだから。ノラはこの頃良い食事にありついて、夏以来のみすぼらしさが嘘のように消えて、立派な風采になってきた。三毛はおじさまに可愛がられる女子高生みたいなものかも。ノラは結構年を取っているように見えるのにちゃんとノラ生活をしているということは、比較的体力があるに違いない。猫の社会では体力が勝負。三毛はそこに惹かれたのかしら。とにかくノラが一人で苦労していないで、こんな可愛いガールフレンドをゲットしたのはでかしたと言いたい。
以前、うちの玄関先で毎日餌を食べていたパンダ模様のノラがいた。せっせと通ってきたのにあるとき急に来なくなった。もう死んでしまったかと思っていたら、その一年後にまた現れた。そしてまた毎日餌をやっていると近所の奥さんが「あら、この子、ずっとうちに来ていたのに急に来なくなったと思ったら、ここに来ていたのね」と言う。なーんだと大笑い。そうやって餌場を確保しながらしぶとく生き抜くノラは大したものだ。そこここにパンダそっくりの子猫がいて、父親はあの猫だとすぐにわかった。その繁殖力はすごく、本当にたくさん子孫を残していた。あれからもうずいぶん経って最近子孫らしい猫はこの界隈から消えた。そのうち、うちの(?)ノラに似た子猫が誕生するかもしれない。猫がそこら辺を歩き回れるような優しい地域ではないから、苦労したらかわいそうだけれど。

2011年11月8日火曜日

整体に行く

ヴィオラを弾いて痛めた首、腰を直すために近くの中国整体に行った。いつもの担当がいなくて今日は大男の先生。うわ、大丈夫だろうか。こんな大きなひとにボキボキやられて痛くないところまで痛くなったらどうしよう。身長180センチくらい、体重もすごく重そう。そして始まった。とても元気が良い人で背中を乱暴にぐいぐいさすって「硬いね」と言う。この調子でずっとやられたらきっと痛いにちがいないから、もう少し力を抜いてくださいと言おうとしたら、なぜかスッと眠くなる。おや、思ったよりずっとソフトになってきたぞ。そして、そのまますとんと眠ってしまった。時々目を覚ますと鼻水が垂れている。風邪をひいたらしい。又眠ってしまった。終わる頃再び力が強くなって目を覚まされた。最近こんなにぐっすり眠ったのは久しぶり。終わって立ち上がろうとしても力が抜けてフラフラする。初めて顔を見ると柔和なまん丸顔で、やさしそうな小さな目が笑っている。家に帰ってもう一度ヴィオラを弾こうとおもっていたのに、もう体中がふにゃふにゃで、このまま寝たい気分になってしまった。12月のコンサートが終わるまではせっせと通うことになりそう。結局楽器を弾くということは体つくりにもつながるから、同じ年代の人に比べて外見は元気に見えるのはそのお蔭かもしれない。中身はいろいろあるのです。胃が痛い、腸の具合が悪い、腰、ひざが痛いなど長年使ってきた部品にガタがきているのは仕方がない。でも楽器を持つと生き生きとした気分になれるのは本当に幸せなこと。歳をとって無理に動かさなくなったぶん力が向けて、むしろ以前より音を出すのが楽になったのは、すごく儲かった気分がする。捨てる神あれば拾う神、ですね。

サイズが合わない

今年12月にロンドンアンサンブルの演奏会に一日だけヴィオラで参加することになった。若いころはヴィオラもヴァイオリンも両方で仕事をしていたけれど、やはりヴィオラは私には大きするので、泣く泣くヴァイオリンだけで仕事をするようになった。ヴィオラの音もヴィオリストの性格も好きだったから、と言うより私自身がヴィオリスト的性格(マイペース、ひがみっぽい、大雑把、無精、ものぐさ、表に出ることを嫌う等々)だから、非常に楽器との相性も良くて、ほんとうならヴィオラ一本でいきたいところだった。ところがヴィオラ弾きに必要な体の大きさがない。日本人の中でも特に小柄だから、ヴィオラを弾くと必ず腰が痛くなる。今回の演しものは「展覧会の絵」をアレンジしたもので、初めはピアノ用に、あとでオーケストラに書き直された。音が厚く多彩なオーケストレーションなので、ピアノ、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの5人で弾くのは各々の受け持ちが多くなるということ。かなり一人一人の負担が大きい。そしてふつうヴィオラではめったに弾くことのないハイポジションがやたらに出てくる。もう一本ヴァイオリンがいればセカンドヴァイオリンが受け持つ音域をヴィオラが弾かなければならない。短い腕をいっぱいに伸ばすと体は捻じれ、腰や首がギリリと痛む。でもこんな面白いチャンスを人に譲る気はさらさらなく、この一ヶ月それに耐えるように訓練していかなくてはならない。サイズが合わないと言えば、飛行機のビジネスクラス。一度乗ってみたいと思っていたので、ある時思い切って乗ってみた。さて椅子に腰かけると、これが私には途方もなく大きく、体は沈んで立ち上がることもできない。足載せに足を乗せようとしても届かない。体が宙に浮いた状態のままの状態で本当に疲れた。身の丈に合った生活をするものだと痛感した次第。ヴィオラもサイズが合わないからこの先もう弾くこともないとは思うけれど、あの何とも言えない魅力のある音を捨てがたく、来世は大きな人に生まれ変わろうと思う。さっきヴィオラ弾きの性格を悪く言ったようにとられるけれど、裏を返せば中庸を知る落ち着いた控えめな教養人の姿が浮かんできませんか?そういう人に私はなりたい。あまりにもおっちょこちょいなので。

2011年11月7日月曜日

ジェットコースター

先月今月と感情の起伏はまるでジェットコースターに乗っているように上がり下がりする。コンサートの楽しみと人が亡くなる悲しみとが交互にやってくる。今日は親戚の私より若い男性が亡くなって、奥さんと娘さんの悲しみに付き合ってきた。先日はたくさんの人と一緒に演奏ができてとても楽しかった。
禍福は糾える縄のごとしと言うけれど、こんなに短時間のうちに両方がどっと押し寄せてくることはめったにないから、気持ちのコントロールが大変。かわいそうだったり幸せだったり、本当に忙しい。今年は3月11日の大震災を境に、日本中の人の気持ちや人生観が変わった年でもあった。私も非常に影響を受けやすいほうだから、あれからしばらくはふさぎ込むことも多かった。しかも夏の節電騒ぎで、蒸し暑さを我慢したために、秋口からなんとなく体調もすぐれない。その上ジェットコースターのように変わる悲喜こもごも。年をとったせいか、少しは衝撃も柔らかく受け止められるようにはなったけれど、それでも時々ひどく応えることがあって、本当に今年は疲れました。先日睡眠中に、いきなり足がつって目がさめた。その痛さったら、我慢強い私でも唸ってしまうほど。次の日友人4人と会った時にその話をしたら、そんな重大なことなのに皆しれっとしている。何のことはない、足がつるのは日常茶飯事だそうなのだ。私は軽くつるのは時々あったが、そんなに痛いのは初めてだったので、重大なことが体に起きていて救急車ものだと思っていたのに、皆そんなことはよくあるらしくて、ビックリして損をしたような気持ち。歳とればいろいろあるさって、軽く受け流さないといけない。それでもし命にかかわるようでも、人の命は結局消えるのだから心配しても同じこと。それなら心配しないでおおらかに生きたい。おおらかさとだらしないのは紙一重で、私はどちらかと言うと・・・だらしなく生きている方かな?

2011年11月6日日曜日

珍しくヒマな日曜日

土曜日は怒涛のような一日で、しもたかフィルというアマチュアのオーケストラのお手伝い。なんだか最近プロのオケからお呼びがかからなくなり、アマチュアのオケを彷徨している。オケマンが地元で自分の弟子や地域の人たちを集めてオーケストラを始めることが多い。それは自分の楽しみでもあるし、弟子にオーケストラの楽しみを知ってもらいたいからでもある。しもたかフィルはヴィオラの名手である東氏とその奥さん、ヴァイオリンとヴィオラで大活躍する手島さんの二人が作り上げた。東さんとはいつも古典音楽協会で一緒に演奏する仲であり、手島さんとは仕事でご一緒する。しもたかフィルは手島さんの名マネージメントで成り立っている。優秀なヴァイオリニストでカルテットなどでも引っ張りだこの売れっ子の彼女が、ここのオケでは完璧に裏方に回っている。もったいないとは思うけれど、彼女の裏の働きがないとやっていけないので、仕方のないこと。東さんから「ねえ、弾きに来てよお」と言う甘ったれた言葉に誘われてもう5,6年にはなると思う。初めはがっちゃがちゃだったオケも次第に体裁が整ってきて、今年なぞは結構な出来栄えだった。私はいつも一回しか練習に出ないから、シンフォニーなど弾くと結構緊張する。やっと思い出したころ本番が終わる。今年は会場練習ができなくて、下高井戸の小学校で練習してから会場に移動するという煩わしいことになった。大体下高井戸みたいに道の狭い商店街にコインパーキングがあるのかどうかがまず心配だった。うちのひどいカーナビに振り回されて、世田谷のわかりにくい道をやっとのことで小学校近くまで行くと、なんとラッキーなことか。コインパーキングに一台分空きがあった。ほかのパーキングはすべて満車で、日頃の行いが良いと幸運は向こうから来るものだわと自賛する。狭い教室でひしめき合って自分の音もわからないくらいの騒ぎの中で練習が終わると、ほとんど茫然自失、耳が疲れる。今度は会場へ向かう。井の頭通りを行くとカーナビが大騒ぎをしてなにやら変な方向に導こうとする。一応カーナビさんにお伺いは立てたものの、勝手知ったるNHK周辺。さっさと自分の道を行く。ほら着いたじゃないの。このカーナビは本当におかしい。オリンピック記念青少年センター。とても響きのいいホールで本番は楽しいが、今年は後ろにやたら威勢のいいお姉さんがいて、テンポがかならず速すぎる。それを抑え込もうと必死に努力するも、若くて生きのいい音がバンバンと迫ってくる。なんせ、一泊休止符があっても絶対に休まない。だから人が休んでいる時にはもう弾いている。そうされるとこれから弾こうと思っている人はもう弾けなくなってしまうのだ。殆ど半分後ろを向いてそれをけん制しながら弾いたのでもうヘトヘト。終わってから来ていると思った友人たちがだれも現れないし、雨は降ってくるし、盛り上がらないでしょんぼり帰ってきた。その疲れで今日は一日どんより、空模様もどんより。いつも一番忙しいはずの日曜日が休みになった。

2011年11月4日金曜日

月例弾く会

あっという間に一ヶ月は経ってしまう。「弾く会」も初めは気楽に参加していたけれど、これが中々のくせもの。一曲終わってほっとすると、あっという間に次の会がきてしまう。追いまくられているようだ。そしてピアニストと言う人種は超真面目なので、必ずと言っていいほど毎月大曲を新しく出してくる。弦楽器のFUMIKOさんと私はなんだかいつまでもヘンデルのパッサカリア。今日はFUMIKOさんはシューベルトの「アルペジオーネソナタ」私はベートーヴェン「ロマンス」とバッハ「G線上のアリア」。でも来月は「パッサカリア」を弾く本番があるので、次回も練習代わりに例会で弾くことにする。譜読みはできているのであとは練り上げていくばかりだが、奥が深くてスケールの大きなこの曲はいつまでたっても様にならない。作曲家の器の大きさをひしひしと感じる。ピアニストに言わせれば「ヴァイオリンは音がピアノに比べて少ないから譜読みが楽よね」とくる。いえいえ、とんでもない。まずあのつるっとした指板のことを思い出してほしい。あの指板の上のある一点を違えずに押さえるのがどれだけ大変なことか。譬えれば、なんの目印もない原っぱでゴルフの名人がどの地点でも必ず同じポイントに球を落とせるとは限らない。左右にぶれたり、距離が違ったりするでしょう。ヴァイオリンはそれの縮小版、短くなった分誤差はもっとひどい。ほんの0コンマ何ミリの差で音程は変わってしまう。指一本が半音違う。指を寝かせて押さえるか、立たせて押さえるかで、音程も音質もガラッと変わる。そして指板の高音域のほうは、なぜかどんどん音域の差が狭くなってきて、ひどい時は指をいちいちずらしながら押さえなくてはいけなくなる。ピアノのように音が決まっていて、そこを叩けば猫でも犬でも同じ音程が出る楽器とはわけが違う。毎日毎日音程との戦いで終始する。もっと厄介なのは右手のボウイング。弓の遣い方によってどれほど音質の差が出ることか。毎日弾いていても音がガサガサの時もあるし、めったにないけれどやたらに調子のいい時もある。訓練である程度の水準は確保していても、調子が悪いと音そのものがちゃんとでない。ピアノは音はとりあえず出るし、音程も決まっている楽器だから、弦楽器はその前段階で苦労しなくてはならない、とても損な楽器なのだ。時々子供にヴァイオリンを習わせにくる親御さんに泣かれる。「こんなに大変だとは思っていませんでした」と。ピアノの悪口を言っているのではありません。なぜなら私は途中までヴァイオリンにするかピアノにするか迷ったくらいピアノが好きだったから。ピアノにはピアノの苦労がある。だからほかの楽器が自分の楽器よりも易しいなんて、露ほども思わない。それぞれ大変なんだから。

2011年11月3日木曜日

手にいつ頃からかシミができて、目に入るたびに嫌な思いをしていた。顔は鏡さえ見なければ本人は見えないからいいけれど、手はすぐに目に入る。先日北里研究所に行って手のシミ取りをしてきた。レーザーをバシッ、バシッと照射して行く。あとが真っ黒になってシミよりずっと汚い黒い斑点になったけれど、2週間後には全部のかさぶたが取れて、シミは消滅した。久しぶりに見るシミのない手。うれしいけれど今度はしわが目立つ。この手で何十年もヴァイオリンを弾いてきたのかと思うと、しわがあろうと、関節が節くれだっていようと、いとおしい。何十匹もの猫の頭を撫でてきたことか。怪我もせずここまで来られたことに感謝する。今更ながら人間の手の素晴らしさに驚嘆する。こんなに精巧にできている手をもったからこそ人間はこれほどの文明を築きあげられたのだと思う。二本足歩行を始めたからそうなったのか、手が素晴らしく器用なので足から分離できたのか、その辺はわからないけれど、そのお蔭で私は素敵に楽しい人生を過ごしてきた。大事な大事な私の手。関節炎で指が曲がり、一時はヴァイオリンを弾くことをやめなければならないかと思うほどの痛みに悩まされ、音程が悪くなって周りにもずいぶん迷惑をかけたと思う。でも私の唯一の自慢は幅広で親指が内側を向いていること。見てくれは悪いけれど、この手がヴァイオリンを弾くことに向いていたから、ろくな才能もなく努力も中途半端でもやってこられた。あるとき右手のボウイングを習いに行った時、初めてお目にかかる先生が私の手を見ておっしゃった。「あなたの手はそのまま弓をもてるよね」本当に初めからなんの苦もなく弓が持て左手も苦労なし。だからといってろくな音楽的才能は持ち合わせていないから、大成はしなかったけれど、そこそこ仕事も出来て、時々はコンサートも聞いて頂けて幸せだった。あともう少し手が長ければ申し分なかったと思う。でも私は身長が低くて、これで手だけ長ければオランウータン。オランウータンでもいいな。森に棲んで木の天辺で昼寝も悪くはない。

2011年11月2日水曜日

カレーランチ

昨日は友人2人と待ち合わせて私の地元のカレーやさんでランチ。インドかスリランカか、とにかく本場の人の作るカレーはたくさんの種類があって、しかも、ナンの大きさと言ったら、初めて見た時はほんとにビックリした。しかもおいしい。それでアンサンブルの練習する前にこのカレーを食べて気合を入れるのが、FUMIKOさんと私の習慣になってしまった。彼女は無類のカレー好き。ここのカレーはどうやらお口に召したようで、いつも付き合ってもらえる。そして、今回は同級生のピアニストのSさんが一緒。今度の「弾く会」に一緒に演奏するための練習にわざわざ私の地元まで来てもらった。3人で楽しく会話しながら食べていると、隣の席に2人の女性が座った。初めて来たらしく名物のナンの大きさに仰天している。こちらを見て「大きくてびっくり、食べられるかしら」と言って笑う。こちらからも「大きいでしょう。おいしいのよ。食べきれなければ残した分を包んで持って帰れますよ」と言ってニコニコする。女性同士はこうやってあっという間に打ち解けるけれど、男性の場合そうはいかないらしい。猫を見ていてもわかるけど、雄同士はすぐに縄張り争いを始める。メスはどこ吹く風。気の毒だなあ雄は、いや、失礼、男性は。さて、昼食が終わると練習。まずFUMIKOさんがシューベルトの「アルペジオーネソナタ」を合わせ始めた。もともとアルペジオーネというギターの親戚のような楽器のために作曲された。アルペジオーネ自体はすぐにすたれて演奏されなくなったけれど、その無類に美しい曲は今、チェロやヴィオラで演奏され愛されている。隣の部屋でパソコンの写真のチェックをしながら聞いていると、ステキな音が聞こえて来る。でも、ある人から送られてきた自分の写真があまりにもお化けなので、少し悲しい。ああ、美人に生まれてくれば写真見るのもうれしいのになあ。