2014年2月28日金曜日

胃カメラの味

待ちに待った人間ドックの日。
心うきうきスキップがでちゃう・・・なわけないか。
憂鬱な気分で病院へ向かう。今日の内視鏡検査は上手な人にやってもらえるかな?
去年の夏辺りから食道付近に違和感があって、物を飲み込むときに少し閊えるような気がしていた。
それは去年の暮れには解消したのが、今年に入って、先日高熱と右脇腹の痛み、血行障害のような症状が時々出た。
それでこのところずっとサボっていた健診を受けようと思った。
いっそのことというので、人間ドックを申し込んだが混み合っていて、今日やっと順番が回ってきた。
子供の時から大病をよくしていたから、病院は慣れっこ。
検査も嫌いというほどではないのだが、内視鏡検査とマンモグラフィーだけはごめんなさい!
しかしこれをやっておかないで万一胃がんなどになったら、こんな検査どころではない大変さが待っているのだから、我慢。
身長、体重、血圧を測る。
身長は又縮んで、もうすぐ手のひらサイズになりそうです。
血圧は白衣性高血圧で、140もある。
いつもなら110から120なのに。
それは看護婦さんに言って納得してもらう。
血液検査、レントゲンなど進んでいって、いよいよ内視鏡検査に連れて行かれる。
ここの病院は私が若い頃から通っていて、ついこの間までは古くぼろぼろな、みすぼらしい病院だった。
それでも入りたい病院の全国ランクの上位になるほど、病院全体が穏やかな優しい雰囲気に包まれていた。
最近工事が始まって新築されたのだが、まだ工事の途中で内視鏡検査は古い病棟で行われている。
そこは古く暗く、検査室に入るとずらりと内視鏡が展示されていて、みるからに恐ろしい。
なるべくなら見たくない。
あんな太い物を体内に入れるかと思うと、気の弱い私は卒倒しかねない(嘘だけど)
これで3回目の内視鏡検査。
初めての時はものすごく下手っぴいな女医さんで、涙が出た。
2回目はすごく上手い男性医師だったので、終ってから「先生お上手」と拍手をしてあげた。
今回・・・あっ、前の女医さんだ。
青ざめて覚悟をきめたら、あれから数年経っているので、少し腕が上がっていた。
けれど、妙に張り切っている様子が恐ろしい。
前の時はその後数日間、食道や喉が痛かった。
とにかく乱暴で曲がり角毎にぶつかる。
それでもカメラが良くなったのか、その人の腕があがったのか、以前ほどひどくはなくて、無事終了。
看護婦さんに「あら、とっとと逃げるのね」と言われるほどそそくさと部屋を出てきた。
次は涙が出るほど嬉しいマンモグラフィー。
乳がんの手術をこの病院で受けているので、毎度お馴染みなのだが、これも又医師の腕前に左右される。
この病院は女医さんが多いのだが、男性に比べて勢いが良くて少々乱暴な人が多い。(これって性差別かな?)
いちど本気で喧嘩しそうになったほど、乱暴な人がいた。
今回は少し訛りがある、ふくよかでおだやかな女医さん。
一生懸命私の胸を引き延ばすので、痛いとも言わずじっと我慢。
それにしてもこの器械、もう少しなんとかならないものですかね。
私のなけなしのおっ**が潰れてしまうのではないかと、心配になる。
これ2つしか無いのよね。大事なものなんだから。
今日の人はかなり上手で余計な痛みも少なく、終る。
終ってから看護婦さんに「胃カメラどうでした?」と聞かれたから「美味しかったわよ、少し苦くて」と答えた。
麻酔の味が苦く、まだ残っている。
まだ本格的に結果がでるのは2,3週間かかるらしい。
いまのところ重大なものはみつかっていない。























2014年2月26日水曜日

防犯

私の自宅は一階は全部駐車場になっていて、夜はノラ猫やノラ人間のたまり場になっているらしい。
時々食べ物の包装紙や飲み物のパック類が落ちている。
駐車場に車を停めている人が、若い人が時々たむろしていると言っていたので、その連中のものらしい。
それだけなら別に構わないのだが、時々悪さをする人がいる。
先日は自転車が3台、なぎ倒されていた。
それとテーブルが1つ、横向きに置いてあったのが見事に真っ逆さまになっていた。
風の強い日だったので、初めは風のせいかと思った。
でも、竜巻でも起こらない限り、テーブルが真っ逆さまになるわけはない。
しかも同じ場所で。
飛ばされたなら話は分かるが、車止めと物置のちょうどテーブルの幅の狭い空間で逆さまになることは、人の手でなければ不可能。まして猫が出来るとは思えない。
自転車も南に向いているものと東に向いているものとあって、それが同時にひっくり返るには、相当な強風でも起こりえない。
以前から様々な悪戯をされていた。
駐車場の柱は鉄骨のまわりを飾りボードが取り囲いて、それが安普請だからベニヤのちょっときれいな板が巻いてあるだけ。
それを蹴飛ばして穴を開けた人がいて、見事にスニーカーの靴底の模様が残っていた。
調べれば靴のメーカーなども分かるほど。
いままでも度々あって、ウンザリするくらいだったので、この際誰がやっているのか知りたいと思った。
それで又、なんでもお知恵を貸してもらえるH氏の登場。
知恵も技術も併せ持っているので、なにかにつけて相談して解決をお願いしてきた。
それではというので、猫の宮殿の物置小屋にとりつけてある猫用監視カメラの他に、もう一つ駐車場を写せるカメラを付けてみようと言うことになった。
監視というと人聞きが悪いけれど、防犯のためにこの際しばらく設置しておけば、なにかわかるかもしれない。
注文したカメラが届いて、H氏は設定作業に何時間もかけて没頭したけれど、写りがイマイチだったらしい。
画面が暗くて人の顔の判別が難しい。
それで品物は返却して、代わりにスマホで写すことになった。
寒い中で物置のドアに取り付けて作業完了。
パソコンには物置周辺の駐車場がバッチリと映し出された。
録画も出来る。
すごいですよね。スマホってこんなことも出来るのだ。
それよりもH氏の頭の回転にはいつもながら、脱帽もの。
ただ、まだ彼の中では完璧な出来栄えではなかったらしく、もう一度設定し直すと言うことになった。
私ならこの辺で諦めるけれど、理系のエンジニアは妥協を許さない。
カメラは犯人を見つけるというよりは、悪戯の抑止力のためでもある。
カメラが設置されてから、ノラ猫を脅されることがなくなった。
物置から物が盗まれることもなくなった。
だからカメラがあるということが分かっても構わない。
私はやはり特殊な職種で、近所でも目立つ変な人ということになっているのと、なんでも直接的にズバズバ物を言うから、嫌われていないとは言い切れない。
嫌がらせか子供の単純な悪戯か、その辺を見極めないと気持ちが悪い。
我が家周辺ではこの頃、下着泥や空き巣狙いが横行しているようなので、その防犯にも役に立つのではと思っている。

































2014年2月25日火曜日

人格が崩れていく

割合に友好的な性格だからあまり好き嫌いはしない方だが、この人だけは側に寄られるだけで虫酸が走るという人がいた。
容姿もどこと言って変なところもない。
背が高く、どちらかというと立派な風貌に属するほうだ。
声も大きくて張りのある、よく通る声でカラカラと豪快に笑う。
社会的にも会社経営でお金持ち、学歴も高い。
しかし、初めて会った時に強烈な嫌悪感に襲われた。
話をすれば男社会のしきたりのように、下ネタや虚栄に満ちた話ばかり、レストランのウエイターなどに対する威張り散らした態度の下品なことは、目を背けたくなるようだった。
女性と見ればセクハラを当然のことのようにする。
女性がそうされるのを望んでいるとでも思っているようだ。
礼儀としてさりげなく避けるようにする人もいるが、私などはあからさまに嫌な顔をするので、私に嫌われているのはよく分かっているらしい。
世の中、男女の付き合いの他に、人間として友人としてのお付き合いがあることを知らないらしい。
そんな人と社交上、時々顔を合せるはめになってからは、なるべく顔を合わさない、口を利かないという態度を貫いてきたのだが・・・
その人が最近妙におとなしくなってきた。
なんとなく頼りなげで気弱な風に見える。
今までの傲岸不遜さは翳を潜め、礼儀正しい、嫌みとも言えるほどの丁寧な言葉遣いと、物静かな声に様変わり。
そうなるとなんだか心配になってくる。
今言ったこともすぐ忘れるようで、集まってくれと言うから行くと、なんのために呼んだか忘れているようで、こちらもぽかんとしてしまう。
それが本人を不安にさせるようで、先日も待ち合わせの場所に行くと見当たらない。
それではと他の場所で待っていると、他の人に連れられてやってきた。
そして、会えたのでホッとしたような表情を浮かべる。
連れてきた人は彼が他の場所で、独りぼっちでものすごく不安げにしていた様子を話していた。
他の人からの情報で、今その人は認知症の入り口にいるのだそうで、薬を飲んでいてぼんやりした状態らしい。
あんなに自信に充ちて高慢ちきだった男が、頼りなげにほほえんでいる姿は、哀れと言ってはこちらの思い上がりだろうか。
私に嫌われているのは重々承知していたのに、先日顔を合せたら本当に嬉しそうにニッコリほほえんだ。
あんな嫌みな男が無邪気な子供の様になっていた。
人間幾重にも皮を被っているとこんな風になったときに次第に脱いでいくものなのだなあと思った。
かれは今までの人生で身を鎧で包んで、自分を作り上げてきたのだと思う。
傲慢さも小心さの裏返しだったかもしれない。
いかにも気障な身なりもブランド品で固めているのも、いずれも自信のなさからくるものだったのかもしれない。
初対面の時にあんなにも嫌な感じがしたのは、全てが作り物だったからではないだろうか。
いかにも面白そうに高笑いをするのも、どこか不自然だった。
皮をむいていくと中には脆く、傷つきやすい心があって、それが今薬で溶かされているような。
気の毒なのか、自分に戻れて幸せなのか、その辺は分からないけれど、私の彼に対する嫌悪感は徐々に消え始めている。
























2014年2月24日月曜日

古典音楽協会第149回定期演奏会

3月には古典音楽協会の定期演奏会があります。
いつも同じメンバーで曲目も斬新なものはない・・・お客様も毎回来て下さる方々なので、何とも言えない安心感、アットホームなコンサートです。
回を重ねる毎に聴衆が増えるという嬉しい現象が起きています。
私たちの和やかさが伝われば嬉しいと思います。
よく和やかではいけない、丁々発止と渡り合わなければ良い音楽は出来ないなどと言う人もいます。
それはそういうことも言えるかも知れませんが、それぞれの持ち味が出るとすれば、私たちの楽団は「和」そのものです。
コンサートマスターの角道氏を中心として音の融合を目指し、お互いに助け合い、まさに日本人の絆の実現です。
それが音楽的にも高く評価されている所以でもあります。
歯を食いしばりながらの演奏は、悲壮感があり疲れますね。
それはそれで又良いものですが、あくまでも気持ち良く聞いて頂くことが、私たちの使命だと思います。
今回私は「海の嵐」という協奏曲のソロを弾かせて頂きます。
海のうねり、鏡の様に静かな凪ぎ、楽しげに波が踊る様などが表現出来れば嬉しいと思います。













2014年2月23日日曜日

やっと急斜面

2日目は晴れ上がって上天気。
しかし、気温は低い。
風がないのがせめてもの救いとなる。
前日のメンバーに後から参加のもう二人加わって、朝も早よからじっくりと基礎練のおさらい。
前日使った緩斜面が閉鎖されていたお陰で、もう少し斜度の上がったゲレンデを使う。
これは本当に楽で、斜度の助けがものを言う。
ゲレンデが面白いので先生もついに、速く滑っても文句を言わなくなった。
ついに只滑るだけのグループに変わって、上がっては降り、上がっては降り、夢中で滑る。
先生の目が届かないところでは、目一杯飛ばす。
私は風になる。
元々皆毎年この講習を受けている人達だから、都会の仕事の影響が薄くなるに連れて、スキルを取り戻してくるのは時間の問題なのだ。
高年齢でも安全に速くきれいに滑るための技術を教えてもらえるので、一人も怪我をすることなく、若い人達よりもむしろ速度は速いくらい。
少し自由にさせてもらえるとなると、一斉にうれしそうに滑降する。
顔さえ見せなければ年齢不詳のグループに見える。
横手山のてっぺんから下の食堂まででもノンストップで、途中止まることなくよどみなく、しなやかに滑る。
力にもの言わせ横に押し出して滑る事はないから、高齢者でも速く安全に滑ることができる。
以前このクラブのアラスカツアーに、初めて参加した大学スキークラブ出身の人が、さえないおばさん、おじさんばかりのこのグループを見て、これは自分が一番上手いと思ったらしい。
指導員みたいに上から目線でいたのが、長いスロープをいざ滑り始めると次々に追い越されてしまい、それ以来態度が随分小さくなったことがあった。
ご本人はすっかり息が上がってゼイゼイしている側を「お先ー」とかなんとか行ってヒョロヒョロと止まりもせずに先に行ってしまうのだから、そのショックたるや大変なものだったのだろう。
見てくれはしょぼくても皆さん歴戦の強者だから、80才を越えた人が何人もいて、それぞれ優雅に滑っている。
どんなに沢山滑っても筋肉痛はほとんどない。
いまどきのスキーの道具と、先生の考案した安全スキー技術のお陰で、立って歩ける人ならほぼ生涯滑っていられるのではないかと思う。
昔とった杵柄という人はどうぞご参加下さい。
そのかわり鬼教官の格好の餌食となる覚悟で、臨んでください。























生徒の気持ち

志賀高原での講習を1日早く切り上げて帰宅した。
本当の講習日は土日なのに、金曜日にホテルに入ったらもう鬼教官が待ち構えていて、さっそく極寒のゲレンデで講習が始まってしまった。マイナス12度。
漕がないと滑らないほどの緩斜面での基礎練習。
斜度の力が借りられないから、よほど基礎をしっかりしないと、スキーは走らない。
気の遠くなるようなゆっくりさで、足の立ち位置、足首、膝関節、股関節、上半身をチェックされる。
私はいつもかかと加重と言われるので、股関節を折り曲げて前傾姿勢を取ると怒られる。
股関節を曲げるな!とわめかれる。
股関節は結果として曲がるけれど、自分から曲げてはいけない。
よく分かりますよ、私も生徒に無理な指弓はしないようにといつも言っている。
しかも、ゆっくり弾けないのにテンポを上げてはいけないと言う。
同じことでゆっくり基礎ができないのに、急斜面をかっ飛びたくなる。
ひたすら体重移動、それも力ずくでなく、自分の体重を利用しての。
ヴァイオリンの運弓方とまったく一緒なのだ。
今回の収穫は、自分が今まで取っていた姿勢がかかと加重の原因だったことがわかったこと。
いつも滑るときには私の前にスキーの板が見えていた。
ところが今回先生の言う通りの姿勢を取ったら、足元の板が見えない。
あれっ!こんなに前に何にもなかったっけ?
今まで必ず板は見えていたはず。
それで質問。
板が見えなくていいんですか?
「そうだよ、見えねえさ。(ベらんめえだからこうなる)
最近の板は短いからみえなくていいのさ。」
私の板は特に短い。
なんだ、スキーを始めてウン十年。いつもかかと加重と言われ続けてきたことが、こんなところで解決するなんて。
あらま、見えないとすごく安定する。あはは、なーんだ。
一人で滑っている時も見えないようにチェック。
時々姿勢を崩して見えてしまうと、ハッとして、姿勢を直すのではなくて目を背ける。
これではなんにもならない。
一人でおかしくて笑ってしまった。
早めに到着した4人の教習生は、基礎練のために大きな運動が出来ず、ゲレンデを時間をかけてゆっくり下りるので、寒さに凍りつきそうになった。
手袋を外したら手の爪が真っ白になっていてチアノーゼ状態。
私がヴァイオリンを教えるときも、ゆっくり弾けなければ先には進めない。
だから先生の気持ちはわかるけど、早く急斜面に行きたい。


















2014年2月21日金曜日

先生は奇人変人

今シーズン4回目のスキー。
今年はもう歳が歳だから、遊びのモードに頭を切り替えてしまったら、なんだかまだ演奏しなくてはいけないことが多くて、これはとんだ誤算。
それで、切り替わった頭はスキーの計画をどんどん入れてしまうので、結局去年よりも遊びも演奏も忙しくなってきた。
疲れる。
いい加減自分をコントロールすることを覚えないと、疲労で自滅しそうだから、少しおとなしくしていようと思っている。
今回は高齢者のための「雪雀連安全スキー」講習。
ここ毎年お世話になっているO先生。
若い頃からの長いお付き合いだが彼も歳をとったので、やっと私たちの気持ちが分かるようになってくれたのではないかと期待しているのだが、無類の奇人変人なのでその辺はあまり期待しない方がいいかもしれない。
なにしろ彼の頭の中にはスキーの文字しかないらしい。
他の事はすっぽりと欠落している。
一見普通に見えるが、目を見ると据わっている。これは危ない!
どんな話をしていても、無理矢理ねじ曲げてスキーの話題にしてしまうところは天才的。
どこで滑っていようと同じゲレンデ内だったら、彼の視線から逃れられない。
リフトに乗っていると、下からありがたいアドバイスをゲレンデ中に響くほどの大声で頂戴する。
ゲレンデで滑っていると、リフトの上からお小言が降り注ぐ。
リフトから降りて気楽に流していると、喝!
後ろにいても耳をそばだてて、音で誰が従いてきているか、どんな滑りか、わかるらしい。
こんなにスキーのことしか考えなくても、社会生活が送れるものなのかしら。
今日から3日間の志賀高原。
では、行って参ります。






























2014年2月20日木曜日

バリ島沖ダイバー事故

一時期スキューバダイビングにはまった時期があって、ライセンスを沖縄で取り、その後サイパンや奄美などにも潜りにいった。
水中にいる時間はゆったりと流れ、上がる合図が来た時に時計を見ると、愕然とするほど長い時間潜っていたことに気づく。
今回7人の日本人グループが漂流して、そのうち2人が行方不明又は死亡という痛ましい事故のニュースを聞いた。
潮流に乗るいわゆるドリフトと呼ばれるダイビングで、私も潜り初めて知ったのだが、海の中には川のように流れる部分があって、そこに入ってしまうと強い水流に乗って、あっという間に遠くへ運ばれてしまう。
インストラクターは神経質なほど警告を発していた。
水中から水面へ戻るときには時間をかけなくてはいけない。
それでボートに向かってロープにつかまりながら、ゆっくり、ゆっくり上がる。
奄美大島に行ったとき、ロープにつかまった10人ほどの人達が、まるで鯉のぼりのように横に流れていたのを見て、水流の強さを知った。
横向きの水流がなければ、ロープに沿ってだらんとぶら下がるはずなのに、流されて真横にめざしの様に並んでいるのがおかしかった。
ここは流れが強いからと何回も注意を受けた。
流れに乗るような遊び方も、たぶん、すごく面白いのだろうとは思ったけれど、下手くそダイバーの私には出来るわけもないからやらなくてよかった。
知人に水泳の達者な人がいて、その人はある日海で泳いでいたら急に流されて、まだそれほど沖ではなかったので、なんとか助かったという話を聞いたことがある。
海水浴場のそばにもあるのかしら。
それなら油断もすきもない。
素敵にきれいな海中が見られて本当に面白いとは思ったが、体力のない私には全ての装具が重すぎて、自分では扱いきれないので段々疎遠になってしまった。
それともう一つの理由は、ちょっと危なかったこと。
私には大叔父というような関係になるのか、親戚の者が真鶴の海で亡くなっていると聞いていた。
ある時上の段階に進むのための講習で、伊豆に行くことになった。
ところが高速道路上の交通渋滞や事故などで、変更に次ぐ変更で運命の糸にに引かれるように真鶴に連れていかれた。
ちょっと嫌だなあと思ったけれど、しかたがない。
そして、マウスピースがはずれて海水を飲んで・・・みたいな、これはまったく私のミスなんだけれど、まるで大叔父に手まねきされたかのように、いつもなら絶対しない単純ミスをしでかした。
しかもはずれたのに気づかず海水を飲んでしまったり。
まったく自分でも解せない行動をしたので、こんなウッカリ屋がこんな危険な遊びをしてはいけないと、その日限りでやめてしまった。
20万円もする新しいドライスーツはたった1回着て、物置にしまい込まれた。
亡くなった親戚は総一郎さんといって、よく真鶴で飛び込みをしていたらしい。
いつも飛び込んでいた場所が、関東大震災で海底が隆起したのを知らず飛び込んで、胸を打ったそうなのだ。
その人が私の生家に、跡継ぎとして入る予定だったらしい。
亡くなってしまったので、私の父が母と夫婦養子として入った。
それで生家のお墓に一緒に入っているときいたので、お参りに行ってきた。
故人の名前の中にみつけて、今まで気づかなかった失礼をお詫びして、今後もお守り下さいとお願いしたけれど、ほんの少しのミスが死に繋がるようなスポーツはやるべきではないと判断してやめた。
勿論何をしていてもどこに危険があるかはわからないけれど、他の人は知らず、私はなにかに気を取られると集中してボーッとしてしまうので、性格的に危険と判断。
まだ時々無性にあの美しい水中を漂いたくなることがある。
今回の事故に遭った人達はベテラン揃いだと思うけれど、ベテランでも、ものすごく危険で、事故イコール生死に関わると思っていた方がいい。
あこがれてこれから始めようと思う方々は、繰り返し訓練を受けてください。
毎年何人もの死者がでても、クラブではひた隠しにするようであまり表面にでないけれど、実際けっこうな数らしい。


















2014年2月19日水曜日

オオカミ猫

こんな記事と写真を見つけました。


 『猫の無毛種の開発に取り組んでいるブリーダーグループが新たなる品種を生み出した。その名はリュコイ。リュコイはギリシア語でオオカミを意味する。別名ウェアウルフ・キャット(ウルフキャット)とも呼ばれている。 

 リュコイは眼、鼻、耳、そして鼻から口周りに毛が無くて、体の残りの部分には斑点状に毛が生えているのが特徴。確かにオオカミに若干似ているかもしれない。オオカミというよりは狼男に似ているかもしれない。 

 リュコイ・キャットはオオカミのような外見を持つ黒い毛の短毛種のイエネコから自然に生まれた突然変異体だ。

 2012年、リュコイはThe International Cat Association (TICA、猫に関する国際的な団体) に出展され、"登録種限定"資格を手に入れた。

 ちなみにリュコイの性格は犬っぽくて好奇心旺盛。ひとなつっこくて、甘えん坊。飼い主の命令にも忠実な賢い猫なんだそうだ。』

可愛いけど少し不気味、
でも、飼ってみたい。
猫も品種改良されて変り種が
出て来るのは
ちょっと複雑な心境です。
やっぱり普通が一番ですかね。
こちらにも写真沢山あります。





2014年2月17日月曜日

競争社会

大家族で育ったせいか人と協調するのは割合に得意な方で、競争するよりも仲良くしたい。
今ソチオリンピックを見ていて、死ぬほど努力しているであろう選手達が涙を流しているのを見ると、なんだかなあと思ってしまう。
人間の進歩の一翼を担っているのが競争心ではあるが、余りにも過ぎたものにはついて行けない。
もちろん音楽の世界なんかもその最たるものかも知れないが、少なくとも私の場合は自分に対する満足度でしかやってこなかった。だから目標は低い。
猫族だから、自分は自分、他人は他人のマイペース。
才能が中途半端なのも、大して努力が出来ないのも、自分が一番良くわかっている。
せっかくコンクールを通っても神経を病んで自滅する人もいるように、人と自分は比べることが出来ない、むしろ比べるのは思い上がりと考えてしまう。
人と比べられるほど自分は上手くもないし、一人でコツコツやっていくのが性に合っている。
好きなことを好きなように好きな時にするのが人生明るくなるコツであると、半ば放置子だった育ち方の中で身につけた。
放置と言うのは愛情不足ということでは無く、子だくさんで末っ子の私まで手が回らなかった親のお陰で、自分の時間を目一杯自分で使うことが出来たという子供時代を過ごした。
一人でいる時間が長かったから、その頃は流れる雲を一日中目で追って、縁側でひたすら考え事をする生活が、今の自分の原点。
沢山いた動物たちと戯れ、幼稚園にも塾にも行かず、なんとなく半端に習っていた音楽の道に進んでしまった。
だから初めから演奏家を目指している多くの人とは出発点が違って、他人と自分を比べる事は出来ない。
ところが、時々競争心の強い人にまとわりつかれる。
ボーッとして他人に関心を示さないのが癪に障るらしい。
一度まったく畑違いの事務系の人から「貴女には負けないわ」と言われたときには腰を抜かしそうになった。
勿論私は負けますとも。
相手は総理府の仕事をするような、とびきりの美人。
事務系は私の最も不得意分野、書類を書けば必ず間違える。
住所欄に名前を書くことくらいは朝飯前さ!
あとで考えたら、その人はある男性を好きだったらしい。
その男性を私も好きだと思ったらしい。
誤解です、それは。付き合ったことも無い人なのに。
他にも貴女よりも私の方が上手かったと、今更ながら言って来る人もいる。
困ったなあ。もうその人はとっくに引退しているから、現在では比べようも無いのに。
人と比べないと自分の価値を見いだせない人は、自分を何かの基準で見ないと不安なのかもしれない。
大体何を比べようと言うのか、その辺が私は欠落している。
およそ美人にはほど遠いこの容姿も、すっとぼけた性格も、多少どうかと思える程の脳みそも、全部親が愛情を持って容認してくれて可愛がってもらったから、私はそれだけでいい。
だからそのままで生きていけば良い。
私よりも美人で頭が良く、ヴァイオリンが上手い人は賞賛するけれど、私を人と比べることはなにもない。
とにかく0コンマ何秒で競う金メダルと銀メダルの差の世界では、私は生きていけない。
競うくらいならどうぞと相手に差し上げてしまう。
だから、トラはトラ、三毛は三毛で良いじゃないの。
もし競争心があれば、もう少しマシなヴァイオリン弾きになれたかニャ?いや、これでもう目一杯。
暖かくなってきたら縁側で昼寝が一番。
それなのに縁側のある家って、都会では殆ど見かけなくなってしまった。これは猫族最大の危機。


































いつも緊張

ちょっと緊張気味で時々オットットなんてこともあったけれど、無事にサロンコンサートも終り(もっとも無事だと思っているのは自分だけかも。お客さんは手に汗にぎっていたなんてことも?)緊張が解けるこの瞬間がなんともいえない。
今日はロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんのお兄様も参加。アマチュア(経済学の教授)ながらテノール独唱でこの3月にリサイタルも開くという猛者。
お話も大変面白く素人離れした歌唱力に湧いた。
その後の寿司パーティーでも彼と今回の米寿のお祝いのサロン主と調律の山田氏との会話がとびっきり面白くて、お腹を抱えて笑った。
自分の演奏は不本意だったけれど、楽しい1日ではあった。
お客さんの中にも胃腸を壊してこられなかったというひとがいて、私と同じような症状なので今流行っている風邪だったかも知れない。
演奏する前はいつでも緊張する。
ずっと以前のことだけど、ヴィオラの永野さんのリサイタルで、ブラームスの弦楽6重奏のお手伝いをしたことがあった。
私以外のメンバーは錚錚たる人ばかり。
出番を待つ間、もし私が失敗して他の人達に迷惑をかけたらどうしようと、舞台袖で震えていた。
そして一歩舞台に踏み出すときになって、いきなりチェロ奏者が「ああ、俺だめだ。どんなコンサートでもだめなんだ」と言い始めた。
それを聞いた他のメンバーも「俺も」「俺も」と言い始めた。
それを聞いた私は今までの緊張が解けてホッとしたのを覚えている。
その人達は今はもう皆さん有名になって、オーケストラのトップなどを務めている。
ただ主人公の永野さんは残念ながら若くして亡くなってしまった。
今回のように米寿でなお爽やかに冗談を言っていられる人もいれば、若くして亡くなる人もいる。運というものだろうか。
緊張は1人で弾く時よりもオーケストラの時の方が大きい。
よく十人で一緒に弾くのだから間違えても平気でしょう?なんて聞くお馬鹿さんがいるけれど、体育系の団体行動を思い出してみて。
あれで一人でも間違えたら全員総崩れになるでしょう。
しかも毎日毎日違う曲を何時間も弾くのだから、その緊張は計り知れない。
オーケストラ奏者に心電図や血圧測定器を取り付けて測ると、パイロットが離着陸時に感じるのと同じくらいのストレスになるそうだ。
しかも時間が長い。
それでいてパイロットのように高給取りではないから、貧しい生活でこんな割の合わない商売はない。
だれが好き好んで・・・でも好き好んでなんです。
前世の因縁でしょうか。





















2014年2月16日日曜日

猫孝行

金曜日夜大雪の中、ピアニストが我が家に合せに来てくれたので、終ってからお寿司やサンドイッチやケーキをつまんで楽しくお話をした。
その夜、少し脂っこい物を食べ過ぎたかなと思って重たい胃をさすりながら寝た。
翌朝目が醒めると猛烈な吐き気と体中の痛み。
節々が悲鳴を上げている。
今日のコンサートに備えて練習量を落として体を休めていたのに、この関節痛はなに?熱があるの?
案の定高熱がでていた。
それからは気持ちの悪さと痛みで起き上がることも出来ない。
思わず呻いてしまうほどの強烈な気持ちの悪さ。
それでもとにかく水分補給をと思って、1時間毎に飲んではベッドに倒れ込むということを繰り返した。
本当はポカリスエットなどのスポーツ飲料を飲むといいのだけれど、買いに行くこともできないから白湯をのみ続けた。
ひどい右腹の痛みが起きて、これは盲腸炎ではないかと思ったけれど、病院は休みだし、いざとなれば救急車ものだなあと思いながらウトウト眠った。
よくもまあこんなに眠れる物だと思うほど眠った。
丸1日眠って目が醒めると少し気分が良くなっている。
恐る恐るおかゆをお茶碗に半分食べて見ると、お腹に収まった。
あんなに寝たのだからもう眠れないと思ったけれど、横になっているとすぐに又眠ってしまった。
脇腹の痛みはもう無くなっているのでほっとした。
盲腸炎などでなければ、たぶん胆石かも。
母も姉も胆石だったから、私もその気がありそうな。
それならなおのこと早く流してしまわないと。
金曜日にちょっと脂っこいケーキを食べ過ぎたようだ。
最近脂物を食べると時々気分が悪くなるから、急性の消化不良かも知れない。
今朝目が醒めると熱は平熱、気持ちの悪いのも収まっていた。
大雪の2日間が明けて上天気。
私はやはり晴れ女なのだ。
これが1日ずれていたらコンサートは惨憺たるものになっていた。なんせ立っていられなかったのだから。
もし立てなかったら椅子を用意してもらおうなんて考えていた。
大雪の中来てみたら演奏者が青息吐息なんて状態だったら、お客さんは踏んだり蹴ったりでしょうから、良かった。
私はコンサートのコンディション作るのには馴れているつもりなのに、去年も熱中症で高熱を出したり、最近はやはり体力が落ちていることを実感させられる。
若いときと同じように頑張るのはもう無理なのかも知れない。
まして今回は急遽決まったので準備期間が短かった。
たとえ大きなコンサート会場でも小さなサロンでのコンサートでも、私たちの気持ちはいつも同じだから全力投球する。
どんな時でも気軽に出来るものでは無い。
ガクタイはいつも巫山戯ているのに、こと演奏に関しては超まじめなのです。
私がずっと寝ていたらたまさぶろうは大喜び。
ずっと私にしがみついて幸せそうにゴロゴロ喉を鳴らしていた。
とんだところでたまさぶろう孝行が出来た。






























2014年2月14日金曜日

騒ぎすぎ

ソチオリンピックでは日本勢はまだ銀メダル止まり。
そうやすやすと金が狙えるものですか。
にも関わらず、金確実と毎日毎日騒がれて落ち着きを失った選手達が自滅していく。
出場まではそっとしておいてあげて欲しい。
スキージャンプの高梨沙羅選手、可哀相に顔つきが本番に向けてドンドン硬くなっていった。
無責任に金確実なんて騒いで、彼女にプレッシャーをかけたのはマスコミ。
世界中から強豪が激しい訓練の末に集まってくるのだから、確実になんてことはあり得ない。
それでもまだ10代の若い女性に重荷を背負わせる。
彼女は地元で毎日幸せに飛んでいたのが、以前の成績が良かったばかりに、激しい緊張に晒されることとなった。
初めてのオリンピックでは、予想をはるかに超えるプレッシャーの中に投げ込まれたにちがいない。
考えても見て下さい、もし私がそんな立場だったら神経症で病気になっていたと思う。
ただでさえ、覗き込むことも出来ないほどの急斜面を滑り落ちてゆくなんて、常人では不可能。
私なんか自慢じゃないけど、白馬のジャンプ台に上って腰抜かしたのだから。ほんとうにこわい!
飛べるだけで尊敬!オリンピックで4位!大尊敬!
残念ながらって・・・・ちっとも残念じゃない。
すごい!すごい!すごい!
あんなあどけない子が世界の4位ですよ。
たぶんこの数ヶ月、遇う人毎に「金メダル」と言われ続け、マスコミも大騒ぎ、取材されても金を期待してますとかなんとか言われ、そんな時にもしっかりと自分の言葉できちんと対応することが出来る素敵なお嬢さん。
4位になって周りの期待に応えられなかったと言っているが、周りはどうあれ、貴女はえらかった。
金メダル期待しますって言っていた人全員をジャンプ台の上に連れて行って「さ、飛べ」って言っておやりなさい。




















2014年2月13日木曜日

腹を立てていたので

昨日は眼鏡のことで腹を立てていたので随分悪口を言ったけど、かく言う私も随分ひどい間違えをよくするので反省。
それでもこと仕事に関してはほとんど間違えない。
無遅刻と言いたいところだが、いままで4回遅刻したことがある。
1回は依頼先の連絡ミス、2回目、3回目はスタジオの聞き違い。
もう1回は仕事のことがとんと分からない母親が電話に出てしまい、用件を私に伝えなかったため。
これがウン十年の間のミスで、最後の1件を除いて音だしには間に合っているから、殆どノーミスと言ってもいいでしょうか?
ところが仕事以外となると、これはもうトンチンカンきわまって、トンカチで頭打たれても仕方が無いほど。
眼鏡を壊すから始まって、鍵が見つからない、鍋の蓋を開けて横に置いたつもりが無い、楽譜は家をさまよい歩き、猫はこたつで丸くなる。
あ、家にはコタツがなかったっけ。
最近の脳の劣化ときたらもの凄いことになっている。
まず固有名詞は出ない「ほら、あのドイツのヴァイオリニストでたまさぶろうの先生の・・・ほら・・・この間ねこたまホールで猫踏んじゃった弾いた人・・だれだっけ」
もう毎日こんな調子だから、他人のことは非難できないかも。
又、思い出した遅刻すれすれだったこと。
仕事と仕事の間がギリギリで指定の電車にのれば間に合ったのに、走って飛び乗った電車が逆方向、しかも急行で止まらない。
あわてて乗り換えて開始時間に遅れたけれど、これも音だしにはセーフ。
もう一つ、大宮の駅で駅員にソニックホールの場所を反対方向を教えられたため、遅刻。
これも音出しにはセーフ。
こうしてみると大分ボロボロ出てきますなあ。
悪運強い私。






















2014年2月12日水曜日

勝手なことを

今までいくつ眼鏡を壊したことか。
天を仰いでため息をつく・・・はあ~
私が行っていた眼鏡屋さんが閉店するというので、割引券を頂いた。
前に作った楽譜用のレンズが、大変薄いガラスなのでちょっとした衝撃ですぐにパリンと割れてしまう。
あまりに高価なレンズなので、おいそれと買い換えられないから別の安いレンズでがまんしていたけれど、この際もう一度と思って作り直してもらうことにした。
それでも、今まで縁なしのステージ用のフレームを縁ありのものに換えてもらって今日できあがったので取りに行った。
お店で試してみると、ちっとも見えない。
たしか前のレンズとピントは同じにと頼んであったのに。
それでも店内の照明が抑えてあるのと、自分の目の調子が悪いからかと思って、一応自宅で試してみることにした。
自宅に持ち帰って、譜面台のところに立って見るとピントがまったく合わない。
前に行っても後ろにいっても、ぼやけてしまう。
眼鏡の役割を果たしていない。
これなら裸眼の方がよほどまし。
前の割れたレンズの眼鏡も取っておいたので、かけてみるとそれはちゃんとピントが合う。
これは誰かのものと取り違えたのではないかと思って電話したら、以前眼鏡を作るとき検眼してくれた店員が出て「そうですよね」と言うではないか。
なに?それ。
要するに新しい眼鏡を作るときに応対した店員は、私が前の眼鏡と同じ度数でと言ったにも関わらず、遠目用の眼鏡にしてしまったらしい。
私は遠目はまだしっかり見えるから、なんの不自由もない。
視力は1.0くらい、運転にも支障は無い。
前に作った時の店員さんが覚えていて(なんたってしょっちゅう壊して作り直していたから)変だと思っていたらしい。
それで電話に出たときに別に驚いた風もなかったのだ。
それにしても間違える人って、なんでそうなるのだろうか。
その人の前でも楽譜を壊れた眼鏡で見て、これと同じにと注文したのだから間違えようはずがないのに。
しかもその時検眼しなかったのだから、めちゃくちゃなピントで作ったことになる。
なにかちょっとトロいなとは思っていたけれど、これほどとは。
ホームページを見ると沢山の店舗のうち数件が店じまいするらしい。
有名な高級眼鏡のお店なので、こんな人を雇うのは、そろそろお店が傾いているのかなと同情はするけれど。
今安くて手軽で斬新なデザインの眼鏡が沢山出来て、旧態依然としたこういった高級眼鏡は流行らなくなったのかもしれない。
普段私は安物の眼鏡で十分事足りている。
楽譜用なのでステージドレスに合う眼鏡をと思っているだけで、普通なら決して贅沢はしない。
それなのに、こんなつまらないミスをされると腹が立つ。
大事な仕事の道具なのに。























2014年2月11日火曜日

天使のトリル

都内某サロンで演奏を頼まれた。
演奏する予定だった人が都合で出られなくなり急遽。
おや又先日と同様、ピンチヒッターか。
しかも伴奏無しで1人でひけとのことで、考えた末決めたのは
クライスラー「プニャー二によるプレリュードとアレグロ」
タルティー二「悪魔のトリル」他3曲
どうしてこういう曲になったかというと、普段ヴァイオリンは単旋律の楽器で、バッハのソロソナタの様に初めから1人で弾くように書いたもの以外は、伴奏がつく。
伴奏と一緒に弾いて初めて一つの曲となるから、伴奏無しだと旋律が途切れたり、合いの手が入らなかったり間が抜ける。
間抜けに聞こえないためには、ヴァイオリンが途切れなく弾いている曲でないといけない。
これらの曲はテンポが速いし、休み無く弾かなければならないから、老骨に鞭打ってゼイゼイしながら練習している。
そのコンサートは依頼主のお父様のお目出度い記念のお席で、悪魔の・・・という副題はまずいかとおもったけれど、曲自体は素晴らしく私も大好きな曲なのでお許しいただこう。
伴奏を諦めていたらつい先日、ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんが伴奏してもいいわよと言ってくださった。
ああ、助かった!
彼女が天使に見える。
そしてやはりお祝いの席なので「悪魔の」でなく「天使の」としないとまずいかな?
タルティー二さんには申し訳ないけれど1日だけ曲名変更。
でもブラックタイガーを伊勢エビというほどの偽装にはならないでしょう。
偽装といえば「プレリュードとアレグロ」も、演奏旅行の最中に図書館でプニャー二の遺稿を見つけたクライスラーが編曲した物として世に出たが、後にクライスラーの自作と告白され、センセーションを巻き起こしたそうだ。
なんだか最近似たような話があったけれど。













2014年2月9日日曜日

雪かき

雪が降った翌朝は上天気になった。
雪を見ると気が狂う質だから、うれしくて朝から雪かきを始めた。
日曜日、近所の人達はまだ朝寝をしているに違いない。
ソチのオリンピックが始まったから、皆夜更かしでまだ寝ていると思うのに、ガラガラと雪かきの音がするのは近所迷惑。
それは重々分かっているのに、昼前に出かけるので、いつやるの?今でしょう。
今日は気温も上がることだし、陽が当たればたいがい溶けてしまうのもよくわかっている。
だからやらなくてもいいはずだけれど、自転車の人がヨロヨロと走って居るのを見ると、自宅付近で転んで怪我をされたくない。
そんなわけで朝っぱらから雪かきシャベルを物置から取り出して、自宅周りだけでもと始めた。
私の家は三方が道路に面しているから、距離がかなりある。
しかも北側に面した所が一番距離がある。
だから下手に雪かきして雪を1カ所に溜めると、そこだけ溶けなくて雪が残ってしまう。
むしろ雪かきはしない方が溶けるのが早い。
とまあ、分かっているのに毎回張り切ってやってしまうのは、趣味だからと言うしかない。
うちがやり出したのでご近所も渋々始めた。
お隣の息子さんがご丁寧に「うちの方までやってくださってありがとうございます」と挨拶にみえたけれど、まさか趣味だからとも言えない。
夕方になったら雪かきしない隣家の方はもう溶けてなくなっているが、私がやった自宅の方ははた迷惑にも雪の山が残っている。
「ほらね、やらない方がいいのよ」なんて陰口たたかれているに違いない。

















2014年2月8日土曜日

大雪が降ったので

新しく出来た生餃子のお店まで買い物にでかけた。
普段はまとめ買い、通販のみなので、最近は商店街に出かけることは少なくなったのに、雪が降ると嬉しくて帽子、手袋、レインシューズと重装備で表に飛び出した。
風が強くなってきて傘が巻き上げられる。
コンビニのビニール傘だからすぐ壊れてしまいそうだけど、とにかくお目当ての餃子のお店は商店街のはずれにあって、我が家から普通に歩いても15分くらいかかる。
今日は雪道を慎重に歩くので20分以上はかかった。
やっとたどり着くと休日なので、サラリーマンや学生らしいお兄さん達も珍しく生餃子を買っている。
悪天候で外に遊びに行くのを中止して、家で餃子を焼いて食べるのだろう。
こんな便利なお店があるから嫁ももらわず、1人でちゃんとした物がたべられるのだから、良いのか悪いのか。
TUTAYAもいっぱいで今夜はDVDでも見てコタツでミカンかな。
最近コタツは流行らないそうだけど。
餃子を注文すると、最近入ったばかりの様子の店員さんが応対してくれたのだけど、昨日の晩丸暗記したばかりみたいなマニュアルどうりに一生懸命しゃべるのが、なんだか痛々しい。
たかが餃子(餃子やさんごめんなさい)買うのに、まるですごく高価なアクセサリーでも買ったような言葉遣い。
そしてハアハアしながら、道が滑るからお気を付けくださいとか、お持ち帰りの時には傾けないようにだとか、まあ、色々言って送り出された。
商品がしっかりしていれば、店員の応対は普通でいいのに。
以前コーヒーのD店に行ったら、入ったばかりらしい若いお嬢さん店員が「200円ちょうど頂戴いたします」と言おうとして順序を間違えた。
「200円ちょうだい・・いえ、ちょうだい、ちょうだい・・」
そんなに言われなくても払いますとも。
お願いだからコーヒー1杯で、舌かみきらないように。
おかしいのと気の毒なのとで、吹き出しそうだった。
重い買い物をぶら下げて家に帰ると、お隣の若旦那が子供達をエサにして雪だるまを作っていた。
普段あまり愛想の良い方ではないのに、ニコニコしている。
そう言えば以前、我が家の2軒ほど先に住んでいたやーさんが、雪空を見あげてすごく嬉しそうにしているのを目撃したことがある。
道の真ん中で喧嘩して、組の若いもん集めたりしていた怖いおじさんが、あらまあ、そんなに嬉しいのかしら。
聞けば新潟の出身だそうだ。ふるさとを思い出していたかな?



















雪の日に思い出すこと

今朝はヒラヒラとお空の彼方から白い涙が・・・・オリンピックの開会に合せるかのように、降りだした。
なんちゃって少女趣味な書き出し。
今朝は早くから雪、降り積もるそうだ。

いやー、昨日こそ早く寝ようと思っていたのに、オリンピックの開会式を見てしまった。
私はこういうイベントをたいして面白いと思わない質だから、ふ~ん、壮大な無駄遣いなんて思っているだけだが、無駄遣いしても余りあるほどの経済効果でもあるのかな。
これで経済が良くなって国民が潤うならそれもいいけれど、大抵は一部の業者かあるいは政治家あるいは・・・我々庶民はいつまでも清く(?)貧しく(うんうん)美しく(???)から脱却できるわけがない。
つつましく暮らしましょう。
選手の入場行進を見ていたら、スキー選手の中にヴァネッサ・メイという人が居て、なんとヴァイオリニスト!
ヴァイオリンを弾く人にスキーをこよなく愛する人が多いのは、なにか共通点でもあるのかと考える。
1)ヴァイオリンはピアノのように鍵盤がないから、指板の上を  自由に滑ることが出来る。ゲレンデ上のスキーの様に。
2)音程も規制されない。(平均律ではない)
3)反射神経を要求される。
4)弓の緩急自在な動きによって音色や表現が自由に変えられ   る。スキーの操作と似ている。  
5)刻々と変わる雪の状態と同じようにヴァイオリンも湿度・温  度・会場の反響などで演奏法が変わる。    等々
へりくつを並べてみました。
しかし、オリンピックに出るということはヴァイオリン同様、猛烈に練習しなければならない。
両立するのは大変難しいでしょうに、すごい人がいるものだ。
同等にはできないけれど、私などは怪我が怖くて本気で滑ったことがない。
いつも6割くらいでやめておく。
食欲もこれが出来れば痩せられるのに、食欲は120%満たしてしまう。
しかし、都会は大混乱となっても雪はうれしい。
忘れられない雪の日は今からもう20年も前だったか、横浜に小さな素敵なホールがあって、そこでシューベルトの「死と乙女」を演奏することになっていた。
ところが当日、大雪になった。
主宰者は中止をと言ったけれど、そんなこと考えても居なかったメンバーは時間になるとちゃんと集合した。
千葉の方から来る人もいて、何時間も前に家を出たという。
幸い私はそれほど遠くなかったので、バスを乗り継いで到着。
お客さんも岡山から来るはずだった人が、新幹線が動かないので来られなくなってしまったという。
それでゲネプロの時点で公演延期するかどうか話し合ったけれど、1人でも来てくれる人がいたらやりましょうということになった。
蓋を開けたらお客さんは結構来て下さって、それでもいつもよりは少なくて、外は雪だし、物静かな雰囲気は「死と乙女」にぴったり。
そして今までこの曲が苦手だった私も、その時は本当にゆったりと音楽の中に入っていけた。
私が弾いたカルテットの中でも、最も印象に残る演奏会だった。
しかし、その日を限りに長年続いたこの弦楽四重奏団は解散した。
やっと1つのまとまった音がし始めた四重奏団を、もっともっと良くしたいとドンドン厳しくなっていった私が、段々年をとって少しのんびりしたいというチェリストを追い詰めたらしい。
その後もしばらくは一緒に弾いていたけれど、覆水盆に返らず。
それ以後の飛躍に必要なことだったと今では思えるけれど、その時はせっかく磨き上げた4人の音が壊れてしまう、という複雑な心境だった。
「死と乙女」と大雪の日。
時々思い出す。
































2014年2月7日金曜日

馬のネイルケア

よそのブログ(2014年2月4日)から動画転載


私が乗馬クラブに通っていた頃よく見かけた風景でした。
懐かしい。
馬は賢いからなにをされているか、いや、なにをしてもらっているか、よく分かっているので静かにしていますが、臆病なので突然物に驚いて暴れ出すこともあり、危険と隣り合わせですね。
馬の足を上げさせるには寄りかかって自分の体重をかけると馬の体が傾いて、自然に足を上げます。
その時に感じる馬の体温が温かくて、可愛い。
馬の手入れは乗ることよりももっと好きで、インストラクターが驚いていました。
乗るのは良いけど手入れはいやという人が圧倒的に多いそうです。
私は乗った後、馬にバケツからゴボゴボ水を飲ませたり、蹄鉄の間に挟まった泥やゴミを掻き出したり、ボロ(ふん)をかたずけるのも嫌じゃなかった。
匂いもぜんぜん気にならない。
今なんでも除菌、消臭ってやっているの見ると、なんだかなあ!って思います。
ま、私の方が世間からは、ばっかみたい!って思われる方でしょうけど。







2014年2月6日木曜日

親のすね

弓の専門家Hさんの工房で、弓の毛替えをしてもらった。
「弓の」Hさんとお名前の前に付くくらい有名な専門家で、私はお父様の代からずっと通っている。
先代も名人だったけれど、2代目もたいそう腕がいい。
他の楽器屋さんで張り替えても、中々満足がいかず、結局Hさんのところでもう一度張り替えてしまう。
毛を張り替えて乾かしてもらって(水で濡らしながら作業するので)家に帰ったときにすぐ使える状態になるまでに1時間くらいかかる。
その間他の部屋で待っているのだが、退屈なのでその辺に置いてあるコンサートのチラシを見ていたら、ヴァイオリンにここのご主人と同じ姓のHさんという若い男性がメンバーとして載っていた。
経歴を見るとまだ学生さんで、しかももうキャリアを積んでいて、コンクール歴入賞など華やかで、将来を嘱望されているようだ。
しばらく見ていて、そうか!もしかしたらこのお宅の息子さんかも、と思いついた。
毛換えが済んで帰り際、この方はお宅の息子さん?と訊くと、そうなんです。やっぱりね。
それから話を聞くと音大の授業料の高さに話がいって、本当にたいへんです、と言う。
私の元生徒と同じ大学なのだが、今や、その大学は最も授業料が高いと評判の大学になってしまった。
以前はそうでもなくて他にもっと高い大学があって、私の古い知識では、「そちらは高いから、こちらにしなさい」と生徒に勧めてしまった。
ところが後から聞いたらとんでもないことに、今やその大学が一番高いそうなのだ。
そしてHさんは、なんと3人のお子さんが全員ヴァイオリンをやっていて、そのお金のかかりかたは尋常でないらしい。
チラシに名前の載っていた息子さんのお兄さんは留学中だとか。
3人にヴァイオリンを買うということだけでも、気の遠くなるほどの出費になる。
玄関に下りてからも、悲痛な表情でその大変さを語っていた。
演奏で身を立てるのは生半なことでは出来ない。
かといって私みたいになんだかぼんやりしているうちに仕事が回ってきて、不思議にうまくいくこともある。
こればっかりは、運としか考えられない。
3人のお子さん達が1人くらい弓の専門家になってくれれば、お父さんとしては教え甲斐も仕事のし甲斐もあるというもの。
しかし、後を継ぐ人はいないらしい。
惜しいなあ。
ある人に言わせればHさんの腕は世界の中でも上位にランクされるらしい。
その腕を受け継ぐ人がいないのは、どう考えても惜しい。
Hさんのところへ行く前に行きつけの美容院に寄った。
弓のケースを後生大事に手元に置いていたら、値段はどのくらいなのかと聞かれたから、指でこの位と示したら・・・ですかというから、その10倍と答えたら美容師さんがびっくりしていた。
とんでもない嘘っぱちだと思われたかも知れないが、本当に高すぎる。
何故かというと、弓は楽器と違って消耗品で(楽器は弾き込むと良くなっていって何百年も生きながらえる)良い作品が良い状態で残るのが難しく、数が少ない。
良い状態の物を手に入れたい人はごまんといる、というので、値段がつり上がる。
私が新しい弓を手に入れるために楽器屋さんに引き取ってもらった弓は、即座に次の買い手が見つかったらしい。
その値段には唖然とした。
私は下取りとして出したので現金収入はなかったけれど、楽器屋さんはたいそう儲かったと、当人の口からうれしそうに聞かされて苦笑した。
Hさんはこのあとまだ暫くお子さん達にガリガリ脛をかじられて息も絶え絶えになると思うけれど、なんと言っても強いのは、最高の弓が与えられるということではないか。
弓は第二の腕だから、そういうお父さんがいたら絶対の強みになる。
私もHさんの娘になりたい。
でも私は彼のお父さんの年代に近い。やっぱり無理かなあ。








































2014年2月4日火曜日

猫もそろそろにゃんげんになります。

ここにいる猫さん達は 
進化して人間に近づきつつあります。

2人でなにを見ているのでしょうか。










にゃんてかわいい!
可愛すぎるう~!
このねこさん、なんかおっさんぽくないですか?

春まだき

立春が来て昨日は一足先に初夏のような暖かさ。
まいったなあ、もう私の嫌いな暑い日々が来るのかと思っていたら、なんのことはない、今日は一気に真冬の寒さ。
最近暖かいのでノラのチャアは物置御殿で寝ていなかったのに、今朝ビデオカメラを見ると、あんかの入った段ボール箱に丸くなって寝ている姿が久々に確認された。
様子見のためにビデオカメラを設置して、パソコンから見られるようにしてもらったので、わざわざ見にいかなくてもいいようになっている。
この暖房付きのマンション・シェッドはチャアのために壊れた物置をそのまま使ったものだけれど、時々他の猫さんたちもご利用になる。
餌も水もあって暖かくてノラ達の楽園となるかと思っていたが、今旬のチャアがナンバーワンのようで、彼の専用になっている。
チャッカリ屋の三毛猫ミッケは一番有利なポジションを確保するために、常に旬の雄猫に侍っている。
それで時々チャアの餌をこっそり先に食べている。
チャアがいないかどうか確かめてから、餌に口をつける。
なかなかの世渡り上手。
可哀相なのは大きな白猫。
かなりの実力者と見えるが、物事を荒立てるので私に追い払われる。逃げるとき悲しそうにこちらを見て鳴くのがあわれだけれど、もめごとを起こされてご近所に迷惑になるといけないので、やむを得ない。
ただでさえノラに餌をやるのを快く思わない人達が居るのを十分承知の上でしていることなので、なるべく物音を立てないようにノラの姿を見られないようにしている。
ところが余計なことをする人がいて、好意でやっているのはわかるけど、餌をまいていく人がいる。
それも目につきやすい人通りの多い道に面したところへ。
なるべく分からないように車の後ろでこっそり餌を食べさせているけれど、ご近所では周知のことと思われる。
なんで近所の人達はこんなことまで知っているのかとびっくりするほど、観察されているらしい。
父が亡くなったとき遺産の相続のことで、近所の人が私より先に内容を知っていたのにはびっくり仰天した。
私は驚いて「あら、そうなの」と聞いていた。
そのご近所の口さがないおばはん達もまだ寒くて表での立ち話も始まっていないが、これでもう少し暖かくなって啓蟄あたりから虫どもと一緒にゾロゾロ表へ現れて、又私の知らない私の家のことを教えてくれると思う。
私はそれで初めて私の家族のことを聞いて「あら、そうなの」と返事をする。
他人の家庭のことを知るのは、そんなに面白いことなんですかねえ。私にはわからない。
















2014年2月3日月曜日

筋トレの勧め

8月に体験トレーニングを受けて9月に入門。
運動嫌いの私が続くわけないと思っていたけれど、今のところ1ヶ月に3回くらいのペースでジムに通っている。
行くとトレーナーが、私のその日の体調や気分に合わせて、プログラムを組んでくれる。
スポーツジムの会員になっていたこともあるが、トラブルがあってやめてしまった。
ロッカールームでの仲良しごっこもいやだし、他の人達の自慢話も聞きたくない。
そんなわけで根っからの猫族の私は、いつでもマイペース。
たまたま通りかかった近所の小さなジムに入ってみた。
髪の毛の先をツンツン尖らせた筋骨隆々のおにいさん。
聞けば格闘技の選手だそうな。
それにしては優しそうな気の弱そうな感じだから、これは少しくらい我儘言っても聞いてもらえそうだと判断した。
それから半年、ナマケモノだから家では一切トレーニングなどしない。
それでも最近おや?と思うことがある。
足腰がしっかりしてきた。
この数年、立った状態でソックスがはけなかった。
片足立ちになると、バランスが取れなくてぐらつくので、座ってはいていたソックスを、最近は立ったままはけるようになった。
トレーニングは私にとってはかなりハードで、初めの頃は数日間は疲れが残っていたのが、最近はあまり疲れなくなった。
やっていることは体の各部分の筋肉を順に鍛えていくもので、腹筋、背筋などの強化。
外から丸見えのそのジムで、太った私の見苦しいトレーニング風景を見せられる通行人の苦痛はいかばかりかと思うものの、結構重たい用具を振り回しているのを見て、奮起するひともいると思うから、ステージにのっているつもりでやっている。
自己顕示欲の塊と思うなかれ。
これは啓蒙なのですぞ。
年をとると、周りの人が親切心から、手を貸してくれるようになる。
先日も生徒達とスキーに行ったら重い道具を皆が持ってくれようとするので、断った。
これが1人で持てなくなったらスキーはやめる。
高齢者に親切にするのは、体の不自由な人だけに限ったほうがよろしい。
今の年寄りは栄養状態もいいし、ただでさえエスカレーターや宅配便など便利で楽できるのだから、あまり親切さに頼ろうとしない方がいい。
とかなんとか言って私もつい人を頼る。
特に頭を使う分野では。
頼らないで1人で強く生きていくのが本来だとは思うけれど、そうするとかわいげの無いおばあさんになってしまう。
そこそこ可愛くてしかも強くて雨にも負けず風にもまけず・・・
そんなひとにわたしはなりたい。






























2014年2月2日日曜日

究極の難曲はモーツァルト

行ってきましたよ。
急遽頼まれた穴埋めの演奏に。
エグモント序曲、新世界は思ったよりずっと良く覚えて居て、初見に近い状態でもなんとかいけた。
問題は「ハフナー」
見た感じ、すっきりとした美しい譜面で、楽そうに見えてこれがくせ者。
昨日コンサートから帰って来た時にはすでに疲労困憊状態だったのに、楽譜が到着していたからどうしても全曲おさらいをしないと気がすまない。
ハフナーを最後に弾いたのはいつだろうか。
指がもつれる。作曲家名はモツレルトだったかな。
本番前のゲネプロが終ってからも楽屋でコソコソさらいっぱなし。
他の人がいても構うものですか。
本番直前までさらい続けた。
エグモントは気持ち良く弾いた。
しかしハフナーが終った時には、背中が汗で濡れていた。
新世界はまあ、こんなものかな。

帰り際に今日の指揮者のH氏の奥さんに出会った。
彼女は優秀なヴァイオリニストなのに、なぜ彼女にピンチヒッターを頼まなかったのかしら。
そう言ったら彼女は客席で聴きたかったからと言う。
私だって客席で聴いた方がどんなに気楽なことか。
その彼女もハフナーはすごく難しいのね、との感想。
よほどハラハラさせられたのかもしれない。
どんな作曲家よりも熱烈に愛され、演奏するのは誰よりも難しいと言われるモーツァルト。
一体何処がなぜ難しいのだろうか。
1音たりともゆるがせに出来ない、最小単位の音で最大の音楽が込められているから・・・でしょうか。

腕の疲れは限界に達していて、今日は早く寝なければと思いながら、それでもパソコン中毒者はこんな駄文をまき散らしている。
はい、もう寝ます。皆さんおやすみなさいませ。
















2014年2月1日土曜日

ベルリン八重奏団 黄金のピアニシモ

樫本大進(第一ヴァイオリン)
ロマーノ・トマシー二(第二ヴァイオリン)
アミハイ・グロス(ヴィオラ)
クリストフ・イゲルブリンク(チェロ)
エスコ・ライネ(コントラバス)
ヴェンツェル・フックス(クラリネット)
シュテファン・ドール(ホルン)
モル・ビロン(ファゴット)
横浜みなとみらいホール

このコンサートを聴くために、雪山からたった半日滑っただけで帰ってきてしまった。
こんなドジは生れて初めてというワケではなくて、しょっちゅうだから周りも驚いたりしない。
自分ではすっかり達観していて悟りの境地に入っている。

以前はベルリンフィルのメンバーと言えば、顔も名前も知っていたのに、さすがに世代交代が激しくて最近の人はとんと覚えられない。
樫本大進は最近リサイタルを何回か聴いたので、落ち着いたスケールの大きい音楽は、私の琴線に激しく触れるものがある。
初めて彼の演奏を聴いたのは東京フォーラムで行われたスマトラ沖大地震のチャリティーコンサートで、私は各オーケストラの選抜メンバーによって編成されたオーケストラの一員として演奏していた。
オーケストラに属していないフリーの私がそこに居るのもおかしいけれど、色々なオーケストラの懐かしい人達に会えてうれしかった。
それよりも初めてそこで樫本大進の演奏を聴いて、本当に素晴らしいヴァイオリニストが日本人から出現したことを知って、もっと嬉しかった。
それ以来私は彼の大ファンとなった。
しかし、その時には彼がベルリンフィルのコンサートマスターになるとは想像もしていなかった。
ずっとソリストとして行くのかと思っていたので、ベルリンフィルに入ったと聞いて驚いた。
世界の最高峰のオーケストラのコンサートマスターと言えば、オーケストラ経験の豊かな人・・・と思いきや、彼は経験無しでいきなりコンサートマスター、さぞや緊張の連続に違いない。
聞くところによれば他のメンバーからも愛され、試用期間中に協奏曲の伴奏をしていたとき、ソロに聴き惚れて出る場所で出なかったけれど、それでも他の団員たちが笑って許したそうだ。
オケマンは意地の悪い人が多くて、そんなときにはここぞといびるものなのに。

今日はみなとみらいホールの超満員のお客さん達が息をのむすばらしさ。
プログラムは
R・シュトラウス  もう1人のティル・オイレンシュピーゲル
モーツァルト    クラリネット5重奏曲
シューベルト    8重奏曲ヘ長調
シュトラウスは私も大好きな作曲家で、洒脱で、個性的でメロディーの美しさは蕩けてしまいそう。
そして私の「神様」モーツァルトのお馴染みの曲は、耳を澄まさないと聞こえないほどの繊細なピアニシモ。
満員の聴衆が吸い込まれるようにシンとなって聴いている。
鳥肌がたつ美しさ。
普段のコンサートでは得られない、心の奥底深い意識の中でたゆたうような、精妙な心の分野に分け入っている自分を感じた。
それは瞑想などで得られる心地よさと同じだった。
もう少し自分に文字での表現力があったら伝えられるのに、というもどかしさがある。
クラリネット5重奏が始まって1楽章では妙な違和感があった。
それはヴァイオリンとクラリネット奏者の微妙なテンポ感のずれ。
音の立ち上がりがクラリネットのほうが早い。
なぜかヴァイオリンがわずかに遅れて居る。
それはほとんど気が付かない人が多いかも知れないけれど、発音する一瞬がしっくりこない。
さすがの樫本大進もモーツァルトに臆しているのかと思った。
それが2楽章に入るとずれは無くなり、その後はもう渾然一体となって私たちをとりこにした。
こんな美しいピアニシモは今まで聴いたことがない。
これを聴くためにスキーを放り出したかいがあった。
休憩後も美しかったけれど、なぜかシューベルトの曲は私には全部「子守歌」になってしまうのです、ここだけの話ですが。