2012年5月30日水曜日

金澤希伊子リサイタル

ラヴェルのピアノと弦楽器による室内楽演奏会      津田ホール                                                                                              金澤希伊子(ピアノ)ジェラール・ブーレ(ヴァイオリン)管野博文(チェロ)                                                  金澤さんは1950年芸大卒というが2010年にCD「ラヴェルピアノソロ作品全集」をリリースされたという。世の中には年をとることを忘れたひとたちがいる。自分の道をまっしぐらに進んでいつのまにか数十年経ってしまっただけ。今日は美しいピンクのドレスが非常にお似合いで、ヒールのある靴でしっかりと歩いていらっしゃる。ピアノに向かえばもう全く年齢は忘れてしまう。ヴァイオリンのブーレさんはフランスヴァイオリン界の至宝と言われる方で、自由自在に楽器を操り、重力のない世界で遊ぶかのような薫り高い演奏。管野さんはそのお二人の間でしっかりと、しかもこれまた自由に豊かな音を紡ぎだす。素敵だったなあ。初めはヴァイオリンとチェロの「ソナタ」2曲目は「ヴァイオリンとピアノのソナタ」おしまいに「ピアノ三重奏曲」今日一緒に聴きに行った人はピアニストのОさん。彼女とは以前ピアノ三重奏を結成して長い間一緒に演奏していた。もう一人、チェロのМさんがメンバーで、私の頭文字がYなので「YМОトリオ」と称すれば「イエローマジックオーケストラ」と間違えて聴きにくる人がいるかもしれないから、そうしたら?と言ったのはОさんのご主人。長い演奏活動の中でこのラヴェルのトリオは一番よく演奏した。結成第一回目の草月会館でと、次は表参道のカワイサロン3回目はОさんの故郷の札幌で。カワイの時は弾いている途中でドレスのストラップが下がってきて、その上大きなイヤリングが外れかけて、ヒヤヒヤもので弾いた記憶が。今はもう笑い話で済むけれど、その時は真っ青だった。10年ほど続いたトリオもその後はそれぞれの事情でばらけたけれど、Оさんはまた一緒になにか弾きたいと言ってくださるから、私も年を取らない人になってもう少しがんばるか。やれやれ。

2012年5月29日火曜日

ノンちゃんのネコ

メタボなお腹、怠惰な姿勢。モデルは私です。

のんちゃんからの贈り物

のんちゃんこと田畑純子さんから、ネコのぬいぐるみが届いた。のんちゃんは日生劇場バックステージ大賞を受賞した人形作家で、福島の震災に遭った子供たちのために沢山のぬいぐるみを作って送り続けている。子供が抱っこした時に気持ちが良いように良い生地で作りたいと言うから、私もアンゴラと絹の大きなコートを提供した。それからは沢山の人形が出来たと言う。お役に立って嬉しかった。そして送る前に人形展が開かれたので見に行った。なん十体ものきつねや馬、猫などの動物のぬいぐるみ。それが被災地に行って子供たちの心をいやすことになれば、コートの一枚や二枚惜しくはない。その時にのんちゃんが約束してくれたのは、私に猫を作るということだった。ノンちゃんの作るお人形はほっそりとしているので、私のように太ったのを作ってほしいと言ったら、ちょっと困っているようだった。沢山作るので生地が足りないのと、抱っこした時に子供が扱いやすいようにというので、ほっそり体型がきまったらしいので。それで今日届いたのは見事な洋ナシ型の体型。しばらくそれを見て笑い転げてしまった。はいはい、私そっくりです。お腹がしもぶくれ、真っ赤なお鼻にしましまもよう。お礼の電話をすると「今山にいるの」と言う。山というのはのんちゃんの軽井沢の別荘で、雑木林のなかにおとぎ話に出てきそうなかわいい家が立っている。そこのリビングルームでヴァイオリンを弾くと、ステキな音がする。二階に絵本作家のご主人の書斎があって、そこにあるクレパスと画用紙を失敬して絵を描かせてもらったりしたことも。たまに遊びに行っていたのが、このところピアニストたちのお勉強熱に引きずられてさぼることができない。今年はまだ一度も行かれないのが残念。せっかく折り畳み自転車を持って行ってそこらじゅう走りたいとおもっていたのに、残念なことになっている。ノンちゃんの猫は今、昔からうちに居たかのようにお腹を突き出して、どたんとデスクの上でふんぞり返っている。見るたびに「よう、同類」と言って笑いが込み上げる。ありがとう、のんちゃん。

2012年5月27日日曜日

空の誘惑

スキーは長年やっている。スキューバダイビングも少し前までやっていた。馬にも乗る。けれどスカイダイビングだけは恐ろしくてできないと思っていた。だから戦闘機に乗って地球が丸く見える所まで行ってみたいと思ったけれど、身長の制限があるらしい。どうしてだろうか?この映像を見ているとやはり、乗ってみたい。地球が丸く青く見える。宇宙船に乗っている気分が味わえそう。一昨年チベットで高山病にかかったので高いところは怖い。でもジェット機なら大丈夫。そのうちスカイダイビングもはじめそうな気がする。インストラクターと一緒なら出来そうな気が・・・危険!怖い物見たさのじゃじゃ馬だから。

2012年5月26日土曜日

東京交響楽団第600回定期演奏会

モーツァルト「ハフナー」 マーラー  「大地の歌」 指揮 ユベール・スダーン   メゾソプラノ  ビルギレット・レンメルト   テノール イシュトヴァーン・コヴァー                                     「ハフナー」はやや鮮明さに欠ける響き。というのは軽さを出そうとしてか妙に音を抜く演奏で、モーツァルトは意外と骨太のしっかりした男性的な音楽であるために、ヒラヒラ演奏しては明快さが出ない。ひじょうに音の分離が悪く、会場の響きに飲み込まれてしまったようであまり面白くはなかった。そして「大地の歌」これは名演。マーラーの音楽はいつも境界線上にいるような不安定さがある。生と死、恍惚と不安、極彩色とモノトーン、理性と狂気、その狭間を行き来しながら織りなす世界だから。底に流れる死の恐怖と絶望的な孤独感。メゾソプラノのレンメルトの豊かな声は、声楽的というより人間の声を楽器と同等に扱っているようなこの曲で、オーケストラと見事に一体となった感がある。交響曲といっても歌曲が連なった「大地の歌」ではあるが、オーケストレーションも多彩で、グロッケンシュピール、チェレスタ、ハープなどのきらめきが素晴らしく魅力的。木管楽器やコンサートマスターそしてチェロのソロも素晴らしかった。指揮者はどうやらオケのメンバーからは好かれていないらしいが、とてもいい指揮者だと思う。今このオーケストラにいられたら、幸せだったかなとも考えた。中学生の頃東響の演奏を聴いて、このオーケストラに入りたいと思った。夢を果たし入団して、その後自由を求めフリーとなってしまった。ずっとオーケストラに居たら、今日の私はいなかったと思うけれど、やはり一番好きなのはオーケストラ。10年ほどだったけれど沢山の演奏のスキルと人脈はこのころに養われたもので、いまでも私の力強い人生の味方となっている。

2012年5月25日金曜日

ヴィーラント・クイケン バロックチェロリサイタル

ヴィオラ・ダ・ガンバ、バロックチェロ奏者。指揮者。武蔵野市民文化会館にて。 プログラムはバッハの無伴奏チェロソナタ 1番、2番、5番。 友人Sさんとそのお姉さん、それに二人の素敵な紳士と5人でコンサート前に軽くビールを飲んでから会場に向かった。三鷹駅からブラブラ歩いて約10分ほど。ビールの酔いも回っているしお腹もいっぱいだから絶対寝てしまうと思っていたけれど、一曲目は無事に覚醒して、柔らかい耳あたりの良い音に聴きほれた。バロックチェロの表現力はどうしてもモダンチェロほどの幅はないけれど、力任せに弾いたり歌いすぎたり力むことなく淡々と、いわば幽玄の世界に入って行く。なんという心地よさ。むしろモダンチェロよりも内面の深い所で共鳴するような響きがある。それで、2曲目は例によってぐっすりと眠ってしまった。いつも他人の演奏をきいていて思うのは、聴くのは弾くのと同じくらいエネルギーがいるということ。私はコンサートの曲全部をまともに聴くと疲れ果ててしまう。だから途中で寝ることにしている。というのは言い訳。実は暗くなって心地よい音がしてくると反射的に寝てしまう悪癖がある。このためにどれだけの名演を聴きそびれているかと思うともったいない。ただ、眠れる演奏は良い演奏だと思っている。時々ハラハラして眠れないこともあるから。クイケンさんは小柄な一見学者のような風貌で、自分の世界に埋没しているようだ。殆どニコリともせず、静かに出てきて静かに帰る。奇を衒わず忠実に音を再現しているだけさ、といったような声が聞こえてきそうな。古楽器を演奏する人に共通しているのは、むやみに叫ぶような演奏はしない。楽器自体がそのような演奏には適していないし、そういう演奏がしたければモダン楽器を使うことになる。以前バロックヴァイオリンの奏者から「本当にリラックスしますよ。あなたもやってみませんか」と言われたことがあった。そうかもしれない。私は弾く身としては、やはりモダン楽器の方が面白いと思っている。でも、人それぞれ。どんな世界に居ようと、その道に邁進する人には尊敬と感動を覚える。

うれしいコメント

このブログにコメントが出来ないと言う苦情があるけれど、でも、思いがけなくコメントが寄せられることもあるので、それはなんのせいなのか良くわからない。身近な人を登場させる場合、ご本人のプライバシーの事もあるので実名は避けているが、ご自身のブログで名前を出しているFUMIKOさんなどはそのまま使わせていただいている。それから、著名な方たちも実名を出すので、名前がヒットしてこのブログに来てくださる方もいらっしゃる。そんな中で本当にうれしいコメントが寄せられた。レイナさんとおっしゃる沖縄在住の方で、今沖縄で暮らしておられるかつての東響のコンサートマスターの鳩山寛さんのお孫さん。鳩山さんの猫が沖縄に引っ越すときに行方知れずになり、その後見つかった話などを大変喜んで読んでくださったらしい。鳩山さんは私がオーケストラに入った時のコンマスだった。タングルウッド音楽祭にミルシュテインなどと参加された、当時の天才ヴァイオリニストで、私がお目にかかった時にはもう大ベテランでいらしたけれど、新入りの私を少しも偉ぶるところもなく受け入れてくださった。入団直後からカルテットやほかの室内楽でもいつも身近で演奏させていただいた、いわば大恩人。入団テストの時の私の音がお気きに召したとみえて、テストが終わると「その楽器はなんですか。ほうフレンチですか。いい音がしますねえ」とほめてくださったので、猛烈に緊張していた私には天にも昇る心地がした。その後は室内楽のあらゆる分野で常にご一緒できる光栄に預かっていた。一番すごいと思ったのは内声部の弾き方。鳩山さんはコンマスにも拘わらず、よく第二ヴァイオリンやヴィオラを弾いてくださった。鳩山さんの内声部は、第一ヴァイオリンがほとんど掌に乗せられて弾かされてしまうという名人技だった。それで私も内声の弾き方を学んだといってよい。よく、第二ヴァイオリンやヴィオラは伴奏のように弾いてしまうことが多いけれど、鳩山さんの内声部は自由自在に歌い、それに乗って外側が出来上がる、ファーストヴァイオリンが楽々と弾き、歌える。それは天性の音楽性と、なにもかもわかったうえで演奏する凄味でもあった。オケで私がサイドで弾くご使命を受けると、いつもそのパートにいる人が猛烈にあたりちらすので、大変だったことも。最後にお目にかかったのはつい最近、沖縄にお訪ねした。玄関を入るとヴァイオリンの早いパッセージが聞こえて、足は悪いものの手の衰えは全く感じられなかった。この次お目にかかる予定はないけれど、前にご一緒させていただいたメンデルスゾーンのカルテットの楽譜を人に託して送ってくださった。その時第一ヴァイオリンを弾いた私に向かっての言葉「あんた、この演奏は売れるよ」おかしいでしょう?

2012年5月24日木曜日

ダークダックス

音楽家で舞台に立っている人たちは、私を例外にして、みなかっこいい。さっき「徹子の部屋」に「ダークダックス」のぞうさん、げたさんが出ていた。私よりも若い人はこの名前ご存知ないかもしれない。4人の男性コーラスで日本の男性コーラスの先駆けみたいな人たちだった。本当はもっとうまいコーラスもいるのに、慶応出身の垢抜けた育ちの良さそうな風貌と、品の良さが一番人気の元だったようだ。レパートリーもお茶の間で聴いても恥ずかしくないような模範的な歌ばかりだった。まあ、それはテレビ向きにだったかもしれないが。ただし、ハーモニーは私が感じるには、あまりピシャッとあっているようには聞こえない。摩訶不思議なハモり方をする。あっているようなあっていないような。以前は私もテレビの仕事をよくやっていたから、同じステージで聴くこともあったけれど、いつもちょっと首をひねって聴いていた。でも、合っていないとも言い切れない。これでいいのかなあ、という風だった。後に「デュークエイセス」が出てきて聴いた時、あ、すごく合ってると思ったから、やはりあまりハーモニーとしては良くなかったのだろう。ふたり欠けてしまって、今日はバリトンのゲタさん、バスのゾウさんだけだったが、二人とも背筋のまっすぐさ、目の輝き、顔の表情の豊かさ、いずれも人前に立つ人の条件をいまだに備えている。今81歳だそうだけど、本当に若々しい。音楽は人を年取らせない。いつまでも青春時代にすぐに戻れるのが、音楽の力。私も今や若いころのスリムさはすっかりなくなり、立派な洋ナシ体型になった。もう一度ひょうたん型には戻れないにしても、後せめて3キロは痩せないと、と思っても中々できるものではない。けれど、ダークダックスのお二人はいまだにきちんとウオーキングやストレッチを欠かさないと言う。こういう人たちは、だから仕事でも生き残れるのだと思う。それにしても司会の徹子さんも凄い。顔にしわ一つない。滑舌も一時期ちょっとろれっていたこともあったけれど、最近また持ち直してきた。「思い出のメロディー」という番組があった。以前は毎年のように出演させてもらっていたけれど、たった一曲のヒット曲しかなくて、しかも何十年も経って出てくる人が、体型も顔も殆ど変っていない人が多いのには驚かされた。いつ出演依頼が来てもいいように待機していたのかと思うくらい。中年になった私がブクブクと太り始めたころ、ちょっとお姉言葉の男性ヴァイオリニストに言われたことがあった。「あのね、太ったらだめよ。テレビ映りが悪くなるでしょ」太っていなくったって映りは悪い。でも、先日若いころ出ていた番組のDVDを見たら、多少は可愛く映っていた。ああ、若さは偉大だなあ。にも拘わらずダークのお二人のように年取って益々素敵になる人もいる。この辺が根性の違いか。

2012年5月22日火曜日

傍目八目

開店当初からステージドレスを買っている専門店の「メイミィ」今日はバーゲンのお知らせを受けて、ヴィオラのFUMIKOさんと誘い合わせて行ってみた。この5、6年くらいはいつ引退してもおかしくないから、もう、ステージドレスを買うのはやめようと思っていた。古いものを着まわしてなんとか凌いでいたけれど、ここに来てまた演奏する機会が増え始めた。去年は友人のドレス探しに付き合うつもりだったので店に入るなり「今日は買わないで見るだけよ」と宣言して買わずに我慢。でも、帰りの電車の中で、どうしても気になったロイヤルブルーのドレスを「明日見に行くからとっておいて」と電話してしまった。結局お買い上げとなった次第。いつもこのお店に来ると、傍から見て似合うものと、自分の選ぶものが多少ずれていることに気が付く。最初に女主人から薦められたドレスを「趣味じゃないわ」などと拒否しておきながら、結局最後に試着してみると意外に、それが一番似合ったりすることが多い。今日もそうだった。私の好きな色はブルー系なので、暖色系は殆ど持ち合わせがない。ところが今日お店に入るなり勧められたのが赤みがかったバイオレット。今までそんなことはなかったのに、今日は強く薦められた。どう考えても自分で選ぶ色ではないけれど、そういえば今年に入ってから、なんだか明るい色のものを着たくなっている。気持ちが穏やかになってきたのか、顔色が変わってきたのかわからないが、なぜか今まで見向きもしなかった花柄なども気になる。それでも絶対買うことはないだろうと思うけれど、どうした心境の変化か、または単に年をとっただけなのか。去年からの沈んだ気持ちを切り替えたいからか。初めは着たこともない色だからと言って断ったけれど、結局一番よかったのはその色。若いころはブロンズやグレー系を好んで着たのに、今そんな色を着ると顔色がくすんでしまう。悔しいことに、FUMIKOさんはモデル並みの体型で、しかも私よりずっと若い。彼女が選んだのはモスグリーンのぴったりとした細身のドレス。渋い色が似あうのはまだまだ若いからなのだ。私だってそういう色とデザインが似合った頃もあったのさ。しかも、もっと悔しいことに彼女は赤も良く似合うのだ。これって、結局・・・?

2012年5月21日月曜日

Jinngle-cats

今朝は金環日食見ました。ちょうどここ神奈川県の某所では東に向いたレッスン室の窓から、その時刻になると日が差し始めた。初めは目をやられるといけないからとピンホールでの観測にしようと思っていたら、ふと曇りがちな太陽に目をやると一瞬周りに輪の出来た太陽がおぼろげに見えて、幻かと思うくらいの見え方だったけれど、でもあれがそうだったらしい。アラスカで壮大なオーロラを見た時のような感動はなかったけれど、100年に一度くらいの金環日食に遇えたのは、幸運でした。今朝珍しく散歩に行こうと外に出たら、公園にカメラをセットしている人たちがいて、ああ、今日は日食だと思い出したほどの関心しかなかった。宇宙のしくみを知るのは好きだけど、現象にはあまり趣味がない。だから星座は見てきれいとしか思わないし、日食もあら隠れちゃったくらいの興味。歩きすぎると足が痛くなるから途中でやめて、残りのエネルギーは家で猫踊りで解消することにした。昨日まで聞いていたベトナムの楽器は今日は猫の声を集めて作ったクリスマスソングに変更。そもそもこのCDはプロの音楽エンジニアだった男性が自分の飼い猫の声を集めて録音し、クリスマスパーティー用に組み合わせてジングルベルを作ったのが始まり。それが地元のラジオから流れると大評判になり、ネコと仕事ができたらいいなと考えていた製作者は、それから1000以上の声を集めた。自宅の9匹の猫と一匹の犬、それに近所のノラたちの協力で出来たこのCDは、日本でもいまから20年くらい前から評判になって、クリスマス時には毎年どこかのCD売り場でながれている。猫の声が流れた途端私の動きは猫っぽくなる。クネクネと身を捩じらせ、髭の手入れをする。耳の後ろを掻き、大あくび。こうしてみると猫の動きは結構全身運動なのだ。猫体操なるものを考案して売り出そうかな。

2012年5月20日日曜日

ディートリッヒ・フィシャー・ディスカウ

昨日夕刊を開いてアッと声をあげた。訃報欄にディスカウの死亡が報じられていた。ディスカウは私にとってのまさに青春のシンボル。中学生の頃は家には全く教科書を持ち帰らない学生だったから、当然予習も復習もしない。試験勉強もしない。空っぽのかばんにお弁当や上履きなどを入れて行くだけという、まさに落ちこぼれだった。学校は大嫌いな女子校だったので、エスカレーター式に高校、大学に行けたのに、中学でやめてしまった。家で勉強しないから時間はいくらでもある。学校から一目散に帰ると真っ先にレコードをかける。まず、モーツァルトの「シンフォニー40番」それからマーラーの「なき子を忍ぶ歌」もちろんフィッシャー・ディスカウが歌っている。そのあと次々と「冬の旅」などを聴いていたので親は非常に心配して、なんだか訳の分からない娘を気味悪く思っていたようだ。「なき子を忍ぶ歌」と「さすらう若人の歌」はワンセットで私の中にインプットされ、後のマーラー大好き人間を形成していく。脇道にそれるが、シンフォニーの1番を初めて聴いたのは大学生の時、N響の定期演奏会で。ホルンがが曲の中で一斉に立ち上がっての演奏は、見た目にも華やかで音もすごかった。マーラーの「巨人」と「なき子」「さすらう」は私の中ではベストスリーに位置する。そこで重要なのがディスカウの役割だった。もしこれらの歌曲の歌い手がディスカウでなければ、私はこんなにも歌曲にのめり込むこともなかっただろう。心の奥深く染み入る深みのある美しい声と感動的な表現力、何よりもドイツ語の美しさを教えてくれた。このような歌手にふたたび会えるのはいつの事か。最後に日本に来たときは声の調整に苦しんで開演がとても遅れた。肌寒い中、表でじっと列を作って開場を待っていた。この人でなかったら待つこともなく、さっさと帰ってしまったと思う。私の中の青春が消えた・・・大げさでなくそう思った。100年に一人のバリトン歌手、そう呼ぶ人もいる。しかし、これほどの歌手というより音楽家としての巨人は、この後どのくらい待てば現れるのか。中学生の多感な心にこれほど深く入ってくる人は、もう私は会えないと思っている。シューベルトを演奏するときは、彼の歌を思い出す。ディスカウならどうやって歌うだろうか。どこで息をとるだろうか。ヴァイオリンは歌と一体になれる楽器だと思う。それで私はヴァイオリンが大好きなのかもしれない。

2012年5月19日土曜日

豚の踊り?猫の踊り?

先日音楽教室「ルフォスタ」で見つけたCD「Tha landskape of my dream] ベトナムの楽器トルンを演奏するのは、小栗 久美子さん。 ピアノは教室の講師の森川 拓哉さん。ヴァイオリン(?)の先生。実は森川先生はジャズヴァイオリンの講師なのに、ピアノも非常に達者。この教室の講師陣はみな現役バリバリで演奏活動をしている。音大出て演奏活動もしないうちから先生として教えるなんていうのは、少しおかしいと私はおもっている。音大卒業は出発点。どんなに技術があっても、演奏活動で得るものは桁違いに大きい。それをしないうちに先生として人に教えるのはいかがなものか。だから普通の学校の教師も、社会経験もしないうちに生徒を教えられるものかは、大変疑問に思っている。時々とんでもない教師が新聞沙汰になることがある。これも3年くらい社会経験を積ませて、OKとなれば採用すればいい。おっと、脇道にそれてしまったけれど、このCDで小栗さん奏するトルンという楽器は、竹を縄はしご状につるして叩いて音を出す。素朴ではるかな郷愁を感じるような、優しい音がする。たとえば木の葉のざわめきや風の音、小鳥の声、川のせせらぎなどともなんの違和感なく溶け込めそうな感じで、心に響く。好奇心から聞いてみたけれど、すっかり気に入って毎朝聞いている。今は紫外線が非常に強いから、お肌のために外に行く気はしない。それでたいそうな運動不足となっている。ダイエットで食べ物を減らしても運動しないから、遅々として進まない。そこで考え付いたのは、この音楽に合わせて踊ること。今想像してゲゲーッとなったでしょう、そこのあなた。まー、いいわ。初めは単純な音からはじまって、徐々に早くなってまた静まって・・みたいな起伏があるけれどそんなに激しくない音楽だから、これに合わせて柔軟体操代わりに踊ってみようと思いついた。それがとても楽しい。全部で30分強位になるか、結構汗もかくし、その日のコンディションによって自分で調節しながら楽しく運動する。まさか、奏者の小栗さんもこんな使われ方をされているとは、思いもよらないでしょう。私が痩せたら貴女のおかげです。ところで傍目にみたら私のダンス・・・豚の盆踊り?子猫のワルツ?どっちかにゃあ。

2012年5月18日金曜日

雹がふって地震がおきて

昨夜は雷、今日は急にパラパラと音がしたので外を見ると、目の粗い白いものが落ちてきた。雹だ。ひとしきりふってから晴天が戻ってきたと思ったら、地震発生。けっこう長い。そして今は強い風。最近毎日こんな具合にお天気が急変して、いつかどーんと大きい何かが来る予兆ではないだろうか。心配してもはじまらない。災害グッズを取り揃えていたところで、それごと吹き飛ばされたり、手元になくて間に合わなかったりすることもある。そしてこのだらしない私はどこに何があるかわからないので、必要な時にはグッズ類が見当たらない可能性の方が大きい。その中での優れものはセンサーライト。友人(ラーラママ)の家に遊びに行って、さんざんおしゃべりをして、あら、もうこんな時間。おいとまします。見送られて玄関を出たら、真っ暗。玄関先から門扉までかなり長いアプローチ。普通なら今どきの都会は周りが明るいから街灯が無くても見えるのに、そこの御宅は高い塀に囲まれた上、ジャングルのように木が生い茂っているから、ほとんど真っ暗。足で探りながら歩いてようやく門までたどり着いた。大げさな話ではなくて、毎日ここの住人はこんな真っ暗な中すたすたと歩いているらしい。私はもう慣れてるから、と言っても、木の枝が落ちたりして足を滑らせて寝たきりにならないとも限らない。心配だから、人に感じるセンサー付きの屋外用ライトをさがした。ちょうど条件を満たすものがあったので、送ってあげたついでに自宅用にも一つ注文。それは同じ形で一回り小さいミニタイプ。夜、家中の電気を消してしまうと、トイレに行くときなどにいちいち電気を点けるのは面倒。でも、暗がりでうち中に散らばったごみの山に足をとられるといけないから、玄関の灯りだけつけておく。それを一晩中つけておくのはこの節電時代もったいないから、きっと役に立つに違いない。今、ミニセンサーライトは十分その使命を果たして居る。かなり感度も良くて、我が家のように狭い家ならこれ一つで十分。乾電池式だからコンセントなしで使える。災害時には役にたつ。でもきっと、いざと言うときに電池が切れて役に立てられないのが私の運命。きっとそうなんでしょうね。

2012年5月17日木曜日

あなたはほんとにねこ?

いつも面白い動画を見つける人がいて、私は時々それを失敬してはnekotamaに転載させてもらっている。初めは窓の下で犬が吠えているのかと思ったら・・・この猫の一人芝居(一匹芝居?)でした。

2012年5月16日水曜日

身長が足りない

南アフリカのサンダーシティーで戦闘機に乗せてもらえるというので、そのサイトをドキドキ(読んでいるだけでアドレナリンが噴出)しながら見ていた。本気で旅行社に連絡して来年は絶対行こうと考えた。どれほど怖くてそれほど素敵か、かんがえただけでうっとりしていると、Q&Aのページがあった。そう、予算の事も知りたいし、乗るについてはふつうよりも健康状態などの規制が厳しいだろうと思ってはいた。でも、まさか・・・体重、身長まで規制があるとは。体重はすれすれで条件を満たしているけれど、身長が足りない。あと5センチ。私はとても小柄だけれど、若いころはこれほど低くはなかった。あるとき健康診断で身長をはかったら、とても減ってしまってビックリした。看護婦さんに「前にはもう少し高かったのよ」と言うと「そうよ、年とると縮んで来るのよ」こともなげに言われてしまった。ああ、悲しい。私の夢は宇宙に旅立つことだったけれど、私が生きているうちに一般的になるかどうかわからない。しかも莫大なお金がないとたぶん乗れないし、それなら多少高くても戦闘機に乗れるという、すぐ手の届くところにあるチャンスに飛びつこうと思った瞬間、夢はついえた。飛行機に乗るのが大好きで、数年前に全国を巡って仕事をするまたとないチャンスに恵まれた。数年の間年間往復30回、飛行機に乗った。そのほか個人の旅行でもよく乗っていたから、ずいぶん空中にいたことになる。かなり揺れても大丈夫。飛行機から降りるとすぐまた乗ってどこかへ行きたくなると言う呆れた体質だったのが、半引退状態になったら時々海外に行くときに乗るだけとなってしまった。戦闘機を見ていると、ほぼ垂直に近い状態で離陸していく。その時の体にかかるGはかなりのものだから、気分が悪くならないだろうか、それに耐えられるだろうか。でも、多分一回体験すれば馴れると思う。地球が丸く見えるところまで上昇してくれるらしい。アクロバット飛行もやってくれるらしい。身長の事だけ見ていたけれど、年齢制限もあるに違いない。健康ではあるけれど、来年には今より年上になるから、そのへんもたぶん引っかかりそう。本当に残念だけど、ほんの少しほっとしたような、複雑な心境。でも・・・飛んでみたい。カッパドキアで乗った軽気球くらいがあっているのかな。

やたら前向きの人々

私はほとんど馬鹿かと思われるくらい根っこのところが明るい。それでもたいそう落ち込むことも度々ある。世の中には常に前向き志向でありたいと思うのか、あるいは本当に前しか向けないのか知らないけれど、やたらに明るい人がいる。声がでかい、態度もでかい、顔もでかい、体ももちろん。道端で朝も早よから立ち止まって散歩仲間と大声で怒鳴る。ガハハと笑う。こういう人が私は一番苦手。幸い私の友人たちは繊細で穏やか。よくテレビのインタヴューなどで、元気な人が出てくる。大震災のときだって、災害に遭って1週間も経っていない人を捕まえてインタヴューする。そんな時に必ず「復興に向けて前向きに頑張ります」という人がいる。それ自体は本当にそう思って言っているのでしょうが、私だったらそんなこと絶対に言えないと思う。あるいはインタヴュアーが無理に言わせているのではないかと勘ぐってしまう。だって肉親や友人を失くし家は壊れて、前向きに生きろと言われても、それは無理でしょう。わあわあ泣き叫んで、暗くなると落ち込んで、目を泣き腫らして、それで一年は経ってしまう。去年からの一年間、絆だの、がんばれにっぽんだの、士気を鼓舞する言葉を並べ、芸能人がわんさとヴォランティアに出かけたけれど、いまだに原発事故の後のがれきを受け入れる市町村はほとんどない。本当に絆を感じるならそれらも国中で分担するはず。前向きだからもう悲しい地震も津波も忘れはじめている。忘れると言うのは本当に素晴らしいことで、もし、人がすべての記憶を保っていたら、気が狂うに違いない。けれど、まだたった一年、いくら私が忘れっぽいと言っても毎日思い出している。思い出すからどうだと言われればそれまで。あんただってなんにもしないじゃないかと言われればそれまで。でも女性を二股かけた芸能人が毎日トップニュースになったりするのを見ると、なんだか情けない。あんな男どうだっていいじゃない。それよりまだ災害地で苦しんでいる人たちのことを伝え、原発事故のその後を伝えてほしい。東京新聞は原発事故の詳細をずっと報道続けていた。でもNHKなどはもうほとんど特集も組まない。それは上の偉い人たちが政治家や東電とつるんでいるのでは?と疑ってしまう。いけしゃあしゃあと電気料金の値上げをすることもほんの少ししか報じられない。テレビ番組でもっとトップに持って来れば国民の機運も盛り上がるのに。盛り上げてはいけない事情でもおありかな?余りにも社会の裏の仕組みを知ってしまったこの一年だった。

2012年5月15日火曜日

雨の日

穏やかな落ち付いた雨の日。すこし肌寒い。猫たちは床暖房を復活してもらって、ぬくぬくと寝ている。「のんきでいいなあ、君たちは」と言ったら、「いやあ、これでもいろいろ苦労はあって」とは返ってこなかった。働きもせず人をこき使って生きる、世の中にこんな贅沢な生き物はいるだろうか。お金もないのに毛皮着て。あ、それは生まれつきだから仕方がないか。前に就職活動がうまく行かず、悩んで自殺してしまった女性の事を取り上げたことがある。その人が猫のような性格だったなら、まだ生きて楽しく暮らしていたに違いない。自宅は裕福だから、なにも無理に働かなくてもと思うのは、私も猫族だから。それよりも世間に受け入れられていないと言う敗北感、または、拒絶されているという寂寥感などが強いのだろう。とにかく悲しい出来事だった。生き急ぎ過ぎていたのだろうか。私は今仕事も激減しているにも関わらず、一生のうちでこんなに楽しいことはなかったと思える。仕事でヴァイオリンを弾くのも、それはそれで楽しかった。重いバッグを引きずって見知らぬ土地に仕事に行くのは、本当にワクワクすることだった。でも、本当に自分の好きな曲が弾きたくても、忙しく働いていると、おざなりの演奏になってしまう。とことん向かい合うヒマがない。演奏会当日までになんとか弾かなければならないから必死になって譜読みは必ず間に合うけれど、そこの先の色付けが希薄になってしまう。無事に終わってもなんとなく消化不良に陥る。今はそれほど長時間弾くわけではないけれど、じっと考える暇はある。以前のように目についたものをせっせと買うほどの経済力もなくなった。その代り、ゆっくりと人と付き合える。友人たちとの会話も時間に追われていたかつての自分なら、時計を気にしながら半分は上の空だったに違いない。食事もゆっくりできる。もともとせっかちの性格は治らないが、本もじっくり読めるようになった。そう、思い出した。若いころは仕事がひまだと見捨てられたような気がしたっけ。電話が故障しているのでは?前に仕事に行った時にヘマをしてほされているのではないか?と悩んだことを。こんなに余裕をもって対応できなかったなあ。そんな仕事がなかった時、かつてのオーケストラのコンサートマスターである鳩山さんに言われた言葉。「君ねえ、仕事が無い時には勉強するものだよ」 若さは素晴らしいけれど、苦しいことの方が多いかもしれない。雨の日につらつら考えたことなど。

2012年5月14日月曜日

ラーラちゃんと再会

先月ラーラちゃんの御宅にお邪魔した後、ラーラママから写真を一緒に撮らなかったから一緒に撮らせてほしいというので、今日もまた仕事帰りにお邪魔することになった。文京区の閑静な住宅街の一角にこれはビックリ、大木がうっそうと繁ったジャングルが。ベルを押すと槍を持った原住民が髪を振り乱し・・・と言うのは嘘で、日本では珍しいボロネーズという犬種のラーラちゃんとその乳母・・・いえいえ、こちらも負けず劣らずおひいさまのHさんがお出迎え。先日のnekotamaに、ボロネーズは日本で数十頭しかいないと書いたら、そんなことはないそうでもう少し多いらしい。約25年前に日本に数頭が入ってきたのが最初だそうだから、今はもうその子孫がずいぶんいるらしい。それでも希少種であることには変わりはない。先日の写真でご覧のとおり、フワフワで純白の輝く毛並。人懐こくて、お腹を出してゴロンとするのが、まるで猫のよう。私は動物好きだから猫も犬も変わりない。背中をカリカリしてあげると、気持ち良さげにトロンとするところなども愛らしい。驚いたことにラーラママはお料理も出来るのだった。前菜から始まって何皿ものお料理をご馳走になってしまった。ヴァイオリンを弾く以外に何一つしないと思っていたけれど、ラーラちゃんにお仕えしているうちにできるようになったのかしら。ドッグフードではなく、人間の食べ物、お豆腐サラダ、玉ねぎとプチトマトのサラダ、ジャガイモ、なすの茹でたものにアンチョビソース、そしてメインは肉とエリンギ、もう一つ名前を忘れたけれどキノコを炒めたものなど。先年亡くなったお母様のお仕込みでしょうが、結構な腕前には、わが目(舌)を疑った。とにかくどれもお世辞抜きでとても美味しかった。ところで先日の西條秀樹の名前、間違っていたそうで、西條のじょうは城だそうです。訂正してお詫びしておきます。Hさんはヒデキの大ファンでもあり、彼の仕事もしていたからえらいおかんむりで絞殺されるところだった・・・と言うのはまたまた嘘だけど。ビールとワインを飲んでほろ酔いで帰宅。ウフフ、ダイエット宣言からこの方、ロクなものを食べていなかったので、今日はちょっと自分を甘やかしてしまった。まっ、いっか。

2012年5月12日土曜日

お見事

川崎市教育文化会館は川崎球場の隣にあって、駅からは遠いし音響もあまりよくない。ロビーの感じもダサい。トイレもピカピカではない。正直言ってあまり期待はしていかなかった。嬉しいことに期待外れは外れ、上原彩子のラフマニノフも指揮者のサンットゥ・マティアス・ロウヴァリもオーケストラも全部素晴らしかった。ニールセンのヴァイオリンコンチェルトを楽しみにしていたので、すっかりがっかりして、でもせっかくだから行ってみようか、ほどの気持ちで出かけた。ぼろい会場にビヨンビヨンとハオッているピアノ。開演間際まで調律師が悪戦苦闘している。コンサート会場ではないから、ピアノなどもそれほどメンテナンスが行き届いていないのかもしれない。上原さんというのはチャイコフスキーコンクールの優勝者だけど、やっかみ半分の雑音も聞こえてくる。曰く、チャイコフスキーコンクールではヤマハから巨額のお金が寄付されたとかなんとか・・・。なんでもお金が裏で動いているのだから、と半分はさもありなんと思っていた。けれど、どうしてどうして、パワフルで輪郭のくっきりとしたメロディーライン、美しいピアニッシモ、彼女のオーラが全開。いやー、良かった。ピンチヒッターでこれだけの演奏ができるとは、手が痛くなるほど拍手をした。一曲目の「フィンランディア」も暗ーいトレモロの音がロシアの圧政を見事に表していた。でも考えたのは、このくらい音は会場が響かないのと、私の席の上に二階席がひさしになって出ているせいではないか。全部この席で聴くのは考え物。一曲終わって席を移動。指定席だから空いていても後から人が入ってくるかもしれない。だから曲の始まる直前に移動する。会場係りのおねえさんに叱られないように、こっそりと。後半シベリウスのシンフォニーは二階席に移動。これが正解だった。全部の音がクリアに響く。指揮者は25歳だそうで、痩せて燕尾服の丈が長すぎるようで、まるで借り物みたいで、一曲終わるとうなだれて引っ込んでいくのがなにか可哀想みたいだったけれど、とてもよかった。シベリウスのシンフォニーの最後静かに消えて終わるところで、指揮者も演奏者も微動だにせず余韻を残しているのに・・・知ったかぶりのアホが、敢えて言うけれどほんとにアホな輩が拍手をする。あれだけは許せない。私が王様だったらその場で縛り首に処したものを、ただの太ったおばさんだったから命拾いをしたわね。そこのあなた、そう、あなたよ。曲は知っていても音楽を知らないのね。

急遽ソリスト交代

今日は東京交響楽団の名曲全集が川崎教育文化会館で予定されている。ニールセンのヴァイオリンコンチェルトが演目にあるので、私のハリー・ポッター講読の先生であるルースさんからチケットを頂いた。ソリストは若いヴァイオリニストのヴィルデ・フラング。不勉強ながらニールセンは一度も弾いたことがなく、聴いたこともない。昼ごろハリー・ポッターを教わって、その時にチケットを受け取ることになっていた。ルースさんが会うなり今日のソリストがどうのこうの・・・と言いだした。早口の英語だからあまりよく聞き取れない。今年はイギリスに行くと言ったら、そのあとから彼女は情け容赦なく英語で話すようになってしまった。たぶん、ソリストがどうのだから素晴らしいと言っているのかと思ったらやっとわかる言葉イル・・イル?病気?それからちゃんと聞くと彼女が出られなくなってピアニストの上原彩子が出るという。チャイコフスキーコンクール一位の若手ピアニスト。曲目はラフマニノフのコンチェルト。この曲でも悪くはないが、ニールセンを聴くのをとても楽しみにしていたので、失望は大きい。仕方ない。あとでCD買って聴こう。川崎ミューザが工事中なので駅から遠い会場でオーケストラの団員たちも大変だと思う。ヴァイオリンくらいの大きさならいいが、チェロやトロンボーンなどはかなり重い。団の楽器は運搬車がはこんでくれるとしても、家に持ち帰った楽器は自分で運ぶことになる。体への負担は大きい。楽器を弾く、特にオーケストラでの演奏は大変な重労働で、体も神経もズタズタになる。そして仕事場以外でも自分で練習する時間はどうしても必要になる。過酷な仕事なのだ。今回のソリストは今日のために来日したらしい。せっかく来てリハーサルまでやったのに、出演不能となると、彼女が契約不履行となり、オーケストラもチケット買戻しになって、双方が痛手をこうむることになる。それに今回の指揮者はニールセンのために大変良く勉強したらしい。その努力も水の泡となる。私たちの職業は親の死に目に会えないと言われるが、現場にいなくては成り立たない。その現場に立てない事情となったら、どれほど辛いことか。もしかしたら・・・自分の死に目にも会えないかもしれない???落語のような悪いジョークです。

2012年5月11日金曜日

けやきホール

府中のけやきホールで室内楽のリハーサルがあるので、ご近所のチェリストSさんと一緒に出掛けた。彼と同じの仕事の時はどちらかの車で一緒に行くことが多い。駐車場代も一台分ですむし、ガソリン代も助かる。どちらかがとても疲れている時には疲れていないほうが車を出す。たいてい私の方が乗せてもらう立場になることが多いけれど、時々は私がお迎えに行くこともある。今日は彼はお疲れのようなので私が迎えに行くことにした。いつもはカーナビに情報を入力していくのだが、今日はSさんがいるから必要ないと判断。それに初めて行く場所でもないし。府中方面に向けて走り始めて間もなく府中の東京競馬場付近に来た時に「どの辺なんですか?」と質問された。「きゃあ、知らないの?だって、初めてじゃないでしょう」「でも忘れちゃった」どうしよう。何回か来ているから大体の場所はわかっているけれど、人に頼る性格だから、他の人が知っていると思うと自分では思い出そうともしない。仕方がないから路肩に車を停めてカーナビに入力することにした。ナビを使うつもりがなかったから、住所も電話番号も持ち合わせていない。「けやきホール」と入力。そして走り始めると右に曲がれと言われる。でも府中はまだまっすぐだけど・・・でもナビにしたがって曲がる。変だなあ。そのうち左手の方向なのに右に行けと言う。紆余曲折の末甲州街道に出てそこを右折と言われた時点でハタと気がついた。東府中にもけやきホールがあるのだ。そうそう、去年東府中のけやきホールでリハーサルが終わって外に出ると、表は雪景色になっていた。その時もSさんと一緒だったっけ。それにしても同じ府中市に同じ名前の「けやきホール」が二つあるのはまずいでしょう。今日行くけやきホールは東府中のけやきホールよりも古い。それでも新しいほうにカーナビをとられてしまっている。古いけやき頑張れ。本当に頼りにならない私のカーナビに愛想を尽かして、自力で行くことにした。行ってみれば何のこともなくたどり着いた。こうして頼らなくてもいいはずのナビに頼って、私はますます馬鹿になっていく。

2012年5月10日木曜日

西城秀樹

「徹子の部屋」に西城秀樹が出ていた。2回の脳梗塞を患って復帰するまでの涙ぐましい努力を語っている。若いころの映像も出ていたが、やはり並はずれた歌唱力と質の高い声と容姿が彼をスターにさせたのがよくわかる。今あれだけの声と歌唱力のある人を挙げようと思っても、思い当たらない。先日一緒にドラードギャラリーに行ったHさんは彼の大ファンで、彼のバックで弾くときなどは緊張しまくっていた。いつもは滅法社交的なのに、ヒデキの前に出ると声も出ない。それで一緒に仕事しているヴァイオリン全員が緊張してしまい、ふだんは賑やかな弦楽器族が、その日だけは皆妙におとなしくなってしまうくらいだった。なんで私まで緊張しなければいけないのか、よくわからないまま仕事を終えたものだった。そのヒデキも、もう50代。デビューしたころはアイドルに関心がない私は、ヒデキと野口五郎の区別がつかなくて、あれはどっち?と周りの人に聞いて顰蹙をかっていた。スタジオではまわりに関係者がいないとも限らないから、聞かれたら叱られてしまう。その頃はすこしもいいとおもわなかったけれど、今日見ていたらなるほど、彼も素敵になったものだと思う。年月を重ね顔に渋さが増して、私好みの中年になってきた。私は若いころから中年好みだったので、肌のつるっとした若者には全く男性を感じられない。すこし中年に差し掛かってくると、たいていの人はちょっと疲れたような顔になって、目の下にクマが出て肌がたるみかけてきて、そんな時が一番魅力的。禿もいい。ショーン・コネリーがカツラを脱いだ時から彼のファンになった。いさぎよくカツラをとれば魅力的な人はいっぱいいると思う。なによりもかぶっているのは女々しい。話が脱線したけれど、ヒデキも病気を経験してずいぶん自分の弱さがわかったそうで、そうなると内面に磨きがかかってくるでしょう。並大抵でない厳しいリハビリをこなしているという。努力してまだまだ頑張ってほしい。今日はひどい雷で、竜巻注意報が神奈川県にも出ていると言う。やれやれ、でも仕事に行かなければいけない。それでは行ってきます。

2012年5月9日水曜日

不穏な気候

先日ドラードギャラリーに行った時早稲田駅で待ち合わせていたら、相手のHさんもせっかちなほうだから二人とも早めに着いたので、予定よりも早くギャラリー到着。その直後ザーッと降ってきたのがなんと雹。これはつくばで竜巻が発生した日だから、こちらもひどく荒れた天気だった。それが、ただ天気が悪いと言うようなものではなく、地球が身震いして嫌な物を取り除こうとしているみたいな、そんな荒れ方。東北の大地震が起きた時、どこぞの知事が「天罰」と言う言葉を使って顰蹙を買ったけれど、最近の頻繁に起きる天変地異を見ていると、人間に対して天が怒っているのではないかという感が無くはない。今日も上空に寒気があって、雷、竜巻が起きやすいので注意だそうで、いったいどうやって注意をすればいいのか。午前中遠いところからレッスンに来る人がいるので心配している。まあ、午前中は大丈夫らしいが。季節は初夏で、一年の中で一番爽やかなはずなのに、今年は風薫るとはいかない。でも窓から見えるのは、家の前の桜並木がすっかり滴り落ちるような瑞々しい若草色になって、ベランダの向こうに生えている木も、窓からこちらを覗き込むように葉が伸びてきている。雨の日には殊に落ち着いた色調で目を休ませてくれる。人類はどこかでなにか間違えているのだろうか。自然の中で暮らしているものは、いつでも自然をそのまま受け入れなければならない。暑い時、寒い時、雨や風、雷や竜巻、すべて従順に受け入れるのが人間以外のものたち。でも人はそれに対して、暑ければクーラー、寒ければヒーター、土地を占領し、ハイテクを駆使して農作物も季節を問わず収穫し、遠い所へも超スピードで移動する。そのかわり、地球はズタズタ。かくいう私もぬくぬくと文明の恩恵に浴している。一度こうなったら後戻りをするのは難しい。せめて進歩のスピードを遅めないと、今に大変なことになるのではないかと皆、心の奥では感じているに違いない。絶滅してからトキを莫大な費用をかけて保護するより、絶滅させない方に努力をするべきだったのではと、誰もが考えるでしょう。だから、地球が壊れる前にこれ以上天を怒らせることがないように人は謙虚にならないと。ヴァイオリンしか弾けない人がなにをいってもゴマメの歯ぎしり、無力だなあ。

2012年5月8日火曜日

月例「弾く会」

またまたやってきました月例会。この年になってこんなに沢山弾くことになろうとは、思いもよらなかったけれど、なんといっても贅沢なのはピアニストが3人も、時によると4人もいること。初めはSさんと弾くことが多く、これからもずっと一緒に弾いて行きたいと思っている。Оさんは先日お母様を亡くされて長い介護生活の疲れがまだ残っていると思うけれど、ピアノを弾くのが何よりのご供養になるにちがいない、それで、前からいつかはきちんとまとめたいと思っていたリヒャルト・シュトラウスのソナタを一緒に弾いてもらうことになった。彼女はフランスの曲やこうした多彩な音が必要なものがお得意と見た。まだ少し元気がないけれど、ピアノを弾くときには生き生きしている。もう一人のNさんとは夏に松原湖のコンサートで「鱒」を一緒に弾いてもらうことになっている。どうです、この豪華絢爛なピアニストたちを独り占めできる素晴らしさ。所が今日はFUMIKOさんとショパンのソナタを弾く予定だったNさんが体調不良でお休み。いくら元気とは言え、決して若くはない我々はもう無理はきかない。判っていても人一倍勉強家の彼女は頑張ってしまう。それでFUMIKOさんは急遽バッハの組曲2番をソロで弾いた。今日初めて会場が我が家になった。今まではОさんの介護の都合で荻窪の御宅から遠いところに出かけることはできなかった。今日はうち揃ってお出ましになった。私はヴァイオリン弾きだから、スタインウエイなどおいていない。こうなると良いピアノが欲しくなる。でもスタインウエイを買うお金があったら良い弓を買うことが出来る。さあてね。どちらをとるかと言えばやっぱり弓でしょう。ああ、宝くじ当たらないかなあ。そしてもう一人先月から参加し始めた声楽のМさん。今日は台北で遊び過ぎて?声帯が腫れあがってしまったそうで、聴くだけの参加。それでも声楽家は居るだけで華やかになるのが不思議。今日はなにがなんでもあげてしまおうと「クロイツェルソナタ」を弾いておしまいにした。来月はプロコフィエフのソナ2番を弾くつもり。なんといってもベートーヴェンは巨大でまだまだ及ばないところがあるけれど、プロコは本当に明るくて楽しい。私は重厚なところがちっともないから、このあたりが一番合っているかもしれない。

2012年5月6日日曜日

ラーラちゃん初めまして。

早稲田のドラードギャラリーに石ころアートの展示を見に行った。作者のAkieさんには以前うちのたまさぶろうを石ころアートで再現してもらい、その出来栄えにビックリ!その時に一緒に友人のM・Hさんのワンちゃんのラーラちゃんのぶんもお願いした。ラーラちゃんはこのブログの一番最初の頃紹介しましたが、イタリアのボローニャ地方の犬種らしい。日本には数十匹しかいない大変珍しい子で、マルチーズより一回りは大きい。今日の展示会にはお馴染みのFUMIKOさんも合流して、二人の美女に挟まれて益々私のダサさが強調される羽目になった。Hさんは長い間よく仕事でお目にかかっていた。あまりにファッショナブルなのでタレントさんもしのぐほど。かたやFUMIKOさんも楽器をしょっていなければモデルさんかと思えるほどの格好良さ。その谷間で私はダサくて目立ってやろうと言う魂胆。絶対この二人は気が合うと思ったら案の定、初対面から全く違和感なく打ち解けていた。石ころアートの作者は小柄で優しい雰囲気の素敵な女性で、たまさぶろうの動画をお見せすると大変喜んでもらえた。本当にどれもこれも素敵で、動物の絵を描くのが上手い。欲しい絵があったけれど、先日2枚も絵を買ったばかりなので、今日は我慢をした。欲しくなったら注文して描いてもらえばいいのだと、やっと自分を納得させた。帰り道Hさんと乗り換えが一緒なので地下道を歩いていると、彼女の自宅がすぐそこだからラーラちゃんを見に来ない?とお誘いを受けた。そういえば、もう何年も前から見に行くと言いながら実現していなかったので、この際立ち寄ることにした。お父様は高名なお医者さんだったという彼女の御宅は高い塀に囲まれた豪邸。すでにご両親は亡くなり兄弟も独立して彼女が一人住んでいる。沢山の庭木に囲まれどっしりとしたおうちは彼女一人で住むには広すぎるようだ。それでも移住しないのは庭の木を切りたくないとの思いがあるから。ラーラちゃんは真っ白でフカフカ。高貴な家柄の御姫様にしてはテーブルに乗ったりするやんちゃ娘だけど、まあ、その愛らしさといったら・・・。良く言うことだけれど、飼い主とペットは良く似てくるという。Hさんとラーラちゃんは成程良く似ているけれど、飼い主の方は時々憎まれ口をたたくから減点、ラーラちゃんは文句なしにかわいーい。

ラーラちゃんです。

イタリアのお姫様のラーラちゃんはうちのたまさぶろうの許嫁です。
親同士が決めたので、まだ会ったことはありません。

ラーラちゃん、

http://db.tt/XvvhB85m

うちのたまさぶろうの許嫁のラーラちゃんです。いかにもイタリアのお姫様という感じですね。

2012年5月5日土曜日

カラスも進化するらしい。

「たまトラ」というサイトにあったカラスの動画。以前初めて見た時には一瞬カラスの着ぐるみをきているのかと思ったけれど、ボディーはまぎれもないカラス。カラスの動きと手と音楽とが見事にシンクロしている。なんでこんな手の込んだことができるのかしら。大変な時間と手間がかかっていると思う。カラスの絵を見ていたら、そういえば・・・と思い出して。

2012年5月4日金曜日

お手伝いに感謝

今日は連休にも拘わらず沢山のエキストラが西湘フィルの練習に参加してくださった。あとひと月強で第一回の定期演奏会の本番を迎える。今日は指揮者の松元氏も朝から見えて、せっかく沢山の参加者があるので、すべてのプログラムを弾いてしまおうというので、珍しく駆け足ではあったけれど、そろそろ全曲を通す練習もしないといけないから、これは意義のある練習だった。いつもだと彼の練習は細部にわたって一つずつ丁寧にこなしていく方法なので、今日は通して弾けてメンバーはすこし興奮状態だったようだ。しかし、どんなときにも興奮のあと半分は冷静さを保っていなければいけないと言われる。本当にいつも不思議に思うのはステージの上で弾いている自分と、それを冷たく見つめている自分がいる状態、これでないと演奏はただのカタルシスになってしまう。常に冷静に、しかも内部の情熱を表現しなければ観客に自分の気持ちが伝わらない。この辺が非常に難しい。これを何回もの練習が実現させてくれる。そのために繰り返し練習するのだから。そして今日は嬉しいことに私の元オケの仲間と生徒たちが練習に参加してくれたこと。みなさん遠くから喜んで?又はしかたなく?来てくれた。感謝感激。本当に良い子たちだなあ。(ほんとはおばさんたちだけど) 今朝は4時起きでいささか疲れた。昨日渋滞予報を見ると、東名の下りは7時台12キロ、8時から12時25キロと出た。今日は10時半から秦野で練習だから、さてどうしよう。それで思いっきり早く出ることにした。朝6時半出発。246号線をひたすら走る。のっけから事故を目撃した。バイクが前の車の前に出ようとしたとき、前日からの雨で路上が濡れていたため滑った。後続のバイクもハンドルを切って2台がそれぞれ転倒。怪我はなかったようだけど、バイクからガラスの破片が飛び散ったから、そのあと走れたかどうかはわからない。高速道路の渋滞情報では秦野付近でも事故があったらしい。東名はあきらめたけれど、2時間半ほどで秦野付近に到着。朝食兼読書で暇をつぶして時間調整をした。帰りも東名をやめたら今日はスムーズで、いつもは3時間はかかるのに2時間ほどで帰宅できたうえ、相模原付近で雨上がりのさわやかな空に半分くらいだけど、くっきりと虹が見えた。よく練習したご褒美かも。

2012年5月3日木曜日

先輩

音大の先輩がワルシャワフィルのメンバーとコンサートをすると言う。彼らが来日するのが遅く練習が少ないので一緒に練習してほしいとの依頼が舞い込んだ。それならと言うので今日初めてお目にかかって練習が始まった。土砂降りの雨が降っていて世田谷の御宅まで行く道の途中、多摩堤から見ると多摩川の水量は異常に上がっている。最近の亜熱帯様の雨は都内でもスコールのように降る。川岸の青いテントに暮らす人たちにはつらい季節になる。出水の心配、夏には暑さや虫などに悩まされ、冬は寒さに震える。働く努力が足りないなどと一言で済まされる問題ではない。格差があるのは社会としては仕方のないことかもしれないけれど、今の日本政治家が無力すぎる。その政治家を選ぶ私たちが無関心すぎると言える。訪ねたお宅はグランドピアノが3台、絵画や美しい家具が所狭しと置かれ、本棚には立派な装丁の分厚い本がびっしりと並んでいて、青テントの家との天と地ほどの差を見せつけられた。先輩のSさんは頻繁にコンサートで演奏されているので、本当に素晴らしい音楽家であることは弾き始めてすぐに納得した。全部のフレーズがきちんと把握されていて、ただやみくもに指が回るとか音が大きいとか言うのではなく、すべてわかったうえで演奏できる人に出会えたことに感嘆の念を禁じえなかった。今日はベートーヴェン「スプリングソナタ」一曲だけお手合わせ。これからブラームス「トリオ」シューベルト「ます」モーツァルト「トリオ」など7月の本番に向けて徐々に練習を重ねることになる。昨日同じコンサートに参加する若い人とブラームス「ソナタ」を合わせた時、私は偉そうにこんこんと室内楽の心得などを教えたが、今日は先輩から演奏を通じて大きなことを教わったみたい。歳を重ねるのは本当にすごいことなのだ。私は技術的に水準の高い若い人たちと一緒に弾くことを好んでいたけれど、もったいないことをしていたものだと思う。これからの2か月間私の職業は泥棒・・・ただし音楽だけ盗むことに専念する。

2012年5月2日水曜日

買い物

昨日から次々にネットショップから物が届く。あらあら、いつの間にこんなに買ってしまったのかしら。ヤマトのお兄さんが何回も来てニコニコしている。さて、今日届いたのは矯正下着。このところとみにお腹周りが豊かになっているところに小耳にはさんだハリウッド女優が愛用していると言うもの。下着などのことは秘密かもしれないので名は伏せるけれど、とてもおしゃれさんからの情報。つけていても苦しくないというし、ドレスを着る機会が多いので重宝しそう。荷物を開けてみると、ストッキングの強力なものみたい。履くのに多少苦労するけれどなるほど、あまり苦しくはない。履けることは履けたけど・・・鏡にはやはりポッコリとしたお腹がたっぷり存在感を誇示していた。この鏡は中央部が拡大されて映るに違いない。でなければ、このように強力に締め付けられてもなおこれほど出ていられるわけがない。えーん、やはりもう少しダイエットに励まないとだめか。ショック。そして次の荷物は先日買った絵がとどいたこと。あまりにもがんじがらめにガムテープが巻いてあって、ほどくのももどかしい。初めにカラスのフレスコ画。やっぱり可愛いじゃん。続いて紫色の顔の絵。二つとも画廊で見た時よりも尚ステキ。画廊では所狭しと絵がひしめいていたので、それぞれの印象が薄れてしまう。でも、こうやって一枚ずつ改めて見ると、私の好みも中々たいしたものだと自己満足する。うちの壁は茶色の木目調なのでブルー系の色がとてもきれいに映るから、二枚ともちゃんと飾ればとても素敵になるけれど、いつもの不精が出てこれが中々実現しない。まず、金具がいる。それを買うのに多少時間がかかる。買ってきてから金具を取り付けるのに約ひと月。6月には壁に収まるでしょう。それまでは譜面台に立てかけられて出番をまっている。うちに来たのが因果とあきらめて譜面台でしばらく我慢してもらおう。

2012年5月1日火曜日

のんちゃん

のんちゃんこと保坂純子(ほさかすみこ)さんの人形展に行った。私たちはのんちゃんなんて気安く呼んでいるけれど、本当は恐れ多くも平成15年の日生バックステージ大賞を受賞した人形つくりの大家。アニメやテレビで知らないうちに彼女の作品は見ているかもしれない。この方も怪しい団体「雪雀連」の古いメンバー。初めて出会ったのは月山に春スキーに出かけた時のことだった。初めてお目にかかった時から、その泰然とした振る舞いは春風のよう。笑顔が優しく口調もゆっくりとして、包み込まれるような安心感を感じた。それ以来長いお付き合いになる。初めは何をする人か全然わからなかった。「雪雀連」は人のことを全く詮索しないし、誰もほかのメンバーのことを話さないので、その人が何をやっている人かわかるまでに時間がかかる。話の端々に話題になったことをつなぎ合わせて、ようやくどんな仕事をしているか見えてくる。それでも彼女がバックステージ大賞をとった時には皆大喜びでお祝いした。今日は東久留米の小さな喫茶店を訪ねた。あるある、沢山のお人形。主に動物でうま、きつね、ねこなど。そしてこの作品はこの後東北に送られ、被災地の子供たちをなぐさめるために、作ったのだと言う。そのために、手触りのいい上等な生地が必要というので、私もシルクとアンゴラ混合の生地をたっぷり使ったグレイのロングコートを寄付した。それが今日見たら大きな猫と小さな猫と何匹もの猫に生まれ変わっていた。私にも一匹くださるつもりだそうだけど、それは寄付に回すようにお願いした。のんちゃんはしかし見かけとは違う面を持っている。反骨精神、自由に対する情熱、おそれを知らない行動力。全く言葉のわからない国々へも一人で平然と出かけていく。不正や狡さを憎む強い意志などがあの春風駘蕩とした顔の裏側に隠されている。アラスカでスキーを楽しんでいた時のこと、私の前にのんちゃんが滑っていた。ゆるやかなカーブがあって一瞬前が見えなくなった。続いてカーブを曲がると、そこにいるはずののんちゃんの姿が消えていた。地面に突き刺さったストックと、残された帽子と手袋。滑落?私は震えて上手く声が出ない。一緒にいたメンバーが谷底へ救助に向かった。そして「生きてるー」という声を聴いたときは涙が出そうになった。本人は「ああ、今自分はアラスカの大地を滑り落ちているのだ」と考えながら落ちたそうだ。どこまでもおおらかな素敵な人なのです。