2018年9月23日日曜日

しゃんとしないと!

この2ヶ月近く、落ち込むことばかり。
もう涙も出ない。
だからあとは自分が真っ直ぐに生きて行けばいい。

家の中のゴミはずいぶん捨てたはずなのに、まだ余計なものが散らばっている。
全くなんでこんなにくだらないものを買ったのか、今思うと理解に苦しむ。

やっと一部屋・・・狭い部屋のガラクタは運び出した。
あとは小さい食器棚、ベッド、キャットタワー、テレビ台などに電子レンジ、トースターなどの家電を捨てようと思っている。
洗濯機も小さいドラム式のものに替えようと思っている。
それから壁紙の張替え、ドアを明るい色のものに替えるなどのリフォーム。
ハウスクリーニングをしてもらって、気分を変えたい。

先々月にキッチンの水漏れがして、シンクごと新しいものに変えたばかり。
こうなるとわかっていたら、そのときに全部いっしょにしたのにと思ったけれど、その時は知る由もなかった。
ほんの数日の差で運命がガラリと変わったのだから。

物に溢れかえる家は息苦しい。
そろそろ片付けようと以前から思っていたので、今度は本気でやることにした。
数葉の写真だけ残し、あとは処分。
子供の時のものはすでにない。
捨てられないのはモンゴルで馬に乗っている写真。
これは最後まで残そう。

衣類はまだ捨てられないものが多いから最後に捨てる。
タンスの引き出しにあるものは何年も開けてみなくても必要なかったのだから、中身を確かめずに捨てることに。
空いたスペースには必要な日用品を入れる。
いままですぐに取り出せるように床に置いてあったのが見苦しくて、それをしまうとまた何がどこにあるかわからなくなりそうだけれど、とりあえず部屋をすっきりさせたい。

猫と二人でちんまりと生きていくのには、ほんの少しの家具があればいい。
楽譜を整理して楽譜棚を軽くしたい。
古い使わない楽譜がたくさんあるので、欲しい人に持っていってもらいあとは処分と思うけれど、楽譜だけは普通のゴミにするのは忍びない。
私達にとって楽譜は演奏の命みたいなものだから、誰かに使ってもらえたら嬉しい。
古い書き込みや、めくるところが手垢でシワシワになっていていかにも使い込んだ風で、歴史を感じて感無量になる。

さて宣伝ですが
古典音楽協会第157回定期演奏会は9月28日(金)19時開演
        東京文化会館小ホールにて

ドイツバロックの名曲、よく知られた名曲がずらりと並びます。

ヘンデル:合奏協奏曲Op.6-5
テレマン:ヴィオラ協奏曲
バッハ:ヴァイオリンとオーボエの協奏曲
テレマン:組曲ドン・キホーテ(チェンバロ協奏曲は都合により変更)
バッハ:2つのヴァイオリンの協奏曲

ご来場いただけたら嬉しいです。




















2018年9月18日火曜日

ノンちゃん雲に乗る

家人が亡くなってやっと身辺整理が半ば片付いて、あとは10月の偲ぶ会の準備に取り掛かろうとしていたときにまたも衝撃的な知らせが飛び込んできた。
私の保護者のような存在だった人形作家のノンちゃんの訃報だった。
北軽井沢に彼女の別荘ができてから私は事あるごとにそこに泊まらせてもらい、一緒に買い物して食事の支度をしたり、のんびりと窓から林の木々を眺めて過ごした。
合鍵を預かっていたから、好きなときに友人と使わせてもらったりもした。

のんちゃんは人形作家の田畑純子さん。
10年ほどまえ、日生劇場の「バックステージ賞」を受賞。
表舞台を支える裏方の優秀な人たちに贈られる賞で、そのお祝いの席で私達はカルテットを弾いて祝福した。
のんちゃんの作る人形たちはトボケた表情で、私の家にある猫はメタボ猫とガリガリの痩せ猫。
メタボの方は私がデブ猫がほしいといったら、考え込んで作ってくれた。
まるで私のように洋ナシ型の体型。
もう1匹はスラリと痩せていて釣り上がった目がちょっと意地悪そう。

彼女の家はミノムシのような木の皮で葺いた壁と屋根。
年を経るごとに木の皮が膨張して隙間がなくなってくるのだそうで、雑木林の中にひっそりと佇む姿が絵本の中の家のようだった。
その家で私がヴァイオリンを弾くとのんちゃんは殊の外喜んでくれて、この家は貴女に継いでほしいのとずっと言われていた。
私もこの家が好きだったから、来年からこの家を受け継いで行く予定だった。
来月正式に手続きする予定で、先日の北軽井沢ミュージック・ホールフェスティヴァルが終わったときに「来月少し長めに泊めてね、猫も連れてくるから」と言ってお別れした。
来年からは私がノンちゃんをお客様としてお迎えして、おもてなししますねとも。

ノンちゃんは気性の強い真っ直ぐな人で、言い出したらあとへは引かない。
1人で言葉もわからない東欧の国に行ったり、勇敢で無垢な女性だった。
彼女が私を後継者と決めたら、私はそれを受けなければならない。
そしてこの家を次の世代まで守らないと・・・そんな風に思っていた。
けれどノンちゃんのいないこの家はなんと空虚なことか。
私が好きだったのは家ではなくて、ノンちゃんの「居る」場所だったのだ。

私はもうなにがなんだかわからないけれど、演奏は続けないといけない。
一昨日は代々木上原のムジカーザでバッハを弾いた。
その朝ノンちゃんの訃報を聞いて、倒れそうになった。
車の運転大丈夫かしら、それよりヴァイオリンは弾けるのだろうか?
体が小刻みに揺れる。
リハーサル、本番、なんとかいけた。
一緒に弾いたのはいつものSさん。

研究会の弾き合いをしている仲間のNさんとOさんも聴きにきてくれた。
終わってから打ち上げにさそわれたけれど、その気になれない。
他の出演者たちは若く美しい人ばかり。
華やかな席でしょんぼりできないから、NさんとOさんに付き合ってもらって食事をした。

Nさんは鋭い洞察力があるので、人生相談。
皆さん強く正しく生きてきた人たちだから、こういうときのアドバイスが本当に助かる。
今まであんなに笑いと幸福に満ちていた私が、この頃どん底。
でも私は本当に楽天的で良かったと思う。

樹木希林さんの訃報でテレビが大騒ぎ。
素晴らしい女性でしたね。
私も彼女のファンだったけれど、真っ直ぐに筋を通し、自分を客観的に見つめられ、ユーモアを失わない。
私の友人たちも皆、希林さんとたくさんの共通項を持っている。
芯の通った強い人たち。
こういう人たちと巡り会えた事自体が幸運なのだ。
今すごく逆境みたいな私の運勢も、なに1年もすれば又輝いてくるさ!と思う。
自分を見失わなければ、悲しみは遠のくし、幸運は自分で引き寄せられるし。

ちなみにバッハの演奏の評判は上々。
若い人たちが感動して涙をこぼしてくれた。
ノンちゃんの訃報はその時はまだ周囲に漏らさなかったけれど、私の悲痛な思いが伝わったのかもしれない。
悲しみや苦悩がなければ音楽は輝かない。
闇があってこその光。
少し大人の演奏ができたかも。
いい気になって段差でつまずかないようにしよう。













2018年9月15日土曜日

修羅場

気性が激しいからわけのわからないことが起きるとすぐにカッとなる。
家人が亡くなった先月から今月にかけて、今までやったことのない作業をしなければならないことが、すごくストレスだった。
日常の業務はおよそ社会性のないことで、自分の心のなかでああだこうだと模索しているのは楽しいけれど、いざ形のあることをしようとすると手も足も出ない。
書類を揃える、銀行口座の凍結、記帳、支払いの停止や開始など、ため息が出そうで本当に嫌だった。
けれど、これもやってみると、そう難しいことでもないとやっと気がついた。
だれでもがやらなければならないことだからとんでもなく難しくはないはずだけど、日頃地に足がついていないものだから、最初にパニックになるのがお決まりなのだ。

8月の初めころからの地獄のような日々は流石に堪えた。
面倒な役所通い、説明受けてもわけわからん、その間にコンサートの準備と練習。
脳みその使う部分が違うから、片方を考えるともう片方は考えることができない。
コツコツとやっていればやがて終わるとは思っていても、楽しくないことはやったことがない人生だったから、猛烈に嫌!が先にたつ。

貴女は我慢ということを知らなければだめよ!と友人に言われたことがあった。
忍耐が得意ではない。
好きなことならいくらでもやっていられるのに、嫌いなことは絶対にいや。
すべては末っ子に生まれて猫っ可愛がりされたせいなのだ。
末っ子というだけで病気とは良く言ったものだわ。

ようやく全ての事務処理の下準備ができて、これから最終的な段階へ入る。
ここでかなりホッとして、やっと人並な落ち着きを取り戻しつつある。
明日は代々木上原のムジカーザでバッハを弾く。
ピアノ(チェンバロ)とヴァイオリンのソナタの3番目の曲で、スケールの壮大さが気にいってたびたび弾かせてもらっている。
何回弾いても飽きがこないかわりに、弾けば弾くほど内側に深くなるという厄介な作品。
でもそれだからこそ面白い。
相棒はいつものS女史。

友人たちからポツリポツリと電話がかかってくるようになった。
最初のひと月はシーンとして皆さん遠慮してくれた。
パニック状態だったから平常心での会話はできない。
わかっていて、そろそろ正常になったかな?という頃をみはからっていたらしい。

今年のイグノーベル賞の受賞者もやはり日本人だった。
受賞対象の研究は、座ったまま大腸の検査のできる内視鏡。
実際の検査方法をステージで見せる様子(勿論着衣のままですぞ)はちょっといただけなかったけれど、ユーモラスな研究を日本人が得意というのが嬉しい。
ユーモアは洗練された文化から生まれる。
それを受ける方も知的能力がないと、野暮になる。
自分の言った冗談を説明しないと気が済まない人がいるけれど、あれは最高に野暮ったい。
そのイグノーベル賞の展示会?が後楽園で開催されるというので、見にいかない?とお誘いの電話を受けた。
毎年このブログでも楽しみに投稿させてもらっていたけれど、実際に目で今までの成果が見られるのは初めてなので楽しみにしている。

私が特に面白いと感じた受賞研究は「粘菌の研究」(2010年11月24日投稿のnekotama参照)
粘菌というのは森の中などで密かに増える動物とも植物とも言えない菌類。
放って置くと自分の餌にたどり着く最短のコースを見つけ出すそうで、なんだ、私よりずっと頭いいじゃん。
粘菌は見ることができるのかな?














2018年9月10日月曜日

北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァル

今年も北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァルに参加することになった。
本番は9月9日(日)昨日のことでした。
夏前にお話を頂いたけれど、去年のフェスティヴァルは天候に恵まれず最悪の条件となったので今年は参加を躊躇していた。
それでも数人の人たちが今年もやったらどうかと言うし、なんでもお手伝いしますよと言うので参加を決めた。

メンバーはいつもの雪雀連の演奏家たち。
楽器はヴァイオリン2人、ヴィオラ1人、コントラバス1人、ピアノ1人という編成なので、弾ける曲が限られてくる。
それでもチェロパートをヴィオラに移調したり、ヴィオラ2本のソロをヴァイオリンで弾いたり、悪戦苦闘してプログラムを作り上げた。

今年のプログラムは
  ヴィヴァルディ:四季より「秋」
  テレマン:ヴァイオリン二重奏
  バッハ:ブランデンブルク協奏曲第6番
  
  ドビュッシー:アラベスク第1,第2番
  グリンカ~バラキレフ:ひばり
  ロッシーニ:ヴィオラとコントラバスの二重奏曲ソナタ
  作曲者不明のヴィオラとコントラバスの二重奏曲
  ラヴェル:ボレロ

前半はガチガチのクラシック。
後半は彩り豊かに明るく楽しい曲を揃えてみた。
プロデュースはnekotama。
結構コンサートの構成を考えるのが好きだけれど、楽器の編成の都合上できない曲があるのが悩みのタネ。
ロッシーニの曲も本当はチェロとコントラバスの編成を、無理やりヴィオラ用に書き直してもらった。
作曲者不明の曲は本当はコントラバス2本で弾くものらしい。
バッハのブランデンブルク協奏曲6番は本来はヴィオラ2本用、それをヴァイオリンがしゃしゃり出て別の調子で弾かせてもらった。
ラヴェルのボレロはスネア(小太鼓)がないから、私がG音でボレロのリズムを刻んでみた。
そして思ったのは、このリズムをスネアがたった1人でピアニッシモで始めるときのプレッシャーは如何ほどのものかということ。
大きなホールの大編成のオーケストラの中で唯一人、よくまあ手が震えて叩けなくならないでいられるものだと思った。

打楽器奏者に尋ねると、皆震えるそうなのだ。
大編成のオーケストラの前に出されてただ1人、数千人の聴衆の前で注目を浴びて、私なら数ヶ月前からお腹を壊しそう。
聴いている人たちが想像もつかないような過酷なことが、オーケストラの中では起こる。
ボレロの中にトロンボーンのソロがあって、それはとんでもなくプレッシャーなのだ。
そのソロをほんの僅か失敗して自殺したヨーロッパのトロンボー(ン)ニストもいたくらいで。

今回のスネアのリズムはヴァイオリンで呑気に始めてみた。
もちろんスネアもトロンボーンもいないから、弦楽器だけの編成。
大編成なら多彩な音色の変化がつけられるけれど、家内工業、零細企業のわが楽団は弦楽器でしょぼく始まる。
それでもこの曲は受ける。
なにか動物的な本能を掻き立てるものがあるらしい。
ずっと同じリズムを刻まれると、人は忘我の境地に入る。
ラヴェルの天才たるゆえん。

去年は天候に影響されて高湿度のステージは地獄のようだった。
それでも本番が始まると雨がやんだ。
今年は当日未明までは土砂降り。
ところが明け方雨はやんで、本番の頃には晴れて青空と雲が見えた。
どうやら強力な晴れ女の私のおかげ?オッホン!
このホールはシャッターを開けるとダイレクトに庭になってしまうから、外気はお構いなく入ってくる。
屋根にどんぐりの当たる音がする。
外の街道を走るトラックの騒音も交じってくる。
コントラバスとトラックの音は周波数が同じレベルだから、同時に鳴ると区別がつかなくなるとはコンバス奏者の言い分。
ま、良いではないですか、秋の日のうららかな午後、トラックのエンジン音のBGM入のコンサートでも。

これから北軽井沢は紅葉で全山が燃えるように彩られる。
最高に美しい季節を迎える。
今回はコンサートのためだけで慌ただしく帰宅したけれど、来月は猫連れで長逗留をしようと、家主さんのノンちゃんと相談している。
1番のネックは我が家の猫。
きょう帰宅したら、放置され、すっかり怒り狂っていてシャーシャー威嚇された。
留守中餌をやってくれた姉は、一回も姿を見なかったとのこと。
連れていきたいのに、こんなに人見知りでは長距離のドライブや新しい環境に馴染んでくれないのではと心配している。
猫に紅葉を愛でる気持ちを期待できるかどうか。