2021年4月29日木曜日

箸が転んでも

数日前から治療しているのに口内炎はしぶとく口の中に居座っている。痛みは軽減しているし腫れも半分くらいになったけれど、口の中を指で探ると意外に広範囲で驚いた。その上喉の入り口にまで広がっていることがわかった。小さなクレーターのようなツブツブが喉の入り口で指先に触れる。口中の右半分がやられていた。

歯磨きが下手なのか、硬いものでも構わずガリガリ食べて歯が丈夫なのをいいことに頬張って・・・要するに行儀が悪いのだ。大家族の末席に位置してろくなしつけもされなかったから、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べるという自然兒で、それでおおらかに人生過ごせたところもあるけれど恥をかくことも多かった。

母が私に厳しく言ったことは「人様に迷惑をかけるようなことをしてはいけない」「挨拶はきちんと」これだけ。たった2つ。

学校から帰ってただいま!といっても「聞こえないからもう一度」大きな声ではっきり言わないといけない。人様に迷惑をかけない亊は、生きているだけで周囲に迷惑な存在の私には無理。それでもその2つは常に私の心に染み付いていた。私の友人たちはお嬢様が多く、皆さん優雅に振る舞えるのに私だけはがさつ。喧嘩っ早い、よく吠える、我慢できない、ルールを無視するなどは日常茶飯事。

そんなことを反省していたら高校の同級生から電話があった。私が一人ぼっちでいるからどうしているかと心配になったそうなのだ。本当にありがたい。声を聞いたら元気そうで安心したわと言われた。口が腫れているのに嬉しさのあまり元気な声を出していたらしい。しまった!もう少し暗い声で話せばよかった。同情されたかも。

彼女はピアノ科で、毎朝同じ電車で高校に通っていた。思えば毎日がバラ色で電車の中でもずっと笑いっぱなし。周りの人たちまで時々巻きこまれて笑うこともあった。同じ電車に乗ると車両も決めてあるから顔ぶれは同じで、別の大学の人とか会社員とかいつの間にか顔見知りになった。当時私が乗っていた路線は一部分が単線だったから一台乗り遅れると大変で、皆ほとんど毎日同じ時間に乗り合わせることになる。

ある時ゲルマンというあだ名のドイツ語の先生が結婚するという話になった。ゲルマンは中年になっても奥さんがいなかった。彼が結婚するというのでめでたくはあるけれど一体誰と?それが親戚の女性だった。私が「親戚にも余っていた人がいたんだ」というと目の前の座席に座っていた人が「ブオッホ!」と吹き出して周り中笑ってしまった。いつも会うおじさん。傘に名前が書いてあった。天森さん。傘が雨漏りでは役にたたないねなんてヒソヒソしていたら聞かれてしまったらしい。いつも気難しい顔をしていた彼の頬が緩んで、聞かれたと知った私達はひたすら謝った。

私達の通学電車はいつも笑いに満ちていた。電話をくれた彼女が、卒業してからあるコーラスグループのピアノ伴奏をしに行ったらどこかで見たような顔がこちらを見ていた。練習日が2,3回過ぎた頃話しかけられて「いつも電車が一緒でした」「いつ見てもずっと笑っていましたよね」と言われたそうな。

下車する駅の駅員さんとも仲良しで、電車が1分でも遅れると遅延証明書をもらう。駅員さんに、時間は書かないでねと言って。駅を出るとすぐにクローバーが咲き乱れる野原があって、そこで同じ電車の全員が牛乳なんか飲んで30分ほど過ごすと、やおら学校に向けてあるき出す。全員一緒でないと先生にバレるから抜け駆けはいけないという鉄の掟があった。もちろん遅延証明書には遅延時間40分と書き込んである。帰りは「先生、電車の時間があるので終わりにしてください、これ逃すと大変なんです」と授業を終わらせてもらう。

それがきかない先生だと窓からこっそりかばんをおろしておく。そして先生が黒板に向かった隙きを狙ってさっと廊下に飛び出すという作戦。これは時々失敗した。外を歩いている他のクラスの学生が「だーれ、こんなところにかばんおいているのは」と大声で言う。彼らはかばんが外にある私達の意図を承知のうえ。抜け出したときの達成感、急に生徒の数が減って驚く先生。こんなことばかりしていた。先生もお見通しだった。ときには「今日はいいのか?」なんて言われた。

今コロナの規制の中で言うことをきかない若者を見るけれど、一種の強がり、悪ふざけかもしれないなと思う。私達もなにも一刻を争って家に帰りたいわけではない。先生の鼻をあかすのが面白かっただけ。なにか決められたことを素直に聞くことはないと。それでも今回のことは世界中の人の命に関わるから、若者よ、素直になろう!今回だけはお願い。







 

2021年4月28日水曜日

気が緩んで

 コロナウイルスワクチン接種の予約が取れた途端、急に体調が低下し始めた。まず、鼻水が出て耳に痛みがあって、最後に口の中が痛くなった。病院で風邪の一連の症状として出たのでしょうと言われた。でも、もしかしたらコロナ?嫌な言葉が頭に浮かぶ。ここ数日経っても重症化しないから軽い風邪だとは思うものの、やはり心配は尽きない。それでもコロナの軽症患者のコメントをテレビで聞いたけれど、軽症といってもとても軽症なんて言えるような生易しい症状ではないそうだ。本当に怖い。やはり鼻風邪なんだ。

一番厄介なのが口内炎。ものを食べるたびに歯磨きはもとより、薬を飲むことと傷口の消毒をしなければならない。食べないでいようと思っても容赦なくお腹がすく。食欲があれば元気な証拠。猫を病院へ連れて行く目安は食欲で、食べているうちは大丈夫と心得ている。しかも昨日から無性に肉が食べたい。

なんで体調が低下したかといえば、少し無理かと思えるダイエットを始めたかららしい。体重管理は毎日の体重測定で行っているけれど、体型測定ができる器械は持っていない。毎日鏡に横向きに立って自分の目で確かめる。すると、そこに写っているのは食べすぎのたぬきか?はたまた巨大洋ナシか。たるんだお腹に鏡が歪んでいるのではないかと思う。

以前飼っていた三毛猫は鏡に自分の姿が映ると、後ろに回って他の猫がいるのではないかと探していたのが可愛かった。私も後ろに回ってそこに誰かがいると思いたい。それで膝にかかる負担も考えて1キロのダイエットに挑戦、クリアしたけれど、やはり無理に減らすと体温も低くなるし免疫力も落ちるらしい。体重が減ってから疲れやすくなってしまった。そこにコロナワクチンの予約騒ぎですっかり疲れてしまった。予約が取れた安堵感もあって、鼻風邪をひいてしまったというわけ。

本当は今日から北軽井沢に行く予定だったけれど、世の中の感染拡大がひどいのと少しまだフラフラするので今回は延期しようと思う。今一番春らしい木の芽どき。ベランダの完成の報告はまだないけれど、今のうちに下枝を苅っておこうかと思い、ブカブカのオーバーオールを用意してある。デニムのかわいい辛子色のオーバーオールは作業用に便利!というより、形から入らないとやる気がでないということもあって、先日買っておいた。あまりにもブカブカだから大きすぎない?と店員さんに聞いたら、こういうものはパーカーなどの上からも着られるようにダブダブなんです、と。裾は二つ折り・・・と言いながら私を見て、三つ折りにと修正しおった。サイズはXSなのに。

今朝は昨日よりも口の痛みが減って朝食はバリバリ食べられた。けれど、どことなくアンニュイな感じ。私だからアンニャイな感じ。ダイエットのために一食分は栄養機能促進というビスケットに軽くサラダとか、炭水化物を減らす作戦に出た。これはダイエットには適していたけれど、炭水化物は心の安定に欠かせないようだ。睡眠がうまくとれなくなり睡眠時間が極端に少なくなった。夜中に目が覚めるとスッキリしているからそのまま一日過ごしてしまう。元々ショートスリパーだったので、3時間も眠れば一日活動できてしまう。そのかわり、数日すると寝溜めに走らないと保たない。

それで常に夜中に起きている状態となってしまった。時々ご飯を食べると美味しい。満足する。このダイエットは成功率高いけれど、世の中とずれるから困ることもある。今朝まだ気温が低いのに薄い寝間着でパソコンに向かうとカードゲームを始めてしまった。始めるともう止まらない。寒くても震えながら続けていたら、立て続けにくしゃみが出た。なんでも限度というものを知らない性格が風邪のもとなのだ。








2021年4月27日火曜日

口内炎

数日前に軽い鼻風邪にかかって、最初は鼻水が出て耳が痛い、それはすぐに治ったけれど昨日から口の中が痛い。それで、ものが食べられない。でもお腹は空くから 我慢して食べる。そのうち口の中が腫れているのに気がついた。いつもならこの程度の腫れはすぐに引くけれど、治らない。舌で上顎の中をぬるりと探ると右側だけぶよぶよした触感があって、どうも広範囲に広がっているらしい。いつもの口内炎ならすぐに痛みが引くのに痛いままなので病院へ行った。

陽気な医師が「わあ、大きい。2センチ以上ありますよ」と嬉しそうに笑っている。「なにか揚げ物食べませんでしたか?」そういえば鶏の唐揚げとか焼き鳥とか、急に食べたくなって数日前に食べたっけ。私は計画的にメニューを決める方ではないので、食べたくなったものを食べることが多い。その時食べた唐揚げで口の中を傷つけたらしい。大きな口を開けてむしゃむしゃ5個くらい、食べたくなると集中的に平らげる。

薬をもらって来たので数日で治ると思うけれど、お腹が空くのに食べられないのはつらい。今餌がもらえなくて悲しいのら猫の気分。それでも食い意地は健在で、はちみつを溶かしたお湯をのんだり、フリーズドライの雑炊を作ったり、なんとか口に入れている。

唐揚げで口内炎になるとは思わなかった。熱々の揚げ物やからあげの衣の硬いところで口の中をきずつけることはよくあるらしい。時々口内炎になるのはそういうことだったのだ。歯が丈夫で硬いものも苦にならない。しかもこの数日唐揚げだけでなく日頃めったに食べないお煎餅まで食べていた。

近所のショッピングセンター内のブティックが撤退したあとに入ったのは、発酵食品や玄米などを扱う店。覗いてみると玄米や黒米などで作ったお煎餅があった。美味しそうなのでつい手が出てしまった。買った日に来た人たちに勧めたけれど誰も食べないから、仕方なくポリポリ、そのときにでも口のなかを傷つけたかも。日頃食べつけないお煎餅は思いの外美味しかった。やはり日本人なんだなとこんな時に思う。

ステロイドの軟膏と炎症を抑える内服薬を飲み始めたら早くも効き始めたらしく、今は傷口のブヨブヨした感触はなくなった。しかし食べられないし、たぶん免疫力が落ちているから外出は差し控えようと思っている。猫と一緒にじっと我慢。思えば去年から随分我慢に明け暮れる毎日だった。もう一息、コロナが収まるまでは。

コロナのおかげでインフルエンザにも罹らず、花粉症のことも忘れていた。もしかしたら口内炎は花粉症の後遺症かもしれない。この春、日本中の人が花粉症のことは忘れていたのではないかと思う。私もマスクと目深にかぶった帽子のおかげでくしゃみも出なかった。コロナで他の病気が減ったとは皮肉なこと。でも、ああもう、早くコロナから抜け出したい!





2021年4月26日月曜日

中野ZEROホールに行く

 中野区民交響楽団というアマチュアオーケストラの定期演奏会を聽きにいった。

緊急事態宣言が発表されたときに行くのは恐ろしいけれど、会場は入場制限して検温、消毒をするというから信じて行くことにした。招待してくれたのはレッスンを受けに来ている人で、遠慮しながらも聴いてほしそうだから電車に乗らず車で会場まで行った。けれど駐車場が一杯ですぐ隣の大型のショッピングセンターの駐車場に止めたら、人人人・・・怖い!

緊急事態宣言前のほうがどこも空いていたようだけれど、この先数週間の食料や日用品の買いだめに走った人たちだろうか。圧倒的に家族連れが多い。以前は家族で来ないで一人で買い物をするようにと言われ皆割合に守っていたのに、それはもうどこ吹く風で大声で話しながらの混雑に馴れとは恐ろしいものだと思った。

その上朝の起床からどうも体調が優れない。耳に痛みがある、口内炎もできてお腹の具合も良くない。こんなとき以前なら、なにそのうち治るさと高をくくっていられたのに、最近は「わあーコロナにかかっちまった」とドキドキ。会場に入るとガラガラで頂いたチケットの座席は1階席、それを2階席に換えてもらって後ろの方で聴いた。

最初の曲はドヴォルザークのシンフォニー6番、私はオーケストラにいたころにこの曲を弾いたことがあるかどうか記憶がない。昼食後のことでもあり、ぐっすりと眠らせて頂いた。時々目が覚めてもあまり冴えない曲だなあと思うのみ。悪くはないけれどやはり新世界などに比べて魅力がない。解説ではドヴォルザークの交響曲の才能が花開いた曲というようなことが書いてあったけれど。そのうちちゃんと聴いてみようと思った。疑似コロナのせいで私の感性が鈍っているかもしれないので。

2曲めはブラームスの2番、この曲はやはり世界中の人たちから愛されるだけのことがあって、圧倒的に胸に迫る。オーケストラの弦楽器の人数が管楽器の厚みに比べて少ないので、多少バランスが悪い。時々弦楽器が聞こえにくい。ティンパニがうまい、ファゴットがうまい、ホルンも頑張っている、難しい楽器の方が活躍しているのは、この辺の楽器だと音大生とかプロがエキストラで入っているのかもしれない。指揮者は松岡究氏。

終演後のメンバーとの交流もなしで、そそくさと帰宅した。なんだかゾクゾクする。やはりコロナにやられたかな。あまりに疲れたので少し横になったら、そのまま眠ってしまった。目が覚めたら真夜中だった。眠ったらコロナはすでに消えて気分がよくなっていた。こうしてコロナに怯える毎日、早く収束してほしい。この疲労感はコロナワクチン予約のために神経をすり減らしたせいだと思う。

今朝も姉がまだ予約が取れないので、応援に駆けつけた。ところがもうワクチンの予約は終了したとホームページに書いてあったそうで、15万人いる対象者に対しワクチンは3万人分ほど。これでは予約できたのが奇跡と言える。しかも終了の知らせが小さい字で書いてあったと甥、これじゃあわからないよね。未だに儚い望みを持って電話している人がたくさんいると思う。私の体調不良の原因はコロナでなくコロナ予約の方だったのだ。








2021年4月24日土曜日

ワクチンの予約ゲット

 予約できなかったのは私のせいじゃなかった。サイトの方でシステムエラーが発生したらしく午後6時以後に予約ができる状態になったらしい。その御蔭で私は5月の後半と6月の半ばに2回、ワクチンの接種ができることとなった。それまでに今我が物顔で跋扈しているワクチンが変種化しないようにひたすら祈るのみ。それまでに感染しないように祈るのみ。

明日から緊急事態宣言、最後の自由を楽しむために人々がどっと外に出たようだ。今日は私達のスキーの仲間だった根本さんが生前に描いた絵の展示されている画廊にでかけた。今日が最終日。どうしても彼女の遺作を見ようと思い、コロナワクチンの予約を午前中いっぱい頑張って結局予約ならず、断念して14時ころ銀座の画廊に着いた。驚いたことに今まで以上の電車の混雑、最近は休日といえども電車は混んでいなかったのに。

銀座も最近にしては混み合っているし、なんだか怖い。いつもの展覧会だと初日か最終日にパーティーがあるけれど、それもなし。小さめの画廊には絵の出品も少なく、見学者もほんの少し。毎年恒例の展覧会なので描く人も鑑賞する人も顔見知りだけれど、皆さんだいぶ高齢化して出品者も減少の一途。根本さんの絵は一番最初に飾られていた。彼女はいつも山の景色を描いていたのに、前回可愛らしい花の絵を出品していた。珍しいねといったのを覚えている。

彼女はスキーの上級者だった。毎年海外に滑りに行く。そこで撮った写真をもとに大作を描いていた。彼女らしいおおらかな手を抜かない作品は、彼女の性格そのもの。いつも優しい笑顔を浮かべているけれど、自分の意見ははっきりと言う。私より年上だからスキーのザックが重そうでつい手助けしようと手を出すと「やめて!」叱責される。「私これが持てなくなったらスキーをやめるんだから」そしてついに彼女はスキーも生きることもやめた。最後の歳までゲレンデに立っていた。きれいな人だった、いつもチャーミングな笑顔の人だった。絵の下に小さな写真がおいてあったので思わず手にとって抱きしめた。

家に帰って、もうすっかり予防接種の予約は諦めていたけれど、なんとなくもう一度ログインしてみたら、あら?なんだか予約ができそうな雰囲気がする。そしてできてしまった。今朝の努力は一体何だったの?私の姉は電話でずっと頑張っていたけれどついに予約ならず。それで明日の早朝からネット予約を試みて見ようということになった。姉は丑年でのんきに「そのうちできるから」などと言っていたけれど、こんなことは早いほうがいい。それまでに予約が埋まってしまわないといいけれど。






























i






ワクチンの予約始まる

コロナウイルスのワクチン摂取の予約受付が今朝8時30分から始まった。私は数日前から予約サイトのURLをマウスに仕込んでおいた。これで時間ぴったりにアクセスすれば御の字さと軽く考えていたけれど、どっこい、そんな生易しいものではなかった。

今朝は時計とにらめっこ。あと数分というところで流し台に小さなゴミ発見。今日は生ゴミの収集日、今日を逃すと来週水曜日まで捨てられないからひとつでも残っていると気になる。それをまとめてゴミ置き場に行って戻ったら、しまった!申し込み時間になっていた。バカバカおたんこなす。ときすでに遅し、つながるものですか、1秒たりとも遅れてはならなかったのに、肝心なときにこういうことをするところが私の天才的なところ。あーあ、失敗は数多くしでかしたけれど、 今回ほど腹が立ったことはない。

来週にはワクチン接種1回目を受けて、こころ静かに2回めを待つ、と思っていたのに。しばらく電話をし続けたけれど、もう諦めた。この諦めの良さというか我慢できないところが私の天才?たる所以。私はとりたてて勉強しなくても学校の成績が良かったけれど、どうしても1番になれなかったのはこの雑な性格から。これを頭が悪いという。どこへ行っても一流になれない。それはそれで苦労が少なくて楽しい人生を送ってきたけれど、せめて宇宙飛行士とまでは言わないけれど、NASAのスタッフくらいになれればよかったなあと今更不勉強を悔やんでいる。火星で酸素を作る実験に成功したらしいから、火星に基地ができたらお掃除のスタッフとか食堂の皿洗いとかに雇ってもらいたいと密かに狙っている。

食堂?火星に?皿は洗うのか?

さて、今朝の予約失敗でコロナ退治にモチベーション半減。やらなくてもいいかあ。いやいやいけません。受けなきゃこの先十分な活動ができないことになる。活動もすでに半減以下だからうちでじっとしていればいいけれど、そうはいかない。まだ行ってない海外がわんさかあるのだ。日本国内も満遍なくとまではいかない。半島の先端などにはまだ行っていないところがある。野生馬で有名な都井岬に行きたいのにまだ実現していない。

コロナに怯えて暮らすのはまっぴらごめん。もう一度電話でトライしたけれど、全くだめでした。多分どこのうちも一家総出でおばあちゃんのために電話やネットで予約するんだろうな。一人で誰の助けもない私なんか予約は無理だ。せめて猫が手を貸してくれたら、いやいや、猫はせっかくつながった電話を足で踏んで通話を切ってしまうのが関の山。あはは、役たたず同士のいいコンビだわ。さて、もうしばらくしたら電話してみよう。だめなのはわかっているけれど。サイトの方は一応ログインしてあるけれど、それもつながらない。夜中にでもやってみよう。でもだめだろうな、24時間するとアクセスできなくなるのに、グチグチグチグチ・・・・






2021年4月22日木曜日

靴を買う

私は特におしゃれというわけではないけれど靴が好き。我が家の狭い玄関には靴箱に入り切らない靴が所狭しと並ぶ。こういうごちゃごちゃした玄関だから幸運が逃げていくのだと風水の先生ならいうことだろう。私は風水もなにも現実以外一切気にしないから、靴を捨ててまで幸福になろうとは思わない。私は前世はムカデでした。けれどもう古いものは捨てよう。

それがコロナが始まってからは仕事もなく収入も激減となれば、少しは経済のことも考える。靴なんか何足あっても足は一対だから新しいものはいらない。今まで持っている靴で十分。この先10年でも大丈夫。それで古いのは捨てようと思って紙袋に放り込んでいた白いスニーカー。一番のお気に入りだったから靴のクリーニングに出してきれいにすればもう少し履けると思って取っておいた。というよりとっておいたのを忘れていた。ある時紙袋を覗いたらそれが入っていた。

あら、こんなところに。試しに履いてみたら実に具合がよろしい。ずっと同じブランドのスニーカーを履いていたけれど、デザインが変わるたびに履心地が悪くなる。例えば靴紐を結ぶタイプの靴は紐をいちいち緩めなくても着脱できるように脇にファスナーを付けているものが多い。このメーカーのものは最初の頃はファスナーがなかったのに、いつの間にかファスナー付きになった。私は靴紐をキュッキュと締めながら履くのが好きなので、ファスナー付きだとどうしても少し緩めになる。せっかくファスナーが付いていても気持ち悪いから紐を締め直す。デザイン的にもファスナーはないほうがいい。

それで最近このブランドは買わなくなった。忘れていた紙袋の中の汚いスニーカーをまた履くようになった。私の足は小さいからなかなか合うサイズのものがない。この靴は今までで一番足にぴったりなのだ。それなのにこの型はなくなってしまった。するとこの先も買えるかどうかわからないから、他のブランドを探そう。

ネットで探していたら今まで買ったことのないブランドのものが見つかった。最近は足が痛むのでいつもスニーカーばかり。いざコンサートに行こうと思っても上に着るものもカジュアルになってしまう。もちろんそれは好都合ではあるけれど、時々はドレッシーにしたいでしょう。コロナ以来、新しく買ったバッグも持ったことがない。ワンピースやスカート系の服はめったに着なくなった。これはいかん。それで新しいブランドを試してみることに。茶系と黒の気に入ったものを注文してみた。返品可能だから家でしばらく履いてみられる。それが幸運にも頗る履きやすいし、デザインもまあまあで、今日は朝からごきげんなのだ。この靴ならドレッシーとまでいかなくてもちょっとおしゃれできるかも。

世の中が暗いときに浮かれている場合じゃないけれど、せめて靴を新しくすることで前向きに生きられる。お金は大事、だけど本来は使うもの。使われて初めてお金はこの世に生まれた意味がある。私は楽天的だから、コロナもあと1年位で収束すると思っている。感染が静まったらまた働けばいい。けれど今落ち込んでしまってすべてが投げやりになったら、その後立ち直るのは大変だと思う。せめて靴を新しくして一時の幸せをつかもう。

こういう気分になったのはワクチンの予約の知らせが来たから。4月24日から受付が始まる。注射をするのがこんなにうれしいなんて!頑張って予約をとって、早く二回目も済ませたい。ああ、どんなにサバサバすることか。






2021年4月21日水曜日

眠りを破るのは大変

コロナ感染が減少するどころか拡大の一途をたどっている。人々の我慢は限界に達しているようだ。徐々にコンサートも復活、先日は江戸川区民総合文化センターで行われたアマチュアオーケストラのコンサートを聴きに行った。私の教えている女性がメンバーの一人なので時々 聴きにいく。

会場に到着すると、駐車場の周りの木々の緑が新鮮で、思わず、ああ、世の中はコロナ以外はすべてちゃんと回っているのだなあと実感した。自然は裏切らず毎年の循環を繰り返し、世界中の人が苦しんでいるときにも目にも鮮やかに葉を茂らす。人だけが苦労しているわけではないけれど、今回のこの災難は人類への天からの警告だと思う。

江戸川フィルハーモニーオーケストラは何回か聽かせてもらった。今回はコロナ禍で一度流れたコンサートをなんとか再開するというので、彼らにとってもハラハラ・ドキドキの開催だったと思う。この災害の中で果たして開催していいものかどうか、話し合いを重ねたにちがいない。自分たちだけでなく聴衆にも絶対安全とは言えない。しかし、一度火を落とすと再燃させるにはエネルギーがいる。安全対策をとっての実行だったと思う。

感じたのは音が練れてきたということ。大切に長年練習を重ねてきた成果と言えよう。以前聞いたときにはどちらかというと元気すぎて時々アンサンブルが壊れていたけれど、今回はいかにも全体で共に歩いてきたという成果が見られる。はっとするほどいい音がすることがあって、これよこれよと小躍りしたくなった。指揮者は田部井剛さん。

今回はメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲という名曲を、女優さんと見まごうばかりの美女が弾くというので楽しみにしていた。二上りか子さんという。演奏は言うまでもなく素晴らしい。最後の最後で突然気持ちを込めすぎて一瞬音程を外してもご愛嬌と言える。その時の気持ちは手にとるようによく分かる。今後の活躍が大いに花開くことを期待している。しかしコロナのせいで彼女たちの演奏も制限されていることと思う。若い人たちの苦労がわかるから、本当に頑張ってと言いたい。

昨日、我が家にも若き演奏家が現れて一緒に弦楽トリオを練習した。来月の小さなコンサートの初めての音合わせ。今どきの演奏家たちは私達の時代のはるか上を行くレベルだから、本当に気持ちよくサクサクと練習が進んだ。私は老眼につき音符の加線がよく見えない。特に高音部の加線が何本あるのかが見えなくて、もっとも前もって練習しておけばいいものをサボっていたのでやっと本気になって数える。そうか、ラからオクターブ上のラに飛ぶのではなくソだと気がつくまでに時間がかかる。それで失敗する。

私も長年の活動の間には仕事が全く途絶えてしまうような時期もあった。例えば昭和天皇の崩御が予想された時期は特に暗黒時代。他の業種はいつものままだったけれど、エンターテイメントはそういうときにはご法度だったからコンサート予定がたてられず、仕事がなくなった時期があった。今はフリーのミュージシャンや飲食店などに限らずすべての業種が苦労しているけれど、私達はそんな時代を経験している。でも良い運も悪い運もじっと我慢していると不思議と過ぎていくから、気持ちを大きく持って頑張ってほしい。

長年生きているとジタバタしても改善はしないということがわかってくる。ひたすら地味に勉強しているしかない。・・・と言いながら、私はこの2年ほど地味に勉強しなかったおかげで、今ジタバタしている。あんなに柔軟だった指が硬直、仕方がないとはいえ老いとは無残なものだと思う。

年齢のせいにするなよと私の陰の声がする。うるさいなあ、わかりましたよ、練習すればいいんでしょう、すれば。














2021年4月16日金曜日

家開き

 今回北軽井沢に来た目的は、夏に備えて家を整えること。去年12月に水抜きをして必要ないブレーカーを落とす。春になるとヒーターを通して水道管が凍らないようにしてから水を出す。これを毎年しなければならないのだ。

私が自分でするわけではないので管理業者に依頼しなければならない。春になったらベランダの工事をしてもらうので電源を落とさないように業者に頼んでおいたのに、彼らは自分流でやりたいので時々困ったことになる。今回も切らないでこのままにしておいてと頼んでおいたブレーカーを落としてしまったらしく、北軽井沢用のパソコンが過放電で2日間ご機嫌が悪かった。ノンちゃんの家のブレーカーはそれぞれ細かく別れていて、床暖房も寝室、リビング、キッチンなど細かく別れていて、それぞれ独立してON/OFができる。ちんぷんかんぷんで私には荷が重い。

お風呂の夜間電力利用のヒーターも故障と言われて撤去して灯油のヒーターに変えたりもしたけれど、それも怪しい。私は何も知らないので騙されやすい。ノンちゃんから引き継いだこの家もすでに3年経って、自分流に改装してきた。リビングとキッチンの境にある大きな作り付けの食器戸棚は、ずっと私の悩みのタネだった。これは明らかに設計者のミスだと思うけれど、シンクと食器戸棚の間の通路が人がすれ違えないほど狭い。しかも戸棚の扉は直角にしか開かないし戸棚が大きすぎるので扉も大きく、扉を開けるとそれで通路が塞がれてしまう。その上丈も高すぎて、部屋の真ん中に要塞のようにそびえる。そのため空気の流れが遮断される。

遊びに来た人たちはここで空気が止まりますねと言う。鬱陶しい存在だった。それを撤去して新しい食器戸棚に変えたら見違えるようなスッキリした部屋になった。あとはいらないソファを片付けないといけない。

ノンちゃんはなんでもしっかりとした重厚なものが好きだった。食器も家具もなんでも上等なものが揃っていたのに私は軽い物が好き。食器は軽くて手のひらで包めるようなものとか着るものも薄くて締め付けられないものが良い。今まであった食器戸棚は小柄な私には丈が高すぎて使いにくかった。

ソファは布製の上等なものだけれど、この家に置くには大きすぎる。電子ピアノを入れたのでソファは行き場所を失った。私はこのソファに横になって森の木々を見るのが好きだった。けれど非力な私には重たい家具は負担になる。それで貰い手を探している最中なのだ。ノンちゃんは全部のものを私に残してくれたけれど、体格と性格が違うのでいくつかのものは処分するはめになった。

今日来た電気屋さんは本当に有能で、テキパキと食器棚の配線を終えた。見ているだけで手順の良さがわかる。あっという間に配線を終えた。その後ベランダを広げる工事を頼んでいた工務店から人が来て基礎工事が終了。どうやらゴールデンウイークまでには広くなったベランダでお茶が飲める。こうして着々と私が田舎で暮らす準備が出来上がっていく。余生は森の中で過ごす準備はできたけれど、肝心の私がだいぶ弱ってきている。肝心の足が又痛くなってきたのだ。一時期良くなって来たのでこれで安心と思っていたけれど、どうもそう甘い状態ではないらしい。せめて病名がわかれば治療のしようがあるけれど、原因不明なのが困りもの。

管理人さんに挨拶に行って訊いてみた。冬も暮らしたいけれどどうかしら?

するとグレイヘアーの上品な管理人さんは「私はずっとここに暮らしていますよ。冬は冬で景色が全く変わって本当にきれいですよ。降雪量もそれほどないし、大丈夫ですよ」彼女は私より少し若いかもしれないけれど、片道30分ほどの道を車で通って来ているそうで、彼女に暮らしのことを教わればあるいは可能かなと思っている。今回も森には全く人影がなく、夏の準備のための工事人が働いているだけ。これで冬の寒い時期、本当に寂しいだろうなと思う。それに耐えられるだけの精神力はあるだろうか。吹雪の夜に雪女が出たらどうしよう。














2021年4月14日水曜日

生き延びた菫

 昨日午前10時に車で出発、3時間半ほど走って北軽井沢に到着した。食料と水と全部積み込んで、なるべく人に会わないように。いつも休憩は横川サービスエリアの1回だけ。かんがえると足のしびれや痛みはそれが原因だったのではと思う。足をほとんど動かさない。最近の車は昔のように忙しくギアチェンジのためにクラッチを踏まなくてもいいからじっとしたまま。それでうっ血が起きるのではないかと思ったから最近は貧乏ゆすりをすることにしている。それと弾性ストッキングの着用。これは効果があると思う。

やはり休憩が1回というのは良くないと思ったので、関越道に入るとすぐに1回休憩を取ることにした。ウイークデーということもあって、営業してるの?と訊きたくなるほどの閑散とした売店。トイレに至っては私一人、ふえー、こんなの初めて。数分後出発、とにかく1度足を伸ばすことが目的なのでそそくさと車に乗り込んだ。猫が喚いているけれどなにか文句を言いたいのだろうと無視した。2回めの休憩も同じようにした。

環状8号線も空いていたし関越道もガラガラ、それでもいつもより時間がかかったのはスピードを極力セーブしたため。去年のちょっと怖い体験があったから。追い越し車線を走っていて快適にスピードを出していたら前の車が突然ブレーキを踏んで斜め前に飛びだした。あるいは道路上に落下物でもあったのか。私はアクセルを踏んでいる、前の車はブレーキを踏む、あっという間に前の車のブレーキランプが目の前に。ああ、やっちまったかな?その瞬間目一杯ブレーキを踏むと車は不思議な動作をした。ブレーキに手応えがなくなって一瞬効かないのかと思ったけれどそうではなく、ブレーキをロックしないようにしたらしい。これで助かった。ロックされたらスピンしていたかもしれない。長年の運転歴の中で初めての恐怖の体験。最近の車は賢すぎるのだ。そのためにこの車を選んだのは正解だった。

車に助けられた、私は心底車に感謝した。それ以来そういうことが起きても大丈夫ではあっても車に助けられるような運転をしてはいけないと反省して、免許をとって半世紀以上経った今、生まれて初めて野放図にスピ-ドを出すのはやめようと思った。今まで10台以上の車を乗りつぶし引っ掻き傷は数しれず、それでも車がすきで事故は起こさなかった。最近の引っかき傷の多くは北軽井沢の家のアプローチにゴロゴロおいてある浅間の溶岩。今事故を起こしたら無事故のキャリアに傷がつく。

ノンちゃんの家に入っていくと嬉しいことがあった。去年家を閉めるときに植えていったすみれの花が生き延びていたのだ。北軽井沢の冬は特別寒い。浅間おろしの寒風に吹かれると震え上がる。しかしこの冬は暖冬だった。それで助かったのかもしれないけれど、ノンちゃんの愛した大木の根元にぐるりと植えた花のうち、小さなすみれだけが残っていた。他の花はほぼ全滅。

私はこの庭をすみれで埋め尽くそうと思っている。水道も凍ってしまい必ず水抜きをしないと大変なことになるここで、懸命に生き延びてくれてまだ鮮やかに咲いているなんて。なんという生命力、これで決まった。ここは庭一面にすみれの種を蒔こう。ノンちゃんが行ってしまってからずっと考えていた。紫の花が好きだというノンちゃんに菫はピッタリではないか。そしてもう1種類、ラベンダーを買ってきた。北海道で咲くくらいだから寒さに強いのではないかと。この花で埋め尽くそう。まだ表札も替えていない。相変わらずノンちゃんはこの家の主なのだ。

今、別荘地の森にはひと気がまったくない。今は多分私だけ?でも入り口付近の家に車が停まっていたからだれかいるかも。物音もしない静かな夜を過ごしている。いつもならリスやムササビがシャッターにぶつかって驚かされるけれど、まだ眠りから覚めていないらしい。もっとも木の芽もまだ生えていないのだから動物たちのごちそうもないわけで。たまにはなんの物音もしないところで暮らすのは悪くない。



2021年4月13日火曜日

丸々

 毎朝の体重測定でかなり厳しく管理していて体重はそれほど増えていないはずなのに、どんどん体が丸くなってきた。手首は普段なら手の指が周るのに、それすらおぼつかなくなってきた。顔はひたすら丸くなってお腹はライザップに行く前のたるんだ状態。食べ物に気を使っても運動しなければ単に痩せるだけ。それも中々痩せなくなってドヨ~ンと動きが鈍い。コロナ肥満とでも。

なんとなく首の後ろに鈍痛がある。これは血行が良くないせいかも。最近は記憶力がどんどん落ちていく。ゴルフの松山英樹選手がマスターズで優勝したという嬉しいニュースを見た。それで以前私がよくゴルフ中継を見ていた頃、活躍した選手たちの名前を思い出そうとしても思い出せない。青木功、中嶋常幸、アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラウスそしてほら、私が一番好きなあの人・・えーと南アフリカの黒豹と呼ばれた・・それっきり。昨日からずっと考えている。最近の選手の名前は思い出せないというより覚えられない。

そんなときににヴィオリストのFUMIKOさんからのお誘いがあった。音楽ファンの皆さんはライブに飢えているし私達もネット配信でなくお客様の前で弾きたい。一緒にいかが?というわけで。それで厳しい人数制限をしてのカフェコンサートに出演することになった。でも半ば灯を落としてしまった私には不安もある。まず、たるんだお腹、着られるドレスはあるかな?ファスナーがしまらないかも。足が痛くてハイヒールが履けない。ドレスの丈はヒールの高さに合わせてあるから、裾を引きずらないか。それと最近棕櫚箒みたいになって始末に負えない髪の毛。一番の不安は演奏できる曲があるかということ。

時々テレビで見かけるデヴィ夫人、あの方はすごい。未だに体型変わらず12センチ位もあろうかと思えるハイヒールを履いている。私ならあっというまにすっ転倒、涙ぐましい努力の賜物でしょう。毎日コロナのせいにしてダラダラ暮らしている私のなんと怠惰なことか。それが同じ女性としてこれほどの差につながるのだ。わかっちゃいるけど・・・

チラシが送られてきたのを見たら、私以外のメンバーはスリムで腕をスッキリと出したドレス姿。若い人はいいなあ。私なんかもう腕は出せない。なるべく隠れるような長袖のドレスなどはいかにもダサい。ドレスは腕や肩を思い切りだすのが正式なのだ。写真で見ても年の差歴然、なんというか若さは輪郭がはっきりしている。おいおい、この中で彈くのかい?

本番は5月23日、もう一ヶ月しかない。その間に子豚ちゃんからせめてダックスフントくらいまでにはなっておかないと。なぜダックスフントなのかというと、胴の長さには自信があるから。さてと曲を考えて決めなければいけない。これが一番の難問。人数制限のために、もう客席は埋まってしまったらしい。もう少し多くの方たちに聴いていただける日の1日でも早いことを願って、まずは社会復帰への小手調べ。こんな高齢者を誘ってくださった他の演奏者に感謝。でも一つだけ私が優位に立てることは、ワクチン接種がこの頃までには済んでいること(たぶん)それもまだ第一回目だけれど、多少の安心感があるでしょう。

後記

南アフリカの黒豹、一日かけてもどうしても思い出せないので今朝調べてみました。

南アフリカのゲーリー・プレーヤー

こちらが写真、ね、素敵でしょう?渋いでしょう?








ついでにもうひとり思い出せなかった名前はスキーヤーのトエニ。素敵だったなあと思いにふけっていたけれど、どうしても名前が出ない。今、ハタと思い出した。さっきまでどうしてもトンバの名前ばかり出る。ステンマルクもすっと出たのに、一番好きなトエニが出ないとは。この人も黒豹のようなスキーヤーだった。要するに・・・猫科の動物が好きなんだ。

それにしても古い名前ばかり。みなさんはそれだれ?って。

2021年4月10日土曜日

蔓延

 まんえんの蔓の字、それほど難しい漢字でもないのにテレビのニュースなどではなぜか平仮名、延は漢字で書かれる。熟語なんだからどちらも漢字で書くべきではないの?よくそういう例があって、ではどれがそうかね?と聞かれると、すぐには思い出せないのが最近の私。数日前から超有名なピアノの巨匠の名前が出ない。その代わりその人とトリオと組んでいたハイフェッツとピアティゴルスキーの名前はすぐに出る。ハイフェッツなどは、私が完全にボケても寝言で出ると思われる。

いつの頃か当用漢字というものが決められて、それに当てはまらない漢字は熟語の中でも平仮名で書かれるようになった。子供の頃それを聞いた私はなんてことをするのかと思った。当用漢字が決められたのは私が生まれたかどうかわからないくらい古いときだから、なんでそう感じたのか。たぶん小学生のころ先生から聞いたのかもしれない。日本語の良さは漢字にある。「漢」字というのだから輸入物だけど、日本に入ってきてからの長い歳月ですっかり日本人のものになっている。それなのに、熟語に使われるものにまで常用漢字をあてはめるとは。

たぶん2000語に満たない数の当用漢字、子供の柔らか頭ならなんの苦もなく覚えられようものを。ゆとり教育なるものを考えだしたお役人は何を考えているの。子供の頃に詰め込まないでどうする。音楽教育なんかは3,4歳から始めるのが普通。私みたいに小学校に入ってから始めたのでは、本当のところ手遅れ。私が教育関係の役人なら、小学校に入る前に「万葉集」「古今和歌集」「古事記」「平家物語」などを暗記するように指導する。子供の頃ならなんなく覚えられる。「源氏物語」は子供向きではないけれど、今どきの子供なら耐性があるかも。ゲームなどやっている時間を少し回せば苦労しないで覚えられるはず。意味はともかく暗記だけすればいい。子供の頃の暗記の力はすごい、教養という立派な財産になります。

それによって大人になってから日本語の美しさに気がつこうというもの。ハリー・ポッターの作者のローリングさんは、語学力がすごい。英語の古典的な言い回しとかフランス語、ラテン語にも精通。それによって子供向け(?)の読み物が格調高く仕上げられている。彼女の語彙の数が半端ではないらしい。同じ語彙が使われる回数が極端に低いという。だから絶え間なく辞書を引かないといけなくなる。その間に前に引いた言葉を忘れてしまい、同じ単語を何回も引くはめになる。

英語の先生に、いつか北軽井沢に遊びに来て!と言ったら「それではハリー・ポッターの合宿にしましょう」どこまでも真面目な先生。それにひきかえ遊ぶことしか考えない生徒の私は、この先生でなければとっくに挫折していたと考えられる。今まで読んだ本はすべて斜め読みの速読だったけれど、ハリー・ポッターは生まれてはじめて重箱の隅を突く読み方なので、遅々として前に進まない。なにもわからない英語だったおかげで人生初めての熟読になった。1作品でも良しとしよう。只今最終巻の7巻突入。流石に大人向きの書き方になってきて難しさは増すばかりだけれど、面白さも倍増してきた。もし私が中学生でこの本に出会っていたら、英文学を志していたかもしれない。

私はひょんなことから音楽の道に進んだけれど、本当のことを言えばなんでもよかったのではないかと今でも思っている。そのくらいなにもかも面白いことだらけ。日本文学でも良かった。数学でもよかった。物理学でもよかった。一番なれそうもないヴァイオリンなんか弾いて失敗したかな。

面白いことに小学校では体育が苦手、泳げなかったし走れなかった。それなのに年取ってもなおスキーだけはやっている。スキューバダイビングのライセンスまで持っている。走るのは本当に苦手だから馬の背中で走ったつもり。時々落馬したけれど怪我もない。中学校では英語はさっぱり興味がなかった。それなのに今頃になって毎日英和辞典をひいている。何事にも逆らわず周りに流されていたらこうなった。

普通の家庭では子供の将来は親が決めてレールを敷く。けれど私の両親は子供任せでなんの手引もしなかったけれど反対もしなかった。おかげでなろうと思えば何にでもなれたなあと、今軽く後悔している。もっとなにか夢中になれるものがあったのではないかと。

例えば?密林でゴリラの研究をして一緒に暮らすとか、海洋生物学者になってクジラやイルカの言語の研究、動物行動学者になってコンラート・ローレンツ博士の後継者になるとか・・・あはは、むりむり。

そういえば放送大学の動物行動学の試験のとき、前の年に受けた人からここは絶対に出るから勉強しておいたほうがいいですよと言われて、そこだけ暗記していったら完全に外れて次の章が出た。その前の章を完全に暗記していたからそれをつらつらと書いて「ここから次の流れに入る」と締めくくったらまんまと単位がもらえたことがあった。ヤマかけて外れたのが教授にはミエミエだったけれどお情けということで。










2021年4月9日金曜日

10年ぶりに

 最近は家にいることが多いので地域の中で生きている。しかも今年は自治会の組長となって1年間のお勤めがあるので、近所の人達と会うことが多くなった。

4月に入って最初の仕事は町会費を集めること。これが終わるとしばらく何もしなくていいから早く済ませたい。私が集める家は10軒。古くからいる人が多いので高齢者が多いけれど、先日顔役のご近所さんに連れられて回ったところによれば3軒くらいは世代が替わっている。書類が届いたので昨日は集金に回った。

私が2階に住むようになってからはご近所さんとはあまり遭遇しなくなって、私はバタバタと外に出ているし、専業主婦の人たちはあまり外に出ないしで、10年ぶりで会う人も多い。私はその後髪の毛の色を変えているから、ひさしぶりでわかってもらえるかな?両隣はよく会うので問題なし。だんだん離れた家に行ってチャイムを鳴らすと、皆少しだけ歳をとったくらいの感じでほとんど変わりない。これは今の栄養状態が優れているせいか、あまり老けた人がいないのに驚いた。たしかこの家の奥さんは私より5歳位は年上のはず。だけど相変わらず女学生みたいに見える。「ねえ、前は本当に楽しかったわよね、青春だったものね」楽しそうに話す奥さん。今でも青春でしょう?若いなあ~!しばらく立ち話をして「それでは10年後にね」

どこの家も私が来ることを予想して、ちゃんと金額を揃えて待っていてくれた。実は集金の前に郵便局でお釣りのために両替をしておいた。500円と100円の硬貨をどっさり。重たい箱を抱えて行ったのに、あ釣りは誰も必要なかった。そろそろだと思ったから揃えておいたのよと、きちんとクリアファイルに入れて用意してある家も。助かった、あっという間に集金が終わってあとは幹事さんにこれを渡せばいいだけ。

一つだけだめだったのは、領収書の認印。私は絶対に事務員になれないと思うのは、押印がど下手なこと。印鑑を持つと手が固くなって、まともに押せた試しがない。役所の書類、銀行印なども自分で押さずに事務員さんに押して貰う。スイスイとハンコを押す姿にいつも感心している。まず力加減がわからない。押せば4分の1ほど傾く。押さなくていいところに押してしまう。たいてい半分欠けてしまう。今年の確定申告書はハンコの押し間違いだらけ。税務署にあんな真っ赤な派手な書類出す人っているのかなあ。世の中にこれほど不器用な人がいるだろうか。こんな人がヴァイオリンを弾いているなんて信じられない。

今回も何回も他の紙で練習して領収書に押した。けれど、半分欠けたり真っ直ぐでなかったり。傾いているのは勘弁してもらうとして、半分しかないのは困るからともう一度上から押したら、もうグチャグチャ。予備の領収書はなかったので、結局そのお宅のぶんは謝罪するしかない。

バッグの中には釣り銭用に用意した大量の小銭がずしりとある。重たい。リッチになった気分。ところで500円玉貯金をしていた貯金箱があったはずなので、釣り銭にと思って探したけれど見当たらない。うちにあるものはたいてい足が生えているから、またどこかにでかけたのかもしれない。そのうちに戻ってくるかな。思いがけないときに見つかると儲かった気分がする。そしてあっという間に使ってしまう。これではね、いつまでたってもお金持ちにはなれない。















2021年4月8日木曜日

ゴミ戦争ひとまず休戦

 我が家は美しい桜並木に面している。その桜並木に事もあろうにゴミ集積場を作ってしまった隣町の住人。自宅の前に置くのが嫌だからというので遠く離れたところにゴミ収集場をつくるというから猛反対したのは、わたし一人。私の家と道を挟んだお向かいさんには専用の収集場があるから、それを通り越してもっと先に作るというのは納得できない。お向かいの専用収集場にゴミを捨てさせろとねじ込んだ隣町の人たちは、そこのおじいちゃんに断られると、なんと彼をを村八分。おじいちゃんは話し好きの明るい人だったのに「誰も口を聞いてくれない」としょんぼりしていた。

その場所は我が家のすぐ前、道を挟んでというものの目の前に毎日ゴミを捨てられるのは御免被りたい。以前はある会社の横にそのゴミ捨て場があったけれど、一体いつになったらここがきれいになるのかと思うくらいの大量の家庭ごみ、中には粗大ゴミに出さねばならないようなものまで平気で捨ててあった。しかもその状態を改善しようという住民は誰一人いない。ある時近所の子供が花火を分解して火薬をそのゴミの上にまいているのを発見、ゾッとした。私が見つけなければその子は火をつけたかもしれない。それも自然発火として片付けられたかもしれない。

ゴミは収集車が来る前の短い時間ならば我慢できる。けれど、絶えずゴミが置いてある状態で誰一人片付けないのは本当に不愉快。しかも捨てるほうが自宅からは遠いから気が付かないことも多いわけで。それで私はまず、そこにゴミを捨てている人たちに掃除をちゃんとするように頼んだ。その当時の人達は恐縮しながら、急いで掃除をしてくれた。ところが物分りの良い人がなくなってからは、注意するたびにだんだん嫌がらせがひどくなった。収集車が帰ってしまったあと、わが家の周りに小さなゴミを散らかしていく輩がいる。それも毎日。

ある時たまりかねて隣町の町会長に善処するようにお願いしに行ったところ、けんもほろろの返事が帰ってきて唖然とした。いわば身内の恥なのに、喧嘩腰で話し合いが全くできない。ただただ言いがかりをつけに来たくらいの扱いだったので、その次元の低さに驚いた。その後も町会長が変わるたびに申し送りがあったらしく、誰もが全く話を受け付けてくれないのには本当にがっかりした。

私はそのことで胃が痛む。気難しくなる。

私は時々家の前の道路を掃いていたけれど、仕事をしていたので毎日とまではいかなかった。その後、桜並木の道を毎朝掃除する人が出てきて、私よりも遥かに早起きで我が家の前まできれいにしてくれるようになった。それはそのゴミ置き場を使う人だった。せめてもの償いと考えてのことかと思って毎朝の挨拶もしたし、彼女が掃除できないときや彼女より早起きできたときは私がやるようになった。

ところがゴミの状態は悪化する一方で、絶えずゴミは放置され、粗大ごみのようなものも収集日を無視する形で捨てられる。収集車が持っていかない種類のものなどはずっとそのままおいてある。そして今年、大晦日にはすっかりゴミが無くなってやれやれ、きれいな元日を迎えられたと思ったのに、その朝、ぎょっとしたことに大きなゴミ袋の山が数個おいてあった。そのまま次の収集日になるまで正月中ゴミを眺めて暮らした。例のお掃除おばさんがフフッと笑って「あらあら、誰かしらねえ、きっとお店やっている人よね」その口調ではっきりした。そうか、この人が黒幕なんだ。

その後も大きな鏡が梱包もせずに置かれていたり、粗大ごみが連絡していない状態で放置されていたり、我が家の周りに散らかる微細なゴミの量が増えたり、あらゆる嫌がらせが始まりゴミの量は異常に増えていった。このままでは以前の会社のゴミのようになってしまう。

たまりかねてネットでゴミのトラブルについて調べてみた。やはり数が多い。こういう問題で困っている人が数多くいることがわかった。とりあえず区役所の環境衛生課に電話して事情を話すと、すぐに粗大ごみの撤去をしてくれた。そして役所の人が自治会である隣町の町内会に話を通してくれたらしい。なんと20年間悩まされたゴミ置き場はゴミの量が激減、収集日以外に捨てる人も激減。いままで置かれたゴミの量の半分以下になった。これは?

この置き場の利用者たちがわざわざ他の人に声をかけて、ここに捨てさせていたものと思われる。それ以外に説明できますか?プラゴミを毎週大量に捨てる人がピタリといなくなった。これが例のお店の人に違いない。収集日以外に捨てるものだから1週間以上放置されていたりしたものだけれど、それもなくなった。

元々、ここにゴミ置き場ができる前はある家の前にあったゴミ置き場。そこの奥さんが私を罵っていたのに、最近道で出会ったら立ち止まって深々とお辞儀をした。なんなの今更。近所の世話役に数週間前に交渉に行ったときにヘラヘラ笑って無視したその家のご主人、時々見回りに来て私に睨まれている。これで解決したとは思わないけれど、ひとまず彼らは役所から何らかの注意を受けたと見える。しかし、役所からいわれれば対処するのに私が話し合いを申し込んでも無視する、それはどうして?本当に議論のできない人々、女性だからといって話し合いに応じない男ども。日本で生きるのは難しい。

我が家の周りに毎日ばらまかれていた微細なゴミ、あるときはティッシュ1枚とか、食パンの包装とか輪ゴムが数本とか、普通ならそこにありそうもないものがそれ以来なくなった。しかしいつまでこの状態が保つことか。たったこれだけの自分たちが出したゴミの始末すらできないとは情けない。皆それぞれの年齢までどんな人生を送ってきたのか訊いてみたい。こんなことをするために生まれてきたのなら惨めでしょう。

子供や孫に自慢できることではない。












2021年4月2日金曜日

地域の問題

 私が住んでいる街には古い知り合いがいっぱいいる。そこの地区はブロックごとに別れている。私の所属は*地区*組、4月から私はそこの組長になる。組長は1年毎に交代する。10軒がまとまっているから組長は10年に1度回ってくることになる。組長のしごとは町会費を集める、お祭りや赤い羽根の共同募金を徴収するなど決まり事があるけれど、去年から今年にかけてのコロナ禍のおかげ?で集会などもなくなり、仕事が簡素化されているらしい。ありがたい。

古い街でしきたりもそのまま、私が子供の頃とさして変わりはない。ご近所もほとんど地元の人が多いから私はいまだに**さんの娘さんで通っている。この歳で娘さんもないだろうと思うのに。

最近のこと、ドアホンがなったので出てみると、そこにはニコニコしているおじさん。なんとなく服装がだらしないけれど、こちらもどっこいどっこいだからお互い様。「私は去年の理事でしたが任期が終わったので今は補佐としてやっております。今年はお宅が組長なので一応ご挨拶に上がりました」「それはご丁寧にどうも、よろしくおねがいします」「私は去年任期が終わりましたが今は補佐として・・・」「あ、どうぞよろしくおねがいします」「私は去年・・・・」

おかしいぞ、これは?壊れたレコードみたいに同じことを聞かされて、鈍い私もさすがに気がついた。すごく人の良さそうな人だけれど、脳みそが壊れているらしい。礼儀正しいから壊れていなければ、きっと仕事もできたと思われるのに。なによりも機嫌が良いから朝の訪問者としては悪くはない。けれどドアを半開きにしてあったので、強い力で押しながら家の中を覗こうとするのにはまいった。うちが整理整頓してあるならばチラ見せしてもいいけれど、なんたってねえ。美女の一人暮らしは覗かせられない。

そのうちに階段を登ってくる音がして、町内会の役員さんが現れた。どうやら近所の人がその人に電話をしてくれたらしい。「**さん、もうあなたは役員の任期が終わったから仕事をしなくていいのよ、さあ、いきましょう」「いや、私は今年は補佐として・・・」「あ、そのお話はもう10回くらい聞きました。わかりましたので」「じゃあ、私は帰っていいですか?」「はい、お帰りください、ご苦労さまでした」やっと開放されるとお隣さんから電話があった。去年の組長さんで、謎の訪問者には去年えらく悩まされたという。私の家を教えてと言われてつい教えてしまったけど、ごめんなさいと謝られた。同じことを何回も言うことを除けば、そう変な人でもなさそうだし危険はないと思うからかまわないけれど、やれやれ。

翌朝、また来ました。今度は別の理事さんを連れて。理事さんは前日のことを知らなかったようでニコニコして「よろしくおねがいします」という。けれど話が進んでいくうちに、なんだか変!と気がついたようだ。それでも私は彼の扱いになれた事もあって、すぐにお引取りいただいた。そのあと階下に降りていくと、すでに噂は近所に広がっていて、ワラワラとご近所が集まってきた。一昨年と昨年、そのおじさんに悩まされたと言う奥さんたちが口角泡を飛ばし「冗談じゃない、みんな大変だったんだから」

そこへまた自転車で通りかかる人が加わって喧々諤々、するとお隣りのご主人が表の出来事はなんぞや?と顔を出す。ああ、こうやってみんな暇を潰しているのかあ。めったに近所付き合いをしないから顔も名前も両隣くらいしかわからない。そんな私を連れて近所の物知りさんが同じ組の家を訪れて新組長さんですと紹介してくれた。なんだか小学校の級長さんにでもなった気分。前にやったのは10年前だった。その時は私もこの組の中では若手(?)だった。けれどいつの間にか数軒が代替わりをして表札が次世代の名前に変わっていた。

その中でも最近引っ越してきて新しい家に建て変わっていた家の奥さん。「まあ、引っ越しのご挨拶もしませんで失礼しました」「いえ、誰もこの辺では両隣くらいしか挨拶なんてしませんよ」「いえいえ、私、向こう側は20軒回りましたのよ。後ほどご挨拶に」「いえいえ、本当に結構です」普通20軒なんて回る?

でも次の朝「昨日は失礼しました。これはご挨拶のおしるしに」渡された紙袋はずしりと重く値段もお高い品物。こんな高いものを20軒に配ったらトータルで、うーん。他人の懐を探るのは下品なことだけれど、考えてしまった。お金持ちなんだ。困ったなあ、困惑する私。こういうのってお返しするものなのかしら。物知りさんに相談したら「いいのよ、勝手にやってるんだから」ずっと仕事ばかりしていてご近所付き合いはおろそかにしていたけれど、案外と複雑で大変なものだわいと、今更ながら考えたnekotamaでありました。

昔は引っ越しの挨拶などに持っていくものをお付木といったのを思い出した。お付木とは火を他に移すときの細い木。かまどでご飯を炊いていた頃などに必要だったものの名前が進物のことになったと思われる。え、知らない?あら、私が生まれたのは最近なんだけど、変ね。