2023年2月28日火曜日

一生の重み

最近大変忙しくて 去年の春からはや1年、これだけの重みを持った年は今まで味わったことはなかった。

古典音楽協会はコンサートマスターの角道徹氏が今年85歳となる。今年の春と秋に彼の最後のステージとなる楽団創立70周年の定期演奏会を予定している。角道さんの引退後は新しい体制となるので様々な準備に追われて何回も何回も会議を重ねた。

それで思ったのはこれほどアンサンブルの良い合奏団なのに、それぞれの団員の性格を知ったのは初めてということだった。いつも音でのみ会話をしているので一人が音をだすと一斉に皆が合わせる、それは見事なものだった。ちょっと音が揺れてもすぐに察知して皆がさっと集合。

ところが会議ではこれほど様々な性格と意見が分かれるとは思いもよらず、非常に興味深い人間観察の場となった。今までコンサートマスターの元、指示されればさっと合わせられるということは言い換えれば非常に従順、真面目。それが音の綺麗さとなって出てくる。けれど今回のような今までやったことのない事務仕事や決め事、例えば役割分担とかどのように運営するかなど問題が山積みなのに今まで経験したことがないので、皆呆然と立ちすくむだけ。何回も同じことを巡って決まったか思えば決められず、ほとほと疲れ果てた。

ああ、この人こんな性格だったのかと新発見があったり、嬉しかったり腹立たしかったり。しかしようやく大まかな枠組みが出来上がって、裏方の仕事の大変さを改めて思い知らされた。

明るいステージで輝く人々。しかしこの2時間ほどのコンサートのためにどれだけの裏の仕事がなされるか。考えるといつも私は感謝の気持でいっぱいになる。私達「古典」のメンバーは幸いにして毎回上野の東京文化会館を使わせてもらえるけれど、この会場獲得の難しさは演奏家とマネージャー泣かせ。客足の良い土日祝日を皆欲しがって殺到するから倍率高い。やっと会場が取れてもこれはほんの入り口。そこから曲目の決定、共演者を選び出演依頼をして練習開始。

その後のマネジメントはチラシ、ポスターの作成、印刷、出来上がった印刷物の郵送やチケット窓口へ販売依頼、知人友人たちへコンサートを知らせて来場の依頼。招待状の郵送などなど。

当日会場はたくさんのスタッフが必要となる。チケットを受け取る、招待状を預かって招待客に渡す、名前の確認、チケット代金を預かる、当日券を売るなどなど。そしてこの数年はそれに加えて新型コロナの感染対策まで。会場の大きさによるけれど、1000から2000の人たちへの心配り、マスクや消毒は大丈夫かなども、これでもかという仕事の多さ。ステージで拍手を受けるとき、私たちは達成感で幸せになれる。

しかし裏方さんたちはコンサートの進行状況を見て終了時間内に終了するか、ハラハラ・ドキドキしている。無事終了してから出演者たちは着替えて満足して演奏で消耗した体力を取り返しに夜の街でビールを飲む。しかしあとに残った裏方さんたちは、演奏者へのプレゼントや花束をより分け、当人へ渡す。受け取らないで帰った人には誰かに託したり、郵送したりして当人へ届くようにする。お金の問題は一番たいへんだと思う。前売りや当日券をまとめて間違いのないように。そしてあとを片付けてようやく仕事終了。

そんなにもたくさんの仕事があるのに私たちはそれを当然のことのように思っているけれど,無事に終わるには大変な手間がかくされているのだ。それを今回、いやというほど思い知らされた。会議が進んで、マネージメントの議題になったとき、それぞれの分担をどうするかで長い議論が度々繰り返された。費用をなんとか少なく抑えようとするとその負担は自分たちの仕事の増大につながってくる。例えば印刷代を抑えようとすると自分でやらねばならない仕事が増える。楽器を弾きながら他のことに気を取られては良い演奏はできない。だから演奏家は初めからマネージャーを頼む。「古典」は幸い長年同じ事務所にお世話になったので、なんの心配もなく演奏に専念できたのだった。

メンバーもずっとほとんど変わらずともに年を重ねてきた。今回コンサートマスターと数人のメンバーが入れ替わって新生「古典」として再出発する。気がつくと最初の頃は意見も言えなかったようなおとなしいメンバーも今ははつらつと自分の役割をこなしている。なんだか声まで大きくなってきて、役割が人を育てるものだとつくづく思った。

nekotamaは、私はこれにて退場と思ったけれど、楽器は弾かなくても役割はあった。プログラムの構成や解説などで影で暗躍をさせていただこうかと思います。楽器弾くのは好きだけれど、子供の頃からものを書くことも好きだった。小説家になりたいと思ったけれど、各々のひらめきはあってもそれを構成して大きな物語にする力量はない。だから身内でコソコソものを書いて行くくらいが関の山。一生の仕事を手に入れたようだ。

それにしても、去年から今年の今まで、なんという大変な時間を過ごしたことか。重さで押しつぶされそうになってもなんとかすぎるものだと思う。新しいシリーズが始まって数年も経てば鼻歌交じりにできるようになるのだろうかと期待しているけれど。

それにしてもコロナでの打撃もあり資金はかつかつなので、皆様のご来聴を心よりお待ちしております。今までに変わらずよろしくお願い申し上げます。











2023年2月3日金曜日

認知症予防

私達年代の最大の関心事は脳みその劣化。そう認知症の話題がつきない。テレビのモーニングショーでも盛んに取り上げられている。認知機能と嗅覚の関係が非常に深いそうで、そうなるとこの私、自慢じゃないが立派な予備軍、いやすでに認知機能低下真っ只中 、いや先天性認知機能欠落最前線症とでも。

いつも言うけれど、何か探しに行ってその場にたどり着くと何のために来たのかわからないというのはおなじみのパターンだった。私の場合は天才だったから、小学生の頃からその才能は開花していた。まず下のこれらの症状が2つ以上あると危ないという。

同じ料理ばかりをつくるようになった

洗濯したものを干すのを忘れる

レジで小銭を出すのが面倒

何を話そうとしているか忘れる

興味のあることや喜びを忘れる

服装への興味や季節感を忘れる

だいたいこんな項目のうち2つ以上当てはまると認知症の危険信号らしい。私は5個の項目が当てはまるのでこれだけでも立派な認知機能低下が疑われる・・らしい。

同じ料理というのは野菜ときのこ類、海藻類、タンパク源として魚か肉か卵、豆腐などと組み合わせれば毎日ほとんど同じ献立となってしまう。最近は和食の回数を多くしているので、和食と洋食の区別のみ、あとは冷蔵庫に眠っている食材によって変わるだけ。これは効率よくまんべんなく栄養素を取り入れようと思うと結果としてそうなってしまうので、認知機能とは別で単にものぐさから来るものかもしれない。と、言い訳。

小銭を出すのが面倒というのは手のひらの水分が失われていて、なかなか財布からだせないということもある。レジのお姉さんがじっと待っているので焦って小銭をその辺にばらまいたりする。最近レジの人によくお世話になる。彼らは計算が早くて、どのようにしたら小銭を少なくできるかという計算が早い。私はどうしたら釣り銭を減らせるか考えて居るうちに面倒になってしまう。後ろで並んでいる人が気になって結局お札を出してしまう。

洗濯し終わったものを干し忘れるというのは一度に複数のことをやろうとするから。忙しいときに多い。話し始めたことを忘れるのはよくある。相手の目を見ていざ話そうというとき、その人の目が「さあ、話して」とかがやくと、そちらに気がそれる。相手が自分の話し出すのをじっと待っているときは更に焦って口から言葉が出ない。だからこれらのことが認知機能低下の兆しとはあながち言えないでしょう。強いて言えば人の期待に添えないかもしれないという不安感とでも。実際慌てて話し出して行く先を失った話題が自分の周りをウロウロしているだけで、相手の顔に少し期待外れの表情が出たりすると自分で自分にがっかりする。いつでも周りの人に喜んでもらいたいという気持ちが先走って余計なことを言ってしまったりする。

否定しても何回も言い訳しても実際年とともに認知機能は空恐ろしい速さで低下している。けれど、それがどうした?

服装を考えるのが面倒というのはよくある。もともとおしゃれは大好きだけれど、ほとんどの服が似合わない。だからつい無難な服装になるけれど、あと足が20センチ長ければおしゃれしまくっていると思う。

ここからが本題で、私は嗅覚障害がある。これは子供のときに副鼻腔炎をやったのではないかと思うけれど、私の親は子どもたちが少しくらいけがをしてもほったらかしだった。それはネグレクトとか言うものではなく、あまりにも忙しかったからだと思う。だから兄弟全員、少しの怪我は自然療法、怪我がひどいときには自分で病院を探して通って治す。実に自立した子どもたちだった。

そのせいかどうかはわからないけれど、私は嗅覚が弱い。時々急に匂いがわかるときがあって、そういうときは自分でもびっくりする。特に人工的な匂いがわからない。香水なんて全く臭わない。これは今の都会に住んでいると非常にありがたい。あるときどうしたわけか急に匂いがわかる日があった。その時私は世の中がこんなに臭いとは思っていなかったのでびっくりした。嗅覚は鈍いほうが良いと思ったくらい。匂いは海馬に直接働きかけるそうなのだ。私の海馬はまだ子馬なのかもしれない。海馬に香りの刺激を与えると認知症発症予防になるらしい。私はその機能がないからこの先こまったことになるかもしれない。

札幌の手稲の公園でも急に臭いがわかった事があった。すごく懐かしい匂い、はてな?地面から立ち上る春先のにおい。そう、若草のかおり。懐かしく芳しい。子供の頃さんざん嗅いだ匂い。しばらくその香りを楽しんだことも。匂いに対する私の思い出は今まででたったそれだけ。感覚の殆どが音の方に向かってしまったようだ。よく引き合いに出されるプルーストの「失われし時を求めて」は香りによって引き起こされた思い出から始まる。私の理解できない感覚に非常に憧れを抱いたものだった。なにか高尚な感覚の持ち合わせがない自分に憐れみを感じた。柑橘類の香りを嗅ぐと予防効果があるとかないとか。様々な説が飛び交うけれど、それはそんなに御大層なことなのかしら?人それぞれ全部違っていいのだから。ボケた人もいれば最後までしっかりした人もいれば、最初からボケている人がいてもちゃんと生きていればいいことなので。





ゲレンデへの思い

 昨年の秋に自宅駐車場の段差で軽く足を捻った。それがよもやこんなに治らないとは思いもかけないことだった。今はやっと普通にしていれば痛みはないものの、未だに階段をまっすぐに降りられない。左足からゆっくりと降りて右足を同じ段におろさないと、私の立派な体重は支えきれない。左足の筋肉が極端に弱いらしい。

大抵の捻挫などは普通に暮らしていればそのうち治ったのに、今回はしぶとく痛みが居座っている。整形外科のリハビリに通って一生懸命努力はしているのに治らない。これが年齢の壁というものなのか。姉が言うには年齢の変わり目は壁があってそれを超えるのは大変。でも次の年齢に乗るとしばらくは小康状態になる、と。

それでも私のスキーの仲間たちは今の私よりもっと高齢だった頃もスキー場に集まっていた。ザックを重そうに持ち上げるのを見てうっかり手伝おうものなら叱られた。これができなくなったらスキーはやめるから手を出さないで、と。一人ひとりあっぱれな生き方をした人たちだった。最後の最後まで自立して誰にも迷惑をかけないように終の棲家を自分で用意してひっそりと人生を全うしていった。我が「雪雀連」は永遠です。

足は痛いけれどスキーはしたい。だから今必死のリハビリのまっ最中。整形外科の先生はおよそ愛想のない人で、最初の診察のときに足が痛いと言っているのにいきなり私の膝を乱暴に折り曲げたから私は怒った。痛いですよ、先生。いきなり曲げないでください、と。そらっとぼけた先生は「ほう痛い?それでスキーにいくの?」

当たり前。今年でもうスキー歴は60年になるのだ。重たく長い板、竹のストック、革靴のブーツには泣かされた。溶けた雪が靴の中に入って靴下ぐしょぐしょ、途中で靴紐が緩むとゲレンデの寒風の中で手袋を脱いで紐を締める。どうしてあんな苦労ができたのだろうか。

初めてのスキーは蔵王。学校の体育の単位を取るための参加だった。初日は転ぶ練習ばかりさせられた。今の考えとは大違い。今は転ぶときに怪我をするのだからなるべく転ばないようにと変わった。今の優れた用具ならそれも可能だけれど、昔の長くて重いスキーではかなり技術が必要だったから初心者ではまず転ばない人はいなかった。それで転び方から教わることに。それでも蔵王の大平コースを2日めにはてっぺんからかっ飛んでいたから若さとは素晴らしい。その代わり木の根っこの雪が積もっていない穴に落ちて逆さまになってしまったり、多少のハプニングはあったけれど、スピードに魅了されてそれ以来60年というわけで。

コロナ禍のせいでほとんど行かれない年が続いた。それでもしぶとくたった1時間でもいいからと滑りに行った。もともとガツガツ滑る方ではないので1時間でも滑れば満足だった。カナダまで行ったのに午前中でやめると行ったらガイドに呆れられた。「カナダに来てリフト3本ですか?」なんて。それでいいのだ。ただしカナダの3本は日本のゲレンデの10本に相当するかも。

で、整形外科のリハビリを受けることになった。最初リハビリの医師は鼻で笑っていた。満足に階段も降りられないのにスキーだなんて!しかし執念深い私はなんと言われようと行くことに決めたのでせっせと通った。珍しく筋肉をつけるための運動も欠かさずに。そのうち目に見えて効果が出てきた。まず歩くのがうまくなってきた。全く赤ちゃんと一緒。1歩前進2歩後退。時には痛みがひどくなってしまう。それはムキになってリハビリのやり過ぎで。私の本気度がわかったらしく医師も本気になってきた。ついにあくまでも自己責任だよと釘を刺されながらの許可が出た。許可は出たものの実際に滑れるかどうかはわからないけれど、ゲレンデに立つだけでもいい。雪雀連の先輩たちもそうだった。スキーの板を履いてゲレンデに立つだけのために来ていた人もいて、しかし滑らなくなった年の翌年にはゲレンデに来ることはなく天国のスキー場に行ってしまった。私はもう少し現世にいたいから今年も10メートルでもいいから滑りたい。

実は野心を持っていて、ヨーロッパでもう一度滑りたいのだ。フランスのトロワバレーの広大なゲレンデを滑ったのはほんの数年前のことなのに隔世の感がある。あれは夢だったのかしら?

面白いのはまもなく80歳にもなろうという今ごろになって、普通に歩くことがどれほど難しいかということがわかったこと。ほほう!こんなことをしていたのか。階段はこうしないと降りられないのだと1歩ずつ筋肉の使い方を考えながら恐る恐る降りる。今までの健康に感謝している。普通でいられることのありがたさが身にしみている。

いまや達者なのは口だけ。足もこんなに動くといいのだけれど。




2023年2月2日木曜日

準備万端

荷物を持ち運ぶときのためにキャリーバッグ を特大、大、中、小と揃えてある。1番小さいのは旅行一泊用、次の大きさは3日くらいの旅行用、大きいものは1週間用、海外や長期間の旅行は特大のもの。小さいサイズは焦げ茶にパイピングが明るいグリーン、色が気にって買ったサムソナイト製のものでコンサートのときにも楽譜、化粧品やドレス、ステージ用靴などを入れるのにちょうどよい。そのキャリーバッグの取っ手が壊れてとっても困っている。近所のカバン修理を扱う店では修理できなのでサムソナイトに修理に出すしかないらしい。いつもなら新しいものに買い替えるのに躊躇しないけれど、大のお気に入りなので捨てかねている。多分修理代金も新しいものを買うのと同じくらいかかるのかも。

それで以前買った少し大きめのリュックサックを使うことにした。ガサゴソと押入れをかき回すと出てきた。開けてみると?一番上にトイレットペーパーが入っている。下の方を探るとビスケット、下着、タオルやペットボトル。これは防災グッズを入れてあったのだ。珍しく危機感を抱いて私が用意したものらしい。らしいというのは自分では全く記憶になくある日突然衝動に駆られて用意したものらしい。馬鹿ですね。これがいざという時に役立つとは思えない。これをやっただけ時間の無駄だった。

なぜなら逃げるときにはまずヴァイオリンと猫を両脇に抱える。それだけでも歩けないのに背中にリュックサック、しかも入れたことすら忘れているものを探し出して、その探す間に時間切れでお陀仏になってしまう。こんな無駄なことをしているのでなにを入れたか調べたら、なくなったと思っていたハンカチや下着が入っていた。普通の人ならこれは役に立つ。けれど私の場合は本当に役に立たないのは目に見えている。

普通の人たちは本当にこういうものが役に立つのだろうか。

話はかわるけど、最近メガネの度が合わなくて困っていた。特に楽譜や本を読む時に大変不自由をしていたのでメガネ店へ行った。若い女性が対応してくれた。視力検査や乱視の度合いなど数種類の検査が終わって店員さんははてな?状態。私がこの眼鏡を作った当時の状態と今の状態はほとんど変わりないそうなのだ。特に以前作ったときに少し度を上げてほしいと私が言ったらしく、やや強めに作ってあったので今現在でも大丈夫なはず。少し曇っていますね。店員さんがメガネ拭きできれいにしてくれたら、あら、よく見えるわ。まあ、嫌だ。汚れていたのね。店員さんが可愛らしい笑顔で、はい、そのようですね。二人で笑った。本当に面目ない。

平日の昼下がり、近所のショッピングセンターに新しいメガネを作ろうと意気込んで行ったのに肩透かしをくらって拍子抜けした。このまま帰るのも口惜しいから台湾茶を飲ませるカフェで、黒糖入のウーロン茶を飲んで行こうと思った。カフェの若い女性は初めて台湾茶を飲む私に色々説明してくれる。その子も穏やか、お茶を運んでくれた男性も穏やか。こんなご時世になんでこんなに優しい表情ができるのかしら。

プーチンという戯け者一人が始めて世界中が巻き込まれてひどいことになっている。地球の温暖化で地球は大災害に見舞われている。日本の若者は将来背負わされる借金の額が大変なことになっているのに、なんでこんなに優しくしてくれるのかしら。以前時間帯が悪かったらしく超満員の電車に乗ってしまったことがあった。押されて座っている女性の目の前に立ってしまった。鼻を突き合わせるほどの距離でその若い女性が私に言った。「お座りになって下さい」でも全く身動きできない状態でどうやっても席は替われない。私は「ありがとう、でもあなた立つこともできないでしょう?私は大丈夫よ、このままで。いつもこんなに混んだ電車に乗っているの?大変ねえ」ニコニコと会話して終点で挨拶をして別れた。その日一日なんだか嬉しい。日本の若者は優しい。こんなひどい電車に毎日乗っていてもひとのことを労れる。

経済に疏い私ですら物価の上昇はジリジリと感じられるようになってきた。初めのうちは小麦粉が値上げ?それなら米粉を使おう。米粉には小麦粉にない良さがあるし・・なんて。でも経済の影響はお互いにがんじがらめになっていて、一つ値上がりすれば多方面に影響するのは当たり前。最近プーチン大統領のニュースは久しく聞かれないけれど、もし戦争が終わったとしても当分世の中が平静になることは難しい。値上げされたものが値下げになるのには時間がかかる。あるいは物価はそのまま据え置きとなって少ない年金と高い税金に苦しむ人はあとを絶たないとおもう。

以前階段が錆びついたような古いアパートの前を通りかかったことがあった。私よりもかなり年上と思われる女性が階段の上からゴミ袋を投げ捨てている。「なにをしているの」と声をかけると「今日はゴミの日だから」という。本当は収集日ではないのに。でも曲がった腰で大きな袋を何個も出している姿を見かねて手伝うことにした。持ってみると異常に軽い。中を見ると全部インスタントラーメンやカップ麺の殻。それを見て胸が詰まる思いがした。この人は毎日これしか食べていないのだ。手伝ったからには捨ててあげないといけないから、当日収集日のゴミ捨て場を探して捨ててきた。

私も猫の餌代に苦しんでいる。うちの猫がある年から食欲をなくし、もう天国へ行くと思ったけれど、必死で介護した結果今はすっかり元気を取り戻した。それはそれで嬉しいけれど、介護食の高いことと言ったら人の食事よりずっと高くつくのだ。しかも気ままだから食べたくないとその場で食べない。少しでも時間経つともうそっぽを向く。私は猫よりも下だと最近つくずく思う。