2023年2月3日金曜日

ゲレンデへの思い

 昨年の秋に自宅駐車場の段差で軽く足を捻った。それがよもやこんなに治らないとは思いもかけないことだった。今はやっと普通にしていれば痛みはないものの、未だに階段をまっすぐに降りられない。左足からゆっくりと降りて右足を同じ段におろさないと、私の立派な体重は支えきれない。左足の筋肉が極端に弱いらしい。

大抵の捻挫などは普通に暮らしていればそのうち治ったのに、今回はしぶとく痛みが居座っている。整形外科のリハビリに通って一生懸命努力はしているのに治らない。これが年齢の壁というものなのか。姉が言うには年齢の変わり目は壁があってそれを超えるのは大変。でも次の年齢に乗るとしばらくは小康状態になる、と。

それでも私のスキーの仲間たちは今の私よりもっと高齢だった頃もスキー場に集まっていた。ザックを重そうに持ち上げるのを見てうっかり手伝おうものなら叱られた。これができなくなったらスキーはやめるから手を出さないで、と。一人ひとりあっぱれな生き方をした人たちだった。最後の最後まで自立して誰にも迷惑をかけないように終の棲家を自分で用意してひっそりと人生を全うしていった。我が「雪雀連」は永遠です。

足は痛いけれどスキーはしたい。だから今必死のリハビリのまっ最中。整形外科の先生はおよそ愛想のない人で、最初の診察のときに足が痛いと言っているのにいきなり私の膝を乱暴に折り曲げたから私は怒った。痛いですよ、先生。いきなり曲げないでください、と。そらっとぼけた先生は「ほう痛い?それでスキーにいくの?」

当たり前。今年でもうスキー歴は60年になるのだ。重たく長い板、竹のストック、革靴のブーツには泣かされた。溶けた雪が靴の中に入って靴下ぐしょぐしょ、途中で靴紐が緩むとゲレンデの寒風の中で手袋を脱いで紐を締める。どうしてあんな苦労ができたのだろうか。

初めてのスキーは蔵王。学校の体育の単位を取るための参加だった。初日は転ぶ練習ばかりさせられた。今の考えとは大違い。今は転ぶときに怪我をするのだからなるべく転ばないようにと変わった。今の優れた用具ならそれも可能だけれど、昔の長くて重いスキーではかなり技術が必要だったから初心者ではまず転ばない人はいなかった。それで転び方から教わることに。それでも蔵王の大平コースを2日めにはてっぺんからかっ飛んでいたから若さとは素晴らしい。その代わり木の根っこの雪が積もっていない穴に落ちて逆さまになってしまったり、多少のハプニングはあったけれど、スピードに魅了されてそれ以来60年というわけで。

コロナ禍のせいでほとんど行かれない年が続いた。それでもしぶとくたった1時間でもいいからと滑りに行った。もともとガツガツ滑る方ではないので1時間でも滑れば満足だった。カナダまで行ったのに午前中でやめると行ったらガイドに呆れられた。「カナダに来てリフト3本ですか?」なんて。それでいいのだ。ただしカナダの3本は日本のゲレンデの10本に相当するかも。

で、整形外科のリハビリを受けることになった。最初リハビリの医師は鼻で笑っていた。満足に階段も降りられないのにスキーだなんて!しかし執念深い私はなんと言われようと行くことに決めたのでせっせと通った。珍しく筋肉をつけるための運動も欠かさずに。そのうち目に見えて効果が出てきた。まず歩くのがうまくなってきた。全く赤ちゃんと一緒。1歩前進2歩後退。時には痛みがひどくなってしまう。それはムキになってリハビリのやり過ぎで。私の本気度がわかったらしく医師も本気になってきた。ついにあくまでも自己責任だよと釘を刺されながらの許可が出た。許可は出たものの実際に滑れるかどうかはわからないけれど、ゲレンデに立つだけでもいい。雪雀連の先輩たちもそうだった。スキーの板を履いてゲレンデに立つだけのために来ていた人もいて、しかし滑らなくなった年の翌年にはゲレンデに来ることはなく天国のスキー場に行ってしまった。私はもう少し現世にいたいから今年も10メートルでもいいから滑りたい。

実は野心を持っていて、ヨーロッパでもう一度滑りたいのだ。フランスのトロワバレーの広大なゲレンデを滑ったのはほんの数年前のことなのに隔世の感がある。あれは夢だったのかしら?

面白いのはまもなく80歳にもなろうという今ごろになって、普通に歩くことがどれほど難しいかということがわかったこと。ほほう!こんなことをしていたのか。階段はこうしないと降りられないのだと1歩ずつ筋肉の使い方を考えながら恐る恐る降りる。今までの健康に感謝している。普通でいられることのありがたさが身にしみている。

いまや達者なのは口だけ。足もこんなに動くといいのだけれど。




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