2014年5月31日土曜日

電子書籍で[ハリポタ]ゲット。

目が悪くなってからぐんと読書量が減った。
少し読んではため息をつく。
目の奥が痛くなる。
焦点のところに黒い霧がかかる。
数年かけて原書でハリー・ポッターを読み続けていた。
イギリス人ヴァイオリニストのルースさんが先生で、毎月2回レッスンを受けていた。
ところが一番仕事の忙しいときには目も酷使されるので、どうやっても読み続けられなくなってしまった。
それで目が良くなることはなくても、疲れなくなるだけの仕事の量になったらと思って、一時休止にした。
全部で7巻、5巻の半ばまで読み進んで居たから、残念でならなかったけれど、ほとんど不可能というので休ませてもらった。
それから数年経って、ようやく仕事の量も半減。
でも細かい活字はやはり辛い。
見えてもすぐに頭痛がしてくる。
それを聞いて救世主が現れる・・・といっても、毎度毎度の助っ人Hさんが手をかしてくれた。
まず、dtabに電子書籍を入れる。
久々に日本の名作を読んで、感激していた。
そして先日はハリー・ポッターの原書をゲット。
そのゲットするまでの騒動は、相変わらず突拍子もないことをしでかす私に、右往左往の面倒請負人。
ダウンロードした電子書籍をどこに保存するかで考えた。
しばらくネット上をさまよっていたら、フクロウが眼鏡をかけている可愛いマークがあったので、そこに保存することにした。
それから数時間経って保存場所のフクロウを探したけれど、どこに行ったか見当たらない。
えっと、どうやって行ったのかしら?
Hさんに「確かフクロウのところに入れたのが見付からない」とメールしたら、「フクロウ???」
そりゃあ、わからないでしょうよ。
フクロウがどうしたってなもので。
彼はいつも丁寧に、手順を動画にして送ってくれる。
説明動画の中でスラスラと手順の解説しながら、声がいまにも吹き出しそうに笑ってゆれている。
そうそう、笑うのは体に良いことだから、私は健康請負人。

ところで、急に暑くなった今年、今からこれでは、夏はどうなってしまうのか。
体がだるくて頭が痛い。
自分でも力なく笑ってみた。ははははははは・・・・
あまり効き目はない。












2014年5月30日金曜日

700キロを移動した認知症の女性

盛岡市在住で72才の認知症の女性が、700キロも離れた京都で保護されたそうだ。
生活保護を受けて独り暮らしだから、いつ、どうやって家を抜け出したのかはわかっていない。
本人はなにも覚えていないそうだから、いったい新幹線にのったのか、バスに乗ったのか、なにも分からないらしいが、現金は持っていたようだ。
しかし、700キロ移動するからには、乗り物に乗らないということは考えにくい。ホテルに泊まったかもしれない。
だれにも気づかれずに、そんなに遠くまで行けるのか。
その間に関わった人達は、その人が認知症と分からなかったのか、見て見ぬふりだったのかは分からないが、明日は我が身。

私はどこへでも気楽にひょいと出かけてしまうから、ある日チベットで発見されたというニュースを聞いても、誰も驚かないにちがいない。
そうそう、私が数年前にチベットへ行くと言ったら、ある人が徒歩でチベットに行く方法をググったことがある。
この「ググる」と言う言葉は最近2チャンネルなどで覚えた。
Googleで調べることを言うらしい。
チベットだから北の方に行くイメージなのに、まず西の方に歩くと出た。それが新鮮な驚き。
そして海はどうする?
ジェットスキーで海を渡ると言うので、大笑いした。
これも徒歩の内?
真面目にそんなことまで考えてくれるGoogleは偉い!

人は意識下に、放浪の欲求があるのではないかと考える。
絶対どこへも行きたくないという人もいるけれど、ごく珍しい。
たいていの人は遠くへ行きたいと思っている。
遠くに行くと何があるのかというと、ごく普通の旅ならば大差はない。
しかし、衝撃を受けたり感激したりするような景観は、現地へ行かなければ味わえない。
それでも映像で見ればいいという頑固者も、いるようだけれど。
盛岡の人は家に帰れなくなってさまよっている内に、700キロもはるばる来てしまって、不安な気持ちで居たのか、楽しんでいたのか分からない。
私が認知症になる日も遠くはないかもしれないので、その辺のところを訊いてみたい。
ところが私の両親兄弟姉妹、親戚にも認知症になった人は誰もいない。
遺伝的なものならば、私もそうならない。
私の母を見ていて、最後まで頭がハッキリしているのも、可哀相な気がした。
体が動かなくなって、下の世話をされるのは、何より辛かったようだ。
それと私の様な風来坊の行く末を、どれほど心配していたか。
音楽などと言うワケの分からないことを生業としているなんて、堅い家庭で育った人には、許せないことだったのだと思う。
あれほどヴァイオリンの道に進む事を反対したのに、ヒラヒラと飛んでいってしまった娘の事は理解不能だったようだ。
最後の最後まで心配していた。
兄姉達に私の事を頼んでいる姿が、思い出される。
母ももう少しぼんやりしてくれればと、不埒にも考えていたこともあった。
歳をとったらぼんやりするのは特権であると思える様な、やさしい社会でありたい。
幸い私は生まれつきぼんやりしている。
どなたか、いつか、私がアフリカで迷子になっていると聞いたら、迎えに来て下さいね。
ライオンのコロニーで彼らと暮らしているかも知れないから、気をつけて食べられないように。

































2014年5月29日木曜日

悲しいお話

昨日睡眠不足だったので、昼間つい一瞬ウトウトした数秒の間に夢を見た。

ずいぶん以前にきいた話の人が出てきた。
一度聞いただけだから、記憶違いもあるかも知れないが、本当にあった話。

私は直接知らない人だが、確かチェロを弾く女性。
結婚して新婚旅行は、ご主人の好きな登山に一緒に行く事になった。
彼女は登山の経験も無く、ご主人は冬山に彼女を連れて行って、そのすばらしさを見せたいと思った。
しかし、彼は医師で、出かけるまでに結婚式の準備や、仕事のやりくりで多忙を極めた。
出かける時にはすでに疲労困憊。
これだけ聞いても、いかに無謀な計画だったかと、思われる。
登山経験のない人を冬山に連れていくとは。
それでも若い2人は、張り切って登り始めた。
途中で疲れ果てていたご主人が動けなくなり、テントを張って寝ようとしたが、もう気力も体力も使い果たした彼は、そのまま亡くなってしまった。
彼女は途方に暮れ、なすすべもない。
何と言っても山に来たのは初めて。
しかもテントの外は吹雪いていたのか(と思う)
月が出ていたかも知れない。
しばらくすると、彼女の耳に彼の声が聞こえたという。
近くに山小屋があるからテントを出て、そこまで行きなさい、と言う。
声に導かれて彼女は1人山を登り始め、そして無事山小屋にたどり着いて九死に一生を得た。
その後も彼女の耳には常にご主人の声が聞こえ、食事も2人で会話しながら食べていた。

この話は実際に知人から聞いた話で、当時、なんと悲しい話だろうと涙を誘われた。
しかし、女性はその間ずっと幸せそうだったと聞く。
たとえ幻覚であっても、そうやって酷い悲しみから逃れて、ようやく冷静さを保っていたのだろう。

今日の午後うたた寝の時には、そのままの話や、その人達が出てきたわけではない。
だいいち、私はその人に会ったこともないから、顔も知らない。
それでもなにか霧の様な現象として出てきたときに、ああ、この人だと感じた。
なぜ、そんな古い話で、しかも知人でも無い人の話が、夢に現れたのか。
その人の話を聞いた時に、その人達に対する深い悲しみを感じたのは確かだけれど、そして思い出す度に涙ぐんでしまうのも相変わらずだが、なぜ私の元にメッセージが届いたのだろうか。
夢は不思議。
夢よりももっと不思議な出来事は、いつ思い出しても切ない。























2014年5月28日水曜日

ヒールが高い

最近の健診で、又身長が縮んだらしいことが判明。
どんどん小さくなって、その内リカちゃん人形の家に住めるようになるかも。
世の中のサイズが段々高く感じるようになってきたので、家の中でもかかとの高いミュールを履いている。
家に来た人達は「あら、高いヒールね、疲れない?」なんて心配するけれど、私はもう慣れっこになっていて、逆にペッタンコの靴はなんだか違和感があって疲れる。
それに他の人達の身長と著しく違うと、話をするのも不便だからこれで良いのだ。
台所に立っても、流し台が高くて困る。
一番嫌なのは、公民館みたいにいちいちスリッパに履き替えないといけない場所。
スリッパはもう最悪でペタンペタン嫌な足音がする。
ずっと前に1ヶ月半ほど入院していたことがあって、6人部屋に入っていたら、夜明けにおばあさん達がスリッパを引きずって歩くので、その音で目が醒めてしまい寝不足になった。
これ、何十年も前の話だから、私はまだおばさんでもなかった。
病院などでも室内履きの靴を履けばいいと思ったから、私はきれいな室内履きを用意していたけれど、地味な患者の中でずいぶん浮いていたと思う。
パジャマも派手だったし。
今では病院のパジャマが用意されているから、パジャマを着る楽しみ?もなくなってしまった。
あれは病院のものを着なければいけないのかしら。
清潔で分け隔てないからいいけれど、ただでさえ病気で気持ちが落ち込んでいるときに、好きな服が着られないのはつまらない。

今日注文してあった新しいミュールが届いて、早速履いている。
フランス製だそうで、値段はそんなに高いワケではないけれど、とても履き心地がいい。
いつも思うのは、ヨーロッパ製の靴はなんて気持ち良く履けるのかということで、日本製は木型からして違うのかな。
なにかかかとの部分がしっくりこない。
生まれて初めてイタリア製の靴を履いたとき、かかとのグリップが良くて感激したことがあった。
日本製はいつも後ろがカパカパしていて、歩くとかかとが浮き上がる。
滅多に買えないけれど、かなり高級品を買っても同じ。
私のかかとが貧相なのかしらないが、浮き足だってみたいな風になるのが、いつも不満だった。
最近はヒールの高いものを履くようになってきたけれど、なるべく輸入品にするようにしている。
靴に対するポリシーが日本とヨーロッパでは違うのかも知れないが、とにかく履き心地の差が歴然としている。
今時輸入物だからといってさほど値段が高くはないから、通販で簡単に買う事が出来るのがありがたい。
今日届いたミュールは足の裏がぴったりと靴底に密着して、ものすごく快適。
船底ヒールの高さは9センチ、プラットホームが2センチくらいだから、実質7センチ。
それでも、高さを感じさせないほどの歩き心地。
これでやっと標準身長の人とも、あまり差は感じなくてすむ。
世間の若者達が、最近は宇宙人に見える。
足の長さなんて、人間とは思えない。
アハハ、向こうも私のことをそう思っているのでしょうね。


























2014年5月27日火曜日

絶え間なく遊びのお誘い

数年会っていないチェリストから電話があった。
彼女とは長い間トリオを組んでいた。
ピアニストは熊谷に住んでいて、月に数日上京した時に集まって練習していた。
よく澁谷のホールで演奏したものだった。
そのホールの名前を書こうと思ったけれど、思い出せない。
あ~あ!
澁谷警察署の傍の・・・ほら・・・なんでしたっけ。
最近は皆歳をとって億劫になってしまい、トリオは弾かなくなったけれど、その代わり時々新橋演舞場で喜劇の舞台を見るようになった。
今回もそのお誘いで、集まって数年前にご主人をなくしたピアニストを慰めようと言う。
でも、お慰めは前回も演舞場で喜劇を見たから、これで2回目。
すでに慰め終ったことを忘れているらしい。
なんでもいいから口実にして、会いたがっているのだから、喜んで誘いに乗る。
もう一つは宝塚へのお誘い。
こちらは残念ながら日が合わず断念した。
こんな風に次々と遊ぼうコールが、あちらこちらからかかってくる。
みなさんよほどヒマなのかと思うと、そうでもないらしい。
「私は仕事もないからいつでもいいわ」なんて言いながら、いざ遊ぶ日を決めようとすると「あ、そこから1週間は仕事でどこそこへ行ってるの」なんてことになる。
なあんだ、ちゃんと仕事しているじゃないの。
外山滋さんを偲んで集まったメンバーは、もうすぐ又集まるし、来月はこのところよく食べ歩く弥生人と、浅草でフグを食べる計画。
今日は芸大美術館で法隆寺展を見て、そのあとランチ。
古典音楽協会のメンバー、絵美さんと、私の元生徒が一緒。
その元生徒が芸大に勤務するようになったので、法隆寺展のお誘いがあったという次第。
芸大から坂を下って池之端まで歩く。
上野動物園の池之端口の向かい側の「英多郎寿司」でランチ。
そこから上野駅近くの甘味のお店で、餡蜜など食べてお開き。
お腹いっぱい、下向くのも苦しい!

老後が寂しくなるのはいつのことか。
当分賑やかに過ごせる。
本来私は静かに内に籠もっているのも好きな方だから、独りになっても寂しくはない。
独りもよし、大勢もよし、好きな人と2人ってのが最高だけど、それはねえ、相手がいないと。

















2014年5月26日月曜日

集中力=練習量

先日の震災復興支援コンサートで、久々になにも考えずに弾けたというのが、私的にはうれしい出来事だった。
目が悪くなってから一気に集中力が衰え、大好きなハリー・ポッターの原文講読も止めてしまった。
せっかく5巻の半ばまでいって、あと二冊、7巻で終了するのに、本当に目が疲れて読めなくなってしまった。
巻が進むにつれて活字が小さくなったのと、たぶん子供の成長に合せるように、長い単語と文章が増えてきたために、目を余計に使う、それがつらい。
先生のルースさんも段々上達してきた生徒に期待するので、スピードが速くなってきた。
それについて行けない。
それまで1レッスン15ページのペースが、5ページほどでギブアップ、彼女は大変不満そうなのだが、私の目は限界で頭痛がしてくる。
段が揺らいで見えて、気分が悪くなる。
あと6,7巻もすでに買ってあるのに・・・
そんなことで、もちろん楽譜も同じ様によく見えない。
私の楽譜のオタマジャクシは生きていて、時間が経つと泳ぎ出す。5線が川の様に流れ出す。
段違いする。スッタモンダスッタモンダ。
最近はそちらに気を取られるので、頓に集中力が落ちてきた。

もともとは抜群の集中力を誇っていた。
練習であいまいでも、本番を集中力で乗り切ってしまう。
それで沢山の仕事がこなせたので、練習よりも集中力頼みなことが多く、それには視力の良さが不可欠だった。
視力が落ちてしまったので、無敵艦隊は沈没。
今回クライスラーの「プレリュードとアレグロ」は後半部分で、早い16分音符の連続がある。
非常にイレギュラーな音型で覚えにくい。
前に弾いたのは10代だったから、なんてこともなかった。
この歳ではすでに前の記憶もなく、楽譜を見るとオタマジャクシは活発に泳ぎ回る。
これこれ、少しじっとしていらっしゃい。
記憶力も落ちているから、覚えられない。
果して本番で間違えずに弾けるだろうか。
一抹の不安はあったけれど、元々楽天家なので練習を始めた。
本番前日まで、あちらが閊え、こちらを間違える。
ふーん、困ったもんだわい、でも、もう後には退けない。
本番では2曲目。
弾き始めると始めのうちは「ああ、緊張しているな」
顎が上手く楽器を捉えられない。
非常に不安定のまま後半へ。
するとある場所からストンと集中力のブラックホールへ落ちていった。
頭は空っぽになって面白いほど指が自然に動く。
ほとんど意識せずに後半終了。
不安があったから集中的に練習したのが良かったかも。
練習量と集中力は一致すると、身をもって感じた次第。
要するに、視力云々は言い訳にすぎない。
年齢で逃げないで練習しろ~、と自分に喝を入れた。




























2014年5月25日日曜日

呆れかえる

私はすべてにいい加減で才能も無く手先も不器用。
それなのに周りに良い人達が沢山集まってくるのが、なぜだろうといつも不思議に思っていた。
私と居るととても落ち着くのと言ってくれる人もいる。
特に秀でたところは皆無。
容姿は端麗にほど遠く、チビデブ、お金持ちでもない。
とくに話題が豊富というわけでもなく、ヴァイオリンも多少お金が稼げる程度。
すぐにカッとするし、もの忘れも激しい。
それなのに周りの人が寄って集って、助けてくれる。

なんでこんなことを考えたかというと、以前ある仕事であまりにもメンバーが足りないので、私の友人2人に声をかけてお手伝いを頼んだことがあった。
その時には安いギャラで申し訳ないけれど、こうこうこうだから、人手が足りなくてと言ってお願いした。
それでも少なくとも、私と同じだけの金額は頂いている物と、思っていた。
その次の回には余りにも条件が良くないから、私からはお願いしていないのに、2人とも来て下さった。
どうやら、もう当然来てもらえると思って、団体の方では人集めのメンバーに入れてしまったらしい。
その次の回も又来て頂いた。
その時には私は団体の方から頼むのだから、当然プロとしてのギャラは支払われていると、思っていた。
ところが、あることが切っ掛けで、お二人にはなんと、学生さんと同じ分しか払っていないことが分かった。
常識で考えても分かりそうなものなのに、キャリアを積んだ立派な音楽家に対して、なんと思っているのだろうか。
例えば災害などの緊急時に、商店に頼んで商品を安く提供してもらうのは、ありかもしれない。
それもあくまでも相手の善意に頼るのだから、それ以来2度3度、当然のように値段度外視で、好意に付け込むのは無神経。
今回はそれと同じような出来事で、それを知ったとき私は唖然として怒りがこみ上げてきた。
友人達は、私に対する好意で3日間も来てくれていたので、交通費はもとより、諸経費引いて遠路はるばる来る労力を考えたら、大赤字。
その間、他の仕事は断るのだから、生活に差し障る。
それほどまでにして、彼女らは私に助力してくれるのだと思ったら、涙がこぼれた。
一言も文句も言わず「貴女と一緒に弾けてうれしいから」とまでも言ってくれる。
本当に忙しい人達で、いつも体力ギリギリまで働いている。
責任感が強いから、絶対に遅刻しない、手抜きしない。
私が怒ったので主宰者側は、予算が少なくてと言い訳をする。
少ないのでは無くてケチなのだ。
自分たちの楽しみのためなら、お金はケチってはいけない。
私なら、そのあとスッカラカンになったとしても、支払うべきものにはちゃんと支払う。
音楽にはお金がかかるのは常識だから、いくらかかっても勿体ないと思う事はない。
美味しい物や良い車にはお金を出すのに、良い演奏家にはこれしかないからでは、通らないでしょう?


























2014年5月24日土曜日

震災復興支援コンサート

奇跡の一本松を魂柱にしたヴァイオリンとヴィオラ。
今日は小平市のケアハウスの一角で行われた。

エルガー    「愛の挨拶」トリオ版
クライスラー  「プレリュードとアレグロ」ヴァイオリンソロ
クリスチャン・バッハ「ヴィオラコンチェルト」ヴィオラソロ
以下トリオ版
日本の歌メドレー「春・夏・秋・冬」
グノー     「アヴェマリア」
ブラームス   「ハンガリー舞曲4番」
そして全員で歌う 「ふるさと」

このケアハウスには年数回、入居者のためのボランティアのコンサートを行っている。
時には余命数日の人の枕元での演奏があったりして、辛い悲しい思いをすることもあるが、中には毎回楽しみにしていて下さる人達に、再会する喜びもある。
今日は入居者だけでなく、外部からのお客さんが75名ほど。
一昨日借りてきたヴァイオリンは、昨日一日で見違えるように良く鳴るようになった。
しかも、芯の部分にコリっとした核のような音があって、それが質の良い響きを持っている。
まだ出来たてだから、ヴァイオリンとしての響きは、まだまだ。
ヴァイオリンの価値は100年200年経ってようやく分かるのだから、真新しくてもこれだけの音が出るのは、ありがたかった。
この話が持ち上がった時は、話題作りのためだろうと思っていた。
だから楽器にも期待していなかったけれど、本当に心を込めてつくられたという感がひしひしと伝わってくる。
いざ楽器を手にすると、どうにかして最上の音が出したいと夢中になってしまう。
発音がハッキリしているので、オールドヴァイオリンのような苦労はしなくて済む。
がらんどうのサロンでの音合わせ。
そしてお客さんがいっぱい入ってからの本番。
あまりに響きが変わったので吃驚して、始めのうちは落ち着かなかった。
いつもは高いステージ上での演奏だから、響きが変わったと言っても馴れているので、さほど慌てはしない。
ところが今日はお客さんと同じ高さにいるから、響きの差は激しく、あれほど昨日馴らしておいた楽器もくすんで聞こえてしまう。
それでも最初のトリオでの愛の挨拶が終ってクライスラーの「プレリュードとアレグロ」を演奏し始めると、どんどん集中してきて、そのあとようやく、この会場での響きがつかめるようになった。
日本の歌メドレーに入ると、会場から歌声が聞こえてきた。
震災も津波も決して忘れることはできないけれど、災害に遭われた方達が、なるべく早くお元気になるようにお祈りします。
微力ながらのお手伝い。
これからも何か機会があれば、演奏以外のお手伝いも出来ればと思っている。

















2014年5月23日金曜日

中澤さん いのちのヴァイオリン

  震災ヴァイオリンの制作者、中澤宗幸さんの著書です。
      ヴァイオリンと自然に対する愛情が
       ふつふつと伝わってきます。
   ほんの2日ばかり前にギトリスさんのことを書いて、
   そしてこの本を読んだら、なんとこのヴァイオリンを
    最初に弾かれたのがギトリスさんだそうです。


        ヴァイオリンという魔性の楽器に               取り憑かれた人は沢山います。
  でもそれを作ってしまうほどの情熱は
    誰でもが持てるものではありません。
    そのような人はヴァイオリンを作るために
  生まれてきたのでしょう。
  

2014年5月22日木曜日

震災ヴァイオリン

東日本大震災による津波被害でたった1本残った松の木。
健気な姿に日本中が涙した、その木で作った魂柱をたてたヴァイオリンが、今手元にある。
魂柱とは、弦楽器の表板と裏板に接して立てられた細い柱。
この細い柱が、その楽器の音を左右する重要な働きをする。
これがないと、表と裏が一体とならず、音が出ない。
楽器そのものを生かすも殺すも、この小さな柱なので、魂の柱と呼ばれる所以。
今朝、制作者の中澤宗幸さんからお借りしてきた。
お話によると、奇跡の一本松は魂柱のみに使われている。
後は陸前高田と大船渡のがれきの山の中から、木材を選んで乾燥させた物で作ったそうだ。
制作者の中澤さんとは初めてお目にかかった。
物腰の柔らかい穏やかなお人柄とお見受けしたが、実際楽器を弾いてみると、バランスのとれた鳴りやすい楽器で、なるほどお人柄そのものだなあと感心した。
今回は、今までボランティアでよく訪問していたケアハウスが主宰の、災害復興支援コンサートで弾かせていただく。
いつもは入居者のためだけの演奏だったが、支援コンサートは近隣の人達にも聴いてもらうために、かなりの人が集まるようだ。
楽器を手に取ってみると、やや黄色っぽい薄めの色で、裏板に一本松の絵が描かれている。
初めからとても音が出しやすい。
私自身の楽器はオールドなので、非常に気難しい。
中々言うことを聞いてもらえず、時には手こずり、時には音に惚れ惚れというように、自分の体調や天候に依って、鳴り方が全く違う。
今日お借りした楽器は、当然音が若いけれど、あまり天候に左右されずコンスタントに音がでるので、非常に楽。
今朝は大気が不安定で、大雨が降ったりやんだり。
そんな時にも、あまり動じないようだ。
これなら誰が弾いても大丈夫。
どんな楽器なのか少し心配していたけれど、これで安心。
この楽器を通して復興の支援が出来れば、自分の人生、たまには他人様のお役に立つかと思えるけれど、私が出来るのはこの位。
自分がもし災害に出会って落ち込んだときに、ヴァイオリンの音色で心が和んだらどんなに嬉しいか思うと、やはりこれはやるべき事だと感じる。
機会を与えてくださったケアハウスの方々に、感謝します。












2014年5月21日水曜日

ギトリス

先日友人からギトリスの公開レッスンを聴きに行かないかと、お誘いを受けた。
その日は生憎、所用があって行けなかった。
今朝その友人と電話で話していて、そう言えばギトリスのレッスンどうだった?と訊いたら、脱力に終始したというので、さもありなんと思った。
それと使う弓の分量。
早すぎて使いすぎる弓を、一様に指摘されていたそうだ。
ギトリスの演奏を聴くと(私はCDでしか聴いたことが無いけれど)自由自在、羽が生えて空を飛び回っているかのようだ。
軽々と舞い上がり、演奏は遊びの境地。
全く力む事がない。
言い換えれば、こうなるまでの修行がすごかったということが出来る。
人間、脱力が本当に出来る人は数少ない。
今時の若者はもの凄く上手くて、私たちにはもうそんな技術はないけれど、とにかく力みすぎる。
これ見よがしに上手さアピール。
私もかつてはそうだったかも。
ただ、私はあんまり上手くなかったけれど、それでも若い頃の演奏のテープなど聴くと、力が漲っていてそれなりに面白い。
音程もぴしゃりと決まっていた。
最近は指が曲がってきて、音程にも苦労するけれど、音は前よりも出るようになってきた。
私は目標はほんの少しずつ、ゆっくり前に行ければ程度だから、まあそこそこと言ったところ。
以前は首、顎、肩、あらゆるところに力が入っていた。
それが元で偏頭痛を起こしたり。
あるとき大ヴィオリストのプリムローズの本を読んでいたら、理想的な楽器の持ち方は、酒場で弾いているヴァイオリン弾きのように・・・要するに顎でぎゅうぎゅう挾まないで、楽に肩と鎖骨に載せて両手とも力まないで気楽に弾いて居る・・・そんな風なイメージだと思う。
音が出る原動力は重力で、弓の重さと腕の重さが両方かかれば、それだけで十分な音が出る。
腕の重さは肩の力を抜いて、これも重力を味方にすれば充分。
それを更に弦を手で押してしまうと、音は潰れてしまう。
潰れるから更に強くこする・・・の繰り返し。
私がよく小さい生徒に言うのは、例えば、滑らかなピアノなどの表面を拭くとき、手首固めてギュウギュウ拭かないでしょう?
面に沿って同じ力で、スッスっと柔らかく拭くでしょう?
その時肩に力入れてる?入れないでしょう?
お風呂のお湯をかき回すときに、手首は柔らかくしているでしょう?そのままでいいのよ、なんて言っている。
お掃除出来ない私からそう言われても、生徒は納得出来ないに違いないけれど。
でも先生のうちのピアノは汚れているから、もっとぎゅうぎゅう拭いた方がいいよ、と、返されたらどうしよう。
まあ、これは子供に言うことだから。
大抵の人はヴァイオリンを持った途端、親の仇とばかり普段の動きを忘れてしまう。
かつて私たちが受けた教育がそうだった。
曰く、弓は人差し指で弦に押しつけて、大きな音を出しなさい。
これが諸悪の根源。
曰く、左手は指板を叩くようにしっかりと押さえなさい。
これが力む原因。
曰く、首はヴァイオリンが落ちないように、しっかり挟みなさい。
これで見る見る音が悪くなる。
今反省を込めて生徒達に言うことは、最小限の弓使いで、最大の音が出せるように、そのためには脱力がいかに大切かをこんこんと話す。
人間が猫のようにしなやかだったら、もっと名ヴァイオリニストが輩出したでしょうに。
ただし、脱力のためにどれほどの練習が必要かと思うと、気が遠くなるほどとしか言えない。
毎日のことでも、歩くのだって完璧な人は少ない。
ギトリスみたいになるには生涯かかっても無理だから、来世に期待しよう。
来世、馬になっていたら、蹄が邪魔で弾けないなあ。ヒヒーン!
弓の毛の宝庫だけど。




















2014年5月20日火曜日

唖然!

要領の良いヤツってどこにでもいるものだ、という動画。
大型犬はいかにもお人好し(お犬好し)

2014年5月19日月曜日

ノラの失踪

もう1週間にもなるけれど、ノラのチャアが姿を消してしまった。
毎朝駐車場に行くと、私の足音でわかるらしく、待ち構えていたのが居ない。
チャアの寝床は大きな白猫に分捕られ、その白猫もここ2日ばかり姿を見せない。
恋人獲得の旅にでもいったのか。
それならそれで良いけれど、最近やっと人間不信を脱皮しつつあったので、悪い人の罠にかかっていないといいけれど。
2年前、うちの駐車場に現れたチャアは、電信柱に張ってあった尋ね猫のポスターの写真そっくりだった。
書いてあった電話番号に連絡すると、探し主が飛んで来た。
このあたりから引っ越したときに姿を消して、もう4ヶ月も探し回っているという。
車の下に蹲って出てこないので、そっくりだけど確信はないと言って、毎日通ってきた。
前の飼い猫の名前はチャノ。
チャノと呼びながら、仕事の前後スーツ姿で来て、ストッキングが伝線しそうなのも構わず、コンクリートに膝をついて車の下を覗き込む。
しかし、まだ4ヶ月ならいくら猫でも、元飼い主を覚えていないのは不自然。
全く反応しないから、諦めてはと思ったが、可哀相で言えない。
そして休日ご主人まで連れてきて、やはり男性は論理的で、色々理由を挙げて奥さんを納得させて帰って行った。
それからチャアと名付けられて、うちの物置の住人となったノラは、冬は電気あんかを入れてもらい、エサは1日2回、食べ放題。
すぐに丸々としてきたけれど、人間に対する警戒心がすごくて、私に顔を見せるどころか、立ち去るまではエサに口を付けないほどで、この警戒心の強さがあって、今までノラとして無事で過ごせたのだと思った。
2回目の冬が過ぎ、今年に入ってから私の突き出す指のにおいを嗅いだり、ほんの一瞬触れるようになった。
最近は車の屋根に乗って、全身を見せるようになってきた。
これで、もう少し馴れて触れるようになったら、次に冬が来る頃には内猫になれるかもしれない、そんな期待をしていた。
なんとかしてケージに入ればこっちのもの。
そのまま泣こうが喚こうが部屋に閉じ込めれば、我が家の先輩猫たちと一緒に安楽に出来る。
ところが1週間姿が見えないとなると、これはなにか異変が起きたに違いない。
物置に行かなくても様子が見られるようにと、取り付けてもらった監視カメラのモニターを、いつ見ても写っていない。
前にいたノラもそうだった。
3年目に忽然と姿を消した。
心配でも猫のことだから捜索願も出せない。
その子もようやく私になれてきて、やっと触れるようになった矢先だった。
人間が関与するのは、ノラ世界には迷惑なのかも知れない。
そうは言っても痩せこけて打ちひしがれたノラ猫を、放ってはおけない。
猫をすごく嫌う人がいて、ノラにエサをやると非難されるけれど、大体この地球上で多種多様な生き物が共存するのが、バランスのとれた世界といえる。
そこにいるからと言って、捕まえられて殺されるような理不尽があってはならない。


























2014年5月18日日曜日

ゴジラ 寅さん

たまたま点けたテレビでやっていたのが「プロジェクトX」
ゴジラ誕生のはなし。
1954年というから、戦後10年ほど経った頃のはなし。
日本初の特撮は新聞に「ゲテモノ」と言われたそうだけれど、ここまで世界的になったのは、初めの一歩で手を抜かなかったからではないか。
撮影現場の熱気を伝えるような、当時この撮影に関わった人々の証言を聞いていると、胸が熱くなった。
特撮の先駆けとしてチャチな物だったら、その後のゴジラはなかったものと思う。
ところで「ゴジラ」には私も参加しているのですよ。
着ぐるみを着ないでゴジラ役?いえいえ。
性格が怖く不細工だけど、顔はあそこまで怖くはありません。
伊福部昭氏の指揮で、毎年のように世田谷の東宝撮影所で音を録った。
さすがに、いくら私でも初期の頃はいないけれど、後の方でアメリカに身売りするまでは、参加していた。
来年から音録りなしと言われた時は、がっかりした。

音楽を録音するときに、絵合わせのための部分をスクリーンに映すから、劇場に行く前に部分的にだが、見ることが出来た。
伊福部さんはダンディーで穏やかなお人柄のようだったので、なまいき盛りの私は、数小節暗譜しては画面を見ながら弾いていた。
あの特徴的な主題曲だから、すぐに覚えてしまう。
時にはゴジラの抜け殻が、撮影所に置いたあったりした。
あるとき、それが盗まれたと聞いて、あんな大きな物を盗むのも大変だし盗んでどうするのかと不思議に思った。

毎年と言えば、やはり長寿映画で「とらさん」
それも毎年のように大船の松竹撮影所に通った。
こちらは絵合わせはなく、山本直純さんが指揮をした。
あの飄々とした音楽は直純さんの傑作。
山本直純さんは劇伴(映画やドラマの音楽)では、ヴィオラのパートを書かない。
しかしある時、直純さんの仕事なのにヴィオラとヴァイオリン両方持ってくるようにと、連絡があった。
変だなと思ったけれど、そんなこともあるのかと2台持参。
スタジオに入ると、勿論ヴィオラの楽譜はない。
アシスタントに訊くと「しばらくコーヒーでも飲んでて下さい」というから、もう1人のヴィオラ弾きと一緒にのんびりと、ヴァイオリン達が仕事しているのを眺めていたら「そこの2人!ヴァイオリン弾いてよ」と直純さんが大声を出した。
ふたりでペロリと舌を出して、自由時間は終ってしまった。
その後もヴィオラの楽譜は出てこない。
結局みなさんより働かず、かつ、楽器持ち替え料まで頂いて帰って来た。
直純さんの最晩年の仕事にまで付き合ったけれど、本当に希有な才能の持ち主だった。
クラシック音楽を大衆のものにしようと努力して、ヒゲを生やし真っ赤な上着で指揮をしたり、変なおじさん風に捉えられていたけれど、同時代の作曲家からも小澤征爾等からも尊敬されていた。


















2014年5月17日土曜日

生傷が絶えない

食事をしていると、いつもテーブルの隣の食器棚の上に座る猫がいる。
地震の時に倒れると怖いから、家具は全て腰の高さまでの物をそろえている。
食器棚の上はテーブルより30㎝ほど高い。
ちょうど私の肩の高さに猫が居ることになる。
その子は、不思議猫の「もーちゃん」
人の心が分かる賢い子で、食い意地は張っていないのだが、食事に参加しているつもりらしい。
それで私の手のひらにのせた、刺身や煮魚のかけらなどをほんの一口食べると気がすむらしい。
一種の儀式みたいなもので、それ以上は騒がない。
私が食べ終われば、サッと飛び降りていなくなる。
今日その子は、食器棚の上にあった猫のカリカリを入れておくプラスチック容器の上に乗っていた。
それが、なにかの拍子にグラッとゆれて、落ちまいとして私の肩に取りすがった。
そのまま私の肩に爪を立てて、ズルリと落ちていった。
首回りの大きく開いたシャツを着ていたので、私の肩は無残にも、長ーい引っ掻き傷が数本残ってしまった。
来週土曜日には、背中が思いっきり開いたドレスを着るのにゃ。
どうしてくれる。
動物を飼っていると、こんな騒動は日常茶飯事。
数日前にはたまさぶろうが、いきなり私の左目の下の涙袋の辺りをひっかいた。
いったいどういうつもりかは分からないが、最近耄碌したらしく、やたらDV男になってきた。
前は穏やかな子だったのに、最近は大音量で悲鳴のような鳴き声を上げる。
別に機嫌が悪いのでも、恐怖に怯えているのでも無く、ただ声がやたら大きくなった。
毎晩彼は私のベッドで寝るのだが、ベッドに飛び乗る前にもかならず大声で叫ぶ。
何故かわからないけれど、叫んでからよいしょとベッドによじ登り、私の左腕を枕にするとさも満足げに喉をゴロゴロいわせるから、ご機嫌は麗しいらしい。
ところが私の寝付きは寸殺もので、電気を消すと同時に眠ってしまう。
そしてしばらくして目を覚ますと、ベッドにはもう、たまさぶろうの姿はない。
ブスッとして後ろ向きに足元で寝るか、隣の部屋で寝ているか、どちらか。
どうやら、寝相の悪い私が邪険に手足を動かして、虐待しているものと思われる。
それで腕や頭に爪を立てたりしているらしい。
それでも呼べばいそいそ来るし、足元に座って私の顔を見あげる表情は、うっとりと愛おしげ。
たまさぶろう、君だけだよ、そんな風に私を見てくれるのは。
人間の男たちは、ほんとに見る目がないねえ。



















2014年5月16日金曜日

生徒のデビュー

今年大学4年生の桜子が、北本市と東京音大の提携のコンサートで弾かせてもらうことが出来た。
北本市さんごめんなさい、埼玉県というだけでどこにあるのかは知らなかった。
電車に乗っていると浦和も通り越し、上尾も通り越し、大丈夫だろうかと思う頃、北本駅到着。
なにか雰囲気が伸び伸びしていて、昼食を食べに入ったイタリアンレストランも、御菓子を買ったお店も、すごく感じがいい。
どこかで眼鏡(言わずと知れた老眼鏡)を落としたらしく、眼鏡屋さんで間に合わせに安い物をと思ったら、オーダーだけのお店だったので、他のところを紹介してくれた店員さんも親切。
町全体が感じが良いだけでなく、中学生も可愛い。
文化センターの場所を訊いたら、「すぐ隣です、わからなかったらついて行きましょうか」と言うから、おいでおいでをしたら、とびっきりの笑顔で立ち上がった。
それで「いいわよ。もし私が誘拐犯だったらどうするの」と言ったらワッと笑って「おもしろーい」と騒いでいる。
あはは、こちらの方が面白い。
会場は文化センターの一角の部屋に、40~50脚ほどのイスが並べてあって、ホールではないから響きは今一だが、お客さんは満員の盛況だった。
入場料500円なり。
まだ発展途上ヴァイオリニストだから、このへんが妥当。
とてもおっとりした日本的な顔立ちの桜子は、思いがけず舞台映えがするのが嬉しい発見だった。
背がスラッと高く、真っ赤なドレスで現れた時には、これがレッスンが終ると「のみ~、しらみ~(笑)」と言って私にかじり付いてきたあの子かと、少しホロッとした。
「テクニックの面では申し分ないが、表現力が・・・」と、どの先生からも言われ続けてきたが、ようやく大人になってきて、そちらも少しずつ改善されてきた。
緊張したと言いながら、堂々とトークも演奏もこなし、やっと私がもう心配することもなくなってきたようだ。
これから花開く若い才能を、よろしくお願いします。
覚えてやってください。
大谷桜子と申します。















2014年5月15日木曜日

強い人達

昨日の投稿「松本組」のメンバーたち。
久しぶりに会ったら、見た目すごく若々しい。
北川さんなどは、長いストレートヘアをショートにして、10才くらい若返って見える。
あら、こんなに可愛らしい人だったっけ。
貫禄十分の先生がうら若き乙女みたいになって。
他の人達も、びっくりするほど変わらない。
話を始めると、やはり長い年月の中で、それぞれ大病を経験している。
発病時や治療の経過を、いかにも面白そうに話す。
まるで旅先での楽しい体験を語るように。

過酷な練習とストレス、演奏会の疲労などは口では言い表せない。
それなのにどうしてこんなに生き生きしているのかというと、皆強い人達なのだ。
演奏家になるまでの長い道のりで培われた、強さ。
長時間の毎日の練習。
何回も何回も繰り返し同じ練習を飽きもせず出来る忍耐力。
それで初めて一人前になれる。
ごく一部の天才を除けば、殆どの人は音大を出て、やっとスタートラインに立てる。
そこから又10年20年かけて成熟するためには、毎日休むこと無く勉強が続く。
私も普通の人達が会社を辞めて、余生を楽しむ歳になっても、毎日練習は欠かさない。
そして仕事が減った分、じっくりと練習できるようになって、やっと自分の納得できるような音になってきたと思う。
学生時代先生から「お嬢さん、今が勉強の時だよ。仕事するようになったら勉強するヒマがなくなるから、今しなきゃだめだよ」と毎回耳タコで言われていたのを鼻で笑って、遊びほうけていたのが悔やまれる。
あのころ猛烈に勉強しておけば、もっと先まで進めたのに。
後悔しても始まらない。これからが正念場。
「松本組」のメンバーはドイツのオーケストラでコンサートマスターをつとめた北川さんを始め、錚錚たる面々だけれど、物に動じない肝っ魂の太さはそれぞれ異常なほど。
健康面でのトラブルはかなり体験して、大手術をくぐり抜けてきた人が多い。
並の生活を遙かに超えるストレスの多い世界に生きているから、体への負担も大きい。
結果、体が悲鳴を上げてしまう。
昨日の5人全員が、大変な病気をくぐり抜けてきているのに、まだ現役で大活躍している。
ガンなどの大病が見付かったときの反応も冷静で、闘病生活もどうやったら楽しくできるかと考える。
超前向き思考。
それと死に直面したときの動じない態度が異常にすごい!
これ、一種の精神的な欠陥かもしれない。
そうでないと、何百人もの前でソロなんて出来ない。


















2014年5月14日水曜日

松本組

外山滋さん率いるアマデウス合奏団で、一緒に仕事した仲間達。
何れ劣らぬアンサンブルの名手で、気持ちの良い人達だった。
松本市でのコンサートでは、これ以上楽しかった事は無いというほど気の合った、アンサンブルを体験した。
ステージの上で楽器で対話する喜びをかみしめながらの数日間は、私たちの思い出の宝箱。
演奏中は視線が飛び交い、耳が相手の音を捕らえる。
こちらに向かってくる音の挨拶を、はっしと返す。
おもわず顔を見合わせてニコニコする。
本当に楽しい音楽体験だった。
指揮の外山さんも病気上がりではあっても、終始嬉しそうに私たちのことを見ていらした。
まだ皆現役で、その頃若かった人が今は偉い先生になっていたりするけれど、今でも会えばその時のまま。

今日は松本の仲間達が、外山さんを偲んで集まった。
当時のメンバー全員というわけにいかないので、コンサートミストレスの北川さんと、ヴァイオリン、ヴィオラまでのメンバー5人。
荻窪に集合した。
ヴァイオリン3人ヴィオラ1人、マネージャー1人。
あとは海外にいたり、都合がつかなかったり、男性には声をかけなかったので、いつも来る面子はほとんど同じ。
ブランクがあっても顔を合せたとたん、年月の垣根は越えてしまう。
それになんというか、一様に皆若々しく年齢不詳なので、昨日まで一緒に居たような思いがする。
おしゃべりして笑ってあっという間に10時半、別れ際に再会を約束した。
もう日にちもきまった。7月8日、七夕の次の日に。
外山さんは今日も私たちの輪の中にいらっしゃったみたい、次の予定もきっと忘れずに来て下さるでしょう。
心残りは、外山さんが熱望していらした松本組でコンサートをすることがもう出来ないこと。
外山さんはずっとおっしゃっていたそうなのだ。
あの時のメンバーでもう一度演奏したい、と。
ご冥福をお祈りします。












2014年5月13日火曜日

散歩

一緒に居ると楽しく心が安まる友人がいて、月に1度はおしゃべりをしに喫茶店でのお茶会をする。
今日は朝の内は雨。
どんよりとした天気で、目的地に着くまでの道すがら、いつもならきれいに見える大山と富士山が雲に隠れてしまっていた。
あまり家から出たがらない人で、どこかへ行こうと誘ってものってこない。
到着の電話をしていつものお店ではなく、他に行かない?と言いかけて、言ってもむだかと諦めた。
しばらくお茶していると、珍しく外へと誘われた。
さっきの電話で私が言いかけたことを、気にかけてくれたようだ。
近所に遊歩道があって、そこを歩き始めた頃には雨が上がり、かなり強い日差しが顔を直撃する。
車に帽子を忘れてきたことに気が付いたけれど、取りに戻ると言ったら気が変わるといけないから、日焼けを気にしながら歩き始めた。
今は四季の中でも暑からず寒からず、新緑も咲き始めた花も美しい。
気持ち良く歩きながら、とりとめの無いおしゃべりをしていると、いつもの慌ただしい生活を忘れてしまいそうな、のんびりとした気分になる。
家からほんの少し西に向かったところで、田園風景も見られるのがうれしい。
子供の頃は、我が家からまだ富士山が見えていた。
夕日に向かって兄姉と並んで立ち、後ろに出来る影が長く伸びていくのを、振り返って見ていた。
あの頃の子供はのんびりしていた。
夕日が沈むと揃って家に入り、晩ご飯を食べたりお風呂に入ったり、大家族でいつも賑やかに暮らして居た。
今はそんなに沢山の人と一緒だと、たぶん疲れてしまう。
子供の頃眺めていた方角に惹かれてしまうのは、山のせいか人のせいか。













外山滋さんを偲ぶ

先月無くなった外山さんのことを書くのは3回目。
重複しますがお許しを。

アマデウス合奏団は、外山氏が率いた弦楽アンサンブル。
コンサートミストレスの北川さんと外山さんとは非常に気が合って、外山さんの指揮とソロで私たちが伴奏をする仕事が沢山あった。
とりわけ印象に残るのが、長野県松本市での仕事だった。
1週間ほどの滞在だったが、毎日オルガンのある響きの良いホールでの学生向けのコンサートは午後の部が終ると暇になるので、車を連ねて上高地までドライブ、午後のお茶を楽しんで夕日を見ながら帰って来た。
メンバー同士がすごく気が合って、生涯でもこんなにアンサンブルも遊びも楽しかった仕事は他にはないと、その当時のメンバーが未だに口をそろえる。
なにかにつけては、思い出のメンバーで集まってお酒を飲む。

外山さんは史上最年少でN響のコンサートマスターになったくらいの天才。
国際コンクールの審査員にもなり、海外からも認められる人だった。
彼のCDを聴くと、あまりの上手さに驚く。
私はアマデウスに参加する前に、弦楽3重奏をしばらく一緒にやっていただいた。
当然ヴァイオリンは外山さんで、私はヴィオラ。
なぜこんな大物と一緒に弾かせて頂けたかというと、あるとき知り合いのチェリストから電話があって、1週間後に弦楽3重奏の本番があるけれど、ヴィオラが急に降りてしまったという。
どんな事情かは分からないが、当時売れっ子の美しい女性ヴィオリストは我儘でも有名で、なにかお気に召さなかったのかもしれない。
しかも曲目はモーツァルトの「弦楽3重奏ディヴェルティメント」長くて難しい曲で、ヴァイオリンなら数回弾いているからなんとかなるが、専門でないヴィオラでは弾いた事も無い。
1週間で果して出来るものか、しかもそんな大演奏家と。
断っても断っても、電話の向こうのチェリストはめげない。
最後には黙ってしまって、沈黙の気まずさに負けて引き受けてしまった。
今のように私もヒマならなんとかなるけれど、当時の忙しい仕事の合間をぬって夜中まで練習して、ようやく初めての練習に目黒のお宅にお邪魔した。
たいそう気さくな方で、楽しそうに弾いて下さった。
それ以来とても気に入って下さって、ベートーヴェンもやりましょうと言うことで何曲か弾いて、次に取り組んでいたときに悲劇が起こった。
チェリストが真っ青になって外山さんと連絡が取れないと言ってきた。
その少し前からあの陽気な方が、時々音が合わないと言って不機嫌になることがあった。
ベートーヴェンのトリオのCモール。
冒頭の部分がへんな音がすると言う。
私の耳にはさほど違和感は無いけれど、とにかく耳の良さでは神様級だから、私たちには分からないほどの音程のずれを感じるのかと思って、何回も練習したけれどお気に召さなかった。
その直後、彼は耳を壊して長い闘病生活となった。
一つの音が何重にも重なって聞こえたりするらしい。
それで残念なことに弦楽3重奏は解散した。
彼は芸大教授もやめて、音楽界から姿を消してしまった。
そして数年後、北川さんのお誘いでアマデウス合奏団で弾いた時に指揮者として現れたのが、外山さん。
私の顔を見ると、急に顔がくしゃくしゃになって、今にも泣き出すのではと心配した。
もともと陽気な方だから、その後は和気藹々の仕事が続いて、ご本人はヴァイオリンを弾くとまだ、音が2重に聞こえたりするらしかったが、松本では盛り上がって毎日笑いに充ちていた。
その後も時々仕事でお会いしたが、お歳を召されて明石で隠居生活に入った。
「明石詣で」と言って生徒さんが時々訪れるほかは、お世話の方と2人でマンションの一室でひっそりと暮らしていた。
北川さんと私が「明石詣で」に行った時にはいくぶんぼんやりなさっていたが、ヴァイオリンの話になると途端に生き生きとなって、私たちが帰る頃には、以前のあの陽気な往年の外山さんになっていた。
北川さんがこの3月、仕事の通り道、往きか帰りに明石に行くつもりで、結局帰りにしたのがざんねんなことになって、その前日亡くなられたという。
往きによっていればお目にかかれたのにと、悔しがっていたけれど。
まだ皆がヴァイオリンを手探りで教え学んでいた頃の日本に、あれほどの才能が花開いたのは、奇跡としか言いようがない。
明日外山さんを偲んで「松本組」が集うことになった。



















2014年5月12日月曜日

西湘フィル第3回定期演奏会

この記事の内容は削除しました。
かなりズケズケと言いたいことを書いたら、それが皆にとてもショックだったらしく、可哀相なので怖いおば(あ)さんをやめて、優しい媼に戻ります。
言いたいことは言ったので「はらふくるるわざ」にはなっていませんが、日本でははっきり物を言うのは歓迎されませんね。

私は外国に行くとすごく快適に感じるのは、回りくどい言い方をせずに済むことで、しかも自分の意見を言わないと、あちらから追求してくるほど、きちんと話せるから。
可笑しかったのはロンドンアンサンブルのメンバー達と箱根に行ったとき。
火山ガスの危険度を示す信号機が付いていて、青信号を見た彼らが「日本人はどうしてあれを青というのか。あれはグリーンである」としつこく訊いてきた。
日本は三原色の範囲であれを青と言うのだと言っても納得しない。
延々と論争させられた。
なんでも気が付くと、あれはどうしてと訊いてくる。
納得するまで大騒ぎ。
大きな子供たちを連れて歩いているようだった。
理論の上に成り立つ社会と情の社会の違いが、はっきりとする。
私はどちらかというと理屈やだから、物を言うときに気をつけないと人を傷つけていることがある。
勿論日本人の場合だけれど。
海外に行ったらがんがん物が言えて気持ちがいい。
ただし、語学力がないから、相手に自分の言い分が分かるかどうかは別問題。
相手の言うことも分からないから、お互い都合が良いのかも知れない。













雨田さん

毎日訪問するブログは決まっていて、朝起きるとまずそれらのブログを一巡する。
その中に写真が素敵な一級建築士さんのブログがある。
その下のコメント欄が面白い。
ダジャレが飛び交い、あるときは数十ものコメントがどっと寄せられる。
最近の記事は根津神社。
その中に「猫神神社」があるというコメントがあって、覗いてみた。
覗いている内にみつけた!
一枚の写真は雨田さんの猫だ。
チャイコフスキーのトリオを弾いている3匹の猫。

雨田さんはハーピストで画家でもあったお父様の影響からか、チェリストだったのが、いつの間にか画家としても有名になってしまった。
それも殆ど猫と、たまに犬の絵。
楽器を弾いている動物の絵。
初めて見たのは、オーケストラの練習場のコーヒーサービスコーナーにかかっていた猫の絵。
一体だれがこんなに可愛い絵を描いたのか訊いたら、あの人よと教えられた瞬間、ご本人の前に飛んでいった。
ぜひ私にも一枚描いて下さい。
すると優しい笑顔の中で目が鋭く私をとらえているのがわかった。
画家やカメラマンの目だと感じた。
後日和紙を5枚ほど持って、お願いしたら「え、こんなに沢山!で、なにを描くの?」と言うので、貴方の自画像をお願いしますと言ったら、しばらくして届いたのが、子狸がチェロをひっくり返して逃げている図。
もう一枚はつぶらな目で空を眺めながら、立ったままでチェロを弾いている子狸。
もう一枚はチェロの弓で赤とんぼを追いかけている子狸。
なぜか内股。
全部、狸。
なるほど、そう言われてみればハンサムなのに、似ている。
狸か狐かといえば狸顔。
その頃の雨田さんはまだ画家としてはアマチュアだったので、紅茶とクッキーを差し上げて、文字通りお茶を濁した。
今は画廊で値段がついていて、手が届かない。
絵はがきにもなって売られている、売れっ子の絵描きさん。
お宅にお邪魔した時、玄関を入ると沓脱ぎに、いきなり猫のトイレが置いてあった。
よく雨田さんの絵に出て来る、白地にグレーの模様のジャリちゃんと言うのが当時の飼い猫さんだった。
雨田さんが近所を歩いていてジャリに出会ったけれど、よその奥さんが「あら、**ちゃん」と他の名前で呼んでいたそうだ。
「猫は保険かけてるんだよね」と笑っていたけれど。
うちの亡くなった猫も数枚描いて頂いた時、写真を見せてたら、「大丈夫?」と訊かれた。
思い出して悲しむのではと、気遣いをしてのこと。

絵ができあがって、おまけと言ってハガキ大の絵を渡された。
白い嫋やかな猫がヴァイオリンを弾いている。
それはきっと私の姿だと思い込むことにした。
描いた人と見る人の見解が違っても、芸術はそういうものだということ。文句ある?













2014年5月10日土曜日

女3人よれば

西湘フィルの定期演奏会を明日にひかえて、最後の練習が夕方から始まる。
今日は会場練習で、終ると9時半。
それから家に帰るには遠すぎるので、駅前のホテルに泊まることにした。
コントラバスのHさんとヴィオラのFUMIKOさん。
お互い長い付き合いだから、初めは近くの温泉の和室で雑魚寝と思っていたが、遊びに来ているわけではないので、やはりホテルに部屋をとった。
それでも練習が終れば少しは楽しくお酒でも一緒に飲むつもりで、ワインとつまみをいそいそと用意をする。
車に積めば色々な物が持って行けるので、あれもこれもとなってしまう。
ワインと一緒なら果物入りの固いパンに臭くて塩っぱいブルーチーズをのせ、その上にマーマレードをのせる。
これが実にワインに合う。
アンチョビとオリーブの塩漬け、スモークサーモンも。
それにサラダとトマトがあれば、夜食としては出来すぎ。
少し食べ過ぎかな。
コーヒーも忘れずに。
そんなことを考えて居たら、楽器を忘れそうになる。
私の友人達は、何れ劣らぬ面白い人達ばかり。
苦労が無いわけでは無いが、目一杯人生を楽しんでいる。
コントラバスのHさんは、ご主人の難病の介護を数十年、ご主人が亡くなったストレスでご本人も乳がんと大腸ガンを発症。
数回の手術を乗り越えた。
その間お嬢さんを育て、大学を卒業させ、社会人として世に送り出した。
普通の人ならとっくに鬱病になっている様な、そんな大変な中でも大学で教え、ご主人の介護のために勉強をして、ついに介護士の資格までとって仕事にしてしまった。
さらなる上を目指して、勉強を続けているらしい。
いつ会っても笑顔が輝いている。
乳がんの発病が私と同じくらいの時期で、お互いに気遣いあって病を克服してきた、謂わば戦友でもある。
圧倒的に彼女の方が修羅場だったけれど。
FUMIKOさんも苦労知らずのお育ちだと思っていたが、いまや2匹のビーグルズの母親。
子育ての大変さを日々、ブログに綴っている。
人はただ苦労すればいいってものではない。
その苦労をどのように自分の中で昇華させて行けるかが問題。


























2014年5月9日金曜日

兵士の物語初合せ

ストラビンスキー「兵士の物語」
今年の新年会で酔っ払った勢いで音楽教室の同僚のピアノ、クラリネット、ヴァイオリンでトリオ版を演奏することになった。
酔っ払っていたから忘れているかと思ったら、先日クラリネットの講師のUさんからメールが届いた。
そろそろ始めませんか?と。
それまで放置してあったので、慌てて譜読みを始めた。
ストラビンスキーらしい不協和音と変拍子の連続。
しかし、それほど難しくはない。
少し安心。
所々、これどうやって弾くの?というところもあるが、色々考え方を変えれば、なんとかなることもあった。
ガクタイの頭が柔らかいのは、こんな訓練するからかなあと、言い換えればいい加減、良く言えば柔軟思考。
今日初合わせは、教室に3人集まって、狭いところにひしめき合いながら、音だし開始。
楽譜の見かけが真っ黒(音符が沢山ある)なので休止符を落としたりするものの、考えていたよりも手こずらず、初めの楽章を終った時に「あ、一緒に終った」と思わずつぶやく。
こういう曲を弾くとアドレナリンがドッと出て、生き生きしてくる。
面白い。
重厚なブラームスなども素敵だけれど、時にはこうした現代物も楽しい。
ストラビンスキーと言えば、オーケストラでは「春の祭典」「火の鳥」「ペトルーシュカ」などが定番で、よく弾いたものだった。
初めて春の祭典を弾いたのはオーケストラに入団して間もなく、
最後の部分の変拍子の連続に泣かされたけれど、一度覚えてしまえばそう難しいことも無くて、若くて反射神経も抜群だったから、かえって得意の曲の一つになった。
ある時の定期演奏会の曲目が、武満徹「ノベンバーステップス」そしてストラビンスキー「春の祭典」の2曲だった。
武満さんの曲は大変上手くいって、指揮者の秋山和慶さんから後日聞いたのは、その時武満さんが舞台袖で待っていて、秋山さんに「どうしてこんなに良い音がするの」と言ってポロッと涙をこぼしたそうだ。
作曲者自身が涙をこぼすほどの、出来栄えだったらしい。
気を良くしたメンバーは次の「春の祭典」に取り組んだ。
最後の最後まで上手くいっていた。
さあ、最後のクライマックスの変拍子、だれもが大成功と思ったのに・・・休符のところでギャンと飛び出した人がいた。
全員がっかりだけれど本人が一番がっかりしたらしく、しょげ返っていて、しばらくしたらこれが原因では無いかも知れないが辞めて故郷に帰ってしまった。
でも本当のこと言えば、そんなことはすごく小さな事で、本気で弾いた結果飛び出したなら、皆は許してしまう。
聴衆だってそれほど気にはしない。
でもやってしまった本人はそうはいかない。
しばらく悪夢にうなされる。
オーケストラ独特の恐怖感は、いまでも夢に見るほど。
「春の祭典」の日本初演は山田一雄指揮のN響だったらしい。
噂では、最後の部分がひっちゃかめっちゃかになり、指揮者もグチャグチャ、最後にホルンがエイっと終って無事終了した。
でもやんやの大喝采だったそうな。
まだ日本のオーケストラの黎明期、どれほど難しく思えたか。
今時の若い演奏家たちはなんなく変拍子をこなす。
我が家の楽譜の墓場はピアノの上。
いつか弾こうと思って買った楽譜が積んである。
その中にストラビンスキーのヴァイオリンとピアノのための「Divertimento」がある。
ついでだからと言ってはなんだが、そろそろこの曲にも取りかかってみよう。


























2014年5月8日木曜日

宿泊履歴

今月11日は西湘フィルの定期演奏会。
前日夜9時半まで練習があり、次の朝は10時ゲネプロとなると、もう家に帰っていたら寝る暇が無い。
それで前夜から秦野に泊まることにした。
団員の少ないアマチュアオーケストラは、費用の捻出が大変だし、指揮者に殆どのギャラがいってしまうので、会場費など必要経費を除いたらもう余っているお金など無いのはよくわかる。
だから宿泊費は請求出来ない。
団を立ち上げるときに関わった身としては、それは致し方が無いけれど、今回宿泊にお付き合い頂くヴィオラとコントラバスのエキストラに申し訳が無い。
ネットでなるべく安いホテルを探すが、宿泊日が土曜日と言うことで、ぐんと跳ね上がる。
駅前のホテルが一番いいのだけれど、少しでも安いところと思って探していたら、温泉の宿泊施設があった。
女性3人、和室で雑魚寝ならほんの少し安い。
3人で楽しく飲みながらのおしゃべりも悪くない。
近隣の町のホテルも探しあちらこちら何回も予約しては取り消し、又同じところを予約し、色々考えたけれど、安心して泊まれ、当日会場に近いとなると、駅前のホテルがベスト。
2日前まではキャンセル料がかからないから、いい気になって予約、取り消しを繰り返し、宿泊施設は良い迷惑だったろう。
ちゃんと予約と取り消しがされているか見ようとして、確認のページに行ったら、以前旅行した時の記録が残っていた。
へえ~、こんなホテル泊まったっけなどと、思い出して懐かしい。
そうそう、このホテル真夜中に人っ子1人居ない駅におりて、侘しい思いで泊まったっけ。
あれ、こんな場所にも行っているんだ。
次々に、全国を飛び回っていた頃の記憶が蘇る。
普通の人ならストレスになるような生活が好きだった。
外国へ行っても1人で歩くのがなにより好きだったし。
エジプトで迷子になったときには、さすがに少しだけ焦ったけれど、ちゃんと帰って来た。
昔を懐かしむようになったのは、歳をとったせいかな。
でもまだ、来年はイギリスの湖沼地帯に・・なんて話も出ている。
ロンドンアンサンブルのリチャードがスイスのスキー場に連れて行ってくれるという話も。
多動児だからどこへでも気軽にすっ飛んでいく。
それでも静かに本を読んだり、音楽聴いたりするのも好き。
どちらかというと子供の頃は読書好きの人見知りをする子供だった。
どうしてこんな落ち着かない大人になってしまったのかしら。
いつでも、これは何かの間違いだと思っている。


















2014年5月7日水曜日

公開レッスン

ここ数年毎年行われるハビブ・カヤレイ氏の公開レッスンを聞きに行った。
スイスのカヤレイ・ヴァイオリン・アカデミーで研鑽を積んだヴァイオリニストの細野京子さんの主宰。
師であるカヤレイさんの教えを日本に広めたいと、ここ数年尽力されたのが実を結んで、すっかり定着したのは喜ばしい。
彼のレッスンを聴いていて感動するのは、美しい音に対する飽くなき情熱。
いついかなるときも決して音を粗末に扱わない。
受講者が出来なければ出来るまで教える。
1時間のレッスンで出来るのは殆ど曲の冒頭部分のみ。
その間何回も何回も繰り返し、理想の音に近づけさせようと努力する真摯な姿勢に胸を打たれる。
受講者の音が次第に変わっていくのも聴いていて愉しい。
どんなに時間がかかっても諦めない。
そして温かい人柄が生徒を揺り動かして、初めはカチカチだった体の力が抜けていく様を見ると、教師たるものこうあるべきと一瞬猛反省をする。
すぐ忘れてしまうのがいけないけど。

先日見学したのはフランスのオリヴィエ・シャルリエ氏のレッスン。
パリ音楽院の教授でありロン・ティボー国際コンクールの審査員である鬼才のレッスンは、曲の構造と和声についてが主だった。
例えば16分音符の連続であっても、全部弾き方が同じではないということ。
曲がどんな構造になっているかを解き明かしていくと、見る見る立体的になっていくのが素晴らしかった。
日本人の生徒達は、いずれも技術的には申し分ないのに、なぜか演奏が平板なのは、こうした曲の分析力がないからではと思う。
今の若者の技術は十分に世界的水準にある。
だから和声と構造に対する勉強をすれば、世界でもトップクラスになれるはず。
私は今までのんびりと音楽を楽しんでばかりだったけれど、こういう人達のレッスンを聴くと、なぜ留学しなかったのか悔やまれる。
オーケストラと室内楽があまりにも面白くて、外国に行くように勧められても、その余裕もなかった。
前述に重複するが、日本には優秀な先生と生徒達がいるのに、今ひとつ何かが欠けているのは、こうした構造と和声に裏打ちされた音楽の組み立て方を知らないからだと思う。
日本人は世界的なコンクールで優秀な成績をおさめているけれど、生まれながらに持っている伝統の力にはかなわないと時々実感する。













2014年5月6日火曜日

カメラマンは大変!

カメラマンってすごい00

らばQというサイト←こちらをクリックして下さい。
動物カメラマンは相手が思うように動いてくれないので、よほどの忍耐力が無いと勤まらない。
人間は自分たちが世の中で一番賢いと思っているが、動物に上前はねられることもある。
とにかくご苦労さん、お陰で私たちは、面白い動物の生態が見られる。
http://labaq.com/archives/51800057.html

2014年5月5日月曜日

クライスラーの嘘

5月の後半、東日本大震災復興支援コンサートで使うのは、例の生き残りの木で作られたヴァイオリンとヴィオラ。
どういうシステムになっているのかはわからないけれど、主宰者が楽器を借りてくれる。
その楽器はコンサートの2日前にしか貸し出してもらえないので、1日だけ手慣らしして弾かなくてはならない。
ヴァイオリンは長年同じ楽器を使っているので、もう自分の体の一部のようになってしまっている。
それで、違う楽器を使うと微妙に「ツボ」と言うのだが、音程のスイートスポットが違う。
勿論鳴り方も全然違うと思うので、馴れるのに1日では短すぎるけれど、そういう約束で借りるらしいので、仕方が無い。
さて曲目はどうしようか考えて居たのだが、長すぎず気難しすぎず、それでも格調高くとなると適当なものが思いつかない。
ヴィオラはFUMIKOさんが弾く。
いつもはチェロの代わりにヴィオラとピアノとヴァイオリンでトリオを弾いているので、その編成のレパートリーがある。
復興支援と言うことなので、なるべく日本の曲を多めに入れてと考えて居た。
それでトリオとしては日本の曲、それぞれのソロは自分の好きな曲となった。
最近生徒達が何故か、我も我もと弾いているクライスラー「プレリュードとアレグロ」が大変素敵な曲なので、それを弾くことにした。
この曲は先日ロンドンアンサンブルのタマーシュが目も醒めるようにあざやかに弾いた曲。
彼は「この曲弾くのは6才の時以来かな」と言っていたそうで、私はそれに遅れること8年ほど。
その時にはこんなに面白い曲だとは思わなかった。
訳もわからず弾くと、なんてへんてこな音型の連続なのかと思ってしまう。
ところが、早いパッセージを猛スピードで弾くと、なんとそこに浮き上がってくる旋律がある。
まるでパズルのようなのだ。
初めて弾いた時にはワケが分からなかったので、ただ早く弾けば良いのだと思った。
先生も別になんの説明もしてくれなかったし。

この曲、クライスラーが演奏旅行中にイタリアの図書館で見つけた、プニャー二という旧い作曲家の楽譜、そのテーマを元にアレンジしたという触れ込みで発表された。
ところが数年後クライスラーは、実はあれは自分の作曲であると告白しセンセーションを巻き起こしたという。
いわゆる偽装。
何故そんなこと言ったのでしょうね。
クライスラーって、ものすごくIQが高かったのだと思う。



























2014年5月4日日曜日

子供が可愛くない。

ゴールデンウイークで電車に乗ると、親子連れがわんさか乗ってくる。
若い両親と学齢前の子供。
これがたまらなくうるさい。
こんなこと言うおばさんがいるから、日本の出生率が減るんだと思われると困るけど。
子供を産んだことも無いくせに、子育ての大変さも知らないくせにと言われそう。
でも私は大家族で育ったから、いつでも実家には子供がいて、親よりも私が面倒見ることも多かった。
子供は躾ければ、いくらでもちゃんと出来ると言うことを知らなさすぎる。
ガクタイは世間の枠から外れているわりには、子育てはキチンとする人が多い。
例えばレストランで大声を出したり走らせたりはしない。
友人達がまだ子育て世代だった頃、その子供たちと一緒に食事に行っても、不愉快な思いをしたことは一度も無い。
しっかりと躾けられていて、大人の会話の間騒ぐことも無い。
少し大声を出すと「ここは遊び場ではありませんよ」とたしなめられ、すぐに静かになった。
いつもオーケストラに子供を連れてくる人が居た。
その子は練習が始まると椅子に座って、ジッと練習を聴いていた。
椅子から立ち上がることも無かった。
そのかわり休憩に入ると、大騒ぎ。
大人達もわかっているから、目一杯走らせてあげる。
そして練習時間になれば1時間から1時間半、じっとしている。
その頃、まだ4才位だったと思う。
小学校に入るまでそれが続いた。
コンサート会場にも来ていた。
コンサートが終るまでジッとして聴いているか眠っているかだった。
海外に旅行して思うのは、日本の子供のしつけが悪いこと。
飛行機の中でも騒ぐのは、殆どが日本人の親子。
海外の免税店のレジで、友人がレジ係と話をしていた。
なにを話してたの?と訊くと、店内で子供が泣いていたのでレジ係から「あれは貴女の子?」と訊かれ、「日本の子供はすぐに騒ぐ」と言われたので「私はシングルよ」とアピールしていたそうな。
電車の中で自宅そのままに、だらしない親子を見かけると不愉快になる。
座れないと言って駄々をこねる。
座るとつり革に掴まりたいと言って泣く。
昨日は向かいの席に、胸を開けて授乳している母親を見て唖然!
お願いだから降りてからにして下さい。
私の隣のおじさんが、身を乗り出すじゃあないですか。
父親がだらしない。
子供の言いなり放題、子供は親をすっかり見下す顔つき。
その顔が本当に可愛くない。
子供は2才にもなれば、人の言うことがよくわかる。
サル、イヌ以下にしては子供が可哀相なのに。

















2014年5月3日土曜日

久々の西湘フィル

5月11日秦野市文化会館にて定期演奏会。

そのお手伝いにはせ参じることとなった。
初めトレーナーとして行っていたのだが、練習日が休日なので東名高速が恐ろしく混み、帰路は3時間くらいかかることも多かった。
毎回空いていたことがなくて、往復するだけでヘトヘトになるので、トレーナーはお役御免にしてもらい、演奏会の時にエキストラで参加することになった。
それもヴィオラをという要請だったけれど、私はヴィオラ大好きでも体が小さくて、負担が大きい。
それで今回はファーストヴァイオリンを弾かせてもらう。
オーケストラで一番楽なのが、ファーストヴァイオリン。
美しい旋律を気持ち良く弾かせてもらえる。
それは音程は高いし目立つから間違えればアウトだし、それなりの苦労があっても、セカンドヴァイオリンやヴィオラのようにワケのわからないことはやらされない。
内声は本当に難しい。
ファーストヴァイオリンとチェロに挟まれて、あちら立てればこちら立たずみたいな苦労をする。
卒業後オケに入ってファーストヴァイオリンばかり長く弾いて居たので、セカンドヴァイオリンが羨ましくて仕方が無かった。
何回かセカンドを弾かせてとお願いしても許可が下りず、10年以上経ってから、もう辞めるというときに初めて弾かせてもらえたらこれが面白くて、それから数年居座ってしまった。
今はもうセカンドヴァイオリンは弾けそうも無い。
若い頃に染みついたファーストヴァイオリンの癖が、つい出てしまうから。
セカンドは、曲が良く分かっているベテランで無いと難しい。
音が低くて目立たないから初心者はセカンドに回されることが多いが、それは間違っている。
自分の役割をハッキリと知った上で、高音と低音の仲立ちができなければいけない。
スコアを読んでキチンと役割を果たせるようでないと、内部から崩壊が起きる。
今回どのパートを弾きたいですかと聞かれたから、1も2もなくファーストと答えた。
楽なんです、本当に。
今日初めて練習に参加した。
顔ぶれは少し変わっていたが、開団当時からの有力メンバーが頑張っていて、ずいぶんレベルが上がっていた。
かなり良い線行ってます。

曲目は
ビゼー  「アルルの女組曲」
ブルッフ 「ヴァイオリン協奏曲」
フランク 「交響曲」
14時開演。

気持ちの良い季節になりました。
お誘い合わせの上、ご来場下さい。
お待ちしております。




















2014年5月2日金曜日

騒音

ストラビンスキー「兵士の物語」の譜読みを始めた。
本番はまだ先の9月。
それでもなんやかやしていると、あっという間に本番前日ということになってしまうから、早めに譜読みだけしておこうと先日から楽譜を広げて弾き始めた。
私の家の上の階には、女子大生の姉妹が住んでいる。
今はゴールデンウイークで、部屋にいることが多いようで、時々かすかに生活音が聞こえる。
ところが私がストラビンスキーの練習を始めると、とたんにあたふたと歩き回る音がして、階段をトントントンと駆け下りて、出て行ってしまう。(ような気がする)
私の僻みかもしれないけれど、そんなに慌てて逃げなくてもいいじゃない。
これでもかと不協和音でフォルテの変拍子が連続、上の部屋にまで聞こえているのかも知れない。
上の階が時々空き部屋になったときに入ってみて、下でピアノを弾いてもらっても、それほど聞こえない。
かすかになにか楽器が鳴っている・・・それも楽器の音かどうかもわからないくらいの音量。
それがストラビンスキーは、こんなに過激な反応を引き起こす。
私は午前の遅い時間から練習を始めるので、偶々お嬢さんのお出かけの時間とぶつかるのかどうか、こちらに後ろめたい気があるので、そう思ってしまうのかも知れない。
ヴァイオリンは遠くまで音が飛ぶから、むしろピアノよりもうるさいのかしら。
それでも、楽器は宙に浮いているのだから、音が壁や床を伝わっていかない。
音を出す人達は周囲に気兼ねして、肩身狭く生きている。
我が家も一応は防音工事をしてある。
壁と天井には鉛の板が入り、ドアは厚めで窓は二重窓。
下は駐車場なので、ありがたいことに車は苦情は言わない。
練習し初めはあまり大きな音は出さないが、曲ができあがってきて、だんだん良い気持ちになるとつい、目一杯弾いてしまう。
部屋探しに訪れた人達も、下の階の人が音楽家と聞いて、やめる人もいる。
それでも音楽が好きだし、昼間は部屋にいないからいいわと思って借りたら、ストラビンスキー。
ショックが大きかったかもしれない。















2014年5月1日木曜日

たまさぶろうの入院

最近すっかり歳をとった、たまさぶろう。
少しも食欲衰えず、早朝からめしよこせと大声で鳴く。
ところがこの2,3日、妙に食欲がなくなって、それで缶詰もカリカリも種類を変えてみた。
いわゆる外国産の健康食のカリカリ、缶詰は日本の同じメーカーで原料の違う物。
カリカリは喜んで口をつけたが、その後、大量に吐いた。
粒が大きいからかと、少し細かくしてあげても吐く。
1昨日は元の食べ馴れた缶詰にようやく口をつけたけれど、ほとんど食欲がない。
そして昨日朝はぐったりとして時々水を飲むだけ。
これは大異変!
食欲の権化で朝から大騒ぎするたまが、これでは病気にちがいない。
数えてみればたまはもう18才。
人間の歳に換算すると、優に100才位ではないかと思う。
今日獣医さんに連れて行ったら、その年にしては元気だし毛並みもきれい、他の猫もまだ健康でいるのは、飼い方が上手だと褒められた。
後2匹の雌猫は、食が細くて痩せては居るが、元気で飛び回っている。
よほどストレスが少ないのでしょうと言われたが、その分私がたいへんなのだ。
毎日の気温の差に応じてエアコンの調節、缶詰の種類もしょっちゅう変えて飽きがこないように気くばり、飲み水は活性炭で浄化されるタイプの水飲み器で、水も常に新しい物をと心がけている。
人間だったら「自分でやんなさい!」としかりつけるところだが、猫には滅法甘い。
いつも代わる代わる依怙贔屓のないように、頭をなで抱っこする。ふう~。
それでも猫たちには与えるばかりでなく、こちらもずいぶん慰められている。
仕事が忙しく、突然死してもおかしくないほど働いていた頃、寝ていても動悸が激しくてたぶん血圧も相当高かったと思う。
ずっと耳鳴りもしていた。
ところが猫をなでると、あら不思議。
動悸が治まり、耳鳴りも軽減する。
辛いときには猫に一緒に寝てもらう。
私が突然死せずに生きていられたのも、猫さんたちのお陰。
そのたまが朝から大量に吐く。
吐く物が無くなるだろうと思うのに、水を飲んでは吐くを繰り返したので、とうとう病院に連れて行った。
以前から腎機能の4分の3は停止していると言われていたから、尿毒症かもしれない。
とにかく昨夜は病院にお泊まりしてもらって、治療をお願いしてきた。
顔を見るとまだしっかりしているので、たぶん今回は回復すると思われるが、刻一刻とお別れが近づいてきているのだなあと、感無量。
今居る猫たちが、これでもう最後となる。
新しく飼うには私が歳をとりすぎている。
思えば今まで、何十匹の猫を飼っただろうか。
道ばたで倒れていたり、棄てられそうなのを引き取ったり、心に残るような事も沢山あったけれど、何よりもいつも喜びと安らぎをくれた彼らに感謝したい。
全部いなくなったらサバサバしてなんの心配も無く旅行ができる。そうなってほしいような、そうならないでほしいような・・・
もちろん、そうならないほうがいいに決まってる。

今朝たまは退院して、迎えに行ったら大声鳴いていた。
獣医さんにお別れを告げ、退院。
すでに点滴の効果が出て、缶詰をぺろりと平らげた。
飼い主、飼い猫共にお騒がせいたしました。
タマが元気になって、お財布も心も軽くなった。