2014年5月30日金曜日

700キロを移動した認知症の女性

盛岡市在住で72才の認知症の女性が、700キロも離れた京都で保護されたそうだ。
生活保護を受けて独り暮らしだから、いつ、どうやって家を抜け出したのかはわかっていない。
本人はなにも覚えていないそうだから、いったい新幹線にのったのか、バスに乗ったのか、なにも分からないらしいが、現金は持っていたようだ。
しかし、700キロ移動するからには、乗り物に乗らないということは考えにくい。ホテルに泊まったかもしれない。
だれにも気づかれずに、そんなに遠くまで行けるのか。
その間に関わった人達は、その人が認知症と分からなかったのか、見て見ぬふりだったのかは分からないが、明日は我が身。

私はどこへでも気楽にひょいと出かけてしまうから、ある日チベットで発見されたというニュースを聞いても、誰も驚かないにちがいない。
そうそう、私が数年前にチベットへ行くと言ったら、ある人が徒歩でチベットに行く方法をググったことがある。
この「ググる」と言う言葉は最近2チャンネルなどで覚えた。
Googleで調べることを言うらしい。
チベットだから北の方に行くイメージなのに、まず西の方に歩くと出た。それが新鮮な驚き。
そして海はどうする?
ジェットスキーで海を渡ると言うので、大笑いした。
これも徒歩の内?
真面目にそんなことまで考えてくれるGoogleは偉い!

人は意識下に、放浪の欲求があるのではないかと考える。
絶対どこへも行きたくないという人もいるけれど、ごく珍しい。
たいていの人は遠くへ行きたいと思っている。
遠くに行くと何があるのかというと、ごく普通の旅ならば大差はない。
しかし、衝撃を受けたり感激したりするような景観は、現地へ行かなければ味わえない。
それでも映像で見ればいいという頑固者も、いるようだけれど。
盛岡の人は家に帰れなくなってさまよっている内に、700キロもはるばる来てしまって、不安な気持ちで居たのか、楽しんでいたのか分からない。
私が認知症になる日も遠くはないかもしれないので、その辺のところを訊いてみたい。
ところが私の両親兄弟姉妹、親戚にも認知症になった人は誰もいない。
遺伝的なものならば、私もそうならない。
私の母を見ていて、最後まで頭がハッキリしているのも、可哀相な気がした。
体が動かなくなって、下の世話をされるのは、何より辛かったようだ。
それと私の様な風来坊の行く末を、どれほど心配していたか。
音楽などと言うワケの分からないことを生業としているなんて、堅い家庭で育った人には、許せないことだったのだと思う。
あれほどヴァイオリンの道に進む事を反対したのに、ヒラヒラと飛んでいってしまった娘の事は理解不能だったようだ。
最後の最後まで心配していた。
兄姉達に私の事を頼んでいる姿が、思い出される。
母ももう少しぼんやりしてくれればと、不埒にも考えていたこともあった。
歳をとったらぼんやりするのは特権であると思える様な、やさしい社会でありたい。
幸い私は生まれつきぼんやりしている。
どなたか、いつか、私がアフリカで迷子になっていると聞いたら、迎えに来て下さいね。
ライオンのコロニーで彼らと暮らしているかも知れないから、気をつけて食べられないように。

































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