2014年5月18日日曜日

ゴジラ 寅さん

たまたま点けたテレビでやっていたのが「プロジェクトX」
ゴジラ誕生のはなし。
1954年というから、戦後10年ほど経った頃のはなし。
日本初の特撮は新聞に「ゲテモノ」と言われたそうだけれど、ここまで世界的になったのは、初めの一歩で手を抜かなかったからではないか。
撮影現場の熱気を伝えるような、当時この撮影に関わった人々の証言を聞いていると、胸が熱くなった。
特撮の先駆けとしてチャチな物だったら、その後のゴジラはなかったものと思う。
ところで「ゴジラ」には私も参加しているのですよ。
着ぐるみを着ないでゴジラ役?いえいえ。
性格が怖く不細工だけど、顔はあそこまで怖くはありません。
伊福部昭氏の指揮で、毎年のように世田谷の東宝撮影所で音を録った。
さすがに、いくら私でも初期の頃はいないけれど、後の方でアメリカに身売りするまでは、参加していた。
来年から音録りなしと言われた時は、がっかりした。

音楽を録音するときに、絵合わせのための部分をスクリーンに映すから、劇場に行く前に部分的にだが、見ることが出来た。
伊福部さんはダンディーで穏やかなお人柄のようだったので、なまいき盛りの私は、数小節暗譜しては画面を見ながら弾いていた。
あの特徴的な主題曲だから、すぐに覚えてしまう。
時にはゴジラの抜け殻が、撮影所に置いたあったりした。
あるとき、それが盗まれたと聞いて、あんな大きな物を盗むのも大変だし盗んでどうするのかと不思議に思った。

毎年と言えば、やはり長寿映画で「とらさん」
それも毎年のように大船の松竹撮影所に通った。
こちらは絵合わせはなく、山本直純さんが指揮をした。
あの飄々とした音楽は直純さんの傑作。
山本直純さんは劇伴(映画やドラマの音楽)では、ヴィオラのパートを書かない。
しかしある時、直純さんの仕事なのにヴィオラとヴァイオリン両方持ってくるようにと、連絡があった。
変だなと思ったけれど、そんなこともあるのかと2台持参。
スタジオに入ると、勿論ヴィオラの楽譜はない。
アシスタントに訊くと「しばらくコーヒーでも飲んでて下さい」というから、もう1人のヴィオラ弾きと一緒にのんびりと、ヴァイオリン達が仕事しているのを眺めていたら「そこの2人!ヴァイオリン弾いてよ」と直純さんが大声を出した。
ふたりでペロリと舌を出して、自由時間は終ってしまった。
その後もヴィオラの楽譜は出てこない。
結局みなさんより働かず、かつ、楽器持ち替え料まで頂いて帰って来た。
直純さんの最晩年の仕事にまで付き合ったけれど、本当に希有な才能の持ち主だった。
クラシック音楽を大衆のものにしようと努力して、ヒゲを生やし真っ赤な上着で指揮をしたり、変なおじさん風に捉えられていたけれど、同時代の作曲家からも小澤征爾等からも尊敬されていた。


















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