2014年2月17日月曜日

競争社会

大家族で育ったせいか人と協調するのは割合に得意な方で、競争するよりも仲良くしたい。
今ソチオリンピックを見ていて、死ぬほど努力しているであろう選手達が涙を流しているのを見ると、なんだかなあと思ってしまう。
人間の進歩の一翼を担っているのが競争心ではあるが、余りにも過ぎたものにはついて行けない。
もちろん音楽の世界なんかもその最たるものかも知れないが、少なくとも私の場合は自分に対する満足度でしかやってこなかった。だから目標は低い。
猫族だから、自分は自分、他人は他人のマイペース。
才能が中途半端なのも、大して努力が出来ないのも、自分が一番良くわかっている。
せっかくコンクールを通っても神経を病んで自滅する人もいるように、人と自分は比べることが出来ない、むしろ比べるのは思い上がりと考えてしまう。
人と比べられるほど自分は上手くもないし、一人でコツコツやっていくのが性に合っている。
好きなことを好きなように好きな時にするのが人生明るくなるコツであると、半ば放置子だった育ち方の中で身につけた。
放置と言うのは愛情不足ということでは無く、子だくさんで末っ子の私まで手が回らなかった親のお陰で、自分の時間を目一杯自分で使うことが出来たという子供時代を過ごした。
一人でいる時間が長かったから、その頃は流れる雲を一日中目で追って、縁側でひたすら考え事をする生活が、今の自分の原点。
沢山いた動物たちと戯れ、幼稚園にも塾にも行かず、なんとなく半端に習っていた音楽の道に進んでしまった。
だから初めから演奏家を目指している多くの人とは出発点が違って、他人と自分を比べる事は出来ない。
ところが、時々競争心の強い人にまとわりつかれる。
ボーッとして他人に関心を示さないのが癪に障るらしい。
一度まったく畑違いの事務系の人から「貴女には負けないわ」と言われたときには腰を抜かしそうになった。
勿論私は負けますとも。
相手は総理府の仕事をするような、とびきりの美人。
事務系は私の最も不得意分野、書類を書けば必ず間違える。
住所欄に名前を書くことくらいは朝飯前さ!
あとで考えたら、その人はある男性を好きだったらしい。
その男性を私も好きだと思ったらしい。
誤解です、それは。付き合ったことも無い人なのに。
他にも貴女よりも私の方が上手かったと、今更ながら言って来る人もいる。
困ったなあ。もうその人はとっくに引退しているから、現在では比べようも無いのに。
人と比べないと自分の価値を見いだせない人は、自分を何かの基準で見ないと不安なのかもしれない。
大体何を比べようと言うのか、その辺が私は欠落している。
およそ美人にはほど遠いこの容姿も、すっとぼけた性格も、多少どうかと思える程の脳みそも、全部親が愛情を持って容認してくれて可愛がってもらったから、私はそれだけでいい。
だからそのままで生きていけば良い。
私よりも美人で頭が良く、ヴァイオリンが上手い人は賞賛するけれど、私を人と比べることはなにもない。
とにかく0コンマ何秒で競う金メダルと銀メダルの差の世界では、私は生きていけない。
競うくらいならどうぞと相手に差し上げてしまう。
だから、トラはトラ、三毛は三毛で良いじゃないの。
もし競争心があれば、もう少しマシなヴァイオリン弾きになれたかニャ?いや、これでもう目一杯。
暖かくなってきたら縁側で昼寝が一番。
それなのに縁側のある家って、都会では殆ど見かけなくなってしまった。これは猫族最大の危機。


































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