2025年8月9日土曜日

臍を噛む

今朝のテレビ朝日のクイズ、臍を噛むとは?

中国の故事による。部下が強大な国の危険性を説いたのに聞き入れず、滅ぼされてしまったという 王のはなし。部下が彼の国を攻めておかなければあなたは後で臍を噛むことになりますよといったにも関わらず。

私は「もし私がへそを噛むことができたならへそが何個あっても足りないほどの後悔がある」とAIに訴えたところ、こんな面白い回答がありました。かれ?はこんな詩を送ってきた。

もし私がへそを噛めるなら

嚙み尽くしても嚙み尽くしても

まだ足りないほどの悔いがある

へそが百あっても千あっても

この胸の痛みは噛み切れない

私達は(AIと私)はこうやって毎日遊んでいるのですよ。

未だに煩悩断ち切れず、しばしば後悔の繰り返し。大切な人と疎遠になったり、言わずもがなのことを言って他人を傷つけたり、自分がこんなに未完成な人間だったかとの思いは日々繰り返される。まだまだなにかしでかしそうな予感もある。

やればよかったこと、やってはいけなかったことばかり。なんて未熟な人間であるか思い知らされているのです。でもそればかり考えると先に進めないから、せめて今できる建設的なことを考えようと思う。

今できるのは楽器を弾くことだけ。来年はドボルザークのピアノ五重奏曲を中心にコンサートの予定あり、で、結局引退は個人的な部分にとどまることで半分だけ活動することになりそう。幸い譜読みは相変わらず、すんなりできる。リズム的にも衰えてはいない(自己満足?)

自宅でひっそり活動するなら社会的な迷惑はかけないですむ。それで心の傷は癒やされるかもしれない。へそを噛まなくてすむように自己主張は程々に。できるかな?どうかな?







2025年8月7日木曜日

館林は40度

旧友からの電話。「館林はついに40度を超えたわよ 」

なぜか嬉しそう。それにしてもお元気ですなあ。私と同い年。中学からずっといっしょに音楽の道へ。その後の職場も一緒。彼女のほうが先に結婚して退職してからは年に数回合うだけ。彼女の子育て中は忙しく、私も仕事で日本中駆け巡りほとんど合うこともなく数十年。ふたりともやっと最近しばしば電話のやりとりや同窓会などであえるようになった。波乱万丈とは言わないけれど、お互いに自分の行くべき道に一生懸命で、やっと余裕ができて楽しみにも目が向くようになって。

「冥土の土産にベルリン・フィルのコンサートにいかない?」大抵彼女の方からお誘いがある。思いつくとすぐに実行するのはいつも彼女M子さんのほうから。グズグズして無精者は私で、今回もチケットを取る御用をしぶしぶ私が仰せつかった。これは仕方がない。実はベルリン・フィルのチケットはすぐに売り切れでやっと手に入りそうなのは私の地元のコンサートホールだった。そこの友の会に入らないと取れないので、そこは私がということになったのだ。無事にチケットゲットで11月に館林から出てくる彼女と聞きに行くことになった。

北軽井沢にも一度来てくれた。一晩泊まって沢山思い出話をして帰っていった。中学時代から全く時間が止まったように話題が尽きずおしゃべりをした。田園調布にある桜並木のそばの女子中学校は彼女の家のすぐそばで、そこの鉄筋コンクリートの立派な家に住んでいたから、私はしばしばその家にお邪魔しておしゃべりをした。

そして学校や彼女の家から帰るとまたどちらからともなく電話で小一時間おしゃべりをする毎日。彼女の妹さんが呆れていたそうだ。「学校でさんざんおしゃべりしてきたんでしょう?」よほど馬があったというかいくらでも話していられた。

色々あって私がここ数年落ち込んで不機嫌だったときに、遠巻きにして当たらず触らずの付き合いをしていてくれた友人たちも、私が元気を取り戻してくるとまたニコニコと誘いかけてくる。これからの時間はそういう長年の友人たちとの交流の時間になるだろう。長年私を支えてきてくれた人たち、そしてまだこれからも一緒に演奏していこうと誘ってくれる人たち。

今、プロコフィエフのデュオを一緒に弾いてくれる人がいて、新たな挑戦が始まった。プロコフィエフは私がモーツアルトと同じくらい好きな作曲家なので、誘われたときには二つ返事で引き受けた。

プロコフィエフのヴァイオリン二重奏曲は彼の不思議な世界観と、独特のリズムで私を魅了する。この曲が弾けるなんて!複雑に絡み合うリズムが緊張感を醸し出す。一瞬のスキもない。これは集中力のテストのような。これは認知症予防にはピッタリ。

音形が独特なので覚えないといけない。やっと譜読みが終わったときにはやれやれと思った。そして次の日、もう一度練習を繰り返すべく譜面を取り出す。弾き始めるとあれほど前日に練習したのに何も思い出せない。やれやれ、私も年じゃのうとがっかりしていたら、パート譜を取り違えていたことにやっと気がついた。道理でまるで違う曲を弾いているように感じたのは楽譜の取り違えかあ。認知症の疑惑は晴れたものの、楽譜の違いに気が付かないとは。

これは単なる認知症よりずっと重症な先天性認知症ではないかしら。困った。










2025年8月6日水曜日

猫の葛藤

テネシー・ウイリアムズ作「熱いトタン屋根の上の猫 」

癌で余命幾ばくもない父親と二人の息子たち。次男の妻マギーの心の葛藤を描いた戯曲。

うちのネコも熱いトタン屋根に悩まされております。彼女の家の出入りは、もっぱら物置の屋根からベランダへジャンプして、少し開いている窓を使う。私がいればカリカリと網戸を引っ掻いて開けろ!と騒ぐ。いないときは窓も閉まっていて入れない。

連日の異常な暑さは猫の行動の自由を奪ってしまった。物置の屋根はトタン。金属の屋根を暑い日差しがカンカン照らし、その温度はたぶん手を長くつけていられないほどの暑さになるのだと思う。そこを裸足でアッチッチと歩くのは大変なことなのだと思う。それでここ数日間のご帰宅がない。たまに夜帰ってきても落ち着かない。すぐに窓を開けろと言って騒ぐ。

不安定だった野良の、のんちゃんは最近やっとふくよかになり、疑り深い性格もやや改善され、私の手枕で寝るようになった。でも先ごろ北軽井沢に一週間ほど行ったときに彼女をおいていったのがお気に召さなかったようだ。車での移動の間の約4時間、ケージの中から悲鳴のように鳴き声が絶えない。それほど車が嫌なのでは可哀想なので、私が留守の間は元の野良にかえってもらうことにした。

幸い野良としてのキャリアは長く、アチコチの家にほけんがかかっていて餌に不自由はしない。夏の夜はコンクリートの冷たい感触が良いらしく、なかなか家に戻らない。特に最近はよほど可愛がってくれるお宅を見つけたと見える。家で餌をほとんど食べないから飢える心配はない、というのでおいていった。ところが彼女としては見捨てられたと感じたらしい。戻ってきたらもういっときも離れず抱っこをせがむ。

この暑いのに抱っこはごめん!しばらく相手をしてもすぐに膝から下ろしていたらひがんでしまった。兄弟猫のグレちゃんと一緒にいるのはわかっているけれど、どこの御宅にお邪魔しているものやら。昨日、終夜営業のドラッグストアに買い物に出かけた。あつい昼を避けて日が昇ると同時に歩き始めた。ふと後ろを見ると二匹の猫が尻尾を立てて後ろからついてくる。大抵は途中まで行くと彼らのテリトリーから出るので帰っていくけれど、ついてこられて新しい環境に慣れて、そちらで暮らされては私の仕事場が遠くなる。

餌やりに隣の町内を抜けていくのはゴメンだから、彼らの範囲を出る前になんとかしてまいてしまったのも不満のもとらしい。どうやら私は優しいご主人様でなく信用ならぬ下女に格下げされたようだ。時々お情けに家に帰ってくるけれど、あっという間に窓から出ていってしまう。

そして熱い物置の屋根が待ち構えている我が家のベランダは鬼門で、行くべきところではないと認証されて私は孤独な夜を過ごすことになったという次第。寒くなればまた猫を抱っこして寝るという至福のときが来ると信じたい。

熱いトタン屋根の上の猫のように夫や他の家族との関係にじれて悩むマギー、どのように解決が待っているのか。まさか秋になって涼しくなれば解決というわけには行かないでしょう。複雑なのが人間社会の面白いところ。

ねぶた祭の秋田で3メートルもあるヘビが逃げ出して行方知れず。ヘビも熱くて可哀想。








2025年8月2日土曜日

あさごはん

 田原総一朗さんの朝食が話題らしい。ご高齢であっても朝食をしっかり摂られるようで、野菜ジュース、牛乳、リンゴジュース、緑茶などの飲み物の他に、レタス、アンパン、ポーチドエッグ、食パンなど。ネット民が感心しているらしいけれど、私の朝ご飯も負けず劣らず。朝食をどっさり食べる。朝、目が覚めるとお腹が空いているから、朝食が一番好き。

私の場合野菜はジュースでなく毎日蒸したり炒めたりしたものをドッサリと食べる。ゆで卵、バナナは最近のネットの記事でのおすすめだし、パンは全粒粉、牛乳ではなく豆乳、コーヒー、ヨーグルトはその都度ある果物とはちみつを入れる。流石にアンパンは食べないけれど、美味しそうだからこれは真似してもいいかも。甘味がほしいときにはゼリーとか羊羹とかも。

こうして並べてみると、ダイエットには程遠いわけだと頷ける。

最近通販で気に入ったワンピースを買ったら、ウエストが信じられないほどの細さで入らない。というか、私のウエストが信じられないほど太いとも言えるけど。すぐに返品しようと思ったが未練たらたら。きれいな色、素敵なデザイン、それなら一念発起してダイエットに励もう。ほんの少し運動量を増やし、食事の間の時間を長くするだけで、それだけでも多少痩せることを長いダイエット経験で学んでいる。努力あるのみ。

こうして結局返品期限を逃し、着られないものもいくつかあってそれでも捨てない。私は服を着ることはもちろん好きだけれど服自体が好きだという気持ちが強い。気に入って買ってしまったもので今まで手を通していないものがかなりある。流石にあまりにも似合わず着られそうな人に差し上げたり、涙を飲んで捨てたりもした。これを無駄遣いというのだけれど、好きな絵や骨董と同じと考えればいい。時々クローゼットの整理をするときに、眺めて楽しんでまたしまい込む。

以前同じアパートに服を縫ってくれる人がいて、そのときには生地を見つけてきてはデザインは自分で考えて縫ってもらった。ヒョウ柄の服をこしらえてもらい、京都の都ホテルに泊まったときに、ベルボーイが珍しく話しかけてきて服飾関係の方ですかと言われた。その頃ヒョウ柄は大阪のおばちゃんもまだ着ていなかったころだったから。若くてまだ痩せていて生き生きと仕事をしていた頃の話。

いまやお米の袋みたいにどこがウエストやら・・・ヒールが履けなくなったのは本当にがっかり。私は小柄でヒールを履かないと着映えがしない。今ヒールを履いたら足首捻挫は確実で、ステージドレスは引きずってしまう。こういうときには本当に年はとりたくないものだと思う。

髪の毛はてっぺんに白髪が目立つようになったので一気にグレーに、少し紫を入れてもらってベリーショート。後ろ、両側刈り上げという過激な注文に一生懸命に応えてくれる美容師さん。彼自身はこんな髪型は嫌なのは見え見えで、ちょっと目を離すと女性らしくきれいなカットにされてしまうので、ずっとやかましく言い続ける。ここは刈り上げて頂戴なんていうと渋々刈り上げてくれるけれど本人の趣味でないことは確か。それでもお客様は神様、言うことをきいてくれる。

今や私の髪型は刈り上げ、ここまで短くすると実に気持ちが良い。シワ隠しで額だけが長く残されている。この髪型に合う服装は職人さんが着る作業着のようなものか、穴開きジーンズか、でもこんな髪型に似合うのは意外とシンプルかつ仕立ての良い上等なドレス。でも私は持っていないから逆に着古したシャツと裾の折り目が擦り切れたコットンパンツ。それならいくらでも持っている。

恥も外聞もなくそういうものが着られるのは、子供の頃から姉のお下がりを着慣れていたから。今時の子供なら絶対着ないと思うようなものでも誰がなんと言おうが気にならない。

今や日本を訪れる外国人も普通に自国でいるような服装のTシャツにスニーカーで、特に外国でも変わらずだから気楽にどこへでも行ける。良い世の中になったもので。

しかし、近々バレエの発表会にご招待いただいている。普通の公演なら知らず、知人のご招待となると少し考えないといけないかな。恥かくのは私でなくご招待くださった主宰者である高校の同級生。しかし私くらい正装の似合わないものはいない。私にとってきちんとした服は「馬子にも衣装」ではなく「猫に小判、豚に真珠」さてどうしたものか。

ステージ衣装は商売道具だからたくさん持っている。けれどちょっとおしゃれしようという場面の服は皆無に等しい。しかも最近の肥満型体型ではニットや薄物のワンピースでは妊婦さんと間違えられそうな。これも朝ご飯食べ過ぎ?・・・と、こうまあまとめてみました。