はなのちるらん。
咲き始めたかと思ったらもう桜吹雪。うちの前の桜並木はいつもの年に比べても、それは見事にさいたけれど・・・。なにか今年はメランコリックに感じてしまう。いまだに続く余震で、体が揺れているのか地面が揺れているのか、一番揺れているのは心。人の心もわからないけれど、自分の気持ちはもっとわからない。ゆらゆらとゆれて歳月は過ぎてゆく。
今日は東京音大に入ったばかりのうら若き女性が、母親と一緒にあいさつにみえた。家に初めて来たのは、小学校一年生か二年生だったか。初めから音楽家志望だったので、どうせなら芸大を目指そうと特訓を始めたが、なんともおっとり、のんびりで、にこにこしているばかり。譜読みは早いし真面目ではあるが、自分から音楽を作り上げる意欲に欠けていて、なんとも頼りない。早くから音階や基礎練習をみっちり叩き込みはしたけれど、そんな訳で出来上がりが今いちパッとしない。小学校5年でメンデルスゾーンのコンチェルトやラロのスペイン交響曲などを苦も無く弾いてしまった。だからどうなの?と言わんばかり。いろいろな先生に見てもらっても、一様に自分がどう弾くのかが現せていないという、同じ批評が帰ってくる。これは音楽家として重大な欠陥ではあるまいかと、口を酸っぱくして表現の方法を教えてもピンとこないようだ。なかば諦めていたら、受験の4ヶ月ほど前から急にやる気を見せ始めた。でも、少しお目覚めが遅かった。結局3校受けて芸大はあえなく沈没。すぐに曲が弾けてしまうために、逆に弾き込みがたりていない、弾いて弾いて磨きをかけていく、その過程が充分でないために、上辺だけの出来上がりになってしまう。練習時間もえらく少ない。芸大に落ちたときはかなりショックだったようだけど、もうケロリとして嬉しそうににこにこしている。決して出来ない子ではないのに、その欲の少なさにハラハラしている。思えばこの私・・・いつも先生が泣いていらしたっけ。回りまわって自分の所へ戻ってくるのか。物悲しい春の花散る日。
2011年4月11日月曜日
時間がとまる
尻手黒川線から野川団地を過ぎて246号線に抜ける道に、前から気になるお店があった。その道路の両脇は、瀟洒な家がならぶ閑静な住宅地。ごく普通の家に「カレーあります」の手書きの看板がかかっている。レストラン風・でもない。いつもサッと通りすぎるのに、今日はあまりにもその辺が気分良く、急ぐにはもったいない。ちょっと入ってみる気になった。珍しく食欲が無くて、朝御飯をほんの少ししか食べなかったので、お昼には間があったけれど、カレーを食べてみよう。車をお庭のスペースに押しこんで中に入ると、玄関から靴をぬぐようになっている。出てきたのは私よりかなり年上と思えるご婦人。30歳はとっくに超えている。ウフフ。(とっくにというのが何年くらい前かは、詮索しないでいただきたい。)カレーを食べさせていただけますか?と聞くと、どうぞと招き入れられた。どうやら、このご婦人が一人でやっているらしい。ホタテやエビが入っておりますが嫌いなものはありますか?と聞かれる。およそこの世の食べ物で、虫とか蛇とかでなければ、私に嫌われる食物は無い。あたりを見回すと古めかしいけれど、高価そうな食器が並んでいる。食器棚にもゴブレットやグラスのしっかりしたものが並んでいる。外国に長くいた人の家にいったような気がする。小さな庭は花盛りで、グリーンのパラソルに椅子とテーブルが置かれている。なんだか急に時代をさかのぼり、外交官とか海外滞在の商社マンなどの家に来たような感じがする。カウンターには結婚式の写真。ウエディングドレスの美しい花嫁さんとハンサムな男性のカップル。その上には外国人の立派な男性のポートレイトが飾ってある。カレーが出てくると、いかにも家庭でつくった母親の味。ゴロンとジャガイモが入っていて美味しい。食べながら少しお話しを始めると、なんと私より一回り年上なのに、フランス語を勉強しているそうだ。「語学が好きなんですよ」物静かに微笑んでいる。結婚式の花嫁は、その方の若かりし頃だという。静かな空間にいると時が止まってしまったようで、訪問先に言っておいた到着時間を、30分もオーバーしてしまった。気がふさいだり、つまらないことがあったら又来よう、と思わせるレストランだった。
2011年4月10日日曜日
震災の援助物資
あれからひと月。どんなに苦しかったことか(まだ進行形だけれど)と思うと、毎日涙してしまう日が続く。初めに衣類など送ろうと思ったら、時期尚早だったらしい。今やっと古着でも受け付けると聞いたので、荷造りをしようとおもっている。何かの時にと思ってとっておいたダンボールが、玄関先にゴロゴロしている。先日スキーの先生から沢山のウェアが送られてきて、仲間内だけではさばききれなかったものもある。大変質の良い物なので、まだ寒い地方なら役にたつだろうか?後片付けや水を使うときには重宝しそうだし。仕分けに数ヶ月かかるとしても、次の寒さに間に合うかもしれない。辞書や本、CDなども、特に落語などは私なら大喜びするが、中にはこの非常時にこんな物を!と怒る人がいそうだからやめておこう。先日も避難所で焚き火をしながらみんなで歌を歌っていたら、こんな時歌なんか歌って、と喧嘩騒ぎになったそうだ。こんな時だから歌うのに。どんな状況でも生きていかなくてはならないときに、暗い顔で生きるか、少しでも明るくしようとするかは、人それぞれ。今は暗い顔しかできないとしても、それを乗り越えようと務める人たちを、邪魔する事はない。あれやこれや悩んで居るときに、呑気に歌なんか歌いやがってと、腹立たしい気持ちも良く分かる。でも、歌くらい歌わせてあげて欲しいと願っている。子どもの時雷が怖くて、そんな時にはヴァイオリンを弾いたものだった。気持ちが落ち着いて、恐怖心が吹き飛んでしまう。歌っていればほんの一瞬でも苦しさを忘れられるかもしれない。地震津波の災害だけなら生き残った人は頑張れる。でも、原発事故は本当にゆるせない。国も莫大なお金を使っているだろう。それを被災者救済に回せれば、どんなにか助かるものを。東京電力社は自社の保養所などを被災者や自衛隊や消防士に使わせなかったそうで、いち早く東北電力が開放したのに比べ非難轟々。こんなところが本当に腹立たしい。
2011年4月8日金曜日
家のメンテナンス
先日の地震でうちの外壁が剥がれ落ちてしまった。これは放っておくわけにはいかないから、修理をしてもらった。タイル職人が来て足場を組んで、3日もすると修理が出来上がり、家は何事も無かったようにすましている。地震保険を掛けておいたので保険屋さんに来てもらって、修理代もなんとか払えそうでホッとしていたのだが・・・築15年ともなるといろいろメンテナンスをしなければならないらしい。屋根の防水、ベランダの防水、窓のサッシの取り替え等々。見積もりをもらってビックリ。なんてお金がかかるのかしら。仕事を引退してから、お金が羽を生やして集団で飛んで行ってしまう。渡り鳥ならぬ渡り金。それというのも、今まで仕事に夢中で家のことを考えるヒマがなかった。ヒマになると家に意識がいって、あれをしよう、これもしなくてはと考えるようになる。とにかくこんな高いお代は払えないから、もう一回見積もりをし直してもらうことにした。なんだかんだ工務店側は必要性を説くけれど、無いものは払えないのよと、啖呵をきってお引き取りねがった。歳をとって来たら、家は借りたほうがいいかも知れない。ちゃんと管理をしてくれるマンションに入って修理もアナタ任せでいられる。面倒なことは自治会の役員任せにして、呑気に俳句でもヒネっていれば天下泰平。ああ、めんどくさい。ただし、我が家は見事な桜並木が目の前にあるという、素敵なロケーションに恵まれていて、これは捨てがたい。桜を眺めながらヴァイオリンを弾く贅沢さは、人に手渡すわけにはいかない。面倒と素敵を秤にかけると・・ウーンやっぱり暫くここに居ようかな。
2011年4月7日木曜日
カラスの相関図
今朝も又ヨロヨロとモンローウオークで出かけて、いつものカラスと立ち話。いつも夫婦でいるのが今日は若くて美人さんを伴って来た。あれ、いつの間に若い奥さんに取り替えたの?カラスでも若いかそうでないかは体型でわかるのが悔しい。若いお奥さん?は痩せて輪郭がはっきりしている。いつもの奥さんはやや太り気味。羽毛も時々ぱさついて居ることがある。2羽で並んでこちらを見ている。お父さんカラスがいると他のカラスもすっかり安心して、とても近くまで寄ってくる。お父さんカラスがいないと、こわごわ手の届かない範囲までしか近寄らない。お父さんカラスは絶大な信頼を誇っている。私の手が届く所まで来て顔をかしげ、横についた目でこちらを見るようすがなんとも可愛らしい。急に若いカラスが変わった鳴き方を始めた。嘴をフェンスにカチカチとこすりつけ、白目を剥いている。すると、お父さんカラスは自分の嘴を若カラスの口に突っ込んで、食べ物を吐き出して与えたではないか。初めて鳥のエサやりを目の当たりにした。なんだ、まだ子どもだったのだ。しかし、いつ産まれたのだろうか。この冬産まれたのならまだまだ子ども、それにしては、なりが大きい。去年ならそろそろ独立しなさいよ。いつまでも親の世話にならずに、自分でエサくらいとりなさい。そう思ったけれど、自分の事を考えると全く面目ない。親が生きているうちは世話になりっぱなし、2番目の兄には、大人になってもお年玉をもらっていたっけ。その分若い人の世話をしなければならない歳になっても、今度は若い人にお世話になりっぱなし。私の仕事はネコの世話のみ。生涯大人になれないなあ。
2011年4月6日水曜日
モンローウオーク
かかりつけの整体師さんは若い腕の良い人で、スポーツトレーナーでもあるのでいろいろ体の動きについて教えてもらえる。私は左股関節に問題があり、日によって調子は違うけれど、重いものを持ったりすると具合が悪くなる。去年の今頃は膝痛に泣かされていた。それというのも毎日一万歩を目標にしていたから。一万歩歩くとその日はぐったりして、なにも出来なくなるほど疲れてしまう。それを根性で毎日続けていたのが間違いのもとで、膝は痛むは、体は疲れるはでいいことは少しもなかった。誰がこんな事を言い出したのだろうか。若ければいざ知らず、歳をとった人には薦めないほうが良い。その話しをしたら、運動は量ではなく質なんですよね、と彼は言う。人間の体は右手と左足、左手と右足というように、神経や筋肉が体の途中で交差しているのだそうだ。それで、体を斜めに捻るという動作が大変良いという。歩くときにモデル歩き、一本の線の上を歩くのがいいそうなので、昨日から実行している。桜並木の下、変に腰を振って気取って歩いているオバハンを見たら、それは私です。この歩き方が中々難しい。いわゆるモンローウオークという歩き方。マリリン・モンローはわざと左右の靴のヒールの高さを変えて、色っぽく腰を振って歩いたそうだけれど、私の場合スニーカーだからそうはいかない。道路の白線の上などを歩くと大変くねくねと歩くことになって、バランスが取りづらい。2,3歩行ってはヨロヨロ、気を取り直して又ヨロヨロと言う風に、およそ色っぽくない、どちらかというと歩行困難な人に見えると思う。でも、まだ2日だけど調子はいいみたい。距離は去年の3分の1。カラスに挨拶をするとUターン。これでしばらくいってみようと思う。
2011年4月5日火曜日
上を向いて歩こう
テレビで布施明が坂本久の「上を向いて歩こう」を歌っていた。御巣鷹山の日航機事故でなくなった九ちゃん。実は先日カナダからの帰りの飛行機でコンピュータトラブルがあった。別に大揺れに搖れたりはしなかったけれど、電灯が点かなくなり、座席全面のモニターのディスプレイが消えてしまった。気のせいか室温が下がっていく。当然操縦にも影響はあったはずで、暫くの間はソワソワした感じだった。その間、これでもし操縦に支障をきたしたら私は何をするかと考えた。初めに携帯でご挨拶をするだろう。飛行機が制御不能となったら携帯は使いたい放題。大好きな人にお別れを云う。お世話になった人にお礼を云う。たまさぶろうは姉が引きとってくれるだろう。今まで数多くの飛行機に乗って、ひどく搖れたことがあっても怖いともおもわなかったのに、静かなコンピュータの故障といわれると少し不気味。制御不能になり急降下したらもう気を失ってしまうから、アッという間に死んでしまうだろう。だから、大丈夫。何が大丈夫なのか、などとつまらないことを考えているうちに眠ってしまった。やっと点灯し、ディスプレイも元に戻ってしばらくして、スチュワーデスが通路を歩いてきた。ふと私のところで立ち止まり「飛行機にのるのに馴れていらっしゃいますね」と言う。なにをもって推し量ったのかしらないけれど、そりゃあ年間30回もの飛行を何年も続けていたのだから、なれもするさ。よく眠っていたから?くつろいでいたから?よくわからないけれど、一人ひとりよく観察しているものだと、感心する。私はどこでもくつろげる方だけど、一つだけどうしてもくつろげないものがある。それは楽器を持ったとき。いつもの呑気も強気も影をひそめ、ひたすらオドオドと弱気になり、音を出してスイマセンと周り中に気兼ねする。これだけはどうしても慣れないのが、口惜しうございます。
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