2024年2月25日日曜日

新メンバーによる練習が始まった。

 最近まで異常に暖かい日が続いたので足の痛みはさほどでもなかった。しかしここ数日は急転直下冬日に戻ってしまった。春分過ぎての寒さはこたえる。春先のウキウキ気分に水をさされて浮き立った気持ちが一気にしぼむ。足は以前にもまして痛みが激しい。椅子から立ち上がってあるき出すまでがつらい。歩きはじめて5分ほどで普通の状態に戻る。

「古典音楽協会」の新メンバーによる初めての定期演奏会の練習は着々と進んでいる。いずれ劣らぬ腕利き揃いで一回目から生きの良い演奏となった。ヴァイオリンは半分は新人で年齢が下がったからテンポも軽快で心地よい。コンサートマスターの山中さんは非常に端正な演奏で知られている。立ち居振る舞いもどこまでも上品なので「殿」の呼び名がついている。

そして中程には古くからのメンバーが安定感を見せている。最後はフレッシュな新人としんがりは最高齢の私。セカンドヴァイオリンの末席に陣取っているのは、最後のブランデンブルク協奏曲3番でヴィオラを演奏するときに都合が良いから。

「古典」ではブランデンの3番を演奏するときには私はヴィオラ弾きになる。これは角道さんがコンマスだった頃からのことだった。ヴァイオリンとヴィオラのパートが3つに別れているこの曲はヴァイオリンが7人いる場合、ソロとトゥッティが3組、そうすると一人余ってしまう。そして貧乏な我が楽団はエキストラを頼む余裕がない。一人足りないヴィオラパートにその余ったヴァイオリンを一人回す。だから誰かがこの時だけはヴァイオリンとヴィオラを弾けばヴィオラのエキストラを頼まなくてもすむ。経費が安上りということでずっと私がヴィオラパートに回っていたのだ。

ヴィオラ大好きな私は喜んでヴィオラを引き受けるけれど、実は一つの演奏会でヴァイオリンとヴィオラを弾くのは難しい。まず楽器の大きさが違う。しかも私は人間の中でもかなり小柄であり、ヴァイオリンより一回り大きい楽器に移るのは音程や音色の面からもとてもむずかしい。私がヴィオラを弾いているのかヴィオラが私をぶら下げているのか見た目非常におかしな図柄になるのだ。

楽器が大きくなるから左手で音程を取るのも少し幅が広くなる。ヴァイオリンと同じ指のサイズでは音程が低くなってしまう。それを曲と曲の合間に調整できないとぶら下がった音程となってしまう。一度それで失敗したことがあった。プログラムを最初に組んだとき、ヴァイオリンの演奏をして次にピアノの独奏を入れて指馴らしをしてからヴィオラの演奏をするつもりがで組んだのに、ピアニストのわがままでヴァイオリンとヴィオラを連続する羽目になった。後で動画で聴いたら最初の楽章はものすごく音程が低くてがっかり。次第に音程が合ってきたけれど非常に恥かしかった。音程がいつも決まっているピアノとはわけが違うことをピアニストに知ってもらいたい。

今回は間にチェンバロのソロが入るので十分な調整時間が取れてありがたい。練習はいつも楽しい。どんなに難しくても演奏の解釈が違って意見が別れても、まとまってくると本当にいい音がする。その時が至福のとき。私は足が痛くて演奏が終わったあと椅子から立ち上がれるかどうかが目下の試練なのだ。ぐちをこぼしていたらブランデンブルク協奏曲3番の演奏は最初から立って演奏できることになった。チェロ以外の弦楽器は全員チーター(楽隊用語で立って演奏すること)

それで思い出したけれど私が今よりずーっと若い頃、生まれて初めてレコードでなく演奏会場でマーラー「交響曲第一番 巨人」を聞いたときのこと。ずらりと並ぶホルンの数の多さにびっくり。しかもその後ホルン族がいきなり起立して無数の角笛がなるように一斉にスタンドプレー、なんと格好の良い、なんと素敵な・・・それ以来私はマーラーが大好きになった。コントラバスが一人で演奏するのを初めて聴いたのもその時のこと。

そこから半世紀以上、まだステージで演奏していられる幸せを噛み締めている。さすがに足が悪くて椅子から立ち上がれなくては様にならない。今年の秋の定期演奏会が私の最後のステージになっても思い残すことは全くない。私ごときのレベルの演奏家としては十分すぎるほどの数をこなした。その間ずっと聴いて支えてくださった方々、ともに演奏した仲間たち、その中には身に余るほどの名手たちも含まれているけれど一言「感謝」の文字しかない。

思えば私は音楽家になるつもりは全く無くヴァイオリンはおもちゃだったはずなのに、その魅力に取りつかれアンサンブルの楽しさから逃れるすべもなく魔力に嵌まってしまった。なんてこった!他の人生もあっただろうに。どこで道を間違えたのか。これも私が酷い方向音痴のせいかもしれない。














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