2024年10月18日金曜日

おお忙しい

一昨日は高校のクラス会、昨日は雪雀連の集まり、今日はコンサートと大忙し。

引退宣言してこれからは家の片付け、より良い終末期を迎えるための 準備にと思っていたけれど、私の機嫌がだんだん良くなるにつれて、また人が集まってきて浮かれ騒いでいる。掃除どころではない。どうやら私は招き猫。一生遊びの仲間には事欠きそうもないらしい。忘年会にリコーダーアンサンブルをという計画になって、さて、家のリコーダーはどこに?見つかるわけはないと思うから買いに行かねば。

遊びをせんとや生まれけむ・・・憶良のうたは常に私の頭の隅に陣取っている。真面目な日本人は遊ぶことに罪悪感があるらしい。真面目に議論しているときに少しでもふざけようものならハッシと睨まれる。緊張に風穴を開ける行為は罪らしい。一瞬の笑いが凍りつくような視線を浴びることもある。とかくこの世は住みにくい・・・と漱石さんも言っているではないか。

コンサートは鹿野由之さん(バス歌手)のリサイタル。友人に誘われて初めて聴きに行った。銀座三越の裏手の王子ホールは満員。コンサートが始まる前の客席は、普段私達が聞きに行くような雰囲気とは少し違って賑やかだった。さすが声楽家の集まりは声量と歯切れが違う。誰の声も「よく聞こえるから内緒話ができないの」と声楽家の友達が言う。

プログラムを見れば私の大好きな曲がズラリ。舌なめずりをしながら待ち構えていると、立派な風貌の男性が登場。その歩き方や胸の張り方が堂々としていて、さすが長年オペラの舞台で人びとを魅了してきたスターの貫禄。声を出すと驚いた。声の質の素晴らしさ声量の豊かさは、日本人離れしている。こんな人がいたなんて!

私は第二次大戦後の日本人歌手の気の毒なほどの体格の貧弱さ、発声の悪さを散々聞かされていたので、時代が悠かに変わってもこれほどの変化は期待していなかった。弦楽器もそうだけれど、今や日本人の演奏家は世界で通用という以上のレベルであろうと思われる。私の若い頃の声楽の発声は喉を詰めて振り絞ったような声、大げさなビブラートが笑いを誘った。ある時、スタジオで高名なテノール歌手の録音の仕事があって、始まると私は笑いを噛みしめるのに苦労した。自分のヴァイオリンは棚に上げてだけれど。

しかしその当時の声楽家たちは日本の貧しいレベルの技術に翻弄されて四苦八苦だったと思える。わたしたちの弦楽器もまた然り、管楽器に至ってはなおさら、ホルンはかならず音がひっくり返るレベル。それらの先人の苦労あってこその現在の世界的な演奏家の輩出なのだ。笑ってはいけない。よくぞここまでと思う。

鹿野さんの選んだのはモーツァルトとヴェルディ、フィガロ、魔笛、ドン・ジョバンニ、ああ幸せ。ナブッコ、マクベス、シモン・ボッカネグラ等々。圧倒的な声量が最後まで衰えない。これだけ良くぞ持ちこたえるものだ。

久しぶりに銀座にいけたのも嬉しかった。友人に会えたのも嬉しかった。コンサートの素晴らしさに酔いしれて幸せが戻ってきた時間があった。着ていく服がないと思って久しぶりに銀座で買い物しようかと思ったけれど我慢。それより日本橋で気に入ったメーカーの靴を探そうかと思ったけれど、それも我慢。そろそろムカデの本性を直さねば。最近靴を何十足か捨てた。本当にそのくらい履いていない靴がゴロゴロしていたので自分でびっくりした。一体いくらくらい無駄遣いしたのか。それだけあれば上等な服とコートとハンドバッグが揃う。

結局履くのは本当に足にあったものだけだから、その中の一部。長年お気に入りのスニーカーを履いていたら通りすがりのお姉さんに指さして笑われた。「わあ!レア物」ロゴマークが目立つので気がついたらしい。「これ?靴もレアだけど私はもっとレア物よ」といったら黙って気まずそうに逃げていった。十年穿こうが二十年使おうが私の勝手。友人たちだってもう七十年ものヴィンテージだわい。まいったか。




















2024年10月11日金曜日

今年もどんぐりの弾丸

北軽井沢のしんと静まり返った夜は、もののけが跋扈するのかもしれない。けれど数日前、夜中にいきなりドカンと屋根になにかあたったか、誰かが壁を叩いたかと思えるような音がして流石にびっくりした。窓という窓から家の周りを覗いて音の原因を確かめようとした。森は真っ暗。

もし、人がいたら怖いけれど、誰かがいる様子もなく一安心。一人暮らしの美女を狙っているならお生憎様、ここには恐ろしく気の強いアマゾネスがいるからお気を付けて。しかも化け猫と一緒だから噛みつかれたら大怪我するぞ。

家の玄関の真ん前に樹齢何年になるか数えられないほどの大木が立っている。元のこの家の持ち主、人形作家のノンちゃんのお気に入りだった。その大木に巻き付いて樹液を吸って生きてきた太いツタが数本あった。長年に亘りチュウチュウと大木の汁を吸って来たので、直径4,5センチもあろうかと思える太さで巻き付いていたのを私が根こそぎ退治したのだった。しっかり巻き付いていたので遙か上の方までは切り取れず、ぶら下がっていた。それが数年経って枯れて落ちてきたらしい。数本のうち一本だけ残してあとはみんな落ちてしまった。ああ、この音だったのかと思った。

朝ウッドデッキの落ち葉を掃いていたら風が吹くたびに身の回りにバラバラと弾丸のように落ちるどんぐり。この季節、森は賑やかな音で季節の移り変わりを教えてくれる。ここで胸を抑えて「ウーン、やられた」と演技しようかと思ったけれど、ひと気がないので無駄なことはやめた。あくまで観客がいなければやる気にならない。

ヴァイオリンも聴いてくれる人がいなければ練習する気になれない。そういうところが真の芸術家でないのがバレてしまう。せっかく楽器を持っていったのにサボりっぱなし。ノンちゃんは私のヴァイオリンが自分の家に響きわたることがうれしくて、この家を私に残してくれたのに。反省して努力いたしますよ、ノンちゃん(田端純子さん)でもやっと引退したのだからしばらくはお休みをください。そのうち軽井沢に演奏拠点ができるかもしれない。森の木に語りかけながら弾けるようになるかな。

今回も4日間しか日がとれなかったので、大急ぎで庭仕事。いただいた球根がたくさんあったので馴れない作業、へっぴり腰でスコップで穴を掘る。手入れがされていなかった原始林を切り開いて作られた別荘地は、枯れ落ち葉が堆積して木の根っこがそこここに、地面が凸凹で掘りにくいし、まっすぐに並べて植えるのも一苦労。初日は雨で作業できなかったけれど、二日目は少し晴れ、気持ちの良い気温と風と、命の源のようなゆっくりした時間。

楽しく作業を終えてぐっすり眠ったその夜明けには、体中ミシミシと痛む。腰痛はするわ、足は攣ってしまうわで年齢を思い知らされた。それでも心地よい疲れは朗らかな気分を運んでくれる。一人でいてもなにか喋っている。猫はなんにも聞いてくれない。彼女は興味津々の森には出してもらえず、1日中ふてくされている。一度ハーネスを付けて散歩に連れ出そうとしたらくねくねと体をよじらせて、どうしてもハーネスを付けられなかった。

なんとかして森になれさせたいけれど、野生動物がいるので危険でもあるし。ただいま彼女の家を建設中。少し大きめのゴミ用ネットみたいな。今回の滞在中に何でも屋さんがセットしてくれた、なにやら居心地良さげな鳥小屋風。ここに私が入ろうかなと言ったら、作業を見に来た仲間たちがここでキャンプしたいと言っているそうで。人間に盗られないように、猫よ頑張れ!























2024年10月6日日曜日

野良の覚醒

昨夜、札幌から帰宅した。

 車が我が家の駐車場に入っていくと、野良が飛び出してきた。欣喜雀躍、狂喜乱舞、その後はしがみついてきて噛まれた。どうやら彼女の喜びの表現は噛むことにあるらしい。毛並みはつやつやしているし、お腹も空いていないようだけど、愛情に飢えていたらしい。多分地域猫用の餌場があってお腹だけは満たされるようだ。出かける前に近所の猫好きの家に挨拶に行ったのが功を奏していたのかもしれない。

家に入ったらもうベッタリと離れない。私の膝によじ登り、顔を胸に埋めてくる。こんなにうれしがられてまあ、どうしましょう。感情の激しいのんちゃんは感情がたかぶると噛む癖がある。爪を立ててくるのも困りもの。かなりポカポカと私に打たれても、なお噛み噛みが収まらない。「寂しかったの。辛かったの」と訴えかける。野良のときにはかけてもらえなかった優しさを知ってしまった猫は、私の留守の喪失感が半端なかったようだ。

落ち着いたのは次の日の朝、夜通し私のそばで眠り、やっと安心したようだった。可哀想に、どれほどの苦労を経験してきたのだろうか。気力も知恵も猫の世界では高水準にいるけれど、愛情には飢えていたらしい。今日は小雨模様で友猫たちも外出を控えているらしく、ほとんど外出をしない。被害者は私、ずっと膝をよじ登ってくる猫の爪が痛くて泣きたくなった。

コチャがいなくなって自分だけで私を独占できるのが嬉しいらしく、だんだん飼い猫の顔つきになってきた。

北軽井沢にのんちゃんの部屋ができる。野良の習性が直らずどうしても表に行きたがる。けれど森には野生動物がいっぱい。まだ熊には遭遇したことはないけれど、私がここに住みはじめるようになった頃までは「熊出没注意」の看板があったから、以前は出たのだろう。お化けもいるそうだけれど私はまだ遭遇したことがない。人っ子一人いない寂しい森にいると、お化けくらいいたほうが賑やかで良いと思うときもある。

別荘地の管理事務所のそばにピザのお店があって、そこのマスターが木工細工なども作ってくれる。お願いしたらすごく立派な猫小屋の設計図を持ってきた。しかしうちの野良には立派すぎるからもっと簡素にとお願いした。ゴミ集積場にあるあんなような簡単なネットを張ったものでいいのよというと何回か書き直して来た。

以前から表札を作ってほしいと何回も頼んでいるのに、いつも「今年中にはなんとか」と言いながらもう3年も経っている。やっと本当に作る気になったので、今度は本当にできるらしい。家の玄関脇にある掃き出し口を利用して、そこを猫用のドアにして室内とつなげる。外に出ると網が張ってある。地面は簀の子をおいて足が直接地面に触れないように、半分は砂を敷いてトイレに、掃除は手前の網が開く様になっていて、人間がそこから入って掃除をすることができる。

のんちゃんは今やもう我が家の一人娘。













2024年10月5日土曜日

北海道

姉の娘が札幌に居住しているが、まだ家に行ったことがないと姉がいうので、弥次喜多道中が始まった。私は姪のMが飼い始めた犬を見るのが目当て。ジャックラッセルテリア。私が飼いたいと思っていた犬種の長毛種らしい。旅の手配は長年の仕事での経験で馴れたものだから、さっそく旅のサイトでやすいツアーをさがす。秋の紅葉シーズン、北の国はさぞ紅葉が見事であろうと期待しながらパソコンにむかった。

あった、ん? なに?なんでこんなに安い?往復の飛行機、ホテル3泊、レンタカー付、これでエッというほどのやすさ。家でスーパーで買い物してうだうだ過ごしてもすぐにこのくらいの金額になってしまうから、ずっと旅していたほうが経済的。ただしウイークデーに限るけれど。

私はもっと長い旅がしたいけど、おいていかれる猫の、のんちゃんが可愛そう。姉も庭の植物が心配。だからこのくらいがちょうど良い。姪の家に泊まらないのは好き勝手できないからで、それなら観光は札幌周辺に限られてしまう。本当なら十勝岳や旭山動物園にもいきたいところだけど。しかし姉はもう87歳、あまり旅慣れてはいないしこのくらいがちょうどよい。

快適な飛行機の旅が始まった。空港に到着してレンタカーの営業所までの迎えの車に乗る。少しは肌寒いかと思ったけれど、半袖のシャツでも十分。借りた車はダイハツのなんとやらいう四角い小型車。最近の車はよく走るからまあ我慢しましょう。しかしこの車がよく走った。

ホテルはあの帽子を被った女性社長経営のホテル。このホテル、最近よく利用する。最初は外見にちょっと怯んだけれど、なに、寝るだけなんだからと思って泊まったらたいそう居心地が良い。ベッドは寝心地抜群。部屋には必要なもの以外何もなく徹底的に無駄を省いている。それは女性社長の視点からなのか、とても共感できるところがある。

長期滞在ならまだしも数泊で観光をしていればこれで十分。ツインルームは十分な広さもあり、しかも姉も私も寝付きが良く、相手が何をしていようと眠れる。物価高騰の昨今にはこの廉価はありがたい。朝食はこれでもかというほどの種類の料理が提供される。昔ながらのホテルの静かな朝ご飯を望む人ならちょっと怯むと思うほどの人混み。時々朝ご飯に贅沢をしたいときには私はホテルの朝食を食べに行く。けれど、お腹が満たされていれば十分で、さっさと観光したければこれで結構。

車もよく走る。山道もなんなく走れる。ただ私の体型にはすべてのものが大きくて、運転席の背もたれの後ろになにか挟まないとアクセルやブレーキに足が届かない。

初日は姪の家に行ってランチ。ワンコは期待通りの可愛さ、私もずっと飼いたいと思っていたのでしばらく夢中になって遊んだ。家は新しくこぎれいでなんか広々していると思ったら、周辺の余計な塀がなく、眼の前は原っぱ、空が遮られていない。空気が澄んでいる。地球温暖化の今、北海道は狙い目かも。

しかしその北海道も10月というのにこの暖かさで先が思いやられる。ここでは紅葉もまだまだ始まっていない。二日目は小雨模様だったので遠出せずに札幌市街お決まりの観光。北大の植物園を見たくて北大構内に車を乗り入れたら追い出された。ここは観光客の来るところではないと。テレビ塔に上り公園通りを上から眺め、中央卸売市場場外へ。

雨模様だしウイークデーの午後だったから人出は少ない。こういうところに来るとワクワクする。威勢のよい人たちが・・・しかし、なにか沈んだ雰囲気。天気が悪い、時間帯が遅いだけ?一軒だけ人が集まっているから昼食をここで摂ることにした。テレビで宣伝しているような海産物店で壁には有名タレントたちの色紙がずらりと貼られていた。けれど、料理はそれはひどいもので魚は不味くご飯もうちのよりもまずい。こんなこと滅多にない。我が家のご飯を下回るほどまずい店は。あっぱれじゃ!

がっかりして店を出てホテルに帰ることにした。ホテルは定山渓温泉のそばにあるから温泉に入りに行こうかなどと相談していたけれど、天気も悪いし昼ご飯はまずかったし、結局ホテルの大浴場で我慢。ちょっと残念な一日。

次の日は、さて、どこに行こうか。あてもなく車を走らせていると羊ケ丘公園の案内が。そうよね、北海道なら馬か羊。馬ならもっといいけれど羊で我慢しよう。途中の道路標識に支笏湖の案内が。支笏湖?近いのかなあ。

羊ヶ丘に登り、まずはクラーク博士の銅像の前でしばらく立ち止まってあたりを見回す。小高い丘の上の白い建物は記念館。有名なボーイズ ビー アンビシャスの由来などの書かれた説明板を読んだり散歩したり。心地よい風に吹かれ羊乳をのんだりソフトクリームを食べたりして過ごした。小一時間も過ぎて、さあ、これから何しようかと言ったら姉が支笏湖に行こうといいだした。

ちょっと待ってよ、なれない車でずっと運転しているしもう少し近場でどこかと思っていたから怯んだけれど、姉ももう年だから(私もだけど)途中まででも行ってみようかしら。疲れたら途中で帰るからねと釘を刺すと、知らん顔。都合により耳が聞こえたり聞こえなかったりするのだ。往復約百キロ。仕方がない行こうか。

しかし山道を登リ始めると面白い。本当に最近の車はよく走る。私が初代カローラでさっそうと女ドラデビューした頃は女性であるというだけで珍しがられたものだった。当時の車は横浜ナンバーだったから地方に行けば必ず話しかけられた。九州では「女性でここまでよう走りますなー」なんて。今どき言ったらセクハラですぞ。

乗り気ではなかったけれど支笏湖までの山道が面白くて、ついに湖畔に出たときは感激。湖はいつでも神秘的に思える。海の開放感とはまた別の良さがある。この世の自然物にはすべて神が宿ると思った古代人たちの感性は正しい。神様は寺院や教会ではなく山や草木につつましくおわすものだというのが私の気持ち。力の強いものは優しいのだ。

帰り道はもっと面白くて、姉が助手席で眠ってしまったのをいいことに車は飛ぶように走った。いちいち「この辺は停れの標識がいっぱいあるねえ」なんて遠回しに遠慮がちに注意を促されずに済む。困ったことに姉にとって私はいつまでも妹なので。その夜は姪とその娘の高校生がホテルまで来て一緒に食事をした。

こうして穏やかに何事もなく旅はめでたしめでたし帰途に・・・とはいかないのは私の運命なのだ。無事羽田到着。駐車場においた車の場所がわからない。いつもそうだから今回はちゃんと覚えたつもりだったけれど、甘かった。わかりやすいように入口に対面した奥の方において、これで大丈夫。ちゃんと階も覚えたつもり。でも覚えていなかったので・・・あはは、案の定。

第3駐車場は7階まである。車は見つかったけれど、ここにいてねと釘を差した姉が移動していたり。それはもう!!!