2024年4月18日木曜日

野良に噛まれる

 コロナを患って予後がよくない。なにか体力のすべてが消えてしまったような、生きる気力をなくしたような、これで何歳まで生きなきゃいけないの?みたいな虚無感に襲われる。眠ってばかりいる。

家にいるから猫が喜ぶ。特に野良はまだ元猫との関係がギクシャクしているから私がいることで保護されて安心できる。家に来始めた頃から野良はすごく変わった。それまで遊ぶということを知らなかったから、猫じゃらしでじゃらしても怯えてしまう。ボールを転がしても意味がわからないらしく追いかけようともしない。ちょっと手を頭の上にかざすと逃げ出す。遊んでいる余裕はなかったのだ。ひたすらその日食べるものと温かい寝床を求めてうろついていたのだから。

家に入るようになってから3ヶ月ほど、私の膝によじ登ってくるようになった。しっかりともたれかかって嬉しげに喉を鳴らす。そのうちだんだん感情が高まってきて・・・がぶり!

脛に歯型ができる。腕を噛まれる。彼女の精一杯の愛情表現なのだ。そして最大級の噛み傷ができたのが数日前。たぶんお腹が空いていたのだろう、しきりに私の膝で腕を甘噛してきた。そのうち興奮状態でだんだん激しくなったので、床におろした途端スネをがぶりとやられた。傷が深いのはよくわかった。

翌日スネが腫れ上がったので病院へ行った。最近見つけた家近くの病院。最初に行ったときに先生が気に入って私のホームドクターになってもらおうと思った。そのときは患者さんが大入りだったけれど、その日はがらんとして患者の姿はない。見回せば診察室やリハビリルーム、処置室など設備は整っているのに医師は一人、看護婦一人受付二人と人手不足状態。どこも厳しいのだ。

そして先生は先日の楽しげな人でなく、少し憂鬱そうな初老のおじさん。あらあら、残念、お疲れのようだ。脛に傷持つ身の私はふくらはぎがだんだん腫れていくのが憂鬱。猫の爪や牙は鋭く、特に若猫は力任せに襲ってくる。近所中をうろついて泥の中を裸足で歩くから爪のカーブの裏側や牙には毒がある。猫による傷は「猫ひっかき病」と言って恐れられている。

前日の傷はすでに10センチあまりに赤みが広がっている。その傷を某研究所の医師に見せたら「腫れたら危ないから必ず薬を飲むように」とアドバイスを受けた。その先生の専門ではないので他の科で受けるようにと。なお「腫れて化膿したらその部分をくり抜いて薬を入れないといけない」と手真似でメスを入れる仕草までして。外科の医師は本当に切ったはったが好きなのかなと思う。優しそうな顔した若い先生だけど。

近所の医師は傷を見るなり抗生物質と胃腸薬を処方して、なお言うには「破傷風の予防注射もしておいたら」と。破傷風?おお、怖い。でも少し大げさではないかな。却下して診察室を出る。処方箋の待ち時間にもう一度看護婦から声がかかった。「先生がお話があるそうです」

先生はまた諄諄と語りかけてくる。「やはり破傷風の予防注射をしておくのをおすすめします」破傷風の怖さは子供の頃読んだ本で知っている。未だに忘れられないほど怖かった。けれど、もう間もなく人生の終焉を迎える身としては今更死ぬの生きるのは神様にお任せしたい。予防注射の後遺症のほうがよほど怖い。しかし、待てよ?

急に北軽井沢の庭作りの事が頭を過った。これから広い庭の方々を掘り返すのだから、どんな黴菌が巣食っているかわからない。特に手つかずの森林を20年ほど前に伐採してノンちゃんが建てた家。原始から住んでいるバイキンに溢れているに違いない。一昨年漆にかぶれてひどい目にあったことを思い出した。もしかしてこの先生の言う事を聞いておいて良かったと思えることがあるかもしれない。先生曰く「狂犬病の予防注射よりはよほど必要性があります」

狂犬病の予防注射は今から20年ほど前、チベットに旅行する前に受けた。そのときはチベットでチベタンマスティフと出会って噛まれたらという心配からだったけれど、実際のチベット犬はおっとりとしてもふもふの巨きく穏やかな犬だった。悔やまれるのは写真を撮ってこなかったこと。犬と一緒に写真が撮れる場所があって、そこの犬の飼い主のあまりにも貧しく悲しげな様子に泣き出しそうになって、その場を離れてしまったのだった。撮影費用だって僅かなものだったろうに、飼い主と犬の食事代になったであろうに。

チベットに行ったのを思い出すと未だに後悔と悲しみが襲う。なんとかできるものではない。あの国の人々は貧しくとも自立していた。それを中国が踏みにじった大きな波は私ごときのどうにもできることではない。無力感がいつも私に涙を流させる。

その時私に出された食事は羊の臭くて硬い肉、それでもあちらではごちそうなんだと思うと一口かじってあとは喉を通らなかった。広大な湖の広がる人通りのない道を五体投地でラサに向かって進む人の姿があった。何日もかけて膝を擦りむいてたった一人、疲れ果てラサまで到着できないかもしれないのに。それほど現実が厳しいということなのだ。

私を噛んだ野良はしっかりとそれはいけないと私に叱られた。もともと賢い野良は一度でそれを学んでその後囓みたくなると私の顔を見る。だめというと甘噛してすっと離れていく。人間の子供よりよほど聞き分けがいい。













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