2024年9月29日日曜日

皆様本当にありがとうございました

 本日最後のステージ終えました。

古典音楽協会166回定期演奏会は、客席からの応援がひしひしと感じられる温かい雰囲気に励まされ、無事に終わることができました。前回も今回も新しいメンバーの紹介を兼ねた独奏が呼び物。若者の達者な演奏と熟練のベテランが共に心から楽しんで演奏できたと思います。

コンサートマスターのお隣はまだ20代、その隣に80歳のnekotama、この年齢の差は楽器を鳴らし始めればあっという消える。言葉も身振りもいらない。音さえ聞こえればすぐに反応し共鳴してなんと幸せな時間がもてることか。私は本当に豊かな終わりを迎えられたのだ。

皆さん引き止めてくださる。ありがたいことだけれど自分の限界は十分わかっている。他人がこの年まで頑張っているのを見れば、素晴らしいことと称賛できるけれど、自分のことは厳しい目で見てしまう。やはり指の変形による音程の悪さはいかんともしがたい。少しでも音程を外せば心が折れる。気にしていると他のこともうまくいかなくなる。

当日はあまりにもたくさんの花束やお菓子など頂いたので、我が家のガレージで花屋を開業することにした。お菓子もありますよ。売り場では新入りの猫が対応します。

少なくともチケットを売るよりも、もうかりそうな気がする。長い年月に亘り毎回毎回聞きに来てくださった方々にお礼を申し上げます。不本意ながら楽団の経済は逼迫しており、十分な資金が貯まるまでは私達は聴いていただくに足る演奏が必要条件になる。

コンサートが終わったら車に乗り切れないほどのお花など、中には数日前になくなったコチャの姿を描いてくださった人も。聞いていただいた上にお花やお菓子も頂いてなんとアコギな商売かと思われるでしょうが、古くからの慣習につきお許しください。

未練といえば未練、しかしなにか新しいことに出会えるという希望もあって、私はこうして度々環境を変えてみるのだった。今までたどった道筋はほとんど真っ直ぐだったけれど、あとから考えると必然だったことがよくわかる。今回もそうであるといいけれど。

例えばオーケストラをやめたときは、ある人の行為が気に食わなくてだったし、音楽教室をやめたのはある人の境遇に同情してだったし、その同情が仇となって私を半病人にしたのだった。だから今回も多分次に待っていることは私にとってすごく重要なことに違いないと考える。平和な時間が過ごせるかもしれない。修羅場かもしれない。できるなら修羅場が良い。きっと血沸き肉踊るでしょう。何が起こるかな?私に平和が訪れるのはいつの日か。

さて、最後のステージは本当に満足のいくものだった。穏やかな温かい空気、ワクワクする躍動的なヴィヴァルディの2つのヴァイオリンの協奏曲。若手と中堅が立ち上がる。きれいなひとたち。ヴィオラはおじさん二人。もっさりと穏やかに、しかし音は美しい。コンサートマスターの音は透明で明るく会場に広がっていく。幸せだったなあ。素敵な人達にあえて。

先になんの予定もないというのが嬉しい。と言っても北海道には姪の新しい家を姉に見せるというミッションが待っている。呑気な姉を飛行機に乗せてレンタカーで連れ回さないといけない。荷造りだけでも甥が心配してどんなカバンにしたらいいか問い合わせてくる。いいよね、周りから大切にされているということは。私なんか誰も心配してくれない。でもそれは私が極端に口を出されるのをきらうからなんだけど。可愛くない性格は損。

今年は足の状態がいいからスキーに行けるかもしれない。毎年「古典」の定期演奏会が3月頃にあるので、思い切ってすべらないくせがついている。怪我をして舞台に穴を開けるといけないから。ソロでもあろうものなら、心配でスキー場にもいけない。その心配がなくなった次シーズンは行きたい放題?ワクワクするなあ、久しぶりに。














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