秋山さんの訃報が届いた。
2025年1月26日肺炎のため亡くなられたそうです。1月1日自宅で転倒し大怪我を負い1月23日音楽活動からの引退を表明して治療に専念していたところであったそうです。
心から御冥福をお祈りします。
秋山さんと私は東京交響楽団の同時代を生きた。物静かで端正な風貌にも関わらず、彼は札付きのいたずらっ子で、私達はよくひどい目に遭わされていた。指揮者は客席に背を向けているからお客さんにわからないようにメンバーを笑わせるので困ることが多かった。
あるときには「ルスランとリュドミラ」のあの早い序曲を猛烈な速さで振るのでヴァイオリンは青息吐息、終わってからみんなに責められても何のその、演奏中は皆の苦労を嬉しそうに眺めるなどは序の口で、あるときはご自身のメガネを途中で外すのでなにか?と思っていると、おもちゃの鼻眼鏡をかけて振り出す。ちょび髭がついていて思わず吹き出す。これも本番でのはなし。客席を向いている演奏者たちは笑いを堪えるのに必死になる。指揮者のせいなのにこちらが不真面目にとられてしまう。
そんな茶目っ気もあるけれど、私には忘れられない名演がある。定期演奏会で武満徹「ノベンバーステップス」を演奏したときは、音楽の神様が乗り移ったかと思える名演だった。舞台しもて袖で聴いていた武満さんが秋山さんの手をとって「どうしてこんないい音するの」と涙をこぼされた。秋山さんもその話をしたとき少し涙ぐんでいたようだ。
練習場で、これから練習にはいるという前に私が一人で新曲の練習をしていたことがあった。眼の前には指揮台がありそこの椅子で楽譜のチェックをする秋山さん。知らない曲なので速度がわからないから、ゆっくり弾き始め最後は練習のかいあってかなりのスピードで弾けるようになった。そして練習が始まるとものすご~くゆっくり。
「秋山さん!聞いていたんでしょう?それならゆっくりだっておしえてよ」きっとお腹の中で笑っていたに違いない。「あはは、苦労してる」なんて。
昔、彼はド派手なアメ車のサンダーバードに乗っていた。ところが交差点で事故って入院したという。お見舞いに行くとベッドに包帯だらけの上半身、弱々しい声で「nekotamaも気をつけろよ」と。私はその他大勢の一人だから替えがあるけど、秋山さんは取り替えようがない。人のこと心配しないでご自身が生きていただかねば。その事故以後、若くして髪の毛が真っ白になった。あの見事な銀髪はそういう経緯があったのです。
こんないたずらっ子でも、私がカナダの演奏旅行でこわーいソロを弾いたとき、本気で心配してくれた。弓が震えて飛んでしまうのをなんとかしようとアドバイスをくれる。どんなになってもいいから思いっきり弾いていいと言うので、優しくされればされるほど私はますますいじけて行き詰まった。そうしたらバンクーバーシンフォニーのコンマスが私を指さして笑うからそこで「ナニクソ!」負けじ魂が蘇った私。でも秋山さん、ありがとうございました。私の人生の一番愉快な頃にご一緒できて幸せでした。
安らかにお休みください。
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お別れの会のお知らせ
2025年1月31日(金)12時開会 13時30分閉会 (受付11時)
ミューザ川崎シンフォニーホール 川崎駅西口より5分
平服にて 献花は固くご辞退とのこと
一般向け記帳台 設置日時 2月1日(土)から3日(月11時から16時
設置場所 ミューザ川崎4階企画展示室