2025年1月15日水曜日

舘野英司さん

私のもと教え子のKちゃんからのメール。舘野先生が亡くなりましたと。彼にはここ数年お会いしていなかった。

舘野英司さんはピアニストの舘野泉さんの弟さんで、チェリスト。私がまだオーケストラにいた若かりしころ一緒だったことがあった。ある日舞台袖で話をしていたとき「フィンランドではねえ・・」と留学時代のことを語り始めた。

「地面が凍っているのでバス停で待っているときに強い風が吹くと、チェロが風を受けてズズズっと滑って前に進んじゃうんだよ」「ウッソー、いくらなんでもそんなことないでしょう」私はそれを聞いて大笑い。出番が来て演奏に入った。演奏が終わって舞台袖でヴァイオリンをケースにしまっていると、向こうからすごい勢いでまっすぐに私の方へ歩いてくる彼の姿が目に入った。

「さっきの話、あれ本当だからね」そばまで来ると真剣な顔でそう言って去っていった。嘘つき呼ばわりされたのが余程悔しかったとみえる。演奏している間ずっと悔しかったのではと思う。呆気にとられて後ろ姿を見送っていた私。それから半世紀、私の生徒となったKちゃんが結婚するというのでよろこんでいたら、そのお相手がチェロを弾く青年のT君だった。彼の先生が舘野英司さんとわかったのがご縁の再開のきっかけとなった。

東京文化会館の楽屋で数十年ぶりにあったとき、ふたりともほとんど同時に「変わらないねえ」と。その後奥州市のチェロフェスティバルに数年間参加させてもらったり他のアンサンブルもご一緒できて楽しい思いをしたけれど、年々彼の体が弱っていくのを目の当たりにすることになった。

練習のため私のレッスン室に来ていただいたけれど、エレベーターが無くて重たいチェロを持って階段を上らなければならない。ある時「僕はもうチェロを持ってこの階段をあがれないよ」とおっしゃるから「チェロは家のをお使いください」そう言うと嬉しそうに弓だけ持って来られるようになった。しかしそれも「僕は階段を登ることができないんだよ」に変わった。

私のレッスン室の玄関で、毎回「このうちは靴べらないの?」それでやっと靴べらを買ったけれど、それを使ってもらうこともなかったような気がする。もっと早く買っておけばよかった。毎度後悔の念ばかり。

それで最後のときには彼の家近くの楽器屋さんのスタジオが練習場所になった。その時がご一緒した最後だった。その後私は数年間、トラブルに巻き込まれ収拾に関わって時間がなく、演奏に参加させていただくことはなかったけれど、事あるごとにKちゃんからの報告を受けていた。「舘野先生が飲みすぎて心配です」とかなんとか。本当にお酒が好きだった。ファンのおばさまたちに囲まれて上機嫌に穏やかにお話を楽しんでいらした。

なくなる前の日、新潟のホテルでお酒を召し上がって、次の朝、あちらの世界に行ってしまったとか。最後までチェロとお酒を愛した彼らしい人生の締めくくり方だったらしい。

御冥福をお祈りします。







0 件のコメント:

コメントを投稿