加藤さんのことを「にのきん」さんというのは彼女の旧姓が二宮さんというから。にのみやきんじろう・・・縮めて「にのきん」
わたしたちが小学生の頃のには、どこの学校にも二宮金次郎の銅像が立っていた。背中に薪の束を背負いながら本を読んでいる少年の姿。仕事も勉強も頑張って偉い人になりました、すごいですねと言いたいけれど、私はひねくれた子どもだったから、仕事は仕事、読書は読書に専念したほうが効率的だし、薪を背負っていたら足元が危ないのになんて思う生意気なガキでした。今だったら歩き読書は禁止。
金次郎さんのことはともかく、二宮さんは私の3才年上でオーケストラの先輩。私がおずおずと新人で参加したオケではもうすでにベテランとして頑張っていた。文字通りのがんばりやさん、そこは金次郎さんと通じるものがあった。いつも目をキラキラさせて声も大きく張りがあってその存在感は他を圧倒していた。
高校生の時に三重県の津から上京して、一人暮らしをしながら世の荒波をわたっている姿は、私の母に多大な印象を与えた。私の家に泊まりに来たときに、私が彼女の一人暮らしの話をすると「偉いねえ、本当に偉いねえ」「あの人はどうしてる?」母は死の数年前まで彼女のことを忘れずに褒め続けていた。過保護で甘ったれの私を見るにつけ、心底彼女には感心していたようだった。
ある時沖縄に一緒に遊びに行ったことがあった。早朝二人で海岸を散歩していたら石垣があって、たった1m位の高さなのに私は飛び降りることができない。するとその時すでに中年だった私より3歳年上の彼女がひらりと身軽にとびおりたのにはびっくりした。聞けば朝毎日彼女の信仰する宗教関係の新聞を配っているのだという。
その時の年齢で毎朝新聞を配ることにも驚いたけれど、体の身軽さにも度肝を抜かれた。性格は超負けず嫌い、どんなときでも自分が悪いとは言わないから、周りの人たちは辟易していたけれど、それでも愛されていたのは彼女の真っ直ぐな性格。歯に衣着せぬところがあってもなお周りには優しい人たちがいて彼女を守っていた。
歯に衣着せぬというところはオーケストラの練習の時も発揮されて、他の人の音の間違いや弓つかいの間違いなど気がつくと容赦なく指摘してくるのでイラッとする人も多かったけれど、ベテランだからあまり逆らえない人が多かった。私は叱られても耳から耳に聞き流す特技があったからいつも平和。
ある時、私が弓使いを間違えたら椅子から立ち上がって早速のご指摘。その時私はたまたま虫の居所が悪かった。本当に何も考えずに反撃してしまった。「間違えたことは自分が一番良くわかっているの。だからいちいち言わないで」
するとあれほど気の強い彼女が無言ですっと椅子に座って、その日はシーンとして何も言わなくなってしまった。今度は私が慌てた。「ああ、どうしよう、先輩に向かってなんてことを。でも謝ってももう手遅れだし、第一どうやってなにを謝るの?無言でいる彼女に心のなかでごめんと言う。
ときには私の強気が彼女を上回ると、周りの皆はヒヤヒヤするらしい。けれど彼女は本当にお腹の中は真っ白な人で、ずっと仲良くしてこられた。常に直球を投げる人だった。
けれど、にのきんさんは亡くなってしまった。昨日訃報を受けた。彼女はまっすぐに生きてあまりにもまっすぐだったので、いつも太陽の燦燦と降り注ぐ道を歩いていたにちがいない。
御冥福をお祈りします。
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