2025年4月30日水曜日

今お使いの電話は

 2時間後につかえなくなります・・・って?どなた?あなたは。

それで「ちょうどよかったわ、詐欺の電話がかかってこなくなって」と言ったらものも言わずガチャンと! 失礼ね、お邪魔しましたくらい言えないの?

この手の詐欺が流行りだしてからどのくらいの時間が過ぎたのだろうか。それでもなお騙される人が後を絶たないというのはある意味平和だなと思う。払えるだけのお金があるということでしょう。その詐欺のセリフにも流行り廃りがあるようで、一時期のオレオレ詐欺はもう流行らないかも。

うちには本当によくかかってきていたけれど、私はもう死んだことになっているのではと思うくらい最近は電話がない。久しぶりにかかってきたのが先程の電話。情報が売られていて高齢の少しボケ始めた女性は良いターゲットとして名簿にのっているらしい。

以前、あなたの口座に振込がありましたという偽メールがあった。郵便局に行ったついでに「本当に振り込まれてるの?」と訊いたら窓口のお兄さんは非常に不機嫌で「ありません」とにべもない。しょっちゅうこんな問い合わせが来るのでしょうね。儚く消えた私の夢の残念さをどこに持っていったらいいのか。

しかし、こんなふうに四六時中悪さを考える人生ってどんなことなのかと、泥沼にハマった人たちを多少気の毒にも思う。許されることではないと本当は眠れぬ夜を過ごしているのではないかと。結局捕まってしまうか悪事がやめられなくて冥い人生を送って、家族や子孫にも誇りを持って語れないまま死んでいくの?どこの曲がり角で曲がる方向を間違えたのか。

オレオレ詐欺全盛の頃、若い男性からかかってきた。「あのよお、俺今ムサコにいるんだけどさあ」「誰?あっちゃん?」あっちゃんは甥の名前だけど、そのときはもう亡くなってしまったからそうであるはずはない。「そうだよ、ムサコに仕事できていて」「そのムサコってどこ?」「武蔵小杉だよ」武蔵小杉は当時住みたい街の上位にランクする人気の街だった。

「ふーん、武蔵小杉で何してるの」「仕事だよ仕事」「それで?」「今休み時間になってさ・・云々」そろそろバカバカしくなってきたので終わらせようと「あのね、私の家族にあのようなんていう言い方をする子はいないからあっちゃんではないわね。悪いことをするのはやめなさい」と言うと驚いたことに電話を切ろうともせずに話を続けたがる。この子は詐欺師というより寂しいのではと思ったことがあった。もうバレているというのに。もしかしたら寂しくて悪事に走るということだったのかもしれない。

ある時区役所のなんとか係からの電話。多く支払いすぎの保険金が戻ってきますので銀行のATMに行ってくださいと。そこで係員がお待ちしていますので指示に従ってお金をお受け取りくださいと。

支払えと言うならともかく、戻すなら私の口座に入金すればいいだけの話。なんでATMなの?ややこしいお婆さんだと相手は手こずったらしい。しかも私の家に一番近い銀行でなく隣町のご指定。いやよ、そんなとこまで行くのはとダダを捏ねてみたらどうしてもそこでないといけないらしい。区役所の職員がわざわざ役所から抜け出して、お勤めご苦労さんと言いたくなる。しかし、もう少し賢い筋書きを考えたらどうかしらね。脚本が悪すぎる。

私が自分を幸運だと感じるのは、自分が本当に好きなものを持っているということだと思う。下手くそだったからそれはそれは大変だったけれど、その大変なことに向かって努力するのは、好きなことを繰り返し練習するということなので、本当に辛いわけではない。長時間の練習に耐えるのは嫌いだったら地獄だけれど、好きなことなら夢中になって時間が過ぎてしまう。

悪事に加担する人たちは、なにをやっていいかわからないのではと思う。自分が本当に好きなことがあれば、それに向かってどんな努力もできる。なければさてね?私は何をやっていただろうか。























2025年4月28日月曜日

聴き手になって

 前の投稿で「エッと思うくらい覚えていた」というのは嘘でした(笑)

二日ほど忙しくてサボったら元の木阿弥、綺麗さっぱり忘れていて最初から出直し。もうすぐ旧友が風船のように膨らんで張り切って我が家に突進してくるから、大慌て。さあて大変!大変だあ、叱られてしまう。彼女は私より少し年下で、オーケストラは退団したもののまだバリ現役。

忙しい。と、いうのは先週も今週もコンサート通い。アマチュアオーケストラが2つとヴァイオリン・ヴィオラの二重奏の3つ。アマオケは私の生徒さんたちが張り切っているからなるべく聴かせてもらうようにしている。それぞれ居住区での活躍。特に江戸川区のオケは非常に役所の思い入れ深く援助も厚いらしい。歴史もあるし優秀で、去年か一昨年だったかしら、マーラーの「5番」などををしれっと弾いてしまう。

先日のプログラムはモーツァルトの「魔笛序曲」から始まった。私の生徒はセカンドヴァイオリンで、「あの」難所の刻みの部分が大問題だったと。本番は無難に成功したので後で訊いたら、練習が大変だったとのこと。聞き手にはわからないけれど、オーケストラ曲には易しそうに聞こえてものすごく嫌な箇所があるのですよ。

そして昨日は中野区のオケ、初っ端「ドンファン」和歌山のではないですよ。リヒャルト・シュトラウスの名曲。少し荷が重いかと思ったけれどなんとか。そしてメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲はソリスト小川響子さんの熱演で会場が沸いた。本当に今の若い人に国境はない。隔世の感がある。心から楽しんだ。

もう一つの素敵なコンサート。とても素晴らしかったのはヴァイオリンとヴィオラのデュオ。お二人はベテランの名手。会場が沸きに沸きました。

白寿ホール

ヴァイオリン 白井 篤 ヴィオラ 中竹英昭

ロッラ:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 作品12-2

モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K.423

リシュカ゚:2人のタンゴ

平川加恵:さくらさくら変奏曲 -ヴァイオリンとヴィオラのための

シュポア:ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 作品13

ヘンデル/ハルボルセン:パッサカリア

たった2本の楽器の奏でる空間に、ため息の出るような広がり、二人の奏者の呼吸が絡み合って、どこを切り取っても共鳴する音の世界。たっぷり楽しませていただきました。次回のduo演奏予定がわかりましたらここに掲載しますので、ぜひお聴きになることをおすすめします。

nekotamaの駄文を読むより、ぜひコンサートに足をお運びくださいませ。でも読まないと次回予告を知ることができないから読んでください。半ば脅迫ですが。

中竹さんは「古典音楽協会」のメンバーです。今年秋の定期演奏会にコンサートマスターの山中光さんとモーツァルト:コンチェルタンテ・シンフォニーのヴィオラソロを演奏します。

古典音楽協会第168回定期演奏会

9月25日(木)p.m.7:00     東京文化会館小ホール

J.C.バッハ:五重奏曲 Op.11-4

モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲  K.364

モーツァルト:チェンバロ協奏曲 K.107

モーツァルト:交響曲第29番 K.201

しばらく休んだら、聽くのは本当に楽しいけれど、やはり弾くほうがもっと楽しいという心境になってきました。私がプロとしては引退というのは事情があって、左手薬指の骨の変化から正しく音程がとれなくなったこと。それさえなければもう少し活動できるのにと悔しさと、半分は緊張から逃れられるというホッとした気分がある。これはもういかんともしがたく、ちょうど節目の年なのでということもあって引退を決心した次第。

チェリストの青木十郎さんが非常にご高齢(たぶん90歳)でリサイタルをなさった。それを聽いた人が、彼の音程の正確さに驚いたと言うのを聞いて本当に羨ましかった。どのように指のケアをなさったのだろうか?

私の左手指先は、薬指が小指側に5ミリほども傾いてしまった。今思えばこういうことがあるならピアノをやっておけば良かったかとも思う。けれど、ピアノの先生の熱烈なお誘いを断ってもヴァイオリンが弾きたかったのは、やはり弦楽器の持つ無限の音の響きに魅せられてしまったから。蠱惑的で自由奔放で捕まえたと思ったら逃げられる、猫みたいな。










2025年4月19日土曜日

自分を取り戻す

 もう7ヶ月ほどにもなる。

ヴァイオリンをほとんど弾かなかった。黄色い私のヴァイオリンケースは毎日レッスン室の椅子にポツンと置かれて無聊を託っていた。可愛そうだけれど、手が出せない。時々抱っこしてよしよし、ケース越しに語りかける。中からはうんともすんともない。

数日前、友人と約束したデュオの楽譜が届いて、これはもう弾かねばならないと覚悟を決めて譜読みが始まった。マックス・レーガーの小さな二重奏曲。しかし手強い。しばらくサボっていたために感覚が鈍っている。サクサクとは覚えられない。

何回弾いても途中で挫折。音が覚えられない。それほど難しくはないのに。レーガーは好きな作曲家でもあるし、復帰に際して選ぶにはちょうどよいレベルであるのに手強く感じる。引退することで一度火を落としてしまったので、再燃するためにはエネルギーが要る。

先日「やっとヴァイオリンが彈きたくなってきてね」というと集まった友人たちが一様にニヤリと笑った。すでに見透かされていたか。しかしプロとしてやっていくという意味ではないので自分の楽しみだけで弾くなら復帰宣言は不要だった。

このところ体重が少しも減らないので、食べる量や食べ方や運動の仕方など変えていたけれど、なんの効果もなかった。鏡に映る私のお腹はなだらかに下方に垂れ下がっている。信楽焼のたぬきはポコンときれいにつきでているけれど私のそれはたるんたるんと揺れ動く肉の塊で、たいそう見苦しい。良く言えばつきたてのお餅のようだけど。お餅と違うのは引きちぎって捨てることができないこと。

ヴァイオリンの練習を始めてまだ一週間弱なのに、そのたるんたるんが少し筋肉質になって来たのに気がついた。ああ、こんなに腹筋も使っていたのだ。練習三日目には疲労が半端なく寝ても寝ても疲れていた。ほとんど起きている暇がない。筋肉には影響ないくらい脱力ができていると思っていた私もヴァイオリンを弾くのにこんなに筋肉が必要とはおもっていなかった。

少し体重が減った。演奏には本当にエネルギーを使っていたのだったと今更ながら驚く。日常的に練習や本番をくり返してきたから、それほど体力を必要としないと思っていた。引退したら血圧もコレステロール値もぐんと上がった。

私は運命的に仕事に生きるようになっているらしい。仕事と言ってもヴァイオリンを弾くだけではなく、なにか新しいことに挑戦するのもお金にはならないけれど仕事のうちと思えば生きることがすべて仕事。

オーケストラ時代、常に身近に交流のあったWちゃん。彼女はしばらく体調を崩し聴覚に問題が出て演奏を止めた。最近は自身の人生の集大成として心の巡礼をしているそうで、久しぶりに電話をしたら2日前にギリシャから帰国したばかりだという。私がしばらく心を病んでいたときに平泉寺のことを教えてくれて、私はそこに行くことによってやっと平静になれたのだった。

彼女が言うには「ギリシャにお誘いしたかったのよ。でもね、このグループは会員でないと参加できないので誘えなかったの」もう、残念としか言葉がない。しかも一ヶ月を超える長時間の旅で、神話の世界を経巡ったそうなのだ。学生時代、少し興味があって平凡社の世界名作全集などで「ホメロス」などをかじろうとしたら手強く拒絶された痛い経験があって、私は無理と諦めてしまった。本当に少しもわからなかった。

それを言うとWちゃんは「一人では無理、絶対にわからないわよ」研究者や大学教授が同行してくれて徒歩でギリシャを経巡ったという。そのための研究グループだそうなのだ。「あなたが数年前にフランスで山岳スキーをしたということを聞いていたので、それなら一緒に行けると思って、誘いたかった」と。「今度は必ずお誘いするから」と嬉しいお言葉。一生懸命元気でいきていようと思った。

私は足も心もずたずたになって最近まで病んでいたのだった。まだ少しふらつくけれど、いつまでもくよくよできないから強くなろうと思う。足かせは猫。彼らをどうしよう。面倒見てくれる人を探さねば。多分猫を飼っていなければ、私は日本にはいない。

命尽きるまで、大草原や山岳地帯を彷徨っているかもしれない。鳥さんたちに食べられてもいい。狼さんの餌食になるか・・・案外こたつで猫と丸くなって命尽きるか。なんだか世界が小さくなってきたなあ。

二重奏曲の譜読みはほんの数日前になんとかできたけど、覚えられないのは相変わらず。それでも今日弾いてみたらエッと思うほどおぼえていたのだった。変だな、こんなはずはないのに。すると、脳みそはまだ糠味噌と入れ替わってはいなかったのかしら。子供の頃に長時間睡眠の生活をすると脳の一部の海馬が発達するという。

私は子供の頃はものすごくロングスリーパーで学校から帰って夕飯が済むとバタンキュー!翌朝までぐっすりでおねしょをしても起きない子どもだった。その頃の習慣が今生きているのかもしれない。




2025年4月12日土曜日

芹澤英雄さんのこと

 コチャが死んでその後にハチワレの、のんが家に入ってきて、しばらくするとその兄弟猫のグレがだんだん長逗留するようになってきた。ふたりとも幸せそうに昼寝したり喧嘩したり。やっと安定した家に入ってきても野良は.野良気質が抜けない。我が家にいても警戒心は忘れず必ず逃げ道の確保をしている。安全点検が済んでこれで大丈夫と言うまでは、私に窓を開けるように促してくる。

窓を開けたままではセコムの警報がセットできないので、夜は表に出されてしまうのに。寒い夜、しょんぼりと出ていくのは可哀想だけど。かといって窓をしめると開けて開けての大騒ぎ。朝私が起きて早速窓を開けると、冷たい猫が待ってましたと入ってくる。少し我慢して一晩うちで寝ていけばいいのに。

寒い時期には可哀想だからベランダには段ボールにキャッツシートを敷いておいてある。かろうじて風雨がしのげるくらいで、大風の日には吹き込んでくるし、雨が強ければ濡れてしまう。だからもう覚悟を決めてうちの子になってしまえばいいものを、野良生活はなかなか捨てられないらしい。何でしたっけ、役者と乞食は3日やったらやめられない、でしたっけ?

楽隊も3日やったらやめられない、多分自分の仕事を3日やったらやめられない人が多いと思う。好きなことが仕事に出来る人は全体のどのくらいの割合かはわからないけれど、逆に言えば仕事を得たら、好きになればいいだけのこと。それで赤貧洗うがごときの生活でも幸せだと思って長年生活してきた。別にヴァイオリンが好きだったからではなく、ヴァイオリンが近寄ってきただけのこと。・・・と思って引退してヴァイオリンを弾くのをやめた。

去年の9月から私はヴァイオリンを捨てた、皆に宣言して楽器のケースはとじられたままだった。しかし、雀百まで、業ですねえ。というわけで古い仲間に声をかけられたらもうその気になっちゃって、いそいそと練習を始めた。

そして古い楽友であり先輩である元東響の打楽器奏者の芹澤英雄さんの訃報が届いた。この方こそ、まさに楽隊は3日やったらやめられなくなってしまった人なのだ。博識、多才であり薬剤師の資格を持っているのにもかかわらず、途中で学業か楽業になってしまったという。音大に入り直し打楽器奏者となり、オーケストラで活躍。引退後は税理士の資格をとってしまう。普通の人ならそのうちのどれか一つの資格を得るのも難しい。人生を三回生きたような人だった。いつも穏やかで誰がどんな質問をしても回答の用意があるほどの博識。

毎年のように彼を囲んで飲み会が開かれていたけれど、数年前から足が弱って介護施設に入り、ここ数年お目にかかっていなかった。オーケストラの生き字引だったから私は彼の話を書き取っておこうと思っていたのに、できなかったことが悔やまれる。

芹澤さんの御冥福をお祈りします。

今度お目にかかるときには、ビールですか?日本酒ですか?おや、ワインですか。この銘柄なんていかがですかなんて、またご一緒に。ハスの花が綺麗に咲いた天国でね。














運がいいのか悪いのか

あまりまめに健康診断を受けることはないけれど、たまには受けて、悪いところがあれば今から気をつけておこうと 柄にもなく病院へ。これが良くなかった。この年になればもうどこか悪いところは必ずと言っていいほど見つかるものだとは思っていた。

仕事をやめてなんとなくぼんやりと食っちゃ寝を楽しんでいれば、運動不足、肥満、高血圧にもなろうというもの。役所から高齢者健康診断の受診券が送られてきて、去年の分と今年の分がダブって余ったので、貧乏性が「もったいない」と囁く。自由時間が増えて睡眠も以前より長くなっていつもなんだか眠い。

緊張のなさが眠気とだるさを誘う。暇になったら家の片付けと将来に向けての準備など考えていたことを実行しようと、いつもお願いしているリフォーム業者に頼んでクロスの張替え、壊れているドアクローザーの修理、窓の防犯防音工事など依頼した。その工事の日程が飛び飛びに入ってきて5月連休すぎまで落ち着かない。

検診の結果は毎回の例に漏れず、コレステロールと血圧が少し高めのほかは変わりなかったけれど、胃の内視鏡検査で黄色信号点灯!荒れた私の胃袋はなんか嫌な茶色い部分が認められた。それでも食欲があるうちは大丈夫。

猫が具合悪いときの基準は食欲の有無。獣医さんに猫を連れて行く基準は食欲があるかどうか。末期的になっても食べられればまだ大丈夫の診断が下る。だから自分的には食欲があるから大丈夫だったけれど、流石に再検査や再々検査は厳しい。

で、昨日は造影剤使用のCTスキャン検査を行うことになった。なんでも新しいことは興味津々で喜んで検査を受けるけれど、検査スタッフがなにか物々しく、造影剤の注入もバカ丁寧な言葉遣いや親切すぎる行動がいかにも重大なことが始まるような態度が恐ろしい。まるで重病人になった気分。

私は血管が細くてなかなか注射針が通らない。それでも去年入院した別の病院に比べれば雲泥の差で、そちらはこんな病院本当にあるのかと思うほどの下手くそな看護師で腕中紫色になってしまった。両腕の下半分紫色になって何箇所刺されたか勘定していたら7箇所も刺され、血液が漏れて絆創膏だらけ、素人の私が看護師に指図をしてやっと点滴を受けられた。

それに比べればこちらの病院は全く心配はないけれど、彼らの患者に対する慮りがかえって恐ろしい。昨日受けた注射針の痕跡もほとんど消えかけているくらい無駄な出血は抑えられている。

すっかり疲れ果てていつもより早めに就寝したら夜明けにセコムの電話、しまったまた警報装置のセットを忘れて電話されてしまった。この装置は私が万一死んで決まった時間内に生体反応がなくなると警備員が駆けつけてくれる仕組みになっている。けれど毎度お騒がせの私が装置のセットをし忘れるので、真夜中の電話となる。はじめの頃は緊張した声で電話してきたセコムさんも、最近はのんびりとした声で「またかよ」とは言わないけどそのような雰囲気を漂わせながら。せっかくもう少し長く眠るつもりだったのが超早起きになってしまった。

それで頭が重い。朝一の美容院の予約があったから二度寝もできない。そこから素晴らしいタイミングがはじまった。

電車の乗換案内で私の使う路線を調べたら、乗り入れの他社線が遅れているという。私の乗車予定の電車は変わりなし。しかし同じ線路を走るのだから、きっと影響をうけて混雑と遅延が出るだろう。迷ったけれど少し早めに起きたのでとりあえず家を出た。

歩き始めてバス停そばまで行くとちょうどバスが来た。いつもならバスには乗らないで最寄り駅まで歩くのが、せっかく来たのでほい!と乗る。朝のラッシュを少し過ぎたところで空席はない。しかし眼の前の学生さんがすっと立ち上がってどうぞと行ってくれた。直ぐなんだけどせっかくだから座らせてもらった。そして駅につくと電車のタイミングも待ってましたとばかり。そこでもすぐに席を譲ってもらう。

ごめんなさいね皆さん、本来通勤時間帯には仕事やさんが優先で老婆は乗ってはいけないとおもっているのに、私はつい最近まで現役だったのでそれに免じて座らせてもらう。たった二駅で目的駅についた。予約時間には早すぎるけど、まあ、コーヒーでも飲んでから行こう。ここまでは幸運のラッシュ。こんなに全部うまくいくなんて。

コーヒーはなみなみと大きなマグカップで、それを抱えて席についた。しばらくすると店員さんが来て1円玉を差し出された。お釣りをもらうときにお金をわすれたらしい。財布に入れようと手を動かした途端、マグカップに触ってコーヒーがこぼれ、哀れマグカップは床に、そのへんコーヒーの洪水になった。幸い両サイドの人には被害はなかったけれど、私の膝から下はずぶ濡れ、店員さんは大慌てで掃除をする羽目に。

店員さんは嫌な顔ひとつせずに掃除をしてくれてなんとおかわりを勧めてくれたけれど、そこまで図々しくはできないからお断りして店を出た。コーヒーで濡れたヒザ下からのシミはなんとも微妙な位置で、私くらいの年だと「我慢できなかったの?」と取られかねない。でも私はカフェの隣がユニクロだと知っていたのですぐに隣の店に入った。

「隣でコーヒーこぼして濡れっちゃったの。なにか着替えがあるかしら」そう言うと目の前にスエットパンツのようなものがぶら下がっていて、すぐに購入。すぐ近くに多目的トイレがあってすぐに着替え。幸いその日の服装はすごくカジュアルで買ったものがぴったりで。

ユニクロで自分のものを買うのは初めてで、これほど着心地がいいとは思っていなかった。これはこれは、おみそれしましたユニクロさん。薄くて軽いのに温かい。運動するときには最高、歩きやすい。

家を出てからここまでがほんの30分ほどのでき事、これほどタイミングよく物事が進んだら時短になるなあ。美容院が終わって友人と食事をして帰宅、すぐスーパーに買物にいく。

午後4時に壊れていたドアクローサーの交換の予約があったので3時半頃戻ると駐車場に職人さんの車が止まっていた。「前が少し早く終わったのでいま来たところです、始めてもいいですか」というからお願いします。工事は1時間ほどで終わり、なんだか計ったように時間が無駄なく埋まっていく。

こんなドンピシャの日は本当に珍しい。気持ちがいい。その日は多分世の中のすべての予定がうまく行っているのではないかと思われるほどだった。

よる、姪の娘から5月19日(土)に行ってもいいかとメッセージがきた。今年5月19日は土曜日ではないから「お前さんそれは何時代のこと?今は2025年だけど」と返信。剔れは彼女の思い違いで4月のことだった。やはり我が身内にはズレているのがいる。これがその日の〆。残念でした。












2025年4月8日火曜日

復帰間近?

 オーケストラ時代、というとすでに50年ほど以前、よく一緒にアンサンブルをしていた音楽仲間の・・・あれっ!名前がでない。

そうそうHさんでした。

先日電話で話をしていたら、昔のようにデュエットしようよという話が出た。最近名前が出ないのは序の口、時には全く顔も思い浮かばないことが多い中で、彼女だけは流石にそういうことはないと思っていたのに。日々物忘れが激しくなっていく。

それでHさんの好きな曲を選んでと頼んだら、早速楽譜を送ってきた。そのまま知らん顔して忘れてしまえばヴァイオリンは弾かなくてすむなとしばらく逃げ腰だったけれど、結局、練習日が決まってしまい仕方なく楽譜に目を通すことになった。

ぶよぶよになった指がはたしてうごくのか。固まってしまった上半身は楽器を支えられるのかしら。楽器は休眠状態、持ち主はポンコツ。最後のステージが昨年9月。その後ロクに練習していない。時々生徒とキラキラ星彈く程度の練習では全く仕様もないと思っていたけれど、彈いてみると楽に体が動く。これは驚いた。むしろ引退したことで緊張が取れて力みがなくなった。

長年の訓練とはなんと恐ろしいものか。楽々音が出る。楽器もリラックスして柔らかく良く響く。久しぶりに聴く我が愛器の声。本当にお前さんは美しい声だねえ。ここまでは良かった。

さてどんな曲かな?

私は初めて弾く曲の譜読みが大好きで、ワクワクしながら練習に取り掛かる。まず一度サッと目を通す。8小節間をもう一度。若い頃ならほぼ初見でもすぐに覚えられて、二度目はもう間違えないくらい譜読みの速さを誇っていたけれど、ありゃー!何回弾いても覚えられない。

何回も何回も・・・弾いても弾いても。やっと最後までたどり着くとまた初見の気分。

そしてHさんもまたぼやく。彼女の初見の速さは驚異的だった。私も負けじと頑張っていたオケ時代。その彼女が同じように嘆くとは。

しかし、引退後妙に太ってしまいぼんやりしていた私の体中の血液が流れ始めた。雀百までとはよく言ったものだわ。かと言ってもはや演奏家として復帰できるとは思えない。集中力や気迫が残っていない。これからは一アマチュアとして心底楽しんで演奏しよう。とか思っても燻っていたプロ根性が頭を持ち上げてくる。すぐにムキになる。弾けなきゃ悔しい!でも何回弾いても音が覚えられない。

ということは体に染み付いた熟練した技術は保存されるけれど、スカスカになった脳はもとに戻らないということ?









2025年4月7日月曜日

公開しわすれて

 私は仕事をやめて悠々自適、のんびりと生活しようと思っていたのに思いの外忙しく気忙しい毎日、寒暖の差の激しいお天気に振り回されて疲労もたまり、花粉で目が痒く・・・などなど毎日が刺激に満ちている。

古典音楽協会は新体制となって3回目の定期演奏会を無事終えて、順調に再出発の波に乗ってきました。これも毎回聞いてくださる皆様のおかげと感謝しております。

長年の疲れと緊張がほぐれてきたので久しぶりに健康診断を受けたら何やら不穏な動き。胃の内視鏡検査で少し問題があるようだけれど、食べ過ぎのせいと思う。再検査がないといいなと思っています。

食べすぎといえば、先日、白洲次郎さんが町田市に残した武相荘(ぶあいそう)に行ってきた。嵐を呼ぶデコボココンビのMさんと一緒だからこれはただではすまないと覚悟。江の島では強風にあおられ、中華街では南岸低気圧による土砂降りに降られ、散々な目にあっているのになぜかまた一緒。緑色の髪の乙女(元・はるか昔)と鶴川駅で待ち合わせた。車で走ること15分ほどで古民家のある庭園について、よろよろと歩き始めたけれど、風も吹かない、雨もふらない、いつもと約束が違う。このコンビニはふさわしくない穏やかな晴れた日だった。

まさか平日の昼下がり、こんなに人が訪れてくるとは思わなかったけれど、現在では高齢者が暇を持て余しているらしい。かくいう私達もその一味であるわけで、ランチにありつこうと思ったのに、すごい数の予約で待ち時間がしんどいので帰ってきた。

それで私と彼女のお墓のある霊園近くのイタリアンにと思ったらそこも満員御礼。諦めて駅前の台湾料理の店でささやかにおそばを食べてドトールでコーヒーを飲むという、毎日の生活と同じような行動になってしまった。

そう、実は彼女と私は墓友なのです。私が7年ほど前に買った樹木葬のお墓の向かい合わせに彼女も猫さんたちと入れるお墓がある。私の隣は旧友のHさんのお墓、みんな入ったらさぞ賑やかなことになるでしょう。夜中にお隣さんからほとほとと壁を叩く音が聞こえると、私はガバっとおきあがりお隣へ。その次にお向かいさんに声をかけて誘い出す。夜中じゅう騒いで夜明けとともに穴に戻るという楽しみが待っている。

場所は町田市の小高い丘の上、全山桜が咲くとそれはそれは見事な桜色の丘になる。気持ちの良い風に吹かれて庭園ごとに様々な花が咲いて、ここを見つけた時には本当に嬉しかった。早く入りたいとは思わないけれど、最後の住処が一番上等というのが良い。決して贅沢ではないけれど、理想の終の棲家ではある。

それで安心して遊んでいる。レッスン室の改装がまもなく始まる。今までは頼りない防音ドアだったけれど、それをスチール製のより防音効果の高いドアにする。窓は二重窓の間に防音材を詰め込んで、防犯も兼ねる仕様。リビングの方もベランダの防犯が脆弱なので内側にもう一つの窓を作る。ガラスを割れない三重ガラスに。猫の出入りには少し不便でも、安全第一で、工事をすればお金もなくなって、これだけでも防犯になるでしょう。今お金があるという意味ではありませんよ。更になくなるということで、うちは狙わないでくださいね。泥棒さんたち。

ここまで書いたら気が済んで公開し忘れていた。

今開けてみたらもう一ヶ月書けない日々のnekotama、職業作家でなくて本当に良かった。自分の中からものを創り出すということの辛さほんのひと欠片を味わう。私の場合日記だから何を書いても、つまらなくても、本職でないからと言い訳がたつ。けれど、公開するとすぐに読んでくださる人がいらっしゃると思うと、おまたせしてはと気が焦ることもある。

そういえば古典音楽協会をというよりヴァイオリンを弾くことを引退したら「先生が演奏しないならもういかない」と言って数十年にわたる古典の演奏会に一度も休まず来てくれた元生徒さんが言う。おやおや、私のために来てくれていたのね、ありがとう。だけど私が客席に行くから一緒に聴いてほしいなと思う。

長年ありがとうございました。今後は新メンバーによる更に進化した新たな取組をどうぞ聴いてください。よろしくお願いします。