2025年4月19日土曜日

自分を取り戻す

 もう7ヶ月ほどにもなる。

ヴァイオリンをほとんど弾かなかった。黄色い私のヴァイオリンケースは毎日レッスン室の椅子にポツンと置かれて無聊を託っていた。可愛そうだけれど、手が出せない。時々抱っこしてよしよし、ケース越しに語りかける。中からはうんともすんともない。

数日前、友人と約束したデュオの楽譜が届いて、これはもう弾かねばならないと覚悟を決めて譜読みが始まった。マックス・レーガーの小さな二重奏曲。しかし手強い。しばらくサボっていたために感覚が鈍っている。サクサクとは覚えられない。

何回弾いても途中で挫折。音が覚えられない。それほど難しくはないのに。レーガーは好きな作曲家でもあるし、復帰に際して選ぶにはちょうどよいレベルであるのに手強く感じる。引退することで一度火を落としてしまったので、再燃するためにはエネルギーが要る。

先日「やっとヴァイオリンが彈きたくなってきてね」というと集まった友人たちが一様にニヤリと笑った。すでに見透かされていたか。しかしプロとしてやっていくという意味ではないので自分の楽しみだけで弾くなら復帰宣言は不要だった。

このところ体重が少しも減らないので、食べる量や食べ方や運動の仕方など変えていたけれど、なんの効果もなかった。鏡に映る私のお腹はなだらかに下方に垂れ下がっている。信楽焼のたぬきはポコンときれいにつきでているけれど私のそれはたるんたるんと揺れ動く肉の塊で、たいそう見苦しい。良く言えばつきたてのお餅のようだけど。お餅と違うのは引きちぎって捨てることができないこと。

ヴァイオリンの練習を始めてまだ一週間弱なのに、そのたるんたるんが少し筋肉質になって来たのに気がついた。ああ、こんなに腹筋も使っていたのだ。練習三日目には疲労が半端なく寝ても寝ても疲れていた。ほとんど起きている暇がない。筋肉には影響ないくらい脱力ができていると思っていた私もヴァイオリンを弾くのにこんなに筋肉が必要とはおもっていなかった。

少し体重が減った。演奏には本当にエネルギーを使っていたのだったと今更ながら驚く。日常的に練習や本番をくり返してきたから、それほど体力を必要としないと思っていた。引退したら血圧もコレステロール値もぐんと上がった。

私は運命的に仕事に生きるようになっているらしい。仕事と言ってもヴァイオリンを弾くだけではなく、なにか新しいことに挑戦するのもお金にはならないけれど仕事のうちと思えば生きることがすべて仕事。

オーケストラ時代、常に身近に交流のあったWちゃん。彼女はしばらく体調を崩し聴覚に問題が出て演奏を止めた。最近は自身の人生の集大成として心の巡礼をしているそうで、久しぶりに電話をしたら2日前にギリシャから帰国したばかりだという。私がしばらく心を病んでいたときに平泉寺のことを教えてくれて、私はそこに行くことによってやっと平静になれたのだった。

彼女が言うには「ギリシャにお誘いしたかったのよ。でもね、このグループは会員でないと参加できないので誘えなかったの」もう、残念としか言葉がない。しかも一ヶ月を超える長時間の旅で、神話の世界を経巡ったそうなのだ。学生時代、少し興味があって平凡社の世界名作全集などで「ホメロス」などをかじろうとしたら手強く拒絶された痛い経験があって、私は無理と諦めてしまった。本当に少しもわからなかった。

それを言うとWちゃんは「一人では無理、絶対にわからないわよ」研究者や大学教授が同行してくれて徒歩でギリシャを経巡ったという。そのための研究グループだそうなのだ。「あなたが数年前にフランスで山岳スキーをしたということを聞いていたので、それなら一緒に行けると思って、誘いたかった」と。「今度は必ずお誘いするから」と嬉しいお言葉。一生懸命元気でいきていようと思った。

私は足も心もずたずたになって最近まで病んでいたのだった。まだ少しふらつくけれど、いつまでもくよくよできないから強くなろうと思う。足かせは猫。彼らをどうしよう。面倒見てくれる人を探さねば。多分猫を飼っていなければ、私は日本にはいない。

命尽きるまで、大草原や山岳地帯を彷徨っているかもしれない。鳥さんたちに食べられてもいい。狼さんの餌食になるか・・・案外こたつで猫と丸くなって命尽きるか。なんだか世界が小さくなってきたなあ。

二重奏曲の譜読みはほんの数日前になんとかできたけど、覚えられないのは相変わらず。それでも今日弾いてみたらエッと思うほどおぼえていたのだった。変だな、こんなはずはないのに。すると、脳みそはまだ糠味噌と入れ替わってはいなかったのかしら。子供の頃に長時間睡眠の生活をすると脳の一部の海馬が発達するという。

私は子供の頃はものすごくロングスリーパーで学校から帰って夕飯が済むとバタンキュー!翌朝までぐっすりでおねしょをしても起きない子どもだった。その頃の習慣が今生きているのかもしれない。




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