2025年7月10日木曜日

木々の魂

今年はまだ一回しか北軽井沢の森に 行っていない。

毎年木々が芽吹いた頃、新緑の森を見たくて出かけるのだけれど、隠退した音楽家はなぜか忙しい。引退したというのは嘘ではなくて、本当に心身が疲れ果てて生きる力もなく、ひたすら休む日々が続いた。楽器のケースは7ヶ月ほどはめったに開けられなかった。休むというのも割合にエネルギーが要るものだとその時思った。

休もうと思っても睡眠は短く切れ切れで、目が覚めると運動をしなくてはとか明るく振る舞いたいとか色々余計なことを考える。そのことで疲れてしまうのだった。そして春が終わりあっという間に暑い夏の気配、その頃からメキメキと調子が上がってきた。ようやく体に力が戻ってきて、痛かった膝や足首の調子も良くなってきた。今だったらスキーもできそう。

それでもまだというより、もうこのままで終わりたいという気持ちと、もう少し休みたいという気持ち、少しずつ練習してみようかなという気持ちが交互にやってきては消えてゆく。思い切ってレッスン室の改装を始めた。より防音を強化するためにドアを変え二重窓の間に防音材を詰めてみた。これが思いがけなく効果的に音漏れを減少させ音の質の向上につながった。自分の音がまとまって聞こえるのが心地よい。

そうこうしているうちに、いち早く事態を察知した友人たちからのお誘いがあって、それが導線となって私の再生を促してくれた。もちろんもう大掛かりなコンサートはできないけれど、これからゆっくりと好きな曲を好きなだけ弾ければいいなと思っている。

部屋の工事は終わったけれど、なかなか片付けはできない。もともとが整理整頓まるでだめだから仕方がない。最初のうちはもう新しい服や靴など買うまいと思って自粛していたけれど、時々衝動買いをする癖は治らない。また買い物してはサイズが合わなくて返品したりとう無駄なことが続く。

もうとっくに部屋はスッキリしていいと思うのに、何故かごちゃごちゃのまま。私の才能は猫を手懐けることに多くの時間をさいているから忙しいのだ。徐々に片付け始めてはいるものの、スッキリとなるのはいつの日か。体が動かなくなったら、それに反して頭の中は忙しくなってきた。もともと1日中動かなくても楽しめる性格なので。寝たきり老女になっても私は退屈しないと思う。ただし、それまでにボケなければだけど。

だんだん音楽復帰の風がそよそよと私を誘うようになってから、練習が本格化してきた。以前よりも練習が楽しくて没頭している。それはやはりだいぶ頭が弱ってきたからだと思う。以前なら少し集中すれば苦もなく弾けたものが今はそうはいかない。何回練習しても音が覚えられない、指使いがさだまらないとか、すったもんだの毎日。すったもんだはこういう楽しいときには大歓迎なのだ。練習は面白い。

やっとひけるようになって次の日、同じところでつまずく。なんてこった。楽器の練習は根気あるのみ。それで北軽井沢の滞在は練習にもってこい。

今回猫は家においていった。元野良猫を野に放った。最近野良の、のんちゃんは、近所の家に入り浸り、ときにほんの少し帰宅するだけでまたお出かけ。お兄ちゃん猫と仲良くご近所を食べ歩いている。家のご飯に飽きて、グルメになってしまった。うちはそれで餌代がかからなくて助かっているけれど、時々帰ってきてほんの少しお愛想に一口つまんで出ていく。それで私がしばらくいなくても大丈夫とみた。

猫のいないドライブは快適で、毎回の大騒ぎが嘘のよう。そしてたっぷり練習ができて浅間山への散歩もおもうがまま。これで寒くなってくると猫は以前と同じように甘えてくるのでしょうね。それも嬉しいけれどしんどくもあり。

今庭の木々が緑の海のように広がって鳥がさえずり、家をすっぽりと包みこんでくれる。守られていると同時にエネルギーを放射して私を元気ずけてくれる。やっと長い眠りから覚めたように私の頭が回転を始めた。

しかしながら残念なことに、フル回転するとオーバーヒートを起こしかねない。中年の時期にかかっていた整体の先生によく言われた。「部品が古いからねえ」今はその時よりももっと古くなっているのだけどね。

































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