2025年7月5日土曜日

自分のためだけの練習

 この8月に久々にステージに立つ。その他の予定は来年までまだなにもないから、毎日色々な曲を弾いて楽しんでいる。自分のためだけに練習することのなんと楽しいことか。

もともとあまり表立って弾くよりも陰でコソコソ陰謀を企てることのほうが好きだから、ああでもないこうでもないと楽譜をためつすがめつ眺めて、どうやって面白く弾こうかと思い巡らす。楽譜を見るのは本当に面白い。私は楽譜の顔を見た途端テンポがわかるという特技を持っている。常識的に言えば楽器の技術にふさわしいテンポ設定があるということなので。

それでもとんでもない作曲家がいるから油断ならない。先日のnekotamaで書いたけれど、新曲で本邦初演などの曲では想像もつかないときもある。でも大抵の作曲家ならその人自身の癖とか類似の曲とかを知っていればすぐにテンポはわかる。それでほとんど外れたことはない。

楽譜を見慣れてくるとあちらから話しかけてきてくれる。最初は見落としたりしていた記号も弾き進めるうちに生き生きと語りかけてくる。だから初見の楽譜を読むときにはとりわけワクワクする。最近よく一緒に弾いているHさんが次々に課題を出してくるので、あたふたしながらもたいそう面白い。彼女とはオーケストラの同僚だった10年ほど、なにかにつけて合わせてきた。それが今、数十年のブランクを経て再開している。こんな幸せなことはないでしょう?

オーケストラに入りたての新人だった頃、私は毎日涙目だった。次々に全く知らない曲を練習しなければならなかった。楽しいなんてものではない、緊張のあまり練習場に入ると吐き気がしたものだった。来る日も来る日も譜読みに明け暮れ、仕事が終わっても大久保の練習場の閉室時間の22時まで、練習する毎日。

ほかの人たちのように子供の頃から英才教育を受けなかった。その差は歴然で音大を卒業してもなお他の人よりも遅れていたはずで、その割に座る席は恵まれたポジションだったからそれは苦労した。しかしものすごく苦労して練習したおかげで、その努力を見ていた人たちが助けてくれたのだった。ある人が私に言ったことは「あなたは卒業してからの修行がすごかったわね」修行だそうで、たぶんそのように見えたのだと思う。

周囲の人達がこの人を助けたいと思ってくれたのが私の一番の幸せだった。ドジでトンマで見るに見かねて手を差し伸べたくなる、そのような新人だったらしい。当時N響を定年退職したばかりの北川さんという方がエキストラで来て、もたもたしている新人に色々教えてくださった。「この指使いはどのポジションであっても同じにすると簡単なんだよ」とか。その北川さんの娘さんが、後に私の仲の良い友人になり、その後の仕事でも最後まで一緒にできたことが本当にラッキーな遭遇だったと思っている。

こうして考えると私は自分で成長したわけではなく、周りの人に感謝をしてもしきれないほどの好意を受けて育ててもらったのだという思いが強い。本当にみなさんありがとうございます。その中でも音楽家ではないけれど長年に亘り一番力を貸してくれた方が今病に倒れ、私は自分の無力さに打ちひしがれている。私にできることはないかもしれないけれど、私が安心して音楽に打ち込むことができた環境を作ってくださった方の快癒を心底祈っている。

自分だけの練習と思っているけれど、それはまた聴いていただくための練習にもつながる。来年の秋にはコンサートができると思います。それまで技術の維持と音楽に対する情熱が枯渇しないように、何よりも健康で怪我のない生活が求められる。辛さも寂しさもすべてひっくるめて生きる喜びを失わないように。普通よりも遅れて始めた音楽の勉強が自分にこんなに大切なものになろうとは夢にも思わなかった。












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