2017年9月4日月曜日

悲しみの連鎖

友人に占い師がいる。
ピアニストだけれど、本格的に占いの修行をして本物になってしまった。
本来有料のはずの占いを、私たちは長年のお付き合いの誼でこっそりと教えてもらう。
ちょっとアドバイスとか今後の運勢を軽く教えてもらう程度でも、大変参考になる。
先日私は彼女から言われた。
あなた!今年は悪いわよ。そうね来年もだわね。

当たってるったら、もうビックリ。
去年から今年にかけて、たくさんの身内とか友人とかを失くした。
この数年、年賀状より喪中のハガキを出すことの方が多い。
今年も、ショックなことに義兄が亡くなって、又喪中のハガキを印刷することになる。

今日は高校からの同級生だった人のお通夜に行ってきた。
元東京フィルハーモニーのメンバーだった藤本利子さん。
病院への御見舞もお通夜お葬式の参列もしてほしくないというのが、本人の希望だった。
しかし、入院を知って御見舞に行かないのは、私的には気が済まない。
どうして来てほしくないかというと、本人がとても周りに気を遣う人だったから。
私なら来たくないと言っても来てほしい。
仕事が忙しい?あなた!私と仕事のどちらが大切なの?なんて逆上しかねない。

でも利子さんは違って、他の人が忙しいのに気を遣わせてはいけないというスタンスだった。
ずっとそうだった。
そんなに気を遣わなくても、そんなに遠慮しなくてもいいんじゃない?

つい先日病院へお見舞いに行った。
ピンク色のパジャマを着てベッドに横たわっていたけれど、顔色も良く元気そうに見えた。

なぜ彼女の入院を私が知ったかというと、毎年北杜市高根町のやまびこホールで開かれる「八ヶ岳音楽祭」の常連だった彼女から、今年は体調を崩して行かれなくなったという電話がかかってきたから。
代わりに行ってもらえないだろうかという問い合わせだった。
引き受けて練習も2回出てしまったのにキャンセルするとは、よくよくのことに違いないと思ったので、私は行かないけれど必ず誰か代わりの人を入れるから、安心して休んで頂戴と返事をしておいた。

そして代わってくれる人が見つかったと連絡しても、返信はなかった。
それで少し遠いところに住んでいる妹さんに連絡。
とにかく安心するようにと伝言した。
いかにも彼女らしいのは、妹さんにも迷惑をかけまいとして病院には来ないようにと言っていたらしい。
そのときに妹さんからむりやり病院を聞き出して、御見舞に行くことにした。
友人と二人で顔を見せると、いやだ、なんで來たのーと言ったものの、嬉しそうだった。
八ヶ岳音楽祭で代わってくれる人が見つかったから安心して、と言うと、パアーッと顔が明るくなってニッコリした。
点滴やパジャマでいる姿を他人に見られたくないのよねと言う。
え、なんで?
すごく身ぎれいにしていて、病人とは見えないくらい。
言葉もはっきりしていて、私たちは安心して帰ったのに・・・
2日後に訃報が届いた。

ほんとうにあっけなかった。
彼女は4年前にご主人をなくしている。
仲の良い夫婦だったから、ご主人が呼びにきたのかな。
彼女はご主人が本当に好きで、頼りにしていた。
だから彼女の方から、あちらに行ってしまったのかもしれない。

彼女はオーケストラではセカンドヴァイオリンのトップを弾くことが多かった。
それはプロに徹した名プレーヤーだったから、メンバーからの信頼は厚く、どんな難しい場面でも落ちないので有名だった。
落ちるというのは楽譜を見誤って、演奏しているところがわからなくなってしまうことで、彼女に限ってそんなことは一度もなかったと思う。
ある時、現代の作曲家のオペラを上演したことがあった。
古典の作品と違って、拍子が変拍子だったりするから数えるのも大変だった。
数を間違えて撃沈なんてこともママある。
しかし、彼女は落ちないで有名な人だから、皆が彼女に注目する。
彼女が出たら一緒にでようと待ち構えていると「いやだー、みんな見ないでよー」
気配を察した彼女が悲鳴を上げた。
ヴァイオリン勢がみんなで注目するから、それは視線を感じるのはあたりまえ。

なにかおもしろい演奏ができるとあれば、どんなところへでも行ったし、ノーギャラでも頼めば引き受けてくれた。
本当に弾くことが好きだった。
去年一昨年の奥州市でのチェロフェスタにも、快く参加してくれた。

どんなきつい練習でも文句は言わない。
誰にも甘えないで毅然と生きた彼女は、最後までその姿勢を貫いた。
とっとと一人で逝ってしまった。

私の大事な友人が続けて亡くなって、私の悲しみは只今無限大。
大切な人が目の前から去っていく。
今年は本当に良くない。

















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