レッスン室のドアはより防音効果が 大きくなって、隣家と隣接している窓も塞いで二重窓のガラスの真ん中に防音材を詰め込んだ。それだけでも今までとは本当に音のレベルが違ってきた。
長年壊れっぱなしでおいてあったオーディオ装置も外に出された。なんの役にも約立っていなかったチェストは玄関に追い出されてほんの少し家具が少なくなっただけでも響きが良くなった。あとは楽譜の整理、最も煩雑な仕事が残った。
楽譜はヴァイオリンを始めた当初からのものもあり、品質が悪く黄色く変色していて当時の日本の貧しい生活が忍ばれるというもの。それでも当時としては大変貴重で、戦後のいちばん大変な頃によくぞ買ってもらえたものと両親に感謝し続けている。私が21歳で入団した頃は、オーケストラの楽譜も手書きの楽譜が多かった。丹下吉三さんという写譜の名人がいて、オペラなどの膨大なスコアもことごとく写譜をした。
丹下さんのすごいところは書き直しがない。しかも譜めくりの箇所も独自の工夫でどのパートもうまく休符のところでできるようになっている。独特の筆致でひと目で丹下さんのものとわかる。まさに名手であった。今のように便利なインク消しとかコピーとかもない時代、気の遠くなるような仕事だった。丹下さんはちょっとお茶目で、弦楽器と違い管楽器などは一人で一枚の楽譜が独占できるから吹く人は決まっていて、その人だけが使うとわかると何かしらのメッセージが添えられていたりする。
その楽譜を使う人は、自分だけの貴重な楽譜と一層気合が入ると思う。丹下さんの楽譜はその後の急速な日本経済の発展とともに使われなくなったけれど、今でも私の蔵書に混じっていたりする。戦前からの日本のオーケストラの発展にはこういう人たちのご苦労が込められているのだ。捨てるに忍びないけれど、これも
楽譜の選別はなかなか難しい。カルテットの楽譜はたいていチェロのパート譜がかけている。整理を始めたはいいけれど、時には思い出にふけってしまったり、珍しい楽譜が出てくると試奏を始めたりで遅々として作業が進まない。床中に楽譜が敷き詰められて、いつ自宅に返してもらえるかわからない楽譜共はあくびをしている。
これらはあるべき場所に収まって、探せばすぐに取り出せるようにしたい。いつもレッスンの前に大騒ぎをして楽譜を探していると生徒たちは笑っている。先生の楽譜はしょっちゅう歩き回ってるんですよね、と。
全部引っ張り出してみたら同じ楽譜が何冊も出てきた。バッハのヴァイオリンコンチェルトなどは、数冊分、様々な解釈の違うものがあって、困り果てる。大合奏団が使うかと思われるほどの大量の弦楽アンサンブルの楽譜や、あらら、シェーンベルクの「浄夜」まである。これから先、いつ又この曲が弾けるのか、弾けたらいいなあなどなど・・・
人生の最終段階での貴重な数年間、つまらないトラブルに巻き込まれたことが返す返すも悔やまれる。しかし只今天中殺の真っ只中で来年からはもう明るい日々が待っている・・と思いたい。
多量の楽譜の整理は賽の河原で石を積む作業と同じで、整理すればするほど散らかっていくのが不思議。今や床に広がった楽譜の波に飲み込まれそうになっている。これが済んだらさぞ気持ちがいいだろうと、駄文を書いている暇にさっさとやれよと天の声が聞こえる。もう力がないのにこんなたくさんの曲が弾くけるわけないでしょう。それより私と遊んでよと猫の声。そうだにゃあ、でももう少し待ってと私の内なる声が。