2025年3月10日月曜日

大雪の便り

雪の便りといっても遊びの情報ではなく危険信号。

北軽井沢の別荘の管理人から電話が来た。管理費未払いの請求かな?あるいは去年の秋に作った猫の家が雪で潰れた?いやいや、随分しっかりした家で、雪はあまりふらない北軽井沢ではびくともしないだろうし。

それは庭の道路に面した木が倒れそうという知らせだった。ここ数日の北軽にしては珍しいほどの積雪で、電線の上に張り出した木の枝が雪の重みで線に触れそうになっているらしい。危険だから東電に頼んで切ってもらわないといけない。それについては家の所有者からの依頼が必要なので私が電話しないといけないと。

そのことは気になっていた。去年末に庭木の伐採を頼んだ業者さんからも、来春に来たときに東電に知らせて切ってもらうようにと言われていた。電線に関する木の伐採は庭師さんでなく電力会社にお任せしないといけないらしい。電線の近くの仕事は危ないということで。

それでも毎年積雪量は少ないから冬でも来られますよという管理人さん。それが今年は異例の雪の多さでこういうことになった。今日あたり調査が入って次に行ったときはあの木はもうなくなっている。木を切るのは本意ではない。切られる木の悲鳴が聞こえるようで、心が騒ぐ。しかしあまりにも鬱蒼と茂っていたので家の周りだけ少し切らせてもらった。

私の前に家の所有者だったノンちゃんは自然にあるがままが好きだった。それで彼女が住んでいた10年間、木は伸々と葉を茂らせていたので、新芽の時期の庭は若葉色の海のようだった。それはそれは美しかった。私がここに住みたいと思ったのはそのせいだったかもしれない。しょっちゅう遊びに行って泊まらせてもらって、ヴァイオリンを弾いていたからノンちゃんはこの部屋に音楽が流れるのをよろこんでくれた。そして彼女は私をこの家の跡継ぎにと考えたのだと思う。

ある日一緒に中華料理のお店で食事をしていたとき、彼女が急に箸を置いて膝に手を揃えた。背筋を伸ばして「nekotamaさん、あの家買ってください」

びっくりしたしもとより買えるほどのお金の用意もなかった。でもいつかはこうなるだろうという覚悟はあったと思う。そういうときに私はものを、考えるのをやめてしまう。なんとかなるさ!そして家を私に譲ったあと、あっけなく彼女は天国へ旅立ってしまった。今でもノンちゃんの大好きだった庭の大木に手を合わせて「ありがとう、ノンちゃん」と事あるごとに感謝の気持ちを口にする。

暑い季節には北軽井沢の気温がありがたい。朝夕は下界より10度も低い。流石に昨今の気温上昇で日中は暑く感じることもあるけれど、都会のジメッとした暑さではないし、夕風が吹く頃には本当に快適になる。移住を模索していたけれど、ここ数年の体力と気力の低下が著しく断念した。けれど、思い切って引退し数ヶ月の無為の時間を過ごしているうちに、少しずつ気力を取り戻し始めた。

いつも痛かった膝が快方に向かい心の傷も癒えてきた。笑うことも忘れていたけれど、最近は声を上げて笑っている自分を発見する。ああ、笑っている。自分でびっくりしている。笑うとどんどん体調も良くなってきた。

今日はきれいな夕焼けが家々のシルエットの間から見えた。その温かい赤は戦争や山火事などの災害のそれでないことに心から感謝した。今もどこかで恐怖と飢えや寒さに苦しんでいる人たちがいることに心が痛む。他人の痛みにようやく思いやれるようになった。私は元気になりました。











2025年3月9日日曜日

部屋が寒い

 私はいつも家の中は過剰なほど暖かく設定された暖房で、ぬくぬくと暮らすのが好き。電気料金高騰の昨今、不経済だから倹約しないといけないのだけれど、あまり着るものもこだわらない、ケリーバックがほしいなんて野心もない、車も日産ノートでガソリン食わず、猫は野良猫あがりとまあ、それはそれは質素なのでなんとか生きていける。最近はお米すらちょっぴりしか食べない。野菜は葉とか茎とかまでかじり尽くす。

費用の殆どは暖かく暮らすために使っていたのに、最近の我が家は寒い。それは二匹の野良猫のうち、お兄ちゃん猫のグレのせいなのだ。妹ののんちゃんはすっかり家猫になって私を信用してきたけれど、あとからおずおずと我が家に滞在するようになったグレはまだまだ野生のまま。どれほど怖い思いを重ねて生きてきたのか。

部屋にはニコニコして入ってくるけれど、必ず逃げ道を確保しないと心配でいたたまらないらしい。必ず窓は開けたままでないと泣きわめき始める。グレの寝ている間にそおっと足を忍ばせて窓を締めに行く。しばらくすると眠っているはずのグレが頭を持ち上げて「ん?」と起き上がって偵察に行く。そこで窓が閉まっていると大騒ぎになる。開けないと開けるまで「開けて」アピールがうるさい。

きっと過去に家に閉じ込められていじめられた記憶が残っているのだろうと思うと、不憫でならない。かといってこのまま常に窓を開けておくわけにはいかない。とにかく寒いし不用心だし。強盗が入ってきても猫は役に立たない。そんなときは私は猫派から犬派になってしまおうかと思う。犬は役に立つけれど、猫はだめなので。猫は本当に役に立たないだけでなく、人を人とも思わないで使役する。

グレのためにどれほど窓を開けさせられ、寒い思いを我慢させられたことか。今年の気温が不安定で、考えられないほど温かいと思えば急に真冬の寒さになる。そういう日にはグレも寒いから室内にいたい。窓を閉めるなと言われてもヒュウヒュウ風が入るから私は我慢できない。真夜中に猫と人間のバトルは頂点を迎え、おちおち寝てもいられない。

夜中に窓が閉められないと最近の詐欺集団の強盗事件が怖いから、私はセコムの防犯ベルを手の届くところにおいてカーテンを時々開けては閉め、怪しげな行動になる。外から見たら我が家が一番怪しい。物音がすればスワッと起き上がって電気をつけて・・もう本当に疲れる。猫と強盗の被害が怖くて・・というのは言い訳で、実は老人性の睡眠障害なのかも。誰に遠慮することもなく夜通し起きていられるし、昼寝もほしいままでなんと気楽なことか。

この気楽が良くないと、最近体調が戻り体力が出てきたことで考え始めた。やはり人は社会の絆とともに生きていく動物だから、外に出て他人との接触が必要だなあと。暖かくなって猫たちが外で寝てくれれば私も泊りがけの外出ができると思う。近所の猫友にお願いしていけば餌は与えてもらえる。ベランダの段ボールベッドが2台、雨除け対策をしていけば猫も喜んで外で寝る。そうなったらまた海外にも行けるなんて。

海外、どこがいいかな。ヨーロッパは遠すぎるからアジア圏がいい。それより日本国内が一番無難だけど、どこもすでに行ったことがあって、目新しくない。結局グルメに走れば肥満対策に翻弄される。めんどくさい。家でごろ寝。猫と遊ぶ。これが至福のとき。一日が猫的時間で過ぎてゆく。







2025年3月3日月曜日

お雛様

 私の母は猛女でありました。我が子のためならどんなことでもやってのける。私を一年早く小学校にいれるために名簿に名前が載っていないから机の用意もない小学校に押しかけて、私を無理やり入学させてしまった。こんなひどいことも戦後まもない頃はできてしまったらしい。

私は本当は4月生まれなのに出生届は3月にして、それも一度は4月で届けたものを間違いでしたと訂正したらしい。そのへんのゴチャゴチャで入学時のすったもんだがあったらしい。

そんなことで私はその学年最年少、この頃の一年の差は非常に大きく低学年の頃は私はメソメソとよく泣いていた。この頃になると必ず思い出すこと。nekotamaにこれを書くのはもう3回目で、ちょうど今日のようなジメジメした寒い雨の日。

工作の授業で教材が配られた。石膏のお雛様の顔とその着物を作るための折り紙が配られた。紙の尖った部分に顔を糊付けして余った部分を着物の衿のように重ねていく。手先の不器用な私はすぐに手が糊でベトベトになり、真っ白な顔が汚れてしまい情けなさでいっぱいになった。

誰かしらに手伝ってもらえる家の中と違って、学校では誰もやってくれない。人生で味わったったはじめtの挫折かもしれない。そして今日は寒い雨の降る同じような日に確定申告用紙を郵送するために封筒に糊付けをして、相変わらず不器用なので封をするのに苦労していた。あの時と同じ、全く同じ。気分も手の動きも。

歴史は繰り返す。それでも自分の手から申告用紙が離れた途端、急に気分が良くなった。やれやれ。あんなに嫌だったのに、最後の方になったら少しおもしろくなってきた。毎日やっていれば慣れて簡単に思えるのでしょうね。年に一度だから領収書などを揃えるのがめんどくさい。あらかたどこかに遊びに出てしまっている書類を探すのに一番苦労する。

こんな面倒なこともマイナンバーにデータを入れれば、支払済か領収済みかすぐにわかるのでしょう。なんのためのマイナンバー?そこまで税務署でやってくれればいいのにと思う。そのくらいできるんじゃない?あとに家庭の事情だけ計算すればいいようにお膳立てくださればルンルン。年金額や保険料金、かかった治療費やなんかは役所で把握しているのだから、そこまで計算しておいてくれないかなあ、なんて夢でしょうか。













2025年3月2日日曜日

ホームコンサートのお陰でダイエット

とんだ出費!

ホームコンサートのキーキーガーガーと不気味な音が鳴り響く数時間は、ご近所の人たちの大迷惑になるにちがいない。でも50年以上に亘る私のヴァイオリンを聞かされていたご近所は、もはや驚かないか彼らの耳が遠くなっているかで、まあ苦情も来ないだろうと。そうは言っても、気になるからレッスン室の防音を強化することにした。

頼りない防音は最初に建てたときに施しているものの 、やはりかなり音が漏れる。いつも頼んでいるリフォーム業者Oさんに連絡をして来てもらった。特に昨今の闇バイトによる強盗事件の防犯対策も考えて、窓に多重構造の強化ガラスの窓を追加する。レッスン室はもともと二重窓になっているので更に強盗にはダブルパンチになろうというもの。その上にセコムのセンサーが効いているから防犯的にはバッチリ。しかし音はどこからともなく忍び込んで、ドアを通って出ていくらしい。

Oさんいわく「以前私が工事に来ていたときに大勢集まって練習していたでしょう。あのときは階段にまで音が漏れていましたよ」それではドアがいけないというので、ドアをスチールに変えることになった。私としては録音スタジオ級の分厚いドアが欲しくて建てるときにもそうお願いしたけれど、建築士がうんと言わないので諦めた。

そんなわけで今年も沢山おカネを使う羽目になった。もう私も数年の命、お金がなくなって食べられなくなったら、断食の修行に入ってお釈迦様と暮らそうと思っている。お釈迦様がうんとおっしゃるかは疑問だけど。ダイエットにもなるし。そんなわけで、今年も赤貧洗うがごときの軽やかな生活が送れそうで良かった良かった!

窓ガラスといえば、上の階に暮らしている人から窓ガラスがヒビ割れたと連絡があった。驚いて見に行くと、ベランダの出入り口のガラス戸に縦に亀裂が入っていた。しかしどこにも外からの打撃の跡がない。ヒビが入ったのはなにかで強く叩いたからと思って、一瞬強盗事件が頭をよぎったけれど、そうではなく自然にできた傷かと思える。

Oさんが言うには、それは熱による自然発生的なヒビだそうで、そうめずらしいことでもないらしい。この部屋は日中ずっと陽が当たっているのでかなり暑くなる。それなら今後の暑さ対策も必要、ひび割れ修理は不動産屋さんの保険が使えるらしい。ラッキー!

確定申告書の提出は明日の予定。四苦八苦しながらなんとか計算してみたけれど、多分またミスだらけ。でも仕事をやめるおかげで来年からは楽になる。今までは演奏の仕事、講師としての仕事、不動産の経費など、複雑に入り組んでいて本当に大変だった。毎年の経費の計算などもお手上げ状態。この季節は私にとって地獄だったけれど、来年からは助けてくれる人がいる。それだけでも世の中バラ色。単純なものです。

しかし好事魔多し、先日、胃カメラ呑んだら生体検査になり、その結果またまた一悶着かも。本当に退屈しない面白い老後なんだから。私は10年周期くらいで大病をすることになっている。今度は胃に来たかも。既往症は、腎臓、肝臓、心臓、そして今年は胃、そろそろ脳に来てもおかしくない。

脳といえば記憶を司る海馬の発達には幼少時代の睡眠量が影響するらしい。いまでこそショートスリーパーであるけれど子供の頃は一日10~14時間はくだらないロングスリーパーだった。その頃発達した海馬が今の私をかろうじて支えているらしい。

小学校の先生が皆に睡眠時間を訊ねたことがあった。私の睡眠時間を聞いてあきれていたことを覚えている。70年も前のことを覚えていられるくらいだから、私の海馬はその時代に巨大に発達したらしい。しかし大きくはあっても質が悪いのでたぶん駄馬に違いない。

そういえば最近長い事、馬に乗っていない。もはや鐙に足が届かず、届いたとしても鞍に自分の力で上る力はない。またがってしまえば走らせることはできるかもしれないのに。どんどん残念なことがふえていく。








2025年2月27日木曜日

トイレの並び方

 確定申告の相談で並んで待っていたら、税理士一人に二人の相談者がつけられた。片方が相談しているともう片方はその人が終わるまで待つという仕組み。これ誰が考えたのかしら。ものすごく時間の無駄だと思うけど。

一見効率的?に見えるかもしれないけれど、それぞれ相談する時間の長さが異なるから遅い人のあとにつくと待たされる。それなら普通に一人ずつ終わった人のあとに案内すればいいことなのに。結局ゴチャゴチャになってかえって能率は落ちるはず。二人同時ということは相談する方には無駄が生じるはずで、空いたところに次の人を誘導すればなんのことはない。このやり方をする前に時間を計ってみたのかしら。ただ相談する方のトータルの時間は一緒なんですよね。よくわからない。面白いから少し考えてみよう。数学強い人考えてください。

日本の昔の公共トイレの並び方を覚えていますか?

自分の選んだドアの前に立っていると、隣のトイレは早く回転するのに、中には長い人のいるドアだと長蛇の列。しかもトイレの出入りがごちゃごちゃ混雑した。それが欧米式ですれば、トイレの入口に一列で並び、どの場所であれドアが開くと、一列に並んだ次の人がそこへ入るという形が定着したので、最近は非常にスムーズになった。

これは演奏会場などで休憩時間に一斉にトイレに殺到するときなどは、たいへん助かる仕組みなので。そうなる前はドア前の長い列に並んだ人は休憩時間内に用を済ませられずにヒヤヒヤすることが多かったのだ。いまだにそれと似た形式を取っているからこんなことになる。これが正しいかどうか、誰か計算で出してもらえないかな?数学強い人にきいてみたい。

サントリーホールができたとき、入場者数に対してトイレの少なさに危惧したことがあった。これではトイレ待ちで休憩が終わってしまい、ロビーでの会話の時間がなくなると。今はスタッフが誘導して上下のトイレの人数を管理、なんとか後半の開演時間に合わせるので事なきを得ている。もし、昔からの日本式の並び方だったら右往左往して混乱が起きる。ドアの前に二人ずつ並ばせてみよう。すると時間の差が出て使用者は右往左往するでしょう?

と、毎日怒ってばかりいるからお腹が空く。健康に良い。

けれど私はしばらく非常に緊張した毎日を送っていたので、ストレスが無くなった今健康にはなってきたものの、未だに本調子ではないから健康診断を受けることにした。

病院に電話をして予約、高齢者の特定診断の書類が送られてきていたから、それを大事にテレビの前に飾っておいた。二日前、受診票を探したら、あら、不思議、ない。どこを探してもない。慌てて病院へ電話すると、役所に電話して再発行してもらうようにと言われた。

オプションで付けた胃がん、大腸がん検診などの予約を無駄にしないように、書類がなくても予定通り受けてもいいというから、今日カメラを飲んできた。

何回受けてもカメラは嫌だから麻酔での検査を選んだら飲み薬で、これが恐ろしく苦くてまずい。この世にこんなまずい味が存在するのかと思ったけれど、あっという間に眠りに落ちたから、目が覺めたらもうすっかり検査が終わっていた。

それで家に帰ってきて郵便受けを見たら、受診票が届いていた。今年私の運勢は天中殺だから、すべてこの通り間が悪い。来年はなにか良いことあるかなあ。






2025年2月26日水曜日

確定申告クソ食らえ!

楽しい確定申告の季節、ことしこそ完璧にと思うけれど毎日することではなく、この時期の間だけなので、一年も経つとやり方はほぼ頭から消え失せている。それでも毎年ああそうだったのかという発見はあり、一つ進歩しては2つ退歩。いつも完璧とはいかない。それで今回は 一度だけでも税理士を頼んでやってもらおうと思ったけれど、探すのが難しい。

そう言ってこのブログで嘆いたら早速助け舟がきた。今年依頼した税理士さんをご紹介しましょうかと言う人がいて、少し前から申告書の作成に取り掛かっていた私は心が動いたけれど、税理士を頼むほどの金額でもなし、まずは自分でやってみようかと思った。

フリーで仕事を始めてから約60年、その間忙しい合間にやっとの思いで期限内に間に合わせる。それでも昔の役所はのんびりしていて、向こうから電話をかけてくれて計算違いや書き落したものを補充してくれた。電話の向こうで「これはなんの数字かな?あ、そうか、これは少し払いすぎですから訂正しておきますね」なんて本当に親切だった。古き良き時代!仕事を終えたら急に暇になったので今度こそちゃんと書こうと思って、税務署の申告書作成相談を予約して出かけた。

去年行ったとき、あまりの署員の態度の悪さに立腹したことがあった。私を激怒させたそのときの税務署員は、私の書いている申告書を覗いて「おいっ!誰のを書いているんだ」と怒声を浴びせかけたのだった。私の名前は男女共通で使われることもあるような名前だから漢字一文字。それを見て私が男性の申告書を代理して書いていると思ったらしい。いくらなんでも納税者に対して「おい!」はないでしょう。怒りのあまり頭に血が登ってその場を去った。帰宅して書き終えた申告書を郵送、中身の点検も済ませてなかったから、間違えだらけではなかったかと思う。なんだかやたらに税金が高かったから、控除しないでいたものも多かったかと。

そういうときには役所は黙っていて、少しでも足りない収入のミスでもあろうものなら鬼のように言ってくる。こんな零細企業をいじめてどうする。そんな恨みがあるから今年は怒らないようにしようと心を静めていたのに、又々怒り心頭になって帰ってきた。

予約していったのでちゃんと順番通りに進むかと思ったら大違い。一人の税理士に二人ずつ待たせるので、その片方が長引くと並んだ順でなく後方の運の良い人が先にどんどん進むことになり、私は立腹した。なぜ、一人ずつ順に見ないのか?ものすごく遅い人の組になってしまって後ろからどんどん新しい人が終わって行くのを見ていたら、今年こそ我慢と思っていた気持ちは吹っ飛んだ。

いくらなんでも癇に障るから並ばせた人に文句をいった。そりゃあこんなときに怒られるのは理不尽なことと思うけれど、他の空いているところに次の人を入ればいいのに、あいているのでぶらぶらしている職員もいる。お役所仕事というのはこういうものかという典型。文句を言うとそれは悪かったと言って抱きしめられた。「おい!セクハラだぞ。なんてことをするんだ」と去年のお返しをしたい。

私は小柄で子どもほどの体格だから(ウエストまわりを除く)御しやすいとみなされるのだ。もう80才にもなるからセクシーな気分にはならないかと思うと、私だって好みの男性にされるならともかく、デブの中年男は趣味ではないのよ。振り払ってやっと自分の番になった。担当者は、はじめからこんなばあさんが納税者だと考えていないのはあきらかなのだ。この人たちは税理士であって職員ではないかもしれないけれど、本当にいつも腹立たしい態度をとる。

自分で今までやってきたけれどわからないところがあるというと、それをするにはまず所得を出してからでないとできないという。それはとっくにわかっているけれど、今書くのではなく計算の方法だけわかればいいわけで、その都度ことごとく馬鹿にした態度。こんな婆さんが何を訊いているのか。そして用紙をパタパタと叩きながらこれがあるか?というから、自分のものを探し始めた途端、後ろにいる次の人の相談にとりかかってしまった。それっきり振り向きもしない。

用紙が見つかったと言っても振り向きもしない。そこで私の怒りは更にメラメラと燃え上がった。今年こそは怒らないようにと思ってきたけれどもう帰ると言ったらグズグズ振り返って、先ほどと同じようなバカにした態度。「それで?収入はあるの、年金だけ?」収入はこれこれというとちょっと居住まいを正した。「それに年金は?」言うと急に態度があらたまっただけでなく言葉が敬語になったのだ。それにはこちらがびっくりした。

今までの態度は消えて「今日は申告書の作成はしていかれますか?」敬語に切り替わっておべっかを使う顔になった。はあ!税金を払う立場の人に対しては態度が違うのだとわかった。雀の涙でも税金を払う人にはころっと態度を変える。私の年代では控除の手続きの人が多いと思うけれど、私は曲がりなりにも去年までは仕事をしていた。税金もしっかり払っていた。

立場によってこんなに態度が変わるなら、運が悪く大変生活に困っている人などにはどんな態度を取るのか。人生の一瞬で浮き沈みのさなかに意地の悪い役人にあたったら、最初の私のように雑に扱われてしまうのだ。なんで税金を払う人より税金を払わせる方が偉いのか。私は運が良くて生活に困ることはあってもすっからかんとまではいったことがない。ある時期つまずいて生活困窮者になった人がいたとしても、犯罪者でなければそういう人たちを決して馬鹿にはしない。

ここまで露骨に態度を変えるとは。あまりにも不快なので帰って自分でやるからいいと断って帰ってきた。行くたびに不愉快な税務署。お金のために根性が腐ったとしか言いようがない。あなた達の給料を払うためにも私達は文句も言わず税金をおさめているんですよ。おわかり?

それで結局自分でいつも通りに計算することにして、昼の暖かさに誘われて時々うつらうつらとしていたらやはり税申告でお困りの友人からライン着信。だいぶ前のこと、彼女から紹介されていた青色申告のグループがあって、そこに行ってみない?と。ありがたい。

しかし青色となると領収書の確保が必要でしょう?私は買い物が済むといきなりレシートをポイ捨てしてしまうのが癖で、それでポイントが使えなかったりする。無意識にやってしまう癖だからまずそこを直さないといけないかなあ。とにかく財布に入れたものはお金以外すぐになくす。お金はないので入れていないからなくすことはないのですが。

今年はもう自分でやりかけたからもうこのまま出すとして、来年からお願いしようということになった。















引退してから

本当に何もしない日々。本を読むでもなくヴァイオリンを弾くでもなく、ひたすら時間を無駄に過ごしている。

7年前から生まれて初めての一人暮らしが寂しくもあり嬉しくもあり、どのように自分の生活を構成していくか心細い思いもあった。けれど今までの自分の生き方を考えると、なにもせずにいるのが一番というところに落ち着いた。ぼんやりとしているとあちらからなにかやってくる。

音楽家になるつもりは一切なかったのに、周りから押し上げられるように音楽の道に進んだのも、自力ではなく目に見えないなにかに道筋を辿らされたかのように思える。両親も私にヴァイオリンを強要したわけでもなく、自分の意思が働いたわけでもない。特に母は猛反対。死ぬ間際まで、もうヴァイオリンはやめなさいと。

これも極端な話だけれど、こんな下手くそでは業界で生きていくのはさぞ辛かろうと思ったのかもしれない。特に女の子は家庭に入るのが一番と考える人だったから。私の低い鼻を喜ぶような人だった。「女の子の鼻が低いのはいいことだから」なぜかというと人相学的に見ると、家庭に波風立たないから・・だそうで、何を根拠にそういうのか。兄弟で私だけ特に鼻が低いのを憐れんでフォローしてくれたのかも。

そんなこと言う割に母は女学校時代、ハイフェッツを聞きに行ったとか言う。私のヴァイオリンはいけなくてなんでハイフェッツはいいのよ。それはそうだ、あのハイフェッツのヴァイオリンは人類の宝、私のは、うーん残念。わかっていたのね。

母は常日頃、私の姉や兄たちに私の面倒を見るようにと言っていた。なぜなら私は末っ子で、両親と一緒にいられる時間が誰よりも短いのだから可哀想だと。だから兄姉で面倒見るようにと。私の立場は他の兄姉よりも一段低く、姪や甥のガキ大将的立場だった。それで次兄からは私が中年になっても毎年お年玉をもらった。時々お小遣いももらったし。

最近家にいる私のところに姪や甥が集まるようになった。彼らもその親達から言われているのだろうか。おばちゃんはおばかちゃんだから面倒見るようにと。そのまた子どもたちもくるようになって、今月の末に「ほーむこんさーと」が開かれた。

きっかけは今までおよそ音楽には関係のない甥が、最近ギターを始めたというのでみんなで聞いてあげようではないかということに。それに姪の娘がヴァイオリン初心者でチイチイパッパやっている。その子の母親である姪は、最近沖縄の三線をはじめて、涙そうそうが弾けるとか。ドラムもやっているしピアノも弾ける。私もちょっとだけヴァイオリンが弾ける。メンバーがそろった。

他の関係者に連絡すると、その日は来られないけど次は絶対に行くから決まったら教えてという諏訪に住んでいる甥の息子からのメッセージ。私はまだその子にあったことがないから初お目見え、というわけで親戚の2世代年下の子どもまで来るようになるかも。するとその両親も来ると思えるし。世捨て人しているつもりが、なんだか賑やかになりそう。

第一回目はつい先日、甥のYはギターを下げて登場。姪のNは三線、その娘二人はリコーダーとヴァイオリンを持ってきた。

まず言い出しっぺのYがサザンの曲。いとしのエリー?かな。私はよく知らないので多分ということで。聴いたことはあるのでなんとか一緒に歌えた。あれほど仕事で音楽番組をやっていたのに、何にもわからない。けれど、こういう曲も素敵だなあと思う。いつもベートーヴェンだのバッハだのでは長すぎて気軽には歌えない。甥が音楽に目覚めてくれたのは何より嬉しい。

三線は涙そうそう、ヴァイオリンはメヌエットと楽しき農夫。

今「のうふ」を変換したら納付とか納付期限とか、どこまでも確定申告に追い回されている。姪とその娘二人はリコーダーで合奏。驚いたことにすごくうまい。音も音程もしっかりしていて、聞けば今どきの小学校ではリコーダーの授業があったらしい。これはすごくいいことで、楽器が安くて手軽に持ち運べて技術は易しいけれど、かなり高度な曲も演奏できる。いいところに目をつけた小学校教育はでかしたと言いたい。もちろんフランス・ブリュッヘンのような名手になるのは恐ろしく大変だけど、最初の楽器演奏の入門としてはなかなか優れた考えだと思う。

姪は子供の頃ピアノを習っていた。ショパンのエチュードくらいまでは行ったらしいから簡単な伴奏なら弾ける。ジャズで愛のあいさつを弾いたけど、根が超生真面目だからクラシック弾きで超真面目。これからグズグズにくずしていかないと、ジャズっぽくならない。姪の娘にはきちんと弾けと言って、姪には崩せといって、たいそう忙しい。

皆で合唱したりしたあとは一斉に昼ご飯。飲んだり食べたり、話しが弾む。夕方少し気温が下がってきたので暗くなる前にお帰りと言って帰らせた。近所に住む姉とその長男も次男坊のギターデビューを嬉しそうに見ていた。

姪のNのドラムがそのうちこれに加わるなら、部屋の防音をもっと強化しないと近所迷惑になる。防犯も兼ねてもう一度防音の見直しをしないといけない。