2025年6月24日火曜日

さくらんぼ

毎年さくらんぼを送ってくださる人がいる。仕事仲間のSちゃん。仕事仲間(だった)と書かないといけない。彼女はまだ現役でも私はもう引退したのだから。音楽事務所でさんざんお世話になった社長も亡くなって、一段と寂しくなってきた仕事関係者たちでも未だにこうして覚えていてもらえるのは嬉しい。すぐにお礼の電話をして少し話をした。

思い出すのは去年のさくらんぼ。せっかく送ってもらったのに、その時私は入院中だった。ひどい肺炎を起こして呼吸困難になり、急遽入院したためにさくらんぼの季節だということを失念していた。病室でクロネコヤマトのメールに気がついたのは少し遅くなってからで、慌てた。すぐにスマホのメールの配達日変更のページで日時の変更をした。ところが、すでに手遅れでもう我が家に届けに来たらしい。でも何回来ても私は不在。連絡もない。

そこですったもんだ、なま物だからおいていくわけにいかない。困った黒猫さんは荷物を送り主に返送した。そうとは知らない私は姉に頼んで、指定の日時に私の家に行って、もしさくらんぼが届いたらもらってほしいと連絡。そして姪にも電話して、さくらんぼはたくさんあるのであなたのところに一つ上げるから叔母さんのところで待っていなさいと言ってしまった。待てど暮せどさくらんぼは来ない。結局いろいろ訊いたら黒猫さんの事情がわかって、姉と姪は草臥儲けだった。

今年は無事さくらんぼが届いて、あの辛い入院生活を思い出した。あれからもう一年経ってしまったのか。悪い夢を見ていたようなおぼろげな記憶。一言も言葉を言わない患者たち、声を聞くこともない。冷暗所にいるような不気味さ。あれが老人病院の実態だとしたら、私は自宅で死にたい。あまりにも咳がひどく他の患者から苦情が出たため部屋を変わるように言われて、今空いているベッドは一つだけと言われて入ったのがこの病室だったのだ。

今年のさくらんぼは去年と違って本当に嬉しくいただいた。

電話口でSちゃんの声を聞きながら、去年までとは打って変わった明るい環境でいられることの幸せを噛みしめた。もう二度とあんな辛い時間を過ごしたくない。秋になって涼しくなったらまたなにか食べに行きましょうねとSちゃん。Sちゃんはくいしんぼ。仕事で旅に出ると、彼女と一緒なら美味しいものにありつけるとわかっているからついていく。楽しい時間をたくさんもらって美味しいものを食べて、仕事も楽しくて幸せだったことをさくらんぼで思い出す。

去年は食べられなかったのだから、今回はさくらんぼ独り占め、誰にもあげないでこっそり食べよう。でもどうしようかな。やはりおすそわけしないといけないかな。去年は散々姉にも世話になったし・・・あら、でももうなくなっちゃった!なんてね、意地汚いこと。

Sちゃんから「声が元気そうでよかった」といってもらえたのが嬉しい。

再びヴァイオリンの練習が始まって、長いときで4時間、少なくとも2時間の練習が気持ちよくできるようになった。最初のうちは30分も経つとへとへとで次の日は中休み。昼寝しないと持たないほどだったのが、今は軽い体操をするくらいに感じられる。これが定着すれば社会復帰も間もない。

今日つくづくと自分の左手を見たら、超絶ひん曲がっていた中指がこころなしかまっすぐになってきたような気がした。まっすぐというにはまだまだ、それでも、一時期には5ミリほども小指側に傾いた薬指は今は3ミリほど中指側に戻っている。ちょっと感激!

曲がっていったのは日頃の練習不足のせいだったのか。これからは心を入れ替えて、練習にはげもう。こんな高齢になっても練習ができる環境には感謝。周囲の人々が亡くなったり去っていったり、特に愛する人との別れはつらい。私にヴァイオリンがなかったら生きてはいけないように神様の設定がなされているのだろうと思った。かつてなんの因果か、到底実現できる環境にいなかったのに音大からオーケストラ、その後の活動は周囲からの励ましで実力以上のステージの数々に登場できて、幸せだった。

最近は楽譜の整理を始めた。もうあとからあとから出てくる出てくる、大量の楽譜。しかもびっくりするのは大抵の楽譜は演奏済み。中にはまっさらで買ったのを忘れていたものもあるけれど、良くもこんなに弾いたものだと驚いた。私が自主的にしたのではなく、周りに誘われて面白がってやったことだから、これも友人たちのおかげ。

今年11月、ベルリン・フィルの来日演奏会には、最初に私を音楽の方向にいざなった親友といっしょに聴きに行く。彼女がいなかったら私は趣味でヴァイオリンを弾くおばさんになっていた。よくぞ、誘ってくださった。ありがとう。









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