北軽井沢の庭にクリスマスローズがしっかりと根付いた。
久しぶりに北軽井沢に行って佐久平で美味しい蕎麦を食べ、浅間クリスマスローズガーデンを訪れた。佐久平は盆地なので夏は暑いらしいけれど、先日は少し霞がかった山々がぐるりと見渡せる高台にあるガーデンで心地よい風を受けて心あらわれる思いだった。
そこで癒やされた。初めてお目にかかったオーナーの穏やかな風貌と可憐な草花とは私にもう平常な世界に戻っておいでと語りかける。
去年私の森の家に植えたクリスマスローズは府中市にある農園のものだった。実に立派な株だった。見た目にもしっかりしていたので厳しい北軽井沢の冬を乗り越えることを疑いはしなかったけれど、木々の若葉が美しい今頃、こんなにもしっかりと育ってくれているとは期待していなかった。
今年はいつになく忙しく、北軽井沢に行くのがいつもの年よりも遅かった。見た目、庭は相変わらずボサボサで腐葉土が厚く堆積した土はなんの変化もないと思ったけれど、よく見ると植えて帰ったクリスマスローズの株の大半に花が咲いていた。この花は非常に地味で葉っぱと区別がつきにくい品種が多く、他の植物の影に埋もれてしまっていたのだ。しかし自分が植えた株がこんなに生き生きと根付いているのを見たときには本当に嬉しかった。
ここがまたこの花の特徴だけど、花が咲くか咲かないうちに摘んでしまわないと、株が丈夫に育たないのだという。それでは植える意味が全くわからないではないか。花だって咲いている意味がないではないか。種が落ちて繁殖することもできない。しかも株同士が密着しないほうがいいらしい。人間嫌いみたいな花なのだ。孤独を愛する人は多いけれど、花にもそんな性格があるとは思わなかった。
もっとすごいことに彼らは十分な太陽と水よりも日陰が好きで、乾燥にも十分耐えられるらしい。豊富な栄養も必要ないらしい。その彼らが生き生きと育ったのは、この森が長年手入れもされず放置されたことが良かったというしかない。
ノンちゃんが自然のままに放置したことが、この花々にとって最高の環境を作り出したのだ。彼女が生きていたらさぞ喜んだことと思う。返す返すも彼女がなくなったことが残念だった。
家の東側は庭の境界線の小川に向かって傾斜している。朝日はさすけれど、木々が茂っていて木漏れ日しか届かない。府中の農園主の女性がいったようにこの花は、日差しは木漏れ日程度、乾燥地帯でも厳しい気温の差にも耐えられる、雪も大丈夫、雪の下でたくましく生き延びるとか。
佐久平のガーデン主氏の言うことには、花は咲いたら切ってしまってドライフラワーにでもしたらいい。なんだか一生日陰で、こんな人生あり?それなのに欲しがらない、盗まない。清らかというか図太いというか、人の姿に変えて想像するに、筋肉質の自立した女性。声は柔らかなアルトでどんな境遇にいてもしっかり自分の足で立っていられるひと。素敵だなあ。
花々に心が癒やされて、そろそろ全快の兆しあり。もう過去は捨てようと思う。以前松本で街の真ん中にいても周囲に山が見えることに感激してこんなところに住みたいと思ったことが、今、半分実現できている。あとの半生を便利な都市部で暮らすか、毎日木々をわたる風音を聞き山を眺めて暮らすかそろそろ決断の時。
引退宣言以後、休んでいた演奏の再開を目指してリハビリ中ではあるけれど、最盛期のようには音がでない。それでも楽譜を読むに不自由はない。長年培った技術はそう簡単には忘れないらしい。
コンサート仲間からのお誘いもあって、私は不死鳥のように蘇るかもしれないのでその節はどうぞよろしくお願いします。
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