元気になったことで喜んでいたら、またまたやりすぎで疲れた。2日続きで4時間の練習、一日おいて出ましたね、疲れが。
年取ると疲れが出るにも時間がかかるようになったらしい。少し前までは元気だった。この調子ならと外出する予定が咳と微熱で思いとどまった。抜けるような虚脱感。へなへなと布団に倒れ込んでも体は疲労が濃く蓄積されていて、横になっても楽ではない。けれど最近はいくらでも眠れるからそのまま寝てしまった。目が覚めると夕方やら明け方やら区別がつかない。やっと夕方になったことに気がついて、夕食を食べずに寝てしまった。
今朝4時ころ猫に起こされたことは覚えていた。7時ころ朝食を摂ったことも覚えている。その後散歩に出たけれど、足が前に進まず8時ころに二度寝。次に目がさめたのはもう午後1時。それから買い物に出て昼ご飯。そしてまたごろ寝。次に目がさめたのはテレビ朝日の「相棒」が始まる寸前。
途切れ途切れで睡眠時間の計算もできない。よく二度寝はだめとか昼寝は30分以内とか言うけれど、そんなことかまっちゃいられない。疲れたらできる限り眠ってしまおう。そのかわり、頑張れるときは頑張る。それでいいじゃない。どうしてすべて規則正しくなんて言うのかわからない。私は不規則の女王だったけれど、今でもそうだけど、こんな長生きで健康でいられるのに何が悪い。時間通り窮屈に暮らして長生きするより、できるときには目一杯、つかれたらぐっすり、気持ちよく起床して美味しく食べて、こんな生活のほうが余程幸せだと思うけど。
私は狩猟民族を先祖にもっていたのかもしれない。やたらに馬や動物が好き。スピードを好む。そういう民族なら狩をするときは夜通し寝ないで獲物を追跡したり、獲物がなく空きっ腹を抱えて眠ったり、規則正しくなんていられない。それだからといって彼らが不健康だったとは考えられない。だからモンゴルの大草原を馬で走るのが夢だった。その夢は50歳のときに実現した。多分最後の際には馬がお迎えに来てくれるのでは、そうしたらどんなに嬉しいかと思っている。聞いた話によれば、それまで飼っていた動物たちが迎えに来てくれるとも。そうしたら幸せで死にそうに・・・いやいや、死んだからなので。
世の中には時間通り動きたい人も、何物にも囚われたくない人がいる。私は好きなことのためだったら健康を危険にさらしてもやるべきと思う過激な考えを持っているから、世間から見れば賢い生き方とは思われそうもない。もちろん賢くはないのは百も承知だけれど。
それでもたった4時間の練習を2日間続けただけでこの体たらく。やはり歳はとりたくなかった。でもむこうからやってきてしまったので仕方がない。それでも休み休みすればどうやらこのペースは保てそうなので、現状維持ができればいいなと思っている。果たしてどこまで続けられるか・・・
90歳までリサイタルを続けたチェリスト、毎日4時間の練習を欠かさずステーキが大好きというピアニストなどやはりすごい人はたくさんいるものだと。対抗したいとは思わないけれど、励みにはなる。生涯やりたいことがある幸せは脳力にある。質は悪いが健康ではあるらしい。頑張ってみる。
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