2025年5月31日土曜日
ツンデレ
2025年5月26日月曜日
相馬野馬追い
相馬野馬追いがテレビで報道されて、おや?と思った。なんだかずいぶん早くから取り上げているのね。いつもは梅雨明け前後に催されるのに、なにかの特集でも?と見ていたら、馬の健康状態を考えて涼しい中に行うようになったらしい。いや、馬と人の健康という方がいいかもしれない。
今から40年ほど前には毎年のように原ノ町の親戚の家に泊まり込んで見ていたので、暑い日差しと馬の疾走はセットになって思い出となっている。たしか6月か7月の最後の土日ではなかったかと思う。
私は馬が好きで本当に飼いたいと思っていたので、ここの親戚に行くのは馬の飼える場所を探していたから。馬を飼うために山一つ買って、いずれは私もそこに住もうという予定だった。しかし、当時のわたしの仕事は多忙を極め、馬どころか自分の身体を健康に維持するにも手が回らなかった。原ノ町の親戚は土地探しに付き合ってくれたけど、なかなか思うように決まらず断念した。
その家の前の大通りが野馬追の騎馬武者行列の通り道だった。農耕馬の太い足と穏やかな顔が可愛くてたまらない。この辺の殿様は相馬さま。ある年には、まだ大学生だった相馬家のお世継ぎが行列の先頭で馬を走らせていた。そのお坊ちゃまは、ほうぼうに親戚や土地の有力者や何かを見つけて、馬上から挨拶していたのがおかしかった。御殿様が「あ、どうもどうも」なんて、可笑しいでしょう?しかも茶髪のよく似合う若者だった。
圧巻は競馬。広場で行われるので少し早めに行って待っていると、遠くから異様な物音が聞こえ始めた。馬の蹄の音とも違う、今まで聞いたことのない音、遠くから馬の軍団がかけてくる。その物音は長い竿に取りつけられた旗が風にはためく音だった。旗が起こす風音が集団となって、地の底から湧き上がってくるような異様な音になる。近づくと馬の蹄の音、甲冑を着た武者姿の騎手たちの雄叫びの声。体を揺さぶられるようななんとも言えない響きに圧倒される。
馬の速さを競ったり、花火のように打ち上げられた布(タスキ?)なんという物はわからないけれど、長い布を奪い合って、それを手に入れた者はゴール地点へ向かう急な階段を駆け上がる。雄叫びの声や歓声や興奮は一気にクライマックスへ。今年は女性の騎馬武者も活躍したようだ。
結局馬のための山は見つからなかったけれど、そんなことをしていたので今私がノンちゃんから譲ってもらった北軽井沢の土地が手に入ったというわけ。でも北軽井沢の別荘地では馬は飼えない。管理人さんいわく「ま、犬までですね」
乗馬が大好きで千葉のクラブまで暇があればせっせと通った。馬の目は長い睫毛に縁取られ、体温が高いので触ると温かい。乗馬が終わって馬に水をやり、蹄の裏についた泥をかきだす。その間、こちらは後ろ向きで脚を持ち上げて泥をこそげ取る。次は反対側に回って自分の体重を馬の腹にかけて、馬の脚を浮かせて同じことをする。その間大人しければいいけれど、おちゃめな馬はいたずらを仕掛けてくる。時々カプッと二の腕を噛むこともあった。馬はそっと優しく噛んだつもりでも、しばらく青紫のアザが残ることも。それでも可愛くてたまらない。
乗馬が大好きで千葉のクラブまで暇があればせっせと通った。スキーと乗馬は未だに夢に見るほどなのに、もう今はできなくなって残念。年を取ると諦めなくてはいけないものが増える。賢い人はそこで老境に満足して穏やかに過ごせるようになるのに、私は未だ煩悩が消え去らず、欲深なのが困ったことです。
2025年5月23日金曜日
しっかりしなさいよ
今年は仕事をやめた宣言をしたから、もうすっかり暇になって悠々自適と構えていたら、とんでもない誤算。まず、より美しい終焉を迎えようと企てたことで大忙しとなった。
北軽井沢を終の棲家にするか、都会で便利生活を楽しんで終わるかの決断はついていない。北軽井沢の森の生活はここ最近すっかり様変わりとなった。私の家の周りは定住している人が多いらしく、夜になると煌煌と電飾が点く。以前は怖いほど真っ暗だった森が陽気に様変わり。我が家の先住者のノンちゃんが生きていたら、さぞがっかりしたに違いない。
でも私は人の気配があるので以前のように緊張感がなくなった。どちらが良いかといえば静かな森がいいけれど、夜中にあまりの暗さと寂しさで心細く思うこともある。電飾の家はそうしたいならもっと都会でやったら?とも思うけれど、人それぞれで文句は言えない。周囲の4,5軒が毎日夕暮れになると明かりが灯る。
特別お付き合いをしたいとも思わないけれど、今朝、初めてご近所さんと会話を交わした。自宅隣の土地を購入して広々とした庭に改造中の男性は、造園業の職人さんを使って庭作りを始めた。私の家はノンちゃんの代から森の木には手をつけていない。伸ばしっぱなしの原生林の面影が濃く残っていた。
もしノンちゃんが木の手入れをもう少しやっていたなら、私は楽にしていられたのにと思う。なにしろ家の玄関ドアを開けると樹齢の見当もつかない巨木がそびえ立つ。この木こそノンちゃんが愛した自然のシンボルなのだ。繊細でいながら勇敢でおおらかなノンちゃんの人柄そのもののような。
それは素晴らしいのだけれど、ここの生活を始めて知ったのは、木の管理ってすごくお金がかかるのだ。 なにしろ樹齢の古い木は枯れ枝も巨大で、折れて落ちたら人や車に甚大な被害を及ぼす。私は神経を尖らせて点検に暇無い。家の屋根のはるか遠くの空に伸びる木の枝は高所作業車の厄介になるため、特に費用がかかるのだ。
枯れ枝の落ち方もダイナミック。ドシーンと夜中に音がして飛び起きた。朝庭に出たら、この巨木に寄生をしていた直径5センチもあろうかという太い蔦が数本まとめて落ちた音だった。これだけの太さになるには数百年もかかったに違いない。それを私がある日まとめて木の根っこの方から伐って枯れさせたのだった。こういう自然のダイナミックさを見てきたから、どうも電飾はいただけないと思っている。チャラくなってしまうもの。なにも森に住まうこともないのにと、ブツブツ・・・・
木にお金がかかるから私の家では造園に回すほどのお金はない。それで庭はふり積もった落ち葉の自然の腐葉土がフカフカと積もっている。それを取り除くときれいに苔むしたりして風情ある庭になる。私はノンちゃんと同じ考え方だからそれらを活かした庭にしたい。きれいに花のさく花壇にしたい。でもあまり手入れが行き届いた作られた庭は面白くない。
土地の条件をそのままにできる植物は何かと考えて、クリスマスローズが第一候補に上がった。去年府中市にあるガーデンを訪れて30株ほど手に入れた。この変わり者の花は性格は強く変わり者で一癖も二癖もある。花は地味で日陰を好む。太陽や水はそれほど欲しない。花同士が密着したくない。しかも条件によってどんどん色やはなの形を変えるという神秘に満ちた種類なのだ。
去年植え時のチャンスを逃して遅れがちになったので育つかなあと危惧していた。しかも森の土壌は腐葉土で根がしっかりはれないかも。木が多いからほとんど日陰という植物には条件が悪すぎる土地。
数日前、今年始めて北軽井沢に行くことができた。真っ先にクリスマスローズの植えられた場所にいった。驚いたことにひどすぎる土地の条件からは考えられないほどしっかりと根付いて、ツヤツヤと葉が輝いていた。なんて天邪鬼な花なんだろう!特に半分以上日陰の場所はクリスマスローズ天国らしい。見事に花がいっぱいついていた。しかし面白いことに、その花は咲いて種の袋ができる前に切り取ってしまわないといけないという。そうでないと株が弱ってしまうらしい。
株同士が近寄りすぎるのも警戒事案だそうだ。要するに人間嫌いの人が他人と交わりたくなくて距離をおくようなもの。しかも花の色も徐々に変わっていったり、日に当たりすぎると弱ってしまうらしい。そういう人はよく見かける。私自身にもそんな面がある。
ヴァイオリストの北川靖子さんとは仕事も遊びもよく一緒だった。彼女は私より年下だったけれど数年前に亡くなってしまった。自分の命が尽きることを察していた彼女と、亡くなる直前まで二人で旅行をした。唐招提寺、東大寺、京都御所などなど。東大寺では仏像が公開されていた。私はそこで出会った多くの仏様に北川さんのあの世の旅路の安らかなことを祈った。本当はこの世でもっと一緒に歩きたかった。でも私にも実際のことはわかっていた。私達は黙っていても、もうこれがお別れと察していた。
北川さんはちょうどクリスマスローズみたいなところがあった。激しい治療の激痛に耐え、愚痴もこぼさず平静さを保っていた。入院すると毎日メッセージが届いた。コロナのさなかお見舞いにも行けず歯がゆい思いで毎日メッセージをおくった。そしてある日ふっつりと返信が途絶え、訃報をきいた。
優秀で実力があるのに地味で威張らない。常に冷静で泣き言一つ漏らさず、ユーモアの感覚が抜群で、ときに楽しげに笑っていたひとだった。時々急に電話がかかってきた。「今日ひま?上野の博物館にいかない?」とか。
彼女が受けた治療内容の壮絶さを聞いたときには、言葉を失った。それを淡々と話す彼女の強さを今でも思い出す。ちょっとしたことにもすぐに泣き言を言う私とは大違い。今彼女が生きていたら静かな声で「しょうがないじゃない。しっかりしなさいよ」とでも言うかもしれない。
2025年5月17日土曜日
うるさい車
車の運転が大好きでもう運転歴60年、無事故で通してきたけれど最近は怖いことばかり。
無事故と偉そうに行っても、時々電信柱がすり寄ってきたりして擦る程度のことは数回。違反も少々。免停は一度。スピード違反で罰金6万円もとられた。キャイ~ン!
でも昨今の交通事情はなにをかいわんや、異様なことが多すぎる。人に怪我させて逃げる。わざと子どもの群れに突っ込む。悪質なあおり運転。
車が売れなくて自動車会社が窮地に陥っている。でも、これわかる。こんなに自動車がつまらなくなったのはあなた達のせいよと言いたくなる。私が乗るのは当然ながら安くて小回りのきく小型車。もっと上等なのに乗れば違うのかもしれないけれど、大きな車は自分の身体のサイズ(特に足の長さ)に合わない。
初めて免許を取ったときは車種が限られていたから、大きなセドリックで教習と試験を受けた。外側から見ると私はステアリングの下に顔があって、無人自動車ではないかと思われた。今の車みたいに運転席の調節も限られていたから、座布団持ち込みで教習に通った。たしか教室側にも用意があったと思う。たまたま自宅にあったのもセドリックだった。
そんな時代だったから今のように小うるさく、シートベルトしろ、白線はみ出すな、前の車に気をつけろのなんのかんの、車は無駄口をきかなかった。マニュアル車が普通だった頃には、時々エンストしたりガス欠したり、でも全ては自分の責任だった。シフトレバーを選ぶのも自分で、その頃の山道の運転はほんとうにおもしろかった。
今時の車は助手席にスイカを2つ乗せたらシートベルトをしろという。このものたちがシートベルトをしないで事故でもあったら、割れて真っ赤な汁が出て救急車を呼ぶとでも思っているのかしら?うるさすぎて腹が立つ。ドライバーを信用しない、運転中の集中力を妨げる、余計なお世話ばかり。いかにも親切ぶってとどのつまりは事故に責任持たない。うるさく言うなら最後まで事故を防ぐ仕組みでないといけない。最終的な危険回避に責任持つ自動運転車でないといけない。
バッテリーが上がったことがあった。ある猛烈に暑い夏の日、北軽井沢に出かけて一夜明けてさて、出かけようとエンジンを始動させようとしたらかからない。まだ新車で買ってから1年ほどの頃。
もちろんバッテリーがそんなに早く減るわけもなく、半年ごとの定期点検もバッチリ。自動車会社に電話した。北軽井沢は軽井沢の隣だから車屋さんも多いし、同じメーカーもあるはずだからそこからレッカー車を回してもらえると思ったらとんでもない。JAFを呼べという。たしかその会社の保険に入るときにJAFと同じサービスが受けられると聞いたのに受けられない。軽井沢の支店に車を引き取りに来てもらえないかというと、それもできない。
なんとレッカー車はJAFの群馬支部から来るために4時間もかかって到着。バッテリーについては私がヘッドライトをつけっぱなしにしたとか自己責任みたいに言うけれど、この車はエンジンを切ればヘッドライトは一緒に消える。室内灯をつけてあったのでは?とか言うけれど、室内灯はよほどのことがない限りほとんどつけない。それにあの真っ暗な森の中で灯りがつけっぱなしだったら気が付かないわけがない。
その日はあまりの高温で、方々でバッテリーの異常な故障があったと聞いた。それをドライバーのせいにするなんて!高温とバッテリーの関係についても説明はない。だんだん不信が募ってきた。
ある時、定期点検で私は整備士に頼んだ。タイヤのバランスが悪いから空気圧を同じにしてほしいと。高速を走るから危険のないようにと言ったら、いかにも意外と言わんばかり「え、高速を走るんですか?」こんな婆さんが4時間もかけて自宅と北軽井沢を行き来しているとは思わなかったらしく、鼻で笑う感じで答えた。車を受け取って自宅に帰るときに整備が甘いなと感じた。やはり少し何かが違う。本当に空気圧を点検したの?まだ、それほど重大には考えていなかった。
しかしそれからも車のバランスが悪い。徐々に運転しづらくなっていく。おかしい。もう一度空気圧の点検を頼んでしばらくするとまたどうしても変。本当に空気圧点検したのかなあ。3回目には非常に強くタイヤを見て頂戴というとやっとタイヤの穴開きが見つかったという。穴が小さかったから少しずつ空気が減っていく。でもプロの整備士がそれに気付かないとは考えられない。やはり私が言う言葉を信じなかったのではないかと思う。年寄りのひがみかなぁ、これって。
あとからヘラヘラとお世辞混じりに「あんな小さな故障に気がついたのはnekotamaさんが毎日運転しているからですよ」とか。でもね、安全に走るために必要なのは、まずブレーキとタイヤ、足回りの整備。整備不良車で事故起こしても年齢のせいにされたらかなわないわねえ。もしかしたらアクセルとブレーキ踏み間違えとされた事故の中に整備不良車も混ぜて考えないといけないのでは?
そんなわけで数年ごとに新車に乗り変えられるシステムがあって、今回もすすめられたけれど、もうそれは使わない。私はそもそも新車に乗りたいわけじゃない。大事に車と向き合って会話しながら馴らして行きたい。それなのに、ああしろこうしろ、うるさすぎてかなわない。誰がこんな車作ろうなんて頼んだ?本当に運転好きなら物言わぬ車のほうが運転に集中できるのに。だから車が売れなくなるのだわ。
それよりも整備よろしく。高齢者ドライバーが気がつく程度のことをプロの整備士が見逃すなんてねえ、世も末です。
2025年5月14日水曜日
工事がはじまった
レッスン室の防音と防熱、防犯のためにドアや窓をより強化したいというのは以前からの計画だった。いつもリフォームをやってもらうのはOさんの会社。信頼できる工務店が見つからず方々に依頼してもなかなか満足がいかなかったのが、たまたま姉の知り合いが近所に会社を立ち上げたというのでお願いしたことから、ずっと長いお付き合いが始まった。
Oさんは口やかましく、職人さんの仕事にずっとつきっきりで文句を言う。それをもの柔らかく受け流して黙々と作業をする職人さんたちは陽気で時間にきっちりしていて、もちろん仕事もバッチリ。だからOさんはガミガミ言う割にはもしかしたら優しいのかもしれない。あんまりうるさいときには私が口を出す。「そんなガミガミ言いなさんな。私が怒られているみたいじゃない」とか。
そんなチームできっちりとスケジュールが決まったとおりに進行するので私も行動の計画が立てられる。
初日はピアノや楽器類に工事のホコリや傷が及ばないように蔽いする。作業が終わるころ行ってみたら床にはシートが敷かれ、ピアノや家具類はすっぽりとビニールで覆われ、お化け屋敷風に様変わりしていた。これだけでも大変な作業ということがわかる。普通私のアパートくらいの安普請ならここまでやらなくてもと思うけれど、社長がうるさいので手を抜かない仕上げになっている。
今日はドアの交換、サイズが変わるのでドア周りの壁を切り取り新しいサイズの枠を作る。コンセントの位置や分電盤の位置をずらすため天井まで切り取ってあった。しかもまんまるに。この作業見たかったなあ。どうやってこんなに丸く切り取れるのか。本当はずっと見ていたかったけれど、外野がいると作業がやりにくいから迷惑だと思って遠慮していた。私はこういう現場を見るのが本当に好きで、建築現場を見つけるとしばらく足を止めて見ていることがある。大抵は警備員に追い払われるのだけど。
外の現場ならずっと見ていると思うけれど、狭く足元が悪い室内では職人さんたちのじゃまになる。いつも思うのは私が建築に関わる仕事でなくて良かったということ。ネジ一本、足りなくても危険なこともある。私のようにうっかり屋で、最後の一本の釘を打たなかったために建物崩壊に繋がりかねない。
以前、大きなマンションの土台のコンクリートの柱の寸法が足りず、地面に打ち込まれていなかったという信じられないようなことが報道されていた。その為にしばらくすると建物に亀裂が入りはじめ壁が落ちたりしたようだけれど、その後あれはどうなったのかしら。きっと私みたいないい加減な人間が計算間違ったか、経費節約で故意でやったのか。故意なら随分ひどいことやってくれるじゃないの。大手の不動産会社なのに。
今日の最後の作業が終わって覗きに行ったら、新しい綺麗なドアがスッキリとはめ込まれていた。ものすごく重たいらしい。アルミか何かで表面は薄茶の木目っぽい仕上がりで、今までの周囲の壁紙が安っぽく見えるから、ここをアラビア風の模様にしたらいいわねと言ったら、なにを馬鹿な!ふうな目でみられた。私なら思い切り派手な色で陽気に飾りたいところだが。クソ真面目に、ほかが白い普通の壁紙ですので合わないと思いますと返事がきた。わかってるわい、そんなこと。
困ったのは、せっかくヴァイオリンを弾き始めてやる気になっていたのに、練習ができない。もはや私の生きるエネルギーの元は音楽しかない。引退したらもう一度放送大学に行こうなどと思っていた。絵をおかきになったらなどと唆す人もいた。うん、それもいい。これからゆっくり本を読もうと思ったけれど目が言うことをきかない。旅に出たいけど猫が足を引っ張る。体力気力ともに新しいことに挑戦できる時期はとっくに過ぎている。
もう一度算数からやり直して数学を勉強するのもいいなとか、だいそれた事も考えた。私はショベルカーなどの特殊自動車の運転もしてみたい。欲深で結局一つものになったことがない。一番おもしろかったのがヴァイオリン?指がこんなに曲がらなければもう少しステージに立てたのに。
ピアノは指が曲がっても音程に関係ないから、モーツァルトのニ短調の幻想曲を練習している。でも工事中は練習できない。歌も歌いたいけれど、そのうち我が家にはホラー現象が起きると噂がながれるかもしれない。夜な夜な絶叫が聞こえるとか。ただでさえ評判の悪いうちなので。
2025年5月11日日曜日
マンナンライス
若くてウエストに全く贅肉がないきれいな女の子が腰をくねらせて踊るコマーシャルはしょっちゅう見ているけど、興味がなくてなんのコマーシャルなのかも知らなかった。お米を買うということもなかった。大抵はさとうのご飯で済ませてしまい炊飯器をつかうこともなくなっていた。
最近のコメ不足の報道を見てスーパーの米売り場に行ってみるとなかなかの値段がするものと判明。高いなあ。最近、パエリアを作ろうと思っていて、家に米の備蓄がなく、さとうのご飯ではできないからどうしても米を買わねばならない。ふと隅っこを見るとマンナンヒカリなるものが小さな袋で売られていた。私はこれを少量販売のコメだと思ったから買ってきた。2キロや5キロなんて買ってしまうと我が家では10年くらいなくならないから、この大きさはすごく助かる。
朝ご飯を炊くかさとうのご飯でいいか考えたけれど、そういえばマンナンライスをまだ使っていない。早速炊いてみよう。袋を開けると米粒が小さい。ふーん、これで膨らむと普通のご飯になるものなのか。サラサラ軽いし、少し透明感がある。そこで普通の人は気がつくものなのに、私の天才的な脳はなにか米に特殊加工がされていてそうなっているものと考えた。
あんなにコマーシャルで毎日流されているのに気が付かないところも世界の七不思議。それも音楽の途中の合いの手が「にゃくにゃく」って。このニャという響きに弱い。猫がにゃあというのが可愛くてやたらに反応するのですのにゃ。
なんで家でご飯を炊く気になったかというと、先日見つけた弁当箱型炊飯器。ほんの少しの量でもご飯が炊けるらしい。新しもの好きな私はすぐに飛びついて先日はこれでご飯を炊いてみた。それで炊いても感激するほどではないけれど、マアマアの美味しさだった。それで今回ももう一度と思って準備を始めた。ところが前回使ったはずの取説がみあたらない。一度やれば覚えるかと思い捨ててしまったか。
私の頭脳は日に日に衰えて怖いくらいだから、先日どうやったかは全く覚えていない。水とコメの分量も定かでない。でもやって失敗すればもう一度考えればいい。場当たり的な思考の持ち主はいつもこれで失敗する。
コメと水の分量は多分同じでいい。一度コメを水に浸しておくと良いと書いてあったっけ?マンナンヒカリをおぼろげな記憶で計量して入れた。そして水もほぼ同じ?しかし失敗して器械を壊すといけないから一度は鍋で炊いてみよう。火にかけて沸騰して2分、なんだか変!蓋をあけると、なんと!もうご飯がたけている。まさか。
しみじみとご飯を見つめて考えた。このコメは特殊な加工が施されていて早炊きなのか。改めてマンナンヒカリの袋の説明を読むと、米を洗って水切り、マンナンは洗わずに米と一緒に・・・なんだ米と一緒にって・・・これはコメではないのか。
すでに炊きあがった米を食べてみたら、なーんだ、こんにゃくだあ。炊きたての御飯の甘みも香りもないけれど、食べて食べられないものでもない。なすと鶏肉のお浸しを混ぜて美味しくいただきました。特に今日の朝ご飯はカロリー控えめ。納豆にも合わないでもない。ダイエット効果抜群。これを食べていたら、私も贅肉ひとつない、すべすべのウエストのコマーシャルのお嬢さんたちみたいになれるかも。乞う、ご期待。ニャクニャク。
投稿してから一夜明けて、今朝気がついた。コマーシャルの歌の歌詞は
こんにゃく畑で🎵🎵🎵🎵って ちゃんと蒟蒻って言ってるのをずっと聞いていたのにホント、馬鹿ですね。それに弁当箱型炊飯器の水加減も思い出して、今日は本当のお米が食べられそう。バカバカしいおはなしで申し訳ない。やはり睡眠は脳のビタミンですね。
2025年5月6日火曜日
友来る その2
雨模様の多い日が続きやっと晴天になったその日、友人Hさんはなぜか大きな荷物を持って楽器を背負い我が家に来てくれた。前回は彼女の家にお邪魔してカレーライスをごちそうになったから、今回は私の手料理でおもてなし。しかし、これを食べたら不味くてもう二度と来てもらえないのではと思ってためらったけれど、もう取り返しはつかない。
彼女の大きな荷物の中からお菓子や楽譜や手品のようにたくさん出てくる。年齢は彼女のほうが若いけれど、それにしても私はこんなにたくさんのものを運べないから骨が丈夫なんだなと感心した。帰宅しても具合が悪くなったという知らせはこないから、私の手料理で中毒はしていないらしい。
やはり練習を始めると音が違う。しっかりと骨太、個性の強い説得力のある音楽性。いやはや現役は強い。私はといえば、この練習が決まった時点で慌ててヴァイオリンを弾きだしたから、心のないか細い音。この楽器は非常に良い音が取り柄なのに、あまりにも長く放って置かれて心底怒っているようだ。頑として鳴ってくれない。
しかし久々の演奏は本当に私の命を呼び戻してくれた。久しぶりに心の底から笑った。マックス・レーガーのデュオはなかなか癖のあるもので、練習を始めた時点で覚えるのに苦労すると思えた。初見で一通り弾くくらいでは覚えられないし、しょっちゅう鍵をなくす私は脳みその衰えを二重三重にも思い知らされた。
だがめっぽう面白い。こんなに面白いことを放置して、残り少ない人生を無駄に使ったことは返す返すももったいないことをしたとおもうけれど、実際に体を動かそうと思っても動かすパワーも枯れ果てていた。やっと息を吹き返したようだ。
Hさんには感謝しかない。彼女が粘り強く私を放置しないでいてくれたことが、なによりも私の復帰に関与した。もちろん指が曲がったために音程が定まらなくなってしまったが、なんとか修正しながらのおぼつかない復帰だけれど。
ピアノの調律は山田宏さんの引退で、非常に優秀な方が引き継いでくださることとなった。スタインウェイピアノの調律師。山田さんの調律に慣れていたのでそれぞれの個性の違いに驚いた。山田さんの音は弦楽器に近い森の中の木々の梵のような、えも言われぬハーモニーが深々と響く。新しいかたの調律はしっかりと主張する明るいピアノの楽しげな心踊る響き。どちらも納得の素晴らしさ。こんなに調律で個性が変わるのだ、お二人の名人の音比べを楽しんだ。本当に良かった。
それもきっかけとなって最近ピアノを弾き始めた。モーツァルトの幻想曲二短調、それと歌も歌い始めた。オペラ名曲集に載っている「ボエーム」より「私の名はミミ」Fの音から上は絶叫!表に聞こえると110番通報される悲鳴に聞こえるから、音楽室の防音強化工事が来週から始まる。
歌に関しては先生を見つけようと思って歌の友人に声をかけたら、とんでもない大物を紹介されそうになった。あまりにも恐れ多いから、ご辞退申し上げた。まさかこれからオペラ歌手になるわけでもないのに、でも名手に教わるのは大変興味深いからどうしましょう。
人生の終焉はやはり音楽でというわけ?残念だなあ、ほか才能の可能性も花開く前に終わってしまうのか。でもやはり音楽が好き。体が2つあるといいのにね。
兄は理系の研究者だったけれど、大変高齢になってもまだチェロを練習している。だから私も、ほかの職業であったとしても音楽を手ばなせないのかもしれない。
友来る その1
オーケストラ内でも気の合うのや合わないのや色々いたけれど、しょっちゅう一緒にカルテットを弾いたりなにかにつけて合わせものをしていた人がいた。私がオーケストラを辞める前にしばらくオーケストラでも並んで弾いていた事があった。
彼女Hさんはセカンドヴァイオリンのトップだったし私はファーストヴァイオリンの一兵卒だったから、入団後の10年ほどは並ぶことはなかった。けれど、10年もやっていると飽きっぽい性格の私は変化を求めたくなる。
ファーストヴァイオリンはオケの花形!と言ってもほとんどの場合旋律を弾くだけで慣れてしまうと退屈でもあった。私は当時のコンサートマスターの鳩山寛さんという方に影響を受けて、内声部の面白さに目覚めて好んでヴィオラやセカンドヴァイオリンを弾くことに喜びを感じるようになっていた。けれどオーケストラではメンバーはポジションが決められているためおいそれと他のパートは弾けない。
鳩山さんはハトカンさんと呼ばれていたから以後はハトカンさんで。入団直後から様々なアンサンブルに参加させていただいて、ハイドンの弦楽四重奏曲全曲演奏のコンサートにも参加させていただいた。他の室内楽のコンサートでは私にファーストヴァイオリンを弾かせて、ご自分はセカンドやヴィオラを弾いてくださる。その時の楽しそうな様子ったらなかった。そしてハトさんは内声部の名手でもあった。
それを見ると私もセカンドヴァイオリンやヴィオラに意欲が湧いてくる。それぞれの面白さに目覚めると内声は本当に面白い。鳩山さんに内声部を弾かれると自分の実力以上のものが表現できることがあった。いかに内声部が重要であるかがよくわかった。
それでもオーケストラの中では鳩山さんをよく言う人は少なかった。アメリカ生活が長く個人主義的で歯に衣着せず我関せず的なところが当時のメンバーには癇に障ったのかもしれない。その中で私やセカンドヴァイオリンのトップ奏者のHさんは彼の恩恵を受けたメンバーだった。室内楽が好きというのも共通点だった。
私がセカンドヴァイオリンが弾きたいといったのも彼らの影響もあった。しばらく弾きたいと言い続けたけれどなかなか許可がおりなかったので脅すことにした。それでは私はオケを辞めるといったらようやく当時のコンマスだったTさんからお許しが出て、晴れてセカンドヴァイオリンにしてもらえ、Hさんと並んで弾くことになった。それからが面白すぎて大変!
大抵の人はファーストヴァイオリンになりたがる。オケの顔とも言える華やかなポジションだし。でもせっかくアンサンブルをやるなら内声の面白さに気付いてほしいと常々思っている。ファーストヴァイオリンの人たちで細かく内声を聞く人はあまりいないけれど、よく聞くとどれほど内部の力が働いているかよく分かる。
それから約2年ほどセカンドで幸せに演奏していたのに、オーケストラでは時々ファーストに戻されてしまう。それなりに面白いけれど、私は密かに内部工作をするスパイみたいなことが好きなのだ。だんだんとファーストに戻されそうになってついに戻ってしまい、楽しみがなくなった。
Hさんとのコンビはこれほど面白いことはないと思うほど。セカンドヴァイオリンは不慣れで長年演奏したファーストヴァイオリンが身についてしまっていたため失敗も多かったけれど、実に幸せな時間だった。その間ずっと毎日ニコニコしていたような気がする。なによりもべートーヴェンの第九はセカンドの面白さを十分に味あわせてくれた。それを捨ててまたファーストを弾けと言われる。でも本当のことを言えばファーストヴァイオリンは内声部よりも楽ではあり、ちょっとした虚栄心も発露できる。
セカンドは難行苦行、まず音の進行が不自然。しかも思っても見ないところに難所があって指揮者からいじられ、あんな易しい音なのにどうして合わないのなんて非難される。こんなことはご存知ないでしょうがこれ本当の話です。私のような天邪鬼でない限り弾きたいと思う人は少ない。とにかく面倒だから。怠け心が出始めて最近はファーストを弾くことが多いけれど、Hさんとポジション争いをしている。
Hさんが古典音楽協会の定期演奏会に来て、私も引退したので客席で出会った。デュオをしようと持ちかけたら二つ返事。一年に一度位の頻度でやっている。今年は私は暇になってやっとヴァイオリンを弾く気になった。なんかすごく嬉しい。