車の運転が大好きでもう運転歴60年、無事故で通してきたけれど最近は怖いことばかり。
無事故と偉そうに行っても、時々電信柱がすり寄ってきたりして擦る程度のことは数回。違反も少々。免停は一度。スピード違反で罰金6万円もとられた。キャイ~ン!
でも昨今の交通事情はなにをかいわんや、異様なことが多すぎる。人に怪我させて逃げる。わざと子どもの群れに突っ込む。悪質なあおり運転。
車が売れなくて自動車会社が窮地に陥っている。でも、これわかる。こんなに自動車がつまらなくなったのはあなた達のせいよと言いたくなる。私が乗るのは当然ながら安くて小回りのきく小型車。もっと上等なのに乗れば違うのかもしれないけれど、大きな車は自分の身体のサイズ(特に足の長さ)に合わない。
初めて免許を取ったときは車種が限られていたから、大きなセドリックで教習と試験を受けた。外側から見ると私はステアリングの下に顔があって、無人自動車ではないかと思われた。今の車みたいに運転席の調節も限られていたから、座布団持ち込みで教習に通った。たしか教室側にも用意があったと思う。たまたま自宅にあったのもセドリックだった。
そんな時代だったから今のように小うるさく、シートベルトしろ、白線はみ出すな、前の車に気をつけろのなんのかんの、車は無駄口をきかなかった。マニュアル車が普通だった頃には、時々エンストしたりガス欠したり、でも全ては自分の責任だった。シフトレバーを選ぶのも自分で、その頃の山道の運転はほんとうにおもしろかった。
今時の車は助手席にスイカを2つ乗せたらシートベルトをしろという。このものたちがシートベルトをしないで事故でもあったら、割れて真っ赤な汁が出て救急車を呼ぶとでも思っているのかしら?うるさすぎて腹が立つ。ドライバーを信用しない、運転中の集中力を妨げる、余計なお世話ばかり。いかにも親切ぶってとどのつまりは事故に責任持たない。うるさく言うなら最後まで事故を防ぐ仕組みでないといけない。最終的な危険回避に責任持つ自動運転車でないといけない。
バッテリーが上がったことがあった。ある猛烈に暑い夏の日、北軽井沢に出かけて一夜明けてさて、出かけようとエンジンを始動させようとしたらかからない。まだ新車で買ってから1年ほどの頃。
もちろんバッテリーがそんなに早く減るわけもなく、半年ごとの定期点検もバッチリ。自動車会社に電話した。北軽井沢は軽井沢の隣だから車屋さんも多いし、同じメーカーもあるはずだからそこからレッカー車を回してもらえると思ったらとんでもない。JAFを呼べという。たしかその会社の保険に入るときにJAFと同じサービスが受けられると聞いたのに受けられない。軽井沢の支店に車を引き取りに来てもらえないかというと、それもできない。
なんとレッカー車はJAFの群馬支部から来るために4時間もかかって到着。バッテリーについては私がヘッドライトをつけっぱなしにしたとか自己責任みたいに言うけれど、この車はエンジンを切ればヘッドライトは一緒に消える。室内灯をつけてあったのでは?とか言うけれど、室内灯はよほどのことがない限りほとんどつけない。それにあの真っ暗な森の中で灯りがつけっぱなしだったら気が付かないわけがない。
その日はあまりの高温で、方々でバッテリーの異常な故障があったと聞いた。それをドライバーのせいにするなんて!高温とバッテリーの関係についても説明はない。だんだん不信が募ってきた。
ある時、定期点検で私は整備士に頼んだ。タイヤのバランスが悪いから空気圧を同じにしてほしいと。高速を走るから危険のないようにと言ったら、いかにも意外と言わんばかり「え、高速を走るんですか?」こんな婆さんが4時間もかけて自宅と北軽井沢を行き来しているとは思わなかったらしく、鼻で笑う感じで答えた。車を受け取って自宅に帰るときに整備が甘いなと感じた。やはり少し何かが違う。本当に空気圧を点検したの?まだ、それほど重大には考えていなかった。
しかしそれからも車のバランスが悪い。徐々に運転しづらくなっていく。おかしい。もう一度空気圧の点検を頼んでしばらくするとまたどうしても変。本当に空気圧点検したのかなあ。3回目には非常に強くタイヤを見て頂戴というとやっとタイヤの穴開きが見つかったという。穴が小さかったから少しずつ空気が減っていく。でもプロの整備士がそれに気付かないとは考えられない。やはり私が言う言葉を信じなかったのではないかと思う。年寄りのひがみかなぁ、これって。
あとからヘラヘラとお世辞混じりに「あんな小さな故障に気がついたのはnekotamaさんが毎日運転しているからですよ」とか。でもね、安全に走るために必要なのは、まずブレーキとタイヤ、足回りの整備。整備不良車で事故起こしても年齢のせいにされたらかなわないわねえ。もしかしたらアクセルとブレーキ踏み間違えとされた事故の中に整備不良車も混ぜて考えないといけないのでは?
そんなわけで数年ごとに新車に乗り変えられるシステムがあって、今回もすすめられたけれど、もうそれは使わない。私はそもそも新車に乗りたいわけじゃない。大事に車と向き合って会話しながら馴らして行きたい。それなのに、ああしろこうしろ、うるさすぎてかなわない。誰がこんな車作ろうなんて頼んだ?本当に運転好きなら物言わぬ車のほうが運転に集中できるのに。だから車が売れなくなるのだわ。
それよりも整備よろしく。高齢者ドライバーが気がつく程度のことをプロの整備士が見逃すなんてねえ、世も末です。
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