2025年5月23日金曜日

しっかりしなさいよ

 今年は仕事をやめた宣言をしたから、もうすっかり暇になって悠々自適と構えていたら、とんでもない誤算。まず、より美しい終焉を迎えようと企てたことで大忙しとなった。

北軽井沢を終の棲家にするか、都会で便利生活を楽しんで終わるかの決断はついていない。北軽井沢の森の生活はここ最近すっかり様変わりとなった。私の家の周りは定住している人が多いらしく、夜になると煌煌と電飾が点く。以前は怖いほど真っ暗だった森が陽気に様変わり。我が家の先住者のノンちゃんが生きていたら、さぞがっかりしたに違いない。

でも私は人の気配があるので以前のように緊張感がなくなった。どちらが良いかといえば静かな森がいいけれど、夜中にあまりの暗さと寂しさで心細く思うこともある。電飾の家はそうしたいならもっと都会でやったら?とも思うけれど、人それぞれで文句は言えない。周囲の4,5軒が毎日夕暮れになると明かりが灯る。

特別お付き合いをしたいとも思わないけれど、今朝、初めてご近所さんと会話を交わした。自宅隣の土地を購入して広々とした庭に改造中の男性は、造園業の職人さんを使って庭作りを始めた。私の家はノンちゃんの代から森の木には手をつけていない。伸ばしっぱなしの原生林の面影が濃く残っていた。

もしノンちゃんが木の手入れをもう少しやっていたなら、私は楽にしていられたのにと思う。なにしろ家の玄関ドアを開けると樹齢の見当もつかない巨木がそびえ立つ。この木こそノンちゃんが愛した自然のシンボルなのだ。繊細でいながら勇敢でおおらかなノンちゃんの人柄そのもののような。

それは素晴らしいのだけれど、ここの生活を始めて知ったのは、木の管理ってすごくお金がかかるのだ。 なにしろ樹齢の古い木は枯れ枝も巨大で、折れて落ちたら人や車に甚大な被害を及ぼす。私は神経を尖らせて点検に暇無い。家の屋根のはるか遠くの空に伸びる木の枝は高所作業車の厄介になるため、特に費用がかかるのだ。

枯れ枝の落ち方もダイナミック。ドシーンと夜中に音がして飛び起きた。朝庭に出たら、この巨木に寄生をしていた直径5センチもあろうかという太い蔦が数本まとめて落ちた音だった。これだけの太さになるには数百年もかかったに違いない。それを私がある日まとめて木の根っこの方から伐って枯れさせたのだった。こういう自然のダイナミックさを見てきたから、どうも電飾はいただけないと思っている。チャラくなってしまうもの。なにも森に住まうこともないのにと、ブツブツ・・・・

木にお金がかかるから私の家では造園に回すほどのお金はない。それで庭はふり積もった落ち葉の自然の腐葉土がフカフカと積もっている。それを取り除くときれいに苔むしたりして風情ある庭になる。私はノンちゃんと同じ考え方だからそれらを活かした庭にしたい。きれいに花のさく花壇にしたい。でもあまり手入れが行き届いた作られた庭は面白くない。

土地の条件をそのままにできる植物は何かと考えて、クリスマスローズが第一候補に上がった。去年府中市にあるガーデンを訪れて30株ほど手に入れた。この変わり者の花は性格は強く変わり者で一癖も二癖もある。花は地味で日陰を好む。太陽や水はそれほど欲しない。花同士が密着したくない。しかも条件によってどんどん色やはなの形を変えるという神秘に満ちた種類なのだ。

去年植え時のチャンスを逃して遅れがちになったので育つかなあと危惧していた。しかも森の土壌は腐葉土で根がしっかりはれないかも。木が多いからほとんど日陰という植物には条件が悪すぎる土地。

数日前、今年始めて北軽井沢に行くことができた。真っ先にクリスマスローズの植えられた場所にいった。驚いたことにひどすぎる土地の条件からは考えられないほどしっかりと根付いて、ツヤツヤと葉が輝いていた。なんて天邪鬼な花なんだろう!特に半分以上日陰の場所はクリスマスローズ天国らしい。見事に花がいっぱいついていた。しかし面白いことに、その花は咲いて種の袋ができる前に切り取ってしまわないといけないという。そうでないと株が弱ってしまうらしい。

株同士が近寄りすぎるのも警戒事案だそうだ。要するに人間嫌いの人が他人と交わりたくなくて距離をおくようなもの。しかも花の色も徐々に変わっていったり、日に当たりすぎると弱ってしまうらしい。そういう人はよく見かける。私自身にもそんな面がある。

ヴァイオリストの北川靖子さんとは仕事も遊びもよく一緒だった。彼女は私より年下だったけれど数年前に亡くなってしまった。自分の命が尽きることを察していた彼女と、亡くなる直前まで二人で旅行をした。唐招提寺、東大寺、京都御所などなど。東大寺では仏像が公開されていた。私はそこで出会った多くの仏様に北川さんのあの世の旅路の安らかなことを祈った。本当はこの世でもっと一緒に歩きたかった。でも私にも実際のことはわかっていた。私達は黙っていても、もうこれがお別れと察していた。

北川さんはちょうどクリスマスローズみたいなところがあった。激しい治療の激痛に耐え、愚痴もこぼさず平静さを保っていた。入院すると毎日メッセージが届いた。コロナのさなかお見舞いにも行けず歯がゆい思いで毎日メッセージをおくった。そしてある日ふっつりと返信が途絶え、訃報をきいた。

優秀で実力があるのに地味で威張らない。常に冷静で泣き言一つ漏らさず、ユーモアの感覚が抜群で、ときに楽しげに笑っていたひとだった。時々急に電話がかかってきた。「今日ひま?上野の博物館にいかない?」とか。

彼女が受けた治療内容の壮絶さを聞いたときには、言葉を失った。それを淡々と話す彼女の強さを今でも思い出す。ちょっとしたことにもすぐに泣き言を言う私とは大違い。今彼女が生きていたら静かな声で「しょうがないじゃない。しっかりしなさいよ」とでも言うかもしれない。











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