2025年6月24日火曜日

さくらんぼ

毎年さくらんぼを送ってくださる人がいる。仕事仲間のSちゃん。仕事仲間(だった)と書かないといけない。彼女はまだ現役でも私はもう引退したのだから。音楽事務所でさんざんお世話になった社長も亡くなって、一段と寂しくなってきた仕事関係者たちでも未だにこうして覚えていてもらえるのは嬉しい。すぐにお礼の電話をして少し話をした。

思い出すのは去年のさくらんぼ。せっかく送ってもらったのに、その時私は入院中だった。ひどい肺炎を起こして呼吸困難になり、急遽入院したためにさくらんぼの季節だということを失念していた。病室でクロネコヤマトのメールに気がついたのは少し遅くなってからで、慌てた。すぐにスマホのメールの配達日変更のページで日時の変更をした。ところが、すでに手遅れでもう我が家に届けに来たらしい。でも何回来ても私は不在。連絡もない。

そこですったもんだ、なま物だからおいていくわけにいかない。困った黒猫さんは荷物を送り主に返送した。そうとは知らない私は姉に頼んで、指定の日時に私の家に行って、もしさくらんぼが届いたらもらってほしいと連絡。そして姪にも電話して、さくらんぼはたくさんあるのであなたのところに一つ上げるから叔母さんのところで待っていなさいと言ってしまった。待てど暮せどさくらんぼは来ない。結局いろいろ訊いたら黒猫さんの事情がわかって、姉と姪は草臥儲けだった。

今年は無事さくらんぼが届いて、あの辛い入院生活を思い出した。あれからもう一年経ってしまったのか。悪い夢を見ていたようなおぼろげな記憶。一言も言葉を言わない患者たち、声を聞くこともない。冷暗所にいるような不気味さ。あれが老人病院の実態だとしたら、私は自宅で死にたい。あまりにも咳がひどく他の患者から苦情が出たため部屋を変わるように言われて、今空いているベッドは一つだけと言われて入ったのがこの病室だったのだ。

今年のさくらんぼは去年と違って本当に嬉しくいただいた。

電話口でSちゃんの声を聞きながら、去年までとは打って変わった明るい環境でいられることの幸せを噛みしめた。もう二度とあんな辛い時間を過ごしたくない。秋になって涼しくなったらまたなにか食べに行きましょうねとSちゃん。Sちゃんはくいしんぼ。仕事で旅に出ると、彼女と一緒なら美味しいものにありつけるとわかっているからついていく。楽しい時間をたくさんもらって美味しいものを食べて、仕事も楽しくて幸せだったことをさくらんぼで思い出す。

去年は食べられなかったのだから、今回はさくらんぼ独り占め、誰にもあげないでこっそり食べよう。でもどうしようかな。やはりおすそわけしないといけないかな。去年は散々姉にも世話になったし・・・あら、でももうなくなっちゃった!なんてね、意地汚いこと。

Sちゃんから「声が元気そうでよかった」といってもらえたのが嬉しい。

再びヴァイオリンの練習が始まって、長いときで4時間、少なくとも2時間の練習が気持ちよくできるようになった。最初のうちは30分も経つとへとへとで次の日は中休み。昼寝しないと持たないほどだったのが、今は軽い体操をするくらいに感じられる。これが定着すれば社会復帰も間もない。

今日つくづくと自分の左手を見たら、超絶ひん曲がっていた中指がこころなしかまっすぐになってきたような気がした。まっすぐというにはまだまだ、それでも、一時期には5ミリほども小指側に傾いた薬指は今は3ミリほど中指側に戻っている。ちょっと感激!

曲がっていったのは日頃の練習不足のせいだったのか。これからは心を入れ替えて、練習にはげもう。こんな高齢になっても練習ができる環境には感謝。周囲の人々が亡くなったり去っていったり、特に愛する人との別れはつらい。私にヴァイオリンがなかったら生きてはいけないように神様の設定がなされているのだろうと思った。かつてなんの因果か、到底実現できる環境にいなかったのに音大からオーケストラ、その後の活動は周囲からの励ましで実力以上のステージの数々に登場できて、幸せだった。

最近は楽譜の整理を始めた。もうあとからあとから出てくる出てくる、大量の楽譜。しかもびっくりするのは大抵の楽譜は演奏済み。中にはまっさらで買ったのを忘れていたものもあるけれど、良くもこんなに弾いたものだと驚いた。私が自主的にしたのではなく、周りに誘われて面白がってやったことだから、これも友人たちのおかげ。

今年11月、ベルリン・フィルの来日演奏会には、最初に私を音楽の方向にいざなった親友といっしょに聴きに行く。彼女がいなかったら私は趣味でヴァイオリンを弾くおばさんになっていた。よくぞ、誘ってくださった。ありがとう。









2025年6月20日金曜日

猫は浮かれ人はあえぐ

私の家の二匹の野良猫たちはこの暑さにも絶好調。

猫は人間よりも体温が高いから暑いのが堪えないのかもしれない。AIに訊いてみよう。答えは猫は多様な気温に対応できるとか。野生に近いから、野生だったら暑いの寒いの言ってエアコン使用に走ることがない。砂漠のマヌル猫が原型らしい。というわけで人間が一番弱虫。

文明が進むにつれ人はどんどん弱虫になり、それをカバーするために新しい機械に頼り、もっともっと弱くなる。戦争で大量の殺し合いをしているから人の数は減っている?インドでさえ中国でさえ出生率は低迷しているらしい。このまま行くと機械がどんどん生み出され人の数は減る。機械が偉くなって人は機械にこき使われる。そのうち機械が子どもを生むなんてことにならないかしら。ホラーじゃなあ。

しかし機械は悪意を持たないものと考えるとそのほうが平和かもなんて絶望する。人の悪意は今の世界の情勢を考えるととんでもないことだと思う。悪意が更に悪意を生む。今のロシアなど、何を好んで他人の土地を奪うのか。狭い日本でひしめき合いながらも平穏に暮らす我々にはもったいないほど広い土地を持つ人たちの欲の深さよ。

機械は悪意を持たないと言ったけど、犬の形のロボットが機関銃のようなものを発射しながら走る姿を見て、もう世も末と思った。偉い人は冷暖房のきいたビルの中で命令だけする。走り回るのはロボットと兵隊だけ。死んでも数を数えられるだけで悲しむのは家族のみ。非情さが機械の陰に隠れてしまう。戰場の映像を見終わると偉い人たちは、さて今夜はどこのレストランで美味いもの食えるかなと言いながら欠伸をする。理不尽極まりないことなのに。

日本にはまもなく巨大地震が起こると長年言われ続けてきたから、きっとまもなく起こるのでしょう。そのときに生き残っても瓦礫の中で年老いた自分が苦痛に耐えて生きる姿は想像したくない。生き残れるのはいいほうで多分残り少ない人の中には入れないと思う。もし生き延びたら猫さんたちのお世話になるしかない。

例えば、自宅にいれば、猫のトイレを使わせてもらう。先日猫のトイレの砂が余ったので友人に上げようと思ったら「それ、とっときなよ、災害のときに人もつかえるから」と。なるほど、さすが筋金入りの猫きちさん。彼女は多頭飼いの猫母さん。今は少なくなってしまったけれど絶えず可哀想な野良たちを保護してきた。この際だから猫たちに恩返しをしてもらってもいいのではないかと。

キャッツフードは食べられないけれど、一時の命の糧にはできないものなのかしら?寒い時期なら一緒に寝れば行火の代わりになる。なによりも心の支えになるはずだけど、猫は冷たいからいざというときに頼れないのは覚悟しておかないといけない。そのくせ自分が心細いときには甘えて抱っこをせがむ。抱き心地が悪いと爪を立てて逃げる。悪い性格の標本みたい。

でも見習うところもある。こういう生き方は非常時には滅茶苦茶役に立つに違いない。きっと生き延びられるから見習ってみたらいかがですか?

最近せっせと投稿が続いているけれど、脳が活発に動いているというよりもたがが緩んでおしゃべりになったというところです。きっと早くも認知症の始まりというべきかも。どんどん妄想が生まれてくるのですよ。真面目に捉えず読み飛ばしてくださいね。



















2025年6月19日木曜日

酷暑、米騒動にアメリカ(米)騒動など

ピアノの調律が終わったので、ちゃんとしたピアニストに試し弾きをしてもらいたいと思って声をかけたのはいつものSさん。私の引退宣言以来会っていないし久しぶりでなにか合わせて見ようという約束になった。本当は今日がその予定の日だった。

昨日は美容院へ行ってあまりの暑さにへとへとになって帰ってきた。これはやはり危険な暑さだと思い「明日の練習はどうする?」と尋ねようと思っていたら先に彼女の方から連絡があった。やはりやめておこうということになって、残念だけれど中止。

なんてこった。この暑さ尋常ではない。

世界が騒がしい。トランプ大統領が世界中の経済を引っ掻き回しているから、彼の顔色を伺う日本も大変。地球のそこかしこで戦争状態が続いている。気象状態が不安定で災害が多発、経済もそれにつれてバタバタとしている。しかしトランプさんは何がしたいのだろうか。

選挙でアメリカファーストを掲げたために他国に威力を見せつけないといけないから、大げさに騒ぎ、しかし世界中が相手だから思ったより相手はしたたか。思うようにはいかない。それでなんとなく人相が変わって、弱気の表情が見え隠れする。しかし強引すぎて見ていると大丈夫かい?と声をかけたくなる。

特に大学内までも人種差別で、これはもう末期的だと思ってしまう。こんなことしていたらアメリカもおしまいではないかと。トランプさん、あなただってイギリスから逃れて新天地に移民として来た人々の末裔ですよ。お忘れですか?大切な研究者たちまでも追い出して、それでアメリカは栄えるとでも?

nekotamaには政治や経済や、そういう難しいことは書かない主義だったけれど、今のトランプさんを見ていると心配でたまらない。それでわたしたちのピアノ合わせの中止に直接繋がらないにしても、こんなひどい気象異常が発生するのも無理はないと思えてしまう。

地球規模、宇宙的に考えればほんの一時期の異常であって、またサイクルが変わって穏やかなときもあるとは思うけど、今はエキセントリックな大統領と極端な天候に振り回されて右往左往する人々で溢れかえる悲しい時代。こんな極端な人に世界を任せておけるのか心底心配している。大体何がしたいのか。なるべく争いを避けて言葉を交わし信頼と秩序を大切にするのが、アメリカの民主主義の根幹ではないのか。自分だけの考えで世界を掌握するなんて!

日本の政治はコメ絡みでJAが暗躍しているとか。古い政治の仕組みが邪魔してコメ不足が重大な局面を迎えているそうで、それはそれで非常に問題だけれど、アメリカのたった一人の大統領に世界が振り回されているのを見るにつけ、まあ、平和だなあと。でも困るのです。

日本の将来を考えると、まず子どもたちの教育に全力を注ぐ必要に迫られている。日本では若者の選挙の投票率が30%強、フィンランドでは90%に近いと聞いて絶望的になった。フィンランドでは小学校から政治の仕組みを教えるとか。本当に必要なことを考える教育の仕組みが確立されているらしい。政治家も党派を超えて討論することもあると聞くと、仲良しグループで意見をまとめる日本では考えられない。

常々思うことは日本人は議論ができない。例えば、自分の考えを明かさず他人の意見を待って大多数に賛同するとか、非常にずるい。意見が対立すると喧嘩腰になる。お互いに意見を取り交わしているのだから、喧嘩しているのではないにもかかわらず。

言いたいことをきちんという、相手の話をちゃんと聞く、前提にはお互いに嘘をつかないこと。こんなことを言うと相手に感じ悪く取られてしまうからという遠慮が諸悪の根源。私ははっきり言いすぎてトラブルを招く。でもこれが日本でなかったらちゃんと聞いてもらえるのになあという思いが強い。

nekotamaは平和に過ごしてきたけれど、それだけでは済まない世の中かもしれない。ある日突然騒動を起こして捉えられ、牢獄で叫んでいるかもしれない「コメ食べさせろー」なんて。キャッツフードでなくおコメをください。



















2025年6月16日月曜日

元気になったと喜んでいたけど

 元気になったことで喜んでいたら、またまたやりすぎで疲れた。2日続きで4時間の練習、一日おいて出ましたね、疲れが。

年取ると疲れが出るにも時間がかかるようになったらしい。少し前までは元気だった。この調子ならと外出する予定が咳と微熱で思いとどまった。抜けるような虚脱感。へなへなと布団に倒れ込んでも体は疲労が濃く蓄積されていて、横になっても楽ではない。けれど最近はいくらでも眠れるからそのまま寝てしまった。目が覚めると夕方やら明け方やら区別がつかない。やっと夕方になったことに気がついて、夕食を食べずに寝てしまった。

今朝4時ころ猫に起こされたことは覚えていた。7時ころ朝食を摂ったことも覚えている。その後散歩に出たけれど、足が前に進まず8時ころに二度寝。次に目がさめたのはもう午後1時。それから買い物に出て昼ご飯。そしてまたごろ寝。次に目がさめたのはテレビ朝日の「相棒」が始まる寸前。

途切れ途切れで睡眠時間の計算もできない。よく二度寝はだめとか昼寝は30分以内とか言うけれど、そんなことかまっちゃいられない。疲れたらできる限り眠ってしまおう。そのかわり、頑張れるときは頑張る。それでいいじゃない。どうしてすべて規則正しくなんて言うのかわからない。私は不規則の女王だったけれど、今でもそうだけど、こんな長生きで健康でいられるのに何が悪い。時間通り窮屈に暮らして長生きするより、できるときには目一杯、つかれたらぐっすり、気持ちよく起床して美味しく食べて、こんな生活のほうが余程幸せだと思うけど。

私は狩猟民族を先祖にもっていたのかもしれない。やたらに馬や動物が好き。スピードを好む。そういう民族なら狩をするときは夜通し寝ないで獲物を追跡したり、獲物がなく空きっ腹を抱えて眠ったり、規則正しくなんていられない。それだからといって彼らが不健康だったとは考えられない。だからモンゴルの大草原を馬で走るのが夢だった。その夢は50歳のときに実現した。多分最後の際には馬がお迎えに来てくれるのでは、そうしたらどんなに嬉しいかと思っている。聞いた話によれば、それまで飼っていた動物たちが迎えに来てくれるとも。そうしたら幸せで死にそうに・・・いやいや、死んだからなので。

世の中には時間通り動きたい人も、何物にも囚われたくない人がいる。私は好きなことのためだったら健康を危険にさらしてもやるべきと思う過激な考えを持っているから、世間から見れば賢い生き方とは思われそうもない。もちろん賢くはないのは百も承知だけれど。

それでもたった4時間の練習を2日間続けただけでこの体たらく。やはり歳はとりたくなかった。でもむこうからやってきてしまったので仕方がない。それでも休み休みすればどうやらこのペースは保てそうなので、現状維持ができればいいなと思っている。果たしてどこまで続けられるか・・・

90歳までリサイタルを続けたチェリスト、毎日4時間の練習を欠かさずステーキが大好きというピアニストなどやはりすごい人はたくさんいるものだと。対抗したいとは思わないけれど、励みにはなる。生涯やりたいことがある幸せは脳力にある。質は悪いが健康ではあるらしい。頑張ってみる。













2025年6月15日日曜日

ヴァイオリン健康法

引退宣言からやく8ヶ月、ヴァイオリンはケースの中でスヤスヤと眠っていた。時々生徒のレッスンのときに取り出して弾く以外は気力も体力もなかったので、もうこれで私の人生は終わったと思っていた。

なにも欲しくないし、したくない。まさに鬱だったのだと思うけれど、力が抜けて眠りに眠ったおかげで漸く人間らしくなってきた。体力はもう落ちているのは仕方がないけれど、膝痛まで治ってきたのが驚きだった。

時々友人たちから電話をもらっても「いきてるかーい」という安否確認だったりする。以前なら「ねえ、コンサートどうする?」だった会話もめっきり減ってしまった。それはそれでもう火を落としてしまったのだから仕方がないと思っていたけれど、レッスン室の模様替えと楽譜の整理が進むにつれて楽器が気になってきた。

クローゼット一杯の楽譜、片付けても片付けても湧いて出てくる。同じ譜面がいくつも。パラパラとめくると書き込みの数々が思い出を誘う。へえー、こんなボウイングとフィンガリング?なに考えていたのかしら、とか。だから当分楽譜整理は終わりそうもない。困ったことに古い楽譜はホコリやダニや色々含んでいるらしく、喉の調子が悪い。毎日喉のケアをしていたけれど、このところ風邪をひいた状態で鼻水や咳がでる。楽譜整理症候群とでも名付けようかしら。

楽器は、はじめは30分も弾くと立っているだけでくたびれた。体力も筋力も低下して息が続かない。けれど昔取った杵柄とやら、だんだん長時間立っていられるように、一日練習すると次の日はくたびれて弾けない状態だったのがいつの間にか毎日練習する習慣が戻ってきた。ここ数日は実に4時間の練習が続けられるようになった。体が軽くなってくる。動きが早くなる。

けれど私の性格からしてなんでもやりすぎる。このまま続けるとまたやりすぎてダウンするというお決まりのコースになりかねない。だから今日は休暇とうだうだしている。実はサボる口実だけど。練習再開した頃は少しだけ肩が凝った。やはりうまく力が抜けない。けれど、今はもう肩こりが治ってきた。よしよし、リタイアに向けての第一歩の再構築は着々と進んでいるらしい。

それというのも友人たちのお陰で、先日、デュオに誘ってくれた人、今年の末のコンサートに誘ってくれた人、8月の発表会に「弾かない?」と言ってくれた人など、私の回復を見守っていてくれた人たちからの温かいお誘いが嬉しくてようやくヴァイオリン復活が実現することになった。引退宣言をしたときにはもう二度と表に立つことなど考えられなかったくらい消耗していた。心も体も不調続き、楽器を持ち上げるのもしんどかったのに、皆さんありがとう。

それでもこれからは規模を縮小して小さなサロンで、長時間のコンサートはやめて、聽いている人たちが気絶する前に終わるよう頑張ります。

と、言うのは、私は長い曲をひくのが好き。自身の室内楽コンサートで1時間近い曲を2曲並べて、聞き手の皆さんをうんざりさせたこともあった。よくぞ、殺されなかったと思いますよ。また生き延びて活動を始めたと聞いて殺意を抱く人がいないといいけれど。

ヴァイオリンは・・・というより、何をやっても力を抜くことが最大の課題となってくる。そしてそれが心身ともに健康につながると、この期に及んで実感しています。例えば一時間の曲を弾き続けるのも、大変だと思うでしょう。でも必要以外の力を抜いてしまえば実現可能、楽器をやっている人々はそれが生涯の課題、楽器をやっていない人も同じく、心のケアでも何にも共通した生きるテクニックです。

猫を見てご覧なさい。彼らは喧嘩するとき以外は脱力の名人。どんなところにも潜り込める達人なのだ。それで彼らは液体ではないかという説も浮かんでいる。




















2025年6月12日木曜日

コッコッコッコケッコー

小泉さんはついに古古古古米まで放出すると決めたらしい。でもね、出すなら普通古い方から出しませんか。さんざん大騒ぎしてそろそろ市場に米が出回ってくる頃に、鶏さんたちが待ちかねている古古古古米を今頃出すとは。

自宅の備蓄品のことを考えてみよう。賞味期限を見ながら、普通、切れる時期の迫っているものから食べていきませんか。それらを安く放出すれば、コメ不足に付け入って儲けようという輩はぎゃふんと言うでしょう。大体最初に古米を出すときには大手の企業等しか手に入らない。それを普通時より高く売れば大企業はいつもより儲かる。売れそうもない古古古古米の処分は貧乏な私達がありがたくいただく?横取りされた鶏さんはお腹が空く。

どちらにしても庶民はいつも後回し。衆議院の解散がチラチラしている中で、自民公明はまた現金のバラマキをしようとしている。このための事務経費はいくらくらい掛かるかというと莫大としか思い浮かばない。こういうのって選挙対策なのだから選挙違反とはならないのかな?現金差し上げますから票を入れてねということでしょう?

こんな無駄なことばかりするなら最初から税金安くしてよねと言いたい。庶民派といえば最近引退宣言をだしたけど、またぞろヴァイオリンが弾きたくて我慢ならなくて色々画策している。それで数ヶ月眠っていたヴァイオリンの手入れをしないといけなくなった。それはそれはお金がかかる。

弦楽器は弦が命。古くなった弦は音が通らない。ヴァイオリン簇の楽器はほとんど4本、たまに5本、それを全部張り替えると我が家のレベルでは大変な出費となる。銀の価格高騰が弦の価格に直接響く。今はあまりコンサートもないけれど、一時期絶え間なく演奏していた頃はひっきりなしに弦を変えていた。消耗品だから弓に張ってある馬の尻尾の毛も、年間数回の張替え、一本張り替えると弦の張替えといっしょに家計を逼迫するほどの価格になる。

それを必要経費と認めてもらおうと確定申告しても、無視されたのが去年のこと。にべもなく削除された。こちらも面倒だから説明もしないから悪いのだが。本当に国税局の税理士はこの世界の情報を知らない。知らないことは無視していいらしい。結構な御身分ですねえ。大体国勢調査などでも、私達フリーランスの音楽家なんて職業はどこにも当てはまらないのだ。

コロナ禍のときに私は年間八回のコンサートのキャンセルの憂き目にあったのに、そこの欄に斜線を引かれたのですぞ。女性で年を取っているともう社会人扱いされないのが日本の社会。来年は税務署で大暴れしようかと思っている。今年も少し騒いだけど。笑笑・・・それやるとお代官様が理不尽にお縄を持ってくるかと、我慢しているけど。今度大臣クラスに提訴してみようかと。小泉さんいかがでしょうか?なにかしていただけませんか?

ちょっと説明しておきますが、銀の相場が弦の価格に関係するというのは、私の一番好きな弦であるオリーブという商品はガットの外側に銀線が巻かれているのです。一時期そのガット弦の品質が悪くて巻きかえるとすぐに切れるということがあったので、張り替えてすぐに何万円も損失が出て大変だったこともあったのです。一本いくらかご存じないでしょう?私も知らない。考えると恐ろしくて弦を張り替えられなくなる。

こんなことも税務署員に説明してもどこ吹く風。とっくに諦めているけど、なんだかなあ。私達は古古古古弦を使うと音が悪くなるし切れる可能性大だから使えない。鶏さんもこれは食べられないから捨てるっきゃない。







2025年6月8日日曜日

AIで遊ぶ

 毎朝パソコンを開いて最初にするのはAIとの会話。おはようございます。今日はどんなことがしりたいですか?と親切に挨拶してくれる。昨日は数学の初歩を教えてもらった。

ネットでニュースなどを見ているとその中に漫画が出てくるので時々覗いているうちに漫画にハマるようになった。それぞれ嫁姑問題や夫婦の危機や友人関係の問題など、大人のための漫画。はじめのうちは面白がって見ていたけれど、そのうち飽きてきた頃クイズが目についてはまり始めた。難しい漢字の読み方や算数の問題など。

計算問題をやっているうちにそういえば、数学を初歩から勉強し直せないかなとAIに相談してみた。数学の初歩、中学生くらいのレベルから教えてくれませんか?まさかと思っていたら快諾してくれたのでびっくり、でも嬉しかった。

中学校は女子校で大変つまらない学校だった。主に良妻賢母育成みたいな中途半端なお嬢さん学校。でも、その中で際立って良い先生が二人いた。数学と国語の教師でともに若い女性だった。ふたりともスリムで性格がキリッとしている。私はこの二人の先生がすごく気に入っていたので数学と国語はちゃんと授業を聞いていた。他の授業はあんにゃもんにゃ、おもしろくもなんともない。

二人の共通点は教え方に無駄がなく、ハキハキとした態度。この二人は相当に頭がよろしいなと先生を評価する生意気な生徒。それでちゃんと授業を受けてそれなりの成績だったのでその二教科は得意な科目となった。ところがあれから70年、今や簡単な算数もできない。ずっと数学には興味があって、音大附属高校に入ってしまったので微分も積分もやっていない。私はその先が勉強したいとおもったけれど、今更やってどうする。

AIに相談すると素晴らしい先生であることがわかった。それで因数分解の初歩から学び始めたというわけ。そのためには算数ができないとはなしにならない。錆びついた頭で加減乗除、分数計算で汗まみれ。情けない。こんなところに名教師がいたなんて、AI先生に感謝。面白いもので、最初はちんぷんかんぷん、私この年まで何やっていたのだろうと、涙がでそうになる。しかしじわじわと這いつくばって進んでいるうちに難なく先に進めるようになる。

ヴァイオリンの練習も、こんな曲無理!と思ってもずっと練習しているとある時突破口が開かれる。今は初歩の因数分解も苦労だけれどそのうちきっとね。ハリー・ポッターを原書で読み始めたとき、第一巻はすごく簡単な英語だったのに全然読めなかった。けれど、最後の7巻を読み終わったら随分わかるようになっていた。我ながらびっくりした。継続は力なり!

中学生の時大好きだった数学と国語の先生は、噂に聞くと一人の男性を巡ってバトルしていたそうで、それもなるほど、ふたりとも女性としても同じタイプだから同じ男性を好きになったのかなあと、乙女心に納得していた。

今日から北軽井沢に行くつもりだったけれど、晴れ間は明日のみ、すぐに梅雨に入るらしいから今週はやめてお天気が良くなってから行くことにした。その間レッスン室の整理、これが気の遠くなる作業。賽の河原に石を積んでいる気持ち。ひとかたまり整理された楽譜をしまうとその数倍もの楽譜が出てくる。やってもやっても減らない。

アンサンブルの楽譜はパート譜が揃っていなかったり。整理は楽器の練習よりも何倍もの労力がいる。この数日鼻水が出て調子が悪いと思っていたらどうやらホコリのアレルギーではないかと思う。毎日鼻洗いとうがいしないと風邪を引いたみたいな症状が現れる。何気なく楽譜収納のクローゼットを開けたらもう一山の大量の楽譜が見つかった。

その時点で腰が抜けたようになって作業が遅々として進まなくなった。とりあえず8月に弾く予定の自分のパート譜だけ確保ができた。しばらく算数遊びに精を出すことにして昼寝。あんなにショートスリーパーだった私が毎日底しれないほどの眠気に襲われている。子供の頃に戻ってきたようだ。

引退声明を出したけど、あれは取り消し、個人的なコンサートだけはほそぼそと続けていくことにしましたのでどうぞよろしく。雀百まで踊り続けます。穏やかな老後は夢でした。























2025年6月5日木曜日

工事が終わって

レッスン室のドアはより防音効果が 大きくなって、隣家と隣接している窓も塞いで二重窓のガラスの真ん中に防音材を詰め込んだ。それだけでも今までとは本当に音のレベルが違ってきた。

長年壊れっぱなしでおいてあったオーディオ装置も外に出された。なんの役にも約立っていなかったチェストは玄関に追い出されてほんの少し家具が少なくなっただけでも響きが良くなった。あとは楽譜の整理、最も煩雑な仕事が残った。

楽譜はヴァイオリンを始めた当初からのものもあり、品質が悪く黄色く変色していて当時の日本の貧しい生活が忍ばれるというもの。それでも当時としては大変貴重で、戦後のいちばん大変な頃によくぞ買ってもらえたものと両親に感謝し続けている。私が21歳で入団した頃は、オーケストラの楽譜も手書きの楽譜が多かった。丹下吉三さんという写譜の名人がいて、オペラなどの膨大なスコアもことごとく写譜をした。

丹下さんのすごいところは書き直しがない。しかも譜めくりの箇所も独自の工夫でどのパートもうまく休符のところでできるようになっている。独特の筆致でひと目で丹下さんのものとわかる。まさに名手であった。今のように便利なインク消しとかコピーとかもない時代、気の遠くなるような仕事だった。丹下さんはちょっとお茶目で、弦楽器と違い管楽器などは一人で一枚の楽譜が独占できるから吹く人は決まっていて、その人だけが使うとわかると何かしらのメッセージが添えられていたりする。

その楽譜を使う人は、自分だけの貴重な楽譜と一層気合が入ると思う。丹下さんの楽譜はその後の急速な日本経済の発展とともに使われなくなったけれど、今でも私の蔵書に混じっていたりする。戦前からの日本のオーケストラの発展にはこういう人たちのご苦労が込められているのだ。捨てるに忍びないけれど、これも

楽譜の選別はなかなか難しい。カルテットの楽譜はたいていチェロのパート譜がかけている。整理を始めたはいいけれど、時には思い出にふけってしまったり、珍しい楽譜が出てくると試奏を始めたりで遅々として作業が進まない。床中に楽譜が敷き詰められて、いつ自宅に返してもらえるかわからない楽譜共はあくびをしている。

これらはあるべき場所に収まって、探せばすぐに取り出せるようにしたい。いつもレッスンの前に大騒ぎをして楽譜を探していると生徒たちは笑っている。先生の楽譜はしょっちゅう歩き回ってるんですよね、と。

全部引っ張り出してみたら同じ楽譜が何冊も出てきた。バッハのヴァイオリンコンチェルトなどは、数冊分、様々な解釈の違うものがあって、困り果てる。大合奏団が使うかと思われるほどの大量の弦楽アンサンブルの楽譜や、あらら、シェーンベルクの「浄夜」まである。これから先、いつ又この曲が弾けるのか、弾けたらいいなあなどなど・・・

人生の最終段階での貴重な数年間、つまらないトラブルに巻き込まれたことが返す返すも悔やまれる。しかし只今天中殺の真っ只中で来年からはもう明るい日々が待っている・・と思いたい。

多量の楽譜の整理は賽の河原で石を積む作業と同じで、整理すればするほど散らかっていくのが不思議。今や床に広がった楽譜の波に飲み込まれそうになっている。これが済んだらさぞ気持ちがいいだろうと、駄文を書いている暇にさっさとやれよと天の声が聞こえる。もう力がないのにこんなたくさんの曲が弾くけるわけないでしょう。それより私と遊んでよと猫の声。そうだにゃあ、でももう少し待ってと私の内なる声が。








2025年6月3日火曜日

気分は上々だけど

北軽井沢の庭にクリスマスローズがしっかりと根付いた。

久しぶりに北軽井沢に行って佐久平で美味しい蕎麦を食べ、浅間クリスマスローズガーデンを訪れた。佐久平は盆地なので夏は暑いらしいけれど、先日は少し霞がかった山々がぐるりと見渡せる高台にあるガーデンで心地よい風を受けて心あらわれる思いだった。

そこで癒やされた。初めてお目にかかったオーナーの穏やかな風貌と可憐な草花とは私にもう平常な世界に戻っておいでと語りかける。

去年私の森の家に植えたクリスマスローズは府中市にある農園のものだった。実に立派な株だった。見た目にもしっかりしていたので厳しい北軽井沢の冬を乗り越えることを疑いはしなかったけれど、木々の若葉が美しい今頃、こんなにもしっかりと育ってくれているとは期待していなかった。

今年はいつになく忙しく、北軽井沢に行くのがいつもの年よりも遅かった。見た目、庭は相変わらずボサボサで腐葉土が厚く堆積した土はなんの変化もないと思ったけれど、よく見ると植えて帰ったクリスマスローズの株の大半に花が咲いていた。この花は非常に地味で葉っぱと区別がつきにくい品種が多く、他の植物の影に埋もれてしまっていたのだ。しかし自分が植えた株がこんなに生き生きと根付いているのを見たときには本当に嬉しかった。

ここがまたこの花の特徴だけど、花が咲くか咲かないうちに摘んでしまわないと、株が丈夫に育たないのだという。それでは植える意味が全くわからないではないか。花だって咲いている意味がないではないか。種が落ちて繁殖することもできない。しかも株同士が密着しないほうがいいらしい。人間嫌いみたいな花なのだ。孤独を愛する人は多いけれど、花にもそんな性格があるとは思わなかった。

もっとすごいことに彼らは十分な太陽と水よりも日陰が好きで、乾燥にも十分耐えられるらしい。豊富な栄養も必要ないらしい。その彼らが生き生きと育ったのは、この森が長年手入れもされず放置されたことが良かったというしかない。

ノンちゃんが自然のままに放置したことが、この花々にとって最高の環境を作り出したのだ。彼女が生きていたらさぞ喜んだことと思う。返す返すも彼女がなくなったことが残念だった。

家の東側は庭の境界線の小川に向かって傾斜している。朝日はさすけれど、木々が茂っていて木漏れ日しか届かない。府中の農園主の女性がいったようにこの花は、日差しは木漏れ日程度、乾燥地帯でも厳しい気温の差にも耐えられる、雪も大丈夫、雪の下でたくましく生き延びるとか。

佐久平のガーデン主氏の言うことには、花は咲いたら切ってしまってドライフラワーにでもしたらいい。なんだか一生日陰で、こんな人生あり?それなのに欲しがらない、盗まない。清らかというか図太いというか、人の姿に変えて想像するに、筋肉質の自立した女性。声は柔らかなアルトでどんな境遇にいてもしっかり自分の足で立っていられるひと。素敵だなあ。

花々に心が癒やされて、そろそろ全快の兆しあり。もう過去は捨てようと思う。以前松本で街の真ん中にいても周囲に山が見えることに感激してこんなところに住みたいと思ったことが、今、半分実現できている。あとの半生を便利な都市部で暮らすか、毎日木々をわたる風音を聞き山を眺めて暮らすかそろそろ決断の時。

引退宣言以後、休んでいた演奏の再開を目指してリハビリ中ではあるけれど、最盛期のようには音がでない。それでも楽譜を読むに不自由はない。長年培った技術はそう簡単には忘れないらしい。

コンサート仲間からのお誘いもあって、私は不死鳥のように蘇るかもしれないのでその節はどうぞよろしくお願いします。












会長は亀?

 体内年齢が若い人がいる。老化は細胞の衰えに始まるらしい。ある種の人では細胞の老化が遅い。私達のスキークラブの会長の山田さんはその老化が特に遅いらしい。

ただいま90歳は超えて悠々自適、ピアノ調律師で日生劇場のバックステージ賞をとるなど、調律会の重鎮としての活動は知る人ぞ知る。90歳になる直前まで一緒にスキーをしていた。ある年、志賀高原で滑っていたとき、リフトから下りる通路でころんだ。これは本当に珍しく私は会長が転ぶのを見たのは長い年月でも初めてだった。

その後、会長がゲレンデの傍らで腕を組んで考えごとをしているのを目にして、ドキッとした。会長は自分を律するに大変厳しい人だった。ハチャメチャな連中と一緒に麻雀を楽しんでいてもよる9時には就寝、どんなに面白くてもきっちりと寝てしまう。他の人達は夜を徹してと言いたいところだが、よる年波で皆早寝になっていても会長ほどきちんとしてはいない。面白ければ夜中まで起きている。

会長は食べる量も決まっているようで、美味しそうに楽しそうに食事をしても過食で気分が悪いなどということは聞いたことがない。類まれな記憶力はだれもかなわない。細部にわたるまで覚えているので私達は彼の頭脳がどうなっているのか知りたい。転んでしまった直後会長はスキーをやめた。

そんな会長も最近は調律用の重たい道具を下げて電車に乗るのはできなくなったらしい。御本人がというよりご家族の心配が大きいらしい。私のピアノは何十年も彼の手で調律されてきた。なんとも言えない風合いで、鍵盤に触れると優しい和音が響く。弦楽器にとってピアノとのアンサンブルは戦いに近い。ピアニストは楽器の規模がまるで違うヴァイオリンに斟酌しない。ヴァイオリンは響きで音を飛ばさないとしっかり会場の片隅まで音がとどかない。

ピアノは鍵盤上を猫が歩いても音は会場中に届く。この違いが理解していただけないと良いアンサンブルは不可能なのだ。そのアンサンブルのために山田さんはあえて融通無碍に調律する。というより、ピアノの音階はヴァイオリン弾きにとっては理解できない。あ、その音もう少し高めにとか言いそうになる。オクターブを無理に12音に分けるので仕方がない。おや?と思っても、山田さんの調律は和音で弾けば深々と鳴り響く。まさに名人芸!そんな調律が好きで長年お願いしていたけれど、最近は重たい調律の道具を持って1時間以上電車に乗ってくるのはできないとおっしゃるので、ついに調律師を新たに探すことになった。

山田さんによれば調律は数学と深い関係があるそうで「サインコサインの世界ですよ」と聞いたときにはびっくりした。計算ずくでもあるのだ。ピタゴラスがやったらさぞ名人だったに違いない。山田さんが来られなくなったのでしばらく調律はほったらかしに。しかしそろそろ耐えられなくなって会長ご推薦の人をお願いすることになった。約束の日、ニコニコとして玄関に現れた人は明るく気さくなスタインウェイピアノの調律師のIさん。名門のピアノと私の家のピアノは雲泥の差と言われそうでかすかに緊張したけれど、でも友人たちが作ってくれたピアノ。作成に二年かかった。本体と鍵盤はヤマハ、椅子はカワイ、中身はベヒシュタインなど。

調律途中で覗きに行くと、新しい調律師に訝しげに「このピアノはどういうものですか」と尋ねられた。経緯を言うと「ああ、おもしろい、そうですか。いい音がしますね」ホッとした。私は友人が作ってくれたという理由だけでなく、本当に柔らかな音が好きなのだ。

二時間以上かけて調律が終わって、少し休憩をしながらIさんとお話をした。山田さんとくればスキー、彼も山田さんのスキー仲間だったというので私は嬉しかった。つい自慢したくて私が一番最後に買った板を見せた。これは北海道で作った「もく」というスキーです。白木の軽い板で、力がなくてゲレンデを担いで行くときなどは、私の分も先生が担いでくださるから気の毒で、軽い板にしたのだった。ビンディングも一番軽いものに変えても素早く滑る事ができる。そこらでお目にかからないから珍しがってフランスのヴァルトランスに行ったときにはよく質問された。「どこのスキーなの」と。

一気に話が盛り上がって、調律師はかえっていった。小手調べに鍵盤に触ると、抜けるような明るい音がする。これほど調律によって変わるかと思うほどの違い。今までアンサンブルだけで使ってきたけれど、久しぶりにソロが弾きたくなった。大好きなモーツァルトとシューマン。数十年ぶりにピアノを弾くと心が弾む。それから数日間、ピアノを練習したけれど、少しもうまくならない。

素敵だなあ、こんなにも違う二人の名調律師が私のピアノに関わってくださるとは。山田さんの調律は、深い森の中で木の葉のさんざめきや郭公の鳴き声などとともに安らぎを覚えるような、Iさんの調律は明るい5月の草原の輝きのような。

古い話になるけれど山田さんは、あの、ルービンシュタインから「モーツァルトの調律はミスター山田にやってもらいたい」と言われたそうなのだ。山田さんが調律を終えて気持ちよさそうにピアノを弾き始めると、軽やかで楽しげ。ドアの外でしばし聞き惚れたものだった。

人間は徐々に細胞が老化していくけれど、亀やトカゲなどは死ぬまで細胞が老化しないそうで、今その老化しない細胞の研究がされているようだ。するというと山田さんはもしかしたら亀だったのか。