2011年9月6日火曜日

台風の置き土産

以前我が家の前を流れる川は毎年のように氾濫して、この辺の住宅は床上浸水で、台風一過の次の日はそこここに畳が干されていた。私の生家は今のうちから3分くらいのところにあって、先祖代々この辺のボスだった関係で、一段と高くなっていた。そのため、水害が起きるとボートで避難してくる人がいるくらいで、我が家は避難所として使われていた。災害に遭った方たちには申し訳ないけれど、そういう時、なんて礼儀知らずな人たちだろうと思ったことがある。我が物顔に人のうちを覗きまわる。差し入れられた毛布を一人一枚の制限にもかかわらず、何枚も持って行ってしまう人や、炊き出しに文句つける人もいたらしい。その頃私は学齢前か小学校低学年だったから、陰で近所の人たちがひそひそ言っているのを聞いていただけのことで、実際自分が立ち会ってはいなかったけれど、戦後のまだ貧しいころだったから、今の人たちとはずいぶん違うようだった。物も食料も今のように潤沢ではなかったから、そんなことがあっても仕方がなかったと今なら思える。私の父は超お人よしだった。雨が降って川の水かさが増すと隣近所から電話がかかってきて、見回りに合羽を着て飛び出していく。うちは消防署じゃないって断ればいいのにと、いつも子供心に思っていた。その後川は大きな大きな土管が下を通って雨水を流すようになったため、ピタリと氾濫しなくなった。それも「想定外」の雨量があったらどこまで役に立つかはわからない。その貯められた雨水がマンホールから噴水のように噴出さないように祈るばかり。昨日東横線の窓から多摩川を見たら、ずいぶん水位があがっていた。河原で暮らしている人たちは大丈夫だろうか。そんなとき彼らはどうするのだろうか。避難させてくれる施設があるのだろうか。

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