2011年9月11日日曜日

発表会

昨日は音楽教室の発表会だった。護国寺の同仁教会で、今年は例年より少なめのだったけれど、それでも個人、グループ合わせて40組余りの参加者があった。それをピアノ2名、弦楽器の教師4名で伴奏をつけていく。圧巻はチャイコフスキー、メンデルスゾーンの協奏曲を弾いた男女二人の生徒。オーケストラは無理だけど、弦楽器、フルート、クラリネット、ピアノの先生たちで豪華に伴奏して、大喝采を受けていた。この二人は非常に仲がいい。大学のスキークラブで競い合っていたという。それがそのまま、今度はヴァイオリンで張り合って、お互いによきライバルとして認めあっている。ヴァイオリンの教師が3人いるので、私はヴィオラで伴奏に回った。今年はじめ、私の生徒を友人に預け、私は引退して猫を釣って暮らそうと思っていたら、もう一人の先生が体調を崩し、私はその人が戻るまで生徒を預かることになった。それでまだ発表会もお付き合いしている。ヴィオラが好きでヴィオラ弾きになりたかったので、時々ヴィオラを弾くのは悪くない。ただ、毎日弾くとなると、体への負担が多すぎて腰をいためてしまう。昨日は一日でも二日分くらい長時間だったから、ひどく疲れた。打ち上げが終わって帰る頃には、声がかすれてしまった。発表会は様々な人が出る。ほとんどが大人の一般社会の人だから、土日しか練習ができない人が多い。しかも大人になってから新しい技術を習得するのは、並大抵ではない。子供の頃からやっていて何かの事情で中断して、もう一度再チャレンジと言う人にはかなわない。だからレヴェルは種々雑多。それでも一歩ずつ上手くなっていくのを見るのは感動する。でも中にはレヴェルの低い人がどうしてもと言って身に余る曲を弾きたがることもある。そんなとき私は止めないで弾かせてみることにしている。たとえどんなに上手くなくても、かける情熱が違うから。たいてい本番は上手くいかないけれど、それで本人は少しずつ上手くなっていく。ところが、そのやり方を批判する人がいる。子供の頃から弾いているので自分は弾ける。基礎練習もちゃんとやっている。だから、他人もそうすべきである・・・。なにをかいわんや。自分だけさっさとおやりなさい。他人のことはほっときなさい。この教室はの最初の理想は「おじさんたちのオアシス」だったはず。仕事に疲れた人たちが、ここへきてホッとできる空間を作ろうというのがねらいだった。がつがつしない人がいたっていいじゃないの。どのような姿勢でも受け入れたい。むしろ、ゆったりと音楽を楽しむ風潮がなくなって、私はとても残念に思っている。上手くなるひとは偉い。でも上手くなくてもいいじゃないですか。そう思いませんか?

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