2013年8月8日木曜日

旧友たち

7人が新宿のビアホールに集まった。元同じオーケストラでほとんど同期で活動した人達。その頃の東響は一時期解散の憂き目にあって、団員の自主運営によって再建されたばかり。貧乏でひどく忙しい大変な時期を再建への希望に燃えて一緒に闘ったいわば同士達。今はそれぞれ一家をなして安定した生活を送っているが、当時のひどいスケジュールや貧乏生活を思い出すと、それでも若さと笑いに満ちていた。これもひとえにオーケストラという番外地にいたからこその幸せだったかもしれない。ふつうに一般社会だったら、収入もなく身分もあやふやなこんな人達はおそらく落ちこぼれの扱いを受けただろうに、芸術という隠れ蓑があったので多少は変でも許されたし、貧乏も勲章のようなものだった。思えば毎日毎日笑っていたような気がする。実際は青息吐息だったはずなのに、楽しいことしか思い出せない。多少は変と言ったけれど、本当のこと言うとたいそう変な人ばかりだった。常識がない奇人変人揃い。あるときには温泉宿で大騒ぎをして新聞種になり出入り禁止に。あるときには病院にお見舞いに行って、患者の枕元でくさやを焼いて酒盛りをして看護婦さんから追い出されたり。全くどうやったらこんな非常識なことができるのかわからないあきれた連中だった。それが許されるような社会で、面白いエピソードとして残っているのがおそろしい。しかもけっこうお家柄もよく、戦前なら雲の上の人なども多かったために、あまり社会的制裁も受けなかったようだ。今や行い澄まして有名音楽家になっている人も多々いる。今では考えられないような逸話の数々が残っている。今日のメンバーはどちらかと言えば常識のあるほう?かな。音楽事務所の社長や会計士、現役のパーカッショニスト、もとベルリンドイツオペラ団員で現音大教授、キリスト教の引退した修道士達のケアをしている人、こう書くとガクタイは変身も様々であざやかだと思う。頭が固まっていないから良く言えば柔軟、悪く言えばいいかげん。水のように自由で器に従う。あまりにもおかしい話が多くて書ききれないので、いつか書いてみたいとおもっています。


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