2010年11月17日水曜日

裁判員裁判

ついに死刑判決、下した裁判員の胸中はいかばかりか。自分だったらどうする?犯行の残虐さから言ったら死刑は免れないとは思った。でも、自分だったら果たして決められただろうか。被告が徐々に改悛の情を見せて変ってゆくのを見て、人情としたら死刑は言い渡せない。初めに戻って残忍なやりかたを思い出さないと、つい情が働いてしまうのは無理もないことだと思う。人がある行為をした場合、いくら後で反省しても取り返しのつかないことがある。これはその例だと思う。私の持論は後で反省しようとしまいと、やってしまった行為にたいする償いはしなければならない、と思う。それはどんなに理屈をつけようと、やられた人の方からすれば、殺されたり傷つけられたりしたことは償ってもらう権利があるということ。反省するくらいなら、初めからしなければいい。自分が殺されるのはいやなら、人も殺してはいけないことくらい、子供にだってわかるのだから。しかも、あまりにも残酷なやりかたは、反省したとしても許されないのでは?と思うけれど、もし、自分が裁判員に選ばれてしまったら、と思うとゾッとする。死刑を決めるのはやはり一種の人殺し、なんて考えたら夜も眠れなかっただろうと、今回の裁判員の方たちに同情してしまう。本当にいやな思いを生涯抱き通していかなければならないのだから。ひたすら選ばれないよう、祈ります。でも、なぜ?民間の、法律の知識も裁判の訓練も受けていない人たちに裁判をさせるのか、それが一番の疑問です。

2 件のコメント:

  1. 何冊か日本の司法について書かれた本を読むと決まって裁判官が如何に所謂「普通」の感性を持っていないのか糾弾されてます。パズルゲームを操るのはうまいが…という論調です

    私はエキスパートは多少常識に欠けていてもいいのではないかと思う方ですが(笑)、果たして裁判官にこれを当てはめてもいいものかどうかは微妙なところです
    又実際に決して多いと云えない人数で膨大な仕事を抱えているわけですから時間はかかるし判決が適切になされているかは疑問に思うところではあります

    私は民意が裁判に加わるのはいいことだと思うのですが、確かにねこたまさんが言われてるように自分だったらと思うと…
    ただ本当はそういった事にどうどうと立ち向かっていかないといけないのですね。分かっちゃいるけど♪っていうところが普通の日本っぽさなんでしょうか

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  2. 自分がその立場ならと思うと身震いします。
    しかもたった数日で結論をだすのは・・・
    普通の感性ってなんでしょうね。自分を見る限りでは、一般人ながら常識はないので、裁判官にも、普通の感性の人がいるはず。人生いろいろ、男もいろいろ、とすぐふざけたくなります。

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