2014年4月13日日曜日

ねことヴァイオリン

猫とヴァイオリンは本当に良く似合う。
だからよく猫がヴァイオリンを弾いているイラストがあるでしょう?
手がしなやかでボウイングにはぴったりのフォーム。
どこにも力が入らない理想の柔らかさ。
ヴァイオリン音楽に付きものの気まぐれさや、遊びの精神など、猫の特性とヴァイオリンは相似形。
父は戦時中は発明関係だったので戦後もなにやら開発していて、うちの廊下で電気洗濯機やポップコーン作りの器械とかの実験をしていた。
その時の同僚が結核を患い、サナトリウムに長期の入院をした。
時々家に見えていた人だから、父からその話を聞いた私たち姉妹は、彼に手紙を書いて送っていた。
それは10年ほどにも及んだ。
当時は結核と言えば死の病。
治るまで隔離されて、外には出られない。
その後、自宅に戻れたかどうかは忘れてしまったけれど、私は毎回、猫がヴァイオリンを弾いているイラストを手紙に添えていたので、彼の中では私は小学生から成長していないと思われていたようだった。
字も下手くそだったし、文章も我が家の家風のため、おふざけが多かったし。
彼からは私たち姉妹に万華鏡とか、変わったガラス細工とかがプレゼントされた。
あるとき大学に入りましたと書いたら、彼にとっては青天の霹靂だったみたいで、急に改まった返事が来て、お互いに手紙が書きにくくなってしまった。
そして暫くして彼が亡くなったと聞かされた。
私の後悔は、彼に対し、私がいつまでも子供のままでいれば良かったということ。
長い間、隔離された空間で時間が止まったままでいた人に、そとの時間の経過を知らせなければよかったかと。
我が家に来た時に、小さかった私たちにも会っていたから、そのイメージのままでいたのだと思う。
トーマス・マンの「魔の山」を読んだ時、ああ、彼もこんな風だったのだなと思った。
「魔の山」の主人公ハンスは恋もしたし、スキーに夢中になったりずいぶん活動的だが、たぶん日本のサナトリウムでそんなことが許されるワケも無かったでしょう。
同僚の娘達から来る手紙を楽しみにしていてくれたと思うのに、それが大人になっているのに気が付かず、子供の喜ぶ物や子供に対するような手紙を送っていたことを恥じたのだと思う。
最後の手紙には「失礼しました」と書かれていた。
私たちは彼からの贈り物を本当に喜んでいたのに、あちらはすごく恥じ入っているようで、私は辛かった。
大学に入ったことで、喜んでもらえるかなと思ったのが、浅はかだった。
人生後悔が付きものだけど、自分だけの事なら後悔はしない。
でも他人を辛くさせたのは残念でならない。



















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