2014年4月27日日曜日

兵士の物語

いつかは弾いてみたいと思っていた曲なのに、アンサンブルが難しかろうと今迄放置していた。
今年の音楽教室の新年会で、隣り合わせになったクラリネットの
U先生と演奏しようと盛り上がって、やっと実現する。
兵士が悪魔に魂を・・・・おや、又どこかで聴いたような。
タルティー二「悪魔のトリル」同様、あちらの方々は悪魔に魂を売る話がお好きなようだ。
悪魔に魂を売ると言うことはどういうことなのか、恐ろしいと同時に恍惚の世界が待っているのではないか。
もとよりクリスチャンでもなく、「宗教の形」を一切受け付けない私であれば、こんな世迷い言と切り捨ててしまう。
宗教家の立場なら、全ての悪事は悪魔のせいにすれば良い訳で、ずいぶん好都合なこと。
神の対岸に悪魔がいて、ただ、光と影は表裏一体だから、同時に存在しなければ意味はない。
影の無い光は薄暗い。
光の無い影はありえない。
一対であれば神も悪魔も必要。
心が光りばかりの人はいないし、影を持ち合わせていなければ、明るさは嘘になる。
神も悪魔もこの世に遍く存在するなら、同時に両方(共通項)を取り去ってもなんの支障もない。
残るのは自然のみ。
という理屈から私は特定の宗教は持たない。
私の神様は音でありモーツァルトであり大自然であり・・・
私の周りの森羅万象。
むしろ宗教の影の部分の恐ろしさは、想像を絶する。
今世界中が容認している宗教だって、その始まりには、いや、たぶん今でも、野蛮きわまる布教活動をやってきたのだから。
魔女狩りやって猫を殺してネズミが増え、ペストが大流行、なんて話を聞くと、ため息が出る。
今でもどこかで、同じような事をやっているかもしれない。
「赤毛のアン」のアンの言葉。うろ覚えだけど。
私は森の中で跪いて神様を感じるだけ。
これが本当じゃないかしら。

さて、音楽の話に戻ると、今回演奏予定のストラビンスキー作曲の「兵士の物語」はピアノ、クラリネット、ヴァイオリンのトリオバージョン。
スネア、ヴァイオリン、トロンボーン、ファゴット、トランペットetc.の7重奏編成もある。
曲が面白いので、作曲者自身がアレンジしたものかどうかは知らないが(たぶんそうでしょう)リズム的に中々手強い。
数小節毎に拍子が変わる。
4分の2拍子の次に4分の3、4分の2、8分の3、4分の2、8分の3、4分の3・・・・とくるくる変わる。
反射神経を試されているようなものだから、今の私は大丈夫かな?
若かりし頃は、どちらかというと変拍子は得意なほうだった。
オーケストラでプロコフィエフだったか、変拍子の多い曲のリハーサルで、殆どの人がわからなくなって落ちたときに、私だけしつこく弾いていたと他人から言われたことがある。
自分ではすっかり忘れてしまったが、そんな事もあったらしいから、変拍子には強い(はず)。
ま、昔の事ですから。

この曲は語りがつく。
悪魔の言葉に
今持っているものに昔持っていたものを足し合わそうとしてはいけない。
今日の自分と昔の自分、両方を持つ権利などない。

と、あるから、私も昔出来たことを今さら言っても仕様がない。
練習あるのみ、ですか。

























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