2014年4月23日水曜日

兄貴

私が未だにヴァイオリンを弾いていられるのは、兄のおかげ。
母は私が音楽の道へ進むのは絶対反対。
父はクラシックのレコードを沢山持っていたくらいだから、喜んでいたけれど。
ある日、ヴァイオリンを始めた兄の楽器を見て、私も欲しいと言ってみた。
父がすぐに澁谷の楽器屋さんに行って、買てくれたのは少し大きめの2分の1の鈴木ヴァイオリン。母は激怒。
ヴァイオリンを生まれて初めて手に取ったとき、なぜかすぐに弾けたのが不思議だった。
もちろんキラキラ星のような簡単なものだったけれど。
楽譜もすぐに読めた。
それは家にピアノがあって、自己流でバイエルからツェルニー、ブルグミューラー、ソナチネなどを一通り弾いていた。
先生にもつかず、誰からも期待されない末っ子は、好き勝手にヴァイオリンもピアノも弾いて居た。
弾きたい時に弾きたいだけ、好きなように弾く。
8才の時に兄に連れられて、歩いて10分くらいのところに住んでいるアマチュアのお兄さんに習い始めた。
私はすぐに、ヴィヴァルディの協奏曲が弾けるようになった。
末っ子の妹を可愛がってくれた当時大学生の長兄は、レッスンに通う道すがらに、色々な話をしてくれた。
その兄は電子工学の道に進んでヴァイオリンは趣味だったけれど、ちょっと科学的な話を子供にわかる様に話してくれる。
11才年上だったから、女子中学校の入学式にまで付いてきてくれた。

途中私は、5年生から2年間ヴァイオリンを弾かなかった。
中学生になったとき、兄が専門の先生を探してきてくれて、又私をそこへ連れて行ってくれた。
中学2年になったとき、私は音大附属高校を受けることを決意。
そこで自分で先生を探し、ピアノも初めて専門的に始めた。
受験曲はヴァイオリンはモーツァルトの協奏曲四番。
ピアノはモーツァルトのソナタ。
音大附属高校に入ってから、余りにもボロヴァイオリンなので、先生からなんとかしなさいといわれた時、ボーナスをはたいて楽器を買ってくれたのもこの兄。
父親が道楽者だったので、このしっかりした兄が家族の大黒柱だったようだ。
その父親に、一番似ているのが私なのですが。
父は音楽が好きで楽しいことが大好きで、近所の世話役として生涯、周りに人がいっぱい。
母は近所付き合いもあまりせず、主婦の鑑で、整理整頓、掃除の達人だったから、我が家の廊下も階段もツルツルで、私はよく階段からころげおちた。
母は女学校では優等生だったとか、几帳面で習字が上手く手先が器用。兄はこの母にそっくりで、母の自慢の息子だった。
なにをやらせても上手にこなす。
ヴァイオリンも勿論兄の方が上手いから、母は私をいじめるのにヴァイオリンを利用した。
11才も歳が離れた兄と私を比べては、嫌味を言う。
理不尽な話だけれど、それでも音大付属高校の高い月謝をなんとかして出してくれて、反対しても邪魔はしないでくれた。
それは自分が、学問の道に進みたかったのが果たせなかったので、子供には好きなことをさせてくれたのだと思う。
それに母もまんざら音楽がきらいだったわけではなく、ハイフェッツが来日したとき演奏を聴いたそうなのだ。
羨ましくて歯ぎしりしたくなる。
結局家族の助けがあって、特に兄には本当に感謝している。
兄は自分が音楽家になりたかったのだと思うけれど、長男でもあり、父が超のつくお人好しで家計が逼迫していた頃、母を助け、祖母の介護の手助けもして一家の中心となっていた。
私が中学生の頃から、兄はしょっちゅう演奏会に連れて行ってくれた。
レニングラードフィルとかN響とか。
そこでオーケストラの魅力にとりつかれるのは、アッという間だった。
私がオーケストラに入ったことで、兄への恩返しに少しでもなったかと思う。
兄は一般企業を定年退職して10年ほど、大学で講義していたけれど、それも退任した後はチェロを始めた。
今楽しそうにチェロを弾いている。
私が兄の進みたかった道を横取りしたように思って、内心すまないと思っていたけれど、あんなに楽しそうに弾くのは、プロにならなかったからではないかと思っている。


































2 件のコメント:

  1. いいお兄様ですね。自分がサポートした妹が音楽家になったこと、お兄様はすごく喜んでいらっしゃると思いますよ。そのうちご兄妹でアンサンブルなんか、いかがですか。

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  2. 兄とは子供の時によく2重奏をせがんで、やってもらいました。
    私はハモるのが好きで、それがオーケストラにつながったと思っています。
    やはり兄のおかげですね。

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