2014年4月3日木曜日

誕生日

フェイスブックから、メッセージのお知らせが沢山届いたので何事かと思ったら、今日は私の本当の誕生日だった。
みなさんからお祝いのお言葉を頂いた。
ありがとうございました。
前にも言ったように、私の誕生日は戸籍上と実際生まれた日があって、子供の時に家では毎年4月3日にお祝いをしてもらった。
戸籍上は3月、1年早く学校に入れられて苦労したけれど、
大人になればその1年があったから多少人の痛みがわかるようになったのかなと、思っている。
大人の中で育ったから知識は豊富で成績は良かったけれど、体力や運動能力がついていかない。
家の中にいるのが好きで表で遊ばなかったから、子供らしい遊びが出来ない。
学校の昼休みも1人で本を読んでいる。
それで3年生の時の内申書に「子供らしくなくて可哀相」と書かれた。
歳をとってからは「子供らしくて可哀相」かな。あはは。
親は6人も子供がいるから、多少変な子供がいるのは仕方が無いと思っていたらしい。
それでも小学生のくせに、クラシック音楽を一日中聴いて本ばかり読んでいる末っ子はどこか変だと思ったらしく、近所の子のところへ連れていかれ、遊んでやってねと頼んでいた。
私は子供はつまらないから、5分もすると家に戻ってしまう。
見つかるとうるさいから、裏庭のびわの木の枝に登ってそこに座蒲団を載せ、木陰の昼寝を楽しんだ。
目が醒めるとびわの実をもいで食べる。
お日様に当たった実は温かく、果汁が溢れて本当に美味しかった。
サルそのままの生活だった。
流れる雲を眺めて一日中ボーッとしていられたのが、今の私にとってすごく良いことだったと思う。
何かに集中することや、イメージを持つこと、なによりも美しい物を心に染み込むまで見ていられたのが、後に自分の音楽を作り出すことに役立っているのではないかと。
子供の頃から管理され、良い先生についてしっかりと基礎を学んだ人達は、先生の言う通りに弾けるから一流校に入る、私はそう言う意味では落ちこぼれ。
それでも私には枠はないから、自分の思うことがすぐにイメージ出来る。
新しい楽譜を見ると、寸時にテンポ、曲想が浮かぶ。
これもびわの木の上で、サル生活を送った賜。
惜しいことに基礎があやふやだから、中々楽器に思いが伝わらない。そこが基礎の重要なところなのだと痛感している。
今日しみじみと生まれて良かったと思う。
周りの人達に支えられて幸せに生きている。
最近自分は、周りの人達の作品に過ぎないのではと、思うことが多い。
自分1人で生きられるわけがない。
自分が頑張ったから今があるのではなく、周りの人達が私を作り上げてくれたと思うけれど、不出来なのは私の素質と努力が足りなかったせい。















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