暑い夏が始まる前、私はしきりに能登へ行きたいと思った。
しかしその頃石川県は大きな地震に見舞われたので断念、そして秋になり10月1日から高岡市新湊の曳山祭りを見に行くことになった。私は非常に周囲に感化されやすいものと思われる。自分で気がついていないうちに何かでちらっと目にしたことを自然に自分に取り込んでいることが多い。
今年北陸新幹線が福井まで伸びるので、旅行社が目の色を変えて客の呼び込みをしている、それに引っかかったらしい。北陸は今まで日が当たらない場所だった。交通手段が少ない、地味であるので都心からはおいそれと行きにくい。しかし新幹線が福井まで伸びるならかなり行きやすくなる。
それらをいつの間にか目にしていたらしく、今年は春先から蜃気楼や射水市の曳山祭りや能登半島に目の色を変えていた。その前にまだ春先、高岡市の新しく国宝に指定されたお寺も見に行っている。万葉集の記念館にも行っている。なぜか北陸が私を呼んでいるように思えてならなかった。
私の北陸好きは仕事と大いに関係があった。富山へは毎年のようにいった。美味しい行きつけのお寿司屋さんがあって、仕事が終われば仲間たちと毎日のように通った。仕事が終われば朝市でカニを自宅に送って帰宅するとすぐに食べる。魚も米も立山も何もかも好きだった。
去年から今年、私は大変つらい毎日を送っていたことはもうくだくだと言うまい。そのストレスが溜まりに溜まっていた。nekotamaの投稿も滞るほど突き詰めていた。そして時々「ああ、立山が見たい」あの真っ白にそびえ立つ立山連峰。波立つ富山湾の風景が懐かしい。
やや問題に先が見えてきた頃、蜃気楼が見たいと思って富山県人のKさんに尋ねた。蜃気楼はいつ頃出るの?そこから夏の曳山祭りの見物に繋がり、最後に能登半島巡行の話になり、私の能登半島一周の実現となった。それは前から予定されていたかのようにあっという間に実現して、その後の福井県勝山市の平泉寺に繋がった。そして長い間悩まされていた合奏団の新生の問題が見事に解決したのだった。
なにもかも予め決まっていたかのような解決になったのだ。ジグゾーパズルのピースが正しいところに収まるように。宗教的には無神論の私がやはり神様はいるという気持ちになるほどの見事な解決だった。この一連の流れを見ると私は畏敬の念に打たれる。能登の旅は私の人生の締めくくりをつけてくれたというべき出来事だった。
その能登が揺れている。家が壊れている。人が亡くなっている。あんなに明るい日差しの中で見た美しい海が荒れている。悲しみで言葉にならない。私が訪れたとき、10月のそろそろ肌寒くなろうという頃だったのに、暖かく明るかった。コスモスが咲く頃で、この次はコスモスを見に行きたいと思った。その一週間後、平泉寺を見たあとコスモスの群生に出会った。完璧!
やはり筋書きは決まっていたようだ。いつも思う。あとから考えてみるとなにもかも最初から決まっていた道を歩いてきたのだということを。ジタバタせずに静かに心の声に従えばいい。
能登だけではなく、案内をしてくださったKさんも被災者。驚いて連絡したら無事だというのでほっとした。本当に良かった。あのときの美しく穏やかな能登半島は嵐の前の静けさだったのだろうか。あのとき通った道も崩れ落ち、今はどうなっているのか。塩田の作業をしていた男性や稲刈りの人々、みなさん無事でおられるのだろうか。
私の頭の中の能登は幻の白昼夢の記憶のようにしか感じられない。しかし現実はあまりにも無惨で耐えられない。