2013年12月31日火曜日

ゆっくりするつもりだったのに

忙しかった1年が暮れてゆく。
なんだか今年はバタバタと忙しかった。
自分の歳を考えてそろそろ優雅に生活しようと思っていたのに、理想にはほど遠かった。
元々結構人見知りで(だれ?吹き出した人は)でも、これは本当なんです。
子供の頃はお客様にご挨拶が出来なくて母によく叱られた。
「こんにちは」の一言なのに、それが出ない。
他の部屋に隠れて出て行かなかった。
今では誰とでも気さくに話しが出来るようになったのは、たぶんフリーで仕事をしてきたお陰だと思う。
仕事に行けば全然知らない人ともうまくやっていかないといけないので、自然に社交的になっていったようだ。
それと基本的には人が好き、好奇心が強い。
それでたいそう面白い人生になった。
仕事が減ってひまになったと思ったら周りから勉強をするように仕向けられて、せっせとヴァイオリンを弾いているので、まだ指は良く動く。
友達はありがたい。
気が付けばまだまだ人前で演奏することが続いている。
そろそろヴァイオリンを弾くのも教えるのもやめて遊ぼうと思っていたけれど、どうやらそれはまだ先のことになりそうで、ナマケモノなんだか勤勉なんだかわからない自分がいる。
常に周りから助けてもらえる強運の持ち主らしく、いつも手を差し伸べてくれる人達がいる。
みなさん、ありがとう!
それでは良いお年をお迎えください。


















2013年12月30日月曜日

周りに合せられない人たち

年越し蕎麦とお餅を買いに生協に行った。
私が会員となっているところは車で約40分くらいかかる。
なぜそんなに遠くまで行っているのかというと、以前乗馬をやっていたとき、そのクラブの近くに生協があったから。
乗馬の帰り道そこに寄って買い物をして帰るのがいつものことだった。
クラブの近くに仕事仲間のコーラスさんがいて、そこのお肉が美味しいのでぜひ食べてみてと勧められた。
本当に美味しいお肉が買えるのですぐに会員になって以来、乗馬をやめてからも月に1回だけはお米をとりに行く。
お米も年間予約で無農薬米が買える。
その生協の姉妹店は我が家の近くにもあるけれど、富士山が見える道を少し遠出が出来るのと、近くに住んでいる人に会っておしゃべりができるのが嬉しくて未だにそこに通っている。
今日も往きは真っ白な富士山を眺めてごきげんなドライブ。
都会は今の時期ガラガラになるから、車の交通量も少ない。
ところが、こんな時に決まって居るのが、周りの車の動きに合せられない人がいて走りにくいことこの上ない。
なぜなのかわからないが、ど真ん中を他の車の迷惑も顧り見ず、ヨタヨタ走る。
いったい右に行きたいのか左に行きたいのか、判断できない。
周り中がイライラしているのがわかるので、なるべくそっと抜き去ろうとしているのに、抜かれるのはいやみたいで急に早く走ったり・・・
ウイークデイには皆同じような動きをして、混雑していてもそれなりにスムーズに走れるのに、休日で空いていてもこんな車が1台いるだけで動きがギクシャクする。
アンサンブルをやっているときにもこんな経験は良くある。
人の音を全く聴いていなかったり、テンポが違ったり。
さすがに私の友人達はそんな人はいないけれど、他で勘違いしている人はいて、合わないと人のせいにする。
そういう人が運転するとこうだろうなあと思う。
今年もおだやかに暮れて、そんなことで目くじらたてるとせっかくの良い気分が台無しになるから、気にしない!気にしない!

















2013年12月29日日曜日

忘年コンサート

「雪雀連」の恒例の忘年コンサートが会場の都合でこんな歳の瀬になってしまった。
今年はそんなわけで出席出来る人が少ない。
昨日までスキー場にいたのに、時間が余るからと言って沢山弾いて欲しいといわれた。
ひどいじゃないの、会費払ってそんなに沢山弾くなんて。
ギャラなしなのに・・・・
えっと、私ってプロじゃなかった?
いくら文句を言っても幹事のアオちゃんは「わはは」と笑うばかり。
馬耳東風、のれんに腕押しとはこのこと。
今朝、動かない指をむりやり動かしたら、古い腱鞘炎が疼く。
だましだまし動かしては休みしているうちに、暖まってきてだいぶ調子が出てきた。
昨日までスキー場で一緒だったOさんから泣きのメールが入る。
「指が回らなーい!」
これは遊びだからいいかと思っても根が真面目だから、せっせと練習する。
会場は新宿3丁目のライブハウス。
去年までの会場が今年は使えなくなったので、11月頃探しに行って気にいったものの、空きがなくて今日になった。
5時集合でリハーサルのはずが、続々とお客さんは揃ってしまい練習を全部聴かれて拍手までもらってしまった。
ピアニストはいつものメンバーが欠席のため、Oさん1人。
全部の伴奏とソロと、1人何役もこなす。
Hさんのソプラノ、男性が1人シューマン「詩人の恋」を歌い、私のヴァイオリンとKさんのヴィオラ。
Kさんは現役オーケストラプレーヤーで、古い付き合い。
よく一緒にスキーもしたのだが、オーケストラが忙しくてたまにしか会えなかった。
今年定年を迎えて再雇用契約、要するに嘱託の形で弾いている。
久しぶりにデュエットをしてもらった。
ガクタイはいい加減な生活をしているけれど、いざ楽器に関してはものすごく真面目なので、Kさんは初めて合せる曲だというので食事もせずにじっと譜面を見ている。
私は会場に入ったとたん、ビールを飲んでいるというのに。
2時間ほどでバラエティーに富んだプログラム終了。
最後に紹介された私たちの名前が「ノーギャラシスターズ」
この店は料理も飲み物も少なめで、物足りない人達がもう一度飲み直すために新宿の雑踏に出ると、どこの店も入る余地が無い。
一体どこからこんな沢山の人が出て来るのかと思うくらいの混みかたで、道の人をかき分けて歩く。
やっと確保した居酒屋の片隅で今年の〆の酒盛りをした。
ビールは発泡酒みたいな味だし、突き出しのゴマ和えは甘すぎる。
サラダは私でももう少しマシに盛りつけるほどひどい店なのに、どの部屋も大勢の人でいっぱいになっている。
五月蠅い、汚い、料理は不味い、何拍子も揃っているのにこうして新宿に店が出せるのも不思議。
ただ一つ取り柄は安いこと。
昨日までの奥志賀での優雅な生活はあっという間に消し飛んでしまった。



















2013年12月27日金曜日

遊びもたいへん

奥志賀から戻りました。
初日は快晴無風新雪、最高のスキー日和り。
のんびりと遅めの列車で行ったので、宿の奥志賀高原グランフェニックスホテルに到着したのは午後2時を回っていた。
目の前のゲレンデからリフトに乗り、足慣らしに短い初心者コースを一滑り。
2本目はもう一つ上のリフトまで乗ってから初心者用の迂回路を選んで下まで。
3本目はエキスパートコースを一気降り。
そこでリフトの営業もお終いになったので終了。
ホテルのバーに行くとすでに今回のメンバー、「雪雀連」の山田会長、同年配のSさんと彼の会社関係のKさん(女性)がカクテルを楽しんでいた。
私の連れはピアニストのOさん。
5人で食前のカクテルをいただいて、前面の大きなガラス窓からライトアップされた雪景色を見ていると、全く日常生活を忘れてしまう。
会長は毎度おなじみ「ギムレット」Oさんは「マティー二」私は「マルガリータ」
実は苦い思い出があって、ずいぶん古い話だけれどメキシコに行った時、『太陽のピラミッド』と言われるティオティワカンに上ろうという前にこの「マルガリータ」の口当たりの良さに油断して飲み過ぎて腰を抜かした。
ピラミッドを目の前にして上れなくなってしまったのだった。
その話をしながら飲んで、さて食事。
イタリアンレストランで又白ワインを少し飲んでいたら、気分が悪くなってしまった。
この数日なにかと忙しく、寝不足も続いていたために疲れもたまっていたらしい。
またしても「マルガリータ」にやられてしまった。
太陽のピラミッドの呪いかしら。
それでも次の朝もさんさんと太陽が照って、絶好のコンディション、今日は焼け額山に行くと会長が言うので起床したものの、体が重い。暴飲暴食がたたっている。
約束の時間に間に合わず、ゲレンデに出てみると他の3人は影も形もない。
Oさんと2人で後を追って出かけた。奥志賀ゲレンデから焼け額ゲレンデまでは途中廊下があって、しばらく歩かなくてはいけない。
これがきつい!
緩い登り坂のあと少し下りがあって、又緩い登りと言うように決して勾配のある坂ではないのに、下りも勾配が無いので滑ることができない。
結局全部スケーティングか手で漕ぐことになる。
体力の無い私は滑るのはいいけれど、こんなことですっかり消耗してしまう。
焼け額ゲレンデに着いても仲間の姿は無く、仕方が無いので2人で昼食を食べて奥志賀に戻ることにした。
ところがそこで今度はOさんが気分が悪くなってしまった。
彼女は北海道育ちでスキーは非常に上手い。
その彼女が突然滑れなくなってしまった。
後ろにいたはずが姿が見えないので待っていると、おそろしくふらふらといつもの彼女の颯爽とした滑りとはほど遠く、今にも倒れそうになっている。
顔色は土気色。
これは一大事なので救助を呼ぼうかと思っていたけれど、なんとかプリンスホテルまで降りたので、レストランで一休みした。
Oさんは滑れる状態では無いので、各ゲレンデを巡回しているシャトルバスに乗ろうと思ったが今出たばかりだという。
レストランの人に事情を話してタクシーを呼ぼうとしたら、タクシーはスキー場内ではひろえないという決まりだという。
結局その人が私たちのホテルに電話をしてくれて、迎えの車が来て無事帰ることが出来た。
色々な症状から、どうやらOさんは高山病ではないかと皆が言う。
私もチベットに行ったとき高山病に罹ったけれど、呼吸ができずチアノーゼ状態になって、ひどく気分が悪い。
Oさんの顔色もその時の私の顔色そっくりだったし、下に降りてきたらすっかり症状が治まったので、本当にそうだったかもしれない。
とりあえず無事で良かった。
初めの予定では、今朝、湯田中行きのバスで長野原に出て、長野電鉄で小布施で下車、そこで遊ぼうと言っていたが、雪も激しくなってきたのでおとなしく帰ることにした。
Oさんも私も遊ぶ前には片付けなければいけない用事が沢山あって、疲労がたまった状態で出かけることになる。
Oさんは私よりも10才くらい年下だけれど、12月半ばのロンドンアンサンブルのコンサートのために奔走してくれたので、疲労がたまっていたらしい。
そして明日は忘年会コンサートで出席者が少ないから、一緒に沢山弾かないといけない。
遊ぶのもそろそろ命がけとなってきたのがおかしいけれど、それでもおとなしくしていられる自信はない。




















2013年12月25日水曜日

猫が歌うジングルベル



    サンタさんは来ましたか?
 残念ですがうちは煙突がなくて・・・・
   靴下には穴があいているしにゃ~
  

2013年12月24日火曜日

犬は喜び庭かけまわり



やはり雪はワンちゃんの方がよく似合う。

2013年12月23日月曜日

猫はこたつで丸くならにゃい



猫は寒がりかと思っていたら、こんな子もいるのですね。
で、私も雪が恋しくなって、25日から志賀高原に行って
参ります。     皆様もよいクリスマスを!

2013年12月22日日曜日

クラシックパーティー

音楽教室「ルフォスタ」の今年最後のクラシックパーティーが世田谷のスタジオで開かれた。
クラシックパーティーとは、教室のクラシックの生徒たちが気楽に参加出来る家庭的なコンサートで、外部の参加者も大歓迎。
今日は今年最後のパーティーというので、参加者が多い。
時間内に終るかどうか気がもめたが、結果としては早めに終った。
会場に行ってみるとまだ人はまばらだが、制限があるので開始時間ぴったりに始まった。
いつも予想外に時間が延びるのは、セッティングが遅いから。
私はそういう立場ではないから普段は手を出さないが、今日みたいな日に伸び伸びになるといけないと思ったから、ステージマネージャーを自己任命して動き始めた。
要するに次の出演者の使う譜面台、椅子に座るか立って演奏するか、人数は何人かを把握しておいて最小限で済む手順を考えればいい。
わかる人がやるのが効率的だが、いつもはスタッフがやるから手出しはしない。
譜面台の向きや椅子の間隔などは、楽器を弾かない人にはピンとこないと思う。
チューニングにもたつく人がいると、楽器を取り上げてさっさとチューニングしてしまう。
そんなわけで、余計なお世話だと思ったけれど、たぶん今までで一番スピーディーな進行となった。
後の方の出番の人が来てみると、思いがけず自分の出番が迫っていて慌てたりしている。
今年も生徒達は皆すごく努力をして、仲間同士で切磋琢磨して実力をつけてきた。
忙しい仕事の合間を縫ってレッスンに駆けつけ、出張や残業で休みがちになるのに頑張っている。
えらいなあ。
すぐにさぼる口実を見つけては、遊びに出かける私とは大違い。
負うた子に教えられるとはこのこと。
























2013年12月21日土曜日

鎌倉霊園

今日は昨日と打って変わり、上天気。
快晴、無風、気温も高い。
今日は先日無くなった姉の納骨があり、鎌倉霊園の高台にあるお墓に行くので今日の日差しがありがたい。
お坊さんの読経とお話を聴いてから、姉の連れ合いが先に入って待っているお墓まで車で上った。
そこでお坊さんのご指導でお参りをしてからお墓の蓋を開けると、中に義兄の骨壺が入っているのが見えた。
二つの骨壺を並べると、仲の良かった2人がやっと一緒になれて、特に義兄は姉を溺愛していたから嬉しくて、壺の中でお得意の「ベサメムーチョ」を歌って居るのではないかと皆で笑い合った。
姉夫婦は高齢だったから誰もが諦めのつく年であったけれど、やはり失った私達は悲しみがわく。
少し泣き笑いだった。
無事に納骨が済むと兄弟と親族がしばらくその場を去りがたく、なんとなく景色を眺めたり、周りのお墓を見たりしている。
今日は墓のある場所から真っ白な富士山が見えた。
左手には「あれは相模湾かね?」兄が指さす方には、陽を浴びて金色に輝く海が神々しいまでに美しく見える。
生まれたときから兄弟姉妹の中でも特別な存在だった姉は、死んでからも美しい景色に囲まれて贅沢に、優しい連れ合いと2人でここに眠る。
兄弟は皆僻みもせずに、そんなものと思って居た。
姉の子供達も物静かに母親の死を受け入れて、和やかに会食も済んで帰途に就いた。
12才まで姉にだっこされて寝ていた私には、姉というより母のような存在だった。
姉の1番上の息子である甥は、姉の我儘に振り回されて今まで独身だったけれど、これから嫁を見つけようと叔母である私たち姉妹は張り切っている。
この次集まるのは**の結婚式だね、と声が上がる。
姉への最大の供養は私たちがいつでも仲良くすることだと、甥が最後の挨拶で言っていた。
目に見えないほどだが軽い障害があって生れた甥が、立派にこんな挨拶をして頼もしくなっているのも嬉しいことだった。
姉のお眼鏡に叶わず、ずっと無視され続けていた姪の連れ合いが、初めて私たちの話しに笑顔で加わってきた。
今までは姉がいると、ひっそりと部屋の片隅で無言で、それでも家族の集まりには出てくれる律儀な人なので、気の毒に思っていた。
本当に姉の我儘には誰彼と無く振り回されたが、それでも皆の「おねえちゃま」は家族の宝物。




















2013年12月20日金曜日

箱根は晴れのち雪

昨日朝、箱根に行くので、ロンドンアンサンブルのメンバーと東名高速の東京インターで待ち合わせ。
美智子さんとリチャードは私が途中で拾って、トーマスは他の人が送ってくれることになっていたのに、待てど暮らせど来ない。
その前の数日、彼は良く働いた自分へのご褒美としてお台場の高級ホテルに泊まっていた。
そこのチェックアウトが混み合っていて時間がかかり、遅れたという。
絵美さんは小田原駅で待ち合わせることにした。
少し遅れるという連絡をしたが、高速は順調に走れてほんの少しの遅れで到着した。
揃って昼食をとりコーヒーを楽しんでから、小さい車に荷物と楽器と人とギュウギュウ詰めで箱根に向かう。
箱根の入り口にある会員制の素敵なホテルが彼らの2日間の宿泊所になる。
夜は宮ノ下駅のそばのお店で、そこのご主人の作る美味しい料理を頂いて、ほろ酔い機嫌でホテルに帰った。
さすがに風がおそろしく冷たい。
各々好き勝手に過ごして眠りに就いた。
今朝は日差しが明るく良い天気となった。
豪華な朝食のあとはゆっくりとコーヒータイムを楽しむ。
イギリス人は散歩が好きだから5人揃って芦ノ湖まで出かけ、旧東海道の杉並木を通って関所跡へ。
昨日の雪が道の両脇にかなり残っている。
近くの小さなお店で寄せ木のからくり細工を見て少し買い物。
その間リチャードが行方知れずになったり、トーマスが細工の箱を開けようと悪戦苦闘したり楽しんでいたのだが、小田原に行く時間が迫った。
箱根の山道の途中で降ってきたのは細かい雪。
練習場所の小田原「けやきホール」まで彼らを送り、来年の再会を約束して私はそこでお別れした。
帰りの高速に乗っても真っ黒な雲が空を覆っていて、どんよりとした嫌な天気模様がずっと続いた。
天変地異が起きないうちに帰宅しようと思って昼食は摂らずじまいだったので、ふらふらする。
帰宅したら駐車場のノラが一声「ニャー」と挨拶をした。





















2013年12月19日木曜日

ドキドキ

昨日箱根町は沢山雪が降ったようだ。
今朝のニュースでは雪景色を見せていたので、これはもう車は無理と思った。
小田原公演でヴァイオリンを弾く志帆さんの家に電話して状況を訊いてみたら、こちらは大丈夫ですと言うから、とりあえず小田原まで車で行こう。
その先は着いてから考えようと思っていたら又電話。
今度は箱根に同行する絵美さんからで、宿泊先のホテルに訊いたら雪は積もっていないというのでほっとした。
心配だったので、訊いてもらうようにお願いしてあったけれど「大変残念でした、雪だらけです」という返事が来ると思っていたから予想に反したので嬉しい。
昨日の夜は私にしては珍しく寝付きが悪かった。
意外と心配性なので、箱根の山道にかかる辺りで急に雪が積もっていてスリップしたらどうしようとか、ギブアップしたところでタクシーが捕まらなかったら大荷物持って歩くのかなと、バカなことばかり考えて居たら、寝付くのに10分くらいかかった。
入寝するのに30分とか1時間とかかかるという人が多いのに、私の場合通常は10秒弱。ほとんど瞬時。
なにか脳に欠陥があるのではと思える程のスピードなので、一種の病気ではないかと考えて居る。
なにかで読んだのは寝付きが早すぎるのも、あまりいいことではないらしい。
友人達と旅行しても、ベッドで横になって話していると話の途中で寝てしまうらしく、返事がないから寝たのがわかったと、よく言われる。
それほど心配だったけれど今日はこれで安心して出かけられる。
私はどうやら「晴れ女」らしい。
決して「腫れ女」では・・・なくはないかにゃ?うにゃ。






2013年12月18日水曜日

雪の便り

今日は予報に依れば雪になるとか。
いつもの年だと嬉しい知らせなのに、今日は憂鬱。
これからロンドンアンサンブルが公演のために小田原に行くのだが、その前の一日を箱根で遊ぼうということになり、私が運転して連れて行くことになっている。
私は雪道の経験は一切ない。
今まで雪がハラリとでも降ろうものなら、運転を放棄していた。
彼らも楽器も並ではないので、万一つるりと滑ったらと考えると身震いがする。
はじめから雪だったら絶対に運転しないと言ってあるから、もし明日も雪なら、電車で行ってもらおうと思っている。
それでも箱根は車が無いとあちこち回るのは不便だし、楽器が保管できる場所が確保できないとトーマスは大きなチェロを背負って歩くことになる。
一昨年、箱根に遊びに行ったときにも、チェロの保管場所が見つからないので、トーマスはいつでもチェロを背に地獄谷で温泉卵を食べたりしていた。
それがかわいそうだからなるべく車で行けるように祈っている。
今回ばかりは雪は少しご遠慮をと思うのに、来週は志賀高原に初滑りに行くので、今度は雪が無いと困る。
自分の都合で良くも悪くもなるのは雪に失礼かしら。
タイヤは2日前に日産に行って雪用に履き替えてある。
最近ポールにトランク付近をぶつけて、トランクの蓋が閉まりにくくなってしまったので、ハンマーで叩いてへこみを直してとお願いしたら、場所が悪くて元のようにならないという。
「そろそろ運転も考えものね」と言ったら、いつもの日産マンが「沢山運転しているという証拠ですから、多少の傷へこみはなんのことありません」と言う。
なるほど上手く受け答えするものだ。
ナンバーワンセールスマンのそつの無いこと。
彼の良いところは車はピカピカにきれいに乗るよりも、楽しく乗って欲しいという考えなので多少の傷は気にしないでくれる。
自分でもレースやバイクをやっているので、車の命は走りにあるという考えだから、やたらに直しましょうと言わない。
かすり傷にはちょっと塗料を塗ってくれる。
先日はバンパーの大きな凹みを出しておいてくれた。
1年半以上放っておいたので、当分私が修理する気が無いことを察したらしい。












2013年12月17日火曜日

トレーニングウエア

最近筋トレをやっているのでウエアをどうするか考えた。
今まではスエットパンツに普通のTシャツをきていたのだが、汗をかくと濡れて張り付くので気持ちが悪い。
この世界全く知らないので、一体何処に何を買いにいけばいいのかわからない。
トレーナーが教えてくれたアンダーアーマーというブランドがあるというので、澁谷のお店までいってみた。
店内は明るくていかにもカラフルなトレーニング用シューズやウエアが並んでいる。
どこでもそうだけど、若い人が多い。
女性用は地下にあるので階段を降りていくと、フィッティングルームに入っている客に色々アドバイスをする店員がいる。
初めてなので何をどうそろえて良いかわからない。
それでいつもの人任せの態勢に入った。
わからないからコーディネイトしてもらう事にしたら、若い店員さんが張り切って選んでくれたのが、ピンクの長袖のアンダー、その上に黒い半袖Tシャツ、脇にピンクのストライプの入ったレギンス、そしてレギンスの上からチャコールグレイの短パンを穿くという、今風のスタイル。
今日その格好でトレーニングに行って「店員さん達から『かわいい!』って言われました」と言ったらトレーナーが「40才過ぎると皆さんどんどん地味になって、スエットパンツなんかを着るんですよね」と言うではないか。
普段も私はどちらかと言えば「若作り」だから、こういう格好も違和感がないけれど、普通は中々勇気がいるらしい。
私の家の前を通る人で、いつもキラキラしたロングスカートスタイルの女性がいる。眼鏡までキラキラ。
初めて見た時はなにこれと吃驚した。
昼間なのにその服装は無いでしょうと思ったけれど、頬紅を真っ赤に塗ってアクセサリーを目一杯付けてヨロヨロ歩くと、なにか余計年をとっているように見えて痛々しく感じた。
最近は慣れてしまったけれど。
だから私も痛々しく感じられてしまうのかなと思ったけれど、構うものか、思わば思え、どうせ奇人変人のたぐいに分類されていると思うので楽しく運動してきた。
この次はあのポップなシューズを手に入れよう。











2013年12月16日月曜日

オケ仲間

一時代前のオーケストラを今に繋ぐために頑張ってきた仲間達7人が、新宿のビアレストランに集合。
この仲間達と、古き良き時代とまでは言わないけれど、今のオケマンたちのようにサラリーマン化していなくて、薄給で遅配で恐ろしく忙しい今で言うブラック企業を楽しく盛り上げてきた。
世間的に見るとひどく苦労しているように見えたかも知れないが、何れ劣らぬ脳天気揃いだったから毎日笑いに包まれていた。
なにが面白いったって、ただただ、そこに居る人達を見ているだけで面白い。
今日も話題に上った故中木十郎さんはハンサムでダンディーでヒゲを生やし、前立てに刺繍のある真っ白な皮のコートにウエスタンブーツ、そしてなぜかトランペットを新聞紙で包んで小脇に抱え、さっそうと歩いてきた。
なぜ新聞紙?ときいたらケースが重いからと答えた。
それがすごく様になっていて、彼がするとそんなことまですべてが格好が良い。
クラリネットの故北爪さんは普段はハンサムですごく温厚な紳士なのに、一旦車のハンドルを握ると豹変する。
おそろしいスピード狂で年中警察に捕まっているのに、懲りもせず飛ばしまくっていた。
しかも運転している間は様々な罵詈雑言を周りの車に浴びせ、あきれて見ているとそれに気が付いて照れくさそうにエヘヘと首をすくめていた。
皆は親しみと尊敬を込めてズメ先生と呼んでいた。
芸大のえらい先生なのに少しも尊大な所がなく、新人のパーカッショニストがうまく行かず落ち込んでいると「今日、俺どっかうまくできたとこあるかなあ?」などととぼけて見せて、それとなく慰めてくれたそうだ。
故チンネンさんはやんごとなきお家柄なのに、初めてお目にかかった時には、キャラメルの紙一枚でお尻を拭く方法を伝授されて、度肝を抜かれた。
当時は(今も?)皆自分では言わないけれど吃驚するような家柄の良い人たちがいたので、人目も気にせずどんなことにも拘らないようなところがあった。
彼のお父様などは、帝国ホテルの調度品でも気に入ると自宅に持ち帰らせて、あとで執事がお支払いに行ったとか。
そんな人達と庶民である我々が全く対等に居られるのが音楽の世界で、一般社会の通念だったら信じられないようなお付き合いをしていた。
今はサムライ達は故人となって全体に常識的なメンバーとなってしまったが、私たちの先輩の頃にはあきれかえるようなエピソードが山のようにある。
私もしょっちゅう悪戯をしていたけれど、それを面白がったおじさん達にはずいぶん可愛がられたものだった。
今日一緒に居た仲間のうち最長老のSさんは記憶力も並外れていて、面白い話を次から次に出してくる。
皆でそれを本にしたらどうかと勧めているいるので、ご本人がその気になってくれたらお手伝いしたいと思っている。




























2013年12月14日土曜日

伝承ホールにて

今夜は「ロンドンアンサンブル」の澁谷公演。
チケットが売れすぎて早く行かないと席が取れないかも知れないと言うので、40分も前に行ってチケットをゲット。
その時点でもう行列が出来ていたから並ぼうかどうか迷ったけれど、40分も並んだら足が痛くなってしまうのでそこら辺を探索することにした。
ここに来るのは初めてなので物珍しいけれど、なんかねえ、無難と言えば無難な面白みの無い建物。
そしてコンサートが始まって最初にピアノの音が鳴ったとき、鼻が詰まったような音がしたのにはびっくりした。
美智子さんはすごく上手いピアニストだから、いつもは絶対こんな音はしない。
せっかくコンサート会場を作るなら、もう少しグレードの高いピアノを選んで出来ればフルコンがいい。
会場が小さいからと言って中途半端な物を入れるから、こんな音がしてしまうのだから。
予算の都合を言うなら、他の部分をワンランクおとせばいい。
見てくれがこの程度でも、もしすごく良いピアノが入っていたら「ほう」と言って感心されるでしょうに。
楽器のことはさておいて、会場は超満席。
ぎりぎりに来た私の知人は瀬戸際で入れてもらえたけれど、子供連れの人が入るようなブースに押し込められていた。
客席の後ろにガラス張りの隔離された部屋があって、音はスピーカーで出て来るらしい。
休憩時間に訪問すると、気楽で中々快適ですと言っていた。
私の通路を挟んで隣のエリアに居る人が、曲が始まっているのに話をやめないので、にらんでやった。
それでもやめないから「シー」っと言って唇に指をあてたらやっとやめたのだが、ずっとこちらを見ている。
おしゃべりはやめたものの、次はプログラムをカサカサいわせて身を乗り出したり、とにかく落ち着きがない。
クラシックのコンサートだからと言ってやたらに緊張して、緊張の余り咳き込んだりするのもどうかと思うけれど、1曲ずつが短いのだからその間くらいじっとしていられないものかしら。
子供じゃあるまいし。
いつもながら4人の息の合った楽しい演奏だったのに、そのおっさんのせいでわずかに残念だった。
気が散ってはいたけれど、十分楽しかったから、ま、いいか。
それにしてもヴァイオリンが絶妙なピアニシモで弾いているときにプログラムを落とす人って・・・殺意を覚える。
それとまだ余韻が消えないうちに拍手するひと・・・心の中で「死刑だ!」と叫んでいる怖いおばさんがいることを知っていただきたい。




















行方不明続出

このところ人の出入りが多くてピアノの上にあった物をかたづけ、その後一段落して必要な物を探すと色々見つからない。
これが我が家の七不思議で、この部屋からは一歩も出てないはずのものが見当たらない。
まずはハサミ。
先日使って元の場所に戻そうとしたときになにか障害があって戻せなかったので、ここに置けば絶対見つかると思う所に置いたはずが・・・覚えて居ない。
その時には覚えておけると思ったということは、さほどかけ離れた場所ではないはず。
昨日から血眼で探している。
それからある人に楽譜を送るつもりでコピーしたものを封筒に入れて、さて郵便局に行こうと思ったら・・・ない。
ピアノの上にあったのだから楽譜に紛れているとは思うけれど見当たらない。
うちではあまりお米が減らなくて、生協から契約米が届くとだぶついてしまう。
先月分をしまう場所が無くて、しばらく車に積んであった。
荷物の出入りが多いのでそれをどこかにしまった・・・はず。
ところが、そのお米の隠し場所がわからなくなってしまった。
車にはここ数日沢山の荷物が積みおろしされたから、トランクが空っぽなのはわかっている。
今朝兄からお米が届いたし、他所からも頂いたので失くなっても困りはしないが、どこかで劣化してしまうと勿体ない。
人が出入りするとかたづけるのが面倒で、ついどこかへまとめて放り込むのが全ての元凶。
普段から整理整頓しておけば何と言うことはないのに。
それが出来るのは頭の中が整理されている人で、私は脳みその半分は手前味噌だから、最もだめなのが整頓すること。
でも我が家に来た人達がよく言ってくれたのは「このうちは居心地がいいなあ」だった。
なぜかというと散らかっているからだそうだ。
はい、これこそ手前味噌でしたね。






















2013年12月13日金曜日

タマーシュ・アンドラーシュのレッスン

イギリス、ロイヤルフィルのサブコンサートマスターのタマーシュ・アンドラーシュが「ロンドンアンサンブル」のメンバーとして毎年来日している。
去年かつての私の教え子S子が、彼にレッスンをしてもらった。
その時はコンサート前の忙しい時でバタバタとしていたので、私はレッスンに立ち会えなかった。
それで今年はタマーシュに私の家に来てもらってレッスンを受けることにした。
S子は私が最初の6年間ほど教え、その後私が「この人」と見込んだY先生にお願いして6年間師事し、音大に入ってオーケストラプレーヤーを目指している。
初めは皆ソリストを夢見るものなのに、彼女は初めからオーケストラを目標にしていた。
今オーケストラに入るのは至難の業になっている。
空いた席が無い上に、募集すると30~40倍という狭き門がまっていて、おいそれとは入れない。
それならいっそソリストになるまで頑張ればと思うが、彼女の夢は最初からオーケストラで弾くことで、気持ちにぶれがない。
タマーシュは非常に温厚で良い人だが、一旦ヴァイオリンを持つと情熱の迸る素晴らしい演奏をする。
知的でありながら持って生まれたハンガリーの血が歌い出す。
演奏も素晴らしいが教え方も理論的で誠実なのだ。
S子はのみ込みが早く楽譜の初見にも強い。
かつて我が家で、無理を承知で初見曲をバンバン弾かせた効果があったようだ。
今日の曲はプロコフィエフ「協奏曲1番」
一ヶ月で譜読みは出来て結構様になっていたけれど、やはり言われることは音楽の構成力が弱いということ。
表情のつけ方が浅いというか、全体がのっぺりしていて表情が変わらない。
タマーシュの助言は
自分がオーケストラとの関係でどんな役割なのか知ること。
気持ちの切り替えが少なすぎる、はっきりと聞き手にわかる様に表情を変えなさい。
そして、楽譜を眺めてアナリーゼすること等々いわれる。

S子の技術はかなり高水準なのでそれは心配ない。
まだ若いから無理も無いが、なにもかも力で弾きすぎる。
タマーシュがお手本で弾いてきかせてくれると、曲が全く違う様相を見せて生き生きしてくる。
それに答えて彼女も素早く反応して、最後にはとても良くなった。
子供の頃から私が彼女に問いかけたのは、この曲を、あるいはこの部分を貴女はどのように感じ、どのように弾きたいのかということ。
それに対し彼女は「わかんなーい」可愛らしく答えた。
「時々すごく悲しくて、わーんって泣きたくなるようなことがあるでしょう?」と言えばニコニコして「なーい」
こんな風に弾いてみたらとサンプルを出すこともたまにはあったけれど、それでは考える力が無くなってしまうので、しかもだんだん私そっくりになってきたので、それはやめた。
そして今相変わらずそのことをタマーシュにも指摘されて、子供の時から一緒だねと笑ってしまった。
それでも彼の質問にちゃんと答えているのをみると、成長したなあと目を細めてしまう。
親ばかならぬ教師ばかです。
レッスンの後はメンバー全員集まって、私のまずい料理でワインを飲むと、ガクタイ丸出しの彼らは陽気に騒いで帰っていった。
中でもタマーシュは黙々と危険な料理を美味しそうに食べてくれた。
お腹こわしてないといいけど。
































2013年12月12日木曜日

オレオレ詐欺だあ

電話がかかってきた。
受話器を取ると「あ、**のおばあちゃん?」という声が。
確かに私の姓で私はおばあちゃんだけど、そんな風に私を呼ぶ人は誰も居ない。
「俺、今日むさこ(武蔵小杉)の方に仕事でいくんだけどさあ」
誰だろう。親戚の誰彼を思い浮かべても、こんな口の利き方をするヤツは思いつかない。
私の家は東横線沿線ではあるが(むさこ)ではないし・・・・
甥と声が似ているけれど、仕事場は横浜だし・・・・
「どなた様?」と訊いたらいきなり電話が切れた。
そこでやっと気が付いたのは「オレオレ詐欺」
いつもオレオレ詐欺のことを耳にすると、うちにかかってきたら少しからかってやろうと思っていたのに、いざ本当になるととっさに出来ないものなのだ。
よし、この次はしばらくお相手をしてみよう。
大体こんなチンピラ風の口の利き方ではうちの親族とはみとめないから、詐欺をしようと思ったら勉強して出直してらっしゃいと、お尻を蹴飛ばしたくなる。
日がな一日他人様をだまして美味い汁を吸おうとこんなことばかりやっていて、むなしくならないのだろうか。
しかも、年老いた人達がだまされてどれほど悲しいか、孫や子供のためと必死で貯めたお金を出した後どんなに困るか、親戚中から怒られて小さくなっているお年寄りの姿が想像できないのか。
バカモノどもが!貧しくともまっとうに生きればどれほど
清々しい気持ちでいられるか考えてみなさい。
初めはおもしろがっていたけれど、だんだん腹が立ってきた。
でも、引っかかる方も自分の子供や孫達の声を聞き分けられないのが不思議だなあ。
ちょっとした言い回しや、声のトーンでわかりそうなものなのにと思うのですが。








2013年12月10日火曜日

疑ぐり深い

今日の天気は不気味だった。
雷、雹、突発的な強風。
夕方買い物に出て信号待ちをしていたら、暗くてよく見えないけれど地面に黒いものが横たわっている。
おやと思って近づいてよく見ると年配の女性がが倒れていた。
驚いて「どうされましたか」と訊くと「風が吹いて転んだら立てなくなって」と言うので慌てて起こそうとした。
私もドッコイドッコイの年齢だから、両手を持って起こそうと思ってもそう簡単には起こせない。
周りを見ると自転車に乗った男の人が来たので助けを求めた。
するとその人ともう1人の男性が助けてくれて、ようやく女性は立ち上がった。
その頃には野次馬が10人ほど周りに集まって、中でもやかましいオバはんが「あそこのマンションの人よね、そうでしょう?
さっき往きがけにもあったわよね」と何回も言っている。
なぜか得意げな口調。
なんの役にも立たないのに、騒ぐだけのこんな人はよくいる。
さっき助けてくれた男の人が抱きかかえるようにして連れて行ったので「お願いします」と声をかけた。
でもその人は初めから一言も口をきかないし、女性に家の所在も訊かないので少し怪しんでしまった。
無言で連れて行くので、大丈夫かしら、変な人では無いでしょうね、途中で貴重品を持って行かれたりしないだろうか・・・
疑い深いのは私の性格で、それなら最後まで付いて行けばいいのにそれをしないで後で後悔する。
今ちょっと心配して、やはり私も付いて行けば良かったと思っている。
私もああなるのは決して遠い将来ではないから、こんな時助けてもらってもきっと拒否するだろう。
可愛くない年寄りだから。
ただ風に吹かれただけで倒れるようにはなりたくないので、今はせっせと筋トレをしている。
近所のジムに週一回通って、けっこうハードなプログラムをこなす。
元々運動はスキー以外は全く苦手で、家に居れば日がな一日パソコンでゲームかヴァイオリンを弾いているか、この二つのことしかやらない。
ウオーキングも最近は殆どせず、専ら筋トレをしているのだけれど、これはたいそう気に入っている。
トレーナーが付いていて、ちゃんとした運動をさせてもらえるので、今までいかにムダに運動してきたかよくわかる。
鍛えたい筋肉をまんべんなく動かしていくのだが、負荷のかけ方が自己流だと少しも効き目がなかった。
正しい姿勢で目的の成果を上げるように指導してもらえる。
なぜこんなことを始めたかというと、やはり転んだ人の様にならないため、ずっときちんとした姿勢が保てるようにインナーマスルを鍛えるため。
年をとると皆運動をやめてしまう。
今更と思うのでしょうが、年をとったら意識的に運動をして筋肉をつけていかないと、風で転ぶようになってしまう。
それに1番の効果は、汗をかくと気分が爽快になること。
みなさんもおためしあれ。



























2013年12月9日月曜日

足裏みがき。

あるとき友人とプールサイドにいると、その人が「わー、きれいな足の裏ね」と言ってくれたことがあった。
その頃は私は「自分の体の中ではここが1番きれいなの」と自慢するほどすべすべの足裏をしていた。
つるりんと桜色をしていて、我ながら中々だと思って居た。
ところがその後、外反母趾から来るゆがみで重心がずれていたからか、左足に魚の目ができてしまった。
魚の目というのは気持ちの悪い物で、核があってその周りが硬い皮膚になってしまう。
薬をつけてようやく治りかけたのに、注意書きに書いてある無理に核をはがさないと言うのを無視した。
薬でふにゃふにゃした周りの皮膚をむりやり剥がしたら天罰覿面、そのあと化膿して異常に硬い角質となってしまった。
ちょうど500円玉くらいの範囲が角質に覆われて、他の生き物がとりついたようで気持ちが悪い。
電動の角質削りやお風呂で軽石を使ったりしても手に負えない。
私の唯一きれいな所がなくなってしまった。
最近ネットで見つけたのが1時間薬液に足をつけておくと、1週間後に角質が剥がれてくるという物。
半信半疑で買ってみたら、なんと効き目は抜群。
これで使うのは2回目。
5~6日目位から足の裏がものすごい勢いで剥けてきた。
あれほど手に負えなかったカチカチの角質が、今はもう殆ど剥けてスベスベが戻ってきた。ばんざーい!
恐るべしネットの力。
最近エステで背中を見せていたら、エステティシャンが「ほんっとにきれいな背中ですね」と褒めてくれた。
他人様に見せられないところばかりきれいでも、肝心の1番表にある顔が残念だとねえ。世の中上手くいかない。
顔は母が「かわいい」と世界でただ1人褒めてくれていた。
不細工で不憫な娘に、悲しい思いをさせないように言ってくれたのだが、姉妹はそうはいかない。
先日亡くなった姉などは私を膝に載せてズケズケと「あんたはね、大きくなったら整形で鼻を高くしなさい。そうすればお嫁にいけるから」なんてはっきり言ってくれたものだった。
美人だった姉も寄る年波で、魔女みたいになってしまった。
私はいつまでもきれいなおばあちゃんでいたいから、もう少し頑張って足裏を磨いておこうとおもっている。
せめて裏だけでも。














2013年12月8日日曜日

小田部ひろのさんの夢を見た

今年は私の出番はないけれど、いつもこの時期にロンドンアンサンブルの小田原公演に参加していたので、そろそろだなあという気になっていたせいか小田原にいかなくてはという夢を見た。
しかし乗り物がない。
すると誰かがこれに乗っていけと言って、スーツケース大の透明な乗り物を持ってきてくれた。
上ががま口のように開いて、下にキャスターがついている。
エンジンがないからこれでは何日もかかってしまうと呆然としていたら、暗い食堂の様なところに長いテーブルが置いてあって、
そこに小田部さんがこちらを見てニコニコしている。
そこだけ明るくて、キラキラと輝くような微笑は生前そのまま。
エキゾチックな美貌の持ち主で、多くの人を魅了してきた。
向かい合わせに座って話をしようとしたところで、大音声で鳴くたまさぶろうにじゃまされた。
目が醒めるとたまさぶろうと2匹の猫が、めしよこせコールをかしましく喚いていた。
せっかく会えたのに少し話がしたかった。
私が彼女の夢を見たのはこれが初めて。
20年ほど前に彼女が音楽教室「ルフォスタ」を始める時も一緒だった。喧嘩しながらもずっと一緒だった。
西湘フィルを立ち上げる時に様々な困難があって、その都度相談やら演奏に参加していたこともだいぶ前になってしまった。
私は最近はトレーナーもやめて演奏会の時にエキストラで参加するだけになってしまったので、彼女はなにか私に言いたいことがあるのではないかと思った。
もう少し協力して下さいとかなんとか。
もう私はどんどん活動範囲を狭めているところで、体力・気力共に衰えを感じているから、これ以上の活動はむり。
それとも早くこちらに来て一緒に演奏しましょうよと誘われているのかなとも考えた。
又一緒にアンサンブルをしましょうね、小田部さん。
西湘フィルは頑張っているようだし、着々と実績を積み重ねていますよ。
最近人の生き死ににはあまり感情的にならなくなってきているのに、小田部さんを思い出す時だけはいつも涙が溢れる。
あれほど生きたがっていたのに。
自分で作ってしまうほど、オーケストラをやりたかったのに。
なにか事があると少し鼻にかかった声で「これどうしたらいいでしょうか」って相談にきてくれた。
私を頼りにしてたから、私もできるだけ相談に乗るようにしていた。あまり役に立たなかったけれど。
なにを言いにきたのかなあ。話がしたい。

















2013年12月7日土曜日

モーツアルトもびっくり



3匹のスフィンクスたちが途中までは完璧に曲にあっているのに、途中で反逆者が出て終ってしまうのは、いかにも猫らしい。

雀百まで踊り忘れず

昨日に弾き続きR・シュトラウスの「ソナタ」をOさん邸で弾いてきた。
今日はOさんの生徒さんの勉強会で音大出身の人達だろうから、もうプロとして活躍している人もいると思うので、とてもうまい。
演奏中なので無断でOさんの居間に入り込み、楽器を出して練習を始めた。
昨日よりは楽器も鳴っているようだ。曲の初っぱなの所を繰り返し練習した。
なんと言っても1番怖いのは曲の立ち上がり。
これが上手くいかないとその後しばらく引きずってしまうので、これをなんとか上手くいかせたい。
ある時、レーピンのリサイタルで1曲目がこの曲だった。
あの天才が見事に音程を外したのが、この曲の初めの部分。
信じられない思いでショックを受けた。
彼のような超一流の演奏家でもそんなことがあるとは・・・・
勘違いをしたか、緊張で指が滑ったのか。
ただ、その後は見事な演奏で、1番難しい最後のピアノとの掛け合いも完璧だった。
今日の私たちはかなり集中力があって、なんとか難しい部分も切り抜けて、まあまあの出来かな?
自分で言うと嘘っぽくなるけれど、弾いていて十分楽しめたし、なにがあってもなんとかつじつま合わせが出来て、特にOさんは音色がこの曲にあっていると思うので、シュトラウスらしさが出せたと思う。
この難曲に付き合わせて時々悪かったかしらと思ったが、どんな風に歌っても上手くカバーしてもらえる様になって、本当に楽しく演奏出来たことは大きな収穫と言える。
まだまだ私たちいけるかな?
毎年、もう来年は弾けないだろうと思いながら早くもたいそうな年となってしまったのに、こんなに挑戦が続くとは思いも寄らなかった。
しかし多少しんどいことは確か。
それを上回る喜びがあるので、未だにやめられないのは「業」ですかね。赤い靴を履いちまったね。




















2013年12月6日金曜日

今年最後の「弾く会」

数年前から始まったピアニスト3人ヴィオラ・ヴァイオリン各1人、最近はソプラノも加わっての勉強会も今年は今日で最後、来年からも継続する約束をして今日は忘年会のはずが忙しい人も居るので来年の新年会に持ち越された。
今日は喉を痛めてしばらく歌うのをひかえていたソプラノのMさんも日本歌曲を歌った。
かつてオペラで数々のプリマドンナを務めた彼女が本気になったのは訳があって、介護施設に入っている彼女のお母様が彼女の歌を聴きたがっているというので、来年に入ったら私たちでおしかけて演奏するから。
彼女の歌の伴奏をする他に、ピアノソロ、弦楽器のソロを交えてのプログラムになる。
いつもケアハウスでやっているボランティアと同じ。
私の母は私がヴァイオリンを弾くことを生涯反対していたから(堅気の仕事では無いと思っていた)ついに一度もコンサートには来てもらえなかった。
一度くらい聴いてくれてもよさそうなものなのに、母の心中では楽器を弾いて職業になるなんてことは絶対に認められなかったようだ。
死ぬ間際まで「もうヴァイオリンはやめなさい」と言っていたから、本当にやくざモノだと思っていたに違いない。
だから娘の歌を楽しみにしてくれるお母さんなんて、私から見たら後光がさして見える。
そのくせ私の母は女学生時代にかのハイフェッツを聴きに行ったことがあると自慢していた。
あるいは、私の練習を聴いていて、これは到底モノにはならないと思ったからかも知れない。
まさかハイフェッツと比べたりしていないでしょうね。
今日はピアニストのOさんの家が会場。
Oさんの家は広くて素敵な調度品に溢れているが、住む人も減ってしまったので減築することになった。
今年の夏はその工事が入っていてOさんは忙しかったにもかかわらず、私の希望のR・シュトラウス「ソナタ」に付き合わされてヘトヘトになっていた。
やっと工事が終ったところで今日の会となった。
明日も又、Oさんの古くからのお弟子さん達が集まっての勉強会でシュトラウスを弾くことになっている。
シュトラウスの若き日の作品だから未熟な点もあるかと思うが、私はこの情熱の赴くままにたっぷりと歌うことのできる作品が、なによりも好き。
ヴァイオリンの技術の粋をあつめ、かつ世紀末の爛熟した和声を表現し始めたシュトラウスに感謝したい。
あまりの弾きにくさにピアニストのOさんはこの曲を嫌っていたけれど、いつの間にか文句を言わなくなった。
やれやれ、やっとこの曲の良さがわかってくれたのか・・・それとも諦めたのか・・・・

















2013年12月4日水曜日

ロンドンアンサンブルがやってきた。


毎年この季節のロンドンから来日している「ロンドンアンサンブル」は元BBCオーケストラのフルート奏者のリチャード、その奥さんのピアニストの美智子さん、ヴァイオリンはハンガリー人の名手タマーシュ、そしてチェロは今ヨーロッパでチェリストとしても指揮者としても大活躍のトーマスの4人。
去年と一昨年はヴィオラが入っていたのだが、今年はヴィオラ抜きの編成なのでタマーシュの奥さんのジェ二ファは来ない。
従って私もジェニファが帰ったあと、ジェニファの代りに小田原公演だけ弾いていたヴィオラのご用がなくなってしまった。
今朝トーマスから成田に着いたと電話があった。
そこから成田エクスプレスで我が家の近くの駅まで到着したのを拾って、彼の宿泊先のマンションまで送って行った。
彼は元気いっぱいで、今年1年間でベートーヴェンのシンフォニー全曲の指揮をしたとか、第九が素晴らしかったとか、この次はチャイコフスキー5番とブラームス4番を指揮するとかすごく生き生きと話すのでこちらもうれしくなってしまう。
日本は日差しが明るくて気持ちがいいと大喜びしている。
今頃の季節のイギリスはとても寒くて暗いそうで、この日本の気持ちの良い季節に彼らが来て嬉しそうにしているのを見るのを、毎年楽しみにしている。
明日は我が家のレッスン室で彼らが練習し、家主である私は澁谷へ仕事で行ってしまうので練習が聴けないのが残念だけれど、コンサート会場で初めて聴く方が新鮮でいいかもしれない。
お気が向かれましたら彼らの演奏を聴いてあげてください。
とても楽しいコンサートですから。










2013年12月3日火曜日

ぬくぬくにゃ~その2,同じ画像です。

前回の「ぬくぬくにゃ~」の画像が見えなかった
     という方がいらっしゃったので改めて
         写真を揚げてみました。
      前回見えなかった方はこちらでどうぞ。


2013年12月1日日曜日

ぬくぬくにゃ~

早すぎる忘年会

12月に入ったところで音楽教室の弦楽アンサンブルの指導にでかけたら、今日は今年最後の練習なので忘年会をします、と言われた。
ひえっ!ぼ、忘年会?もう?
少し早すぎるのではと思ったけれど、今日終ると仕事の都合でしばらく四国に行ってしまう人も居るので、歓送会を兼ねて行うというので参加することにした。
数ヶ月で戻って来るそうだから悲しいという訳ではないけれど、少し寂しくなる。
後楽園駅のすぐそばにあるもんじゃ焼きのお店が毎年の馴染み。
講師は何人か交代で指導しているのに、宴会があるのはなぜか私の番の時。
そういう巡り合わせなのか、教室の事務が気をきかせてそうするのかわからないが、愉しく飲んできた。
私も周りから若い若いとおだてられているけれど、実は尻尾が9本もある古い化け猫なのでかなり体力は落ちている。
色々な仕事も今年限りにしようかなあなんて考えて居るが、なんだかんだ言っても若い人達と遊ぶのが好き。
特にこの弦楽アンサンブルのメンバーは陽気で一生懸命なところがいい。
練習中ぎゅうぎゅう私に絞られて、いい加減嫌になるかと思うと次回も喜々として集まってくる。
練習が終ると毎回連れだって飲みに行くそうなので、それで皆の仲がいいのかしら。
ただでさえ最近のもの忘れが激しいのに、忘年会をしてしまったらこのさき12月いっぱいの事はすべて忘れてしまいそう。
もう一度忘年会をしようと言うことで、それを回避するように計ってみたけれど、そのことすら忘れそう。
来年はどんな年になるかなんて、忘年会をやったお陰でもう考えてしまった。