2019年12月31日火曜日

来年のことを言うと猫が笑う

もうひとつ寝るとお正月。
お正月にはタコたべて、こまねずみのように働いて~早く鯉鯉お正月♫

私達のスキー仲間「雪雀連」の連中はつまらない冗談が好き。

タコが浜辺でうつらうつらしていました。
そこに猫がやってきて、タコの手足を7本食べてしまいました。
気がついたタコは浜辺を慌てて逃げ海の中へ。
沖に出たタコは猫に仕返しをしようとします。
波の上から猫に向かって手招きをします。
「おいでおいで、海は気持ちがいいよ」
すると猫は「その手は食わない」

こんなつまらない冗談で、何回も何分間も笑っていられるおかしな人達。
タコをフランス語で何と言う?
「アシハポーン」
ではイカは?
「アシジュポーン」
「ポ」の発音は鼻に抜けるようにするとそれらしく聞こえます。

クリスマス前にひいた風邪がなかなか治らず、ついに病院をハシゴすることに。
最初の耳鼻科では風邪は治ったものの、咳が止まらず新しい薬をもらった。
小康状態だったのについ数日前の明け方、咳が止まらずこれは大変。
耳鼻科の医師が「もしかしたら内科に行ったら良いかもしれない」とつぶやいたのを耳ざとく聞きつけて、次の日呼吸器内科を訪れた。
殆どの病院の今年最後の診察日、急がないと万一肺炎だったときに大変だあ!と、ネットで探した初めての病院。

隣町の新しい病院で、まだそれほど患者も多くなく、受付も看護スタッフもキビキビとしてサクサクと問診が進む。
上出来!
医師の診察の順番が来た頃には必要な病状確認はあらかた済んでいて、先生は若くてハンサム!上々出来!

レントゲンの映像を見ると肺はきれい。
でも咳が治まらないと言ったらアレルギーの一種、咳喘息ではないかと言われる。
喘息!恐ろしい。
検査のための吸入薬と錠剤と渡されて、今試験期間中。
咳は時々起きる程度に軽減したから、このままじっとしていればすぐに治ると思うけれど、2日から寒い志賀高原へ行くのでどうかな。
空気のいいところなら寒さはあまり関係ない。

それよりアレルギーって?
まさか猫アレルギーなら判明しても無視するっきゃない。
今まで花粉症以外、アレルギーの自覚はなかった。
ハウスダストかもしれない。
今、寒いのに窓を開け放して外気を入れている。

来年は特にモーツァルトの予定が多くて嬉しい年になりそう。
喘息などになってたまるか。

今年一年、あまりにも転ぶことが多くて、これから脚力と体力の強化をしないといけない。
何回もころんだわりには怪我は鼻の下だけ。
もう少しだけ演奏していたいから、神様とモーツァルトさまお願いします。
モーツァルトを弾くたびに、幸せになれるのですよ。
来年は、ソナタ全曲、ピアノ四重奏曲、もしかするとディヴェルティメント17番も。
どうやらモーツァルトにとりつかれた1年になりそうで、今からワクワクです。







































2019年12月26日木曜日

とんでもないことに

先日自転車を見せびらかしに行ってころんだお転婆さんに、またしても苦難が襲いかかる。
そのときコンクリートの道路で左脇を打った。
けれど、大したことはないとたかを括ってしばらくしたら、風邪をひいた。
咳がひどくなったけれど、それはなんとか収まってと思っていたら、ここ数日遊び歩いたので、咳がひどくなってその都度左脇の痛みがひどくなって、ああ、もう、どこもかしこも痛い。
特に左の胸の下に痛みが走る。
どうやら肋骨に達してしまったらしい。
明日又病院へいかないといけない。

一度行き始めると病院は、すぐに身近なものになる。
これはいけません。
それで最近の自分の行動を見ると、因果応報、天罰覿面という四文字熟語が浮かんでくる。
大体いい年してなんでも面白がって飛びつくから、時として自分の行動のキャパシティーを超えてしまう。
あくせくして注意力散漫になる。

自転車を買ったからといって見せびらかしに行くなどとは、浅はかなこと子供並み。
交差点で脇から出てきた人に驚いて転ぶなんて。
風邪をひいて少し良くなったと思って、あちこち動き回ってこじらせる。
どの行動を見ても、これがいい大人のやることかと呆れ果てる。

こうなるともう反省の日々。
もし肋骨がどうかなっていたら、スキーに行っていられないでしょう。
せっかく新しい板を買って、ウエアまで新しくして・・・
新幹線のチケットも用意済み。
スキーはとっくに志賀高原のホテルに送り込んである。
それも間違えて宿泊しない方のホテルに。

とにかく横になるときが辛い。
左側が痛いから、右側を下にして寝ようとするけれど、時々咳が出て非常に痛い。
そこから起き上がろうとすると、えらく大変。
まず右側を下にして右肘をついて体を起こす。
そこでしばらく考える。
そのままズリズリと下半身を胸の方へ寄せていくと、やっと起き上がれる体勢になる。
最後に一番痛いのを我慢!
我慢できる子えらい子。

旅行用のトランクを引っ掻き回していろいろな薬を探しだした。
まず、皮膚から吸収する型の痛み止めを見つけた。
マスクに湿度を与えるパッドも。
この2つは役に立ちそう。
そろそろ痛み止めが効いてきても良さそうなのに、一向に痛みはおさまらない。
その上、咳が又ひどくなってきた。

そろそろいい加減におとなしくしなさいという神の啓示?
さっき「いためどめ」「いたみどめ」「いたみどみ」「いためどみ」さあ、どれが正解だかわからなくなって、笑った。
こうしてだんだんと寝たきりになるのかと思うと、暗澹たる気持ちになる。
明後日、昔の生徒ちゃんと遊びに行く約束だったけれど、それもキャンセルかな。
何をするのも体力勝負。
来年は体力つくりに励もうと誓ったnekotamaでありました。











2019年12月25日水曜日

ケーキ・ラッシュ

ケーキがだぶついてきた。
一人暮らしで甘いもの食べるとすぐ太るから、滅多に食べないけれど、クリスマスといえばケーキでしょう。

先日は都内某所のマンションに夕飯をお呼ばれして、女3人でまったりと豚しゃぶ。
ネギ、豆腐、しいたけに豚肉などを黒酢と大根おろしで頂いた。
私が風邪気味であまり食欲が無いので、あっさりとしたものをというリクエストに応じての献立。
いつもお客さんの多いお宅の広いリビングで3人だから、普通の家にあったら大きすぎるテーブルも小さく見える。
それぞれ体調に問題を抱えているから、アルコールなしの家庭的な食事になった。
そしてデザートはクリスマスの季節に付き物のシュトーレン。
ここの家主さんのお友達のお手製だそうで。

ドイツのごっついシュトーレンは皮も中身も固めだけれど、これを作った人はそれを一層洗練させてというか美味しくアレンジして、甘さ控え目でサクサクとした食感でいくらでも食べられそうなのが危険極まる。
薄く切ってホイップクリームをかけて出されると、ついおかわり!と言いたくなる。
今回は風邪のおかげで今ひとつ食い意地が鈍化していたのに、2枚食べた。
薄く切ると大食いしないと思うかもしれないけれど、これは逆で、もう少しもう少しと際限なく食べて、気がつくとまるごと食べてしまったということになりかねない。
すでに記憶力も抑制力も弱くなっているから。
「あなた、もう3枚目ですよ」「え、私?まだ食べていませんよ」「いえね、あなたが3枚目だと言ったんですよ」「なにお~!」てな具合に。
ケーキの入る別腹はもたれないようになっている。

昨日はルースさんの作ったイギリスのクリスマスケーキを頂いた。
彼女は歯の治療の真っ最中。
せっかく作ったのに自分は食べられないと、渋面。
なんだか目の周りが腫れているようで、せっかくのこの季節に美味しいものが食べられないのは、そりゃあ悲劇だわ。
こちらは果物がたくさん入ったしっとりしたケーキ。
マジパンが上にかかっているので、本当に甘い。
それを包装紙の隙間からちょっとずつちぎって試食。
これはシュトーレンよりもカロリー高めで、もっと危険。
一気に全部食べてしまったほうが良いかもしれない。

今日は、毎月同じ日時に同じ美容室に通う友人と一緒に食べる、今年最後のランチ。
五反田の駅近く、そのへんは食べ物屋さんだらけなのに、あまり美味しいものにありつけない。
私はここ数日鍋焼きうどんに憧れている。
寒いときは鍋焼き、名古屋で食べた味噌煮込みうどんなどが頭に浮かぶ。
今日はぜひ、うどん屋さんでランチといきたいけれど、相棒がなんというか。

そして、家にはもう一つシュトーレンがある。
シュトーレンは長持ちするケーキだから、あと2ヶ月くらいは持ちこたえると思うけれど、なかなか一人では食べ切れない。
かと言って、他の人にはあげたくない。
突然ケチになる。
チョコレートの大きな箱が手つかずになっている。
これも食べてはいけないという警告音が脳内に鳴り響いているのに、誰かにあげるという選択肢はない。
毎日一つずつ、食べすぎないようにと思う。
これだけの大きさなら1ヶ月は保つという計算。
しかし、人生計算通りにいかないもので、あら?と思った頃に箱は空っぽ。
せいぜい、2週間?保つかなあ。

私には甘い餌は与えないでくださいとここで宣言!
でもその2行下には
甘いものには目がありませんと、書いてある顔が。

今年も暮れる。
元生徒たちからお誘いが来る。
そうねどこへ行きましょうか?考慮中。
便箋にびっしりときれいな字で手紙をいただく。
こういうの苦手。
なぜなら私は悪筆で返事が出せない。
でも、少しでも私のことを気にかけてくれる人がいるのは嬉しい。
孤独なクリスマスと思いきや、なかなか華やかな・・いや、鼻やかな、風邪の後遺症で鼻がグズグズなので。


























2019年12月22日日曜日

風邪とともに去りぬ

風邪は・・・というと、ほぼ治った。
あっという間に。
早い時期に治療をはじめたのと、暖かくしてじっとしていたのが良かったらしい。
時々咳が出るくらいで喉の痛みもない。
熱はあまり下がらない。
36・8度だったのが36・3度になったくらいで。
まずはめでたい!お正月も来ていないのに。

来年もお正月は喪中で、これからもたぶん毎年のように喪中が続くとおもうから、年賀状は廃止しようと思っている。
毎年一回でも消息を確かめられるから、そのための年賀状だと言うけれど。
むしろ私がまだ生きていると知って恐怖のあまり「湿疹」する人が出るといけない。
今「失神」の変換に図らずも「湿疹」と出た。

そういえば最近蕁麻疹様の皮膚疾患が頻繁に出るようになった。
下着の触れるところとか、絆創膏の跡などが赤く腫れる。
最初は内臓系の不具合が肌に出るのかと思ったけれど、先日の健診で取り立てて内蔵に問題はなさそう。
背中のホンの数センチの範囲にかゆいところがあったから、手を後ろに回してカリカリと掻いていたら、赤くなってそこだけ肌が毛羽立ってきた。
鏡で見ても体の真後ろだからよく見えないけれど、ほんの2,3センチの範囲。
それより、自分の手がまだそこまで回るということが嬉しい。
手が後ろにまわるというと他の意味もあるけれど、いくら私が凶暴でも反社会的なことはしないから大丈夫。
生きている事自体が反社会的と言われば、そのとおり。

これは年齢的なものなの?
よくコマーシャルで体がかゆいときにはなんとかを塗りましょうなんて言うのがあるけれど、全く他人事だと思っていた。
それでも体全体がかゆいわけではなくて、狭い範囲だけのことだから我慢できる。

反社会的といえば、安倍首相のさくらの会、さっきテレビで菅官房長官がでていたけれど、なんだか爬虫類みたいな目になっていた。
令和の元号発表のときには、もう少し良い顔していたのに。
安倍さんの会に反社会的な人が招待されて、それを自社の宣伝に使っていても誰もとがめられない。
いつの間にか報道も下火。
知らないで反社会的人物のパーティに呼ばれた芸人が仕事をしたら、芸人人生終わった、それってものすごく不公平。
少なくとも阿部さんが責任とって辞職するくらいのことではないの?
おかしい!
政治家はどんな事があっても風邪なんかひかないほど図々しくないとやっていけない。

風邪の報告が脇道に逸れて、腹立てると免疫力が低下するから、このへんで。
皆様もくれぐれも風邪注意です。












2019年12月21日土曜日

喉が痛い

バカは風邪を引かないと言うから安心していたら、見事にひいてしまった。
昨夜から鼻水が軽く出て、おや、湯冷めしたかなと思っていたら今朝は喉の痛みと咳、微熱あり。
体温は元々低いから、36・8度はきつい。

私の一番の弱点は喉。
喉に炎症が起きると後は一瀉千里、怒涛のように気管支炎にまで至る。
咳がなかなか治まらないのでひどく消耗するから、喉にほんの少しでも炎症が置きたら即病院へ行く。
病院嫌いで他の場所の病気はほとんど我慢して治るまでじっとしているけれど、喉だけは絶対と言っていいほど薬を飲まないと治らない。

これ以前にも書いたけど。
花粉症の季節に、喉の痛みを我慢してひどい目にあった。
仕事が忙しくて病院に行く時間がとれないので市販薬でごまかしていたら、ついに水を飲むのも呼吸まで危うくなった。
その時点でやっと近所の病院へ行った。

その病院は子供の時からのホームドクターだった。
私の家族はそこの院長先生に何度も命を救われた。
見立てが天才的だったけれど、病院はというと失礼ながらボロボロ。
その病院には設備が無いから少しでもおかしいと思えば、大きな病院へ紹介してくれて、病名も外したことがない。
金儲けなど頭にないみたいで、風邪をひいたくらいだと「暖かくして寝てなさい」と注射もしない薬も出さない。
それでも一旦怪しいと思ったら即、適切に処理してくれた。
地域の名医として知られ、先生がなくなったときに葬儀の参列者が2000人と聞いた。
眉唾ではあるけれど、それほど多かったと。
開業医で2000人ってすごくない?
その時先生が東大の医学部出身だったと初めて聞いた。

先生の息子さんはその時アメリカにある世界的に有名な大学に在籍して、循環器系の研究をしていたらしい。
呼び戻されて2代目の院長に。
しかし息子さんは専門が循環器系、開業医になるつもりがなかったと思うけれど、父親の後を次ぐことになったので最初は大変だった。

ちょうどその頃、私は先程の喉の治療に行ったというわけ。
2代目先生は私の喉を見てワッと叫んだ。
すごい腫れてますよ、一番強い抗生物質を点滴します。
それを聞いて私は嫌~な予感。
なるべくなら弱めの薬から始めてほしい。
強い抗生物質はなんの効き目もなく、ついに先生は机の上に顔を伏せて「何なんでしょうね?どうしたら治るのかなあ」
私に訊かないで、先生、医者はあなたよ。

このままだと呼吸困難になる。
先生を見限って近所の耳鼻科に行った。
そうしてやっと私は呼吸困難を脱出。
結局花粉症だからアレルギーの治療をしないといけなかったらしい。
そのへんはよくわからないけれど、耳鼻科の先生は「治らなかったでしょう、あはは」

それ以来私は風邪かなと思ったら耳鼻科に直行する。
だから耳鼻科だけは軽い症状でもすぐに行くことにしている。
今日は耳鼻科に行って「軽い鼻風邪ですね」と言われた。
インフルエンザでなくてよかった。

先程の2代目先生は私の母にいじめられていた。
「私はあなたのお父様に看取ってもらうつもりだったのに」とか色々言ったらしい。
最初はおとなしかった2代目院長は最近は随分威張っているそうだ。
やっと開業医らしくなったらしい。

姪の友人にドイツ人の女子大生がいた。
姪が短期留学でアメリカにいたときか、オーストラリアでアルバイトしながら放浪していた時期のどちらかで出会ったらしい。
その彼女がリュックを背負って日本に来た。
日本国内を旅行して姪の家に来たとき、高熱を出した。
姪が2代目先生のところに連れて行った。
先生が「え、ドイツ人?困ったなあ、僕ドイツ語出来ない」というから英語で大丈夫となだめて、診察してもらった。
そのドイツ人の女の子が帰宅して「あの人私の顔を全然見ない、顔見ないで診察できるのかしら?」
彼が留学していた超エリート大学の名前を私が教えると「信じられない」と言って大笑い。
でもドイツ女子は治って、次の目的地にリュックを背負って、でかけていった。

いつも喉が痛くなると思い出す話。
前にも何回も書いたので今度読むのが3回目なんていう方がいるかも。
でも前に読んだことなんて覚えてないでしょう?
私なら3分で忘れるから。




































風邪をひいたら

今日は姪の用事に付き合うはずだった。
目が覚めると全身に違和感。
喉が痛い、熱っぽい、咳が出る。
私の場合咳が出始めると、もうアウト。
喉が痛い段階で食い止めないと、あっという間に気管支炎になる。
このくらいなら我慢して姪の用事に付き合おうかと考えたけれど、いや、待てよ。
万一インフルエンザだと急激に症状が進む。
出先で倒れたら大変だから、まず病院へ行こう。

病院嫌いの私は唯一、喉の痛みだけは放っておかない。
喉は私のアキレス腱。
こう書くと私の喉はくるぶしにあるのかと突っ込む輩がいそうだけれど。
最大の弱点は喉にあり。
チクッと痛み始めた時点でうがいをしたり体を休めたりしないと、その後咳が続いて咳止めを飲む羽目になる。
それも長期間。
我が家の家系は丈夫で永持ち。
しかし、喉などの粘膜に問題ありらしい。

そんなわけで今日は病院へ行って吸入と薬の調合をしてもらった。
姪にはキャンセルの連絡をして一日中眠っていた。
時々目を覚まして少し食っちゃ寝、食っちゃ寝、ああ、天国じゃ。
薬を飲んでいるから咳もわずかに出るだけ。
しかし、体の左脇が咳き込むたびに痛い。

考えたらこの間自転車でコケたときに、左半分をコンクリートの歩道に打ち付けた。
その時は膝頭の擦過傷だけだと思っていたけれど、どうやらほんの僅かに肋骨にヒビが入ったかもしれない。
子供の時から運動苦手。
体育は跳び箱飛べない、逆上がり出来ないで、先生が放課後に必死で逆上がりを教えてくれたけれど、ついに出来なかった。
その運動音痴の私が冬のスポーツだけは好き。
スキーは途切れなくやっているけれど、ある時期アイスホッケーのチームにはいっていたこともある。
チームは時間的に仕事に差し障りがあってやめたけれど、スケートは時々リンクに滑りに行った。

下手くそなのにホッケーの靴を履いているから、恥ずかしかったけれど。
ある日、スケートリンクには私の他に男性が一人だけ。
かなり上手な人で、コーナリングが素敵だった。
その人の真似をして足をクロスして、とてもうまく曲がれたからいい気になった。
2回目、体の重心を傾けてもっと早いスピードで曲がろうとしたら、見事にころんだ。
その後、肋骨が痛くて笑っても咳をしても痛い。
肋骨は治療のしようがなく、放置するのみ。
痛みがなくなるまで約2ヶ月ほどかかった。

今回自転車でころんだのはそれほどダメージはなかったけれど、咳をしてみて初めて気がついた。
多少肋骨にヒビが入ったのかな。
いい年して若い頃と同じように無茶をする。
これは一種の病気だから死ぬまで治らない。
バカは死ななきゃ治らないって。
お転婆というのはこのことなんだ。

子供の頃は読書の好きなおとなしい子供だったはずだけど。
しばらくして思い出した。
子供の頃の家は、門から緩やかな長いスロープになっていた。
両側は低くなっていて、下は畑。
そこを三輪車で両足あげてフルスピードで降りて、最後のところで思いっきり転げ落ちたことを。
びっくりしたけど怪我はなく、泣こうかと思ったけれど、他に人がいなかったので泣いても無駄だから泣かなかった。
その時も怪我もなく、こうして未だにお転婆やっている。
きな臭い国に囲まれて、政治は不透明だけれど、世はこともなし。
この平和が続いてくれることを祈っていますよ。



















2019年12月20日金曜日

健診の結果

今朝からなんとなくソワソワしていたのは、先日受けた健康診断の結果を聞きに行くので。
去年から食生活が乱れ、ろくなものを食べていなかった。
筋肉を使わなかったのでよくころんだ。
電車で立っているとバランスが取れなくなった。
自宅の階段が登れない。瓶の蓋が開かない。

これだけ揃っていれば、なにかしら症状が現れないかと待ち受けていた。
しょっちゅう胃の痛みや胸焼けが起こるので、これはもう子猫の頭くらいのなにかが居座っているに違いない。
検査日から結果発表までやけに時間がかかる。
覚悟させるためかしら。

結果によっては、フランスにスキーに行くなんてとんでもないと言われるのではないか。
せめてお正月のスキーだけは、なんとか行きたい。
お正月は病院も休み。
なにか悪いところが見つかっても、なすすべはないから、ベッドで寝ているよりはスキーをやっている方がまし。
医師が止めたらそういう風に言おうと思った。

結果はすべて異常なし。
血圧と悪玉コレステロールが少し高い以外は、ほとんど範囲内。
健診当時の食生活がひどかったから、これは想定内。
血圧が高かったのに言及しても、大丈夫でしょうと言われる。
病院で計ると血圧はいつも高く出る。
良かった!
ホッと胸をなでおろした。
なんだか健診するほうがよほど体に悪いみたい。
血圧が上がろうというもの。

一先ず健康に問題なし。
ただし、脳ドックは受けなかったので、これは機会があれば受けてみようと思う。
最近、呂律が回らないことがある。
しかし、私の父もそうだったけれど、96歳まで生きた。
父親似だから脳のせいではなくて、口の構造か舌のせいか。
舌が3枚もあれば縺れるさ。
いやいや、ないって。

これでスッキリしてお正月が迎えられる。
先日義理の兄が亡くなったので、今年も喪中。
いつになったら年賀状が出せるのか。
この際年賀状を廃止する方向で考えている。

私は健康オタクではないから、健康のためだけに毎日運動に励むとか食生活に気をつけるとかはしない。
けれど、一人暮らしをするなら自立できることが最優先。
もし一人で自分のことが出来ないようなら、動物園で飼育してもらう。
珍獣の檻に入れてもらえると思う。
ゴロゴロして餌をガサッと与えられて、食べられなくなったら、ある朝静かに眠りにつく。
それで良し。
猫は最後まで自分で排泄をするためにトイレに行く。
それができなくなったらおしまい。
潔い生き方ではないか。

人間だけが、チューブに繋がれて喉から栄養を入れられても生きたいと思う。
私は去年に比べてずっと元気になった。
惨めな顔をしているときに黙ってハグをしてくれた友人たちに感謝。
じっと見守ってくださっていた方たち、来年はもっと元気になって皆さんのお力になりたい。
お金も力もないけれど。






















2019年12月19日木曜日

コーヒーフィルターの行方

昨日から買ったばかりで行方がわからなくなったコーヒーのペーパーフィルターを探していた。
新しく買ったばかりでフィルターのホルダーにギチギチつめた記憶がある。
だからあんなにいっぱいあるものが急に消えるわけがない。
仕方がないから白湯でも飲もうかとお湯を沸かす準備をしていたら、はたと気がついた。
そうだ、全部捨てたんだわ。

なんと勿体ない。
コーヒーを入れようとフィルターに手を伸ばしたらグラっとホルダーがひっくり返って、そのまま下へ落ちた。
きちっと詰まったところから1枚だけ抜き出すのに手こずった。
手抜きで片手でやったので天罰テキメン。
落ちたところが猫の飲水の入ったボウル。
流石に猫の飲水に濡れたフィルターは乾いても使えないから、全部ゴミ箱へ。
それでここ2日ばかりコーヒーをのんでいない。

最近、逆流性胃炎の軽いのに罹ってコーヒーを飲むと胸焼けすることがあるから飲まなくても問題はないけれど、毎日必ず3杯くらい飲んでいたので習慣的に飲んでしまう。
日常のアクセントになっていたのだ。
朝食で1杯、午後ヴァイオリンの練習に入る前にコーヒー、終わるとコーヒーという具合に。
夜はほとんど飲まないけれど、たまにのみたくなることもある。
やっと思い出せたので明日はフィルターを買いに行こう。

珍しく暇になってすることがないから車を走らせる。
高齢者の事故が取り沙汰されている。
高齢者はなるべく運転しないほうが良いと考える人が多いとおもうけれど、私は最近のほうが運転時間が増えた。
ヴァイオリンもそうだけど、毎日練習しないとあっという間に技術が衰える。
それは若い頃の数倍の速さで感覚が鈍くなっていく。

先日のケアハウスのコンサートのとき、会場近くのコントラバス奏者の家に寄って車を置いて、会場まではその人の車に乗せてもらった。
その家の駐車場に止める際、駐車票を車に置かないといけない。
お借りした駐車票を返し忘れて帰ってきてしまった。
今日は何も予定が無いので、返しに行くことにした。
小雨のなか、のんきにドライブ。
黄色いパパゲーノ・ノートは小気味よく走る。
ああ、北軽井沢に行きたいなあ。

取説読まないから、未だにどのボタンがなんのスイッチだかわかっていない。
未だにがソリンタンクの蓋を開けるのはどれでしたっけ?
毎日一つずつ謎が解けていく。
前に乗っていたシルフィーは使いみちのわからないボタンの多い謎だらけの車だった。
10年目に「シートベルトが頸動脈の上に来るから怖いのよね」と言ったら、メカニックがヒョイと手を伸ばしてシートベルトの位置を下げてくれた。
「これでいかがでしょうか」
なんだ、位置を変えられるんだ、もう今さら聞いても手遅れだけど。
それからすぐシルフィーとお別れした。

くるぶしが痛いから大事をとってなるべく動かさないでいたら、痛みが治らない。
痛みが軽い日と重い日があるけれど、殆ど良くならないことが1年以上続いた。
ある時、思い切ってつま先立ちで踵をつける運動をしたら、痛みが軽くなった。
それを機会に、くるぶしが痛くても動かしていたら、驚いたことにだんだん良くなってきた。
最近は痛い日でもお構いなく動かすことにした。
腕が痛いこともあったけれど、こちらは長年腕を使っているのが良い運動となってすぐに治った。
動物は文字通り動かないといかないのだと実感した。

頭も体も心もいつも動いていないと錆びついてしまう。
しかし、今日は久し振りになんの用事もない日だから思い切りテレビ見たりネットして遊んだ。
たまには罪悪感無しでサボりまくっても許してもらえるんじゃない?

明日は先日の内視鏡検査の結果がわかる日。
かなり血圧高めで胃腸障害ありで、薬飲まされそうな悪い予感。






















2019年12月18日水曜日

老婆 ローヴァーで転ける

自転車が好きで最近衝動買したのはきれいな臙脂色のローヴァー。
サドルが低いので高く調節しようと思ったけれど、がんとして留め具が動かない。
これはそれ用の器具がないと動かないらしいから、ショップに持っていこうと思っていた。

昨日のコンサートが今年最後の仕事になって、これからは休日が続く。
今朝はまず頼まれていた写真の手渡し。
もう何年も前に弾いたコンサートの写真が今頃届けられて、共演者のチェリストにわたしてほしいと言われた。
チェロ奏者のSさんは最寄り駅の踏切を挟んで住んでいる。
商店街が一方通行の上、踏切があるために車だと10分。
徒歩で20分以上。
一番便利なのは自転車。

颯爽と新しい自転車で乗り付けようとローヴァーに乗ってでかけた。
低いサドルと硬い乗り心地。
サイズが私にあわないのだ。
エッサエッサ漕いでやっと到着。
玄関先で写真を渡して、見て見てと自転車まで引っ張っていった。
可愛いでしょう?

でもねサドルが低すぎて走りにくいの。
お尻が痛くなるし。
すると、高くしましょうか?とSさん、ひょいと調節レバーを動かしてサドルを上げてくれた。
へっ!そんなに簡単に動くの?
私が動かそうとすると、もう全く動かない。
Sさんは筋肉モリモリでもないし、ごく標準的な男性だけど、こんなに簡単に動かせるのだ。
私は最近はペットボトルの蓋も開けられない。

調節してもらって走りやすくなって信号に差し掛かった。
交差点の角のブロック塀から急に女性が出てきた。
こちらは赤信号。
あちらは急いで青信号を渡ろうと小走り。
塀で遮られて見えなかったから、私は信号ギリギリまで出ていたので、あやうくぶつかる寸前で停まった。
その結果、そのまま私は車道側のコンクリートに倒れ込んだ。
膝を強打。
ほかの自転車なら回避出来たかもしれないけれど、サドルの前に車体補強のためのパイプがあるため、足があげられなかった。

転びなれているから痛さはあったけれど、そう驚きはしない。
ああ、又やっちまったなぁ~、位のことで。
転ばれた方は驚いたようで、別にぶつかったわけでもないのに立ち止まって「だいじょうぶですか」
あとから来た女性が「すぐに冷やすんですよ。今日はお風呂に入ってはだめですよ」
口は出すのに転んでいる私には手を貸してくれない。
私は偉そうに「起こしてくださいな」

これでお正月のスキーはダメかもと思ったけれど、歩けるから大丈夫。
膝を擦りむいただけで済んだ。
不思議なのはいつどんなときに転んでも、手は怪我しない。
絶対に手をつかないから。
私の友人たちもよく転ぶけど、誰も手のけがはない。
その代わり顔から落ちる。
ただでさえ****顔が・・・ねえ。

Sさんには写真の他に伝言を頼まれていた。
某家で、女性3人で鍋をする計画にご招待したいから都合を訊いてほしいと。
訊いたらその日は仕事だそうで出席できないとのこと。
もしかしたら出席者たちの名前を聞いて断ったのではないかと疑心暗鬼。
私の友人たちは女性といえども恐ろしい人が多いから。

クリスマスから年末にかけて、最近は暇。
もう少し若い頃は、年末からお正月の7日くらいまで仕事でいっぱいだった。
だからおせち料理なんて作ったこともなかった。
やっと暇になったら今度はおせち料理を作る理由がなくなった。
お正月はスキー場で過ごすことになる。
スキーもそろそろ危うくなってきて、次の楽しみをさがさないといけない。
やっぱり温泉?
私は温泉に入る趣味がないので、困った。
とりあえず、昨日買ったはずのコーヒを淹れるフィルターが見当たらないので、それを探すことに専念しよう。
フィルターには探知機のセンサーをつけていないから難航すると思うけれど。

























2019年12月17日火曜日

老婆、ローヴァーに乗る

先日見つけたきれいな自転車はイギリスのローヴァーの特許の使用許可を得て作られたものだそうで、デザインに惚れ込んでしまった。
深みのある臙脂色の塗装がいい、サドルがしっかりした革で、細身で鋲打ちがしてあってエンブレムが施されてなにもかも格好いい。
いわゆるママチャリなのに、前に付けた籠も色といい材質といいなんとも素敵。
6段変速機付き、山坂走るわけではないからこれで十分。
でも自転車はもうすでに二台持っている。
よほどの自転車好きと思われるかもしれないけれど、これも私のおっちょこちょいゆえのことなので。

ある朝、乗ろうと思ったらいつもの置き場に自転車がない!
以前盗られたことがあったから、今回もそうだと思った。
その後、新しい自転車が来た。
するとひと月ほどしてはがきが届いて、保管所に保管されているという。
さっさと諦めて盗難届も出していなかったので、取りに行ったら保管料をとられてしまった。
盗難届けを出してあれば保管料は払わなくてもいいらしい。

料金を支払って自転車の置き場に行ったら、ちゃんと鍵がかかっている。
しばらくウンウン唸って考えた。
鍵がかかっているということは、もしかして自分でどこかに置き忘れたのかもしれない。
なけなしの脳みそをフル回転。
おぼろげな記憶によれば・・・果物屋さんで買い物して、重たい果物をぶら下げて帰ってきたような・・・他の店をまわっているうちにわすれたか・・・
今となってはどうでもいい。

それで自転車が2台になった。
1台は物置に入れて置いたけれど、鍵をなくしてチェーンキーを使っていたらある日鍵の解除ができなくなった。
番号を忘れてトホホ。
いつもわかりやすい番号にしておくのに、何かの拍子で変わってしまったらしく、解除するにはたくさんの番号を試さないといけない。
結局は解けたけれど、なんだか面倒になってしまったので、もっぱら新しい方しか使わない。
けれど、その自転車はタイヤの空気がすぐに抜ける。
いつも自分で空気は入れないで自転車屋さんで入れてもらう。
その店で買ったのでもないのに、親切に入れてくれるから申し訳ない。

それで今回一目惚れしたのがローヴァー。
先日ホームコンサートに伺ったお宅の近所で、コンサート後に駅に向かう道で見つけた。
しばらく眺めてから店内に入った。
見せてもらうと、実は今配送が出来ないのでおもちかえりとなります、と言われた。
その分値引きがされている由。
見た目から言えばとてもお買い得。
性能は・・・・乗れればいい。
とにかく見た目が可愛いので、自分の車に積めればというわけで寸歩を測ってもらった。

自宅に帰って車の後部座席を全部フラットにしたら、なんとか入りそう。
真っ黄色なパパゲーノ・ノートに積んで帰宅した。
試乗したらなんてこった、とにかく乗りにくい。
サドルがあまりに硬くて細いのでお尻がすごーく痛い。
ハンドルは調整してもらったのに、サドルの高さを合わせてもらうのを忘れた。
サドルがやけに低いので、アメリカン・スタイルのバイクのハンドルみたいに、手が上に上がりそう。
近所を一周したらすごく疲れた。

それでもほれぼれと眺めて悦に入っている。
どうして塗装がこんなに違うのかといつも思うのは、国産車とヨーロッパ車。
私はプジョーの色が好き。
同じ色でも国産車のは薄っぺらくプジョーは深みがある。
私だけだと思っていたら、私の姪が同じ趣味なのでびっくりした。
なにもプジョーに限ったことではなく、先日ボルボの薄緑のえも言われぬ色にすっかり魅了された。
国産車にも同じような色があるのに、似て非なるものに見える。
色彩の感覚が根本的に違うのだろうか。

サドルの調整だけに買った店に行くのは面倒。
車に積み込むのも力がいる。
それでいつも空気を入れてくれる店に行こうと思うけれど、買いもしないで空気だけ入れてその上調整までしてもらうのはいくらなんでも虫が良すぎる。
けれどちょっとしたことならただでやってくれそうな人の良さそうな店の人。
やはり買ったところまでいこうかどうしようか。
思案中。

無駄な買い物したから、そのうち必要となる電動車いすは少しランクを下げないといけないかもしれない。
車椅子に乗るようなことになれば、その先お金は持っていてもしかたない。
全財産を電動車いすにつぎ込んで一文無しで終わるのも悪くない。
金ピカの電飾をつけて大きなフォーンをとりつける。
パオパオ~とフォーンを鳴らしながら全速力で疾走するのが、私の最後の夢かな。
なんだか貧相な夢だけど。
暴走族の老婆バージョン。
自転車一台でこんなに面白がる老婆も珍しいと、自分で思う。






















続 満腹

線路は続くよどこまでも~♫
毎日出かけて食べすぎてウンウン唸っている。

今日は調布市内のある団体の会員さんたちのためのコンサート。
社会に溶け込めないような精神障害や病気の人達のケアをする団体にお邪魔した。
夏の北軽井沢のコンサートのプログラムの一部をそのまま演奏することにして、ピアニストのMさんの渋谷のスタジオに集まって練習を2回重ねた。
その都度お料理上手のMさんの手料理をごちそうになった。
そして今日は本番で調布駅そばのレストランに集合。
まずは腹ごしらえ。
ランチを食べて会場に行くと、おもてなしのお茶やケーキを勧められた。
ランチでコーヒーまですっかり済んでいるので飲みたい人はだれもいない。

練習なのでとお断りするも遠慮しているととられたか、結局コーヒーが運ばれた。
練習・・特に本番前の会場練習ではお茶している気分はない。
皆ベテラン揃いだから自分のコンディションは自分で管理する。
会場の設定や音を確かめたり、やることはいっぱいあってそういう好意はありがた迷惑。
そのへんをわかってもらいたかったけれど、ご厚意は素直に受け止めないと角が立つ。
狭い控室にコーヒーなどが置いてあると、楽器とか衣装とか荷物はたくさんあるのでこぼしては大変。
困ったなあ。

たくさんの人が聴いてくださって、コンサート自体はとても楽しかった。
終演後お夕飯をどうぞ!
ランチ食べてまだそれがお腹に居座っているのに。
しかもその後、ババロアとシフォンケーキと・・・・・
逆流性胃腸障害が出てしまうから、やめてほしいのだけど。
なんとかおもてなしをしたいと思っているかもしれないけれど、私達は音が出せるのが一番のごちそう。
それ以上はいらないので、ひとつよろしくお願いします。

というわけで、この後もなにかと約束でカレンダーが黒くなっていく。
いやなら断ればいいじゃないかと思われるかもしれないけれど、やはり親しい人たちとの食事は嬉しい。
食べグセがつくと、一人でいるときにも同じように食べてしまう。
1食抜こうかと思っても時間が来るとお腹は空いていなくても口が寂しい。
ちょっとつまみたくなってしまう。

今日の共演者のYちゃん。
忙しいオーケストラで毎日夜の本番が終わってから盛大に食べて寝ていたら、肺にゴミが溜まっていると言われたという。
はじめは肺がんを疑われて検査をしたらガンは見つからなかった。
結局そのゴミのせいで数回軽い肺炎を起こしたらしい。
あな恐ろしや!
しかもそのゴミは除去できないらしい。

私は数年前に肺がんのリスクありと検診で言われたことがあった。
私もそのくちかもしれない。
昨日、夜中に目が覚めてしまって再度寝ようと思っても眠くならなかったので、ほんのひと口パンと温かい牛乳を食べた。
ものを食べると眠くなるので。
それですぐに眠れたけれど、本当は恐ろしいことをしていたのだと思った。
本番で寝不足ではいけないからと思ったのだけれど、寝不足と肺のゴミとどちらが怖いかといえば、どちらも怖い。

高齢者にとって過食が最大の敵かもしれない。
食べている最中にはまだ食べられると思っても、食べ終わってしばらくすると胸焼けがする。
消化器が弱っているのがよく分かる。
美味しいもの好き、きれいなもの好き、楽しいこと好き。
食事をセーブしないといけないなら、楽しみは半減する。
つまらんなあ。























2019年12月16日月曜日

満腹

考えてみたらこのところ、毎日食べ歩いている。
銀座で懐石料理、近所のイタリアン、葬儀の精進料理と多彩なこと。
レッスンに来た生徒と昼ごはん食べようとか、様々な理由で食べ歩く。
一人で食事はさびしい。
猫と二人では味気ない。
先日近所のイタリアンに、ちょうど来た女性を誘って行ったら、ウエイターがやけに馴れ馴れしい。
やたら話しかけてくる。

顔見知りではあるけれどそう親しく話をすることもないのにと訝っていたら、はは~ん、どうやら私の連れがお気に召したようだ。
僕なんかもう女の子は相手にしてくれないからなんとかかんとか言っているから、まだ大丈夫よと慰めてあげたけど。
きれいなうりざね顔の背の高い子は一見大人しげだけれど、人前に立つと急に異彩を放つタイプ。
高校生の時、学校の弦楽アンサンブルで指揮をするから来てくださいと言うから見に行った。
普段地味風だけれど、ステージに現れた彼女は宝塚の男役みたいで華やかだった。
むしろ普段顔立ちがはっきりしたその子の友達のほうが、地味に見えてびっくりした。

昔むかしあるところに・・・越路吹雪さんというシャンソン歌手がいた。
その人のバックで伴奏したときのこと。
練習場に現れた彼女はボサボサとした地味なおばさん。
顔色が悪くて、これがあの?とびっくりした。
本番でステージの袖に居るときまでそうだった。
しかし!ステージに出るその瞬間、急に光り輝いて、それはもう忘れられない光景だった。
いままで隠し持っていたオーラが一斉に放出されたような。
スターというのはこういうものかと思った。

最近義兄が亡くなって日曜日はお葬式。
親族が集まっての会食は、義兄に悪いけれど久し振りに会う人たちと話に花が咲く。
関西に住んでいる義妹とは何年ぶりに会うかしら。
あの小さかった義兄の子どもたちがその又子供をつれてきて、ひ孫まで来て、元気に葬儀場で走っている。
椅子から落ちて頭ぶつけて大泣きして、ああ、いいなあ。
私に子供がいたら、今頃こんな風に孫がいて・・なんて思う。
自分一人で生きるのは本当にやりたいことがやれて幸せだけれど、ふっつりとここで切れてしまうのはなんとも味気ない。
結局人はないものねだり。
どうしても人生に満足できないようになっているらしい。

数人の友人と集まっては食べ歩いているけれど、今回一人体調が悪い人がいた。
たった一人欠席だけですごく寂しくなる。
歳を取るこういうことが多くなって寂しくなるわねえ、なんぞと言いながら、お手拭きが出てくる頃には陽気に大笑いしている私達。
手の混んだ料理をむしゃむしゃ平らげて、銀座の裏通りにある紅茶専門店でお茶しておしゃべりの第2弾。
別れがたいけれど、それぞれの家に帰っていった。
家族がいないと帰りの時間も気にならないし、仕事が減って手がツルツルになって、今まで自分以外の人のためにどれほど働いていたかと思うと腹立たしい。
やはり一人がいい。

今日は久し振りでひとりランチ。
う~ん、悪くない。
でもおしゃべりしないとあっという間に食事は終わってしまう。
ほんとのところどちらが良いかわからない。
















2019年12月15日日曜日

複雑な人生です

私は兄弟が多い。
両親もその兄弟達もあらかた天国へ行ってしまったが、その分親戚も多い。
その上友達もわんさかいる。
年齢関係なく友達付き合いができるので、若い子も一緒によく遊ぶ。
彼らのパワーは我々世代とは桁違いに大きい。
それで一緒に騒ぐと翌日は疲れ切ってしまう。
一緒に飲むと、最近だらしなくなった私は翌日きつい。
二日酔いというのは体験したことがないけれど、その場で気分が悪くなることが多くなった。

なぜ二日酔いをしないかというと、飲みすぎる前に眠くなってしまうから。
今までは酔って醜態を見せることはなかった。
さいきん、それがどうも怪しい。
突然気分が悪くなって洗面所にいく。
すぐに回復するから皆気がつかないと思っていたら、生徒の中で敏感なのがいてバレてしまう。
ドアをどんどん叩かれて「だいじょうぶですかあ~」

10月頃それが続いた。
たぶん、夏の暑気あたりの後遺症。
胃腸障害が続いた。
とにかくめっぽう暑さに弱いので、最近の寒さがありがたい。
それでだいぶ元気になってきた。
でも今年はまだやたらに温かい。
冬はもう少し寒くないといけないでしょう。

何に疲れるかというと、日常生活の細々としたストレス。
鍵がみつからない。
ハズキルーペ!あんな大きな眼鏡がここ1週間ほど姿を見せない。
そして今日、気がついた。
先日ショップからスキー場のホテルに送ってもらったスキー。
気がついたらスタッフに、別のホテルの住所を教えていた。
慌てて電話したらもうすでに板は別のホテルに宿泊しているらしい。

間違えて送ってしまったホテルに電話して、お正月まで預かってもらうことになった。
のんびりと親切に「じゃあお正月に来られたときまで置いといてはどうですかあ」と言ってもらえたのでほっとした。
どうやらホテル同士は近いらしい。
持って歩ける距離かと訊いたら「大丈夫ですよ」
ほんとかなあ、重くて持てないから軽い板にしたので、私の非力さをご存じないホテルのご主人は、こんなもの持てない人がいるわけ無いと思っているのかもしれない。
とにかく1つトラブル解決でホッとした。
その間巻き込んだのは、ゆうパックの配達に関するお問い合わせの担当者とか、スキーショップのお兄さんとか数人。

鍵の探しものはセンサーを付けて音が出るようにしたおかげで随分楽になった。
けれどハズキルーペは付けていなかったのでまだ行方知れず、まだまだたくさんの捜し物であたふたする。
そのうちセンサーを何十個も買わないといけなくなる。
ジャラジャラとセンサーだらけになって、その次は探知する方の発振器もたくさん買うことになって、それをまたなくして、探すのにまたセンサー買って・・・・
悪夢だー!

果たして何個くらいセンサーを買わないといけないのか、おわかりですか?

そりゃあ、千さあ。
おあとがよろしいようで。













2019年12月10日火曜日

初めて牛を見た猫さん

面白い猫動画見つけました。
生まれてはじめて牛を見た猫さん、小さな脳味噌で一体これはなんだと必死に考えている様子が伺える。
猫はなにをやっても可愛い。

2019年12月7日土曜日

シーズン到来

横浜で初雪とか。
ワクワクする季節がやってきた。
待ちかねていたのに心配なのは、去年は1回しかスキーにいかなかったこと。
年々運動神経、バランス力、動体視力などが減衰していく中で運動を継続しないのは、体力回復を図る上で大きなロスがある。

最近では日々、体力の衰えを感じているから、今年は去年の分もがんばらないといけない。
握力や筋力全体が低下しているから、スキーを担ぐことができるかどうか、基本的なことがまず心配のタネなのだ。
一昨年、すでにゲレンデ内の移動で、自力でスキーを運ばなかった。
ずっとインストラクターが運んでくれて、少し甘やかされ過ぎとは思ったけれど、私が遅いと皆の迷惑になるからしかたない。
この運ぶということもリハビリになる気がしたけれど、もちろん楽な方が良い。
こうやって他人を使役して、ぬくぬくと人生を送ってきたそのツケは、いつか払わされるかもしれない。
その分野良猫にご奉仕しているので、それで帳消しにしていただけないでしょうかにゃあ。

愛用のクナイスルの板はたいへんすぐれもので、今では製造していない分貴重だけれど、ものすごく重いビンディングが付いている。
長年のスキー仲間たち「雪雀連」の集まりなら、お互いにマイペースを気にしない。
けれど、今年初めて他のグループに参加する。
なんだかやる気満々のグループのようで、指導員、準指、一級の有段者揃い。
おばあさんの出る幕はないかも。
それでもフランスのトロワバレーに行きたいから、潜り込んでみた。
そんな猛者の揃っている中で板が持てないと泣き言ったら、置き去りにされちまう。

それで考えたのは、板もビンディングも軽いものに替えようと。
神田のスキーショップに同行してくれたのは、マイ・インストラクター。
彼がショップと話し合って、すでに私の板は用意されていた。
なぜか私の板だけ他の人に比べて地味なのはどうしてなのか。
今使っているクナイスルは地味過ぎて目立たない。
その前に使っていたボラントというアメリカの製品はステンレスでできていて、全身キンキラでたいそう気に入っていたのに、製品に欠陥が見つかって1年で廃棄されてしまった。
その代替品が今のクナイスル。
私はキンキラが忘れられなくて、実際にものすごく切れ味の良いスキーだったから次もそれを望んだのに、インストラクターの反対でおじゃんに。

クナイスルは本当に良い板だけれど、今回選んだのは、石井スポーツが自社開発して北海道で作っているという白木のスキー。
派手な赤や黒の他のスキーに比べて一段と地味。
持ってみると、その軽さに驚いた。
それに合わせビンディングも軽いのをつけてもらうことに。
私はかなりかっ飛ぶ方だから軽さがスピードに影響しないか訊いてみたら、レースなら話は別、私ごときのヘボスキーヤーにはなんの影響もないらしい。
それにそろそろ飛ばすのはよしたほうが身のためだし。

子供のときは体育が苦手だった私が絶対にやめなかった運動は、スキーだけ。
数えてみたら56年間、滑らない年はなかった。
どんなに忙しくても必ずシーズンに一度は滑りに行った。
最近は仕事が忙しくなくなったのでもう少し行けると思ったけれど、やはり3回行くのが精一杯。
なぜか、スキーシーズンになると演奏会が増える。

板を買った勢いでウエアも探すことにした。
ヨーロッパの冬はとんでもなく寒いらしい。
日本の製品でなくヨーロッパのものを探すことにした。
見つけたのは目のさめるようなブルーのウエア。
思うのはどうして日本の製品で、こういう素敵なものができないのかと。
日本製の平板なカットと、ヨーロッパの立体的なカットでは着映えが全く違うから、普段着もイタリアものが多い。
日本人の中でも特にスタイルの悪い私が着るからがっかりだけれど、それでもデザインのおもしろさがまるで違う。

笑えるのは、ある時期着ていたイタリア製のセーター。
きれいな紫色で、なぜか前身頃が長くて後ろは普通の長さ。
頭が変なイタリアンが面白がって作ったのだと思っていた。
それも含めてたいそう気に入ってたのだけれど、数年経って気がついた。
イタリア女性の胸の大きさは前がこのくらい長くないとつんつるてんになってしまうのだと。
実際丸めたストッキングを両胸に入れてみたら、前後の長さが揃うではないか。
デザインだと思っていたのが実用性だったとは。
自分の胸の小ささを思い知らされた瞬間だった。

先日、自由が丘のショップで素敵な自転車を見つけた。
ローヴァーのデザインを使ったものだそうで、深みのある臙脂色。
ほしいけど、こんなに買い物ばかりしていたら老後の蓄えは底をつく。
電動車椅子の格好いいのを買って、元気に町中を走る資金は残しておかないと。
最近の車椅子はすごく良いものが多い。
電車に乗ってくるものを観察している。

石井スポーツで買い物をするのは、数年目。
ポイントカードを作れというから申し込んだら、その後スタッフがかわりばんこに私のところへやってきて、ニコニコする。
なぜ?しまった年がバレたか。
生年月日を読まれたらしい。
皆さん嬉しそうに話に来ては帰り、次に別の人がやってくる。
こういう店のスタッフはたいていスキーヤー。
まだ滑っている老猫がいるのが嬉しいのかも。











































2019年12月5日木曜日

素敵な高齢化

熱海でのコンサートが終了、今月はあとひとつ本番を控えているけれど、山場は超えた。
先日は音友ホールのコンサートを聴きに行った。
このホールは音楽之友社のホールではあるけれど、音友が作ったにしては音響が気に入らない。
こういう音が好きな人が中にはいるかもしれないけれど、私はどうもあまり好きではない。
やたらに高音がキンキン響くし、客席の床がフラットなので後ろの席はステージがほとんど見えない。
日本の音楽界を牛耳っている雑誌の持っているホールなのだから、もう少し良いものを作ればよかったのに。
私は口は出すけどお金は出しませんよ。
だって持っていないもの。
素人考えだけど響きが今ひとつなのは、多分ステージの背景に使ってある反響板の素材のせいではないかと思う。
見かけはとても良いのに。

ピアノはベーゼンドルファー、深沢亮子さんの演奏は久し振りに聴く。
私がオーケストラで弾いていた頃はよく協奏曲の伴奏をした。
美しい人が弾くモーツァルトはいつも素敵だった。
今はかなりのご高齢と思うけれど、相変わらず上品で美貌も健在。
プログラムの最初に彼女のバッハ。
その後は恵藤久美子、中村静香、安田謙一郎諸氏のデュオやソロなど、深沢亮子と室内楽の仲間たちと銘打ったアンサンブルはそれぞれ楽しく、ベテランぞろいのメンバーの力量を見せられた。
この方達は私とだいたい同世代。
彼らの方がほんの少しお若い。
皆さんすでに白髪になり、ステージ脇の階段が難所になるお年頃。
なのに、演奏は少しも衰えていない。
日本の音楽界も層が厚くなって、若者だけでなく高齢になっても音楽への情熱が感じられる豊かな実りの時期になったのかと嬉しく思う。

かつて、私が音楽界に船出した頃は、50歳くらいになったプレーヤーは若者に追い立てられるようにステージを去っていった。
それほど日本の音楽界は急速に発展したのだと思う。
あっという間に若い優秀なプレーヤーが輩出してきた。
その頃の日本の弦楽器界は世代交代が著しく、今回のこのコンサートの出演者たちが楽壇に躍り出て海外でも活躍、今に至ってもなおこうしてステージに立って、揺るぎない地位を確保している。
見ているだけでも素敵な光景。
殆ど皆さん後期高齢者かそれに近い。
これはすごいことです。

数日前、都内某所の邸宅の私設ホールでのホームコンサート。
シュトュットガルト室内合奏団の元メンバーである、ボグナーさんというチェリストの演奏を聴かせてもらった。
年代も私と近いか、少し若いくらい?
ヴィオリストの林徹也さんが同じ合奏団で弾いていて、ボグナーさんとはお友達。
私も日本に帰国した林さんご夫妻とは、一緒に弾いたり遊んでいただいたり、それでコンサートのお知らせをいただいた。

ボグナーさんはサンタクロースに似た、恰幅の良い優しそうな方だった。
豊かな音が心地よく、和気あいあいとした雰囲気のステージと客席。
林さんの奥様の通訳で、お話を交えてのひととき。
そこに先日の私達の青葉台のコンサートを聴いたという人がいて、またそれで「あらあら、先日はどうも」と世間は狭い。
ボグナーさんの先生のそのまた先生の先生・・・が、あの有名なポッパーだそうで、なにか急に親しみが湧く。
こうやって小さい会場で聴くコンサートは本当に楽しい。
音楽はどこで聴いても演奏しても、平和な世界を創り出す。
殺伐としたニュースの多い世の中で、こんなに素敵な世界に身を置けて、私は本当に幸せな人生だったと思う。
だったと過去形で言うけれど、もう少し身を置かせていただければ嬉しいです。