2015年12月31日木曜日

小掃除

1番苦手なことはお掃除。
1番得意なのは、食べる事。
ようするにナマケモノ。

今日は大晦日で、いくら何でも許しがたいほど汚れている階段部分のお掃除をすることにした。
我が家は小さな貸しアパートで、3階に店子さんが2所帯入っている。
先日貸し部屋のことで不動産屋さんが来た時に、ヒクヒクと鼻をうごめかせながら「ここは埃っぽいですね、1度清掃業者を入れたらどうですか」と言われた。

私だって決して手を拱いているワケではない。
「雪雀連」にビル管理会社の役員をやっている人がいて、その人にもう何年も前からお掃除その他のことをお願いしているのに「わかったわかった」と言うかけ声だけで、ちっとも来てくれない。
そのくせ飲み会になると、いそいそと出かけてくる。
「雪雀連」のメンバーに頼んだ私が悪い。
「わかったわかった」は「かんぱーい」という位の意味しかないことを痛感した。
このグループに、まともな人がいると考えた私が甘かった。

今日は暖かくお掃除にはうってつけの日和りだから、運動不足解消も兼ねて、久し振りに自分で掃除してみることにした。
まず長靴を履く。
デッキブラシとバケツを取り出して、1番上の階の踊り場に水を撒く。
そして、上からゴシゴシしながら一段ずつ降りてゆく。
これが易しそうに見えて、案外に難しい。
階段の折れ曲がった部分に溜っている埃が、取りにくい。
「君たち、ちょっとどいてくれたまえ」と言うと「ココは居心地が良くて、外はさむいし~」なんて、しぶとく居座る。

やっと下の段まで降りて、元来た道を振り返ると、お掃除の効果は目に見えて、汚い水が白い壁に飛び散って張り付いている。
ある人からスーパー・おっちょこちょいと毎度言われているから、この位のことは驚くことはない。

がっかりして、もう一度同じ作業を繰り返す。
又振り返って見ると、さっきよりも白壁のまだらは増えている。
乾けばポトリと落ちてくることを期待して、諦めた。
後で刷毛でサッサと落としていこう。

いくら水を下に流しても階段はビショビショ。
自然乾燥するには半日くらいかかりそうだけれど、もう精も根も尽きた。
管理会社の役員を当てにするのはやめた。
友人は選ばないといけない。

友人と言えば面白い話し。
ユージン・オーマンディーという指揮者がいた。
私の友人がその「ユージン」と言う名前をずっと友人だと思っていたらしい。
よくロシアなどで、同志ペトロ二コフとか言うでしょう。
それで、友人オーマンディーだと、長いこと思っていたと告白された。

これが今年最後のくだらない話し。
失礼しました。
皆さん良いお年をお迎え下さい。






















2015年12月30日水曜日

晴れのち晴れ

今日は本当にストレスのない1日だった。
年賀状もやっと出し終わった。
演奏に携わってきた身としては、こんなにノンビリしたのは学生時代以来だと思う。
学生時代はそれでも試験や学内コンサート、発表会などでかなり緊張はあったから、子供の頃以来と言ったほうが良いかもしれない。
来年の予定にハラハラするような仕事は無く、決った日に出かけることも無くなって、つかの間の休暇を味わっている。

つかの間というのは、今までの仕事をやめただけであって、ヴァイオリンの演奏は勿論続けていくから。
なにか一つの区切りのような波が来て、それでどういうふうになるかは分からないけれど、変化が始まる予感がする。

今までの自分を振り返ると、ある期間毎に時々こうして変化の時期があった。
それは自分で決めるのではなく、自然にそういう風に流れが来るので、それに任せて行動すると、大抵のことが上手く行くようだ。
流れに逆らわず、無理に努力はしない。
私は吹いてきた風にまかせて、ふんわりと流されていくのがいつものスタイル。
今回もそんな時期が来たと思ったので、生活を切り替えることにした。
切り替えてもそれほど変りはないと思うけれど、なにか始めるというのはいつでもワクワクして楽しい。

なにをするという明確なプランはないので、今の所、ヒーコラ楽器を鳴らしているしかなく、好きな曲を片っ端から弾いて楽しもうと思っている。
毎年、年末から新年にかけて、送られてきた楽譜を必死で練習していたので、これはもう天国かと思える。

それでも、こんな状態が続くのを退屈だと思っている自分もいる。
多少のストレスは有った方が良いし、ストレスの元がなくなった時の爽快感も捨てがたい。

というわけで、まだ色々騒ぎは起こしかねない。

今日は所用があって、某さんと某ショッピングセンターへぼーっと出かけた。
気持ちの良い明るい日差しで、風もなく気分も良く、うーん、最高!
あらかたの人口は田舎へ移ってしまって、師走の買い物客もあまりいない状態。
最近はお正月でもコンビニも開いているから、それほど困りはしない。
次に生協に寄ってお正月用食品をゲット、そして大型スーパーへ行くと、こちらはかなりの人出。
ここでたらふく昼ご飯を食べて、狸のお腹になって帰って来た。
夕飯の時間になっても、まだお腹が空かない。
それではせっかくだから、冬眠させてもらおう。

とりあえず来年はほんの少しダイエット、毎日の基礎練習を欠かさないことを義務付けようと思っている。
さあて、いつまで保つか、この決心。



















2015年12月29日火曜日

年賀状

もう半世紀に亘って毎年年賀状は250枚。
そろそろやめようかと思っていても、頂けば嬉しいからこちらも出した方がいいかなと、どうしてもやめられない。
中には頂いた分だけ出すという、合理的な人もいる。

それである年、思い切って100枚程度に抑えてみたけれど、結局返事を出すと毎年同じ数になる。
あわててハガキを買いにでかけたので、諦めて最初から250枚そろえることにした。
今年は気が抜けないことが沢山あって、ようやく年賀状に思い至ったのが先週の土曜日。
郵便局に行ったらお休み。

コンビニを覗いたら、おでんの鍋の下あたりに年賀ハガキが積んであった。
250枚と言ったら店員さんが困惑して、これは5枚セットなので、そんなにあるかどうかと言う。
5枚をセロファンでキッチリ束ねて売っている。
とにかく250枚なくてもあるだけちょうだい、と言って数えてもらうと、なんとか調達できた。

それでやおら書き始めた。
ここ数年ラクスルというところで印刷してもらっていたけれど、それも注文するのが遅れて、今から申し込みでは間に合わない。
それで手書きとなってしまった。

コンビニの5枚セットの年賀ハガキは、セロファンの包装があまりにもぴっちりしていて、剥がすのに苦労する。
その手間だけでも大変。
いつもの年は最後の最後まで忙しくて、書き殴るようにして間に合わせたけれど、今年は余裕があって落ち着いているから、書き損じが少ない。
でも、まだナ行の入り口にたどり着いたばかりで、こんな事しているヒマは無いけれど、nekotamaもご無沙汰するといけないので、投稿しているしだい。

友人に転居した人の住所を問い合わせているうちにお喋りが始まって長話。
挙げ句の果て、その人が教えてくれた住所の郵便番号が、その友人自身の番号で、書いてからはてな?と思って調べたら、やはり違っていた。

さて、来年はどんな年になるのか、良い年でありますようにと思いを込めて、年賀状の続きにとりかかろうと・・・
その前にコーヒーを一杯!











2015年12月26日土曜日

忘年会コンサート

今年最後のドキドキは忘年会コンサートで、歌のピアノ伴奏をすること。
ピアノは大好きで、高校時代はヴァイオリンとどちらが好きかというほど、ピアノもよく弾いていた。
なにが良いのかというと、蓋を開けるとすぐに弾けること。
ヴァイオリンのように、楽器を出すとまず調弦、それから楽器のゴキゲンを伺う。
湿気がこもっていないか、乾燥しすぎていないか、弦は傷んでいないか、弓の毛はまだ保つかしら、どこかヒビがはいっていないだろうか・・・様々な心配事が、のしかかってくる。

気むずかしくてお天気や、それが魅力でもあるけれど。
それでも選んだのはヴァイオリン。
子供の頃にレコードで聴いたハイフェッツの音に魅了されたから。
それはもう魔術のような演奏だった。

長年眠っていたピアノを練習すると、若い頃夢中になってショパンやモーツアルトを弾いたことが嘘のような気がする。
指はあちらこちらをさまよい、ミスタッチの連続。
ショパンのノクターンやマズルカなども、夢のように遠い過去になってしまった。
本当に弾いていたのかどうか。

それでもトチトチと音を拾っていくうちに、和音の魅力に取り憑かれていく。
ヴァイオリンの重音はバッハやイザイの無伴奏では当たり前に出てくるけれど、普段は単音でメロディーを弾くほうが多い。
ピアノは自分で伴奏までしてしまうので、独立できる楽器だけれど、ヴァイオリンはほとんどの場合、伴奏をつけてもらわなければならない。
そこが不自由なのだ。

歌の人なら両手が空いているから、弾き語りができる。
ヴァイオリンは腕が4本ないと、自分で伴奏までは手がまわらない。
子供の頃から音が重なって響くことに魅力を感じていたから、むしろピアノの道を選んでも良かったかもしれない。
それでも弦楽四重奏を聞くと、完璧なハーモニーには本当に感動させられる。
だから、やはりヴァイオリンを選んだのは正解かとも。

欲張りなんだなあ。

我らの「雪雀連」ようするにスキーと麻雀を楽しむ会は、会長がピアノ調律師だけあって、会員はステージ関係、音楽家も多い。
中には化学者なのに歌を歌う女史がいて、最近はますます歌の道に励んでいる。
肝心の仕事は放り出そうとしたので、まだやめないほうがいいよ、と忠告しておいた。
自分はさっさと引退宣言したくせに、なにを言うかと叱られそうだけれど。
そしてもうひとりは、この人はピアニストだから音楽家ではあるけれど、やはり畑違いの声楽に顔を突っ込んでいる。

この二人がいるから、わたしはモーツアルト「フィガロの結婚」からスザンナと伯爵夫人のロジーナが歌う「手紙の歌」が聞きたいと思った。
この曲ははじめのうちは一人ずつ交互に歌うけれど、最後のところで二重唱になる。
そこの音が重なる部分が好きでたまらない。
それでわたしが二人にリクエストをした。
ところがピアニストが歌ってしまうと、伴奏はだれが?

それでわたしが、ウン十年ぶりに人前でピアノを弾くことになった。
当日、リハーサルはうまくいったのに、本番になったらペダルは踏み間違えるは、ミスタッチはするはで、「雪雀連」の忘年会コンサートの会則を忠実に実行してしまった。

曰く

 決して上手に演奏してはならない。
 必ず一回は間違えるべし・・・等など。

そう、わたしは規則に忠実なのだ。

さんざん歌って飲んで、お開きとなってゴキゲンで5人ほど、東急線に乗ったら、いきなり車内放送。
この電車の前の電車が人身事故のため止まっているという。
この年の瀬、酔っ払ってかそれとも深い事情があってか、事故にあった人も、その電車の運転手も、気の毒でならない。

約1時間半ほど電車は動かず、その間本を読んだりうとうとしたり。
やっと帰ったらすっかり午前様。
そろそろこういう生活もやめないと。

嬉しかったのはネット上で知り合った人が馳せ参じてくれたこと。
ネットでは畑違いでも様々な人に出会える。
チロリン村から来たジュニア」を覗いてみてください。
わたしのお気に入りのサイトです。












卒業

音楽教室「ルフォスタ」は私の謂わば第二の家庭みたいなものだった。
故 小田部ひろのさんが理想の教室を目指して「おじさんたちのオアシス」を作りたいという趣旨に賛同して、仲間入りさせてもらった。
その時は講師が5人くらい?だったかしら。
生徒はほんの数人。

小田部先生の不安をよそに、教室はあっと言う間に大勢の生徒数を抱えることとなった。
勢いのあるときには、私のヴァイオリンクラスは途中で食事を摂る間も無いくらいの、盛況ぶりだった。
ヘトヘトになってレッスンを終ると、自宅にも生徒が待っていて、大急ぎで帰ってレッスンを終ると、寝る時間も短くて大変だったことを思い出す。

生徒数が増えるに従って、私はあくまでも最初の理想に拘り、緩く甘く、ゆったりとしたオアシスを目指していたけれど、教室としてはそうもいかない。
規律が厳しくなり、最初の頃のいい加減な事務処理では、様々な問題に対応できない。
そんな中で、私は絶対に生徒側に立ってしまうので、その辺が経営陣との摩擦をよんでしまう。
小田部さんとの確執も多々あって角突き合わせている中でも、私たちは結局お互いに必要としていたから、訣別することはなかった。
そんな中でも、彼女は私との信頼関係を取り戻そうと近寄ってくれて、私たちはそれからも一緒に旅行したり、新しいアマチュアオーケストラを立ち上げたりと共同作業は続いた。

そして、小田部さんは一足先に天国へ行ってしまった。
臨終のベッドの傍らで彼女の手を握って、私は号泣した。
今でもそのことを思うと、涙がこぼれる。

力が抜けてしまって、生徒は友人に託し私はやめるつもりでいたけれど、他の講師が体調を崩して、回復するまでの代講を頼まれた。
休養期間だけという約束だったけれど、復帰のめどが立たないからと言って、その後は私に任された。

ほんの数人の生徒達。
その人達は優秀で熱心で、濃いレッスンとなったのは、私の生涯の宝物となった。
この人達を半端な講師に委ねるわけにはいかないので、熟慮していたけれど、とても優秀で経験豊富で、人柄も申し分ない先生にお願いできることとなった。
そして昨日のクリスマスイブは最後のレッスン。
生徒2人とこの教室創立以来、長年に亘って通ってくれた、Tさんと4人でお別れ会をした。

まだ全部教室をやめた訳ではなく、時々他に指導する人が見付からないときだけ、アンサンブルの指導をする予定。
1月もその予定が入っているけれど、決った曜日に出かけることは無くなった。
これで、私の日時に対する勘は益々鈍ってくるかもしれない。

教室はいつも居心地良く、言いたい放題やりたい放題にさせてもらったけれど、ここいらへんでそろそろひきこもりを始めたい。
オーケストラの仕事も殆ど引き受けなくなった、というより来ないし。

長い間読めないで積んであった本を読む。
猫に寂しい思いをさせない。
お掃除も・・・あ、これは言わない方がいいかな。
ヴァイオリンをちゃんと練習する・・これも言わない方が?























2015年12月22日火曜日

ヴァイオリンの感覚

12月に入ってからはずっとヴィオラを弾いていた。
そしてロンドアンサンブルの小田原公演が終ってからは、ずっとピアノを弾いていた。
その間、私のヴァイオリンはケースにしまわれ、出番がなかった。

今度の忘年会コンサートで、3月の「古典」定期演奏会で弾くトレッリ「2つのヴァイオリンの協奏曲」を弾くことにした。
幸い一緒に弾くIさんも「雪雀連」のメンバーでスキーの達人。
忘年会に出るというから、それでは練習させてもらおうよ、というわけでの出場。
この夏に北軽井沢のコンサートでも弾かせてもらったし、何回でも人前で弾くのはすごく練習効果がある。
それでピアノばかり弾いてはいられないから、ようやくヴァイオリンを取り出して音をだしたら、なにやら様子が変。

ヴァイオリンはすっかり拗ねてしまって、涙声。
鼻の詰まったような音しか出ない。
1日弾いても出ない。
2日弾いても出ない。
3日目に漸く少しずつ鳴り始めた。

それは楽器のせいでもあるけれど、自分の手がすっかりヴィオラ仕様になってしまったのだ。
弦楽器の弓の使い方は本当に難しい。
ほんの僅かの圧力の変化や、指の力加減、身体の柔軟性などに微妙に反応するのだから。
昨日は素敵な音が出たのに、今日はもうその音が出ないなんていうことは、しょっちゅうある。
緊張して弦を強くこすってしまうと、とたんに響きがなくなる。
傍で大きな音がしても、広い会場で遠くにとどかないとか。

なんでも運動というのはそうだけど、力んだらお終い。
ヴィオラとヴァイオリンの弓の使い方は全く同じではあるけれど、ヴィオラの方が多少弓に重みがいる。
それは1番低い音の弦が少し太いのと、楽器の大きさが違うから。
楽器自体が大きいので、当然弓を置くポイントが遠くなる。
指板と駒の間の1番良く鳴る場所を探して弾くのだから、ヴィオラの方が奏者からは少し遠くなる。
その感覚が身についてしまったらしく、ヴァイオリンを弾いても、いつもの場所からほんの僅かずれているなと感じた。
その修正は音を聴いてするのだけれど、手がしばらく覚えてしまっているので、ほんの数ミリ単位でずれていたようだ。
それがやっと元に戻ったらしい。

若いうちならなんでも馬力でこなせたけれど、省エネの奏法をしないと私の年齢ではもたない。
その省エネが今のところ上手くいっているので、まだ弾いていられる。
それでも身体はどんどん柔軟さを失っていくので、手首などが硬いと感じたら、他のところで・・例えば腕全体を使う方法で補ったり。
いやはや大変です。

お正月は例年のとおり、スキー場で過ごすことになっている。
スキーは年に数回行くけれど、毎年力をどうやって抜くかが課題になっている。
正しい姿勢で正しいポイントに乗ること、これが難しい。
楽器もスポーツも究極はそれ。
私がレッスンで生徒に文句を言うけれど、スキーの先生から同じことを毎年言われているのが、腹立たしい。
スキーの先生に、今度お返しにヴァイオリンを教えましょうと言ったら、きっぱりと断られた。
身の危険を感じたらしい。

























2015年12月19日土曜日

ピアニストは挫折しそう

忘年会コンサートのための、オペラアリアの伴奏を引き受けた。
数十年ぶりのピアノ。
時々うちで生徒のために伴奏することはあっても、伴奏していると言うよりも邪魔をしているというか。
相手が先生だから生徒の方は文句も言えず、じっと耐えている。
うるさいなあ、私で練習しないでよね、とか思っているかもしれない。

アリアの伴奏は、何回練習してもミスタッチが多くて、自分の出した音にビックリして、先に進めなくなる。
これはもう諦めるべきかと思うけれど、まあ、最後まで頑張ってみよう。
本番の3日前に練習の約束をした。
伯爵夫人(もちろん役の上の)からメールが来て、練習日を指定されてOKを出しておいたのに、皆に伝わっていなかったらしい。
練習日に使わせてもらうはずのスタジオの持ち主から、ビックリ仰天したらしいメールが届いた。
私お約束していました?とかなんとか。

それにはこちらがビックリして、どうなってるの?
しばらくしたらメールが来て、私のOKを取り付けた人が、全員にそのことを伝えるのを忘れていたらしい。
私はその日、練習時間に合わせて美容院の予約をしていたので、一つスケジュールが狂うと全部ちぐはぐになってしまう。

結局予定を変更してもらったりして、全員が都合をあわせたけれど。
この先こういうことが、多くなっていくと思う。
皆危うくなってきた。
これから先はこんな事ばかり続くと思う。

私の所属している「古典音楽協会」というバロック演奏団体の平均年齢はずいぶん高いので、そのうち、まだ弾いていないのに「私はもうこの曲は弾きましたよ」とか「繰り返しはしましたっけ?」とか言い出しかねないと、皆で笑い合っている。
仲が良くて誰もやめないので一緒に歳をとってしまうから、平均年齢が若くなるという希望は持てない。
そろそろ危ないと言い始めてから、もう数十年。
今のところ、まだ大丈夫・・・だと当人達は思っている。

本当は間違えているのに、自分たちで気がつかないだけだったりするかも。

先日我が家で、ロンドンアンサンブルのヴァイオリンのタマーシュが、私の生徒にレッスンをしてくれた。
その時ヒマだったチェロのトーマスが、サンサーンス「ヴァイオリン協奏曲」のピアノ伴奏をしてくれて、あまりの上手さに皆びっくりした。
私のピアノとは雲泥の差!
初見?それでいて、生徒がニュアンスを出して少し緩めたり早めたり、そんな時にも完璧につけていく。
伴奏が全く煩くない。
生徒はこんな大物に伴奏をしてもらって、本当に幸せそうだった。
彼はヨーロッパで指揮者としても活躍中。

しかし指揮をすると、あの素晴らしいチェロの演奏がその分減ってしまうのは、惜しい。
もう1人クローン人間を作って、共演してくれれば嬉しい。




















2015年12月18日金曜日

ノンビリ

今年最後のコンサートも終り、後は「雪雀連」の忘年会コンサートを残すのみとなった。
コンサートと言っても、怪しげな会則があって、
 自分の専門を披露してはならない
 練習してはならない
 上手に演奏してはならない
 真面目に聞いてはならない
 楽譜通りに弾いてはならない などの、呆れた項目が並ぶ。

最初は会則に忠実なコンサートだったのに、巫山戯ていても根が真面目な人達。
段々本気になってきて、最近は陰でこそこそ練習するようになって、演奏も中々正統的になってきてしまった。
これを打破しようと立ち上がったのが、この私。
今年はピアニストとして、オペラのアリアの伴奏をすることにした。

うん十年ぶりに弾くピアノ。
楽譜は難なく読めるけれど、毎日弾いていないから指がヒットしない。
隣の音に触れてしまったり、オクターブ間違えたり、すったもんだしている。
果して今度の練習までに間に合うのか。

曲はモーツァルト「ドン・ジョバンニ」より「手を取り合って」
ドン・ジョバンニの誘惑に負けそうになるツェルリーナとドン・ジョバンニの二重唱。
もう一曲、「フィガロの結婚」から「手紙の二重唱」
夫の浮気に悩む伯爵夫人と、知恵を貸す小間使いのスザンナの二重唱。
これは私からのリクエスト。

両方とも伴奏はたいして難しくないけれど、なんと言っても数十年の間、弾いていなかったピアノなので、ミスタッチの連続。
うちのピアノは調律師は一流なのに、私が叩くのは生徒がヴァイオリンを調弦する時のA音(ラ)のみなのだ。
ロンドンアンサンブルの練習で、素敵な曲を奏でてもらって、さぞピアノも喜んでいることと思う。

初めて弾いた時には、どこの音域か忘れてオクターブ下から始めてしまった。
しかしピアノは良い。
音程だけは確保される。
本番は25日だから、後1週間ある。
それまでに鼻歌まじりに弾けるようになるかどうか。

すっかり遊びのモードに切り替わったので、本当は今日から志賀高原にスキーに行くつもりでいた。
ところがこの暖冬で、雪は無さそうだし、疲れが出ているしで諦めて家に居ることにした。
ピアノの練習が出来る。

久しぶりにノンビリ出来たと思ったら、自分から忙しくしているのだから、これは業としか言いようがない。
結局ストレスが無い生活なんて、泡のないビールみたいなもので、苦労があってこその楽しみ。
傍目には少しも苦労がないように見えるでしょうが、これで中々私にも苦労はあるのですよ。
なにが苦労かというと、今すぐには思い当たらないけれど、少なくとも周りの人が苦労しているのは確か。
あはは、すまない!











2015年12月17日木曜日

ヴィオラ弾きの夢

今から30年程前、私はヴィオラの音色に取り憑かれていて、本当にヴィオラ奏者になりたいと思っていた。
その頃、ヴィオラ曲の初演演奏の依頼があって、それが超難曲。
毎日四苦八苦して譜読みに追われていた。
無伴奏のすてきな曲だったけれど、あまりの難しさに2ヶ月かかりっきりで練習した。
練習の甲斐あって、本番はなんとか上手くいった。
しかし楽器の大きさから腰痛に見舞われて、ヴィオラ弾きの夢は断念。

その後はヴィオラの仕事は殆ど断って、楽器はひっそりと部屋の片隅に放置された。
その頃私はヴィオラを3台持っていた。
それで1つは売り払い、新しいヴァイオリンの支払いに充てた。
けれど、後の2つはなんとなくとってあり、一つは人に貸して、もう一つは今でも時々使っている。

なぜヴィオラかというと、まずその音の魅力。
人の声なら女性のアルトにあたる、中間の音域。
楽器がヴァイオリンより大きいので、深みのあるやさしい響きがする。
人の心を包み込むような、おおらかさ。
安らぎを感じる。

以前、神奈川県が県内在住又は県出身の演奏家を集めて、オーケストラのコンサートを開いたことがあった。
指揮者はヤマカズこと故山田一雄さん。
このことはもう3回くらい、このnekotamaに書いているけれど。

神奈川県出身か在住の音楽家は多くて、あっという間に超リッチなオーケストラが出来上がった。
日本の音楽界の頂点にいる人達が集まって、何故かその片隅にヴィオラ奏者として私が混じったのは、なにかの間違い。
ヴィオラも日本を代表するメンバーばかりで、私は恐縮しながらも楽しく演奏した。

とにかく大御所ばかりだったので、県側としても非常に気をつかったとみえて、曲ごとにメンバーの配置移動があって、トップ毎メンバーが入れ替わった。

一曲終る度に全体がゴソゴソと場所を入れ替わる中で、ヴィオラパートだけは悠然と居座って、トップ以外誰も立とうとしない。
「いいよね、ここで」なんてノンビリ言いながら。
私はそういうのがたまらなく好き。
ずぼら、いい加減、良く言えば我が道を行く。
ヴィオラという楽器の特性が良く表れている。

最近になって、ヴィオラが以前より楽に弾けるようになったことに気がついた。
身体の大きさは年々歳をとって小さくなっていく。
手も小さく、指は節々が関節炎で痛い。
それなのにヴィオラを何時間弾いても、あまり疲れない。
弓を力任せにこすらなくなったら、響きが増えて楽器が良く鳴るようになった。

今回のロンドンアンサンブルのコンサートでは「エニグマ」が特に難しかったけれど、今まで弾いた中で1番楽に弾けた。
これは、トーマスの素晴らしいチェロの音に助けられた部分が、多々あると思うけれど。
ベートーヴェンのピアノ四重奏曲の中には、ヴィオラのためのバリエーションが1曲ある。
モーツアルトの「フルート4重奏曲」にもヴィオラのヴァリエーションがあった。
ヴィオラはいつも陰に回っているので、そんな時には、急に脚光を浴びる。
それで今回のプログラムはヴィオラの出番が非常に多く、皆さんのお耳にとまったらしい。
時々肩が抜けそうになっても、演奏自体は以前よりずっと楽。
仕事が減って、身体が楽になったのが影響しているかも知れないけれど、これは嬉しい。
ヒマになった分、ヴァイオリンだけでなくヴィオラの曲にも挑戦できる。
この歳になって、こんなすてきな贈り物が待っていてくれたとは。

まずは先日トーマスが弾いたドヴォルザーク「チェロ協奏曲」をヴィオラ用に編曲した楽譜が手元にあるので、それに挑戦してみようと思う。
ヴィオラはそれ自身用に作曲された曲は少なく、チェロやヴァイオリンの曲を無理してオクターブ上げ下げしながら、弾かなければならないのが、少し可哀相。

私は小柄で、本来ヴィオラを弾くのは無理なはずなので、少しでも身体が拒否したらすぐにやめないといけない。
そういうリスクを冒しても、有り余るほどの魅力がヴィオラにはある。













2015年12月16日水曜日

お別れ

ロンドンアンサンブルのレギュラーメンバーは、14日の横浜公演が最後。
ヴァイオリンのタマーシュとヴィオラのジェ二ファは、次の室内楽公演のために、イギリスに帰国した。
そして、小田原でのコンサートのために残った、チェリストのトーマスは明日、日本を離れてしまう。
彼はイギリスでのエルガー「エニグマ変奏曲」のオーケストラの指揮を控えていて、大きなスコアを演奏会の合間に覗いては絶えず勉強をしている。
大きな身体と人懐こい笑顔の陰には、とてつもない努力が隠されている。
陽気で大食漢で楽天的と思われがちだが、私たちは人一倍気をつかう繊細な彼を見て、ああでなければここまでは来られなかったと思う。
演奏会で少しのミスでもあれば、演奏会後にその箇所を納得のいくまで練習し直す。

世界の名だたる音楽家との親交がありながら、飾らない人柄が私の様な無名の音楽家とも気さくに交流してくれる。
それもこれも、美智子さんやリチャードとの友情のため。
練習の時の彼は厳しく、おそろしく耳が良く隅々までスコアが頭に入っているので、どこをどう間違えてもすぐにわかってしまう。

来日して以来、千葉や九州などで地方公演。
東京文化会館小ホール、横浜美術館まではロンドンアンサンブルの正規のメンバー、小田原では私たちも同じプログラムで演奏。
だから、練習も二重になる。

これがどれほど大変な事か。
連日のコンサートでは、いくらタフな彼らでも消耗する。

本当に疲れると思うので、彼らがいる間はなんとか快適に過ごして欲しいと思う。
どこへ行っても大歓迎されるのも、嬉しい反面、楽ではないはず。
その間は疲れていても愛想良く振る舞い、練習したくてジリジリしても、我慢する。
だから我が家に来たときには、なるべくほったらかし。
神経質にイライラしても気がつかないフリをする。

小田原公演の翌日にはトーマスはイギリスに帰る予定だったのに、毎年行く箱根の温泉に行きたくて1日滞在を延ばした。
今日の箱根は少し風が強かったものの、暖かい日差しが心地よい絶好のドライブ日和りだった。

芦ノ湖の湖畔を散歩するのは毎年のこと。
その後は仙石原に行って、お土産屋さんの二階にある喫茶店で、昼食をとらせてもらった。
前日の夜、箱根到着が遅くなるので、夜食用に買い込んであった食料が余っていた。
かなりの量なので、それを今日の昼食にあてることにしたけれど、いくら良いお天気でも湖水が波立つほどの風では、外は寒い。
試しに喫茶店で、持ち込みをしても良いかと訊ねたら、快く承知してくれたのだった。
なにか一品ずつとってくれれば構わないと言うので、コーヒーなどを頼んで、ほっと一息ついた。

日が傾き始めた頃、山路を御殿場に向かう。
車がカーブを曲がったとたん、目の前に大きな富士山が急に姿を現わした。
思わずブレーキを踏んで、車を道路脇に停めて、その雄大な姿に見とれてしまった。

今回のロンドンアンサンブルの公演はどこでも大成功で、東京文化会館小ホールの席はほぼ満席。
小田原も日にちの変更などで会場がとれず、市民会館の小ホールになったけれど、古くて申し訳ないと言う主宰者の言葉に反して、古いながら音響の良い弾き易い、しかも地の利も良いホールだった。
結果としては、客入りも良くなかなか楽しいコンサートになった。

しかも思いがけないことに、私のオーケストラ時代の先輩が顔を見せてくれた。
「え、どうして?」と言うと「小田原中にnekotamaさんの顔写真があったから、こない訳にはいかないでしょう」と言う。
そうか、手配書が回っていたか。
そう言えば買い物に入ったお店にも、チラシが置いてあった。
感謝感激だった。

コンサートが終ってから箱根までひとっ走り。
去年は霧の中を走って怖い思いをしたけれど、今年はむやみに暖かい。
それは助かるけれど、やはり山では身の引き締まるような寒さがふさわしい。
帰りの高速道路では疲れの出た男性達は眠ってしまい、心配性の美智子さんだけが起きていて私に話しかける。
私が居眠り運転をしないようにという配慮らしい。

最近の私の運転はいよいよ怪しくなってきたけれど、自覚しているだけに以前より慎重になってきた。
今回はタマーシュが「ブレーキを解除した?」「ライトをつけなくていいの?」とか脇から言う。
来年も果して無事に彼らを乗せられるかどうか、怪しいなと思う。
たぶん、来年は他のヴィオラ弾きと他のドライバーにお任せすることになると思う。
そして私は高みの見物。

もう一つ嬉しかったのは、今回はヴィオラの活躍する曲が多くて、皆さんがそのことに気がついて「ヴィオラって素敵な楽器なんですねえ」と言ってくれたこと。
「そうなんですよ、私もヴィオラが大好きなんです」と我が意を得たり。
ヴィオラも市民権を主張しないとね。

エニグマは本当に素晴らしい曲だが、初めて楽譜を見たときには絶望的な気分だった。
これを指揮者なしで?
出来るかどうか怪しかったけれど、きちんと分析してみればすごく合理的に描かれているのがわかる。
この曲を弾かせてくれたロンドンアンサンブルに感謝したい。































2015年12月15日火曜日

芥川也寸志さん


この曲をご存じの方も今は少ないと思うけれど、これはNHKの大河ドラマ「赤穂浪士」のテーマ曲。芥川也寸志作曲。
芥川さんは私たちのオーケストラが経営不振の頃、なにかと気にかけてくださった。
ハンサムで品が良く、ユーモアがあり素敵な方だった。
私たちがよくお目にかかったのは、女優の草笛光子さんと結婚なさったか離婚されたか・・・その頃だった。
そして次のお相手はテレビでのレギュラー番組で出会った、エレクトーン奏者。
そのお二人が熱い視線を交わすのを目にして、あ、これは結婚するなとおもっていたらその通りになった。
彼は頭の良い女性が好きなのだと思った。
奥様は素晴らしくきれいな足の持ち主で、女の私でも惚れ惚れするほど。

猫を飼っていて、猫のために自動ドアを付けて、それが体重不足で開かないんだよと、楽しそうにお話していた。
私もなにかと目を掛けて頂いて、私的なイベントにも出てくださった。
その時の写真を「もう、アルバムに貼ったよ」と次にお目にかかった時に聞いて、芥川家のアルバムに私たちごときが・・・と感激した。
まだそのアルバムはあるのかしら。

普段は優しい彼が怒ったのを見た事がある。
モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のチェロパートのある部分で、チェロが本気で弾かなかったと言って、激怒したことがある。

本当に心が若々しく、純粋で一生懸命。
万年青年だった。
いつも12月14日の赤穂浪士の討ち入りに、思い出すこと。











2015年12月13日日曜日

ヴォルフガング・ダヴィッド & 梯 剛之 デュオ・リサイタル

ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ3番」
フォーレ「ヴァイオリン・ソナタ1番」
ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ7番」

ヴォルフガングとは、たぶん両親の思いの込められた名前なのではないかと思う。
その後がアマデウスだったら言うこと無し。
虎ノ門 JTホール

梯さんは盲目のピアニスト。
ヴォルフガングさんはタケシが楽譜を見ないなら、自分も見ないと言って、すべて暗譜で弾く事にしたという。

協奏曲は暗譜で弾くけれど、ソナタの場合はたいていピアノもヴァイオリンも楽譜を見る。
室内楽だし、両者がメロディーを受け持ったり伴奏に回ったり合の手を入れたりするから、暗譜をするのは大変難しい。

練習を重ねると殆ど覚えてしまうかも知れないけれど、それでも細かいやりとりなどは暗譜ではとても怖いはず。
しかし、両者とも本当に隅々まで、ジグゾーパズルを埋め込んでいくように、音を繋げていく。
しかも音色に透明感があって、細かい動きがそれぞれしっかりと聞こえてくる。
素晴らしいコンサートだった。

剛之さんとは毎年八ヶ岳音楽祭でお目にかかる。
お父さんは元N響のヴィオリストで、毎年この音楽祭にヴィオラのトップとして参加している。
そして剛之さんもお父さんと一緒に八ヶ岳に来て、コンサートを開く。
宿泊先の食堂で出会うと、私たちと一緒にご飯を食べる。
彼は非常に冗談の好きな明るい青年なので、ステージで見る求道者のようなストイックな姿と重ね合わせるのが難しい。

一時期、苦悩に満ちた表現をすることがあって、心配になる位だった。
音の響きを模索して、一つ一つ、塗り込めるように弾くのを聴くと、胸が締め付けられる感じがした。
たぶん音を追究するあまり、出口が見付からないでもがいていたのだと思う。
それがあるときから急に軽やかになり、おや、と思ったことがあった。
その後は初心に返ったかのように、素朴で飾らない音楽を淡々と弾くようになって、それはそれですごく良かった。

そして今日は、見事に洗練されて花開くような華麗さも加わって、名手の域に達したようだ。
それはヴォルフガングさん(この名前が素敵なので彼をそう呼ばせてもらう)との共演のたまものではないかと思う。
同じ感性を持った2人の出会いが、見事な会話になって聞えてくる。
言葉では言い表せないので、是非この2人の演奏を聴いてみてください。
すぐれた室内楽奏者が集まると、楽器を越えた響きを作り出す。
今日はまさにそんなケースで、一緒に行ったピアニストのSさんと感激しながら帰ってきた。
彼女とのフォーレのソナタは、半分で棚上げとなっている。
来年は本気で弾こうと話し合ってきた。
それにしてもヴォルフガング・剛之の半分でも弾けるかどうか。

ヴォルフガングさんが、剛之さんの本来の明るい性格を、引き出してくれたのかもしれない。
お互いに得がたい相棒を見つけたようだ。
楽しげに楽器で対話する2人を見ていると、来年こそちゃんとヴァイオリンを練習しようと・・・ね。いつも思う。
























2015年12月12日土曜日

まだまだ練習

今日も又小田原公演のための練習。
他のメンバーはすでに、九州や千葉方面で同じプログラムのコンサートを終えているので、完全に出来上がっているけれど、小田原だけの志帆さんと私は戸惑うことも多い。
私は「エニグマ」はすっかり頭に入っているからさほど緊張派しないけれど、くせ者はドヴォルザーク「チェロ協奏曲」
オーケストラで何回も弾いているから大丈夫と思っていたけれど、いつもは指揮者がいるから呑気に指揮に合わせているだけ。
指揮者なしだと時々迷子になりそう。

練習をやり直したいときは楽譜に練習番号が振ってあるので、例えばAの一小節前からとか、Bの6小節後からとか言って、皆でその場所からもう一度弾く。
そうやって、部分的に手直ししていく。

ところが、何回やっても私だけ違う事があった。
けれど、私はどうやっても楽譜通りに弾いている。
こんなことはヴァイオリンだったら間違えないと思うけれど、この曲のヴィオラパートを弾くのは初めてなので、ふーん、ヴィオラは一小節遅れて出るのかと思った。
それでも音が合わないからおかしいと思ったけれど、結局練習番号の位置の間違い。
オーケストラで楽譜に忠実に弾くことを訓練されすぎて、臨機応変が効かなかった私も悪い。

とにかくチェロのソロの洪水みたいな音量にはビックリする。

今日練習がないタマーシュとジェニファがやってきて、タマーシュはイギリスでの次のコンサートのための練習をしたいのでどこか部屋はないかと言う。
私の兄の家が近く、彼の娘は自宅でピアノを教えているからレッスン室もある。
そこへ連れて行ってあげた。
たっぷり3時間ほど練習して、ご機嫌で帰って来た。

私の兄のたぬきさんは、お客様大好き、音楽大好きだから、殊の外喜んで大歓迎。
心配なのは、練習したいタマーシュにまとわりついて、邪魔をしないかということ。
家に入るなり「お寿司をとろうか、お茶はいかがか」とたたみかける。
タマーシュは困って苦笑している。
そのまま放り出してきたけれど、その後どうなったか。
帰って来たタマーシュに訊いたら、コーヒーを淹れてもらったとか。
まあ、その辺で済んでよかった。
レコード蒐集品も見せたらしく、変な自慢していないといいけれど。

練習後かれらと食事をして解散。

小田原の分の練習も終わり、彼らは3回のコンサートを消化すると帰国する。
この1週間、ロンドンアンサンブルとのお付き合いは濃くて忙しくて、いささか疲れた。




















2015年12月10日木曜日

今日も練習

ロンドンアンサンブルのメンバーが九州佐賀の公演を終えて、羽田に帰ってくると言うので迎えに行った。
羽田空港はホンの数年前まで毎月のように飛行機で仕事に行くために利用していた。
このところ何にも用事は無く、久しぶりに出かけたので、多少様子が分からなくなっている。
道がどんどん新しく出来るので油断がならない。
入り組んだ立体交差などを1本間違えると、ほかのエリアにはいりこんでしまう。
それでも無事に彼らと会えて、私のボロ車に3人のでかいイギリス人を乗せると、荷物と人間で身動きとれないほどになった。
私のバカさ加減が遺憾なく発揮されたのは、夏の買い物用にトランクに入れてあったクーラーボックスを片付けていなかったこと。
これだけの荷物を載せることは分かっていたのに、トランクの点検をしなかったために、トランクにでんと置いてあったクーラーボックスがじゃまで、危うく荷物が全部のりきれないかと思えた。
タマーシュの必死の作業でトランクに荷物が収まったときには、皆で歓声をあげて拍手をした。

今年はヴィオラのパートがあるので、タマーシュの奥さんのジェニファがヴィオリストとして同行している。
ジェニが帰ってしまうと私の出番というわけ。

今日の練習は私たち小田原組。
チェロ無しの下稽古をしておいたお陰でスムーズに流れ、チェロが入ると一層弾きやすくなった。

トーマスのチェロのものすごさは、我が家が揺れ動くほどの振動。
圧巻はドヴォルザークの「チェロ協奏曲」で、息もつかせない迫力でグイグイと迫って来る。
聞き惚れて落ちそうになる。

練習の後にタマーシュがやってきて、私の元生徒が彼のレッスンを受けた。
彼女は今大学院の1年生。
曲はサンサーンスの「ヴァイオリン協奏曲」
学内のコンクールで本選に残り入賞したという。
毎回聴くたびに、上手くなっているのは喜ばしいけれど、若さゆえの弾きまくりが少しうるさい。
同じパッセージをタマーシュが弾くと、蕩けるような音とニュアンスで、やはりまだまだ彼女は修行が足りない。
タマーシュに言わせると、彼女は才能がある。
言えばすぐに反応する、言っても反応出来ない人が多いので、見所はあるそうだ。
良かった!
即席でピアノ伴奏を付けたのはトーマス。
彼はチェリスト、指揮者の二つの顔を持っているけれど、ピアノも大変上手い。
素晴らしい伴奏が入って、生徒の顔は幸せそうに輝いた。

終ってから一緒に軽く食事をして、これからまだ21時に練習の合わせがあると言って、あたふたと出て行った。
池袋まで合わせにいくそうで、そんなことも若い頃は少しも苦にならなかったことを思い出した。
むしろ、動き回っているのが楽しくて仕方がなかった。
私も夜討ち朝駆け、早朝から深夜まで良く練習したものだった。
体力も気力も充実している若いうちなら、苦労を苦労と思わない。

彼女が帰ってしまうと、そこからは大人の時間・・・とはならず、みんな子供みたいに冗談が飛び交い・・・と言っても英語が聞き取れない私は、キョトンとしていることの方が多いけれど。
なんやかんや、貧しさとか練習の厳しさ、本番の緊張と戦いながらも、私たちは本当に幸せなのかも知れない。

タマーシュ、ジェニファ組は13日(日)東京文化会館 14日(月)横浜美術館
志帆、nekotama組は15日(火)小田原市民会館です。
ピアノ、フルート、チェロは変わらず。
どうぞよろしく
















2015年12月8日火曜日

末っ子いじめ

6人兄弟の長兄が、時々自宅で兄妹会を催してくれる。
長姉は先年亡くなったので、今日は近所の姉2人とその連れ合い、長兄など、全部で7人集まった。
兄は歳をとって耳が少し不自由になったほかは、いたって元気で益々狸に似てきた。
先日その兄に似ていると言われて憤慨した私は、あまり側に寄りたくないけれど、そこはご馳走に釣られてやはり参加してしまう。
サラダ、焼き鳥、鶏肉とチーズの揚げ物、そしておこわのお弁当が今日のメニュー。
義姉はとてもお料理上手で、以前はよくお煮染めなども作ってくれたのに、このところ腰を痛めてメニューが簡単になってきた。
かつては色とりどりのお料理が、テーブル狭しと並んだものだったが。
飲み物もビールをコップ一杯ずつ飲むと、皆気がすんでしまう。
一升瓶がずらりとカラになっていく、かつての家族会が嘘のよう。
長姉の連れ合いの義兄は、酔っぱらうと、私の姉に捧げるベッサメムーチョを高唱したものだったけれど、2人とももういなくなってしまった。

焼き鳥などをつまみながらしばらくビールをのんでいた。
それではご飯にしようかと、兄がお弁当を配り始めた。
「あれ、一つ足りない、nekotamaちゃんの分を買うの忘れた」
私はビールでお腹がくちくなっていたから、「え~っ」と思いながらも「いいよ」と応えると、姉が笑いながら「また~、ほら、末っ子いじりが始まった」
なーんだ、兄の冗談か。

いつもそうやって兄姉から長年、悪戯をされてきた。
子供のころから、ぬいぐるみより面白いとかなんとか言われ、からかわれ続けたから、こんないじけた人間になってしまったのだ。

石鹸をチーズと言って騙されて食べさせられたり、紐を蛇だと言って追いかけ回されたり。
1番のいじめは、私は拾われた子で、赤いおべべを着て橋の下で泣いていたから、拾ってきたというものだった。
嘘だということは分かっている。
わかっているけど、悲しくなってメソメソ泣き始めるとわーっと笑って、嘘嘘、冗談だからと言う。
それなら初めから言わなければいいのに。
しかもこともあろうか、母までその冗談に加担するのだった。

友達に訊くと、皆たいがいそう言われて育ったという。
今でも子供にそうやって言って、からかうのかしら。
ワケがわからん。
本当に悲しかったのだから。

それでも兄がいなかったら、私はヴァイオリンをやっていなかった。
兄は最近まで趣味でチェロをやっていたけれど、耳が遠くなって大きな楽器を運ぶのも辛くなったと言って、チェロはやめてしまった。
もっぱら絵を描いている。
今日の漬け物は、厳重な管理の下に漬けられた蕪とキュウリ。
兄はぬか床を作るところから初めて、温度、湿度、塩分濃度などを計算して漬けるのだそうだ。
だから、すごく美味しい。
この兄の妹がこの私。
まるっきり大雑把でいい加減で、同じ両親から産まれたとは思えない。

そうか、私は拾われた子だった。











2015年12月4日金曜日

練習開始

ロンドンアンサンブル小田原公演の下稽古。
ロンドンから2日前に到着したフルートのリチャードと奥さんのピアニストの美智子さんが、まず顔を見せた。
すぐにヴァイオリンの志帆さんも交えて、チェロのトーマスなしで軽く下稽古・・・のはずなのに、始めるとカリカリと頭にきやすい我々は、初めから夢中になってしまう。
美智子さん夫妻はテンポのことで揉め、私は「喧嘩はおうちに帰ってからやって」と仲裁に入るフリして、煽り立てる。

私が夕方から仕事に出かけるので、時間は正味3時間半。
お茶も飲まず、積もる話もせず、ひたすら弾き続けた。
志帆さんは先日関東学院大学の定期演奏会で、チャイコフスキーのソロを弾いたばかり。
あまり準備が出来ていないと言いながら、持ってきた昼食用のお弁当も食べずに弾いている。
美智子さんは体調不良で、ヒースロー空港に行くタクシーの中で酔ってしまったそうで、少し痩せたようだ。
けれど、夫婦喧嘩が出来るようだし、リチャードの意見を強引にねじ伏せる時には、パワー全開。

チェロがいないからバランスが分からないけれど、やはり室内楽は面白うございます。
とにかく指揮者がいないのが良い。
指揮者が居ると我々楽隊は身動きとれない。
もう少しここをゆっくりなんて思っても、指揮者に強引に棒を振られたら、絶対服従する。
でないと、オーケストラは成り立たない。

昔ホルンの名手、ザイフェルトという人がいた。
指揮者のカラヤンと彼の意見が衝突して、カラヤンが「俺はカラヤンだ」と言ったら「俺はザイフェルトだ」と言い返した伝説がある。

世界的に有名な彼の演奏を聴いたのは、一橋大学の講堂だった。
天窓の辺りに鳩が飛んでいて、ホルンの、のどかな響きを背景に、まさに一幅の絵画の中に溶け込んだようで、実に良いコンサートだった。
ちなみにチェンバロは小林道夫せんせい。
記憶が曖昧で、チェンバロではなくてピアノだったかもしれない。

こちらは時間に追われて悠長にしていられない。
モーツアルト、ベートーヴェンはなんとかなるけれど、エルガー「エニグマ」は私は初めてお目にかかるので、十分な下準備はしたはず。
なのに、実際合わせてみると最後の方は置いてけぼり。
どんどんテンポが上がって行く。
そこは古狸だから、要所要所で見繕って最後はピタリと終る。
しかし、途中がきちんと分かっていないことに気がついた。
今日は初めから譜面を見直してチェックする。

やっとこれなら次の練習ではついていけるかも、というところまで漕ぎ着けた。
私が出かける時間が来ても全部の練習が終らなく、志帆さんのソロ「ポギーとベス」の練習が残ってしまった。
自宅の鍵を美智子さんに預けて、私は一足お先に仕事に飛んで行った。
全く休憩無しの3時間半、ヴィオラを弾き続けたので、今朝は少々寝坊をした。

次の練習は1週間先で、チェロのトーマスが来るから、もう少し楽に出来ると思う。
うちのレッスン室はまあまあの広さがあるけれど、トーマスが来ると突然小さな部屋になってしまって、人がひしめき合う感じになる。
楽器も人も大きい。音も大きい。
日本のチェリストも上手いけれど、トーマスの音を聴くと全部吹き飛んでしまいそうな気がする。

さて、小田原公演の宣伝です。

12月15日(火)18時開演 小田原市民会館小ホール

モーツアルト「フルート四重奏曲 第4番 イ長調 K.298」
ドヴォルザーク「チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 第1楽章」
ベートーヴェン「ピアノ四重奏曲 変ホ長調 WoO36 第1番」
作曲者不明尺八 古典本曲「手向け」
ガーシュイン「ポギーとベス」ハイフェッツ編
エルガー「エニグマ変奏曲作品36」

ドヴォルザークの伴奏とエルガーの原曲はオーケストラ。
それを5重奏曲に編曲した。
編曲と尺八演奏 リチャード・スタッグ
リチャードが尺八を持って袴姿で登場すると、観客席が喜ぶのがわかる。
このアンサンブルの、恒例の演しもの。












2015年12月1日火曜日

帰って来たノラ猫

土曜日、日曜日とノラたちは駐車場に現れず、心配していたけれど、何食わぬ顔で戻ってきた。
しかし、食事の量はぐんと減っている。
一体どこで食べさせてもらっているのだろうか。
猫缶のストックが底をつきそうなので、明日は買い出しにでかけようと思っているけれど、前より量は少なくて済むかも知れない。

やはり土日というのがキーワード、飼い主が居るかも知れないノラたちは、ウイークデーの朝だけ我が家に来るようだ。
ボス猫シロリンはすっかり丸々として気分も落ち着いて、私が手を伸ばしても引っ掻かれなくなった。

以前ならちょっと手を前に出しただけで、フーッと威嚇して歯をむき出したのに、今は平然と餌を食べ続ける。
一向に気にならないどころか、おい、撫でても良いんだぜとばかりに、わざわざ横腹を見せてくる。
最近は頭まで撫でさせて頂ける有り難い状態。

衣食足りて礼節を知ると言うけれど、猫もこれほど変わるものなのか。
この2年ばかり、シロリンは傷が絶えなかった。
目は半分ふさがり、耳は血を流しといった状態が続いた。
縄張り争いの熾烈さを窺い知らされた。
それが最近は毛並みは真っ白。
撫でるとフカフカ。
明らかにシャンプーかブラッシングが施され、こうやって見るとなかなかの美猫。
顔はフーテンの寅さんなみの面白い顔だが、身体が大きく立派にボス猫の素質を持ち合わせている。

猫の世界で雌にもてる雄猫は、美形ではなく、頭が大きくて骨格のしっかりした雄が多い。
以前我が家に通ってきていたパンダちゃんは、白と黒のパンダ模様。
真四角の顔に小さな目。
がに股でのっしのっしと歩く。
その模様と顔がそっくりな子猫が、至る所にいた。
おや、お前もパンダちゃんの息子かえ?と話しかけたものだった。
我が家の近辺は殆どパンダ族が横行していた。

ある日、商店街の途中にある踏切の向こう側で、パンダを見つけた。
その頃、踏切は開かずの踏切に近く、中々電車が途切れない。
それなのに、ずっと無事で線路の向こう側にまで出張していた。

我が家の軒下で餌を与えていたら、川を挟んだ向こう岸の家の奥さんが通りかかった。
「あら、このこ、去年までうちに来ていたのよ。最近来ないから死んだと思っていたら、お宅でご飯もらってるのね」
その去年は私の方が、パンダちゃんは死んだと思っていたのだった。

うまく立ち回って餌を確保するために、ノラ達は日夜努力している。
たいしたものだ。

毎日餌をやっていたノラが、死ぬ間際に挨拶をしに来た事もあった。
そうやって生き物の連鎖がいつまでも途切れないことを祈る。
最近は人も動物も生きにくい世の中なので、ノラ達も迫害に遭っていることだと思う。
でも、猫の生きられない世界なんて、考えただけで不気味だと思いませんか?



















2015年11月30日月曜日

今日からヴィオラ奏者

明日、イギリスからロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんと、フルート奏者のリチャードが来日する予定。
ヴァイオリンのタマーシュ、ヴィオラのジェニファ、チェロのトーマスは少し遅れて到着。

地方での公演が終ると、13日東京文化会館、14日横浜美術館レクチャーホールでのコンサートがある。
タマーシュとジェニファはそこまでで、次のコンサートのために帰国、トーマスと他の2人は残って、小田原では同じプログラムで演奏する。
帰国した2人の後は、ヴァイオリンの志帆さんと私が加わる。
3日に少し楽譜をあたっておこうと、小田原公演の出演者が集まって練習することになった。
小田原で私はヴィオラを弾く。
昨日までヴァイオリンを弾いていたから、ヴィオラを取り出して鳴らすと、音が出ない。
楽器が大きいから鳴るようにするのに時間がかかる。
なんたって私は人間の中では超小型なのだから、それはもう大変なのだ。
ピアティゴルスキーがチェロを首に挟んだ話しは先日の投稿でしたけれど、私がヴィオラを挟むと、ちょうどそのくらいの感じになる。

1時間くらいすると、やっとヴィオラらしく鳴ってきた。
私はヴィオラが好きで、ヴィオラの音はよく他人から褒められる。
音は素晴らしい、でも・・・
この「でも」さえなければ。
シェーンベルク「浄められた夜」のソロヴィオラを弾いたときには、一緒に弾いたミュンヘンフィルのコンマスから毎回練習の度に言われた。
貴女の音はベリービューティフル!、しかし遅れる。

音の立ち上がりが遅れてしまうのを注意されて、発音を随分練習した。
そういう練習が私たち弦楽器にはとても大切なことで、音と音程を作るところから始めるので、弦楽器はものになるのに時間がかかる。
小さい頃から長く辛い練習をしなければならないのはそのためで、その前に辛抱できずにやめてしまう人も多いけれど、本当はそこが最も魅力的なのだ。
弦楽器はどんなに頭が良くても、向かない人はどうしても上手くならないという不思議な楽器で、他の楽器が素晴らしく上手いのに、ヴァイオリンはダメという人もいる。
全くとりとめのない所が難しいのかも。
音程も運弓も自由すぎるのが、ワケが分からないのかもしれない。
だからといって他の楽器に比べて特に難しいとかではなく、演奏者を選ぶワガママな楽器なのかとも思う。
ヴァイオリンに選ばれた人々は、何の苦もなく弾く。

タマーシュがその1人で、易々と楽器を操る姿を見ると、ハンガリーの血がそうさせるのではないかと思う。
勿論練習は血のにじむほどしないとそうはならないにしても、いくら練習してもダメな人は、ヴァイオリンに拒否されていると思わないといけない。
そこが辛いところ。
私はある日はヴァイオリンに好かれていると思うのに、次の日は嫌われて居ることも多い。

にわかヴィオラ奏者がどこまでヴィオラの音が出せるか、そこが今回の一番の課題になる。
初めて演奏する「エニグマ」がすごく楽しみであり、多少不安でもある。














2015年11月29日日曜日

関東学院大学オーケストラ定期演奏会

第11回めの定期演奏会。

 シベリウス      交響詩「フィンランディア」
 チャイコフスキー  「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調」
 シベリウス      「交響曲第2番 ニ長調」

              ヴァイオリン 碓井志帆
              指揮     安東裕躬

最初の頃は心許なかったこのオーケストラも、立派に成長した。
はじめは人数も少なく、オーケストラとして成り立つのかと思ったけれど、数年前にはブラームスのシンフォニーが演奏出来るくらい、目を見張るような発展ぶり。
先生方のすぐれた指導力もさることながら、学生たちの努力が実を結んだと言える。
大学に入って、初めて弦楽器を持ったという人もいる。
そんなひと達をここまで弾かせてしまうのは、やはりオーケストラの魅力というか魔力のせいだと思う。

1人では絶対に出せない音の厚みと色彩が、オーケストラの魅力なのだ。
音の洪水に呑みこまれた瞬間の喜びは、なにものにも代えがたい。
たまに、私もオーケストラ時代に、今この場で死んでも良いと思う程の感激を味わうことがあった。
1度その音を知ってしまうと、このあといつ味わうことが出来るかもわからないのに、その音に遭遇することが目的となって辛い練習にも耐えられた。
音は不思議なもの。
人のハートをギュッと捕らえて放さない。

私は毎年、演奏会のお手伝いをさせてもらっていたので、顔なじみのメンバーも沢山いる。
わざわざ地方から演奏会のためにはせ参じる卒業生たち。
就職しても、オーケストラをやっていた頃の思い出は、彼らの心の支えとなっているのかもしれない。

今年はシベリウスの交響曲がメインだけれど、若者の心に響くこの曲が彼らになんと合っていることか。
情熱、悩み、憂鬱、歓喜、すべての要素が若さの象徴の様に思える。
オーケストラを体験できたことは、彼らのその後の人生を豊に彩ってくれると思う。

今回の協奏曲のソリスト碓井さんは、12月のロンドンアンサンブル小田原公演のヴァイオリン奏者。
ヴァイオリンのタマーシュの帰国後、同じプログラムで演奏する。
彼女はロンドン留学後、帰国して結婚して出産してと、大忙しの中で演奏を続けている。
いまや2児の母親として頑張っている。
以前は育ちの良いお嬢様という感じだった彼女も、母親の強さを身につけてきた。
堂々とした演奏ぶりは、芯の強さを感じさせられた。
見事なソロを聴かせてもらえて、こちらも緊張しながらも伴奏を楽しんだ。

チャイコフスキーが終って、まだシンフォニーが残っているのに、すでに泣いている学生がいた。
今年卒業してしまうのだろうか。
オーケストラと青春とに別れを告げて、社会に旅立っていく彼らの前途に幸せが沢山ありますように。




















2015年11月28日土曜日

消えたノラ達

今朝少し寝坊して、起床が8時近くになってしまった。
ノラ達がお腹を空かせて、さぞ怒っていることと慌てて飛び起きた。
いつもの通り3個の餌箱を抱えて駐車場に行くと、誰もいない。
最近、あれほどいつもお腹を空かせているノラさんたちが、餌を食べ残すようになった。
空腹では可哀相だからと、うちの猫よりもどっさりと大盛りにしているので、食べきれないのは歳をとったせいかなと思っていたけれど、どうやら、どこか他の飼い主を見つけたものとみえる。
それはそれで、私の負担が少なくなるから助かるけれど、その人が気まぐれでやっているのなら困る。
ノラといえども一生面倒を見る覚悟がないと、はじめからやってはいけない。

特に土日にはボス猫シロリンは現れないことが多い。
餌をやっているのは会社にお務めで、土日が休みの人と推測している。
もしかしたら本来のシロリンの飼い主さんかも。

その辺の事情はいくら私が猫語に精通していても、聞き出すことは不可能だから、明日も一応の用意はしておく。

近所の駐車場の片隅で、毎日ノラ猫を可愛がっているご婦人がいる。
冷たいコンクリートの床にノラ猫と一緒に座って、餌をやったり撫でさすったりしている。
ノラもその人だけには良く懐いている。
しかし、最近のこの寒さ。
そのおばあさんは腰も曲がり、足もよくないというのに冷たい所では、身体に悪い。

最近ノラと一緒にとぼとぼ歩いているのに出くわした。
この子の面倒が見られなくなったら、私が引き取るからと申し出たけれど、ノラ猫を捕まえられるかどうか。
娘さんの家に厄介になっているので、猫に餌をやっていることを娘に知られたらお小遣いがもらえなくなると、心配している。

暖かいうちは良いけれど、この先冬になったらどうするのだろうか。
早く手を打たないと、ノラもおばあさんも可哀相なことになる。
私も毎日その場所に行くわけではなく、仕事が忙しくなれば他人のことは構っていられない。
とにかく私はそのノラの飼い主になる覚悟はしているから、ヒマな日にもう一度話してみようと思っている。

4匹のうち3匹が死んで、たった1人残された今のうちの猫。
今まで愛情の谷間にいてあまり構ってもらえなかったのが、今や飼い主を独専できて我が世の春。
すっかり甘えん坊になっている。
そこへ又、気の強いノラ猫が来たら可哀相とも思うし、そのノラは何年もノラをやってきた子なら、この先も上手く生きていけるかとも思うし、なかなか複雑な思いでいる。

さて、うちのノラ達は明日は現れるだろうか。
まさか猫獲りに掴まったなんて事は・・・
心配の種は尽きない。
























2015年11月27日金曜日

美しい晩秋

今日来た生徒がレッスン室に入ってくるなり、きれいな日ですねえと嬉しそうに言う。
昨日の冷たい雨模様に比べて、今日は晴れて雲一つない天気。
今朝公園に散歩に行ったとき、まだ半分ほどしか紅葉していないプラタナスが、黄色と緑の混じった葉を風にそよがせているのをうっとりと見あげた。
空はもうすっかり晩秋の空で、柔らかい日差しが葉の間からこぼれて、暖かいまだら模様となって、歩道を照らす。
晩秋にはブラームスが良く似合う。

さて、私の人生も晩秋で、オーケストラの仕事も来年の分からはお断りすることに決めた。
そして音楽教室も今年いっぱいで、生徒達を他の先生にお願いすることにした。

この教室は、小田部ひろのさんが立ち上げた時から、ずっと一緒に頑張ってきた。
今から20年以上前のこと。
彼女が数年前亡くなったときに、私の心も一緒にどこかへ飛んで行ってしまったような気がして、すぐにも辞めるつもりだったけれど、生徒達のやる気に押されて、今まで決心がつかなかった。
それでも、とても素晴らしいヴァイオリニストが後を継いでくれることになって、肩の荷が降りた。

教室は創立時の様な活気に満ちたものではなく、今や安定期、落ち着いてゆったりした雰囲気となってきている。
けれど、私はあのシッチャカメッチャカだった創立当時の雰囲気がなによりも好きだった。
小田部さんは、太陽の様な人だった。
彼女も私も、ものすごく気が強く、顔を合わせれば喧嘩していたけれど、たいていいつも一緒に悪だくみをして面白いことを探していたので、教室はいつも笑いに充ちていた。

一緒にアマチュアオーケストラを立ち上げたのに、彼女がさっさと亡くなってしまったので、私もつっかい棒が外れたようになってしまった。
今いる生徒達はとても頑張って上手になってくれたけど、私の方はどんどんパワーが無くなっていく。
そのギャップが、きびしい。

今は私は、本当に好きな曲を毎日弾いて暮したいと思っている。
誰に聴いてもらうでもないけれど、まだまだ弾き残した協奏曲や、ソナタなど沢山あるので、一つずつ片づけていきたい。
積ん読の本も、読破したい。
ハリー・ポッターを完読しないといけないし、ああ、忙しい。
私の人生の晩秋は、楽しみがありすぎて困るくらい。
こんな落ち着きのない晩秋には、ブラームスは似合わない。
やはり、モーツァルトしかない。

先日東北のチェロフェスタで弾いた「ディヴェルティメント17番」は弾いていて楽しくて踊りたいくらいだった。
終わったら聞いている人達からワーッと歓声が上がって、総立ちで拍手してくれた。
もしかして「敬老の日」ではなかった?。
もしかしたら、ああ長かった、やれやれ、やっと終ったという喜びの表現だったのかしら?
だんだんひねくれてきたようで、こういう年寄りにはならないように気をつけましょう。
















2015年11月26日木曜日

寒くなって

今朝ノラの食堂(駐車場)に行ったらボス猫は居なくて、ミッケが1人寒そうに待っていた。
私は少し疲れが出て寝坊したので、ボスは待ちきれずに他のえさ場に行ったのか、本来の飼い主の元で食べているのか。
ノラだと思っているけれど、実は飼い主が居るなんてことが良くあるので、最近のシロリンの毛並みの良さは、それを表して居るのかとも思える。
ノラたちはたいてい保険が掛けてあって、ここの餌場が留守ならこちらへと移動しているものと思われる。

特に力の強い雄猫は、縄張りの中で2,3軒は渡り歩いていると思う。

動物、特に猫が楽器を演奏する絵で有名な雨田さんは、昔、白とグレーのきれいな猫を飼っていたけれど、ある日外で自分の飼猫に出会ったら、よその奥さんが全く別の名前で呼んでいてビックリしたそうだ。

私の家には彼の絵が沢山ある。
オーケストラの練習場にフラリと遊びに行ったら、楽団員の休憩所にコーヒーメーカーが置いてあって、コーヒーが自由に飲めるようになっていた。
そこに猫の絵が貼ってあった。
一目惚れして「誰が描いたの?」と聞いたら、チェリストの雨田さんだというので、さっそく直談判に及んだ。

初対面の私の顔をジッと見据えるその目は、明らかに画家の目だった。
数枚のヴァイオリンを弾く猫を描いてもらった御礼は、紅茶とクッキー。
その時はまだ、雨田さんはプロの絵描きさんではなかったから。
雨田さんの自画像を描いてとお願いしたら、子狸がチェロを持っている絵・・・似てるかも。
その数年後、彼はプロとして猫の絵を売り出して、大変な人気画家となった。
プロとなってからも何枚も描いてもらい、時々お宅にもお邪魔した。
私の生徒が受験で神経質になっているときに、励ますつもりで描いてもらった猫が勉強している絵は、生徒にあげるのが惜しくなって私の部屋に飾ってある。
さいわい、生徒は受験に合格したから良かったけれど。

最近うちの(?)ボス猫シロリンは、毛並みもツヤツヤ、やっと撫でることのお許しが出たので撫でると、絹のような感触。
顔はフーテンの寅さんみたいだけれど、すっかり身ぎれいになっているから、本当に飼い主が見付かったのかも知れない。
それでも朝食は私のうちで摂ることにしているようだ。
ところが今日は今季一番の寒さ。
コンクリートの床で震えながら待っているのは辛いので、他の家に行ったらしい。
うちで食べていただけるようにと、私は慌てて物置の中の段ボールに猫ベッドを置いた。
もう一つの段ボールにはすでにアンカを入れて、温めてある。

猫のみなさん、ようこそ。
どうぞねこたま食堂で、ご飯をお召し上がり下さい。
寒いときにはお部屋の方で、お温まり下さい。















2015年11月24日火曜日

空飛ぶ団子

今朝、東北旅行のお土産を持って姉の家に行った。
コーヒーを淹れてもらって飲もうとした時、姉が私の顔をみて「あらっ、顔むくんでるわよ。鏡見てご覧」
それで急いで姿見を覗き込むと、別に変わりない、いつもと同じ顔が。
「これ、普段と同じ」と言ったら「そうお?」疑わしげに言う。

確かに、昨日まで3日間、東北は奥州市で忙しく弾いたり遊んだり、そして飲んだり食べたりが激しかったから、多少のむくみはあるかもしれないけれど、そんなにビックリされるようなむくみ方ではない。
元々こういうジャガイモのような顔なのだ。

なんで姉が気にするかというと、私は子供のころから腎臓に弱みがあって、今では腎臓に空洞があるそうなのだ。
それはとりたててどうこう言うものではなく、加齢によるものらしい。
疲れると腎臓に負担がかかって、むくみやすい体質であるのは確かで、子供の頃私が急性腎炎を発病したときに、見つけてくれたのもこの姉だったような記憶がある。

3日前、元オーケストラの同僚だったS子さんと、東フィルのOBのHさんと、東北新幹線に乗った。
駅弁を食べお喋りしていると、あっという間に一関到着。
駅前のホテルにチェックイン。
しばらく休憩して、盛岡行の列車で水沢に向かった。
水沢ではチェリストの舘野英司氏指導の、チェロフェスティバルが開催される。

東北と長野、新潟からもチェロを持った人達が集まってきて、会場には二日間チェロの音が響いた。
チェロが沢山集まると、ゾウの大群のようで中々壮観だった。
私の生徒のKちゃんのご主人が館野さんの生徒で、Kちゃんもヴァイオリンで参加、ついでに私も引きずり出された。
彼女は東北の人達と連絡を取り合って、プログラムの調整や宿泊場所の確保などの世話をするので大忙し。
見ていると絶え間なく動き回って、多動児の私も真っ青なくらい。
若い日の自分を見ているような気がした。

今回私がモーツァルトを弾きたいと言うと、わざわざ新潟と長野からホルンの人達が来てくれて、一緒に演奏。
「喜遊曲17番」は私にとって、世の中の全部の曲の中の最高。
それを演奏できるのは無上の喜びで、そのために旧友たちが東北まで同行して、演奏の助けをしてくれた。
みなさんありがとう。

フェスティバルは大成功で、舘野さんも嬉しそう。
その翌日は別の場所へ「農民オーケストラ」の指導に出かけていった。
彼は、一時期脳梗塞で倒れたにも関わらずお元気で楽しそうで、年上の方が頑張っているのを見ると、私もまだ演奏が続けられるかなと、勇気が出る。

2人の友人と私の3人は奥州平泉の中尊寺、毛越寺などの世界遺産を見にいくことにしてレンタカーで出発した。
やはり、かなり寒い。
都内でダウンコートは大袈裟な様な気がしていたけれど、さすが北国は冷える。
お寺の後は、厳美渓という岩の絶景地にいってみた。
美しい渓流の両岸は堅い岩肌で、ごつごつとそびえている。
吊り橋の上から眺めると、下を流れる水は所によって色が濃いエメラルド色、あるいは薄いグリーンなど、水色ではなく緑色系なのが周りの岩のグレーと良い配色になっている。
そこには時々テレビなどで見る「空飛ぶ団子」屋さんがある。

川の中州に四阿があって、対岸の上の方に団子やがある。
下で合図をするとスルスルとロープにつるされた籠が降りてくる。
そこへ代金を入れて送り返すと、籠に団子が入っておりてくる。
良く考えたもので、普通の団子でもこうやって買えば面白くて、美味しさ倍増になる。

ゆっくりとしたスケジュールで1日遊んで、お喋りをして、飲んで食べて、楽しい3日間の締めくくりとなった。
現地の方に頂いたリンゴジュースやジャム、毛越寺で買った自然薯などで膨れあがって重くなったキャリーケースをウンウン言って引きずって、足取り重く心は軽く帰宅した。






















2015年11月20日金曜日

犬嫌い

公園を散歩していたら、なにやら大声で騒いで犬を蹴ろうとしている人がいた。
ニッカボッカというのか、裾の広がった工事の時に着用するような作業ズボンを穿いて、髪は茶髪。
背丈もあって体格がいい。
仕事帰りなのか、泥で汚れている。

その人が追い払おうとしている犬が、見れば小型犬のマルチーズ。
別に吠えもせず、その人をめがけて走り寄って来た。
「マルチーズの性格」の画像検索結果
その人が怒っている。
「なんで犬を放すんだよ。この犬噛まないか?」
近くにいる女性が「噛むわよ」
あっさりと言う。
「噛むなら紐離すなよ。早くそっちに連れて行け」

思わず噴き出しそうになった。
身長は170センチ以上あると思えるし、日に焼けて腕っ節の強そうな大の男が、マルチーズに襲われて?いる。

犬の方は、遊んでもらえると思って走り寄ったのか、きょとんとして男の人を見ている。
しかし、よほど犬嫌いなのか、私が通り過ぎてもまだ怒っている。
「信じられねえな、犬を放すなんて」
「おい、おまえ笑ってねえか?笑ってるだろう」
飼い主は半分笑いながら「笑ってないわよ」
私は、笑い顔を見られないように、うつむいて側を通り過ぎてきた。
人によって怖いものは様々。

以前家に良く遊びに来た打楽器奏者は、猫嫌い。
それなのに、その人が来ると何故か猫が寄っていく。
なにが嫌なのか聞いたところ、猫は足音をさせずにいつの間にか側に寄ってくるから、びっくりするという返事。
それは痩せても枯れても肉食獣だから、足音がしては困る。
そのために肉球があるのだから。
家に遊びに来ると、彼はイスの上におばあさん座りをして、猫に足をスリスリされないように警戒していた。

私は無類の猫好きだけれど、猫が気持ち悪いと言う人の気持ちは良く分かる。
猫の尻尾は蛇のようだし、目を見るとなにか企んでいるような気がする。
実際企んで居ることもあって、いきなり爪を立ててよじ登られると、痛さのあまり絶叫する。

私は爬虫類が大の苦手。
絵に描いた物でもだめ。
以前、麻のワンピースを買ったことがあって、濃いグレー一色だったから、アクセントになるベルトがほしいと探していた。
爬虫類の太めのベルトなら、ピッタリだと思った。

そして大岡山の駅近くの店で、理想通りの太さと色の蛇皮のベルトを見つけて、嬉しくて小躍りした。
試着をお願いしてウエストにそのベルトを巻いたとたん、全身に鳥肌が立って、どうしても巻いていられない。
泣く泣く諦めたけれど、今でも思い出すほど素敵なベルトだった。
お値段も手頃で、買っておけば良かったかなあと、未練タラタラ。
買ってもたぶん締めなかったし、しまっておいても気持ち悪いと思うから、買わずにいて正解だった。

蛇だって日本で近隣にいるのは、毒のない大人しい種類だから恐れることはないのに、もしその辺に放し飼いにされて私を見て滑り寄ってきたら、私は大絶叫で気絶しかねない。
小型犬を怖がって騒ぐ、屈強の男がいても不思議はない。
笑って悪かった。
その人は多分子供の頃に噛まれたとか・・・トラウマがあると思う。
私にとって犬猫は天使だけど、その人には怪獣にしかみえないのかもしれない。

































2015年11月19日木曜日

美容院デート

美容院を紹介してもらったのが始まりで、毎月ランチを一緒にするSさんは、私たちの業界の花形だった。
美人でヴァイオリンが上手くて、気っ風の良い姉御肌。
テレビ番組やスタジオでの録音、ステージなどの仕事で時々一緒になると、よくお喋りをした。
彼女の方が年下だけど、同じくらいの世代だから共通の友達も多い。

彼女はずっとゴルフが趣味で、犬を飼っていた。
私とは少し趣味が違うけれど、会えば話しが弾む。

私がゴルフをやらないわけは簡単。
私は自分が跳んでいる状態が好き。
スキー、ダイビング、乗馬など、どれも自分が跳ぶ。
ゴルフは球は飛ぶけど、自分は飛ばないからつまらない。

犬は私も大好き。
それでもちゃんと面倒がみられないので、飼ったら犬が可哀相という理由で飼わない。
そのかわり、外で犬に会うと触らせてもらう。
犬に好かれて、しょっちゅう飛びつかれたり舐められたりする。
最近では、私に出会うと狂喜乱舞、もうどうしていいか分からないくらいはしゃぐ柴犬さんとお友達。
とくに大きな白い秋田犬に出会ったときには、いきなり私の両肩に手をかけて立ち上がり、顔中舐められたことがあった。
飼い主が真っ青になったけれど、犬の気持ちが分かる私は全然怖くない。

趣味は多少違うけれど、Sさんとは旅の仕事などもよく一緒だった。
彼女が都合が悪く出来ない仕事に、私が代わりに行ったことも。
あれは熊本で、その時もSさんの代わりにステージで演奏していた。
リハーサルの時、ステージの雛壇の後ろにストッパーがなかった。
イスがステージから落ちないように、大抵のステージは雛壇の後ろに長い木を打ち付ける。
その時はまだリハーサルが始まったばかりで、準備が出来ていなかった。
私も気をつけてはいたものの、稀代のおっちょこちょい。
すぐに忘れてしまった。
リハーサルの途中で、前の人の楽譜を覗き込んで、音を確かめようと立ち上がった。
その時僅かだけど、イスを足で後ろに押してしまったらしい。

そしてイスに座ると・・・スローモーションを見ているような感じで、イスがゆっくりと後ろに傾き始めた。
楽器を手に持っているので、どうしようもなく、そのままゆっくりと仰向けになっていく。

私の取り柄というか、鈍さというか、そういうときにやたらに騒がないで、なにが起きているのか理解するまでは、なにもしない。
このまま落ちると後頭部を打つぞ、なんてことも考えない。
おやおや、どうしたらいいかな、とにかく楽器は離さない・・・なんて考えていたら突然イスが何かに引っかかって止った。
ちょうど45度くらいの角度で止ったので、天井を見ながら考えた。
どうやって起き上がろうか。

すると、スタッフが大慌てで走ってきた。
そして、その第一声が
「楽器は大丈夫ですか!」だった。
舞台やさんたちは弦楽器が高価なことを、良く知っている。
もし、楽器が壊れたら莫大な弁償金を支払わなければならない。
私はたとえ頭打っても、元々そう良い頭でもないし、骨折しても保険がきくから大丈夫、ちょっとボルトを入れればいいことだし。
まずは楽器から心配しないと。
楽器は無事だったし、私も無事だけど、無性に腹が立った。
「なんで楽器の心配ばかりするの?私の心配はしてくれないの?」
斜めになったまま私は口を尖らせて、文句を言った。

雛壇の後ろにかなり高い位置まで照明器具がせり出して来ていて、それに乗りかかる様な形で、イスが止ったらしい。
やれやれ。
本番が終って、スタッフたちと飲みに行った。
酔いが回ってきたところで1人が「Sさんの代りの人が来るというので、楽しみにしていたんですよ。どんな人かなあって。そうしたらSさんより、もっと怖い人が来たのでショックでした」と言われた。
Sさんは全然怖い人ではないけれど、はっきり物を言う。
初めて会った人は、ちょっとビビるかも知れない。
その人よりも、もっと怖い人というので盛り上がって、美味しいお酒を頂いた。

次の朝、春というのに季節外れの雪が熊本に降った。

Sさんにはオシャレの情報も、教えてもらう。
あそこのエステ、こちらのアートメイク、次は睫毛のエクステも。
今日はSさんとの月一美容院デートの日。
同じ日の同じ時間に次の予約を入れて、イスを並べてお喋りしながらカットやカラーリングをしてもらう。



























2015年11月18日水曜日

旧友たち

この週末、奥州市でチェリストのTさんが指導するチェロのフェスティバルがあって、そこでなにか一緒に弾こうとお誘いがあった。
以前一緒にベートーヴェンの弦楽三重奏曲「セレナーデop.8」を演奏した時に上手くいかなかったので、それをリベンジしたいというTさんの意向を汲んでまずそれを演奏。
私が是非弾きたいという希望を通して、モーツァルト「ディヴェルティメント17番」を現地のホルン奏者と演奏する。
この曲は1時間弱の長大な曲なので、全部はむりだから、その中から3曲弾くことにした。
それでも30分近くかかる。
後は東北の人達と、東京からはせ参じる人達。
最後に、ウインナーワルツを全員でという趣向らしい。

このプログラムとなると、どうしてもヴィオラとヴァイオリンが1人ずつ必要になる。
純粋にお楽しみの会なので、仕事にはならない。
ギャラも出なければアゴ足(交通費、食事代)も出ないので、本来はプロの演奏家を頼むワケにはいかない。
私はモーツアルトの曲が弾ければ自腹切っても飛んで行くけれど、他の人にはいい迷惑になる。

それでも、今年の八ヶ岳音楽祭で一緒にヴィオラを演奏した人に、恐る恐る訊ねてみた。
こんな割に合わないことなんだけど、ひとつヴィオラを弾いておくれでないか、と。
驚いたことに彼女Hさんは、大喜びの二つ返事で引き受けてくれた。
そして、もう1人のヴァイオリンも決った。
こちらのS子さんはあっさりと良いですよ、と言ってくれてこれも一安心。

先日我が家に集まってリハーサルをした。
Hさんは高校、大学を通じての同級生。
S子さんは中学生くらいからの知り合いで、大学では一年後輩。
卒業してからも仕事仲間として、長いお付き合いが今まで続いている。
お互い忙しく仕事をしていたけれど、最近は皆ヒマになってきた。
それだから、こんなお遊びにも付き合ってもらえるようになった。
4人とも長年プロとして演奏していたので、練習はあっさりと終った。

遊びと言ってもヴァイオリンを弾くときは、仕事と同じように真剣になってしまう。
長年の緊張感をまだ引きずっているけれど、それでもこういう気楽なコンサートなら、少しは楽しんで弾けるのだろうか。
これからは、ノンビリと楽しむ事を考えよう・・・と思っているけれど、やはり本番は緊張でしょうね。

前日に現地でリハーサル、本番当日が終ったら温泉に行って、次の日はレンタカーで奥州平泉あたりを回って帰る。
この2人の旧友のお陰で、私は大好きなモーツアルトが弾けて、晩秋の東北旅行が出来る。
いつも友人達に助けられているのは、私が余りにも頼りないので、思わず救いの手を差し伸べてしまうのだと思う。
この先もしっかりした人になれるとは思わないので、いつまでも周りの人達が苦労するのでしょうね。
ごめんなさい、皆さん。
とにかくモーツァルトが弾けるのが嬉しくて嬉しくて・・・













2015年11月16日月曜日

新しいスキー靴

重く堅いスキーブーツも最近は軽く着脱が容易で、性能が良いものに進化してきているようだ。
私がスキーを始めた頃は革靴で、滑っていると靴紐が緩んでくる。
吹雪かれながら靴紐を締め直し、歯をガチガチ言わせながら寒さに耐えていた頃とは大違い。
なんせ、初めてのストックは竹製だった。

スキーブーツはプラスチックだから、何年か経つと劣化する。
私の友人が滑っている最中にパッタリと倒れたから、どうしたのかと思ったら、ブーツが横に裂けて二つになっていた。
目の当たりにそんな様子を見ていると、やはり事故は起こしたくないから、何年かに1度は買い換えることにしている。

今までの靴は堅くて着脱がひどく大変だったので、簡単にできる方が良いと先生に訴えた。
最近はゲレンデの比較的なだらかな斜面で、滑る事にしている。
だから上級者用ではなく初心者用で良いと言ったら、流石にそれは許されず、中でも軽く、足入れが簡単な物を選んでもらった。

きれいな水色の線の入った白いブーツは、踵の周りが透き通っていて、水の中で履きたいよう。

内側のインナーブーツを足に合わせて成型してくれる。
まず裸足になって、足の踝や踵、土踏まずの上あたりにぺたぺたと厚手のシールのような物を張っていく。
その上からつま先にカバーをかけ、さらに上からスッポリとビニール様の物で包まれる。
その上から厚手の靴下を穿く。
そして、ブーツの外側を履いて、器械の上に立たされること15分ほど。
足が温かくなってくる。
聞けば温度は100度にもなるらしい。
足が燃えてしまわないかと心配になるけれど、そんなことも無く、ジッとしていろと言われるのに多動児の私は、すぐ動いて叱られる。
やっと器械から下ろしてもらって、それを冷やすと自分の足にぴったりのインナーブーツが出来るらしい。
出来上がるまで1時間ほど。
1人1人に合わせて作るので、順番待ちが長い。

私は遅めに行ったので、今日はもう作ってもらえないと言われたけれど、もう一度来るのは面倒だと拗ねたら、やってもらえることになった。
そのかわり、先に済んだ仲間達はさっさと飲みに行ってしまった。

お腹空いて喉渇いたと愚痴を言いそうになるけれど、今日中に済めば後日来なくても良いのだから、そこは我慢。

やっと足が窮屈なブーツから解放されて、待つ事しばし。
少し冷ました物を履いてみると、軽くて楽で、このまま走れるかと思うほど。
今までの堅くて重いブーツはなんだったのか。

ちょっと恥ずかしかったのは、スニーカーを脱いで自分の履いてきたソックスを見た時。
こんな事があるのをすっかり忘れて履いてきたのは、5本指のソックス。
それぞれの指に猫の顔が描いてあって、小指の部分は黒猫の尻尾まで書いてあって、店員さんもビックリしたようだった。
うかつであった。
猫だったら、耳の後ろを掻いて誤魔化すところだった。

今シーズンは12月に、志賀高原へ滑りに行く予定。
早く新しいブーツを試してみたい。
そしてお正月2日から又、志賀高原へ。
落ち着きのない人生はまだ続きそう。



















2015年11月15日日曜日

江戸川フィルハーモニーオーケストラ

第30回定期演奏会だそうで取り組んだのは、マーラー「交響曲第5番」
こんな大曲に挑むのは、長い歴史がないとおそらく不可能だと思うので、やはり30回という回数があってこそ。
オーケストラなどと言う労力とお金をムダに使う前世紀の遺物は、地域の協力無しには、なりたたない。
団員たちの汗と涙が、偲ばれる。

弦楽器、特にヴィオラ、チェロはすごく良かった。
冒頭のトランペットのソロは、本当に怖いと思うのに、我慢して我慢してなんとか吹き遂せた。拍手!
全体にフォルティッシモがバランスが悪く、せっかくのマーラーの響きを殺している。
気持ちが高揚して思い切り音を出したいのは分かるけれど、その一歩手前で収めないといけない。
ただひたすらどんちゃん騒ぎになってしまうのは、戴けなかった。
もう少し計算された冷静さが欲しかった。

そこが残念だったけれど、この恐ろしく難しい曲を良く演奏したのには、ほとほと感心した。

最初の曲はモーツァルト「クラリネット協奏曲」K.622
ソリストは野田祐介氏(群馬交響楽団第一クラリネット奏者)
美しい柔らかい音は、ともするとオーケストラに同化してしまって、協奏曲という性格が弱かったような気がするけれど、それはそれで、素晴らしかった。
特に2楽章のピアニッシモは絶妙だったのに、あ~あ。
目をつぶって耳を澄ませていたら、突然頭の上から声がした。
「すみません、入れて下さい」
全曲を通じて一番美しい・・・死ぬほど美しいこの箇所で、よりによって遅れてきた人が演奏中にもかかわらず、通路を歩いて席に着こうとしている。
殺意を覚えた。
誰が演奏中に入って良いと言ったのか、全部まとめて川に放り込んでやるう~~~。
台無しになった気分を救ったのは、活き活きと張りのある音がし始めた3楽章のクラリネットソロ。
どんどん興に乗ってきて、そうそうこうこなくっちゃ。
上手い!

荒川区は私の家から遠い。
なんでそんな遠くまで行ったかというと、私の所にレッスンを受けに通ってくる女性がここのメンバーだから。
初めて彼女のヴァイオリンの音を聴いた時、ヴァイオリンは金属で出来ていたっけ?と言うのが感想だった。
かなり自宅も遠いようで、そんなに長くは続かないと思っていたけれど、もう何年になるだろうか、せっせとレッスンを受けに来る。
初めは手こずった。
とにかくあらゆるムダな事をする。
手の形は不自然、第一、身体の向きがおかしい。
一つ一つ丁寧に直すと、今までいかにムダな事をしてきたかを、納得してくれた。

最近金属は陰を潜め、立派に木の音がし始めた。
そして先週おや?頭一つ抜きんでて来たなと思った。
違う領域に達したようだ。
こういうことが教える者の醍醐味。
その熱心さにほだされたら、やはり遠い所でも聞きに行く気になるでしょう。






















2015年11月13日金曜日

ピアニストを目指す

ピアニストのOさんは声楽もやっている。
私たちスキーの同好会「雪雀連」の忘年会で毎年、雄叫びを披露。
もう1人科学者のHさんも合唱団に入っていて、コンサート経験豊富。

2人のソプラノがメンバーにいるので、今年の忘年会コンサートは2人でデュエットをしたら?とけしかけた。

フィガロの結婚の中に、伯爵夫人とスザンナの有名な「手紙の二重唱」がある。

フィガロとの結婚間近のスザンナを、誘惑しようとする伯爵。
それを嘆く伯爵夫人にスザンナは、ある企みを持ちかける。
伯爵を呼び出して懲らしめようと、スザンナのふりをして伯爵夫人に手紙を書かせ、逢い引きの約束をする。
そうとは知らない伯爵は、スザンナの服を着た夫人をスザンナと思い込み、口説き始める。
そこで正体を明かした夫人やスザンナに慌てふためき、伯爵は夫人に謝って大団円を迎える・・という他愛もないはなし。
伯爵夫人が嘆きながら手紙を書き、スザンナが励ますこのシーンは、美しいソプラノの二重唱で歌われる。
このシーンが終って、伯爵が夫人に向かって謝るその歌も、涙が出るほど美しい。
その後コーラスが続けて歌い、このオペラの幕が閉じる。

私の大好きな曲で、リクエストしたら2人とも知らないと言う。
いやしくも歌を歌う人達がこの歌を知らないとは、嘆かわしい。

どんな曲?と訊かれたから歌って聴かせようと思ったら、どうしても最初の部分のメロディーが思い出せない。
最後の部分ばかり出てきてしまう。
全く最近はこんなことばかり。
これを失歌症とでも言うのかしら。

乗り気になったOさんはこの会の唯一のピアニストだから、自分が歌ってしまったら伴奏は誰がやってくれるのか、あなた出来るでしょう、と迫ってきた。
迫ってきたあげく、伴奏譜を送りつけてきた。
しかも速達で。

今、水沢のコンサートや、ロンドンアンサンブルのコンサートの下準備で忙しいのに、ピアノなど弾いているヒマはない。
それに学校卒業して以来、まともにピアノを弾いていないから、目で見て楽譜を理解しても、指がおいそれと動くわけはない。
どうしてこんな事になってしまったかというと、先日Oさんに私が自慢話をしたせいなのだ。

それはそれは若ーい頃、オーケストラで学校教材用の音楽の録音をしたことがあった。
その時、ピアノの連弾のブラームス「ハンガリア舞曲」が曲目の中にあって、オケの専属ピアニストの他にもう1人ピアニストを調達しなければならなかった。
貧乏オーケストラは少しでも予算を少なくするために、連弾の第二ピアノを私に弾かせることにした。
指揮者の故芥川也寸志さんが「あの子に弾かせたら?」と言ったそうで、私は急にピアニストに抜擢されたという経緯があった。
だから私はピアノで仕事したことがあるのよと自慢したら、今回伴奏をさせられることになった次第。
自慢なんてするんじゃなかった。

あれから数十年、ピアノの鍵盤に触れるのは、ヴァイオリンの調弦のためA音(ラ)を叩くだけ。
時々ピアニストが来て弾いてくれるけれど、うちのピアノは一流の調律師が調律するのに、弾く人はいない。

シューマンの「子供の情景」が好きで、以前、楽譜を買った。
高校の副科の試験でこの曲を弾いた事があるけれど、それ以来全く練習していない。
なんとかもう一度弾きたいと思ったけれど、所定の場所に指がとっさに行かないので、挫折した。
ピアノの先生から徹底的に音階の訓練をされたお陰で、昔は指が良く回ったのに。
その頃はシューベルト「冬の旅」なども、自分でピアノを弾いて弾き語りしていたのに。
すごく初見も利いたのに。あ~あ。

私はピアニストになっていたら、たぶん伴奏者・・・特にリートの伴奏をしていたと思う。
ジェラルド・ムーアのような伴奏者になりたいと思う。

楽譜が送られてきたから、久しぶりに練習してみた。
和音が分かっているから頭では理解しても、中々指は動いてこない。
出来ないとなると、普段眠っている私の中の負けず嫌いが、顔を出す。
ロンドンアンサンブルのコンサートが終ったら、その後の忘年会までの10日間はピアノを特訓しようと、決意した。

これほどアテにならない決意でも、まあ、一瞬でも決意するだけ良いとこあるじゃん、なんて自画自賛している。
これが上手くいったら、ピアニストに華麗なる転身を目指そう。

来年1月に、今年にひき続き「冬の旅」の譜めくりをすることになった。
去年フメクリストとしてデビューしたことを、すっかり忘れていた。
ピアニストが無理なら名フメクリストを目指そう。

なんと言っても強味は、歌曲やオペラを良く知っていること。
最大の弱みは、ヴァイオリンの曲を良く知らないこと。

いやしくもヴァイオリンを弾いて居る人が、この曲を知らないなんて、嘆かわしい・・と言われそう。


















2015年11月12日木曜日

お掃除ロボット

お掃除が嫌いなわけではないけれど、普段全く関心がないので、何日も忘れてしまうことが多い。
埃が積もっていても気がつかない。
埃アレルギーのモヤという猫がセンサーになってくれて、彼女が咳をしだすと限界ということで、ちょっと掃除をする。

モヤはセンサーになってくれていたけれど、残念なことに天国へ行ってしまった。
まさか、埃が彼女の命を短めたという事はないだろうかと、時々自問する。
可哀相なことをした。
もしそうだったら本当に悪いことをしたと、後悔している。

私の掃除下手を見かねた人が用意してくれたのが、ルンバとブラーバ。
ルンバはお馴染みの掃除機ロボット。
ブラーバは拭き掃除ロボット。
ロボットがお掃除をしている間に私が他の用事が出来ると考えて、用意されたものと思われる。
が、それはどっこい。

私はロボットが掃除をしているのをボンヤリ眺めるのが好きで、結局お掃除が終るまでジッと眺めている。
それなら自分の手で掃除機を使い、雑巾がけをすれば良いのだけれど、そうはいかない。
ロボットたちを眺めていると、隅々まで、それは丁寧に掃除をする。
時々、隅っこやロボットの手の届かない部分があって、歯がゆいこともあるけれど、そこは後で自分で掃除をしようと考えていても、終ればすぐに忘れる。
それぞれのロボットに得意不得意があって、あ、そこそこ、なんてつい手を出したくなるけれど、お邪魔しては悪いので我慢して見ている。
我慢しなくてもいいんだよ、なんて言わないでね。
ルンバは多少の段差は乗り越えるけれど、それに引っかかって止ってジタバタしていることがある。
ブラーバは拭き掃除ロボットで床に密着しているから、段差はのりこえられない。

大家族で育ったので、子供の時は決して掃除をしないわけではなかった。
家族の分担が決っていて、私は雨戸の開け閉て、玄関の掃除、ご飯を大きな釜で炊くなどのルーティン・ワークをこなしていた。
母の家事の負担が大きくて、大変だと思ったから手伝いは良くした。
それに今どきの子供の様に沢山の娯楽がなかったから、他にすることも無かったと思う。

両親とも世の流れに疎い人たちだった。
我が家にガスが入ったのはよその家よりも大分遅かったので、随分後になるまで、我が家はかまどでご飯を炊いていた。
数百年も経った旧い家の広い土間に大きなかまどがあって、そこで小学生の女の子がご飯を炊いている図を想像して見て下さい。
なんか、ほっこりした気分になるでしょう。
家事はとても面白くて、お釜でご飯を炊くときの火加減なども色々工夫したりしていた。
炎をボンヤリ見つめることも、好きだった。

家で勉強することは全くなくて、両親とも全然うるさくはなかった。
その頃私は、好きなだけヴァイオリンを弾いて、その他はボンヤリと空の雲を眺めている子供だった。
炎も雲もどんどん変化して、色や状態が変わるのに想像力をかきたてられて、私は空想の世界に没入していた。
音の変化にも通じるものがあって、消えてゆく物の美しさに取り憑かれているのは、その頃の経験が大いに関与していると思う。
今はルンバの掃除しているのをボンヤリ眺めて、本当に性格変わらないなあと可笑しくて、1人で笑った。

特にルンバが仕事を終えてお腹を空かせて、静々と基地に戻って行くのを見るのが好き。
電源にたどり着くと、いきなりチュウチュウと電気を飲み始める。
これが可愛い。
お母ちゃん~なんて言ってるのかしら。

一方ブラーバは、濡れた布をセットすると、丁寧に拭き掃除を始める。
お陰で先日は「なんだかこざっぱりしているわね」と、以前の状態を知っている人からお褒めにあずかった。
何回も言うけれど、決して掃除をしないワケではないけれど、自分の中の順位では、掃除は最下位。

初めにまず、することは、なんの役にも立たないことから。

朝食後はネットをさまよい、ヴァイオリンを弾いて、時々散歩。
時々ゲームに没頭して時間を無駄にする。
時々読書。
時々音楽を聴く。

人を役に立つ人と役立たずと分類すると、明らかに役立たず。
それなのに、周りの人達はいつも優しく、私の手助けをしてくれる。
これは前世の行いがよほど良かったか???、ご先祖さまが守ってくれているのか。





















2015年11月10日火曜日

圧力の差

ここ数日「エニグマ」に専念して、ずっとヴィオラを弾いていた。
そろそろ奥州市で弾くモーツァルト「ディヴェルティメント17番」を弾き込んでおかねばと、ヴァイオリンに切り替えたら、なんだか立派な音になっていて軽さが出ない。

ヴァイオリンからヴィオラに移るのは簡単だけれど、ヴィオラからヴァイオリンに戻る時に、多少ぎくしゃくする。
それは弓の圧力の差とか、ヴィブラートの微妙な違いとか。
やはり、その楽器にとって一番良い音を出すためには、自然に自分で微調整している。
ヴァイオリンからヴィオラという時には、さほど感じなくても、ヴァイオリンに戻るとき、弓の重さが違うので調整は難しい。
弓が軽くなればなるほど、バランスが微妙になる。
ヴィオラを弾いた直後にヴァイオリンを弾くと、妙にしっかりとしたヴィオラっぽい音になっている。
弓の圧力だけでなく、ヴィブラートの幅や早さにも、原因があると思う。

左手もヴィオラの方が一音の幅が広いから、広げるのは簡単、でも、元に戻すのは窮屈。
以前私がヴィオラを弾くと言ったら、ベルリン放送交響楽団のコンサートマスターだったヘルムートが「ヴィオラ?ヴィオラ弾くのか?」と何度も聞き返してきた。
「そうよ、ヴィオラよ」
私みたいに小柄で、ヴィオラを弾くのは信じられないらしい。
もちろん楽器は胴体部分が40㎝以下のサイズで、私の左手は幅が広く四角いから、弦楽器を弾くのにはうってつけ。

ヘルムートは自慢げに「自分はこんなに手が大きい」と言って、ハイポジションを楽々とってみせる。
ファーストポジションの位置に親指を置いて、そのままハイポジションを弾いて見せたのには度肝を抜かれたけれど、手が小さければ移動すれば良いのだから、私はハイポジションでも苦労はしない。
むしろ最近指が曲がってきたので、音程が不安定になったことの方が、気になる。
ヴァイオリンでもヴィオラでも弓にかける圧力は、腕を完全に脱力した状態で弾くのが一番良く鳴るのだけれど、ヴィオラの場合、多少ヴァイオリンよりも弦が太い。
その分抵抗は増すので、ほんの僅かだけれど、圧力をかけないと鳴らない部分がある。

特に一番太いC線は私の小さい楽器では鳴りにくい。
鳴らないからと言って力を入れたら余計鳴らなくなるけれど、やはり自然に押しつけることが多くなってしまう。

ヴィオラのサイズは様々で39㎝くらいから45㎝なんていう巨大な物まである。
45㎝になったら、私はおそらく渦巻きの先まで手が届かないと思う。
以前、45㎝を持っている人がいたけれど、日本人にしてはかなり高身長なのに、その彼でさえ弾ききれなかったらしい。

そのサイズになったらチェロの様に前に構えて弾いた方が良いかも。

昔、ピアティゴルスキーというチェロの名手がいて、彼は冗談が多い人だった。
巨人のように身体が大きかったので、ある日、冗談にチェロを顎に挟んで撮った写真が新聞に載ってしまった。
次のコンサートで彼の楽屋を訪れたご婦人から「うちの息子がどうしてもチェロを顎に挟めないのですが」と相談されたという。

ピアティゴルスキーがチェロを顎に挟むのと、私がヴィオラをはさむのと、ほとんど相似形ではないかしら。
私の身に余る楽器だけれど、その魅力に抗しきれず時々ヴィオラを弾かせてもらう。
ふだん身長が低いのは一切気にならないけれど、ヴィオラを弾く時と馬に乗る時だけは、もう少し手足が長かったらなあと、ため息が出る。























2015年11月8日日曜日

「エニグマ」を謎解き

12月の事だからと呑気にしていると、いつも間際になって慌てるから、今年は早々とエルガー「エニグマ(謎)変奏曲」の譜読みと謎解きをしている。
やっと今日、全容を解明し終った。
この曲は12月15日、ロンドンアンサンブルの小田原公演に参加、その時のプログラムなのだ。

私が出演するのは小田原公演一回だけだから、この日失敗すると2度とやり直しはきかないと思うので、ちゃんと弾きたい。
エルガーの曲というのは、ターナーの絵みたいに複雑で靄っている。
隅々まで内容を知らないと、指揮者がいないから1度落ちたら、這い上がれない。
誰が何をしているか把握しておかないといけない。
しかもオーケストラの曲を室内楽用にアレンジしてあるので、スコアを見ても、自分が本来の譜面と違うことをやっているのに気がつく。

その上・・・私はこの曲を弾くのは初めて。
オーケストラ生活長かったけれど、イギリスの音楽は日本ではあまり頻繁に演奏されない。
すごく良い曲なのに。
身体に余る大きな楽器のヴィオラを長時間弾くのは、相当負担がかかるけれど、私はヴィオラの音が大好きで、本当にリラックス出来る。
ヴァイオリンの甲高い音より、自分の声に近いからかもしれない。
早いパッセージが連続するところは、スピードに乗って爽快感がある。
リズムも面白い。
何処で何がどう動くのか知っておかないといけないから、スコアを首っ引きで調べ上げ、なんとかお終いまで納得がいった。
こういう事がとても面白い。

室内楽を弾く時、普段は、私はほとんどスコアは見ない。
下調べもしないけれど1度一緒に弾けば、殆どの曲は頭の中でスコアが出来上がる。
これだけは、もの忘れの天才であるにも関わらず忘れない。
これ猫世界のにゃにゃ不思議。

冗談はさておいて、今回はかなり手こずった。
激しくテンポが変わるので、いつの間にか倍テンポになっていたり、転調も多いから弾いていて変だなと思うと、調子記号を見落としていたり、けっこう悪戦苦闘だったけれど、曲が素晴らしいので、これが弾けるのはとても幸せだと思う。

やっとエルガーの譜読みを終えて、さて、プログラムの他の曲であるベートーヴェン、モーツァルトの曲に取掛かると・・・こちらの方がずっと難しいことに気がついた。
エルガーは練習すれば何とかなるけれど、モーツァルトは練習しても自分が本当に上手くないとダメだということを、思い知らされてしまう。
ああ、どうしよう、ちっとも上手くないのに、こんな仕事引き受けてしまって。
この後はひたすらモーツァルト。

それなのに11月半ばには、ベートーヴェン、モーツァルトを弾く事になっている。
これはヴァイオリンで。
ヴィオラばかり弾いている場合ではない。
参ったなあ、自分が言い出しっぺの曲なんだけど。

身の程知らずだけど、弾き終わると都合の良いことに、すぐに失敗もなにも忘れるという天性のもの忘れ名人だから、その性格が災いなのか幸せなのか、私が大成できない原因はここにある。



















2015年11月7日土曜日

免許証返納?

さきほどテレビで高齢者の事故が多く、免許証を返納したほうが良いと言う意見が盛んに出ていた。
自分はしっかりしているつもりでも、身体機能の衰え、視力の低下、反射神経の遅れなど、様々な事が起きて居ると思う。

一番思うのは、決断力が鈍ったこと。
かつては、決断して行動するまで瞬時だった。
考える間もなく身体が自然に動いていた。
今は周りを見て、もう一度見直して、やっと決断したときには新しい危険が生じていることもありそうで、もう一度見直す。
何台もの車を見送って、やおら発車。
それでも事故を起こすよりはどれだけいいかと、周りの車に謝りながらの走行。

ところがスピードに関しては、あまり変わらない。
私の心地よいスピードは、同世代の他人より少し速いようだ。
これは音楽をやっているせいかもしれない。
音楽家は皆スピードを好む。
日頃楽器を弾いていると反射神経が研がかれるから、一般の同じ世代より反応は早い。
高速道路を走っていて、初めの内は慎重に走行車線を走っていても、段々興に乗ってきて、追い越し車線を爆走なんてことはしばしばある。

それでも最近はすっかり大人しくなって、なるべく丁度良いスピードの車を見つけて、追走することにしている。
ペースメーカーとなってもらう。
ところがしばしば私が追走されることが起きる。
走るときには一定のスピードを保つようにしているし、スピード違反で許されるギリギリで走るようにしているので、私についてくれば安心と思うらしく、後ろからずっと付けられると、それがいやでわざとスピードを落としたり、振り切ったりする。
相手もこちらの気持ちが分かるらしく、それ以上はついてこなくなる。

一番嫌なのは道路状況でスピードが変わること。
登り坂に差し掛かると遅くなり、下り坂では早くなるような運転が一番嫌いで、微妙にアクセルワークを変えて、いつでも一定のスピードで走りたい。
そうすれば渋滞緩和にとても役立つと思うけれど。

本当に車の運転は好きで、一日中仕事をしてヘトヘトでも、長距離の運転も厭わない。
こんなに仕事した後で運転するの嫌じゃないですか?と、よく訊かれるけれど、むしろ気分転換になってストレスが消えて行く。

その運転が出来なくなったら、本当に寂しい。
最近自動ブレーキの車に変えようかと迷っている。
でもあまりにも自動車任せになったら、逆に人の機能の衰えに拍車がかからないかと心配。
事故は起こしたくない、けれど、自動車に乗らされたくはない。
楽器を弾いて仕事が出来るうちは、まだ運転も大丈夫と考えたい。
先日の講習でも30才~50才の、普通の範囲との結果だった。
でも、口座番号間違えたりすると、なんだかなあ。
















2015年11月6日金曜日

危うい

現金を引き出そうと、銀行のATMに行った。
カードを差し込んで暗証番号を入力しても、お取り扱い出来ませんと表示される。
何回やっても同じ。
閉店後だったから、電話をかけて銀行員さんに来てもらった。
いくぶん汚れてくたびれたカードを見た行員は「磁気が弱くなっているかも知れません、お調べしましょうか」と言ってくれたけれど、乗る予定の電車の時間が迫っていたので、断って駅に行った。

次の日、銀行の営業時間にカードを持って行った。
受付けに行くと、昨日対応してくれた人らしくて覚えていたようだ。
何回も暗証番号をお間違えの様でしたので、それで取引を差し止めましたと言うから、そんなに間違えるはずはないわ、ずっと同じ****なのに、どうしてかしら?といくぶんムッとする。
声高に言ってしまったから、我ながらビックリ!
受付けさんもビックリ!
悪い人が聞いていたら大変なことだった。

この辺から段々自信が無くなる。
そしてカウンターに行って、暗証番号の更新手続きが始まった。
無事記入が終ってやれやれと思っていたら、口座番号お間違えですと言われる。
通帳の番号を見ながら、丁寧に確認しながら書いたはずなのに。
見ると最後の数字が8のはずが0になっていた。
これで私の脳みその劣化は、どうしようもないところまで進んでいることがよくわかった。

もの忘れがひどいのは小学生の頃からなので、今更驚くことはない。
小学校へ行くのに鞄が空っぽ、家に帰れば宿題が出たことを忘れる。
教室にクラスの生徒1人ずつの、棒グラフが貼ってあった。
忘れ物とか出席日数とかを示すもので、私の忘れ物は、ダントツ一位に輝いていた。
真っ直ぐに伸びた棒は他の生徒の数倍に及び、先生が呆れかえっていたけれど、私は忘れ物をするのがそれほど悪いことと言う自覚がなかった。

忘れ物のうちには、宿題や提出しなければならない物、お習字の道具とか上履き、家庭科の制作品等々。
家に帰ると、学校のことは頭からすっかり抜けてしまうので呑気に遊んでいたし、私の両親は勉強のことなど、この出来の悪い末っ子には無用と考えていたのかもしれない。
全くうるさいことを言わない両親で、もし先生からそんな話しを聞かされても、多分笑ってしまうだけだったと思う。

それでも先生に可愛がられて、楽しく通っていた。
今の学校なら、ギュウギュウ締め付けられていたかもしれない。
呑気な小学生時代が過ごせて、本当に良かった。
これも時代が良かったから。

今の小学校では考えられないかも知れないけれど、障害のある子供と普通に一緒のクラスにいた。
けれど、誰1人障害児を苛めることはなかった。
今の時代だったら、モンスターペアレンツが大騒ぎすると思う。
先生達がその子たちをとても可愛がっていたのを見ていたから、生徒達もそれに倣っていた。
そんなノンビリした学校だったのが幸いした。
思い起こせば私もいくぶん、なんらかの障害があったかもしれない。
もちろん今でも。

小学校時代の忘れ物は単に関心がなかったからなのに、最近のもの忘れは明らかに病気の領域に入ってきたかと思われる。
天国が近くなると、余計な物を持ってこないように、神様が手配しているのでは。
だからあちらこちらに忘れ物をしても、許してもらおうじゃないのと開き治る。
では、小学校の時は?と聞かれると、ギャフン、グウの音も出ない。
やはり先天性だったのか。

















2015年11月4日水曜日

アマチュアオケはウイーンフィル並?

先日アマチュアオーケストラの手伝いに行った。
私は当日のみの参加で、あらかじめ楽譜を送ってもらって譜読みだけして行った。
アマチュアオーケストラは、大抵年に一回定期演奏会をするために、1年掛けて練習をする。
だから譜読みはもう皆できている。
弾ける弾けないはともかくとして、なんとか辻褄を合わせてしまう。
アマチュアオーケストラもピンキリだから、えらく上手いところもあって侮れないけれど。

以前ベートーヴェンの「田園」を弾きに行ったら、ヴァイオリンとファゴットが完全にずれていて、収集がつかないはず・・・なのに、ある時点で急にぴったり合ったのでびっくりしたことがあった。
その技術に感心した。
これ皮肉でなく、あんな事が出来るのはどうしてなのか、考えてもよくわからない。
とにかく一緒に終った。

一年間練習しているのだから、指揮者がどう振ってもお構いなく自分たちのテンポで突き進むので、ハラハラしているうちに取り残されたり。
それはそれはスリルとサスペンスの世界。
なまじ指揮者の指示が目に入るといけないから、見ないようにして周りに合わせることにした。

世界的なオーケストラ、例えばウイーンフィルなどは、下手な指揮者が振っても(おそらくそんな人は来るわけがないけれど)自主的に自分たちで音楽を作り出す。
毎年恒例のニューイヤーコンサートなどは、たいていの指揮者はうるさく指揮せずに団員達に弾かせて、指揮台で踊っている。
デュトワとかマゼールが嬉しそうに指揮をしているのは、本当に素敵だった。

日本の小澤氏などは、あまりに小うるさく指揮をするので、ウイーンフィルの団員達はいつものウイーン節が出せず、不幸そうな顔をしていた。
演奏は立派だったかも知れないけれど、あんなつまらないニューイヤーコンサートを聴いたのは、初めてだった。
ウイーンの音楽はウイーンの人に任せておけばいいものを。

それでアマチュアオーケストラを弾いているとき、ふとそんなことを思い出していた。
彼らは棒を見なくても、自分たちで音楽の流れを作っているのだから、ウイーンフィルと一緒だなあ、なんて思わずニヤリ。

亡くなった大フィルの朝比奈隆マエストロ。
彼の指揮で何回か弾いた事があるけれど、マエストロの年齢が高くなってからは、指揮をすると腕が疲れてしまう。
それでテンポが保てなくなって、段々遅くなる。
でも彼はちゃんとテンポを作りたいのに、身体機能が弱ってきているのでままならない。
そこで叫ぶ。
「みんなあ、僕の指揮を見ないでよ~。見ないでどんどん弾いてよ~」
弾いてっておっしゃってもマエストロ、見えてしまうのです。
普通は指揮を見て欲しい。
でも彼は自分の腕が不本意に遅くなることを知っているから、この台詞になる。
だから極力自分たちで、さっさと弾くようにしていた。
そういう時には、コンサートマスターを頼りにする。

見ない方が良いマエストロだったのは、故山田一雄さん。
通称ヤマカズ、演奏者からこんなに愛された指揮者は、他にいない。
ダンディーでおっちょこちょいで。
指揮台にヒラリと飛び乗って、勢い余って反対側に落ちる。
落ちたところはチェロの真ん前。
ヤマカズさん、チェロのトップと悠然と握手をしたそうな。
時にはステージから落ちて、下から指揮をしながらよじ登ってきたというのは、有名な逸話となっている。
ヤマカズさんが指揮台に乗るとみんなニコニコしたけれど、指揮が始まるとうやむやで大変。
特にオペラ。
晩年、客席から「ヤマカズ引っ込め」のブーイングが飛んだ。

そういうこともあったけれど、それでも数々の名演奏を残して、今頃天国で胸のポケットからハンカチを出して振っているかも。
なぜハンカチかというと、これも有名な逸話。

現代曲の初演の時、途中で何かあったら胸のハンカチを出して振るから、それでコーダに飛んで終るという秘密の約束があった。
現代曲の初演に事故はつきもの。
誰も初めて聞く曲だから、わかりゃしない。
ところが指揮を始めてしばらくすると、ヤマカズさんは熱くなった。
汗を拭くつもりで、胸ポケットからハンカチを取り出した。
そうしたら、あっと言う間に演奏が終ってしまった。

ヤマカズさんの指揮は見ないで、感じていれば良かった。
指揮棒がどうあれ、素晴らしい音楽が流れていた。























2015年11月3日火曜日

ドイツ料理

もう何回も書いたから経緯は割愛。
時々女子会をする6人の女性。
いつの間にか私が幹事をさせられているけれど、そこは食べるの大好きだから研究に余念がない。
そのメンバーのうち4人がドイツ生活の経験ありなので、今回はドイツ料理に決めた。

住んでいる場所から考えて、東京駅に集合が一番良かろうと、新丸ビルの中のドイツ料理のお店に集合。
この店の評判をネットで探したら、料金が高すぎる、時間制限が厳しいなど批判的なことばかり。
だいたいドイツ料理は、あまり美味しくないと相場が決っている。
私が以前ドイツに遊びに行ったときには、食べ物の量が多くて不味いのに辟易したことがある。
そのイメージは拭いきれない。

ストラスブルグに住んでいた人が言っていた。
かの地はドイツ領とフランス領の間で、ドイツ側のレストランに行くと不味い、フランス側は美味しかったそうだ。

夕方皆がニコニコしてやってきた。
さっそくビールを注文。
私はビールがあまり得意でなく、小さなグラス半分くらいで飽きて飲めなくなる。
それでも最初に一口はビールを飲みたい。
注文したのは一番小さいサイズの黒ビール。
しかし、出てきたのはかなり大きかった。
こんなに飲みきれるかなあ。しかし、
な、な、なんと美味しい!
スッキリした味、細かい泡の喉越しの良いことったらない。
これならいくらでも飲める。

お通しは塩味のケーキ、ザワークラウト、アイスヴァイン、ソーセージ、ジャガイモなどお決まりのドイツ料理。
その日初めて季節の料理としてメニューに載った、キャベツとアイスヴァインの鍋。
鍋底に残ったソースにパスタを入れて、食べ尽くす。
これは美味しい。
私たちは開店時間から始めたので、今年の注文第一号なんだそうだけれど、記念品は出なかったなあ。
せめて花火を打ち上げるとかして欲しかった。
デザートはアプフェルシュトゥルーデルとコーヒー。
料金も思ったほど高くはなく、これで文句言う人は、居酒屋に行った方がいいかもしれない。

どの料理も洗練されていて、ドイツ生活が長かった人達は、ドイツではこんなに美味しくなかったと言っていた。
日本では何処の国の料理も、日本人に合わせて美味しくなってしまう。
白ワインもほのかに甘口で、全部美味しかった。

このお店に決める前に、フレンチレストランに電話をした。
同じフロアにあって、以前から行ってみたいと思っていた。
電話口に出た人が言うには、コースでなく単品で頼むと、非常に時間がかかると言う。
だからコースで頼んで下さいと?そんな馬鹿な。
私たちは色々食べたいので、いつも好きなようにアレンジして注文する。
その日の体調や季候によって、美味しく感じる物が違うので、コースでとることはまず無い。
ア・ラ・カルトですとお時間が非常にかかりますと言うから、どの位違うの?と訊くと黙ってしまう。
一つ出すのにコース料理の何倍もかかったら、お店の信用に関わるでしょう。
どいうこと?と訊いても真っ当な返事はない。
不愉快だからその店は取りやめにした。

ドイツ料理店に行く時に、そのフレンチの店の前を通ったら、お客さんは2テーブルくらいしか入っていない。
2時間後食べ終えて又その店の前を通ったら、まだガラガラだった。
スタッフが所在なげに、自分の爪を見ている。
こんなに空いているのに、無理にコース料理を勧めるなんて、結局6人もの陽気で食通のお客を逃したことになる。
店の都合ばかり優先すると、そのうち閑古鳥が鳴くのでは。




























2015年11月2日月曜日

ノラの冬支度

ノラ猫で、このあたりのボスであるシロリンは、最近急に甘える様になった。
原因は多分寒くなってきたから。
私の家の駐車場に物置があって、歴代ノラたちはそこで生活してきた。
シロリンはノラ歴長く、色々な家に出入りしていると思われるけれど、今朝餌をやりに行ったら、心細げに話しかけてきた。
「ねえ、暖房はまだ入れないの?」

そろそろ物置にアンカを入れた段ボールを置いてあげよう。
雌ノラのミッケは飄々としていて、いつも毛並みがきれいだから、もしかしたらどこかの家で飼われているのかも知れない。
それでも朝食は私の所でキッチリ食べて行く。

ミッケにもアンカ付きの寝床を提供してあげないとだめかな?
元々ミッケは飼い主が居たのに家出してきた。
とても上手く立ち回って歴代ボスについて歩く。
というか、ボス猫に私が餌をやるように連れてくる。
ミッケは上手く立ち回って、この辺を安住の地にしている。

時々元飼い主が情け無さそうに、物欲しげにミッケを見て、寂しそうに帰って行く。
飼い主に捨てられる猫は多いけれど、飼い主を捨てる猫というのは珍しい。
よほど餌がお気に召さなかったのか。

先代ノラは3年間ここに住んで、ある日突然姿を消した。
今のボス猫シロリンと熾烈な縄張り争いをしていたから、戦いに敗れたのかもしれない。
あまり人慣れしていなくて、3年目にやっと私に正面から顔を見せたほどの用心深い猫だったから、次の餌にありついているかどうか、いまだに心配している。

そして、交替してここをえさ場とするようになったシロリンは、最近やたらと愛想が良い。
3日程前、はじめて横腹を見せて、撫でることを許可して頂いた。
次の日は頭まで撫でるお許しが出た。
今日は冷たい雨が降っていて、いよいよアンカ付きベッドの支度をせよとの、ご命令。
はいはい!すぐに支度いたしますよ、ご主人様。

今年もノラ猫たちの一番辛い冬がやってきた。
どこのノラ達も餌と暖にありつけるよう、心から願っている。
冬が来れば春はもうすぐだからね。
頑張って生きて頂戴、世界中のノラさんたち。






















2015年11月1日日曜日

さてお次は

昨日、メンデルスゾーン「イタリア」の本番が終って、次は11月半ば、奥州市水沢でのお楽しみのコンサート。
ベートーヴェン「弦楽三重奏曲セレナーデ」
モーツァルト「ディベルティメント17番K.334」
シュトラウス「皇帝円舞曲」等々

水沢チェログループの指導者、チェリスト館野先生とは旧知の間柄で、時々お声がかかる。
数年前、館野さんの生徒と私の生徒が結婚して、ピアニスト館野泉さんを中心とする館野ファミリーのコンサートに招待してくれた。
チェロの館野さんと私は、オーケストラで以前一緒だったことがある。
それを知ったTさんが引き合わせてくれて、数十年ぶりに再会した。
長い年を経ていても、お互いに口から最初に出た言葉が「変わらないねえ」だった。
もちろんシワもたるみもたっぷり加わったけれど、気持ちはなんの変化(進歩?)もなく、雰囲気は全く同じ。
それ以来夏の松原湖のコンサートに出演お願いしたり、新潟のチェログループのコンサートに参加したりと、生徒のY夫妻と一緒に楽しむようになった。

Y夫人のKちゃんは美人で気立てが良く、館野先生はもとよりこのグループの皆に好かれている。
それで、牛にひかれて・・じゃないけれど、Kちゃんにひかれて水沢や新潟にのこのこ出かけていく。
もとより旅行大好き、室内楽命だから、喜んで飛んで行く。
お酒美味しい、魚美味しい、新潟も奥州も良い。

さて、今回私がどんな曲よりも好きなモーツァルト「ディベルティメント17番」

「あなたが無人島で1人で暮すことになって、一つだけしか持っていけないとしたら、どんなものを持って行きますか?」という質問があるでしょう。
私はもちろんヴァイオリンだけど、それがダメならこの曲のCD。
プレーヤーもセットで許されるならだけれど。
CDだけだと、烏よけにしかならない。
それより、無人島に電源があればのはなし。
太陽光発電が出来ることを祈る。

この曲を弾くのは今回で4回目。
演奏時間1時間ほどの大曲で、弦楽5部にホルン2本の編成。
今回は時間の制限もあるから抜粋で1楽章、3楽章、フィナーレのみ。
それで半分、でも30分近くなる。

ファーストヴァイオリンは休める小節がほとんどない。
譜めくりができないほど弾き詰めとなる。
それで楽譜を切り貼りして、たった2小節の休みで3枚の楽譜を入れ替えたりしないと間に合わない。
弾くことよりもこちらの心配の方が大きい。
モーツァルトの数ある曲の中でも難曲の部類に入るのは、その長大さ、終楽章のテンポの早さと、跳躍の多い音程。
1楽章が始まってから40分以上経って、漸く最終楽章にたどり着くと、待っているのが最大の難所。
最後のページが見えた時の達成感と安堵感は、山頂が見えた時の登山家もかくやかと思う。
全楽章通して、軽やかに華やかに、喜び一杯で弾き通すことができれば嬉しい。

東京から友人2人が参加して、私をサポートしてくれることになった。
コンサートが終ったら温泉に泊って、次の日、レンタカーで平泉あたりをドライブして、東北の秋を堪能しようという計画だけれど、紅葉には少し遅いようで、ちょっと残念。
女3人、ペチャクチャ、さぞ賑やかな旅行になることでしょう。
















2015年10月30日金曜日

戦闘機で成層圏へ

私は運動神経ゼロなのに、好奇心だけは強い。
それで様々な事に首を突っ込んできた。
乗馬にスキューバダイビングなど。
それぞれ理由があって中断したけれど、スキーだけは未だにやめられない。
ダイビングを始めた頃「山に海に・・・後は空ですよね」と人に言われた。
高い所が怖いので「ないない、それだけはない」と全否定したけれど、戦闘機で成層圏から地球を見るというのは、さぞ素晴らしい事ではないかと思った。
以前、そういうツアーの記事を読んだ。
少し調べてみたら、残念なことに身長の制限があって、とても足りない。
そのツアーにかかる費用は、600万円くらいだったと記憶している。

最近あるブログで見つけたのは、費用が300万円という記事。
なんとか手が出る金額でも、やはり身長制限があるかも。
それでも今はそんな気力も無く、身長は益々低くなった。
イギリスのエリザベス女王がロンドン五輪のときに、空から舞い降りたそうだけれど、あのようなご高齢で勇気があることと思ったら、スタントマンがピンクの衣装着て・・だったようだ。
でも最近しきりとパラシュートで飛ぶのってどんなかなあと、興味がある。
ブルル、いけないいけない、長野五輪のスキージャンプ台で腰抜かしたくせに、興味しんしん。
好奇心が猫を殺すって言うじゃない。

今朝珍しく机の抽出の整理をしていたら、トルコのカッパドキアに行って熱気球に乗った時の写真が出てきた。
その時私は、少し上がってもこんなに美しいのだから、空はここまでで充分だと思った。
音楽教室のオーナーの小田部ひろのさんと一緒で、夜明けの空を漂いながら「天国ってこんなところなんでしょうね」と語り合った。
その後間もなく、小田部さんは本当に天国に行ってしまった。

その時の写真がこれ。










飛行機に乗るのは大好きで、どれほど揺れても酔いはしない。
でも戦闘機で宙返りするのは、怖いかなあ?
飛行機と比べてどうなんだろう?
思い切って行ってみたいような、みたくないような。

身長の制限は納得、動画を見たら特殊な服を着る。
私サイズの物は用意されていないでしょう。
たぶん安全装置も、子供用には作られていないと思うし。
以前、飛行機のビジネスクラスに乗ったら、イスから何から何までサイズが大き過ぎて、足乗せに足が届かないで宙ぶらりん。
とても快適とは言えなかった。
余計な料金払って、くたびれた。

戦闘機で成層圏の記事は「こちら」をクリックしてください。














2015年10月28日水曜日

野菜の香り

食いしん坊は美味しい物を食べる手間を惜しまない。
それはグルメなんて言うものではなく、自宅で食べる料理の話し。
私は買い物をするのに、色々なお店に行く。
野菜は一駅先の自然食品の店で。
お肉とお米は車で40分ほど走る生協で。
豆腐は近くの個人商店。
魚は近くのデパ地下、というように。

決して美食家ではないけれど、せっかく食べるならなるべく美味しい方が良い。
今朝、野菜を買いに自然食品のお店に行った。
なぜこの店で買うようになったかというと、たまたまその店の隣が旅行代理店。
かつて、日本中を走り回って仕事をしていて、チケットの手配で旅行代理店に行った時、隣の店でニンジンを買ったのが始まり。
家に帰って包丁を入れると、プーンと懐かしい香り。
最近のニンジンは見た目はきれいでも、こんな強烈な匂いはしない。
そのニンジンは昔の匂いがした。

この匂いが嫌でたべない人もいると思う。
私が子供の頃、子だくさんの家の家計を助けるために、父が庭の一部を畑にして野菜を作っていた。
私はよく父の後を従いて歩いて、畑の手伝い(邪魔?)をしていた。
時々引き抜いたニンジンを水でちょっと漱いで「ほら」と言って渡されると、皮のままかじってみたり。
あまり美味しいとは思わなかったし、子供のことだからお決まりの野菜嫌い。
それでも取れたてのニンジンの鮮烈な香りは、とてもよく覚えている。
裏庭にはトマトや豆類。
竹藪にはタケノコ。
枇杷や桃、柚子、葡萄、無花果など果樹が沢山生えていて、果物は殆ど一年中自宅で採れた。
太陽の恵みをいっぱい受けた実は、感動するほど美味しかった。
そのどれもが独特の香りを放ち、味もとても濃かったように覚えている。
それが経済成長期と共に、きれいなばかりで味の薄い果物や野菜が店先に並び始めると、私は野菜も果物もあまり美味しいと思わなくなってしまった。

それから日本も落ち着いて昔の味が見直され、自然食品のお店も増えた。
それ以来私は野菜は産地か、自然食品の店で買う様になった。
他の店より少し値段は高いけれど、とにかく美味しい。
野菜もちゃんと作ると、こんなに美味しくなる。
卵も手に持ったとき重さが違う。

今朝買った大根。
立派な葉がついている。
スーパーなどで買うと葉は落とされてしまっているのでガッカリ。
葉がついているというだけでも嬉しい。
葉の付け根からサックリと包丁を入れて細かく刻んでいくと、まあ、なんと青臭い、大根の葉独特の匂い。
今日の大根は有機農業の教祖みたいな人の農場で採られた物だと、店長さんの得意げな講釈を聞かされ、よくぞ買って下さったと感謝された。

私は嗅覚障害があって、ある種の匂いは全く分からないのに、子供の頃嗅いだ臭いはとても良く分かる。
懐かしい香りを嗅いで、ごま油で炒め、酒と醤油を少したらし、しらすを入れて出来上り。
こんななんでもない手間いらずの料理が、素材の力で美味しく出来る。

今日はサンマ、瑞々しい大根は大根おろしにして、先日いただいたスダチを搾って、ああ、たまらない。
猫でなくてもウニャウニャ言いたくなる。

















2015年10月27日火曜日

犬の生き方

思わず泣いたエピソード。








こんな記事を見つけました。

私は獣医として働いているが、ある日ベルガーという名前の10才になるウルフハウンドを診るために呼ばれた。主人のロン、その妻リサ、そして小さな息子のシェインも3人ともベルガーが大好きで、何らかの奇跡が起こってくれないかと期待していた。
ベルガーを診察してみると、ガンで余命僅かであることが分かった。もうベルガーは手遅れな事を家族に伝え、家庭で安楽死させる選択肢があると伝えた。

夫婦は6才の息子シェインにもその処置を見せるつもりだと私に言って来た。シェインがその経験によって、何か学ぶものがあるかもしれないと感じたようだ。

その翌日、私はベルガーの家族に囲まれながら、喉に何かひっかかるようなものを感じていた。年を重ねた犬に最後の抱擁をするシェインは落ち着いているように見え、私はこの子が状況を理解しているのか疑問に感じていた。

数分ののちにベルガーは安らかに、眠るように息を引き取った。
シェインはベルガーの変化を特に混乱することもなく、難なく受け入れたようだった。私たちはベルガーの死後、しばらくそこに座り、動物の命が人間のよりも短いという、悲しい現実について話し合った。

静かに会話を聞いていたシェインが突然「どういうことか、わかるよ」と言った。
私たちは全員驚き、彼の方を向いた。
彼がその時放った言葉は私を驚かせた。それまで、これほど心地よい説明を聞いたことがなかったからだ。

彼はこう言ったのだ。

「人は良い人生の過し方を学ぶために生まれてくるよね?いつもみんなを愛することとか、人に優しくすることとか、だよね?」

そしてその6才の少年は続けた。

「ほら、犬はもうすでにそれを知っているんだから、そんなに長いこと、この世にいなくても良いんだ」

こちら」にも同じ記事があります。クリックしてみてください。

人は余りにも沢山の事を求めすぎている。
欲にまみれて、愛することが難しくなっていないだろうか。
犬や猫の様にひたすら人に愛を注いでくれる存在が居て、人はようやく精神の均衡を保っているような気がする。
人同士の愛は難しい。
いくら愛しても振り向いてもらえなければ、憎しみに変わったりする。
動物は純粋だから、愛すれば同じだけ応えてくれる。

駐車場の外猫たちも、最近ようやく撫でることが出来るようになった。
私の純粋な愛が伝わったのか、それとも餌ほしさに愛嬌振りまく処世術を身につけたのか。
その辺は彼らに訊かないとわからない。
















2015年10月26日月曜日

サボり癖

このところnekotamaの投稿も間遠になっていて、今日はもう月曜日。
先週の木曜日以後なにもなかったわけではないのに、気力がなくてサボっていた。
少し間が空くと世間では「あの人寝たきりになってるらしいわよ」とか「もう惚けてしまって涎を垂らして、ニャアニャアいってるらしいわよ」とか、ひどい話しになると「きっと死んだのよ。やれやれ、憎まれっ子なんとやらでうざかったけど、やっとせいせいしたわ」なんて噂が飛び交い始めるといけない。
申し訳ないけれど、元気でおりますよ。
どうだ、君たち、ガッカリしたか!ハッハッハッ。

最近オーケストラが続いて、この曲こんなに難しかったっけ?と思いながら練習に明け暮れていた。
交響曲などは他の楽器との兼ね合いもあって、不自然な動きをすることも多い。
むしろ協奏曲のほうが弾きやすい。
ファーストヴァイオリンは殆どメロディーラインを奏でているから弾きやすいけれど、セカンドヴァイオリン、ヴィオラなど内声になると、動きは謎に満ちている。
だから初心者がセカンドやヴィオラなどの内声を弾いたら、なにがなんだかさっぱり分からないと思う。
私は若い頃は内声大好きで、頼み込んで内声に回らせてもらう事もあったけれど、大半はファーストヴァイオリンを弾いてきたために、今内声を弾けと言われても出来ないと思う。

内声の役割の難しさは、やった人でないと分からない。
音が低くて目立たないからと言って初心者をセカンドに回すことも多いけれど、本当は経験豊富なベテランを置くべきだと、私は思う。
交響曲の内声は難しくて弾けないけれど、ファーストヴァイオリンだったら何が出てきても大丈夫とおもっていたのに・・・それがすっかり怪しくなってきた。
このところ、シンフォニーをひくことが続いている。
先日はフランク、次の本番はメンデルスゾーン、そしてシベリウス。
どの曲も交響曲としては難しくない方なのに、目、脳、指が直結しない。
主に視力の衰えから来るもので、楽譜を140%くらい拡大すると、普通に弾ける。
ただし、大き過ぎて譜面台からはみ出てしまう。
オケの楽譜は1人で見るものではないので、隣の人が嫌がったらその楽譜は使えない。
目をショボショボさせて、気後れしながら弾くことになる。
見えないという事は恐ろしいことで、気持ちがすっかり後ろ向きになってしまう。
かつて私は非常に視力が良かったので、チラッと形を見ただけで動きを把握出来た。
今は一生懸命見てもオタマジャクシが踊り出すので、弾くのが怖い。

眼鏡を作り直して、それでも見えにくかったら、もう引退と決めた。
私たちの年齢になると、たいていの演奏者は第一線から退いてしまう。
もったいないと思っていたけれど、やはりこういう事情があるのかと、納得した。
それにそろそろ場所を明け渡さないと、若い人達の居場所が狭くなる。

やめて何をするかというと、楽しみは世の中に満ちあふれていて、なにから始めたら良いか迷ってしまう。
1度、バイクの免許を取りたいと思ったけれど、ビンの蓋も開けられない脆弱な筋力では倒れたバイクを起こすことも出来ない。
普通免許は持っているから50㏄のバイクなら乗れそう。
今まで怪我が怖くて思いっきり滑る事が無かったスキーも、長期滞在で行けるかも。
ヨーロッパで滑ってみたいし。

それよりも本気でパソコン習って、今までさんざんお世話になった師匠にご恩返し・・・いやいや、それは無理。
先日も「言えばすぐに出来る人がいるというのに(これは私の友人Nさんのことと思われる)nekotamaさんは、まったくもう!」と嘆かれたばかりだから。
「出来の悪い子ほど可愛いでしょう?」といったら「可愛いと言えるのは15才まで」だと。
そんなに遠い過去でもないと思うけど。ウヒヒヒ























2015年10月22日木曜日

食べたくもないのに

呆れられるかもしれないけれど、まだハリー・ポッター5巻を講読中。
遅々として進まない。
1巻から読み始めて、もはや10年以上経っているのではないかと思う。
目の調子が悪くて1年以上お休みしても、又復活再度挑戦。
中学時代の勉強不足が祟って、1冊読むのも四苦八苦。
仕事の合間に月2回ほど先生に教わりながら、ヘラヘラと真剣味無く読み続けている。
進むのは1時間半で、ようやく10数ページ。
初めはアメリカ人の先生、でも、イギリスのことはアメリカ人ではわからないらしく、知らないと言われてそれまで。
それでイギリス人の先生を探して、今のルースさんに教わっている。

今日は1ヶ月以上お休みした上に、先日のレッスンの場所を間違えてしまって、更に時間が経過してしまった。
久しぶりのレッスンは大久保の、とあるマンション。
音楽教室が入っていて、そこの一室を借りた。
13時からの約束なので、昼食を摂っていこうと思った。

澁谷で乗り換えなので、食事を早く済ませたいときにはいつも行くおそば屋さん。
山手線の改札近くで、いつも行列が出来るほど込んでいるけれど、回転は良い。
というのは、このおそば屋さん、注文してから品物が出てくるのが異常に早い。
イスをさがして、さて座ろうかなと思うと、もう後ろに注文の物を持って店員さんが立っている。
入り口で注文して代金を払うと、ちょっと独特の言い回しでレジの人が注文品をマイクで流す。
それを聞いた厨房の人が用意をして、すぐに持ってくる。
どうやったらこんなに早く出来るのかしら。

注文は色々で、大盛りだったり、卵は半熟とか人それぞれだから、前もって作っておくのは難しいと思うのに、ちゃんと注文通りの物が来る。
今日は丁度お昼時だったから、いつもに増して人が多い。
お運びの店員さんも一時も休むことが出来ない。
体調が悪いときなどは、本当に大変なのではないかと思う。
しかも注文してから座る場所を探すので客はうろうろするのに、ちゃんと座った場所を見届けて、注文した品物を間違いなく運んでくる。
びっくりしたのは、お客さんがイスを探している後を店員さんが、品物を持って歩いているのを見た時。

食事する時間が足りないときにはおおいに助かるので、時々ここでお蕎麦を食べる。
今日もまだお腹は空いていなかったけれど、レッスンの途中でお腹が空いてグウ~なんて鳴るといけないから、一寸腹ごしらえをしておこう。
だったら軽く盛りそばなどで済ませばいいものを、サンプルを見ていたらやはり天ぷらも食べたい。
今朝朝食をしっかり食べたので、お昼抜いても構わないと思うくらいなのに、目が欲しがる。
この店は早さが売り物だから、天ぷらは揚げたてなんて言うのは贅沢というもの。
前もって揚げてあるものをお蕎麦に載せるので、天ぷらは冷めている。
それでも単品の食事が出来ない質だから、お蕎麦プラス何かおかずのような物が欲しい。
しかもお腹は空いていない。

こういうときは最悪の事態になるのは知っているのに、本当に食い意地が張っているのと、我慢が足りない性格なので、どうしても盛りそばだけというわけにはいかない。
天ぷらはボリュームたっぷり、見ただけでお腹いっぱい。
だけど、残すのは癪。
とうとう平らげてしまった。

レッスンが終って家に帰って、コーヒーでも飲もうかと思ったけれど、なんだか逆流性食道炎のようになって、気分が悪い。
寒気がする。
ああ、やっぱりやってしまった!
今朝は特大のオムレツとたっぷりのスムージー。
優に2食分はありそうな朝ご飯だった。
それなのに・・・気持ちが悪くてウンウン言いながら、後悔することしきり。
なぜ、レッスンが終るまで待てないのか。
夕方からしばらく寝込んでしまった。
気分が悪く、これはなにか病気ではと疑ったけれど、なんのことはない、消化したらもう今はお腹が空いている。
たんなる食べ過ぎ。

若い頃はお腹が空くと機嫌が悪くなるので、周りの人達は私のためにいつもパンなどを持ってきてくれていた。
仕事中に急に無口になると、それっとばかりに菓子パンなどを与えられて、本当に皆さん気を遣って下さってありがとうございました。
そういう風に甘やかされたのと自分に甘いのと、それで食事のコントロールが出来ない。
お腹が空かなくても、目の前に食べ物があれば食べたくなる。
意地汚く下品だと思ってはいるけれど、野生の猫だと思っていただきたい。
今食べないといつ食物にありつけるかわからないので、目一杯食べるという野生本能が残っているのは、私が原始人だから?
いや、原始猫だから。














2015年10月19日月曜日

茸で雨宿りするフクロウ

茸で雨宿りする小さなフクロウ。
手の平に載るほど小さいのかしら?
雨の中、じっと耐えている表情がなんとも可愛らしい。




おや、雨が上がったかな。
ぱっちり開いたお目々も可愛い。









嬉しいお客様

昨日は朝から美人3姉妹の御来訪。
本当は姉妹でなくお母さんと2人のお嬢さん。
お母さんはそう見えるほど若い。
2人とも私のかつての教え子で、姉のS子ちゃんは音大の大学院在籍、プロとして仕事も始めたところ。
妹のM子ちゃんは身体が弱くヴァイオリンの道は諦めて、この度就職が決ったとかで、その報告をしにきてくれた。
Mちゃんは猫アレルギーで、私のうちは危険地帯だから他の先生にお預けしたものの、その先生は売れっ子で大忙し。
悪いクセも中々なおらずに音大受験を諦めた。
それは可哀相だったけれど、頭の良い子だから一流企業に内定。
耳が良かったので語学に堪能なのが、決め手だったかもしれない。
中国語の難しい発音もちゃんと聞き取れるそうなので、音楽をやっていたのが役に立っていると思う。

もう今から数十年前、2人がうちに来た時はまだ小学校に入ったか入る前だったか、とにかく可愛い姉妹で、しつけが良いからレッスンの間は一言も口を利かない。
しかし、レッスンが終ったとなると2人でワッと「のみ~、しらみ」と言いながら私に取り憑いて大騒ぎ。
あのノミとシラミが、こんなにきれいで嫋やかなお嬢さんになって、感無量。
このことは2人とも覚えていないようなので、自分たちが前世でノミとシラミだったとは知らないらしい。

S子ちゃんは背丈もヴァイオリンの技術も順調に伸びて、今花盛り。
色々な所で活躍をしているようだ。
Mちゃんは子供の頃はどちらかというとお姉さんよりも活発な風に見えたけれど、しっかりとしたお嬢さんになって落ち着いている。

うちに私の生徒が集まって、次々と初見でアンサンブルをしたり、その後はワインを飲みながらワイワイ楽しんでいた頃、彼女たちは花形だった。
小さい2人が大人よりも遙かに初見が利いて、アンサンブルの才能も見せていた。S子ちゃんは、プロの音楽家になるという初志を貫いた。
Mちゃんも今後はアマチュアのアンサンブルなど、いくらでも楽しみはあるから、音楽はやめないで欲しい。
むしろアマチュアで弾いていた方が、楽しめるかも知れない。

10年以上前に私のところから他の先生に移っても、こうして時々遊びに来てくれるのが、なにより嬉しい。
成長する姿に目を細めている。

私は今、オーケストラの本番が次々と続いているので、その譜読みで頭がいっぱい。
このブログにも中々投稿出来ない。
オーケストラの曲は殆どやったことのある物なのに、今弾いてみるととても難しい。
若い頃は、よく毎日毎日こんな曲を平然と弾いていたものだと、我ながら感心するけれど、S子ちゃんはこれからこの世界に入っていく。
先日初めてプロのオーケストラのエキストラに行ったそうで、緊張の余りなにも覚えていないと言っていたけれど、もう少し経つともっと緊張することが次々と出て来ると思う。
それでも、又お仕事いただけましたと嬉しそう。
若い頃からずっと私は緊張の連続。
この世界に入ったら仕方が無いことなので、それに耐えてひたすら勉強あるのみ。

若さというのは素晴らしい。
音符が向こうから目に飛び込んでくる。
今私は、音符に足が生えて逃げられまくっている。
それでも大好きな曲を弾く時だけは、嬉しくて、次にコンサートを開くことがあれば、この若いS子ちゃんと共演したいと思っている。
干からびた元教師と一緒に弾くのを果して喜んでくれるかどうかは疑問だけれど。

















2015年10月16日金曜日

三毛になりました。

最近美容院を変えて新しく通っているのは品川。
数十年来の仕事仲間のSさんの紹介で、今回が三回目になる。
ひと月一回、Sさんと同じ日の同じ時間に予約して、隣のイスでお喋りをしながら、同じ美容師さんがカットしてくれる。
彼女がカットしている間、私はカラー、私がカットしている間に彼女がカラーという具合に。
ほぼ同時に終ると、品川駅側でランチして帰るのが習慣になりそう。

大分前、私は多色カラーに凝っていて、髪の毛を青や黄色のトロピカルヘヤーにしていたことがあった。
その頃はヴィオラのFUMIKOさんもそんな感じで、お互いにこの次はどんな色になるのか楽しみだったけれど、ある時からそれに飽きて、普通の栗色に戻した。
戻したら「あら、最近更正したわね」と言われて、以来大人しくしていたのが、美容師さんをかえたとたんムラムラと悪戯心が湧いてきた。

先月行ったときに少しカラーで遊んでもらう事にした。
とてもビビットなグリーンを部分的に入れてもらったけれど、まだ2回目なのでどの位やっていいものか、美容師さんは見当がつかなかったようだ。
仕上がりはごく大人しく、陰の部分にグリーンが隠れて、髪をかき分けて見せないと分からない。
入れるときは鮮やかなグリーンだったのに、仕上がりは艶のある暗めのグリーンになっていたので、栗色の部分との差はほとんどわからないくらい。
思ったほど効果はでなかった。
こんな年代の人にこんな色を使って良いものかと、彼は迷っているに違いない

美容師さんとしては怖いのだろうと思う。
こんな色にして・・とか、カットが気にいらないとか、クレームはしょっちゅう付けられているかと思う。
私は美容師さんが自分の意志で、デザインも長さや色も決めてくれるほうが好き。
自信を持って自分の技術を披瀝してほしい。

以前、長年カットしてもらっていた美容師のKさんは、天才的なカット技術を持っていたけれど、天才に付きものの気まぐれで、素晴らしい時もあれば悲惨な時もあった。
でも私たちにはそれは良くわかる。
私たちも仕事で上手くいくときもあるし、失敗して落ち込むことも多々あった。
そういうときに日頃の自分を見ていてくれる人は、今日は少し調子が悪かったけれど、わざとではないと分かってくれる。
しかし、初めてその調子の悪い演奏を聴いてしまったひとは、なんて下手くそと思って2度と聞きにきてはくれない。
だから、いつも平均以下にはならないように注意はしているものの、そこは人間だから、熱があったりすごく緊張しすぎることもあったり、そうそういつも名演奏というわけにはいかない。
天才美容師Kさんも気まぐれで、ほとんどの場合は素晴らしいカットだったけれど、時々虎刈りにされる。
それでも髪の毛は伸びるから、良いわよと言って帰って来た。
次に素晴らしいカットを期待して。

今回は若い男性美容師。
勇気を持って色々遊んで欲しいと頼んで、本人も喜んで試してくれるものの、まだまだ過激にはなれないようだ。
3回目にしてやっと思い切りよく色を入れてくれた。
その写真がこちら。


        おっと間違えたようですね。あはは。
            でもこんな感じ。
         白い部分がグリーンなのですが。




































2015年10月14日水曜日

視力

来年の八ヶ岳音楽祭の曲はベートーヴェン「第九」だそうで、音楽祭創設10年目の節目にふさわしい歓喜の歌が会場に流れるのは、ちょっと感激かも。
その日に私がそこで演奏出来るかどうかは不明。

最近ずっと耳に故障が起きそうな予感があったけれど、あまりの忙しさにすっかり忘れていた。
人はなにか気にし出すと、そこに集中してしまう。
私も、ちょっとした不具合が気になって四六時中そのことを考えていて、泥沼から抜け出せないようになっていたのだと思う。
たぶん軽い風邪から始まったことなので、もう気にかけるのはやめた。
足首の痛みのこともそうだけど、甘やかして使わないで居るともっと悪くなるので、お構いなしに歩いたら痛みは軽減。
もし痛みが引かないでもっと不具合になったら、手術をして直してしまえばいいと開き治ったら、普通に歩けるようになった。

八ヶ岳音楽祭で私の後ろの席にいた女性は、白内障がひどく、この音楽祭が終ったら手術の予定だとか。
怖くない?と訊いたら、良くなるかと思うと嬉しくて、早く受けたいわ、と返事がきた。
彼女は本当に見えにくくて、それで楽譜を最大に拡大してきたと言う。
そのお陰で私がそれをコピーさせてもらえて、助かったというわけ。
目が悪いと、普段は鏡に映る自分の顔がよく見えなくて良いけれど、いざ楽譜を見ようと思うと、それはそれは不安で神経質になる。
特にオーケストラの楽譜は難しい上に指揮者を見て、他の音を聴いてと大忙しだから、目をこらして見ている余裕はない。
チラッと見て把握できないと、指揮者の指示や他の奏者との兼ね合いを見逃してしまう。
神経が四方八方に行き届かないと、良いプレーヤーにはなれないので、特に楽譜が普通に見えると言うことが、重要になってくる。

以前「白内障の手術をしたら、楽譜が良く見えるようになって人生変わりました」と言った人がいた。
それを聞いて私も眼科へ飛んで行って「白内障の手術をしたい」と言ったら「白内障でもないのに手術は出来ません」と断られた。
まるで笑い話だけれど、楽譜が良く見えないのは切実な問題。
特にオーケストラで一つの譜面を2人で見ると、斜めから覗くことになるので、反対側のページが良く見えない。
見えないと自信がなくなって、消極的になる。

忙しい日々がやっと一段落して家にいると、又耳のことが気になってきた。
ずっと忘れていたのに。
面白いことに、ひとは複数の心配事があったほうがいいのではないかと思う。
そうすると、どちらかに集中しないで、気持ちが分散される。
心配事が沢山あっても悪くないのかもしれない。
私ならノラ猫のこと、耳のこと、ヴァイオリンのこと、目のこと等々。

次の本番はメンデルスゾーン「交響曲イタリア」
音符が細かくてテンポが速くて・・・
これから練習にとりかかるけれど、果して目がついて行けるかどうかが心配。


























2015年10月13日火曜日

第9回八ヶ岳音楽祭

大忙しの3日間が終了。
音楽祭の最後の演奏が終って、真っ暗な夜道を北軽までひた走る。
松茸ご飯が待っている。
まつたけまつたけと呪文を唱えながら、かすむ目を必死で見開いてなんとかたどり着くと、美味しいおでん、ワカサギの南蛮漬け、お刺身や漬け物、そして圧巻は豪快な壺入り焼酎が一升、でんとテーブルに鎮座。
聴きに来てくれたこの家の住人2人とお隣のノンちゃん。
先に車で帰っていて、ご馳走を並べて置いてくれた。
そしてこの夏「ルオムの森」のコンサートでお世話になった、オーナー夫人のAさんも加わって、女性5人での楽しい宴会。

焼酎で乾杯。
3日間の重労働の後は、五臓六腑に染み渡る美味しさ。
あ~、疲れた。

3日前北軽井沢から練習場所でもある北杜市の宿泊施設に到着。
午後から練習が始まった。
ほんの少しの休憩時間と、夕食を食べた後にも練習が待ち構えていて、一日目は暮れた。
2日目は朝9時半から練習開始、昼食を挟んで又練習、夕食が終ると本番の会場である「やまびこホール」へ移動して練習。
結局その日は午前9時30分から夜の9時48分まで、みっちりと練習漬けの1日。
もうダメ!こんなに弾いたら明日は使い物にならない。
そして本番当日、朝9時半、会場での総仕上げ。
昼食の後、午後2時開演。
会場の気持ちの良い響きと、演奏者の熱気が相まって中々気持ちの良い本番となった。

今回のプログラムは
メインがフランク「交響曲ニ短調」
少し暗くて聴き慣れない人も居たかと思う。
聴きに来てくれた人達は、本当に小さい音かと思うと、突然大音響が響いてビックリした~という感想。

フォーレの「レクイエム」は寝てしまったとか。
あんなに厳しい練習をしても、聴く人達の趣味でないと受け入れられないのはガッカリ。
それでも眠れるような演奏は良い演奏と、相場が決っていると思いたい。
でも北軽から2時間半も車を運転して聴きに来てくれたのには、感謝感激。
開演前に美味しいお蕎麦を食べに行くと言っていたので、たぶんたらふく召し上がったのだろう。

今回の序曲はベルリオーズ「ローマの謝肉祭」
この曲はそれほど難しくもなく楽勝と思っていたのに、いざ練習所で初めて音を出したとき、弾けない!!愕然とした。
特に一寸したリズム感が上手く行かない。
本当にそれほど難しくはないのに。
2日目になっても気後れがしてどんどん落ち込んでいった。
その時、後ろの席の人が拡大した楽譜を、これをコピーしたら?と貸してくれた。
そして拡大すると・・・あら不思議、なんともなく弾けるのだ。
ああ、良かった、単に楽譜が見えていなかっただけなのだ。

お陰で本番は元気に終了。
序曲と交響曲はヴァイオリンで、合唱曲のフォーレはヴィオラを演奏。
楽器の持ち替えも、周りの友人達に世話されて無事に出来た。
私がバタバタしていると、周りの人が見かねて面倒みてくれる。
フォーレのヴィオラパートはたぐいまれな美しさ。
以前からこのヴィオラを是非弾きたいと思っていた。
念願叶って嬉しくて天にも登る心地、本当に昇天したら私のためのレクイエムになってしまうなどと、馬鹿な事を考える。
どうも私の思考回路は冗談が多すぎる。

終了後の打ち上げも、北軽で待っている松茸の誘惑には逆らえず、参加しなかった。
まつたけご飯美味しかったなあ。
こんなに練習漬けになるのは、この音楽祭だけ。
もう若者には到底従いていけないと思っていても、終ってみると自分がけっこう元気でいるのには驚く。
かつては、こんな練習したらヘトヘトだったのに。
経験を積んで曲を良く知っているのと、変に力まないようになって、それも年の功かも。

一升壺の焼酎は女性5人できれいになくなり、夜の9時半頃には爆睡。
たっぷり寝て目が醒めたら、まだ午前2時半。
ベッドの横のカーテンを開けると、木々が黒々と空にシルエットで浮かび上がる、その葉の合間から星が輝いて見えた。
気分はいいけれど、身体中バリバリに凝っている。

そのまま朝まで眠らずに起きて居た。
ちゃんと5時間寝ているから大丈夫。
一宿一飯の恩義に、暖炉の薪用の枯れ枝を集めて運動すると、身体のコリは治ってしまった。
朝食の後は近所の森を散策して、まだ少し早い紅葉を楽しんだ。






















2015年10月10日土曜日

北軽井沢ののんちゃんの山荘で暖炉に火をつけて…いや、暖炉にではなく薪に火をつけて眺めていると、ビバルディの「冬」を思い起こす。薪の弾ける音がピッチカートになり、ゆったりとその温もりでくつろぐ人たちの楽しげな様子が描写されている。薪の弾ける音をピッチカートで表す発想がステキ。北軽井沢はまだ紅葉には少し早く雑木林は明るい黄緑や薄い黄色に染まっている。夜に入るとやはりかなり肌寒い。待っていてくれたのはのんちゃんとその隣に住んでいる二人の隣人。庭続きで二軒の家が建っている。食事はいつも3人いっしょ。お隣さんがプロ並の料理の達人だから、今夜も並みのレストランではかなわないほどの料理をご馳走になった。先ずは無花果の素焼きにカッテージチーズを載せたもの、牡丹海老と鯛マグロの中とろの刺身、メインはローストビーフ。カキフライと玉ねぎのフライ。その他に野菜類。魚系が多いので、白ワインが2本空けられた。話しに花が咲いていたけれど、のんちゃんはもうおねむ、早めに切り上げて休むことにした。
暖炉にはまだ残り火があって、新しく段ボールなどをくべると又勢い良くもえあがる。じっと見ていると子供の頃を思い出す。
秋になると樹木の生い茂った広い庭に大量の葉が落ちて、それを集めて焚火をする。兄弟で焚火を囲んであそぶ。風向きで煙が目にしみる。さつまいもをくべて焦げて真っ黒な皮を剥くと中がホクホクの美味しい焼き芋を火の中から取り出す時の嬉しさ。みんなでワイワイ言いながら食べた。
その後近所に家が密集してきて、父が焚火をしていたら消防自動車が来て叱られた。それからは焼き芋の楽しみはおしまい。今どきの子供の遊び場所は狭くて気の毒だと思うけれど、私たち兄弟姉妹が遊んでいたことは今思うと、ずいぶん危険なことだったかもしれない。よくも6人全員無事に育ったものだと思う。
あの頃の季節感や自然に接しながらの遊びが私の中に色濃く残っていて、火を見つめていると心が子供の頃に戻るのを感じる。

2015年10月9日金曜日

秋晴れ

台風が北の方にいるというのに、こちらは清々しい秋晴れ。
八ヶ岳音楽祭の練習は明日からだけれど、明日の高速道路の渋滞予想を見ると、気分が悪くなった。
それで今日のうちに高根町の宿泊施設「羽村自然休暇村」まで行ってしまって泊る予定だった。
ところが北軽井沢の住人達が本番を聴きに来てくれるので、今日から北軽に行くというから、それに便乗することにした。
北軽のノンちゃんの別荘に泊めていただく。
羽村自然休暇村に前の日に泊る人はチラホラ、1人で大きな部屋に寝ることを考えると、ちょっと怖い。
私は臆病でお化けが怖いものだから、皆が来る明日休暇村の方に行こうと思った。

北軽から高根町までは1時間半くらいかかると思うけれど、なんといっても渋滞知らず。
渋滞に巻き込まれていらいらすることほど嫌なものはない。
連休初め9日の関越自動車道の渋滞予報は、午前6~10時台が35キロ、12時台になっても20キロ。
練習は12時入りだから、こんな渋滞の中をノンビリとと言うワケにはいかない。
それで毎年前のりをする。

以前、他の仕事のことだけど。
練習がもう始まろうというのにチェリストが来ない。
時間ぎりぎりになって青い顔をして飛び込んできた。
渋滞に巻き込まれてしまって二進も三進もいかなくなって、仕事か命かと思ったけれど、やはり仕事だと思って高速道路の路肩を猛スピードで走ってしまったそうで、本当に危険で向こう見ずなことなのに、気持ちは良くわかる。
路肩走行は緊急自動車等の通り道、禁止されているから交通違反で捕まる可能性も。
私も1度環八で大渋滞に巻き込まれたときには、あらゆる汚い手を使って時間ぎりぎりに飛び込んだ頃がある。
楽屋口で音楽事務所の社長に挨拶をした。
こちらは普通にしたつもりなのに、それから1時間くらいしてから「nekotamaさん、もう口きいても良いかな?」と言われてしまった。
「さっきはとても怖くて話しかけられなかった」と。

まあ、そんなわけで、毎度お世話になる北軽の人達に今日の夜は美味しいご飯をご馳走になって、明日朝現地へ出発。
これからハードな練習が待っている。

これを言うと皆笑うけど、私はえらく心配性で、本番前は緊張で音が出なくなるのではと思ってしまう。
いつもいつもそうなのだけれど、終ってみればなんとか無事に音が出て次のステージの心配が始まる。
今回もオタマジャクシが游ぎ始めて、全部カエルになって飛び跳ねて行ってしまう悪夢を想像して、なんとも頼りない気持ち。
ノンちゃん邸の庭の雑木林に心を静めてパワーをもらえたら良いけれど、さてどうなりますか。
他の事はすごく度胸が据わっていると思うのに、楽器を手にすると、とたんに気弱になる、これってどうにかならないものかしら。
では出発します。
紅葉が楽しみ。
















2015年10月8日木曜日

瞑想状態

明日家を出発して北軽井沢で一泊、明後日北杜市高根町に向かう。

今年の八ヶ岳音楽祭のプログラムは
レスピーギ「ローマの謝肉祭」
フォーレ「レクイエム」
フランク「交響曲2番」 
これでもかという名曲揃い。
指揮者は去年までの飯守泰次郎さんから矢崎彦太郎さんにバトンタッチ。
私は彼の指揮で弾くのは初めてなので楽しみにしている。
10月12日(月・祝)14時開演 八ヶ岳やまびこホール

明後日の午後練習が始まる。
毎年ヴィオラを弾かせてもらっていたけれど、今年はフランクの2番が中々難物なので、ヴァイオリンを弾いてほしい。
でも、フォーレのレクイエムはヴィオラが重要な役割を持っていて、ヴィオラの戦力にもなってほしいと・・・こんなよれよれのおばさんに何を期待しているのかと。
どちらもいい加減にこなせるという便利屋さんだから、いかにも弾けているように見せかけてその実、内心アタフタ慌てまくっている。

楽譜が届いたとき、フォーレのヴィオラ譜をパラパラっとめくってみたら案外簡単そうに見えたので、昨日まで他の曲にかかりっきりになっていた。
12月のロンドンアンサンブルのエルガ-「エニグマ(謎)変奏曲」が初めての曲なので、文字通り譜読みと分析(謎とき)に勤しんでいた。
ところが昨日初めてフォーレと向き合ってみたら、いやいや冷や汗タラタラ、意外と難しかった。

特に16分音符が延々と続く箇所があって、チラッと見たときにはそれほど難所とはおもっていなかったのに、敵は自分自身にあった。
弾き始めて2行目くらいになると、すっと瞑想状態に陥る。
目が良く見えないので、途中からオタマジャクシが5線紙の川を游ぎ始める。
成長してカエルになって跳んでしまう。
段を間違えそうになる。
思わぬ伏兵にいまパニックになっている。
弾くこと自体がそれほど難しいわけではないけれど、臨時記号を間違えそうで、どれほど練習しておいても目が良く見えないので恐ろしい。

フォーレ「レクイエム」はヴィオラの魅力をたっぷりと聴かせる。
普通オーケストラの曲でヴィオラはさほど目立たないけれど、この曲はヴィオラのあの独特の音域と音色が大活躍。
人の声ならアルトの音域で、重厚で深みのある音色はレクイエムという曲の性格にも合っている。
オーケストラでこの曲が演奏されるときには、いつもヴィオラが羨ましくてたまらなかったから、今回はヴィオラを弾かせてもらえてラッキー!と思っていた。
しかし・・・この瞑想状態はいかがしたものか。

元々瞑想状態に入るのはお手の物。
ストンと夢の世界に行ってしまえるのが仇となって、今回、このページを弾き始めたらステージで寝てしまわないだろうかと、たいそう心配している。
練習に入ると超ハードスケジュール。
本を持って行こうと思っているけれど、おそらく読むヒマなんてない。
数キロ痩せて帰ってくる・・・なんてことはない。
たぶん皆と一緒だと楽しくて食べ過ぎて飲み過ぎて、あ~あ。














2015年10月6日火曜日

雷に怯える猫を守る犬

雷が鳴り始めると怯える猫を抱き寄せる犬。
            不安そうに宙を見つめる。


ガラガラどっしゃーん!!!キャイーン。
実は自分が怖かっただけ。
猫は我関せず。
この顔・・・笑いが止まらない。