2012年1月31日火曜日

折り畳み自動車!

スペインで開発された電気自動車はなんと折り畳み。2013年から量産するというから、すごく楽しみにしている。父親が機械屋だった血筋かもしれないけれど、女だてらに結構機械類が好き。体力があれば自動車のメカニックになっていたかもしれない、というのはうそだけど、毎年東京工業大学でロボットのコンテストがあるでしょう。あれをテレビで見るのが楽しみ。最近買ったルンバもお掃除嫌いな私もつい掃除したくなる・・・というか、掃除しているルンバを見て喜んでいる。時々話しかけたりして、傍から見たらばっかみたいと言われそう。自動車免許を取ったのは大学出てすぐだった。教習所でクラス分けされたとき、一番先生の質が良いところに入れてラッキーだった。そのクラスの先生たちはいわゆる鬼教官でもなければセクハラ教官でもなく、礼儀正しくて教え方も厳しかった。特に最終のテスト前の担当教官は運転だけでなく、整備工場に連れていってくれて、オイルやタイヤの交換などまで教えてくれた。若いころは、だからオイルやタイヤの交換は自分でしたし、ある時などはプラグまで自分で交換していた。いまは一切車のメカはさわれないようだけれど、私の車の担当の日産マンはそれが若者の車離れの原因の一つだと言っている。自分の可愛い車の整備くらいは自分でしたい人が多いのでは?私はもう体力がなくてそんなことはご免だけれど。男の人ならやってみたいと思うでしょうね。でも私が整備工でなくてよかった。なにしろ説明書が読めない。楽譜ならあんなに素早く読めるのにと、いつも首をかしげている。私が整備した車は跳ねたりお尻を振ったり、愉快な車になりそうな気はするけれど。

2012年1月29日日曜日

ラ・ボエーム

コーラスの裕美子さんとそのお友達の由美さんと3人で、新国立劇場のレストランでランチ。久しぶりに会ったので、おしゃべりも食事も中々終わらず、ギリギリの入場になった。なんといってもオペラの中でこのボエームは一番のお気に入りだから、往きの車の中からアリアを口ずさんでしまう。始めのほうから段々に終わりの方の歌まで、うろ覚えながら歌っていると、もう涙がポロリ。今からこんなでは先が思いやられる。オーケストラは私の古巣の東京交響楽団。一幕はどうやら泣かずに持ちこたえたけれど、2幕はもうだめ。このオペラは本当に他愛ない筋書だけど、音楽がいいから必ず大泣きしてしまう。何回見ても泣く。CDでも泣く。自分で歌っていても泣く。もともと涙もろいほうだけど、このオペラに関しては涙腺が異常にもろくなる。オペラというのは本当に贅沢の極み。大きな劇場にオーケストラ、舞台装置、コーラス、バレエ、大変なお金がかかる。見ている方はオケピットでチューニングが始まると、もう期待で胸がドキドキする。指揮者が入ってきて序曲が始まる、そして幕開け・・・この辺ですでにうっとり。そのあとは3時間別世界に引き込まれ、泣いたり笑ったり。全部生音なのがいい。どんなに大きな音でも決して耳障りにならない。スピーカーを通すと音の大きさには限界があるけれど、生音なら音の響きに包まれる幸せを感じることができる。批評によれば、今回の公演でオーケストラが大きすぎて、まるでアメ車のようだと書かれていたそうだけれど、私はすこしもそうは思わなかった。歌もちゃんと聞こえていたので。すぐれた歌手は100人くらいのオーケストラがフル演奏してもびくともしない。人間の声というのは体に響かせれば、高性能のスピーカーにも負けない声量が出る。それは会場の反響を利用できるから。ヴァイオリンだって同じこと。あんな小さな楽器の音が何千人もの客席の隅々に届くのは、会場自体を味方につけるから。会場そのものが楽器となるように響かせるのが大きな課題となる。だからいかに響きを殺さないで演奏するかが大切になる。手元で圧力をかけすぎて音を殺してしまうと、もうどんなにしても会場に届いて行かない。届かなければ反響しないで自滅。今までずいぶん自滅しました。緊張すると硬くなって音をつぶす。だから一流の演奏家でさえ、一曲目というのは響きが悪いことがある。今回のミミも一幕は声がかすれていたけれど、そのあとはどんどん素晴らしくなっていった。なによりも全体に気品があって、真っ向から古典的な演出になっていたのがうれしかった。

2012年1月28日土曜日

仕事仲間

昨日のモーツァルトバースデイコンサートは成功をおさめたようだ。ディヴェルティメントは皆の緊張が良いほうに作用して、小気味よい切れ味のある演奏だった。指揮者なしで、スッキリとまとまった。「レクイエム」は練習ではテンポが間延びして多少イライラさせられたけれど、本番は大変いいテンポで終始して、終わってからブラヴォーの声があがった。
今日はオフなので、マンドリンの演奏会を聴きに行った。東京マンドリンアンサンブルの田中早苗さんを中心に、今日は5人の出演。横浜山手のゲーテ座。早苗さんとはテレビ放送などの仕事で長い間ご一緒した。全国を飛び回っていた頃は、仕事が終わるとその地方の美味しいものを見つけて一緒に大いに食べかつ飲んで歩いた。彼女の食通なことは有名で、とにかくどこにどんなお店があるか、精通している。ついて行けば必ず美味しいものにありつける。そのグルメが演奏にも通じて歌心がすばらしい。今日のプログラムは日本の「春の海」などの1部、2部はディズニー特集。軽妙なお話を交えて楽しいコンサートだった。お隣に子供連れのご夫婦がいた。その子供が途中で一緒に手拍子したり、リズムに合わせて踊ったりしている。こちらも楽しくなる。会場の広さもよかったのかもしれないが、5人だけの音なのに迫力十分で、早苗さんは豊かにメロディーを歌い上げる。マチネーなので、お昼ご飯の後の一番眠くなるこの時間帯には寝てしまうのがいつもの事なのに、今日は少しも眠くならず起きて楽しんでいた。明日はやはり一緒にテレビの仕事をしていたコーラスの裕美子さんのおさそいで「ボエーム」をみにいく予定。早苗さんも裕美子さんもまだバリバリ仕事をしているけれど、私は一昨年から早苗さんや裕美子さんと一緒の仕事は引退。それでもこうして、なにかにつけ誘ってくださるのがうれしい。本当の年は化け猫になれるほどなのに、若い仲間と一緒にいるから自覚症状がない。だからと言って実年齢は情け容赦なくとって行くから、心と体のバランスがとれなくて困っている。時々エレヴェーターを止めようとして、走ってボタンにアタックしたりする。ハッと気が付いて苦笑する。こんなことしてこけて足折ったらどうする。きょうも電車にドアが閉まる寸前に飛び込んでハアハア。火傷はもう一歩で治る。足のしびれもとっくになくなった。歯も全快。そうなるとムクムクとお転婆心が起き上がってくる。さて、スキー場が恋しくなってきたなあ。

2012年1月27日金曜日

ハッピーバースデイ

今日はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの誕生日。よくぞ生まれてくださった。世界中の人に愛される音楽をありがとう。どんな優れた作品でも人によって好き嫌いはあるのに、私の知る限りではモーツァルトの嫌いな人はいない。あんなに単純であれほど美しい曲がかける人はいない。今日は府中のウイーンホールで256歳の誕生記念コンサートがある。最晩年の作品「レクイエム」と絃楽器、管楽器それぞれの「ディヴェルティメント」彼の作品の原稿を見ると、書き直したところが一か所も無いと聞く。きっと神様が彼の手をとって、書かせたに違いない。それとも彼が神様だったのか。少なくとも私の神様はモーツァルト。信じられないほどの透明感、単純なのにおそろしく深い悲しみをたたえ、人々の心を吸い取る。それだけに演奏は本当に難しい。みんな緊張する。一音たりとも無駄がないから、間違えたらお終いっていうところがある。さて、今日はいい演奏ができるでしょうか。

2012年1月26日木曜日

臨死体験2

今朝「臨死体験」という題名を見た人から、私に異変が起きたのかとびっくりしたというメールが即座に入った。大丈夫です。私はぴんしゃんしています。さて続きは・・・バーバラはその体験から自分の母親の嫌だった性格にも理解を示すようになり、なによりも祖母の愛情に包まれていると感じ、人に奉仕することに生きがいを見出すようになっていく。臨終の人を励まし、病人の苦痛を和らげるために奔走する。同じような体験を持った人たちとのつながりが出来て、やがてそれは組織になって、臨死体験者や精神科医が集まって研究が積み重ねられていく。いままでの富裕な生活は意味を持たなくなっていく。しだいに有能なビジネスマンの夫の価値観が合わなくなって、やがてお互いに愛し合いながらも離婚に至ってしまう。生活に困っていても、不思議と誰かの助けが得られて、離婚でばらばらになった子供たちともまた寄り添って生きられるようになっていく。そう、いわゆる自然の助けが得られる人であるバーバラは、苦痛や心労が無いわけではないけれど、いつでも誰かとつながっているという実感が彼女を強くしている。なぜこの本にこんなに惹かれたかというと、私は臨死体験はないけれど、以前瞑想をやっていて、その時の体験が非常に近いものがあることと、その体験をしたあと、色々な意味で、世界がかわっていった。いつでもあの時の心の深い静けさを思い浮かべると、誰ともどこから来るものとも知れない、深い愛につつまれているという実感がわいてくる。たいした音楽的才能も演奏技術も持っていないのに、不思議と周りに助けられてここまでやってこられた。その感謝の気持ちがふつふつとわいてくる。だれかに守られている、誰でもそうなんです。宗教とも違うただ単にそれだけのことだが。今はすっかりさぼってしまっているけれど、いつでも帰れる場所があると言うことが私の幸せの源です。

臨死体験1

押し入れを開けたら中で猫が騒いだらしく、上の棚から落ちてきたのは段ボール箱。引っ越しの時押し込んでそのまま忘れていたようだ。開けてみると本が出てきた。
「臨死体験」バーバラ・ハリス ライオネル・バスコム   立花 隆訳   講談社

夫は会社の重役、子供が3人いるバーバラは富裕で幸せな生活を送っていた。その幸せはある年、プールでの事故から運命が急激に変わり始めた。彼女は生まれつき脊椎が湾曲していた。怪我をきっかけに脊椎が痛み始め手術を余儀なくされる。鎮静剤あるいは脊椎への薬剤の投入などが行われたが、まったく痛みは治まらず、ついに手術をすることになった。手術の後彼女はサークルベッドに寝かされることになった。このサークルベッドとはどんなものなのか私は知らないけれど、体を固定しベッドが回転できるようになって、一日にベッドを回転させて体がベッドに下に来るようにさせるらしい。皮膚呼吸が出来るようにして肺に水が溜まるのを防ぐと説明があるけれど、とにかく彼女はベッドに固定されて人工呼吸器を一日20分間つけさせられた。あるとき男性看護師かが呼吸器をつけ彼女にマウスピースを咥えさせたまま部屋を出てしまった。呼吸器は一定のリズムで肺に空気を送っつたり止まったりするようになっている。ところがその時調子が悪くなりどんどん空気を送り込み始め止まらなくなったため、肺は膨れ上がり彼女は失神してしまう。胃袋と腸が膨れ上がってしまい助けられた時にはお腹が腫れあがっていた。昏睡状態になった時、しかし彼女の一部は覚醒状態にあった。体外離脱が起きたのだった。彼女の意識は病院の廊下をさまよっていた。天井がすぐそばにある。病室に戻ると自分の体が見えた。体中がチューブでつながれ鼻かにはテープが巻かれている滑稽な姿。それを冷静に見つめる自分がいて、さっきまでの苦しさはどこにもない。そして小さいころ可愛がってくれた祖母の愛情に包まれていると感じた。そして何かに引き寄せられるようにしてたどり着いたのは、トンネルの入り口、そこは光に満ちていて、彼女は光に呼ばれるように感じたが従いて行かなかった。

2012年1月24日火曜日

府中で

昨夜リハーサルが終わって外に出ると激しく雪が降っていた。夜9時半。車のフロントガラスに真正面から雪が叩きつけられている。甲州街道は行儀よく走る車で、いつもよりスムーズに流れて、それでも家に帰ったのは11時近く。ノラが心配で一目散にノラ小屋に行くと・・・いない。いったいどこへ出かけているのか、この雪の中を。今朝何食わぬ顔をしたノラがガールフレンドとごはんを食べていた。人間が考えるよりもしたたかに生きている猫たち。昨日のnekotamaで珍しく弱気になって目の衰えを訴えていたら、早速電子楽譜の投稿があった。ほう、これはいいかも。一人一枚ずつ楽譜が見られたら、今よりもっと楽になるにちがいない。いままでもなぜ楽譜だけ旧態依然なのかいぶかしく思っていたから、もうすこし「その筋」の方たちが研究してくだされば助かるなあ。ただ、楽譜は私たちにとっては子供の時代から先生の書き込みやレッスンの時受けた指示などをメモしておいた物だから、一種の宝物。保管しておいて時々取り出して、紙の感触や涙の後やコーヒーのしずくのシミなんかが、一つずつ思い出につながっている。オーケストラの譜面などは先輩たちのいたずら書きなんかもあって、笑ってしまうこともある。でもこれからは電子楽譜はたしかに便利に違いない。譜めくりも足でできるからその間演奏を中断することもない。私のようなうっかり者には少し危険かもしれないけれど、私が仕事をしている間に普及してほしい。弱気になっていたのはモーツァルトばかりのプログラムで、これが非常に緊張する。音符は易しくても彼の曲を演奏するのは最大の集中力がいる。それで、ちょっと昨日そのことをぼやいたら、周り中の人が「そうですよね」と口々に言い始めた。みんな緊張していたんだ。「この曲が初めって本当にいやですよね」そして、皆さん思い思いのパセーッジを猛烈にさらいはじめた。見渡せばそこいら中メガネだらけ。みんな苦労しているんだ。やっぱりもう少し頑張るかなあ…。

2012年1月22日日曜日

ベテラン

仕事場で若い世代の人と並んで弾くことがある。最近はどこへ行っても私より年少、悪くすると私が最年長だったりする。そんな時、一応私は長い年月仕事をしているから、何でもすぐに弾けてなんでも知っていると思われるのが、非常に困る。本当はなーんにも知らないし、少しも上手くはない。ただたくさんの年月に沢山の曲を弾いてきたと言うだけのこと。今の若い人たちのように、沢山の情報がなかったから、勉強もかなり遠回りしていたと思う。技術的にも若い世代は優れている。一緒に並んで弾いていた女性から「お宅では練習なさらないとは思いますが、楽譜をお持ち帰りになりますか?」と訊かれた。とんでもない、必死でさらいます。特に最近目が悪くなってきてからは、どんなに簡単な曲、何回も弾いたことのある曲でも必ず目を通す。かつては集中力があって、難しい曲でも初見でかなり弾けた。それが最近は易しい曲でも間違える。それは集中力の問題というよりは、視力の問題。楽譜の5線が歪んで見える。臨時記号がシャープかフラットかナチュラルかはっきりしない。会場の照明はおしゃれで少し暗いところが多い。そしてオーケストラの楽譜は弦楽器の場合、二人で楽譜を見るから斜めから見ることになる。これが非常に目に悪い。焦点が両目で違ってくるから、楽譜の自分側は良く見えて、反対側はとても見にくい。これは譜めくりなどの関係で仕方がないことなのだが、これも若いころにはなんでもなかった。すべてを年のせいにするわけにいかないから、若い頃よりも楽譜をしっかり見るようになった。その分疲れる。ベテランと言われるようになると、こんなつまらないことが原因で仕事がしんどくなって、みなやめてしまう。この年齢になって初めてわかってくることが多くて、本当はこれからなのにと思うけれど、体の機能が衰えてしまうのだから、悔しいかな、一人減り、二人減り・・・私はいつまで出来るかわからないけれど、もう少し現場にいてもいいかなあ。誰かが決めてくれるとありがたいのだが・・・。

2012年1月20日金曜日

初雪

この週末が悪天候になると予報されていたので、大急ぎでノラハウスを作ったけれど、初日は空振り、寝た形跡がなかった。でも昨夜、カイロを取り替えてあげようとハウスに手を入れたら、ピューっと飛び出して行ったものがいた。ノラが寝ていたのだった。ぐっすりと寝ているところを邪魔したらしく、ぼんやりした顔で塀の上に立っている。でも、やっと自分の住処をわかってくれたので、これで一安心した。今朝は雪。急ごしらえだけど、ノラの暖かい部屋は間に合った。あと半月、なんとか凌いでくれれば暖かくなる。私はいつも立春が過ぎてからの方が寒く感じるけれどなぜだろうか。3月くらいまでは気温が高くてもゾクゾクすることが多い。体が寒さを引きずっている感じで。春・・・花粉・・・ゾクゾク・・・で春は自分が春生まれなのに好きではない。私は4月の初めに生まれて、ずっと誕生日もその日にお祝いしてもらっていたのに、ある年に急に3月生まれになって、さっさと一年前に小学校に入れられてしまった。これはたぶん重大な法律違反だと思うけれど、まあ、両親も亡くなっているしもう時効となるでしょう。6人も子供がいて母はうんざりしていたに違いない。ほんの少し日をずらせば早く小学校に入れると判断して、役所に行って誕生日を書き換える暴挙に出た。当時まだそんなことがまかり通ったのでしょうか。通るわけはないと思うけれど、わが母の前に不可能な道はない。訳も分からず私は小学校に連れていかれ、予防注射の名簿にも載っていないし、教室の席もなかったのに猛母のおかげで一年生に押し込まれた。だからその年の最年少の生徒になってしまった。この辺の一年の差は大きい。なにをやってもほかの子よりうまくできない。一年生のお終いの頃のお節句で、お雛様を作る授業があった。ちょうど今日のように雪の寒い日。お雛様に折り紙の着物を糊で貼りつけることが上手く出来なくて、お顔が糊でベトベトになってしまった。ほかの子は上手く出来ているのに情けない思い出。今頃の雪の日になると必ず思い出す。

2012年1月19日木曜日

靴が履けない

友人から知らせがあって、いつも「弾く会」でお世話になっている荻窪の方のお母様が亡くなられたというので、お通夜に伺う約束をしていた。そして喪服やコートの支度をしながらふと考えた。足の甲の火傷が治っていなくて靴が履けない。どうしよう。車で行くてもあるけれど、駐車場からそこまで靴を履かないでどうやって歩こうか。もう一つは、今日は音楽教室のレッスン日。どうやって行くのか。こちらは車で行けばすぐ隣に駐車場があるけれど、そこがいっぱいだったらどうしようか。もう頭が混乱。申し訳ないけれど、お通夜のほうは室内用サンダル履きで行くわけにはいかないから、後日お花をもっておまいりさせて頂くことにした。さて今日はどうしよう。ちょっとした買い物は近所で済ませられるので、自転車と言う強い味方がある。まさか渋谷まで自転車では行けない。唯一履けるのが火傷した時に掃いていたサンダル。ちょうどサンダルの形通りに火傷したので、傷には触らない。足を全部通すことはできないので、先っぽだけひっかけて歩いている。明日行かれないという電話をしたら、その友人から「ちゃんとお医者さんに行きなさい」と言われた。そろそろ行くか。火傷の傷は治りが遅い。表面が乾かないので、表面の乾くような薬があるかもしれないからと言うから、素直な私はそうだね、明日行くよと返事をした。そういえば「今いくよ・くるよ」という漫才コンビこの頃見かけないけれど、どうしているのだろうか。訳のわからない芸なしの若手よりもずっとおもしろかったのに。話が飛んでしまったけれど、このところのハプニング続き、けっこう楽しんでいるのでは?というメールが届いた。まあね、実はなにか起こるのを期待している風もある。時々こうしてハプニングがあって困ったことになると、ああだこうだ、なけなしの頭脳を駆使しているのも退屈しのぎ。そういう幸せ感の多い人はDNEによるものだと、ネットニュースに出ていた。ご先祖様ありがとうございます。

2012年1月18日水曜日

建て増し

ノラの家は週末の悪天候に備えることになった。雨もしくは雪という予報は、カラカラ天気で乾燥しすぎにとってはありがたいけれど、ノラにとっては一大事。今日もメソメソと窓際に来て泣いている。これから一段と寒くなるのがわかっているのだろうか。それでも三毛が迎えにくるとそそくさと遊びにいってしまう。犬小屋に布団を入れてその上からカイロを入れてやっても、そこで寝ている形跡はない。犬小屋は入り口が大きくいかにも寒そうなので、向かえ合わせにプラスチックの箱を横にして、その上からその箱の蓋を屋根のように載せて、通路付の2DKが出来上がった。その真ん中の通路の部分が食事の場所となる。上から透明なビニールで覆えば雨対策も十分。あとはノラがどう考えるか。あまり閉塞的で逃げ場がないと、いざと言うとき逃げられない。かといって隙間が大きいと寒いのはあたりまえ。あと半月の我慢だけれど、その厳しさは半年にも感じられるだろう。そろそろお節句の商品などが店頭に並びはじめている。恵方巻きや豆まきの大豆なども早々と目につく。もうすぐ春なんだ。建て増しした豪邸をノラが気に入ってくれればいいけど、大工さんはもうヘトヘト。

2012年1月17日火曜日

ひき籠り

火傷の傷は厄介で、一か所は初めから表皮がとれてしまったから赤剥けになっている。ほかの場所は水ぶくれができていて、これを無理につぶさないように大事にしておかないと治りが悪い。それで硬く包帯や絆創膏が貼れないので靴が履けない。ちょっと近所までならいいけれど、遠くに行くとなると靴を履かないわけにはいかないので、外出もままならないでいる。もともと原始人の私は、怪我には薬も塗ったことがなくて、傷口をさらしておけば治るという乱暴な考えの持ち主だけど、火傷だけは少し気を付ける。感染症がこわい。皮膚の奥までやられているから、化膿でもすると始末が悪い。傷口をさらすと、きったなーい我が家ではどんなばい菌が住み着いているかわからないから危険この上ない。それでアルミで作った絆創膏をはっている。これは傷口にくっつきにくく、剥がしやすい。傷口から出るじくじくした分泌物も吸い取ってくれる。それで順調に治り始めている。こうして外出しないでいると、本当は自分はこんな状態が好きなんだと気付かされる。子供の頃は近所の子と遊んでも、少しも面白くなかった。こどものする遊びはどれもつまらなくて、うちで絵を描いたりレコードを聴いたりして一日過ごした。親が心配して無理やり遊ばせようと、近所の子を押し付けられたけれど、全く話がかみ合わないで結局5分もしないうちにさよならしてしまう。長じてからは外出が好きになって友人も沢山出来て、どちらかというと外向的でいたけれど、少し体力が落ちてきた今は又こもりがちになってきて、意外とこんな状態が好きだったことを思い出さされた。うまくできているもんだわね。外で活動しなければならないときは思いっきり出好きで、必要がなくなると籠っているのも悪くないと思えて、変幻自在、なめくじのようにクネクネ生きる。無理に歩かないから足のしびれも治ってきた。なんでも辻褄が合うようにできている。ずっと家にいるとなんだか水の中にいるよう。ダイビングで水中にいると時間の感覚がなくなってしまう。まったりとした空間が時間を遅らせる。浮上してこんなに長いこと潜っていたかと驚く。トーマス・マンの「魔の山」の世界を思い出す。

2012年1月16日月曜日

新しいスニーカー

ダイエットの必要があって寒いからとさぼりまくっていたウオーキングを再開しようと思う。まず、とっかかりがないと弾みがつかないから、一日延ばしにするにちがいない。それではスニーカーを新しくしよう。ネットで探すと中々可愛いのがあって、しかもサイズもそろっている。私は足も小さくそのうえ横幅はあるので、これぞというものが中々見つからない。そのスニーカーは白地にピンクの配色で、22センチ、2Eサイズ。小さいと幅が狭かったりするなかでこれはデザインもサイズも気に入ったので早速注文。翌日すぐに届いた。ところが、足を火傷して靴が履けなくなってしまった。届いたらすぐに履いてウオーキング再開と思っていたのでがっかり・・・ではなく、ほっとする。こんな寒いのになんで歩こうなんて思っちゃったのかしらと、内心悔やんでいたところだったから。届いた靴を見て驚いたのは、私が今まで履いていたスニーカーと全く同じ製品だったこと。今まではグレー地にピンクの配色だったのと、ブランドに全く疎いからどこの製品か気にもしないで頼んだので、まさか同じ製品が来るとは思わなかった。そしてダイエットは歯が痛くて食欲がなくなるという、私の人生でも珍しいことが起きているので、すぐに目標は達成できそう。今朝計ったらすでに一キロ減っている。ほらね、なんでもうまく出来ているのよ。自然に流れるまま生きて行けば大抵のことは自然の助けを受けられる。今日も寒い。ノラはガールフレンドの三毛が家から出てこないので、さびしくて呼んでいる。もう2日も三毛の姿が見えないのは、寒いからなのか、飼い主に「不純異性交際」をとがめられて蟄居させられているからなのか。ノラよ泣くな。この半月を乗り越えれば春。暖かくなったら三毛も出てくるさ。その頃には私も新しいスニーカーで颯爽と表へ出よう。花粉でくしゃみしながら。

2012年1月15日日曜日

今度は火傷。

昨日は厄日だったに違いない。ノラハウスにカイロを入れてあげようと思って、ペットショップで電子レンジで温めるタイプのものを買った。気は心でこれで少しでも暖かく過ごせればと思って、毎晩寝る前に温めたものをハウスに入れておく。温かさが7時間持続するはずだけど、この寒さで暖房もないからせいぜい5時間くらいしか持たない。それでも交換にいくと、少しぬくもりが残っているので、ないよりましだと思う。夜中にカイロを温めはじめた。なんだかいつもより時間がかかるなとはおもったけれど、チーンと音がして温まったものを取り出し、餌の入った容器と一緒に運ぼうとしてぶら下げた途端、一瞬何が起こったのかわからなかったが、足の甲に熱いものが落ちてきた。袋が破れて中の熱くなったジェル状のものが垂れて来たとわかったけれど、両手がふさがっているので思うように動けない。足を振ってもジェルだから水のようには飛び散らない。じっくりと焼いてしまった。右足の甲半分火傷。痛みには強いほうだけど、火傷の痛みというのは格別で、火傷で死ぬのは皮膚呼吸が出来なくなるのと、この痛みのショックのせいだそうだ。冷蔵庫をかき回して小さい保冷剤を捜す。去年の震災の時に停電したら、冷蔵庫に保冷剤をいれて扉を開けなければ少し保つようなことを聞いたので、保冷剤を保存してあったのが役立った。特にケーキなどに添えてくる小さいものがあって助かった。それで一晩中火傷に当てて包帯でグルグル巻きにして寝た。でも、小さい保冷剤は一時間もするとぬるくなってしまう。ぬるくなると激しい痛みで目が醒めて、一時間毎に冷えたものと取り替える。その上玉三郎は起きて遊んでもらえると思ってふざけるので、地獄の一夜だった。さすがの私もこの痛みでは寝ていられない。昨日温める時に時間設定を間違えたのだと思う。いつもより時間がかかると思ったのは本当だったのか。それと、お風呂から出たばかりで暖かかったので、ソックスを履いていなかったのもまずかった。こんな時はいろいろ原因が重なって事故になる。しばらく反省するものの、しょうもないウッカリ屋なので、またいつかこんな目に遭うに違いない。まあ、常に小出しにしておけば、大事故にならないと、良い方に解釈しよう。昨日は歯と火傷。きっと厄日だったに違いない。

2012年1月14日土曜日

歯茎が痛い

歯のケアはかなりしっかりとするほうで掃除を欠かさない。歯石もほとんどついていない。子供の頃から歯は丈夫で、虫歯になったのは35歳の時。学校の健診以外で初めて歯医者にいったのもその時。丈夫な歯をくれた親に感謝している。虫歯も一度治療してその後は再発していない。去年あたりに知覚過敏が出たけれど、それも一度の治療で治った。それが・・・暮れに歯石取りなどのケアをしてもらって、これですっきり新しい年を気持ちよく越せると思ったら、その直後からお正月にかけて歯茎が腫れ始めた。磨いても治らない。時々良くなるのでだましだまし来たけれど、ついに治る気配がない。去年の夏に歯周病菌を絶滅させたので、すっかり安心していたのに、その同じ病院でやってもらったケアで悪くなってしまったので、さて、どうしようか。同じ病院で治療して大丈夫だろうか、と思ったので、以前行ったことのある近くの病院に行った。そこは我が家から至近距離なので、開業した時にはしめた!と思ったけれど、一度歯石取りに行ったらあまりにもいい加減なので、受診票を捨ててしまった。でも、歯科医はあまたあるのに、ここぞというところは距離が遠くて通いきれなくなってきた。年もとったし近場で信頼できる所を捜そうと思うようになってきた。行ってみると以前の先生とは違う人が出てきた。若くてハンサムで、わーい!と思ったけれど、乱暴で説明もほとんどなしにいきなりガーガー削られてお終い。何らかの事情で歯の根元の神経が死んでいて、そこに炎症が出ているそうで、歯に穴をあけて神経を除去し薬を入れたという。断りもなしに歯に穴をあけられてしまって、ちょっと不本意な気がする。あとで詰め物はするだろうけれど、そんなわけで親がくれた丈夫な歯の一部がなくなってしまった。ほんのちょっとだけれど、二度と再生しない貴重なものだから本当にもったいない。これで歯茎の腫れがなおれば文句は言えないけれど、治らなかったら・・・うーん、ハンサムだから赦しちゃうかも。

2012年1月13日金曜日

今年一番の寒さ

今朝の気温は今年一番の寒さだそうで、ノラはいったいどこで寝ているのだろうと心配していたら、、今朝は口から涎を流してみじめな様子で現れた。最近彼は贅沢に暮らしていて、ほかの猫たちに餌のおこぼれを提供するくらい羽振りがよかったのに、やはり住むところが安定しないのは一番つらいことなのだろう。かわいそうだけれど、自分で自由を選んでいるのだから仕方がない。寒さもここが一番の我慢のしどころで、あと半月もすれば春になる。猫小屋に毎日カイロを入れてやっているけれど、あまり寝た形跡もない。この警戒心の強さがここまで生き延びられた理由なのかもしれないけれど、私が餌をやりだしてかなりの日がたっているのだから、そろそろ馴れてくれないと保護の仕様がないというもの。いまだに決して近寄ってこない。それまでどれだけ人間にいじめられたのかと思うと哀れでならない。でも時々私の後ろに忍び寄って来ていることがある。やはり人恋しいのかな。気配を感じて振り返って見ると、そっと手を出して私の足に触ろうとしているところだったりする。半分怖くて半分仲良しになりたいのね。一年もすれば仲良くなるのかしら。おかげで中々旅行にも行けないじゃない。持って生まれた性格で、幸せになれるものを自分から逃してしまったり、反対にあるがままで自分をゆだねられるおかげで幸せになったりする。このノラと我が家に居付いた元ノラのなっちゃんと比べると、一目瞭然。なっちゃんは野良猫の娘で近所の意地悪オジンに捕まえられていたのを、ひったくるようにして家に連れ帰った。その時からもう私にしっかりとしがみついて、はじめから決まっていたことのように家に居付き、幸せな毎日を送っている。4匹の中でも一番の甘え上手で、人見知りをしないから誰にでも可愛がられる。この辺が運命のわかれどころなのかもしれない。

2012年1月11日水曜日

昨日投稿のはずが

昨日は毎月恒例の「弾く会」荻窪の美術品と素敵な調度品に囲まれた豪邸へ。玄関を入って目に飛び込んでくるのは、いかにも由緒ありげな美術品の数々。部屋には大きなスタインウエイのピアノともう一台のグランドピアノがでんと置かれていて、それでもなお余っている部屋の広さ。ため息がでそうなくらい素敵。昨日は、相変わらずちっともうまく弾けないモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのデュオ。朝いちばんで弾くのはきつい。指はすっかりモツレルトで、また出直してきます・・・となった。ピアニストという人種はなぜみんなあれほど勤勉なのか?かならずいつも聴いたことのない素敵な曲を聴かせてもらえる。こんな贅沢させてもらっていいのだろうか。そのあと私は「クロイツェルソナタ」の一楽章だけを無理やりみんなに聴いてもらって終了した。荻窪駅上のレストランで遅い昼食を摂る。洋食屋さんと呼ばれるようなレストランは昼食時を少し過ぎているのに、中高年で一杯。味が良くてボリュームたっぷり。注文したドライカレーはまさかと仰天するほどの量で、家で食べる優に4倍はあるのに、おいしくてペロリッと平らげてしまった。おいおい、ダイエットはどうなってるの。そして今朝、日本橋の高島屋で開催されている「隠元禅師と黄檗文化の魅力」という展覧会へ行った。大好きな伊藤若冲の絵も数点出ているので、若冲に曳かれてデパート詣りとなった。帰り道新しい天ぷら屋さんが開業していたので、ふらりと入ってみた。一番ボリュームの少なそうなものを頼んだのに、食べ終わったら昨日のお昼に劣らない満腹感で、これでダイエットは2歩後退。夕方からもう一度仕切り直ししよう。

2012年1月10日火曜日

まとめると

「石ころアート」
「ブログに記事をアップしました」
「Akieさん」の3個の記事は本来一緒になっているはずでした。記事や写真を携帯からおくったり、パソコンで入力したりしているうちに、変てこになってしまったのです。どちらから投稿しても編集はできるもので、後から編集しなおしてまとめればいいと思っていたのに、携帯から送ったものは編集も削除もできないので、トホホ、このまま掲載しておきます。もう一度出直して、ひとまとめにしたものを掲載するよう努力しますのでお許しを!

石ころアート

Fw:ブログに記事をアップしました

操さん、こんにちは☆
大変お世話になっております^^
ブログにたまさぶろう君をご紹介させて頂きました。
http://ameblo.jp/hamfum/day-20120110.html

どうもありがとうございます☆
Akie

Akieさん

石ころアート、友人になにかプレゼントしたいと思っていたら、ビオラのFUMIKOさんからご紹介いただいたAkieさん。彼女のブログで作品を見てすっかり惚れ込んでしまいました。何よりも動物たちの表情の豊かさ、色の美しさ、しかも素材は石ころ。動物の写真を送ってもらうと、そのイメージに合った石ころ探しから始まるそうなんです。そして友人の飼っているラーラちゃんというワンちゃんの石ころ作品制作を依頼して、どうしてもたまさぶろうの物も欲しくなって重ねて依頼してしまいました。本当に可愛く出来上がって、うれしい。 AkieさんのブログのURLを開いてみてください。「ブログに記事をアップしました」というタイトルがそうです。頂いたメールをそのまま載せてしまいました。あいかわらず無精で(と言うよりやり方がわからなかったので)ごめんなさい。

2012年1月9日月曜日

ちっとも楽じゃないー若冲

すこしずつ扱い方がわかってきて、今ルンバはせっせとお掃除している。ガーガーうるさいから夜中に動かすのは上の階の住人に迷惑かもしれない。ところでルンバは障害物に中ると一人で向きをかえるけれど、見ていると同じ方向に何回も行っては引き返す。埃のある方に中々行かないので足で止めて向きを変えさせようとするのに、一向に言うことをきかない。こんなことしていたら、すぐに壊れそうな気がする。家にあるものは譜面台とかピアノとか、ちょっと形状の変わったものが多いから同じところをいつまでも行ったり来たり。行く先々の障害物を動かすために飛び回って、はたして万遍なくお掃除ができるものなのだろうか。途中でエッチラオッチラ抱えてごみの多いところに運んだり、なーんだ、ちっとも楽じゃないじゃない。そのうち飽きてルンバに任せれば、多分ちゃんと隅々まで行き届くと思うけれど、当分は面白がって構いすぎて壊しそう。ひっくりかえしてごみの掃除をしたら、この部屋は普段生活圏ではないしほとんど楽器を弾くだけなのに、結構なゴミが溜まっていた。私の普段の掃除機のかけかたが雑なせいかもしれない。途中で電話がかかってきた。今テレビで若冲やっているよという友人からの電話。若冲の絵の秘密に迫る大変面白い番組だった。NHKは最近民放の真似をしてくだらなくなりすぎている。こういう番組こそやってほしいのに。久々に良い企画だった。たとえば鳳凰図の羽の色の秘密は黒い裏地に黄土色の裏地をを重ねその上に白で羽を描いた布をのせると、透けて見える裏地の色が作用して黄土色が金色に見える。彼独特のぼかしの手法など興味深い内容だった。改めて画集を見るとその天才ぶりに納得できる。絵に詳しくない私が唯一持っている画集は若冲の物ばかり。あるとき週刊誌のグラビアを見て衝撃を受けて、若冲詣でが始まった。ゴミから若冲に至って今日のブログは支離滅裂、いかにも私らしい終わり方です。

2012年1月8日日曜日

Roomba

生来の怠け者だから筋肉などまるでない。重いものは持ちたくない。力のいることは人にやってもらう。頭を使わなければならないときは頭のいい人にやり方を教わる。取扱説明書なるものはあれは日本語ではないと思っているから、たいてい読まずに取り扱って壊すのがおち。さて、今朝届いたルンバ。お掃除ロボット。うちには掃除機は一つしかなくて、住居部分とレッスン室が階段を挟んで分かれているため、お掃除をしようと思うと掃除機を必要な方にえっさえっさ運ぶことになる。それが面倒でついにレッスン室専用のルンバを手に入れた。これですぐに部屋がきれいになるかというと、そんなことはない。まず、箱から品物を取り出す。取説をぱらぱらとめくる。うーん、これは面倒な。初めから最後まで一応読み通せばいいものを、必要なところだけと不精をするものだから、途中でチンプンカンプンになって、慌てて前のページ、後ろのページとひっくり返して結局全部読む羽目になる。何回もそうしているのだから、いいかげん懲りるかと思うとそうでもない。ルンバは電気を必要とすること位はわかるから、充電しなければいけない。充電の仕方が書いてあるところを開いてコンセントを差し込む。ヘッドの部分がピカピカ赤く点滅した。赤い光の時は充電していないと書いてある。それじゃあどうすればいいの?結局前の方を開いて電池のところから出ている黄色いテープを引き抜かないといけなかったらしい。恐る恐る引っ張ってみると、つるりと抜けた。やっと点滅はオレンジ色になって充電開始。ここまで30分位はかかる。いま、ルンバはムシャムシャ電気を食べて明日からの仕事に備えている。この続きはまた明日にしよう。もう取説読みたくない。体重が増えてダイエットなどとさわいでないで、さっさと体を動かしてお掃除をすれば体重は減るはず。それをさらにロボットに頼ろうなんて。物が増えて部屋が狭くなって動き辛くなって太っての悪循環。お掃除が好きな人はたいてい痩せている。家事労働はそれだけ大変なのだと思う。私が自分を傍目で見たら、さっさと体動かして働けっと言って、お尻を蹴飛ばしてやるけど。

2012年1月7日土曜日

今日からダイエット

暮れから正月にかけて宴会続き、事あるごとに理由をつけてワイワイやっていた。今朝ふと予感がして体重計に乗ってみた。予想通りに体重が一キロ増えていた。明日からと言わず今日から早速ダイエットをしよう。朝食から・・・と思ったけれど、朝食は一日のうちで一番好きな食事だから、いつも通り、たっぷりと食べる。昼食は・・・今日はカレーを食べる日だから、あまり期待できない。それで、夜、七草粥を炊いて食べることにして今夜からダイエットに励むことにした。一度決めれば大抵ちゃんと目的を果たすから、2キロほど多分1,2か月かけて減らすことにする。春先はダイエットのチャンス。冬は寒いから脂肪を蓄えるように体ができていると思う。春はその脂肪をこそげ落としていかなければならないから、体もそのように反応するのではないかと、甘い考えで臨む。寒があければもうすぐそこに春が待っている。寒いので夕食にお湯割りの焼酎を毎晩飲んでいたのも、いけなかったかもしれない。今夜からお湯だけ。ウオーキングもさぼりっぱなし。朝は布団から中々出られなくて、寝すぎていたかもしれない。でも昨日から今朝にかけて、たまさぶろうが異常に騒いだので今朝は睡眠不足。今朝の1時半から5時ころまで布団を出たり入ったり、寝たふりして入れてあげないと頭を噛まれ、顔を引っ掻かれた。たまも今年はもう16歳、人間なら90歳近いからボケてきたかもしれない。それとも予知猫で地震でも起きるのかと思ったけれど起きなかった。いま本人(本ニャン)はぐっすり寝ている。なんてこった。人間は生活に合わせて睡眠をとるけれど、ネコはほしいまま。羨ましいこと。

2012年1月6日金曜日

戦い

昨日の新年会で食べすぎて今日は体が重い。曇天で寒いから散歩に行く気力もない。ノラは犬小屋を買ってもらって、住まいが安定。餌場も小屋の前の板囲いの中で、ひっそりとガールフレンドの三毛猫と食べられる。外でめそめそ泣くこともなくなった。これから寒の時期、もっとも寒い季節を迎えるので私も 一安心。でも、昨日は餌を狙って来た大きな黒猫と、熾烈な争いを繰り広げていた。戦う動物は美しい。人間が戦うのは醜い。なぜ?人は武器を使ったり策略を巡らしたり、汚い手を使う。動物は身一つで果敢に戦う。しかも仲間同士で殺しあうことはない。人はわけもなく人を殺す。しかも卑怯なことに空の上から爆弾を投下したり、単独なら自分より非力の者を襲う。強いものに立ち向かうのが立派と言うわけでもないが、少なくとも弱い物いじめよりはすくわれる。動物の社会でも弱いものは負けてスゴスゴ撤退するけれど、殺されるまでには至らない。人の中には趣味のように人を害する者もいるようだ。最近は「誰でもいいから人を殺したかった」という理由で知らない人を襲う者がいる。それも卑怯なことにたいてい襲われるのは老人や若い女性。そして子供。気狂いだから物事の判断がつかないはずなのに、ちゃんと自分より弱いものをターゲットにする。裁判で責任能力を問われるけれど、そこを見ただけでうそっぱちだと見抜ける。一度強い人に突進していって、頬を殴られでもすれば目が醒めようと言うものだけど、おかしなことに今の日本では殴った人が非難されかねない。学校で先生が子供をしかると、そのような風潮を知っている子供が先生を挑発することが多いと聞く。いよいよ腹に据えかねてちょっと手を出してしまったら、それこそ蜂の巣を突いたような騒ぎになる。なにか変だなあ。

2012年1月5日木曜日

手合せ始め

今日はピアニストが来て「クロイツェルソナタ」初合わせの予定。まず、駅近くのカレー屋さんでカレーを食べてから合わせるのが、我が家の定番となった。ヴィオラのFUMIKOさんから始まって、次に伝染して恒例となった。彼女はあさって合わせに来るので、カレーが続く。でも、おいしいから毎日でも大丈夫。インドかスリランカかあの辺の人がやっているお店で、お昼には近くの主婦や仕事休みの人たちで一杯になる。巨大なナンが出てきて、いつも食べきれないので半分持ち帰る。ピアノ合わせが終わると音楽教室の新年会だから、今日のお昼は少なめにしておこう。音楽教室のオーナーの小田部ひろのさんが亡くなって、今年の新年会は寂しい。でも、音楽家という人種はいつも前向きだから、というより能天気だから、めそめそしたりしない。献杯の発声を頼まれていて、大変緊張している。いつもは人前でも平気でペラペラ喋るほうなのだが、今日だけは言い間違えたらどうしよう。たとえば「小田部先生のご健康を」とか「新年あけましておめでとうございます」なんてちょろっと言ってしまったらどうしよう。私も喪中なのでまさかと思うけれど、折り紙つきのうっかりやだから、何を言いだすかわからない。今回ばかりは絶対に間違えられない。それで、少し声に出して練習してみた。すると急にどっと悲しさが思い出されて涙ぐんでしまった。能天気でめそめそしないと思っていたら、意外と後を引くタイプかもしれない。小田部さんの残した西湘フィルをサポートして6月のコンサートを成功に導かないといけない。それが私の今年のミッションなのです。

2012年1月4日水曜日

おだやかな年明け

年が明けたかと思ったら、もう4日も経ってしまった。いつも1月のこの時期は早く過ぎるような気がする。去年のお正月には、その後未曾有の大震災が起こるなんて誰が想像しただろうか。占い師たちで、あの災害を当てた人はいたのだろうか。とにかくひどい年だった。私自身にとっても友人をなくし、珍しく激動とも言える年だった。今年は何が待ち受けているかはわからないけれど、くれぐれも悲しいことでないように祈っている。私の人生は可もなく不可もなく、比較的穏やかに今まで過ごしてきた。どちらかと言えば良い状態の方が多かった。これから、さて、どうなるかしら。去年はもう仕事はやめて魚釣りでもして楽しく暮らすつもりが、諸般の事情でやめられなくなり、今年はすでになにやら忙しくなりそうな兆しが。実を言えば体が楽になったとたん色々故障が出てきて、やはり歳だなあと思っていたら、活動し始めると治ってしまうという皮肉な結果になってしまった。どうしても動けということなのか、ため息が出てしまう。長年楽器を弾くことで健康が保たれてきたようだ。楽器を売り払ってあとは悠々自適なんて夢のまた夢らしい。健康でいるためにも精神の安定のためにも、演奏はやめられないことを悟って、ため息つきながら元旦から練習は始まった。ロンドンアンサンブルの美智子さんが今年イギリスにいらっしゃいと言うから、一番乗ってきそうな友人に声をかけたら案の定手ごたえがあって、実現しそうな雰囲気になった。イギリス、フランスはまだドライブをしたことがないのでぜひ行きたいと思っているが、到着までの飛行時間の長さがネックとなって中々実現できなかった。飛行機に乗らなくても、海はジェットスキーで、氷原は犬ぞりでという手もあるけど実現不可能。今年行かないともう体が利かなくなってしまうかもしれないから、チャンスではあるけれど・・・。

2012年1月3日火曜日

箱根駅伝

昨日はお客様がみえたので、駅伝の事はすっかり忘れていた。今日は日本橋高島屋のギャラリーに伊藤若冲が展示されているというので、それを見に行こうと思っていた。目が醒めると曇天で寒い。ノラが切なそうに丸く膨れ上がって、訴えるようにこちらを見ている。なんとかしてあげたいけれど、警戒心が強くて一向にそばに寄ってこない。なんやかやしているうちに時間が経って、では昼食を済ませてからと思ってテレビをつけると、駅伝をやっていた。今年は東洋大が往路での柏原の活躍で一位、復路もそれぞれ頑張って圧倒的な強さだった。決勝地点は日本橋。そして、はたと気が付いた。今日日本橋なんかにノコノコ出かけていたら、えらい目に遭ったにちがいない。電車は混むし、人はウジャウジャいるし、絵を見るどころではないかもしれない。これは一旦計画を諦めて、昨日練習できなかったので、ヴァイオリンを弾こう。出かける気でいたので、なにか気持ちが内側に向かない。しばらく集中の瞑想でもしようか。でも、瞑想したら確実に眠ってしまう。楽器を手に持てばいいのだからと思ってケースをあけたら、セーターの襟がタートルネックなのに気が付いた。首回りに襟があると楽器を構えられないので着替えてこよう。そうしたらパソコンが目に入ってつい電源を入れてしまった。こうなると練習は中々始まらない。こうして今年一年またグズグズと練習を先送りにしながら、過ぎていくのだろうか。大成しない人の典型的なパターンと言えそうだ。

2012年1月2日月曜日

寂しい

今日はロンドンアンサンブルの美智子、リチャード・スタッグ夫妻、それにかれらのお世話をしてきた絵美さん、チェロのトーマス・キャロルが来日するまでチェロを受け持った重松さんの4人が、うちに集まっての新年会。美智子さんとリチャード以外の、ヴァイオリンのタマーシュ・アンドラーシュ、ヴィオラのジェニファとチェロのトーマスはとっくに帰国してしまった。リチャードも今月末には帰国してしまうので、もしかしたらこれが送別会になってしまうかもしれない。たった一回同じステージを踏んだだけで旧知の間柄のようになれるのは、本番の濃密な空気を共有したものだけに与えられる幸運だと思う。美智子さんと絵美さんは若いころからのお友達だから当然であるにしても、重松さんや私には今回のコンサートが初対面だったスタッグ夫妻が、なんの違和感もなくうちに溶け込んでゆったりとしているのを見るのは最高に楽しい。つたない英語と日本語が飛び交い、意味不明の言葉に爆笑して時にはひどく真面目になったりして、時のたつのはアッと言う間だった。この次はイギリスで会いましょうと言われても、行けるかどうか。こんなに色々なことが次々と起きて、大げさに言えば生きていられるかどうかも分からないような天災が来るかもしれない。昨日は次の旅行はどこに?と思っていたのに、いざ彼らとお別れの挨拶をしていると、ふっと寂しさが込み上げてくる。ヨーロッパは遠い。飛行時間はどのくらい?私がいつも中国あたりでうろうろしているのは、一つは飛行機に乗っている時間の問題がある。中国ならせいぜい4,5時間。飛行機に乗るのは好きだけど、あの中で同じ姿勢でじっとしているのがつらい。うーん、でもイギリスはぜひ行ってみたい国の一つ。車でイギリスの田舎を旅するのは悪くないなあ。行こうかなあ。

2012年1月1日日曜日

明けましておめでとうございます。

ほんとにこのパソコンの変換ったら。「あけまして」と入力したら、「空けまして」と出た。あとに「おめでとうございます」が付いているのだから当然「明けまして」でしょうが。いつもビックリするような変換をするから笑っちゃう。うっかりそのまま送って恥をかくこともある。一番いけないのはチェックを怠ることだけど、それにしても、ねえ。今日は穏やかな良い日和です。去年のお正月にはあんなにひどい年になるとは思いもよらなかったけれど、今年はいかがなものか期待はしていなくても、少なくとも穏やかで何事もない年であることを祈らずにはいられない。世界の一流国にならなくったって幸せでいられることを、ブータンに教わったではないですか。今の中国をみていると、私が好きだったあの国の良さがなくなって、ただガツガツと亡者のようにお金に群がる人たちが見えてくる。かつての経済成長の途上にあった日本も、外国から見たらああだったに違いない。前は中国に行くと、えも言われぬ懐かしさを感じたものだった。でも、2年前に行った時は川が鉱毒で汚れ、凄まじい色をしているのを見てぞっとした。あの美しい古都西安もぎらぎらしたネオンですっかり様変わりしてしまった。長い間もう一度西安に行きたいと思っていて、せっかく夢が実現したというのに。
抽斗を引っ掻きまわしていたら、10年くらい前にアラスカに行った時の写真が出てきた。犬ぞりに乗って大はしゃぎしているものとか、オーロラを見た時のものとか、レストランで巨大ビフテキにありついていた時のものとか。去年のカナダがとても面白かったので、ずっとアジア系だった路線を今年は北米に変えてみようか。体が動かなくなったらおしまい。今のうちにせっせと動きたいけれど、ノラがいる。ノラを早くノラでなくさないと、私は身動きとれない。助けて!