2010年10月31日日曜日

ベートーヴェン「英雄」

しもたかフィルというアマチュアのオーケストラ。ちょっとお手伝いに行ってきた。今日は下高井戸の小学校で、しもたか音楽祭の出し物の一つに、この英雄が演奏された。ずいぶん久しぶりだなあ、この曲を弾くのは。オーケストラをやめてからは、たった1回弾いたきり。オーケストラにいた頃には、いやというほど弾かされたものだけど。ベートーヴェンの作品の中でも、特に好き。シンプルだけど、本当に傑作だと思う。メンバーはアマチュアだから、ずっこけたり音が合わなかったりするけれど、長い時間を掛けて練習するから、そうひどくはならないし、本番になると緊張して意外とまとまったりする。今日もまずまずの出来。そして英雄のメロディーがずっと頭の中で鳴っている。演奏をなんども再体験しているようだ。打ち上げでビールを飲んでいる時も、駅のホームを歩いている時も、鳴り続けている。一種の神経症にこのような症状が見られる事があるらしいけれど、普段からそうではないので、たぶん神経症ではないと思う。例えば、大好きな曲を弾く日は朝からその曲が頭の中を占領しているし、本番が終わったあと、帰宅するときは歌いながら帰ることが多い。ロッシーニの「床屋」の本番のあとでは、車の中で大声でアリアを歌っているうちに、猛スピードで走ってしまったこともあった。調子の良い曲が多いから。ベートーヴェン、やはりすばらしいですね。中にはあまり好きでない曲もありますが、祈りのような部分を聴くと、まさに楽聖。後期のカルテットなども崇高さを感じるけれど、やはりシンフォニーのこのへんの番号は傑作です。有名だからといって、決して俗ではない。所でウラ話。原題を「エロイカ」というので、しもたかフィルのホームページにそのまま載せたら、なにを勘違いしたか、いやらしい書き込みがあったそうです。おバカだねえ。

2010年10月29日金曜日

ピアニャスト



ノラちゃんのピアノレッスンをもう一つ。
この子は天才?
ヴァイオリンを弾く猫はいない。

2010年10月28日木曜日

ショパンコンクール



さっき、you tubeで見つけました。以前にもこの動画をおくってくれた人がいて、見たことがありますが、又見るとやはり、おかしい。

先日ショパンコンクールがありました。友人が聴きに行っていました。今年の一位はロシアの女性だったようで、審査の結果は友人には納得がいかなかったらしいのですが、アルゲリッチの意見が圧倒的に強かったそうです。人間社会にはいろいろあっても、無心に弾くこの方の演奏には純粋さを感じませんか?

2010年10月26日火曜日

もう雪の便り

今年の、獰猛なとしか形容出来ないほどの暑い夏がやっと終わって、秋の紅葉を楽しむ間もなく、あっという間に寒くなってしまった。もう、今日は暖房を入れている。明日はもっと寒いらしく、北海道や北日本は雪の声が。冬はスキーのシーズンだから大好きだけど、年々出てゆくのが億劫になってくる。去年は膝を痛めて年齢を思い知らされた。今年はまだ膝も大丈夫。なんといっても来春カナダに滑りに行くつもりなので、体に故障を作ってはならない。約一ヶ月ぶりに散歩を再開した。チベットで高山病になったあと風邪をひき、疲労やらいろいろたまっていたので長引いて咳が抜けなかった。肺炎を起こしているのではないかと思うほど胸が痛んだり体に力が入らず、結構なダメージを受けたようだ。とにかく休養とばかり食っちゃ寝食っちゃ寝。大好きな怠け者生活。やっと回復の兆しが見えて、今朝いつものコースへ出かけた。一ヶ月もご無沙汰だったのでカラスさんはもう忘れているかと思ったら、なんとまあ、二人そろってさあーっととんできてくれた。しかも、夏の終わりに抜け落ちて見苦しかった羽がすっかり生え変わり、初めは子供たちかと思うほど若々しくみえたけれど、紛れもなく両親のほうだった。お父さんはいつものように人を恐れず悠然と、お母さんは少し怖がっていてもお父さんと一緒だと安心しきって、近づいてくる。しばらく立ち止まってお話。この散歩コースには人に慣れたカラスが多くて、あるお宅では門柱に二羽ならんで止まっていた。沖縄のシーサーみたい。そこの奥さんがかわいがって育てたのだという。「カーコ、もうお帰り」なんて言われても動かない。可愛いものですね。

久しぶりのエステ

以前は忙しい仕事の合間をぬってセッセとエステ通い。行けども行けども美しくはならなかったけれど、疲れた時良く眠れるので、昼寝替わりに行っていました。この間の旅行の写真をみたら、あまりにも冴えないおばさん顔でガッカリしたので、久しぶりに行ってみようかと、近所のエステに予約を入れた。以前は渋谷のエステ。ここにとても上手で感じの良いエスティシャンがいたので、仕事のついでに良く通った。彼女はスッピンでニキビなぞ作っていて、飾り気の無い人だったが、有名なエステの店長になるくらいだから、腕は確かで気に入っていたのに嫁に行ってしまって、私のエステ通いもそこでストップ。もう、人様に見てもらえる顔でもなしと諦めていたけれど、ヒマになってみるとシミ、くすみが気になる。チベットでさんざん紫外線に痛めつけられた肌は、なんだか可哀想。手入れが始まると明らかに肌が喜んでいる。いつも朝は水だけの洗顔。クリームをペロッと塗っておしまい。夜は石鹸でほんの少し洗顔。その後もクリーム塗っておしまい。若い頃に沢山の化粧品を使ってみたけれど、結論はシンプル・イズ・ベスト。できるだけ何もしないのが最高。たまにエステで養分を摂らせればそれでいい。今朝新聞にタモリの入浴法が出ていて、それはお湯に浸かるだけで洗わないというものだった。私もいつもそれに近い。気持ちが悪いなと思った時に、その部分だけ洗う。悪くなければ温まったらそのまま拭いてあがる。そのかわり毎日はいる、というだけ。動物に近い感覚の持ち主なので、時々猫の行動を参考に動く。食べたい時に食べる。起きていたければずーっと起きている。眠ければどこでも眠れる。何時間寝なければ、とか、なにをどれだけしなければなどと考えない方が物事うまくいくようだ、と最近気がついた。もう遅いけど・・・ 人間はいかに縛り付けられ、縛り付け生きている生き物かと、つくづく思う。

やはり食事は大切

昨日のひどい食事のせいと、チベットで体調くずしてからロクに運動していなかったせいで、尾籠な話で恐縮ですが、お腹がつまってしまって、大変でした。私の体は即状況に反応する実に過敏なものなので、ああ、やっぱり。そこで今朝からは、ちゃんとトーストにオリーブオイルをタップリ、野菜のスープ、果物、コーヒー。万事オーケーとなり、幸せ。朝食を摂る人と摂らない人では幸福感がちがうようです。ちゃんととる人は、かなりの高率で幸福であるとこたえるそうだ。私は食事の中でも朝食が一番好きで、旅先のホテルで朝食がまずいとガッカリ、良いと一日嬉しい。まだチベットを引きずっていますが、チベットのホテルで朝食を食べていると、一匹の猫が現れ、下から見上げてきた。なぜ、他のお客さんのところで無く私のところに来たのだろう。好きな人がわかるのかしら。ウエイトレスに聞くと名前は「じゃうじゃう?」デブなコでした。そのうちだんだん大胆になってきて、私の椅子の横に登ってきた。久しぶりに猫を見て、郷愁は感じ・・・ない人だけど、玉三郎を思い出しはしました。ところで今までで一番良かったホテルの朝ごはん。益田(島根県)の駅前のグリーンホテルモーリス。ここはごく普通のビジネスホテル。でも、枕が選べて空気清浄機がかりられて、なによりも朝食の野菜が豊富。お気に入りですが、島根まではなかなかいかないので、今まで、2回しか泊まったことはありません。2回でも多すぎると考えている人もいるかな?

2010年10月25日月曜日

今日の食事

食事には大変気を使う方で、まず第一にバランス。野菜が主になってそれに魚か肉。野菜もなるべく沢山の種類が摂れるように、野菜スープが作ってある。きのこや豆類、主に大豆製品。油も少し。と、いつも考えていると、ある日突然悪いと思われるものが食べたくなる。今日はそんな日、美味しいチョコレートを頂いて、どうしてもチョコレートに目が行ってしまうので、いっそのこと今日はチョコレートを食べる日にしてしまうことにした。朝豆乳にバナナのジュースをのんで、チョコレート。昼はチョコレートとコーヒー。ついでにアイスクリームもいってしまおう。おやつにアイスクリーム。さて、今夜はさすがにチョコレートはもう無いから、なにかいつもは敬遠して食べないものを・・・と考える。油で揚げたフライドチキンとか。年に数回、めったに食べないものをたべると、また健康的な食事にもどれる。ああ、そうだ。のり巻きの太巻きを売っているお店がある。あれを一本切らずにまるごと齧ったら、すごく美味しそう。今日は主食らしいものを食べていないから。なんて一日そうやると、大体寝るころに、気持ちが悪くなるが、とても楽しい。いつもいつも、品行方正じゃつまらない。もっとも、私は品行方正なときの方が少ないけど。これからいつもは敬遠しているものを見つけに行って参ります。

2010年10月24日日曜日

玉三郎をグラデーション

足がなくなってかわいそうだけど、写真編集の初歩として、ちょっといたずら。「僕は本当はすごく背が高くてハンサムなのに、nekotamaさんはいじわるだなあ」という玉三郎の嘆きが聞こえてきそうです。実はやってご覧とそそのかす御仁がいたので、試してみました。「たま、ごめんね。でも可愛いよ。」「イニャーン」



2010年10月22日金曜日

続 九寨溝

 

もう少し九寨溝の写真を見ていただきたい。




鏡湖の映っているほうの景色です。
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魚もいますが・・・

 


魚は水が冷たくて、大きくなれないそうです。
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九寨溝の水の色はエメラルドグリーン
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2010年10月20日水曜日

中国、チベット旅行記 西安へ

西安に帰るには直行便に乗ればいいのだが、国慶節の連休のおかげでチケットが入手できなかった。それで、まず成都に飛んで乗り継ぎ便で帰ることになった。空港でガイドと運転手とお別れ。良い人達で良かった。空港に到着すると、飛行機が大幅に遅れているという。果たして乗り継げるのだろうか。帰国後すぐ仕事だから、乗り継げないと困る。頭の中で、仕事を変わってもらえそうな人のリストが浮かぶ。別さんが走りまわって情報を集めてきた。同じ会社の飛行機だから、多分大丈夫。別さんも新婚早々で、早くご主人に会いたいのに。一度荷物を受け取って乗り直さなければいけないので、「乗り継ぎの時、私すぐチェックインするから荷物お願いします」といわれて焦る。大きなスーツケースと別さんのキャリーバッグを引いて成都空港を走りまわる自分の姿を想像して、噴き出しそうになる。でも、それも無事乗り継げて一路西安へ。空港にはこのたびの無謀な旅行計画を実現させてくれた、西安の旅行会社の楊さんが待っていた。うわー、ハンサムだ。スラッと背が高くゆったりとした雰囲気。夕飯をご馳走してくださるそうで、ホテルにチェックインする前にレストランによることになった。別さんも早く帰りたいと思うけれど、最後の仕事として一緒に来てくれる。西安の街は驚くほど様変わりしていた。30年も経っていれば不思議はないけれど、あまりにも変わってしまった。城壁や門の近くには建物が少なかったのに、今や、ネオンが輝く。あらまあ。 夜遅いのに大勢のひとが歩いている。かつて、中国に来たとき、夜遅くまで人々が道端でしゃがんだり、ブラブラしているのが不思議だったけれど、その習慣はまだ残っているらしい。レストランは餃子専門店。餃子のフルコース。次々に様々な餃子が運ばれてくる。その席でも、他の時にも楊さんは「無事で良かった。心配しました」と度々おっしゃる。よほど、心配だったのかしら。初めのうちは気がつかないことが多く、私に叱られてばかりいた別さんが、最後の方になると娘のように良く世話をしてくれた。きっと良いガイドになるでしょう。次の日の早朝、空港へは楊さんのお見送りをうけて、成田へ。成田エクスプレスの乗り継ぎもうまくいって、帰宅。猫たちの大歓迎を受ける。玉三郎は大号泣。それから数日は私に密着していた。高山病がたたって咳が抜けない。今までで一番大変な旅行でした。目に浮かぶのは、空気の希薄な所で力なく微笑む人の顔。平均寿命が60歳位。長生きは出来ない。人間は生まれた所でほぼ運命がきまるのか、と思う。そこから抜け出られる強烈な意志がなければ、あそこで埋もれてしまう。それを不幸と言ってはいけないが、あまりの厳しさにショックを受けた。たった一人で五体投地を続け、這うようにして聖地に辿り着こうとする人。途中で死ぬ人も多いだろうと思える過酷な環境。目を覆うばかりの貧しさ。日本も戦後は貧しかった。でも、あそこまでの救いようの無さではなかったと思う。努力すればなんとか這い上がれて、やがて世界有数の経済国家になれた。それで幸せになったかどうかは別として。幸せのあり方をとやかく云う事は出来ないが、諦めきったような微笑を思い出すと、たまらない気持ちになる。

ラサからヤムドュク湖へ

高山病で取りやめになったシガツェに行く途中にある美しい湖に連れて行ってもらうことにした。やっと運転手の腕の見せ所。道は良くないけれど、うまく避けながら高山病に配慮して、少しユックリと登ってくれる。運転は非常に上手い。でも、車のマナーは40年前の日本がそうだったように荒っぽい。途中の川岸の道は本当に美しい。山は昼夜の寒暖の差が激しすぎて、木が生えないそうだ。川岸の車が激しく往来する道に、五体投地をしながら進む巡礼の家族がいた。子供を連れて一歩ずつ進んでいく。どれだけ時間がかかるのだろうか。一体なにを祈っているのだろうか。はしゃいだ気分に陰りが出来る。さらに進むと、子供と独身のお年寄りのための水葬場に出た。チベットでは普通は鳥葬、感染症でなくなった人は火葬らしい。水葬場は子どもが・・と思うと、物悲しい。軍のトラックが数珠つなぎになって走っている。そこで、私の車の運転手が軍隊にいたという話しをきいた。免許証を見ると沢山の資格を持っている。運転が上手いわけだ。たくみに穴や凸凹を避けてカーブを静かに曲がる。前日私が高山病を患ったことに考慮しているので、ユックリ登りますよと言ってくれた。昨日沢山の点滴をしたせいか、やたらにトイレにいきたくなる。いつもトイレトイレといっているので、あちらからトイレは?と聞かれる事が多くなった。それも高山に来て、心臓がバクバクするからなのか。ヤムドュク湖についても真っ先にトイレ。散歩して写真をとらないの?と劉さんに言われても、寒いからいい。それに数歩歩いただけで息がスーハースーハーと苦しい。ここは今までで一番標高が高い。人が住めるところとは思えないのに人家があって、頂上付近にはチベットの犬を連れた人が一緒に写真をとらないかと声を掛けてくる。力なく笑みを浮かべ手を差し伸べてさそう人の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。こんな山の中に暮らし、努力しても報われることのない一生を過ごすのか。逃れ出る術もないのか。胸がキリキリ痛んで、観光気分は吹き飛んでしまった。帰り道、又車道の脇にたった一人、五体投地で進む人を見つけた。街からもはるかに離れた道を一歩又一歩と進んでゆく。夜になったらどうするの。食べ物はあるの?駆け寄って尋ねたくなる。厳しい自然の中で生きていくためには、信仰が拠り所になるのだろう。しばらく押し黙っていると、劉さんは退屈らしく居眠りをはじめた。ちょっと脅かしてみよう。厳しい声で「劉さんお仕事をして」というと飛び上がって姿勢を正し、ガイドを始めた。夜はチベット族の歌や踊りのショウが見られるレストランで夕食。これがラサでの最後の晩餐。地上に降りて沢山呼吸が出来れば、元気になるかしら。

2010年10月19日火曜日

ラサ観光 その2

治療の甲斐あって高山病を撃退したので、ラサ観光の続きをすることにした。本当はこの日はシガツェというさらに高いところに行く予定だったけれど、危険なので取りやめて、ラサ市内の前日見なかったところを回ることにした。ダライラマの夏の離宮であるノルブリンカに行きたいというと、昨日行かないと言ったのにと、ガイドはいかにも不満そう。でも、事情が事情だから仕方がないでしょう。一々文句云うのは無視して、とにかく行って頂戴。夏の離宮と言っても、大して距離もなく、建物の作りが違うだけ。ここの北門からダライ・ラマがインドに亡命したけれど、いまだにどうやって逃れたかは謎だそうだ。もちろん警備は厳重だった。乗り物は何に乗ったのか?いっさい分かっていないという。次は問答で有名なセラ寺。有名と言われても私は知らなかった。これを見に観光客はラサにくるのですよと、劉さんは心外そうに云う。それも無視。宗教が政治と分離されていた頃は、出世の道は僧になることだった。でも、今は僧になるメリットがなくなったので、数が減っているそうだ。言葉は特別な言葉を使うので、一般のチベット人にはわからないらしいが、観光の目玉であるらしい。ちょうど問答が始まる時間にうまく時間の配分をしてくれたので、見ることが出来た。



夕飯はどうしますか?と言うから、昨日食欲が無くて食べられなかったあひるのスープが食べたいと言って、今日も同じ物。今日はもりもり食べる。とてもスープが美味しくて、ラーメンを入れてもらって満足。

ついに高山病になる

今回の旅行で一番恐れていたのが高山病。ここまで海抜5200メートルくらいまで行ったけれど殆ど影響はなく、ポタラ宮で階段を登るのがしんどかっただけ。でも、この日は朝から息苦しく、長旅の疲れも出てきたので、休息することにした。朝ガイドさんにそのことを伝え、お昼は好きなように食べるように言って、私は近所の食料品店にカップラーメンを買いに行った。とても無愛想な女性が、その人の子供らしい二人の子と店番をしていた。一人は5歳位。もう一人は赤ちゃんで丸々して可愛らしい。思わずあやすとニコニコする。赤ちゃんが笑うと、その母親も笑って、とても楽しい雰囲気になる。カップラーメンを手に入れて、ホテルの部屋に閉じこもってベッドに横になった。少し寝て目が覚めると、腿に激痛が走った。しまった、やられた。高山病に違いない。お湯を沢山のんで、腿をマッサージすると、少し楽になった。前日ガイドから風邪を弾かない様に言われていたけれど、此処へ来て旅の疲れも出て体調が優れない。ひどい乾燥で喉を痛めたのがきっかけで、風邪をひいたらしい。酸素不足は直接筋肉に来ると聞いていたので、足の痛みもそのせいだと思う。夕飯は食べないと伝えるとガイドが飛んできた。スグに救急病院に連れていかれて、酸素吸入を2時間、夕飯はあひるのスープに羊、牛肉、野菜などタップリ入れた、ものすごく美味しそうな鍋料理。でも、食欲はない。ホテルに帰ってからホテル専属の医療室で、又酸素吸入と点滴をされて、部屋に酸素ボンベが持ち込まれ、夜通し酸素吸入をする。その後は殆どケロリとしていたけれど、さすがに息切れがはげしくなってきた。一日ユックリ休めば明日からは元気になるに違いない。

ラサ観光 その1

送信者 中国・チベット

ラサのガイドは又劉さん。こちらは非常に有能らしく、説明も上手で歩く速度もこちらにあわせてくれる。特に数字につよいらしくて、年代が立板に水。でも、たった一人の客で、しかも建物より動物に興味を持つらしいのがわかって、段々つまらなそうになってきたのがおかしい。ポタラ宮は素晴らしいけれど、ダライ・ラマが不在では、ありがたみが薄くなる。大昭寺とそれを取り巻く八角街を見ると今日の予定は済んでしまった。でもまだ、昼前。とりあえず昼食をとる。チベット風カレー。あまり美味しくはないけれど、こちらの人々はこれでもご馳走だと思うと、まずいとは言えない。午後は明日の予定の尼僧院を訪れることにした。

青蔵鉄道 その9




少し暮れてきました。



ラサへは21時すぎに着きます。

青蔵鉄道 その8



午後になって周りの人達も疲れて横になっています。このころになると、トイレのつかいかたにも馴れたらしく、少し綺麗になりました。上の段からアメリカ人の若者が降りてきて、お菓子と果物を交換したり、写真の取りやすい場所をあけてあげたりしました。時々ハルビンから来た人が会話に混じってきて、賑やかです。

青蔵鉄道 その7



世界一高いところにある駅。外に出てみるとさすがに空気が希薄なような?でもあまり苦しくはない。車掌さんは背の高ーい女性。写真を撮ってもいいかと尋ねると、ダメと言って急にはにかんだのが、とっても可愛かった。

青蔵鉄道 その6



この辺は特に広さを感じます。これが水かさを増して一本の川になったら、ものすごい大河ですね。

青蔵鉄道 その5



少し下ってくると今度は草原地帯。所々湖沼地帯も混じって、中々の風景です。

青蔵鉄道 その4

お昼は車内販売のお弁当。美味しいとは言えないけれど、まあ、こんなものでしょうか。それに、別さんがソーセージや果物、漬物を買ってきてあったので、結構豪華・・・な食事です。

青蔵鉄道 その3



雪を頂きに残した・・というより、最近降ったらしい山々が美しく見えます。だいぶ標高が高そうです。でも未だ高山病にはなっていません。美味しく朝食も食べました。別さんが甲斐甲斐しく用意してくれた、カップラーメンと果物でした。

青蔵鉄道 その2



夜が明けてしばらくすると、岩山ばかりの砂漠地帯に入りました。意外にもずーっと同じ景色ではなくて、とても変化に富んでいて、ボーっと眺めていると、いつまでも飽きがこない。

青蔵鉄道 その1

やっと乗り込んで寝台席をさがす。私は一番下でガイドの別さんは一番上。中段は大きな男の人。私の向いに40代くらいの男性。その上はその人のお連れさん。一番上はアメリカ人の若い男性。このメンバーが24時間を共にする。向いの男性は物静かだけど、明るく親切。その連れは気難しそう。アメリカ人は入ってくるなり、横になって寝てしまった。別さんが紙のスリッパを出してくれて、それを履いてトイレに行ったら、グチャリと足元が濡れた。見ると2つのトイレの片方から、怪しい水が流れでている。ドアを開けると悲惨な情景。だれも流さないのか汚い水が溢れて、ドアの外まで漏れていた。まず第一のショック。流しに入ることすら汚くて出来ない。もう片方も開けると、流していないけれど、まだ、内部に留まっているからなんとか使える。流すとやっと綺麗になった。まあ、片方は使えてよかった。日本からトイレットペーパーを一巻き持参したのが、ここで威力を発揮。でも、外に出しておいたら黙って持って行く人がいて、ビックリする。本当にどこへ行ってもトイレだけは許しがたいほど汚い。夕飯といっても、もう遅いし、李さんの所でさんざん食べてきたので、バナナやりんごを少し食べて、寝ることにする。ところが、どこかの寝台の人が高山病にかかったらしく、ひどく嘔吐している。次の駅で友人と二人下ろされてしまったらしい。こんな夜中にどうするのだろうか。ひとごとながら気になる。それにまだ、高度2000メートルを少し超えたばかりなのに。眠りの達人だからスグに寝てしまったが、少し頭もいたいようだ。緊張しているせいかもしれない。時々目がさめるけれど、良く眠れた。目が覚めて通路に出てみると、夜明けが近い。

中国、チベット旅行記 青蔵鉄道に乗る

李さんが駅まで送ってくださった。まず安全検査。中国では鉄道に乗るときも手荷物検査がある。私が上に乗ってやっと閉まるくらい詰め込んだスーツケースが引っかかった。液体を入れてあったのが、いけないという。開けると閉めるのが大変だから、嫌だと言っても開けさせられる。ブーブー文句を言っていたらガイドの別さんが「でも、あの人達の仕事ですから」と云う。若いのに冷静でごもっともな言い分だから、やっと云うことを聞いて、シャンプーの説明。オーケーが出る。心配そうに見ていた李さんもホッとして、最後のご挨拶をする。本当に名残惜しそうに、流暢な英語で私の旅がうまく行くように、又ぜひ来て下さい、又お会いしましょう、といってくださる。こちらは、非流暢な(こんな言葉あり?)英語で感謝するのみ。たった一回会った人に、これほど深く思いをこめて語れるものかと思う。中国は今はいろいろ問題ありの国だけど、かつての素晴らしい文化を私は尊敬している。詩や絵画、書などの教養、心の豊かさなど、日本がお手本にしてきたものが、時を超えて文化人たちに脈々と受け継がれているような、そんな気がする。今ギクシャクしている日中関係ですが、旅をしていて一度も不愉快だった事はない。中国には4回行っているけれど、いつもゆったりとした時の流れを感じて、日本にはない豊かさで包み込まれる。トイレは確かに汚い。マナーも悪い。声もうるさい。でもおおらかな、日本人の失ったバイタリティーがあって、元気にさせられる。待合室はチベット族と旅行者でごった返していた。一種異様な雰囲気。いよいよこれからチベットに向かいます。

2010年10月18日月曜日

秋の軽井沢

昨日から軽井沢の友人の別荘に一泊で行ってきました。友人と云うには恐れ多いけれど、先輩の人形制作者の通称ノンちゃん。雑木林のなかに木の皮?で張ってある壁。ユニークなデザインの素敵な家。中に入ると様々な手作りの食器やクッション、絨毯まで布を裂いて織り上げて、その上お料理がうまく、長年のお付き合いなので多才な人とは思っていたけれど、ここまでとは・・・
一緒に行った2人の友人共々、只感心するのみ。軽井沢までは新幹線で、後は駅のレンタカーを借りて、もう、アッというまに着いてしまう。自宅から車とも考えたが、日曜日に高速道路を走るのはうんざり。渋滞と事故が多すぎる。でも、軽井沢はかなりすいていた。午後から少しドライブに出て、「丘を越えて」という歌の「丘」はここのことなのよ、とノンちゃんの説明を受けて登った丘は、左手に浅間山、すすきの穂が出て吾亦紅と竜胆が咲いて、右手には牧場、正面は樹海が広がっている。晴れて穏やかな陽が差して、いつまでも見飽きない。所々紅葉が混じって、日本ってきれいだなあと思う。ついこの間まで旅行していたチベットの厳しい自然が少し遠のいてきた。そこから今度は浅間を裏から見るコースを通って帰途に着いた。夜はワインを飲んで美味しいポトフを戴いて幸せに夜が更けました。星を見るのを忘れる位暖炉の薪を燃やすのに熱中し、おしゃべりが弾んで、いいなあ、こんな生活。

2010年10月16日土曜日

中国、チベット旅行記 西寧

西寧で地元の李さんの家族と一緒に遊ぶことになった。昼過ぎ、李さんご夫妻がホテルに迎に来た。途中で奥さんが大きなケーキを買ってきたので、聞い
たらお父さんのお誕生日のお祝いだという。わー、それならなにかプレゼントを探しておけばよかった。1時間位車で走って行ったところは郊外の大きな庭を挟んで、2階部分が貸し部屋にわかれていて、そこを借りきって家族や友人たちで1日遊ぶらしい。下は子供の遊ぶところやレストランになっている。李さんのご両親、兄弟、その連れ合い、子供2人。育ちの良い礼儀正しい人たち。朴訥で優しいご両親。すぐに打ち解けてゆっくりと時を過ごした。ひまわりの種は日本では鳥のエサでしょ?と言いながら、食べ方を教えてくれたガイドの別さん。これは癖になる。ちょっと、めんどうだけど。飲んだり、食べたり、居眠りをしたり、とうとう夜になって、さあ、青蔵鉄道の乗車時間が迫ってきた。

中国、チベット旅行記  九寨溝の滝

九寨溝の滝は一度では撮りきれないほど距離が長いので、その一部の動画ですが、見てください。

少し日にちが前後してしまいましたが、これは西寧の前日撮ったものです。


2010年10月15日金曜日

中国、チベット旅行記 西寧に飛ぶ

西寧市は海抜2000メートルを超える。九寨溝から西寧まで国内線で直行便があるはずなのに、ちょうど中国の国慶節にぶつかってチケットがとれないので、一度西安に行ってから乗り換えて西寧まで行くことになった。無駄といえばたいへん無駄だけど、仕方ない。西寧空港には李さんという地元の人が迎えてくれた。ホテルに着いてすぐに夕飯。西寧は大変都会的で、食事も美味しい。特にじゃがいもの料理が美味しくて、李さんは世界一美味しいジャガイモだと自慢気。街は賑やかで車が多い。でも、一種落ち着きがあって、とても良い街。次の日はいよいよ今回の目的の青蔵鉄道に乗る。初めは午後の便を予定していたのに、これも国慶節の連休でチケットがとれず、李さんのお力添えで夜のチケットが手に入った。ホテルのチェックアウトは14時だそうだから、その後時間をどこかでつぶさなければならない。さて、どうしよう。すると、明日は李さん一家はお休みで郊外に遊びに行くので、一緒にどうかと誘ってくださった。でも、他人の、まして外国人の団欒にお邪魔するのは時間も長いし疲れるなあと、柄にもなく躊躇する。でも、他に時間のつぶしようもないし、それではということで次の日12時に李さんが迎に来てくださることになった。

九寨溝の最高位

送信者 中国・チベット


一番高いところにある湖。海抜4700メートル位だそうです。

九寨溝で結婚式

今中国で
送信者 中国・チベット
流行っている結婚式は、しぜんの中でこのように行うようです。

中国、チベット旅行記 九寨溝

送信者 中国・チベット


九寨溝の中の鏡湖です。

2010年10月13日水曜日

チリの鉱山事故救出劇

今日は昼からテレビに釘付けになった。チリの鉱山事故から2ヶ月強。一人又一人、カプセルに乗って地上に運ばれてくる。生存が確認されるまでの17日間。どんなに不安で息苦しい日々だったか。想像もつかない大きなストレスだったと思う。このまま生き埋めになって生涯をおえるのか。誰でもなんどもかんがえたに違いない。それを救ったのが強力なリーダーシップを持つベテラン鉱夫。といっても50代の屈強の男だが、生存確認まではこのくらい時間がかかると見て、食料の配分、居住区の割り振り、交代制の睡眠などを指示、皆がそれに従ったところが素晴らしい。強い人は頭がよい。食料にいたっては2日に一度、ツナの缶詰2さじ、缶詰の桃1切れ、牛乳半カップ、クッキー半切れ、これしか食べずに生き延びたと云う。それでも後3日分余っていたそうだ。ほとほと感心する。でも、この騒ぎで家族や友人がその後マスコミにさらされ、人生が大きく変わることだろう。すでに、愛人と妻のバトルなど、どうでもいいことが槍玉に上がっている。話題としては面白いといっては申し訳ないが、そんなこともあろうかと、下世話な興味も沸いてしまう。まずは、33人の無事な姿とレスキュー隊の職務貫徹を祈っている。

中国、チベット旅行記 その1 黄龍

朝6時シャトルバスで空港へ。国内線で九寨溝の空港へ向かう。空港には現地ガイドの劉さんとドライバー。劉さんは本当はチベット族なので別の名前だが、今は中国姓を名乗っているという。早速4000メートルの山越えが始まった。ドライバーはかつて、日本のドライバーがそうであったようにクラクションを鳴らし、はて、中国は左側通行だったかしらと思うほど、追い越しをかける。私も若い頃ものすごく無茶な運転をしていたので、気持ちは良くわかるし、リズムが良いので怖いとは感じない。ぐんぐん高くなっていく標高。今3000メートルとか4000メートルとか言われても、さほど体に影響はなさそう。チベット族の家がところどころに点在し、よく映像で見る色とりどりの布が、ロープに旗のように結び付けられている。日本のように紅葉や緑したたる山ではない。色合いの少ない景色に、それはハッとするほど鮮明に見える。道は一応舗装されているけれど、まだ工事中のところが多く、トラクターなどが無造作に放置してある。日本ならずいぶん手前から注意の看板があったり、信号があったりするが、そんなものは一切ない。カーブを曲がった途端、片側通行だったりするのを平然と追い越して行く。黄龍はぜひ行ってみたいところ。湖が段々になっていて、そのエメラルドグリーンの美しさは喩えようもない。しかし、やはり、標高が高すぎた。木の遊歩道の階段を登り始めると、激しい息切れがする。高山病の予防薬は前日から飲むように指示があったので、寝る前に飲んで、朝も飲んで出かけたのに、鏡で自分の顔を見た時、ぎょっとするほどの顔色で、手をみたら紫色をしている。しかも、激しい動悸はかつてなったことがないほどの心拍数。まるで、トレモロのようにヴィヴラートのように早い。これは危ない。しかもそのために持ってきたニトロは車の荷物の中。思わずへたり込む。ユックリ歩いてと言うのに、ガイドは若くて平気だから、どんどん登って行って時々待っている状態。つい無理して付いて行ってしまう。韓国のツアー客は皆手に酸素ボンベを持っている。エー、私にはないの?しかも、ろくすっぽ説明もなく、どうしてあんなに色が違うのという質問にも答えられない。なに、これは。早速怒りんぼの虫が疼いてくる。しかし、美しい。危険を犯しても見る価値は充分ある。そして頂上へ。一望すると、段々になった池がそれぞれ少しずつ色を変えて、全体としては澄み切ったエメラルドグリーン。降りて行くと曲がり角ごとに又池が現れ、色も微妙に違ってひっそりと静まり返っている。その夜は九寨溝泊まり。部屋は広くてきれいだけれど廊下が暗い。外で言い争いのような声が激しくして、恐ろしい。でも私の特技は、横になって暗くなると寝てしまうことなので、良く眠れた。

2010年10月12日火曜日

中国、チベット旅行記  出発

昼ごろの成田エクスプレスで成田へ、午後5時発上海経由西安行の飛行機に乗った。上海で少し時間があるので、西安に着くのは23時20分。ずいぶん遅い。直行便がないのが不便だなあ。西安といえば、今を去る30年ほど前、初めて中国に行った時に立ち寄ったことがある。静かな美しい街だった。城壁に囲まれて大きな門があったのを、物忘れの激しい私でもよく覚えていて、とても印象が良かった。古都という名にふさわしい街。さて、今はどのような街になっているのだろうか。上海は万博があるので、賑やかで煌々と明かりがついている。空港の周りも高速道路らしいところは明るく照らされていて、日本よりもギラギラひかっている。乗り継ぎの10数人が別の通路に連れていかれて、入国審査を受ける。全員観光気分では全く無くて、シンと静まり返ってなんだか恐ろしい。その通路は全く隔離され、審査に引っかかったら大変と、不安になる。でも、こんなおばさん、だれも怪しむこともなく無事入国許可が出た。ウロウロして小龍包を食べたり、お茶を飲んだりしているうちに搭乗時間が近づいてゲートへ行くと、あら?いつの間に搭乗口が変わってしまった。どこへ行けばいいの?係員の男性は親切で、やっと正しい搭乗口にたどり着き一路西安へ。待っていたのは想像していたおばさんではなく、若い女性。この後11日間面倒をみてくれる、別さん。28歳。怖いおばさんを想像していた私はホッとするが、果たしてこんなに若くて大丈夫?次の朝早いので空港付近のホテルに泊まり、そのままバタンキュウで寝てしまった。

2010年10月11日月曜日

中国、チベット旅行記 準備編その3

今回のスケジュールは次の通り。

1、 成田発 上海経由西安                西安泊
2、 国内線で九寨溝へ黄龍観光             九寨溝泊
3、 九寨溝観光                       九寨溝泊
4、 内線で九寨溝ー西安  西安ー西寧        西寧泊
5、 西寧発 青海チベット鉄道21時40分発      列車泊
6、 夜、ラサ着                        ラサ泊
7、 ラサ観光                         ラサ泊
8、 ラサ観光                         ラサ泊
9、 ヤムドュク湖観光                    シガツェ泊    10、シガツェ観光                       ラサ泊
11、国内線でラサー成都  成都ー西安         西安泊
12、西安ー上海  上海ー成田

このスケジュールを見た時に一番心配だったのは、2日目、いきなり4000メートルの山越えがあることだった。その点を電話で問い合わせても、大丈夫。ファックスで理由を書き連ねて変更を求めても、大丈夫の答え。高山病予防薬を持っているし、大丈夫かなと自分に言い聞かせて、受け入れたのが大きな間違いだったことが、現地で明らかに。後で聞いたところでは、この旅行社の人が高山病になったことがないと云うだけの理由らしい。やはり大陸的というか、私は自分がそうなので怒りもしないが、神経質な日本人なら怒るかもしれない。高山病の薬を出してくれた横浜のクリニックの先生は「日本人が何人も死んでいますよ」と脅すし、ネット上で調べると高山病の恐ろしさが沢山出てくるし、なら行かなきゃいいじゃないか、と言われてもねえ。行きたいのよ、性格が悪いから。ときは中国の国慶節。連休のさなかで、列車も飛行機もチケットをとるのが難しく、直行便で行ける所も乗り継ぎになったりして、スケジュール的には無駄な部分もあったけれど、とにか胸ふくらませて成田から飛び立った。

中国チベット旅行記 準備編 その2

前に投稿したものと重複することもありますが、お許しください。さて、日程も決まり、私ののぞみはこのブログに中国から投稿できたらいいなと思うこと。果たしてできるだろうか。そこで登場するのは、いつものお助けマンのパソコン名人。まず、携帯では大丈夫らしいが、やはりパソコンのようなキーボードのほうが作成しやすい。それで、考えたのはスマートフォン。iPadでは重さと大きさがありすぎる。IS01はどうだろうか?一つ手に入れて実際にやってみよう。彼はそのために操作方法の動画を、どれだけ作ってくれたことか。次々に私のパソコンに送られてくる大量の動画。それに対して私は「これはどうするの?」などと、のんきに質問。すると、「その動画の何番目にはいっています」との返事。よくも怒らず付き合ってくれるものだと感心する。結局やはり携帯での投稿が一番とわかって、スマートフォンは残念ながら、お留守番してもらうことになった。次は健康に関する準備。薬の山。まず、高山病予防薬。感染症のための抗生物質。気管支がよわいので、気管支炎の薬と咳止め。眠れない時のための睡眠導入薬。胃腸薬。心臓のためのニトログリセリン等々。幸いなことに咳止め以外は殆ど使用せず。次は最も必需品である、紙類。トイレットペーパーの芯を抜いて一巻き。ポケットティッシュ。消毒綿。トイレには、ホテル以外紙が無いものと思ったほうが良い。空港ですらトイレットペーパーが無いので、絶対必需品。列車でトイレットペーパーを見えるところに置いていたら、黙ってちぎって行く人がいたので、かくしてしまった。ケチと言われようと、自分のため。暑さ寒さ対策も欠かせない。寒い時のために防寒コート。かさばるのが困るが、標高の高い所で震えたくない。結局上着は2種類。セーター3枚。と入れてみると、いつものスーツケースでは入りきらず、一回り大きいものを買う羽目になった。

2010年10月10日日曜日

中国、チベット旅行記 準備編

青蔵鉄道に乗りたいと思ったのは本当に単純な動機。テレビの番組で世界一高いところを走る列車として紹介されていたから。いつでも、動機は単純です。あ、これをやってみたい、ただそれだけ。でも、今回はそう事は簡単に運ばなかった。まず、遡ること5年ほど、仕事がワンサカあって忙しいさなか、6月に8日ほど余裕があって、そこでどうしようかと考えた。その頃スキューバダイビングを始めて夢中になっていたので、今回は潜りにと考えたのがケチの付きはじめ。その年は沖縄へ。次の年から暴動や地震や次々とラサ、青海省付近に不穏な出来事が続出。私自身も健康や仕事の都合で、中々踏み切れない。今年はラストチャンス、今年を逃したらもう行くことはないだろうと思って、実行することになった。仕事もヒマになったし、健康も年々衰えていくから今しかない。でも、今までツアーに参加して、あまり面白かった事はない。できたら一人で旅をしたい。まず、日本のユーラシア旅行社に電話してみた。一人でというと電話の向こうのお兄さんが、フン、といわんばかり。いかにも馬鹿にして「お金かかりますよー」そんなことわかってるさ。でも、あまりの感じ悪さにここはやめた。次につてをたどって中国の旅行社にアタック。紹介して下さった方が、そこの社長さんと非常に信頼関係にあるので、簡単にオーケー。何回かファックスと電話のやりとりの後、スケジュールが決まった。さて、ラサは標高3200メートル、青蔵列車の最高位は5000メートルを超える。初めに行く黄龍、は4000メートルを超える。一番の心配は高山病。調べれば調べるほど恐ろしい。体験記などでもその怖さは、まざまざと伝わってくる。あとは狂犬病、中国、インドなどは狂犬病の予防が徹底していない。9月に入って、予防注射を打ちに行く。3回に分けるので、やっとギリギリ出発に間に合う。ところが、その前に歯の治療、鼻腔を広げる手術など立て続けにやったため、か弱い(?)私は高熱を発しダウン。弱った状態での出発となった。

2010年10月9日土曜日

玉三郎は大泣き、猫たち大興奮

昨日家に帰ったら玉三郎は興奮のあまり、30分ほど絶叫していました。4匹の猫たちはそれぞれ思いの丈を語り始め、欣喜雀躍、手の舞い足の踏む所を知らず、といった有様。こんなに喜んでくれるのは猫だけだと思うと、複雑な思いですが、今日仕事にいったら、途中で電波事情で投稿出来なかった日などに、皆さん心配してくださっていたようです。昨日はベッタリと猫に取り囲まれ、グッスリといきたかったのですが、途中で玉三郎は食べ物を吐くし、ナツメは夜泣きするし、ラサのほうがよほど熟睡できました。今回の旅行のアレンジを引き受けてくれた中国の旅行社の社長さんもよほど心配だったらしく、西安でお目にかかったときに「本当に心配していました。よかった。」と何回も言って喜んでくださって、人騒がせな一人旅は無事終了しました。近日中に少しずつ思い出しながら、書いていこうとおもいます。それにしても、チベットの気候のきびしさ、人々のあまりの貧しさに衝撃を受けた旅でした。脳裏によみがえるのは、力なく手を差し出す人たち、身を投げ出して進む一人ぼっちの巡礼者。涙など受け付けない厳しさ。私の中でこれが今後どう生かされるのか未知数ではありますが、大変な衝撃を今どう受け止めるか、未だ整理がついていません。少し時間をおかないと未消化に終わりそうです。ゆっくりと考えていこうと思います。

2010年10月8日金曜日

中国のおばちゃんたちは親切?

朝5時半出発、チェックインすると一人になってしまった。搭乗口の15番に行こうとしたら鍵がかかっていて行かれない。誰に聴いてもそこというけれど。3人目の人が座っていれば、声をかけてもらえるからというけれど、不安で何回も掲示板を見に行く。免税店のおばちゃんが大丈夫と言ってくれる。やっと鍵があいて一安心した。乗り継ぎの手続きの怖そうな人も私が往きに書いた半券をなくして叱られると思っていたら、意外と親切。上海で免税店を眺めていたら、呼び込まれたので35元しかないと言うと、「35はこっち」と言ってポンとお菓子をわたされ笑い声が起こる。おばちゃん同士は国が違っても同じですね。今日成田に着きます。写真などの整理がついたら、青海チベット鉄道の旅投稿しますので、読んで下さい。しばらくお待ちください。

2010年10月6日水曜日

今日はドライブ

私の高山病のせいで次の目的地のシガツェに行けなくなったので、昨日は又お寺巡り。今日は近場をドライブしてもらうことにした。こんな時は一人旅のありがたさ。好きなようにさせて貰う。振り回されるガイドとドライバーはブーブー言っているみたいだけど、言葉が判らないふりして知らん顔。昨日ホテルのドクターから大丈夫と言われたから、大丈夫でしょう。では、行って来ます。

2010年10月5日火曜日

高山病

昨日あたりから風邪気味だったので嫌な気分がしていたが、今朝ちょっと買い物に出て部屋に帰るとそのままダウン。あまりの気分の悪さに、唸ってしまった。ベッドから起き上がろうとした途端腿に激痛が走り、立ち上がれない。すぐに水を飲み擦ると傷みが消えた。6時に食事の約束をしていたけど、気分が悪くて行かれないとガイドに電話をする。間もなくドアをノックして2人のガイドが入ってきた。すぐに病院に連れて行かれ、酸素吸入を2時間。その間ガイドもドライバーも空きっ腹を抱えて待っていてくれた。少し気分が良くなり食事は鍋料理。アヒルのスープに野菜や牛肉、羊肉が入って、いつもならモリモリ食べるのに、ほとんど箸がすすまなかった。パジャマに着替えて寝ようとするとガイドがホテルの高山病専門のドクターを連れて来てくれた。又酸素吸入と点滴を2時間。やっと唇に赤みが差してきた。最後の目的地シガツェのヤムドュク湖に行くのは急遽取りやめて、ラサにもう2泊する事になった。旅の終わりはあっと言う間にやってくる。チベットには2度と来られないだろう。体力的にも大変な所なので、若くない私は
今来られて本当によかった。しかも呼吸器に問題があるので、本当は危険な賭けだったと思う。それでもここは人を惹き付けるものがある。

2010年10月2日土曜日

世界一高い駅

間もなく世界一高い所にあるトングラ駅に着きます。前の席の男性達はグロッキー。私は何とか持ちこたえています。早く降りになってほしい。ヤクの群れが増えてきたので、動物好きな私は気が紛れています。ありがとう。ヤクさんたち。雲が一つポッカリと浮かんでいて、どんな現象かわからないけれど、それだけ虹色に輝いています。とても厳かな気がしました。

永久凍土

昨夜10時40分発の列車に乗っています。7時頃目がさめた。地平線から空にかけて茜色から黒に近いブルーのグラデーション。くっきりと山の稜線がシルエットで浮かんでいる。間もなく夜明け。少し進んでいくと黒い変な雲。なにかとおもったら工場の煙だった。おやおや。こんな所まで公害?顔を洗って戻るといつの間にか、凍った地面が一面に広がっている。これが永久凍土なのか。間もなく最高地点に到達するはず。もう夜があけます。

2010年10月1日金曜日

青海チベット鉄道を待つ

なぜか、中国の家庭の誕生日のお祝いに紛れこんで、向日葵の種をついばんだり麻雀見たりしています。なんででしょうね。

西寧

昨夕西寧に到着。地元の李さん夫妻の案内で夕飯を食べる。羊の肉 じゃがいもが美味しい。今日は中国の国慶節。朝から花火のドカンという音で目がさめた。街を歩いてみたらイスラム教の寺院をみつけた。入れてもらいたいと頼んだが断られた。頭にスカーフを巻いていなかったからか、よほど不信心者と思われたか。しかし、ひどくホコリっぽいのには閉口した。ガイドさんが一緒だと余計な物を買わないように言われるので、こっそり買い物をしようと思っていたけれど、何も欲しいものがないので、諦めてホテルのカフェでコーヒー飲んでいます。